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2010年9月

2010年9月29日 (水)

すれちがう日中関係

 6月のはじめころ、「武」のつく天皇という題で記事を書いたことがありました。神武・天武・桓武そのほか、いずれも新しい都をつくるとか、一時代を代表する有力な業績を残した、というのがその趣旨でした。

 ところが、これには先例がありました。中国の「三武一宗の法難」なるたとえです。これは、名前に「武」のつく3人の皇帝、すなわち北魏太武帝・北周武帝・唐武宗と後周世宗が、仏教迫害・弾圧のチャンピオンということで、あまりいい方の評価ではありません。

 このことは、日中文化比較で実績のある王敏(ワン・ミン)氏の著書『日本と中国―相互誤解の構造』(中公新書)で知ったのですが、その中に、日本の「寛容文化」と「謝罪」について触れた記述があるので、折も折、触れておきます。

 2007年に愛知県長久手町で起きた人質立てこもり事件です。警官のひとりが犯人の銃撃で犠牲になりました。事件発生から約30時間後に投降してきた男に、取り巻いていた警察の拡声器が、銃は家の中に置いてきたか、とたずねました。

 男がそれにこたえると、「そうしてくれたね、ありがとう」と警察が応じました。同僚を殺した犯人に対する言葉として、日本人でもちょっとおかしいと思いますが、それに反応したマスコミはなく、王氏は、

 在日外国人は、おそらく多くが「日本語の言い回しはここまでヤサシイのか」という思いで記憶し続けるだろう。

 と書いています。

 もうひとつは、滋賀県長浜市郊外で起きた2園児殺害事件です。中国国籍の30代主婦への送り当番の朝、わが子がのけものにされているという思い込みから、預かった2園児を刺殺しました。

 報道陣の前で、園長が涙を流しながら「亡くなられたお2人には『どうか許してください』という気持ちでいっぱいです」と述べられたことに、王氏は理解を超えるとして驚きを隠しません。これは、広島の原爆碑にも相通じるものがあると思います。

 園長さんの詫びはおそらく、小さな命を守ってあげらけなかった周囲の大人のひとりとして悔しさがあったからだと思われる。もちろん、内面には犯人に対する憤りがあったに違いないが、この怒りより先に、園児を守る責任を果たせなかったことを責めるところが日本における事件に対するリアクションの特徴のように思う。事件の因果を考える日本人のどこか原点には、犯人も同じ社会の犠牲者と見なす慈愛を潜ませている気がしてならない。

 王氏の観察は、買いかぶりすぎでしょう。橋下知事とかネットウヨとか、そうでない人が最近は増えています。かといって、王氏の指摘が誤解であるとはいえません。また、そういった慮りをいいことに、つけあがるようなことを許さない精神風土も当然あります。

 草食系ばかりがふえて、それすらなくなるようでは将来が思いやられます。中国の日本研究や知識も増え続けています。中国のネットウヨや産経新聞ばりの環球網の活動にもかかわらず、相互理解が進み、日中関係が改善することを信じたいものです。 

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2010年9月28日 (火)

「戦中・戦後」断片⑧

終戦直後アジア年表編
 

1845年8月15日、日本敗戦後からアジアでは何が起こっていたか、日頃愛用している小学館の『20世紀年表』から翌21年にわたって抜粋する。

----昭和20年(1945)
8/15 朝鮮建国準備委員会、ソウルで結成
8/16 スターリン、ソ連軍による北海道北部の占領を正式提案、トルーマン拒否。
8/17 インドネシア共和国独立宣言、大統領にスカルノを選出。
8/18 満州国皇帝が退位、満州国解消。
8/19 ハノイで蜂起、ベトナム革命。
8/22 ソ連の潜水艦、樺太からの引揚者3隻を撃沈。死者1708人。
8/23 日本陸海軍兵員の復員開始。

9/2  連合軍最高司令官マッカーサー、在朝鮮の日本軍に対し38度線を境に米ソ両軍への降伏を指令(朝鮮の南北分立の開始)
9/2  ベトナム民主共和国臨時政府が独立宣言(主席ホーチミン)、反仏闘争を開始。9/23 仏軍、英軍の援助をうけ、サイゴンを占領(後、南ベトナムとなる=塾頭注)。
9/6  朝鮮建国準備委員会、朝鮮人民共和国樹立を宣言。
9/8  米軍、朝鮮に進駐開始。9/19 米軍政開始、10/10 米軍政長官、朝鮮人民共和国否認声明。
9/29 英・蘭軍とインドネシア人民軍(10/8結成)の間で交戦開始。

10/13 蒋介石、国民党各部隊に内戦を密命。解放軍(毛沢東軍=塾頭注)と各地で衝突。
10/14  平壌で金日成帰国歓迎市民集会。
10/16 李承晩、米から帰国、南朝鮮の指導者となる。
10/24 国連発足。

----昭和21年(1946)
5/3   極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。
7/4   フィリピン共和国成立。
7/12  一旦停戦中だった中国の国共内戦再開。
8/24  インドのネール、中間政府を組織。
8/26  フランスがラオス王国へ自治付与に同意。
12/29 フランスと北ベトナム間で第1次インドシナ戦争始まる。

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2010年9月27日 (月)

中国は変わったか

 ・・・・変わった

 尖閣列島沖で起きた公務執行妨害容疑者を不問にして釈放したら、「謝罪しろ、賠償をよこせ」と対立をエスカレートさせる。

 南シナ海に遠く離れた南沙諸島など、フィリピンやベトナムなど弱小国に軍事的圧力を加え、領有を主張する。アフリカなどに人とカネを送り込み、鉱物資源などを手当たり次第あさる。これを、帝国主義、覇権主義、膨張主義といわずに、何と言おう。

 かつて、社会党委員長だった浅沼稲次郎が「米ソ帝国主義は日中共同の敵」と中国との共同宣言で言ってしまったため、1960年、日比谷公会堂で右翼少年に刺し殺された。

 72年、アメリカ・ニクソン大統領が中国を電撃訪問し、①体制間の相違を相互に認め、それを超えて「平和共存5原則」に基づき国際問題および2国間問題を処理する。②米中ともにアジアで覇権を求めず、覇権主義に反対する。(以下略)

 鄧小平16字原則。「増加信頼、減少麻煩、発展合作、不搞対抗」(信頼を高め、摩擦を減らし、協力を発展させ、対抗しない)

 以前と変わったのは、改革を成功させ毎年2桁の経済成長を達成、オリンピックも万博も実現。世界同時不況の中でやや衰えたとはいえ、ひとり高成長を続け、アメリカり一国支配や日本の経済が頭打ちになったことである。

 ・・・・変わらない

 「ナショナリズム」と「党」。このふたつは、中国人不変のDNAといえる。辛亥革命以前は、「中華思想」と「帝王」と言い換えてもいい。

 中国の革命や危機に際しては、必ずナショナリズムが大きな梃として作用する。毛沢東の革命も「反日」を原動力にした。ただしこのナショナリズムは漢民族のそれである。チベットやウイグル、朝鮮などの少数民族は含まれない。したがって彼らの動きはすごく気にする。

 釈放された船長は母国に着くと「党に感謝します」といった。普通は「政府」とか「国民」に感謝するというだろう。北朝鮮でさえ、共和国にとか首領さまといっても「党」とは言わない。世界でこの国だけだ。

