« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010年8月

2010年8月31日 (火)

「戦中・戦後」断片④

壺井栄『二十四の瞳』編

 「なにをしょげているんだよ。これからこそ子どもは子どもらしく勉強できるんじゃないか、さ、ごはんにしよ」
 だが、いつもなら大さわぎの食事を見向きもせずに大吉はいったのだ。
「お母さん、戦争、負けたんで。ラジオ聞かなんだん?」
 彼は声まで悲壮にくもらしていった。

「聞いたよ。でも、とにかく戦争がすんでよかったじゃないの。」
「まけても?」
「うん、まけても。もうこれからは戦死する人はいないもの。生きている人はもどってくる。」

「一億玉砕でなかった!」
「そう。なかって、よかったな。」
「お母さん、泣かんの、まけても?」
「うん」

「お母さんはうれしいん?」
 なじるようにいった。
「バカいわんと!大吉はどうなんじゃい。うちのお父さんは戦死したんじゃないか。もうもどってこんのよ、大吉。」

 そのはげしい声にとびあがり、はじめて気がついたようにまともに母を見つめた。 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年8月30日 (月)

秋の気配

 「秋の気配」を国名でいうと、残念ながら「アメリカ」と「日本」が有力候補だ。オバマが「チェンジ」を声高に叫び、鳩山は国連で「友愛」とか「温暖化ガス25%削減」をぶった。いま、その熱気は両国にない。

Dscf2619  いまだに冬の国は世界にたくさんある。北朝鮮も必死でもがき、春を演出したいのだろうが、なかなかそうはいかない。後継者は「正雲(ジョンウン)」だそうで、雲の字がつく。どうひいき目に見ても春の雲には見えない、というより姿を見せないので、観測不能である。

 熱中症続出、新記録ずくめの酷暑を考えると、さわやかで暮らしよい秋の気配も悪くない。経済にしろ、外交にしろ、いつも真夏のマラソンのような生存競争至高主義から、一歩引いたところで冬に備えた長い秋を楽しみたいものだ。

 写真は、野辺山から八ヶ岳を望む(08.29写)

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2010年8月26日 (木)

小沢氏の代表選出馬

 塾頭は、ダーミーを立てるにしても本人が……というのは「ない」と踏んでいたがはずれた。もうひとつはずれたのは、菅氏が小沢氏に気遣うのをやめ、あえて正面から対決する姿勢をとって、晴ればれとした顔をしていることだ。

 これは、一見支離滅裂の党内意見を、はっきりした意見をかかげて論争するのならば、かつてないことで歓迎しなければならない。ぜひそうあって欲しいものだ。しかし、幅広い支持を得るためには、せいぜい去年の衆院選マニフェストの原理・原則に立ち返るか、それにある程度の修正を加えるかの差にしかならない可能性がある。

 むつかしいのは、日米同盟の見直しと普天間基地移転である。辺野古移転を白紙に戻し、基地の危険性除去プログラムを優先的に再検討するなど、言えるとすれば小沢氏しかいないだろう。菅氏が言うとすれば、鳩山、北澤、岡田など日米合意当時の閣僚の共同責任をクリヤーしなければならない。

 11月の沖縄県知事選やオバマ来日をにらんで菅氏が合意凍結を宣言すれば、小沢氏にとって肝心な争点を失うことになる。これは、旧社会党系、リベラルの会や、新人にも多い基地沖縄県外移転促進派など約100人の票の行方にも関係があり、勝敗を占う重要なキーポイントになる。

 この転換が日米関係悪化に直結するとして、岡田・前原両閣僚などが反発するにしろ、小沢支持に回ることまで考えられない。消費税問題は、参院選敗北の原因としてマスコミが喧伝したが、大きな争点にはならないだろう。

 その他の経済政策も、どちらが短期・中長期にわけた具体的政策が提示できるかといった程度で、そんなに大きな違いがあるとも思えない。官僚制度改革、地方自治についても同様である。もとの自民党政治に戻すというなら別だが、結局は外交・防衛政策と現下の不況対策に目が向くことになる。

 冒頭に述べたが、いまだに小沢氏自身が代表選に自らうって出たのか腑に落ちないのである。マスコミは盛んに国会議員の票読み、何々グループが何人、反小沢派か小沢派かなどに焦点を当てているが、今度の代表選は党の地方組織からポイントは少ないもののサポーターまで投票する。

 当然、より民意を意識した選挙になる。政治とカネの問題、塾頭は、国政を左右するほどのことではないと思っているが、小・鳩双方にかかわり、鳩山の普天間基地問題の変節もあって自ら政治権力を投げだしたばかりである。そして、党は菅氏を代表に選んだ。

 そのほとぼりのさめない中で、小・鳩協力のもとで小沢氏が菅首相を打倒するという。自民党の言うように、景気の二番底が憂慮されている時、政治が不安定になることは直ちに国益を損なうことになる。菅首相の人気は落ちたが国民は続投を支持している。

 そのような中、自民党の派閥の締め付けのような習慣のない民主党議員は、論功行賞に期待もかけられず、より民意に近い投票行動をとるだろう。そうすれば小沢氏に勝ち目はない。かつて小沢氏は首相になったらすぐ解散して民意を問うと公言したことがあるが、そんなことをすれば間違いなく議員数を減らす。

 さらに、小沢氏が勝ったとして得意分野の、水面下の連立構想を持ったとしても、かつて散々煮え湯をのまされた谷垣・自民が応ずるわけがなく、公明も世論の動向を見て足下を見るだろう。みんなの党で、渡辺首相では党内がまとまらない。

 それならば、脱小沢の菅氏に負けて党を飛び出すというのはどうだろう。負け馬に乗る議員はいない。行動を共にするのはせいぜい30人程度か、小沢氏の得票数そのままが脱党要員ではない。小沢自由党の自民連立離脱て保守党が袂を分かった故事がある。かつての小沢手法が通用すると考えるのは時代錯誤である。

