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2010年9月21日 (火)

東京新名所

 東京新名所といえば東京スカイツリーである。現在建設中の高さが、完成時634m中461mになった。すでに周辺は、休日など見物人の雑踏ができる。近所のひまそうな「おいちゃん」がボランティアの案内役を買ってでる。2010_05030016

 最寄の駅は東武鉄道の業平橋。京成や地下鉄が交差する押上も近い。もっとも浅草雷門あたりから吾妻橋を渡って歩いていくのが一番のおすすめコースだ。タワーの所在は業平1丁目に隣接する押上2丁目で、キャンペーン・キャラクターの名は「おしなりくん」。

 なにか商魂の「おしうりくん」みたいで、このあたりの土地柄にそぐわない。奈良の「せんとくん」もあまり評判がよくなかったが、業平と云えば平安時代の歌人で『伊勢物語』の主人公・在原業平である。古代文化とキャラクターはどうも相性が悪いようだ。

 名にし負はば  いざこと問はむ  都鳥
         わが思ふ人は  ありやなしやと

 この歌ゆかりの地として、近くの隅田川に言問橋がかかり、河畔には名物言問団子の店がある。さて、このあたりは江戸時代どういう風景だったのだろう。山の手の人はこのあたりを「川向う」といって、場末扱いしていたが『江戸名所図会』(同名の角川文庫(六)に収録)では、十数か所の神社仏閣が紹介され、スカイツリーより先に名所入りしている。

 現存する神社仏閣もあるが、文末に紹介する業平明神など移転・消滅しいてるものの方が多い。そのほか紹介されている絵には、活気にあふれる瓦工場、街角にしつらえた公共の井戸や行き交う母子、飴売り、商人と小僧など、街のにぎわいを見せている。

 以下の紹介文章を見ても当時の人が、いかに名所の故事来歴を大事にしたかがわかる。今、デジカメを持って眺め中心に鑑賞の目を向ける現代人と、どちらが文明を享受しているのか、つい考えてしまう。

 業平天神社 中の郷南蔵院といへる天台宗の寺境にあり。伝へいふ、在原業平朝臣の霊を鎮むると云々。(『江戸名所記』に、業平すでに都にのぼらんとし舟に乗ず。しかるにその乗ずる所の舟このあたりの浦にて覆り溺死す。

 乃ち里民塚に築きこめたりし故に、塚のかたち舟のごとくなり、その在所を今も業平村と云ふと。又『江戸鹿子』といへる冊子にも、成平に作り、相撲とす。『紫の一本』にも、業衡に作り、武夫とするの類ひ猶多しといへども、いずれも証とするにたらず。

  求涼亭云く、この祠昔は今小梅の水府公御やしきの地にありしとなり。横川掘割の頃今の地に移さるゝとなり。又南向亭の説に中の郷は業平仮住の地なれば、中将の郷といふべきを誤りて中の郷と云ふとあれども、附会なるべし。)

    以下略

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