 帝王は政治を意味し、政治とは帝王のことだった。その帝王が今では「党」にかわった。党は、それほど大きな存在なのだ。軍を持ち、地方で割拠、人民を指導し、政府を操る。それは、国であって国でなく、胡錦濤であり胡錦濤でなく、温家宝であり温家宝でもない、わかりにくい概念だ。

 ・・・・そういったことを知ったうえで

 日本は大いに変わらなくてはならない。どう変わるのか、そこまでいう余裕は今ない。

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2010年9月25日 (土)

船長釈放と大津事件

 今週前半まで、真夏日だとか熱帯夜だとか猛暑に明け暮れした。へそを出して寝ていても暑かったのが彼岸を境に一転、毛布だけでは足らず、厚い掛布団まで取り出す始末、そんな印象が今回の尖閣列島体当たり船長の釈放発表だった。

 ここしばらくは、勝ったの負けたの、陰謀があったのなかったの、マスコミは大好きな中国ネタではやしたてることだろう。中国は振り上げたこぶしのやりばに困っている。過去の事例から見て、日本が外交上の主導権を握るなど夢のまた夢かもしれないが、これまでも言ってきたように、これを一つのチャンスとして、東アジア外交に本腰をいれたらどうか。

 ただ、野党や識者、マスコミの一部に「政府には説明責任がある」と言っているのは笑止である。起きたばかりの外交問題の手の内をさらすような愚かなことができるわけがない。それは30年たってからだ。内政と外交の区別もできていないようでは困る。

 それは別として、今回とられた沖縄地検の発表内容である。司法が外的圧力に屈してはならないことはいうまでもないが、政治や社会の動向を勘案思料することが禁じられているわけではない。その点で、民主党や小沢氏への集中攻勢をかけた地検と沖縄地検では、全く配慮の仕方が違ったことが興味を引く。

 司法の独立ということで思い起こすのは、明治半ばにおこった大津事件である。ここで復習のためメモっておきたい。

*********
 1891年(明治24)、来日したロシア皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)が鹿児島から東上、5月11日に大津市へさしかかった際、警護の警官津田三蔵が日本侵略の調査に来ていると誤解して切りつけ、負傷させた事件。

 これを知った政府の周章狼狽ぶりはただ事ではなかった。日ロ関係の危機必至とみて、明治天皇は見舞いのため京都の病院へ行幸をあおぎ、内閣・元老は、犯人に大逆罪を適用し死刑判決を示唆した。

 しかし、大審院長児島惟謙はこれを退け、刑法にのっとって「普通謀殺未遂」を適用、無期徒刑の判決を下した。これは、後々司法権独立を示す好例として、司法界の鑑とされた。なお、外相青木周蔵と内相西郷従道は引責辞職した。

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2010年9月24日 (金)

日中関係構築の好機

 菅首相が国連でオバマ大統領の次に演説した。とたんに満席だった会場に空席が広がったという。テレビ画像を見ても、日本語原稿をから目を離さずショボイ棒読みで、鳩山前総理の風采に遠く及ばなかった。

 しかし、外交は見栄えではない。どんな名言でタンカをきっても、半年先に「学べば学ぶにつけ」と方針や内閣を放り出すより、国民の不安を取り除き繁栄に導くための地味で、忍耐強い外交努力と指導力の方が大事だ。

 今回の訪米で中国首脳との接触は困難と見られているが、日本が足元を見られたり自主的な外交方針のなさを露呈しない限り、より強固な日中関係を構築する好機だと思った方がいい。それが将来、米軍沖縄基地縮小に寄与すれば大成功だ。まさに、日本の政権交代の中身が試されているのである。

 まず、はっきりしていることは、小泉・安倍・麻生首相かとってきた、官僚主導の対米追随外交を脱却することである(福田首相は、独自の構想を抱いていたらしいが短期で政権を投げ出し、結果が出てない)。そして、日中の関係改善がアメリカの利益をそこなうという神話から抜け出すことである。

 前々回、「中国の不透明さ」と題して、中国政府の厳しい対抗措置の意味を探った。日本にとって初めてであっても、このようなことは米中間で何度も繰り返されてきた。冷戦時代の「封じ込め政策」に、なんら前向きな意義を見いだせなくなったクリントン政権は、「戦略的パートナー」としての位置づけを目指すことにした。

 そんな中、99年5月にNATO軍機による在ユーゴスラビア中国大使館爆撃事件が起きる。新華社など報道関係者3人の死者をだしたこともあって中国内で大々的に報じられ、反米デモや米大使館への襲撃事件が起きた。

 米マスコミも冷静さを欠き、中国当局がデモ隊にバスを提供したなどと、世論を刺激する方向に動いた。米国内には、伝統的な封じ込め政策維持論者や議会右派勢力が「弱腰」の政権を攻撃する勢力がある。一方、中国のデモ隊に対するバス提供は、過激化の暴走をおそれる当局がとった誘導作戦だったらしいが、朱鎔基首相の退陣要求騒ぎまでおきた。

 表面的には、事態がますますエスカレートしていたが、実は互いに落としどころをさぐっており、11月までにアメリカの陳謝で幕を閉じた。そして2001年1月、ブッシュ政権発足で、クリントンの融和政策批判で「戦略的パートナー」から「戦略的競争相手」に変わり、強硬策に転化するのではないかと見られていた。

 その矢先、こんどは4月1日に南シナ海上空で、偵察飛行中の米軍機が警戒に当たっていた中国軍戦闘機と接触、米軍機は中国領内の海南島に不時着する。そして中国軍機は、行方不明となりパイロットが犠牲になった。

 これは、米政権交代後初めての事件で、公海上・排他的経済水域という意見の相違、米国軍機と乗員の身柄拘束など、今回の尖閣列島事件ときわめて類似した点に留意していただきたい。しかも、空軍同士の衝突ということでより深刻で、直接的・全面対決への憂慮も高まった。

 しかし、中国側はデモ規制に神経を使い、アメリカ側も強硬派のラムズフェルド国防長官ではなく、パウエル国務長官が交渉の指揮に当たり事件の鎮静化を図った。むしろ対立をあおったのは、マスコミで、日本のマスコミも米国の論調に引きずられるように強硬論が飛び交った。(「米国追随報道を自己批判?」参照)

 この時も、騒ぎの中で合意文書づくりが着々と進んでおり、ある日突然に、という形で解決に向かった。これは、お互いに「交渉に値する相手方」という認識を持ったことから発展するが、それがなく「交渉相手として不十分」という認識を持ったら、北朝鮮の拉致問題のように一歩も進まない。

 古典的なパワー・ポリティクス信者は、米中関係はお互いの軍事力が背景にあるから、というだろう。しかし、上記の決着も、国が国内世論、国際世論のバランスの接点をさぐらない限り解決しないし、国益にも反する、という現代の背景の変化に目をそむけている。

 日本は、政権不安定、向米一辺倒に傾きがちな官僚主導を脱却し、外交能力を高めることが急務となる。以上本稿は、高井潔司『中国報道の読み方』岩波アクティブ新書が、大いに参考になった。くわしくは同署の一読をお勧めする。

 それと同時に、知っているようで知らない中国と中国人に対する知識と理解を深めることである。以下は、やや古典的な存在となったが、中国生まれで中国文学研究の大家である、竹内実氏の『中国の思想』(初版昭和42年)からの引用である。

 帝王とは、つぎのような存在でしかない。
  1 帝王は、誰でも打倒することができる。
  2 誰でも帝王を打倒した者は、帝王になることができる。
(中略)