 テレビから、「このままでは、党内での求心力を失うしいう追いつめられた思いがあったのではないか」という解説者の声が聞こえてきた。あせって自滅の道をたどるようなやわな小沢氏ではない。しかし、首相から呼びかけがあっても、無視して会わないとか、和解に人事の条件を出すなどの闇将軍ぶりが、結局首相の小沢離れを決定的にし、墓穴を掘る結果を招いたのではないか。再びいう。小沢氏に勝ち目はないだろう。

 なお、鳩山は小沢応援に切りかえたことについて、由民合併を自らの責任で実現したからという、国民に見えない不確かな理由をあげて合理化しているが、「ああ、これが彼の限界なのだ」と妙に納得できた。

| | コメント (13) | トラックバック (11)

「戦中・戦後」断片③

日の丸・君が代編
 日の丸は子供のころ好きだった。今でも嫌いではない。

 ♪白地に赤く 日の丸染めて 
   ああ美しい 日本の旗は
だと思うし、
 ♪母の背中に 小さい手で
   振ったあの日の日の丸を
の世代である。

 昭和40年代はじめ、子供が小さかった頃は、正月の気分を演出するため門に日の丸を飾った。万国旗を見渡しても、こんなに単純ですがすがしくかつ目立つ旗はない。誇っていい美的感覚である。

 弁当箱の白いごはんの真ん中に梅干しひとつ、日の丸弁当である。端に卵焼きに削り節か佃煮でもあれば上乗、それでも贅沢だった。嫌いなのは、米軍の迷彩模様に似た塗装の真ん中に据えた右翼街宣車のみっともない日の丸。それに自民党候補者がよくする日の丸手ぬぐいの向こう鉢巻。いずれも目がつりあがり好戦・対決ムードだ。

 右翼の方の書き込みがあった。閣僚のだれだれは会見の際演壇わきの国旗に敬礼するがだれだれはしない、という難詰だ。日本に閣僚室や、会見室に日の丸を置き、敬礼するなどの習慣はあったのだろうか。

 昔はテレビがなかったのでわからないが、そもそもあれはアメリカ合衆国の習慣ではないか。州の数を星で示して一丸とする国の象徴だ。日本では日頃の敬礼対象は「旗」ではなく「天皇」であった。旗なら日の丸でなく「聯隊旗」である。

 聯隊旗は、天皇から直接下賜されるものなので、戦場を潜ってぼろぼろになり、縁だけのものでも戦功のシンボルとして大事に扱われた。学生、生徒が登下校時に礼拝したのは、国旗でなく御真影(写真)と勅語を安置した奉安殿である。

 次に君が代。これは好きでも嫌いでもない。歌詞は大昔のものなので、天皇礼賛とだけとらえなくてもいい。さざれ石が巌となる、魚や虫でも化石になるのだからあり得るけど、それにコケが生えるとは、滑稽でふざけた話だ。

 曲は6音階、雅楽風の宮中音楽だ。よその国の行進曲風、革命歌風でなくなんともしまらない節回しで、妖怪でもでてきそう。これも、日本のパーソナリティで文化なら文句はいえない。ただ、民謡風ならもっとよかったかなと思う。

 というわけで、そう深く考えたことはなかった。それがそうではなくなったのは、それに特別の敬意を払うよう強制する輩が出てきたからだ。思想、信条、表現の自由を束縛し、従わなければ懲罰を加え非国民といい、職を奪うことまでするようになった。

 産経系マスコミは、菅首相が何年か前に、国歌斉唱に立ち上がらなかったとか歌わなかったなどと確証のないことを蒸し返して騒いでいる。期待に反して同調する他社はほとんどない。それで難癖をつけようという時代は去ったのだ。

 しかし、神経をとがらすのは、その底に天皇神聖化や超国家主義のいまいましいにおいと、戦争賛美を嗅ぎ取るからだ。誰も日の丸、君が代を嫌いにさせないでほしい。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2010年8月25日 (水)

9月にあと1週間

[偽作]

お遍路を 途中でやめて くせがつき
                           菅直人
とりまきと 新聞さわいで 僕さびし
                         小沢一郎
菅さんに 居座りのコツ 教えます 
                           福島みずほ
優勝旗 かわりに普天間 県外へ
                           仲井間沖縄県知事

 これだけではもったいない。そこで、「本はともだち:戦争や平和考えるきっかけに 親子で読みたい絵本」という8/25付毎日新聞の記事をそっくりお借りする。当塾にとってはルール違反だが、こども/小学生/戦争」というキーワードで最も多くの検索が集まる。毎日のHPから消えることも予想し残しておきたいと考えた。同時に、同文を「こども/小学生/戦争」にも転載しておく。

 日本の戦争は65年前に終わったが、世界ではいまも戦闘が続き、傷ついている子どもたちがいる。戦争や平和を考えるきっかけとなる絵本を紹介する。ぜひ親子で読んでみたい。【木村葉子】

 ◇「キンコンカンせんそう」(ジャンニ・ロダーリ作、ペフ絵、アーサー・ビナード訳、講談社)
 イタリアを代表する児童文学作家ロダーリ(80年没)の反戦絵本。長い戦争が続き、ついに大砲を作る金属がなくなる。大将は学校や教会など国じゅうの時計台から鐘を集め、巨大な大砲を作った。

 ◇「やめて!」(デイビッド・マクフェイル作・絵、柳田邦男訳、徳間書店)
 男の子は一通の手紙を書き終え、ポストに出しに行く。上空には戦闘機が飛び、街には戦車が走って爆発が起きる。恐ろしい兵士も見るが、男の子は黙々と歩き続ける。ポストの前で、いきなり少年に胸ぐらをつかまれた男の子は、大きな声で叫ぶ。ほとんど文字のない場面が続く絵本。