 中国においては、政治とは帝王のことであり、帝王とは政治のことであった。帝王以外に、ほとんど政治などというものはないといって、過言ではない。権力が、帝王――予一人(われいちにん)と自称する人間に集中したからであろうし、宗族という大家族の家が、政治世界の原型となっているため、家父長が拡大したものが帝王にほかならないためであるのかも知れない。

 政治の世界に、極端に個人の権謀術数が渦まくのも、そもそも政治の世界のなりたちが、帝王という個人の裁量下にあるからではないだろうか。――とすれば、帝王に対する前述の命題は、政治の命題であり、したがって。革命の命題となる。中国における革命が、易姓革命となるのは、帝王の入れ替えが革命であるからにちがいなく、なぜそういうことになるかは、帝王のほかに政治がないからである。

【速報・NHKニュース】

9月24日 15時20分

沖縄県の尖閣諸島の日本の領海内で、中国の漁船と海上保安部の巡視船が衝突し、漁船の中国人の船長が逮捕された事件で、那覇地方検察庁は24日、船長を処分保留のまま釈放することを決めました。釈放の理由について那覇地検は「わが国の国民への影響や日中関係を考慮すると、これ以上身柄を拘束して捜査を継続することは相当でないと判断した」としています。船長は今後、手続きが済みしだい釈放され、中国へ送還されることになります。(以下略)

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2010年9月21日 (火)

東京新名所

 東京新名所といえば東京スカイツリーである。現在建設中の高さが、完成時634m中461mになった。すでに周辺は、休日など見物人の雑踏ができる。近所のひまそうな「おいちゃん」がボランティアの案内役を買ってでる。2010_05030016

 最寄の駅は東武鉄道の業平橋。京成や地下鉄が交差する押上も近い。もっとも浅草雷門あたりから吾妻橋を渡って歩いていくのが一番のおすすめコースだ。タワーの所在は業平1丁目に隣接する押上2丁目で、キャンペーン・キャラクターの名は「おしなりくん」。

 なにか商魂の「おしうりくん」みたいで、このあたりの土地柄にそぐわない。奈良の「せんとくん」もあまり評判がよくなかったが、業平と云えば平安時代の歌人で『伊勢物語』の主人公・在原業平である。古代文化とキャラクターはどうも相性が悪いようだ。

 名にし負はば  いざこと問はむ  都鳥
         わが思ふ人は  ありやなしやと

 この歌ゆかりの地として、近くの隅田川に言問橋がかかり、河畔には名物言問団子の店がある。さて、このあたりは江戸時代どういう風景だったのだろう。山の手の人はこのあたりを「川向う」といって、場末扱いしていたが『江戸名所図会』(同名の角川文庫(六)に収録)では、十数か所の神社仏閣が紹介され、スカイツリーより先に名所入りしている。

 現存する神社仏閣もあるが、文末に紹介する業平明神など移転・消滅しいてるものの方が多い。そのほか紹介されている絵には、活気にあふれる瓦工場、街角にしつらえた公共の井戸や行き交う母子、飴売り、商人と小僧など、街のにぎわいを見せている。

 以下の紹介文章を見ても当時の人が、いかに名所の故事来歴を大事にしたかがわかる。今、デジカメを持って眺め中心に鑑賞の目を向ける現代人と、どちらが文明を享受しているのか、つい考えてしまう。

 業平天神社 中の郷南蔵院といへる天台宗の寺境にあり。伝へいふ、在原業平朝臣の霊を鎮むると云々。(『江戸名所記』に、業平すでに都にのぼらんとし舟に乗ず。しかるにその乗ずる所の舟このあたりの浦にて覆り溺死す。

 乃ち里民塚に築きこめたりし故に、塚のかたち舟のごとくなり、その在所を今も業平村と云ふと。又『江戸鹿子』といへる冊子にも、成平に作り、相撲とす。『紫の一本』にも、業衡に作り、武夫とするの類ひ猶多しといへども、いずれも証とするにたらず。

  求涼亭云く、この祠昔は今小梅の水府公御やしきの地にありしとなり。横川掘割の頃今の地に移さるゝとなり。又南向亭の説に中の郷は業平仮住の地なれば、中将の郷といふべきを誤りて中の郷と云ふとあれども、附会なるべし。)

    以下略

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2010年9月20日 (月)

中国の不透明さ

 尖閣諸島での中国漁船と海上保安庁巡視船衝突事件発生以降、日中外交関係が一転、緊張状態が続いている。これに対して、日本国内の観察・論調は、「中国の国内事情」を重視するものと、「軍事力アップの誇示と覇権主義的外交攻勢」のふたつに大きく分かれる。

 もちろん「その両方」という意見もあっていいが、「なんとなく」といったあいまいな事情にしては、動きが急すぎる。前原外相は「偶発的事故」として冷静な対応をしていく方針を示している。日本の権益の主張とともに、当然であろう。

 その、偶発的の意味は、就任前に現地視察をしていた知見があり、漁船の体当たりが当初から計画されていたものではないということと、ビデオなどの客観的証拠が揃っていて十分説明がつく、という自信のようにも思える。

 一方、中国政府がわにあらかじめ強硬策が準備されていたかということになると、これは否定的にならざるを得ない。冒頭にふれた後者の意見の中に、最近ギクシャクしている日米間の離間をはかるためとか、アメリカの極東政策をけん制するというものがあるが、効果はむしろ逆ではないか。

 直近に予定されていた日中の外交日程をキャンセルしたり、訪日観光団の予定も中止されるなど、その激しさは異常ともいえる。ちなみに、旅行会社は日本と違って国営のものが多く、国家そのものの意向と見てもいい。

 また、反日デモなどの抗議活動も、群衆より警官や取材カメラの方が多いような映像しかなく、数百人の活動家が参加するだけで、5年前の学生や一般を巻き込んだ様子とは違っている。むしろ、当局の再発防止の懸命な努力が功を奏しているようだ。

 緊張を高めることで中国の国益に何のプラスがあるのだろえか。そして、大使を深夜に呼び出すなどヒステリックな対日外交姿勢はどこから来るのだろう。こうした矛盾を露呈するのは、内部要因があるとしか考えられないのだ。それがさっぱり見えてこないのが西欧諸国などと異なる点である。

 たしかに、国の権力機構など法的組織は明らかにされている。胡錦濤という最高権力者はいる。しかし、中国はひとりで統治するには、あまりにも広すぎる。国の方針は国家が決めるのではなく「党」が決めるのである。

 日本では、党に小沢幹事長がいて、権力の二重構造とか「闇将軍」などと言われた。しかし、地方で権力を握るの党組織の規模といい、軍事委員会の配下にある人民解放軍などの存在もあって、日本の政治組織や人をそのまま当てはめても意味をなさない。

 中国は外交にしろ軍事にしろ、やや改善はみられるものの、今だに透明度は発展途上国以下である。ただ、国境紛争については日本以上に場数をつんでいる。相手として大はソ連から小はベトナムまであるが、大部分は交渉で決着をつけている。

 いえることは、この問題をアメリカだのみで解決できると思っている人がいることだ゜。アメリカは帰属問題に介入しない方針になっている。対中外交には、硬軟交えたこれまでと違った清新な対応が必要で、アメリカが主、中国を従とするような2段外交では解決できないだろう。

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2010年9月18日 (土)

ゴキブリの脳みそ

  「ゴキブリの脳から夢の抗生物質!?」と報じたのは9/17付毎日新聞夕刊である。
 それによると、英ノッティンガム大の研究チームが、ゴキブリやバッタの脳組織に、新たな抗生物質の候補を見つけたのだそうだ。

 それで耐性菌となったMRSAや病原性大腸菌への効果を調べたら、その組織で90%以上を死滅させることができたたという。同チームのコメントは「清潔でないところにすむ昆虫が、多様な細菌から身を守る力を持っているのは当然だ」というもの。

 思わず「本当かいな!」といってしまいそうである。「ゴキブリを5、6匹つかまえて羽や足をもぎ、よく乾燥させたものをすり潰して煎じる。それを朝晩欠かさず服用」なら漢方薬風になるが……。

 嫌われ者の代名詞ゴキブリが人類の救世主になりかねない、とんでもないご時世になったものだ。同じ昆虫の臓器ですぐ思い出したのが「ノミの心臓」である。これは「小心者」つまり臆病な人に使うもののたとえだ。

 自民党の大派閥の長だった人によく使われていたが、そのうち、与党のどなたさんかにもつけられそうな気配がしてきた。研究チームには、次に大胆に政策を推し進めるようになる「政治家につける薬」を開発してもらいたい。flair

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2010年9月17日 (金)

前原誠司外務大臣!