 ◇「約束 『無言館』への坂をのぼって」(窪島誠一郎作、アリス館)
 戦争で亡くなった画学生の遺作を集め、長野県上田市に戦没画学生慰霊美術館「無言館」を開館した館主が、自身の半生と美術館設立までの道程を振り返った。

 ◇「海をわたった折り鶴」(石倉欣二作、小峰書店)
 広島で2歳のときに被爆した佐々木禎子さんは12歳で白血病を発症。回復を信じ、病床で薬の包み紙などで鶴を折り続けたが、8カ月後に亡くなった。この折り鶴の一つが、ニューヨークにある米同時多発テロの資料館に飾られている。

 ◇「ばぁちゃんのしべとろ」(みふねしよこぶん、はやしまきこえ、瑞雲舎)
 択捉(えとろふ)島・蘂取(しべとろ)で生まれ小3まで暮らした作者が、漁業で栄える町や、川や海、山で遊んだ幼い日々をたどる。懐かしい故郷へ自由に行けない思いとともに、北方領土問題を問いかける。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月24日 (火)

「戦中・戦後」断片②

 前回は、太平洋上の戦局が逆転し、次第に追い詰められていく日本と、学生は教場を閉鎖され、勤労動員で校外に出たことなどを書いた。また、敵性語禁止など常軌を失っていくありさまにも触れた。同様のことを、津田塾に進学された松林さまが「護憲+」にエントリーされ、トラックバックをいただいたので見ていただきたい。

「護憲+」
http://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/1e8acf5cbaf376f5cb2c576de50fd365

 庶民の本音編

 このシリーズの題名に《断片》という字句をつけたが、逆に過去の記事をまとめることにもなった。次の2本を参考に供した上で、塾頭の古い手書きのノートに、言論としては決して出てくることのない俳句・川柳を調べてメモしたものがあるので、それを加えることにした。

「不穏言動調査」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_10c0.html

「戦時不穏歌謡」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-7da2.html

高崎隆治『戦時下俳句の証言』新日本新書より。

  これらの句を読んで、感動したり反撥したりしていたころ、旧制中学生であった私は思いがけない事件の飛沫を浴びることになった。新興俳句に対する弾圧事件である。まだ子どもだということで検挙は免れたが、十数冊の俳誌『土上』と、小学校四年生の時から書きためた五六冊の俳句ノートを押収された。そして特高は私を「自由主義」ときめつけ「共産主義」と罵った。

 以下の5首は、『非戦のうた』日本評論社、『川柳にみる戦時下の世相』梨の木会、『さつき』1944・2/3月号などを参照したものらしいが、メモに不備な点がありご容赦いただきたい。

・出世医に聴診器売る寒さかな 坂口銀地
   (出征となれば、未知の人でもねぎらいの言葉をかけたり感謝の念を表明したりりする『明朗銃後』などというのは大嘘である。そうあるべきだというだけのことで、しょせん他人事である。)

・蜜柑むきて皆戦いのこと言はず 杏童
    (南京占領後まもないころの作品)

・心貧しく物に乏しく冬に入る 板谷淇久女

・売り切れに散る行列へみぞれ来ぬ 星華

・木枯しやガソリンスタンド荒れしまま 
                     作者不詳

 もちろん、これらの何万倍もある戦争賛歌が、庶民の声として新聞に、放送に、学校に、街頭に満ち溢れていたのはまちがいない。前回、高名な(戦後生まれの)歴史専門家がよく間違いを犯す、といったのは、公式のそういった史料にだけ目を向けていることからくるのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月23日 (月)

「にほんご」を取り戻せ

 今朝、新聞を見ていて一瞬ギョッとした。「男性の次女が……した。」と書いてある。記事の途中であるが、自宅放火事件報道である。次女が男性であるわけがなく、男性はその家の戸主を指していることはすぐにわかったが、新聞でも放送でも、冒頭から順を追って見聞きするとは限らない。

 プライバシー優先で、犯罪などに関係する報道は、固有名詞を使うかわりに「男性」とか「女性」を使うようになった。この報道の主人公は「次女」である。それを、報道の基本である「いつ」「どこで」を冒頭にもってくるため、「どこで」の家を特定するため持主の「男性」が先に来たのだ。

 そして、その男性と妻も負傷しているとある。本来なら、どこどこで女子中学生が自宅に放火した。中にいた両親は負傷した、と書くべきだろう。どうして、ことさら性別を表す「男性」を代名詞に使わなくてはならないのか。どうして、戸主を性別で特定する必要があるのか。

 同性婚を認めているアメリカの州のようになれば、やたらに「妻」などの字を使えない。それに「次女」などと、家族構成を想像させるような書き方にも疑問が残る。「屁理屈をいう」と嫌われそうだが、江戸時代の瓦版や明治の新聞ならこう書いただろう。

 「○○にある某(なにがし)氏の家で、○歳の娘が自宅に放火した。そのため某氏と配偶者(つれあい)は、傷を負った……」と。カッコ内は振りがなであるが、今ではほとんど死語と化している。かつては、誰にでもすぐにわかる美しい会話のための日本語があった。

 超大手企業が、競って「J○○と」味気のない社名に変えている。「にほんご」の貧困化は目を覆わんばかりだ。 
angry

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年8月21日 (土)

「戦中・戦後」断片①

 当塾では「戦中・戦後」というカテゴリを設けて、随時無原則に記事を書いてきた。口の重かった従軍経験のある人、あるいは沖縄戦体験者・原爆被災者などの証言が増えたが、国民の日常については誤解だらけで、特に高名な(戦後生まれの)歴史専門家にそれが多い。

 あまり肩ひじ張ると書けなくなるので、記憶違いや不正確な出典、独断などその他いろいろな点にはご勘弁をいたたけるシリーズということにしたい。続くかどうかもわからないが、そんな趣旨で、もし経験などコメントくださる方があれば、それも本文に移すなど虫のいいことも考えている。

昭和18年(1943)編(塾頭小6)

[戦況]・2月1日に日本軍がガダルカナル島の撤退を開始。これが太平洋における戦局の主導権がアメリカに移る。4月18日には海軍のカリスマ的存在であった山本五十六司令長官の搭乗機がソロモン島付近で撃墜され、戦死。

 ・その後、北太平洋の飛び石列島、アッツ島の守備隊玉砕(全員戦死)、同じくキスカ島からの撤退、南方のマキン・タラワ両島守備隊の玉砕と続く。陸軍省が「撃ちてし止まむ」のポスター5万枚を配布。国民の戦争参加意識をあおるが手遅れ。

[人的資源]・この言葉が市民権を得たのは、日中戦争の長期化で危機的な様相を呈してきた昭和13年である。「国家総動員法」が議会に上程され、その第一条に「本法ニ於テ国家総動員トハ戦時ニ際シ国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及ビ物的資源ヲ運用スルを謂フ」とあり、人をマテリアルとして扱うようになった。

 ・日韓併合以来、朝鮮人には兵役が課せられていなかったが、8月から兵役法改正施行される。兵隊が足りなくなっちたのだ。台湾は昭和20年度実施を決める。
 ・勤労動員令で、学徒は学業を中止、軍需生産・農業支援等に動員、完全実施に移ったのは翌年度以降か。塾頭が進学した中学も20年には軍需物資(軍装品など)が疎開をかねて教室に山積みされ、登校しても講堂と雨天体操場しか使えなかった。

 ・9月23日、政府は一般事務補助・外交員・受付・車掌など17職種の男子就業を禁止、25歳未満の未婚女子による勤労挺身隊を動員。
 ・10月21日には、よく映像として使われる徴兵猶予の特典を取り上げられた学徒7万人の壮行会が、雨の神宮外苑で行われた。12月24日からは、徴兵適齢年齢を1歳引き下げ、19歳とする。
 
[流行歌]・「“世の中は星にいかりに闇に顔 官に尾を振るボテやくざ 馬鹿者のみが行列に立つ”という歌が流行している。」(清沢洌『暗黒日記』所載) 注:星=陸軍、いかり=海軍、闇=公定価格外で物資を融通するやみ商人。

・♪金鵄上がって15銭 栄えある光30銭 
 それより高い鵬翼は 苦くてからくて40銭
 ああ一億の金はない(紀元2600年替歌) 

 注:金鵄、光、鵬翼(新発売)はたばこの銘柄。金鵄は、戦前戦後「ゴールデンバット」と呼称した大衆銘柄。敵性語追放で「金鵄」になった。

 ついでに敵性語追放に協調したマスコミは、NHK=ニュース→報道、毎日新聞=『サンデー毎日』→『週刊毎日』、『エコノミスト』→『経済毎日』、講談社=『キング』→『富士』。スポーツ界では、野球のセーフ→「よし」、アウト→「ひけ」、ダフルプレー→併殺など。ラグビー→闘球など。

・♪影か柳か勘太郎さんか (「伊那の勘太郎」以下2番)
 ♪菊は栄える葵は枯れる 桑を摘む頃逢おうじゃないか

 注;2番出だしの「菊」は天皇、「葵」は軍部を指し、敗戦を予兆したものという俗説があるが、俗説は俗説。本当らしく聞こえるところがミソ。戦後爆発的に流行した。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2010年8月20日 (金)

鳩山の火遊び?

 「ワシントンと北京の間でもっと中立的な立場を取ろうとした鳩山前政権の火遊び」と論評したのは、アメリカ・ネオコンの代表的論客であるロバート・ケーガンである。彼は、ブッシュ路線を肯定し、共和党候補のマケインの外交顧問に就任、バマ外交をことごとに非難するコメンテーターである。その彼に、日本で反民主党政権色の濃い『中央公論』(9月号)から、お呼びがかかった。

 題して「さよならオバマの〝勘違い外交〟」で、披瀝しているのは、トルーマン大統領以来続いてきた世界戦略の三本柱、つまり「アメリカの卓越」、民主主義諸国の同盟拡大、それに「開かれてた経済秩序」という冷戦時代の「封じ込め政策」を依然として有効なものとし、バスクアメリカーナを普遍的なドグマに位置付け続けていることである。

 さらにオバマが、理想主義的な色付けで独裁的政権とも中立的関係を築こうとしたことを誤りとし、今までの路線(ロシアと中国に改革を迫り続けるような)を放棄するのは、「民主主義の重要性を格下げ」するもので、「封じ込め」政策に協力した同盟国を傷つけるだけだとしている。

 当然のことながら、パレスチナ紛争の長期化、イラク進攻の不正義な戦争、国内の厭戦気運そして国連やNATO諸国内での威信低下、リーマンショック以来の国際経済におけるドルの権威失墜など、新しい情勢の変化や失政に対する検証・反省は一切ない。

 それどころか、オバマ新政策に目立った進展が見られないことから、「世界はそう簡単には刷新できない」と断じて、ウイルソン大統領が第一次大戦後に世界平和を構築しよようとしたような野望は、リセットするべきだとした。

 日本の右派陣営でも似通った、というより産地直輸入のような主張が最近になって強まってきている。なんといっても、鳩山前首相の変節と、それを継承した菅首相の「現実路線」がそういった傾向を勢いづけた。さらにそれは、中・米関係の軋轢報道を中心にマスコミ内部にも浸透し始めている。

 こういった動きの中で、冒頭の「鳩山・火遊び発言」が飛び出したわけである。火遊びといえば、未熟な幼児が大人のいうことを聞かず、身を危険にさらすという感覚だ。つまり、アメリカから見て日本は幼児扱いされ、親の保護下にあるのが当然といった意識だろう。

 自民党勢力の中で60年続いてきた幼児のようなアメリカ追随から、はじめてささやかな一歩踏み出そうとして発足した民主党政権が、どうして「火遊び」であろうか。日米同盟堅持、深化は言っても、どこかの党のように「解消」などとは言っていない。