 朝日新聞の報道が誤報でなければ「前原外相」は、本塾の予想というか、9月8日に記事にした推薦人事がその通りになってしまった。まさか、まさかである。こんなことは、今年になって3度目である。

 最初が、小沢・鳩山の「参院選前そろい踏み辞任」、2度目は代表選小沢立候補直後に立てた、小沢陣営敗退予測である。塾頭は、「いずれも、マスコミに先んじた」と自慢顔。

 今度は「防衛大臣は辻本清美に」だって。「女性議員の中で自衛隊の栄誉礼に一番似合う顔で、前原さんとは抱き合って別れを惜しんだ間柄だし、外務委員の経験もある」。

 ええい!、悪乗りはいいかげんにしろ!。そうはいくかい!。

【NHKオンライン】9月17日 10時58分

防衛大臣に、民主党の参議院議員の北澤俊美氏が留任することが内定。

これで、早くも絶望となりました。

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2010年9月15日 (水)

「戦中・戦後」断片⑦

戦時銃後3階級説編
 敗色が次第に色濃くなってきた昭和18年4月、戦局を国民はどう見ていたか。近衛文麿の秘書官で大阪警察局長をつとめていた高村坂彦氏のレポートが、高松宮など国家中枢にも届いていた。以下、細川護貞氏(細川元総理の父)の日記、『情報天皇に達せず』からの引用である。

  (これは、本塾の前身「反戦老年委員会」に収録、原文を一部変更したが、戦中の銃後の模様を公安の立場から3つの階層にわけて分析、決して一様ではなかった民情を忌憚なく観察表現したものとして貴重なものなので再録する)

 又、今日我国には三つの階級あり。一つは知識階級にして事態の悲観的なるをよく知り居り、東条内閣に反対せるもの――彼等は二人会合する時は悲観論を唱へ、四五人の時はこのまヽにては悪しと云ひ、十人以上なるときは一億玉砕の意気もて時難に進むべしと呼ぶ徒輩にして、本心は悲観論者なり――。

 及び町会長、警防団長程度の辛うじて新聞を読み得る階級にして、彼等は新聞の知識のみを以て、上流階級が戦争に協力せざることを憤激し、政府が一度号令せば、国民のすべてが蹶起すべきを信じ居る者にて、もつとも張り切つたる者、

 及び第三に所謂大衆にして、自己の生活のみを考え居る人々なり。彼等は一日も速かに戦争の終結を望み居る人々なりと。而して一般の低級なる官吏は此の二者に入るべしと。

 ちなみに、塾頭の家庭では、軍需工場勤務の父が第一の階級、母は第三の階級であったと推測している。そして第二の階級は、終戦間近のころ、配給物資の不足、防空訓練の形骸化などで急速に力を失い、戦没者家族の世話などに専念せざるを得なくなったようだ。

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2010年9月14日 (火)

脱小沢はここまで

 民主党代表選が終わった。

        (小沢一郎) (菅直人) 
国会議員  400ポイント  412ポイント
地方党員   40       60
サポーター  51       249
―――――――――――――――
計       491      721

 マスコミははやくも、菅の圧勝と解説している。しかし当塾はそう見ていない。8月26日に「小沢氏の代表選出馬」という記事を書いた。そこでは、参院で自民党が議席で与党にうち勝ったが、マスコミの小沢氏に対する「政治とカネ」のネガティブキャンペーンや、鳩山首相の沖縄米軍基地問題処理の不手際から、ともに辞職した当事者が手を組んで選ばれたばかりの菅首相追い落としにかかるとは思いもしなかったことを書いた。

 そして、以上のような背景から、かつてのような自民党の派閥締め付けが効かず、新人議員の多い同党では、国民世論を無視したような小沢立候補に、勝ち目がないだろう、という予測をした。しかし、特に外交・安保で180度異なる意見を内包する同党が、議論の中で新たな方向性を見いだせるなら、このような機会も歓迎すべきだとした。

 しかし、記者会見で両者が政策発表したことを受けて書いた「期待外れの両候補」で「程度の差」ではないかと感想を述べた。さらに9月8日には、次第に見えてきた両者の政治姿勢に対し「幻滅菅と小沢幻想」という批評を行った。今日の最後の両候補の意見発表でもハプニング発言はなかった。

 菅氏にとっては、ここからがやっと本格的な菅内閣のスタートである。まず公約通り人事は自らのペースで実力本位で、バランスのとれた陣容にすること。菅首相はかつて、辞職した小沢、鳩山氏に「しばらく静かにしていただいた方が」といったが、マスコミはそれを「脱小沢」と評した。

 「脱小沢」が菅氏の本意とは思えない。上記の得票数を見ても、議員票は伯仲している。これは、政策面、行動力の面で(塾頭もそう思うが)菅氏にない小沢氏の魅力を、議員が感じ取ったことによるものだろう。

 かりそめにも、反小沢派閣僚の抵抗とか報復人事とかで「脱小沢色」を強めるようなことがあれば、民主党に明日はない。小沢陣営から脱官僚や外交の強力な助っ人を求め、国連総会でも鳩山首相の演説に負けないような宰相ぶりを発揮してほしい。それが「指導力」の第一歩となる。

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2010年9月13日 (月)

アメリカの文民統制

  昨日、沖縄県名護市の市議選が行われた。普天間基地移転先として受け入れに反対する稲嶺進市長派が定員27のうち16、容認派は11で、これまでの賛否同数中立3から中立がなくなり、反対派が5人の差をつけて優勢を確実にした。11月の知事選がどちらに転んでももう辺野古沖に基地はできない。

 それでも政府はまだ、日米合意実現で話し合いの余地があるとしつづけるのであろうか。こういうのを、市民・県民・国民そしてアメリカに対する「欺瞞」という。市民運動が原点の首相からは、何の解決策も示されていない。

 前回、「防衛白書を撃破せよ」というエントリーを掲げたが、その中で「抑止力論」を持ち出したのは日米どちらが先かを問い、いわゆる「抑止力」が虚構であるこを繰り返して強調した。一方、アメリカの国内世論や、米軍再編などのアメリカの世界戦略に照らし、まったく交渉の余地のないものではない、ということはアメリカの断片的な報道から知ることができる。

 つまり、アメリカはベストとはいわないがベターだ、といっているのに過ぎないのだ。これについて、かつて『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者、エズラ・ヴォーゲル氏を実父に持つカリフォルニア大学バークレー校政治学教授Steven Vogel (スティーヴン・ヴォーゲル)氏の、興味深いインタビュー記事を目にした。(ダイヤモンド・オンライン、9/13)
http://diamond.jp/articles/-/9357

 日本のマスコミにある日米関係悪化の論調に、まず「何と比較するかによって答えは違ってくると思うが、私は日米関係が揺れているとか、大変な時期にあるとかそういうことでないと思う。また、米国側が不信感をもっているというのは言い過ぎだろう」とした。

 そしてさらに「私はこれだけの規模の在日米軍基地は必要ないと思っている。すぐに大幅縮小したらアジアの安全保障に悪影響を与えかねないが、少しずつ縮小していけば何の問題もないだろう」と観測する。

 したがって、日米両政府は交渉をやり直すべきで、米国のためにもそうした方がよいとし、「米国の安全保障のために5万人規模の在日米軍が本当に必要なのかどうか考えるべきだ」と断定した。それが直ちにその方向に向かないことについて、次のようにいっている。

 実際、「沖縄に海兵隊は必要ない」と主張する専門家もいるが、米国政府はそれを海兵隊のトップになかなか言えない事情がある。これは日米関係だけの問題ではなく、日本の国内政治、米国の国内政治、それに米軍陸・海・空・海兵の統合運用体制の問題なのである。

 ここで「日本の国内政治」とだけしか触れていないが、「防衛白書を撃破せよ」で触れた沖縄米軍抑止力や核の傘など、日本から持ちかけた防衛・外交・官房官僚の現状維持攻勢をうかがわせるものがある。そして米国側の事情について次のようにいう。

 大統領が「在日米軍の規模を半分に縮小しよう」と言った場合、どこをどう切るかが問題となる。海兵隊を切ろうとすれば、当然海兵隊のトップが反発するだろうし、陸・海・空軍との関係も悪化する可能性がある。イラク、アフガニスタンの戦争を抱えるオバマ大統領としてはいま米軍内の問題を起こしたくないので、「普天間基地移設問題は従来の合意案に従ってほしい」と日本側に迫っているのだろう。

 オバマにとって、軍が優位に立つ事情はわからぬわけではない。シビリアン・コントロール、文民統制は、近代民主主義国家にとって金科玉条である。ブッシュが始めた条理なきイラクの戦争を、勝利とはいえない状態のもとで撤兵させ、増派したアフガンも戦火をパキスタンに広げて解決の見通しが立っていない。

 内向する軍部の不満がそのままオバマに向かう。殺し文句は「彼らは命をかけて国のために戦っている」である。日本の戦中にもよく使われた。「靖国の英霊に対し……」「特攻隊の赤心に恥じず……」などなど。日露戦争で見られたように犠牲者が多ければ多いほど、文民統制の困難さを増す。

  その点、日本の為政者の文民統制フリーハンドは、戦争をかかえるオバマの比ではない。前に塾頭は「普天間などオバマにとっては小さな問題」といったことがある。そう「小さな問題で大きな問題なのである」。たしかに、陸・海・空・海兵隊間の勢力争いがあり、日本でも陸・海軍の角逐が敗戦の原因といわれるほど激しいものだったことはよく知られている。

 現在でも予算比率が毎年同じという批判があるが、米軍基地問題と直接関係はない。政府は、沖縄県民と果てしない不毛の交渉をするのではなく、オバマの懐に飛び込んで彼を助けてやることを考えなくてはならないのではないか。

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2010年9月11日 (土)

防衛白書を撃破せよ

 10年度防衛白書が公表された。全文は売り出された本を買わないと読めないのでまだ見ていない。しかし、新聞にでている「要旨」で勘所は知ることはできる。

 防衛白書などというものは、予算獲得、権限拡張といった「省益」に資するための役人の作文なので、これまでもカネを出して買ったことはなかった。しかし、今回は政権獲得以来の沖縄普天間基地移転など、迷走を重ねた末、結局、辺野古移転という前回にも及ばない線で日米合意に至った理由が書いてある。

 したがって、鳩山首相を「学ばせた」外務・防衛・官房のトロイカ工作が見え隠れする白書になっている。そこには、「米軍の抑止力」と「その存在が沖縄でなくてはならない」という、本塾がかねて指摘している「虚構」に満ちあふれている。

 防衛省が役所として予算をふやし権益を確保するには、どうすればいいか。役人としてはいえないが(いってしまってクビになった人もいる)、憲法9条を改正し他国の軍隊と同じ目的と体制を持つようにすることである。防衛白書は、この足りない部分を、米軍が持つ「矛」と表現している。

 憲法の制約があるのであれば、その(矛)を日米(防衛官僚)ともに、最高度に利用すればいい。お互いに利用しているようで実は利用されているのである。もちろん、利用の仕方では、防衛力の量と技術の差や過去の歴史的経緯から、アメリカの方が何枚も上で、時により高圧的で無礼さもいとわない。

 「抑止力」の虚構はすでにここに始まる。「抑止力がある」、または「抑止力が必要」といいだしたのは、日米どっちからだろう。役人の文章には主語がないことが多いので、わかりにくい。だけど、前後の文の流れからみて、いいだしたのが日本側であることは否めない。アメリカは「日本がいうならそうなんでしょう。そのかわり――」というのが、辺野古拡張であり、グァム移転費追加融資であり、おもいやり予算なのだ。

 抑止力にはふた通りある。相手の攻撃力にはかなわないので手出しするのをやめておこう、というのと、相手を攻めても損害の割りにメリットがないのでやめておこう、で矛と盾が持つそれぞれの抑止力に相当する。普通は前者をいうが、後者は、武装永世中立のスイスであり、日本も憲法9条を厳守すればそれにあてはまる。

 要は、抑止力とは「相手をこわがらせる力」であるが、その力を定量化できないことである。かつて日本は圧倒的に力の差があるアメリカを相手に戦い、敗れた。今の米中間には、核兵器を含めそれ以上の軍事力の差がある。

 中国がそれを認めて戦争をさけているのなら、あえて抑止力の存在を否定しない。しかしそれだけで十分なのだ。沖縄がどうの海兵隊がどうのなどには一切関係がない。現に海兵隊の司令官がいつているように「われれの任務の第一は、朝鮮などで戦乱が起きたときに邦人救出をすることだ」であって、抑止力だ、などとは一言もいっていない。

 わずかな海兵隊が沖縄にいることぐらいで、中国がこわがるはずがない。殴り込みにきても広大な国土・人口があるから負けるはずがない。北朝鮮だって100万の陸軍が山岳に立てこもって戦えば、十分に持ちこたえられる。日本にとって普天間がお荷物のようにアメリカにとってもお荷物になりかかっているのだ。

 「防衛白書(要旨)」(9/11毎日新聞による)を見るとひどいことが書いてある。

 わが国に対する武力攻撃に際しては、相手国が自衛隊に加えて米軍と直接対決する事態を覚悟する必要が生じることとなり、在日米軍がわが国への侵略に対する抑止力になる。

 要するに在日米軍を人質にしようということではないか。逆に相手国の目標が米軍基地である場合、日本はとんでもないとばっちりを食うことになる。自衛隊が日本国土を守ってみせる、という気概が全く見えてこない。こんな腑抜けた抑止力は、もう「虚構」どころでなく、同盟国に対しても失礼ではないか。この防衛白書は、与野党を問わず、徹底的な論戦を仕掛けて葬って欲しい。日米同盟の深化はそこからだ。
 