 「どっちにつくのだ」と脅かされて、遠い国のイラク戦争につきあわされ、北朝鮮を威圧する米韓共同演習に参加する米原子力空母が横須賀から出航し、沖縄核持ち込み密約があったことには目をつぶる。幼児に発言権を与えない――、この方がよほど日本人にとって恐ろしい「火遊び」であることをケーガンは知らない。

 それどころか、ケーガンを勢いづけているのは、日本の官僚を中心とする現状維持・事なかれ主義、それに日米同盟に巣食うロビー政治家である。日本には核抑止力が必要、とか米海兵隊が沖縄に不可欠な抑止力などと、ネオコンに恰好な理論構成の材料を提供していることである。

 たしかに鳩山首相は、5月に「ゴメンチャイ」では通らない変節をした。当塾も辞任に相当する背信行為であることを認めた。後を継ぐ菅内閣が、締結したばかりの日米合意事項を尊重し、その決着と民主党代表選を9月にひかえて内閣人事を最小限にとどめたことも一応理解できる。

 菅首相は、代表選で外交政策を表にだすかどうかわからない。それは他の候補についてもいえる。しかしここは、はっきり意思表示をしてほしい。それがアメリカや沖縄県民に対する最低限の責任ある行為だ。またケーガンから「火遊び」などといわれるような外交に終始するのか、アメリカの火遊びにどこまでもついていくだけなのか、まさに、日本の国力・威信が問われる場面である。

 菅首相が「外交現実主義」に逃げこむ可能性は強い。しかし前述した後者を選ぶようなことを避けるには、「去年の衆院選公約の原点にもどって……」という、小沢・鳩山ラインが力を持ち、その影響力のもとで第2次菅内閣が成立する方向が最も好ましい。

| | コメント (3)

2010年8月17日 (火)

チャップリン

Dscf2475  《チャーリーのチョビヒゲ? それは虚栄のシンボルである。彼のお粗末な上着、滑稽なほどブカブカのズボン? それらはわれわれの奇妙さ、愚かさ、また不細工さの戯画である。ステッキの着想は私のもっとも幸福なインスピレーションであった。

 ……私もはじめの中はステッキが余人ならぬその持主に「しゃれ者」というレッテルをはることを充分に理解してはいなかったように思う。そして、私が小さなステッキをつき、深刻な顔をしてヒョコヒョコとまかり出ると、私が威厳を作ろうと試みているという印象をあたえる。それこそまた私の狙いであったのだ。》

(以上、岩崎昶『チャーリー・チャップリン』講談社現代新書所載、チャップリン「扮装のシンボリズムについて」より)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年8月16日 (月)

韓国の「統一税」

  韓国の複光節というのは、日本の終戦記念日にあたる。つまり、100年前に日本に併合され、65年前にそこから解放されて民族として暗黒から光が差し込んだ日ということだ。李 明博(イ・ミョンバク )大統領は、この日の演説で、南北統合について相当踏み込んだ発言をした。

 これに先立って、菅首相が韓国向けに談話を発表したが、当塾は朝鮮民族にとって最大の後遺症である南北問題に触れることのない《次元が低い》談話であると批判した。下記の毎日新聞(8/16)が要約した李 明博大統領演説の全世界を視野に入れた内容にくらべ、残念ながら相当見劣りがする。

 李大統領は演説の中で、統一への道筋として(1)朝鮮半島非核化を前提にした南北の「平和共同体」(2)北朝鮮経済を発展させたうえでの「経済共同体」(3)民族全体の自由や生活の基本権を保障する「民族共同体」--を順次構築すべきだとの3段階統一ビジョンを提案した。さらに北朝鮮復興など、統一にかかる莫大(ばくだい)な費用を準備するため「統一税」導入について国民的な論議を開始するよう訴えた。

 そして、後段で日本の首相談話を「一歩前進」と評価した。二歩目、三歩目もあるよ、という後を残した発言だ。太陽政策をとった左派の金大中・盧武鉉政権は、「いつの日か解け合える同一民族」を目指す融和政策をとったが、日本に対しては、「親日反民族行為者財産調査委員会」に見られるように反日思想には根深いものがあった。

 日本は、その後の北朝鮮の核・ミサイル開発、天安艦事件などの緊張状態発生で、日・米・韓が北に対して無条件に共同歩調化とれると楽観視しているのではないか。普天間基地移転問題などで、日・韓ともアメリカを軸とした「抑止力」になるなど、軍事筋の入知恵に能天気に従って外交努力を忘れている。

 右派の李大統領は、北に強硬で親日的などと思っていたらとんでもないしっぺ返しを食うかもしれない。李大統領は「統一税」を持ち出した。菅首相の「消費税」より質の面からみても唐突で意表をつくものだ。「統一」はある日突然やってくるかもしれない。それは、北の世代交代不成功などによる緊急事態も想定してのことであろう。

 韓国の世論も当然賛否両論がうずまくことになる。その時、「日本にも応分の支出を求めるべきだ」という声が出てくる可能性は十分にある。日本政府はそんな事態を考えたことがあるだろうか。李演説は、「朝鮮半島非核化」を真っ先に掲げた共同体方式を掲げている。

 当塾でもかねてから主張を繰り返していた「北東アジア非核武装宣言」は、岡田外相が野党時代に提唱していたことでもある。李演説には、日本が入っていないが、李大統領の方が明らかに主導権を握ったということである。

 アイススケートや家電産業だけでなく、政治もアジアで後塵を浴びるくるという心配が杞憂でないと果たしていいきれるでのであろうか。民主党政権の外交の甘さは、この際断固返上してもらいたい。

 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年8月14日 (土)

2010終戦記念日

 このところ更新が途絶えがちである。主な理由は、パソコン画面がチラチラしはじめ、いつパッタリ消えてもおかしくないような状態になったこと。

 そこで、この際とばかり大決心して、長年親しんだXPからWindows7機に乗り換えた。「わかり易い」という前評判もどこへやら、引っ越しに難行苦行。今日まで3日かかってまだ終わっていない。

 「昔取った杵づか」も「温故知新」も通用しない情けない世の中だ。明日は65年目の終戦記念日。死者への慰霊もさることながら、生き残った人々の追憶もある。当時よく使われた「国破れて……」の全文をのせておこう。

 春望(しゅんぼう) 杜甫

国破山河在 城春草木深
国破れて山河あり 城春にして草木深し
感時花濺涙 恨別鳥驚心
時に感じて花に涙をそそぎ 別れを恨んでは
鳥にも心を驚かす
烽火連三月 家書抵万金
ほうか三月に連なり かしょ万金にあたる
白頭掻更短 渾欲不勝簪
はくとう掻けば更に短く すべて
しんにたえざらんと欲す

 杜甫とくれば李白――

 子夜呉歌(しやごか) 李白

長安一片月 万戸擣衣声
長安一片の月 万戸ころもをうつ声
秋風吹不尽 総是玉関情
しゅうふう吹いて尽きず 総てこれ玉関の情
何日平胡虜 良人罷遠征
いずれの日か胡虜を平らげて
りょうじん遠征をやめん

 

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2010年8月11日 (水)

次元が低い対朝鮮「談話」

 10日、政府は日韓併合100年にあたり、韓国向けに談話を発表した。タイトルに示した「次元の低い」理由を列記する。

1.誰に向けたのかはっきりしない。

[説明]朝鮮民族か韓国国民か、韓国政府か。文意や事前の根回しから見て、韓国政府向けであろう。北朝鮮は含まれず、いまだに南北分断の十字架を背負う朝鮮民族の心情に配慮、訴えるものが全く欠けている。100年前の日韓併合条約は、朝鮮半島全体を代表する李王朝政権との間で締結されたものである。

 条約名を「韓国」としたのは、約500年続いた国号「朝鮮」を併合の直前(13年前)「大韓帝国」に変えたためで、現在の大韓民国とは中味が違う。明治になって最初の条約は、「日朝修好条規」と称した。その間、日清、日露の戦争があったが、併合に至った歴史を踏まえず、突如「植民地支配」をしたような書き方だ。

2.植民地支配ではない。

[説明]談話の中には、不用意に3回も「植民地支配」という言葉が出てくる。「植民地」の定義は、①属国化したところに本土とは異なる法制を敷き、②海外移住者によって利殖を目的とした独占的な経済開発を行い、③利権の拡張を求め続ける、というようなことであろう。

 この条件を、朝鮮にあてはめるのは無理である。ただし、満州国は植民地であり、中国へは植民地的進出を企てたと言われても仕方ない面がある。上記1.を精査すれば、当時(第一次世界大戦前)、西欧列強の帝国主義的植民地競争がまだ続いていたことがわかる。

 だから、日本はそれらに対して「富国強兵」を国是とし、朝鮮の自主独立を実現させて防ごうとしていた(当ブログ「インデックス」=右帯参照)。それに失敗したということである。とはいっても、日本の右派国粋主義者の「いいことも沢山やった」や「ロシアの属国になっていた」論には同調しない。

 極言すれば、朝鮮民族の自尊心や日本とともに戦争にまきこまれた悲劇からすれば、「植民地の方がまだましだった」とさえいえるかも知れない。

3.心を打つものがない。

[説明]以上述べたように、歴史認識としては非常に浅く、村山談話のコピーに歴史の一こまである3.1独立運動などを唐突につけ加えたり、史料の一部譲与など技術的な友好策を小出しにするなど、日韓国民の心を打つような内容がない。十分談話の内容をつめる時間がなかったかも知れないが、このところ再々引例するドイツ国民のナチス対応を参考に、同じ謝罪を何度も繰り返す愚だけはやめてほしい。
 

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2010年8月 9日 (月)

原爆=「反米」は駄目

 どう訴えたらいいのだろう。

 《安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから》という、広島の原爆碑・碑文の解釈を誤っている。そうして、アメリカの大使が謝罪の意を表さなかったことを非難する。

日頃、ヨーロッパの空気を伝えていただいている「時々パリ」さまの関連する記事で、コメント欄を拝見し、そういった意見で覆われていることに愕然とした。
 
 当塾では、久間元防衛庁長官の原爆「しょうがない」発言などで肯定的意見を述べたり、「戦争なんでもあり」論で、お互いを呪い、憎悪し、報復・懲罰といった理由で戦争の連鎖を繰り返す愚を記事にしてきた。しかしこういった機会に、はっきり碑文の主語は、人類としての「我々」であり、「日本人」であることを主張したいので、コメントではなく本文とした。

 アメリカ内部にある原爆投下正当化論を聞くといつも腹立たしくなる。反面、南京虐殺や慰安婦問題で何度も謝罪や補償を要求されることにも不快感を抱く。これは、塾頭も人後に落ちない「感情」の問題である。政府は譲るべきでないことには、譲ってはならない。

 一片の社交辞令で「謝罪」し、「補償」というカネを払えば、情念は消え去るのであろうか。ここで冒頭の碑文の話に戻る。今回の原爆忌で、被爆者団体の責任者がマスコミの米大使出席の印象と謝罪の問題について質問を受けていた。

 その発言は「謝罪云々より、来ていただいたことに価値があり、感謝しています」というものであった。被爆者であっても「情」にはさまざまなものがあるだろう。しかし、この責任者は「理」を語っているのである。繰り返してはならない誓いは、このような惨禍をもたらす戦争を二度としないという「人類」の誓いであり、「日本人」の誓いでもあるということだ。

 まさに、菅首相の言うように「唯一の被爆国としての責務」なのである。そして広島市長が宣言したのは、被爆都市宣言ではなく「平和都市宣言」で、もっぱら軍縮・非戦を述べたものであることに注意していただきたい。また、ルイス大使が発言した「戦争の全犠牲者に敬意を表するため」という目的も、まっとうなものである。