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2010年9月10日 (金)

斉明天皇陵

 奈良県明日香村の牽牛塚古墳は、宮内庁から指定された天皇陵ではない。したがって発掘、学術研究OKなのである。今日の新聞に「斉明天皇陵と特定」と報道された。その証拠は平面が8角形でできていることである。

Dscf2657  斉明や古墳に強い関心を持つに至ったのは、いずれも拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』を書く上で、主要な素材になったからである。今日は、予定を変更しこのテーマにする。 さて、詳細は本ブログのカテゴリ「歴史」や「天智天皇」シリーズに譲るとして、なぜ8角形か、から説明したい。

 女帝斉明は、早く死に別れた夫・舒明天皇の墓を、それまで続いていた前方後円墳や巨大古墳からこじんまりした8角形に変えた。それは、帝王にだけ許される形という、中国政治思想をしっかり学んだ中大兄皇子(天智天皇)のアドバイスに違いない。

 以後、天智、天武・持統陵いずれも8角形であるが、宮内庁は別の円墳を斉明陵に指定していた。今回報道された古墳は、以前から8角形ではないかとかいわれていた。『日本書紀』に、斉明の娘・間人太后と合葬とあるのを証明するように、石室が2人分あり、間人の年代に合う女性の歯が出土していることも、有力な斉明陵説の根拠となっていた。

 牽牛花というのはアサガオの別名で、昔から「あさがお塚」とも言われてきたのは、形がアサガオの花を連想させたからではなかろうか。 それを今回石畳の3辺を発掘したことにより確認できた、ということで、学者も斉明陵にほぼ間違いないと断定した。

 宮内庁は、かたくなに「墓誌でも出てこない限り指定を取り消したり変更したりしない」といっている。また、斉明陵を作った天智が、海外派兵の敗退で国家予算が乏しく、墓づくりの労役を省略したことが『日本書紀』に書かれており、巨大で豪華な石槨と矛盾する、という理由もあげている。

 しかし、これは『続日本紀』699年条に、修造された旨の記載があるので簡単に退けられる。できの悪い官僚答弁だ。宮内庁が学術調査を拒むのは、神聖が侵される、霊所の静謐が保てないなどからきているのだろうが、本物の天皇の先祖の歯を(畏れ多くも)サンプル扱いされて平気なのだろうか。

 民主党政権は、日本の歴史と文化のレベル向上をはかるため、聖域扱いされている宮内庁の官僚主導を「良識のある」政治主導に変えてほしい。

  憲法 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

関連記事「斉明天皇物語」へ

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-2ba5.html

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2010年9月 9日 (木)

「戦中・戦後」断片⑥

戦時替歌編

♪夕焼け小焼けで日が暮れない
 山のお寺の鐘ならない
 戦争なかなか終わらない
 カラスもお家へ帰れない
(お寺の鐘や学校の二宮金次郎銅像など、資源供出で消えてしまった)

♪負けてくるぞと勇ましく
 誓って国を出たからは
 手柄なんぞは知るものか
 退却ラッパ聞くたびに
 どんどん逃げ出す勇ましさ
(露営の歌=勝ってくるぞと勇ましく、替歌)

♪昨日生まれたブタの子が
 八チに刺されて名誉の戦死
 ブタの遺骨はいつ帰る
 昨日の夜の朝帰る
 ブタの母ちゃん悲しかろ
(湖畔の宿替歌)

 ♪昨日生まれたタコの子が
 タマにあたって名誉の戦死
 タコの遺骨はいつ帰る
 骨がないから帰れない
 タコの母ちゃん悲しかろ
(上に同じ、大阪版)

♪何時まで続くこの戦
 三年半年食糧なく
 餓死続出のわが国民
(討匪行替歌)

♪海にカバ ミミズク馬鹿ね
 山ゆかば 草むすかばね…
(海行かば替歌)

以上、笠木透『昨日生まれたブタの子が』あけび書房、CDブックス。
1995/6/26毎日新聞夕刊所載

関連参考記事
「戦時不穏歌謡」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-7da2.html

「昭和18年編」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-6218.html

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2010年9月 8日 (水)

幻滅菅と小沢幻想

 私が、もし民主党のサポーターなら、もう、どちらかの名を書いて用紙を送らなければならない時期にきた。果たしてどちらの候補がいいのか。日本をより幸せにできるのか。私はこれまで3本ほど代表選についてエントリーした。

 まず、小沢が立候補したことに驚いた。しかも3月前に参院選を控えて民主党内閣のあまりにもの支持率低下に責任をとり、首相・幹事長揃って辞表を出した。そのふたりが組んで、今度はその直後に選んだ菅直人をひきずりおろそうというのである。

 理由は、参院選敗北の責任を取れというものだが、選挙準備はすでに前政権のもとで進んでいたわけで、唯一の首相の消費税発言が原因という屁理屈も、あとづけの「虚構」に過ぎない、とすでに書いた。

 そういったことから、菅代表が再選された後、民主党の体制を立て直し、政権交代の実をあげてもらいたいと思った。しかし、小沢氏と対決ということになった。それならばそれもよし、争点を明らかにして、民主党の弱点を克服するような論戦を正面から戦わせてほしいと思った。

 その結果どうなったか。これまで書いてきたことのさわりを再録してみる。

小沢氏の代表選出馬
11月の沖縄県知事選やオバマ来日をにらんで菅氏が合意凍結を宣言すれば、小沢氏にとって肝心な争点を失うことになる。これは、旧社会党系、リベラルの会や、新人にも多い基地沖縄県外移転促進派など約100人の票の行方にも関係があり、勝敗を占う重要なキーポイントになる。

 期待外れの両候補 
沖縄県民の希望を入れ、かつアメリカの信頼をつなぎとめるという大役に、親米派の前原現国交相を副総理級の外務大臣に起用するなど、思い切った施政ができれば、国民も再任支持のしがいがある。しかし、どうやらそらだのみのようだ。

 外交・安保は論点整理を
世界戦略、安保条約、普天間移転を大・中・小にわけ、具体案を示せという趣旨(内容省略)。

 結果はどうであったか。このエントリーの表題に掲げたとおりである。菅には軌道修正するそぶりはみえないし、小沢支持者の頭数は揃っても、官僚を引っ張れるだけの有力なスタッフがいない。それに、過去の小沢流政治手法の限界も気がかりだ。

 おりしも、外交で腕をふるった鈴木宗男議員の最高裁判決がでて失職・収監が決まった。直接の関係はないが、外交テクニックには秘密が必要だ。候補のどちらが勝っても、指導者には政治信条とかビジョンの透明性が必要になってくる。それが見えてこない今回は、白票(笑)を投じるしかない。

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2010年9月 7日 (火)

虚構を振りまく新聞

 民主党代表選で飛び交う「政治とカネ」の問題について、あるテレビ番組で生方幸夫議員がそれに触れると、出演していた週刊朝日編集長の山口一臣氏が「あの事件は虚構ですよ」と言い切った。

 出番ではなかった鳥越俊太郎氏も、「まさに喝破の名に値する寸言」と評し、「新聞は小沢氏が嫌いらしい」と、故意の情報操作があると言わんばかりの表現で共鳴して見せた。(9/6毎日新聞)

 このことは、新聞の論調とは裏腹に、雑誌には小沢対検察の攻防など詳細に取り上げられており、かなりの市井の素人が口にしていることである。「護憲+BBS」メンバーの成木清麿さんもブログに「それにしてもメディアはなぜかくも検察、警察べったりなのか、その元凶は記者クラブ?」と書いている。