 原爆被爆者と東京大空襲や沖縄ひめゆり隊の犠牲者を区別する理由は、どこにあるのだろう。「情」でなく「理」で考えれば、戦後の余韻が残る時期に作られた碑文の意味がよりはっきりしてくる。1カ月前、「ポツダムに原爆碑」という記事を書いた。

 「理」にさといドイツ人は、アウシュビッツの惨劇に対し、その事実を検証すると共に「ドイツ人はどうしてヒトラーのような人間を生んでしまったのだろう」「そして、何故あのような人物を選挙で選んでしまったのか」「心ならずもジェノサイドに手を貸してしまった責任はどうか」という分析から、謝罪なしにはヨーロッパで生きていけない、ということを先ず最初に理解した。そして、二度と繰り返さないための態勢づくりを着々と進めた。

 最近は、クラスター爆弾禁止のように、国より市民レベルの国際運動が効果を上げている。広島市長も世界中を飛び回っていて一部市民の不興を買っているとも聞く。原爆碑の文句が気に入らないと入って、工具で毀損した右翼組織があるが、くれぐれもこういった挑発に乗らないようにお願いしたいものだ。

 最後に、被爆者の方が書かれた碑文に関する記事を、メルマガ「縄文塾通信」で見たので、その一部をご紹介する。今日は、長崎の原爆忌である。

 合掌。

某メルマガの読者欄で、広島平和記念公園の「原爆死没者慰霊碑」の碑文に主語がないのだが、本当の意味はどうだろう」という文章が載っていた。

 前記荒谷勲くんに確認したところ早速、碑文は、

  「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」

であり、それを英訳文は(当然主語を伴った)

 Let all the souls here rest in peace,
 For we shall not repeat the evil.

 だと教えてくれた。もちろん碑文には英訳文は書かれていない。この英文は、英語通訳に当たってのテキス用だそうだが、主語の「我々」についての説明は2通りあって、

(1)誰がというのは、人類みんなを指している。

  "We" in the inscription means all humankind.

(2) これはすべての人々が世界平和に実現を誓う言葉として書
    かれた。

     It is our hope that people everywhere will come to
     embrace the spirit of these words.

 と言うことだった。

 荒谷君曰く、英語で話す際この碑文の日本文を紹介すると、決まって「誰が?」と問われるというのだ。そこで英訳文を紹介すると、今度は「なぜ(われわれ(Weなのか)?」と反問され、その度に答えに窮するのだと言う。

 さて金谷さんが、講演の締め括りとして語られたのは、この(主語不在の)碑文についてであった。

「(被害者でありながら)非道な行為に対して恨みや復讐の念を一切持たず、こうした悲惨な行為や経験を、世界中の誰もが、二度と繰り返してはならないという表現は、日本語という「主語を持たぬ言語」だからこそ初めて出来ることであり、且つ日本人のみの持つ崇高な祈念の表意なのだ」

 というものであった。この言葉は一種の啓示となって私に、日本そして日本語への誇りと愛着を、より強くさせてくれたのである。

| | コメント (6) | トラックバック (5)

2010年8月 7日 (土)

『怪人二十面相』

2010_08070037  江戸川乱歩著『怪人二十面相』。写真は昭和11年(1936)末発行の復刻版。この年に首都を震撼させる2.26事件が起きた。ナチス、ヒトラーはベルリン・オリンピックを「民族の祭典」と銘打って国威を発揚する。霞ヶ関の国会議事堂はこの年に落成した。

 日本は、この頃から勝算のない戦争にのめり込んでいく。その頃、子供の心をとらえたのが、講談社発行の雑誌「少年倶楽部」の連載ものである。その頃の日本の人口は7000万人、豆腐1丁5銭、たばこ20本12銭、日本酒1升1円89銭、教員初任給50円、単行本『怪人二十面相』90銭。

2010_08070036_2  布張りの豪華本は買ってもらえなかった。マンガ「のらくろ」シリーズや「冒険ダン吉」などにも豪華本があったが、もっぱら金持ちのお坊ちゃんの友達の家で見た。少年小説はほかに、山中峯太郎『敵中横断三百里』、高垣眸『怪傑黒頭巾』、佐藤紅緑『ああ玉杯に花うけて』などが愛読された。

 これらは、小学生の頃に卒業、中学に入ると「金色夜叉」や「坊ちゃん」、「我が輩は猫である」など、明治文豪ものに移る。軍国少年であっても、日常は日常。戦争がすべてではなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年8月 6日 (金)

広島市平和宣言の変遷

 「ああ やれんのう、こがあな辛(つら)い目に、なんで遭わにゃあ いけんのかいのう」―――で始まる2010年広島市平和宣言。この全文をネットで探したが容易に出てこない。マスコミのニュースとしても出てこない。ようやく広島市の公式HPで見ることができた。(新聞は夕刊に掲載した)

 なぜそれを探したかというと、2003年に上梓した拙著、『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』の「あとがき」の末尾を次ぎのようにしめくくったからである。

 孫文は大正十三年(一九二四)神戸で講演し、「日本は世界文化にたいして西方の覇道の鷹犬となるか、はたまた、東方干城となるを浴するか」と、選択を迫った。背景は全くちがうが、今まさにそのいずれを選ぶか、あるいは第三の道を求めるのか、日本は重要な岐路に立っている。

 二〇〇三年の広島平和宣言がいう「国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、時代はまさに戦後から戦前へと大きく舵を切っている」というだけに、本題を掲げスタートに立ち返ってみたい、これが著者のねがいである。

 この年を振り返ってみた。正月には小泉純一郎首相が何度目かの靖国神社参拝を繰り返し、3月20日、ブッシュ米大統領はイラク戦争を開始した。6月、有事関連3法案が成立し、8月25日には首相が山崎幹事長に憲法改正案作成を指示した。