 当ブログも、「雑誌記者や地方紙記者などが入れない内閣記者クラブや司法記者クラブなどでの、中央紙の優位性や特権を維持したいからではないか」という趣旨で書いたた覚えがある。

 しかし、どうやらそれだけでもなさそうだ。「菅内閣での参院選敗戦は、突然の消費税発言」と断じていることも不可解だ。菅氏は本年度予算成立の頃から消費税論議の必要なことを財務大臣として発言していた。

 参院選当時の発言にブレがあったり数字の整合性がなかったとしても、一般市民はそれを詳細にチェックするほどの暇はない。そしてそれが原因で自民党に票が流れたという証拠もない。むしろ、世論は消費税を取り上げに反対していないことを示している。

 これも、世論誘導の「虚構」のひとつではないか。それから当塾関心事の普天間基地移転問題などでも、「在日米海兵隊抑止力」に端を発した「抑止力」や「脅威」論議も虚構だらけに思う。これも沖縄の地方紙などと読み比べてみるとよくわかる。

 しかし、中央紙が作り出す奇怪な「虚構」の原因はよくわからない。戦前、満州事変の頃から中央紙は、揃って軍部支持に傾いた。「部数拡大の営業政策のため」というが、同じ営利企業でも、地方紙や雑誌では、なお反軍の論陣が健在だった。

 無冠の帝王と言われた中央紙の新聞記者、中央官庁の官僚、各界を代表するトップクラス、それらにはある共通項がある。それは、強烈なエリート意識と特権意識である。

 それらがあるときは激しく競い合う反面、共通項の波長が合えば容易に共感し、批判や疑問を封じ、場合によれば協力してしまうのではないか。なんとも抽象的でつかみどころのない憶測だが、大新聞が過去に犯した過ちだけは、絶対繰り返さないでほしいものだ。

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2010年9月 6日 (月)

「戦中・戦後」断片⑤

松根油編
 終戦直前の中2に課せられた勤労動員のうち、最も過酷な重労働は暗渠排水工事であった。これは、泥田を自分の背丈以上の深さに掘り下げ、排水路を作る工事である。これに次ぐのが松の根っこ掘りであった。陸軍仕様の円匙(エンピといったがエンシが本当。スコップのこと)で使いにくく苦労した。

 松の根を乾留して、航空機燃料を作ろうというものである。海軍の研究で、200の松根があれば1機を1時間飛ばすことができるという触れ込みだった。

  皇国決戦ノ現段階ニ対処シ山野ノ随所ニ放置セラレアル松根ノ徹底的動員ヲ図リ、簡易ナル乾留方法ニ依ル松根油ノ飛躍的増産ヲ期スルハ刻下極メテ喫緊ノ要勢ナルヲ以テ、皇国農山漁村民ノ有スル底力ヲ最高度ニ7結集発揚シ、以テ本事業ノ緊急完遂ヲ企画シ皇国戦力ノ充実増強ニ寄与セントス

 これが、昭和19年10月20日に最高戦争指導会議が策定した「松根油等緊急増産対策措置要領」である。

 中学生数人で半日かかっても1株が掘り出せなかった。あと大人が来てどこかへ運んだのだろう。いくつか集まったところでそれを切り刻み、10日もかけて乾留するのだそうだ。実験室で細心の注意を払い、かろうじて僅かな量の留出に成功したというおぼつかない話だ。

 国民を総動員して掘り起こした松の根っこは、結局1機の飛行機も飛ばすことができなかった。わずかに製造された油をのちに駐留軍がジープに使ってみたところ、数日でエンジンが使えなくなったという。

 こんなエピソードが『日本海軍燃料史』下巻、伊藤清三回想記にある(亀井淳「1945年のオイルショック」POPULAR SCIENCE所載)。伊藤清三は、農商務省で松根油担当技手であった。

 伊藤技手らは陸海軍佐官級十数名に呼ばれて宴席に座った。酒が回ったころ陸軍の中佐が伊藤に、「お前らはだらしがない、もっと松根油を出せ」と怒鳴ったので「本当に戦争に勝つんですかね」とつぶやいたところ、中佐は抜刀して非国民を殺すとわめく騒ぎになった。

 そこはおさまったが、次に海軍の少佐が、「伊藤、君は満足に食事もではず、油を十分に積むこともできずに飛んで行く特攻隊の気持ちがわかるか」と説教した。「それならなぜこんな宴会をするんですか。こんなご馳走は特攻隊に食べさせたらどうですか」といい返してまた大騒ぎになった。その翌日、憲兵が伊藤技手のところへ脅しに来たという。

 大変な侍がいたものだ。懲罰徴兵で闇に葬られる覚悟があってのことか、あるいはもっと上に確実な軍部のコネがあったのか。エリート官僚同士のチョットしたつばぜり合いなのであろう。根っこほりに汗を流す庶民にはちょっと想像できない話である。 

 

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2010年9月 4日 (土)

金正日の偉業とは?

 まず下の引用文をお読みいただきたい。

 北はジレンマに陥っている。変化しなければならないのに、そうすれば体制が滅びてしまうかもしれない、だからといってじっとしてはいられないという状況だ。彼らは〝統制された変化〟を志向し始めている。清津、元山などの港湾都市に中国の例にならった経済特区を作る動きがある。二、三年後には相当な変化を見せるはずだ。

 これは、現在ではない。今から20年前の5月9日付毎日新聞に載った、韓国大統領補佐役金学俊氏がインタビューに答えた内容だ。このころは金日成が存命しており、息子・正日とともに「父子体制」と呼ばれていた。つまり、現在同様、金王朝の王権移譲期にあたる。

 すでにソ連圏の崩壊は始まっており、金学俊氏は後段で「ルーマニアのような民衆蜂起が北で起きるのはむずかしい。そのような事態が南北関係に有利でとも思わない。我々が望むのは北で秩序ある変化が起きることだ」と指摘している。これも本塾が前々回に述べた「金正日訪中を評価する韓国」の内容と全く変わりがない。

 この、正日の代に相当する20年間、功績といえるものがあっただろうか。比較する資料がないのでわからないが、国民の生活が当時より悪化こそすれ向上したとは到底思えない。建国の父・日成の伝説的偉業に比べ、ゼロかマイナスといっていいのではないか。

 強いて挙げれば、核実験とミサイル発射だ。これが国民になにをもたらしたか。国際的非難と、制裁包囲網である。生活苦、経済混乱など、世界水準からの立ち遅れはやはりこれに起因する。到底初代と並び称されるような国民の洗脳は不可能だ。当然、3代目に権威をつなぐことは至難の業といえよう。

 ここに、やたら「北朝鮮の脅威」を唱え、国政に反映させようとする国がある。これが、和平の代償に利用され、正日の功績に数えられるようになるとすれば、その愚かさはたとえようがない。二代目・正日同様、20年間の世界の変化に目を閉ざしたままの思考がそこにあるといわざるを得ない。

 

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2010年9月 3日 (金)

外交・安保は論点整理を

 民主党の代表選で本塾がもっとも関心を持つのが外交・安保であるが、これまでの論戦を聞くと、「普天間は」「辺野古は」「県外国外は」と、いずれも断片的で回答も原則論、総括論の範囲を超えず、歯がゆいばかりだ。

 本来、このような部隊配置や施設をどうするなどの問題は、首相が交代するような事案ではない。もちろんアメリカでもオバマにとっては、ごく小さな問題でしかない。鳩山の退陣は、手順の不手際、官僚や関係閣僚への指導力、不適切な発言など資質が疑われたことに由来する。

 外交・安保は、国家戦略の根本にかかわる。そして、広範かつ多様な問題を、国民の安全と福祉の向上の面から保障できるようなものにしなくてはならない。これを、ズバリ端的にいうと、小泉路線で象徴される「何でもアメリカのいいなり」がいいのか、アジア諸国や、国連を重視するなど日本独自の方針を持つべきかという大問題である。

 まず、このふたつを分けて議論しなくてはならない。次に占領後、冷戦激化の中で結ばれ、岸内閣の改定以後50年間もそのままの日米安保条約を見直すのか見直さないのか、見直すとすればどう見直すのかという点である。この議論は全くされていない。これには、当然日本国憲法9条や、集団的自衛権や集団的安全保障の議論も入ってくる。

 以上、おおまかだが大・中・小の問題があり、これらで党内に大きな意見の相違がある民主党が、党内意見を集約させ、実現に向けて邁進する姿を政権交代の果実として目にしたかった。それを「小」の問題ですら論点をはぐらかすようでは、今後の望みをつなぐわけにはいかない。

 過去、幣原外相は世界を、吉田首相は連合国を、岸首相は米ソを、田中角栄首相は米中をにらんで日本の外交を誘導した。いま、このような指導者を見ることができないのは、日本にとってこの上ない不幸だ。長いい目で見て第三の勢力の勃興を待つしかないのか。塾頭は祈るような気持ちで成り行きを見守っている。

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2010年9月 2日 (木)

金正日訪中を評価する韓国

 韓国は。天安艦沈没事件を北朝鮮の仕業と結論付け、国連による制裁を働きかけた。さらに、日本海と黄海で米国と合同軍事訓練を行い、対決色を強めてきた。日本はいちはやく米韓の立場を全面支持し、沖縄の軍事基地を重視する理由づけにも使った。

 その中で金正日は、異例の今年2度目の訪中をした。今度は北京でなく、吉林、長春など東北部、旧満州の心臓部にあたる地区を巡回した。胡錦濤は長春まで出張して歓待し、より一層の経済開放を条件に援助を約束したらしい。

 これを、韓国の李 明博大統領が高く評価した。日本ではあまり報道されておらず、ご存知ない方も多いと思うので、1日付の毎日新聞のベタ記事を紹介する。

  【ソウル西脇真一】韓国の李明博(イミョンバク)大統領は31日、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記による今年2回目の訪中について「肯定的に評価する。中国式の経済発展を目にする機会が多く、北朝鮮の経済によい影響を与えるだろう。中国の役割も肯定的にみる」と述べた。

 李大統領が今回の訪中について言及するのは初めて。韓国では、哨戒艦沈没事件後の対北朝鮮強硬政策を緩めていくかが焦点となっている。

 もし、日本で同じことを菅総理が言ったなら、中井 洽拉致問題担当大臣あたりが猛反発しただろう。「国連の決定もあり各国が制裁を強化している国へ援助を増やすなどもってのほかだ。中国にも厳重に抗議すべきだ」などと言って――。

 しかし韓国は違うのである。軍艦を沈められ、明日にでも戦争とおどかされ、核やミサイルをひけらかす。しかし日本人の持つ感情とは違うのだ。朝鮮戦争で国土が2度3度の攻防による戦火にさらされ、戦中・戦後を通じて拉致や家族分散の憂き目にあっている人の数は、日本の比ではない。
 
  韓国の新聞は、さすがに揃って大統領発言を載せている。しかし、日本なら当然起こりうる非難の声は聞こえない。これが、韓国なのだ。同じ民族が分断され、中国とも境を接している。理由は何であれ、飢えに苦しみ、社会が混乱し、怒涛のような難民が押し寄せるようなことだけは、避けなければならないと思っている。

 金王朝が世襲であろうと、人権抑圧の独裁体制であろうと、生活水準が向上して格差を縮め、穏健な形で南北の融和が段階的に進められるという秩序が保たれた方がいい。もちろん、そんなうまくいくとは考えていないだろうが。

 しかし、その点では、中国・韓国の利益が一致するのだ。日米韓の緊密な同盟関係だけに依存するのではなく、東アジアに真の安定をもたらす方策をもっと真剣に考えなくてはならない。それがないから、韓国・朝鮮の信頼関係をかち取れないのだ。

 韓国の『中央日報』は、社説でこのところ衰弱が目立つ金正日が、父・金日成が育ち、抗日拠点でもあった同地区を一巡するセンチメンタル・ジャーニに思いを寄せる記事まで書いている。北朝鮮寄りではない右派の新聞でさえそうである。その心情をどれだけの人が理解できるであろうか。

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2010年9月 1日 (水)

期待外れの両候補

  民主党代表選が告示され、小沢・菅両候補の政策が会見の席で発表された。両者の主張はこれまでも散発的に伝えられたものの範囲を超えるものではなく、違いがあるにしても決定的な争点になるような発表はなかった。

 つまり程度の差なのである。小沢は「国民主導」「政治主導」という言葉を繰り返し、菅政策が「官僚主導」と言いたかったらしいが、菅自身にその意識がないので軽く受け流された。消費税は、小沢も経費を切り詰めた後の問題として、触れざるを得なかった。

 反戦塾としての最大のテーマは、外交、安保で具体的には普天間基地移転問題である。これは、双方とも自らは発言をせず、質問に答えるかたちとなった。双方の答えが、「日米合意をスタートに置いて、米国・沖縄住民に納得のできる案を模索しなければならない」という模範解答で、具体案はない。

 「日米合意を白紙にもどすなどのことはできない」という菅発言に対して、小沢が「そのようなことは言っていない」と抗議するなど、小沢支持者の中には、威勢のいいタンカを聞きたかった向きがいただろうが、期待外れになったのではないか。

 国家間の約束は重い。また、外交問題には様々な駆引きがあり、軽率な発言で相互の信頼を台なしにすることもある。かといって、沖縄住民の意思に反して過重な基地負担を強制するわけにはいかない。

 この点、菅発言にも前向きな姿勢が見られなかった。就任間もない頃、鳩山首相が国連演説などで、友愛精神、東アジア共同体、架け橋などの言葉を使って新たな日本の役割を説いた。あの高揚感はどこにもなく、まったく貧相である。

 鳩山は、「学べば学ぶにつけ」という幼稚な一言で変節し、自民党の防衛族に言わせれば旧合意案よりはるかに後退した案にまで後退せざるを得なくした。菅はこれを「苦渋の決断」といい、彼本人は「直接これにかかわっていなかった」と弁解がましいことを言っている。

 また、日米同盟のあり方を「大きな理念に立って」と、合意案の保留・凍結の余地をのこすような発言をしているが、11月の沖縄知事選やオバマ来日の日程はすぐやってくる。アメリカに急にそんな話を持ち出せば、うまくいくものもぶち壊しになる。

 瀬踏みの意味で、選挙戦発言の中にある方向を示しておくこともできたはずだ。また、党内にいる県外・国外移転を主張する勢力約100人の票にも期待が持てる。それすらもできないということは、やはり、菅の器量の限界を示すものだろうか。

 沖縄県民の希望を入れ、かつアメリカの信頼をつなぎとめるという大役に、親米派の前原現国交相を副総理級の外務大臣に起用するなど、思い切った施政ができれば、国民も再任支持のしがいがある。しかし、どうやらそらだのみのようだ。

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