 また、広島では全国から寄せられた折りづるが放火され、慰霊碑にペンキをかけるといったいやがらせも起きた。広島の秋葉忠利市長が抱いた危機感にいたく共鳴したのは、「日本の重要な岐路」で「戦前へと大きく舵を切っている」と指摘したことで、当時、このように警鐘を鳴らすマスメディアを見かけなかったからである。

 今年も当時と同じ秋葉忠利市長の名で宣言された。来年の市長選に4選出馬がなければ、最後のアピールになる。さすが7年前とは大きく様変わりしている。

 核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。

 また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲(く)み、参列されています。核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。  

 と、広島への世界の関心がこれまでになく高まったことをうたいあげた。そして、「今こそ、日本国政府の出番です」と続け「核兵器廃絶に向けて先頭に立つ」ために、非核三原則の法制化や「核の傘」からの離脱などをうながした。

 菅総理大臣は記者会見で、非核三原則の維持継続は明言したものの、「核の傘」については、核抑止力云々の古ぼけた論理をあげて世界の潮流に背を向けた。日本人として「戦前への舵」は回避できたとしても、輝かしい未来への希望を閉ざされた失望は大きい。

 岡田外相はかつて、南北朝鮮と日本による北東アジア非核兵器地帯宣言の起案をした。外交能力の限界もあってそのままお蔵入りである。潘基文国連事務局長は、核廃絶に日本政府以上に強い核廃絶の意欲を披瀝し、小学生の頃、朝鮮戦争の悲惨さを体験したこともあって、出身国の平和構築には、並々ならぬものがあると察せられる。

 ここに、北東アジアを平和と繁栄の地域とするか、ことさら緊張をかきたて、軍事優先の不毛な時代を続けるか、日本が大きな舵を切らない限り、平和への主導権は他国にゆずることになりかねない。その点では、7年前と何ら変わるところがないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2010年8月 5日 (木)

静かにしているのは、菅?

 参院選を前に菅首相は、小沢前幹事長に「しばらくは、静かにしていただきたい」と所感を述べた。小沢氏も「ムッ」ときたかも知れないが、鳩山氏道づれの辞任は、選挙対策の一環なので反撃してみようがない。菅氏の新人事は、後任幹事長に枝野氏、官房長官は仙石氏と閣僚から横滑りさせ、落選した千葉法務大臣もあえて留任させた。

 この最小限度の人事の意味するところは何だろう。自ら副首相の位置にあった鳩山内閣からの継続性を示したかったということもある。しかし、枝野氏と仙石氏の起用は、反小沢シフトと見られても仕方がない。そこから9月の代表選は、民主党内の小沢・反小沢の存亡を賭けた権力闘争、という見方にジャーナリズムは傾きがちだ。

 しかし当塾はそう見ない。それでは、野党に格好な攻撃材料を与えることになる。国会や世論の動向次第では解散総選挙含みとなろう。そうなれば民主党議員は、多数を確保できても、現有勢力を失う危険を背負って戦わなくてはならない。

 そのような選択を与党議員が選ぶはずがない。さらに、選挙権をもつ地方党員・党友などは、菅氏に不満はあっても、続投を望むという世論を背に、党分裂のギャンブルに手を貸すとは思えない。国民の支持が期待できない満身創痍の第一小沢氏自身が、ここで捨て身の代表選候補となることなど、政治のプロの発想としては、ありえないのではないか。複数候補の選挙になるとしても、前回と同様な経過をたどりそうだ。

 菅氏が、選挙後党員総会など手でひたすら低姿勢に徹し、政策面でも予算委員会で新機軸を打ち出すことなく、原則、前内閣方針を引き継ぐ姿勢を続けるのは、代表選後に小沢氏と妥協をはかり、ここで一挙に挙党一致体制を築こうとしているのではないか。今「静かにしている」のは菅首相の方である。

 就任時の人事を最小限にとどめたておいたのも、その下地を作っておく意味があったと見られなくもない。代表選後に内閣大改造をするとなると、普天間移転で鳩山氏を支えられず混乱のもとを作り、沖縄県民の信頼を欠く岡田外務、北澤防衛の2大臣は当然交替の対象になるだろう。

 枝野幹事長は、選挙敗北の責任を取る意味で解任、不得意の党務から離れ、政策実務に手腕を生かせばいい。後任は小沢氏推薦でいい。民主党内で、小沢グループが唯一自民党的派閥に似たものになるだろう。森派で見らたように派閥の長は、必ずしも要職につく必要はない。政局をにらんで暗躍するにはむしろその方が好都合だ。

 菅氏は、あえて「小沢氏のみこしで担がれてやろう」という、戦略的現実主義者でいいのではないか。これまでの経緯から見て、彼にはそれだけのしたたかさがあるはず、と見たのだ。以上、当塾の我田引水型楽観論である。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年8月 4日 (水)

暑苦しい夏

 2人の泣き叫ぶ幼児を置き去りにした母が家に帰らず、自然死させた。100歳を越す親の死を隠し生存をよそう子が年金を詐取する。息をするのが苦しくなるような味気なく暑苦しい夏だ。もちろん、政治の先行きが見えないことも暑苦しくしている。

 TVも新聞も週刊誌も、「選んだばかりの首相の資質がどう、候補がないのに次の首相がどう」などと政治不安をあおって飯の種にしている。そんなとき、ふと戦中・戦後の流行歌を思い出した。映画「愛染かつら」の主題歌が圧倒的にヒットした。そのひとつ西条八十作詞の「悲しき子守歌」である。

(一)
可愛いおまえが あればこそ
つらい浮世も なんのその
世間の口も なんのその
母は楽しく 生きるのよ

(二)
可愛いお目目よ 丸い手よ
見れば撫でれば 悲しみも
忘れていつか 夢の国
母は涙で 笑うのよ

(三)
つらい運命(さだめ)の 親子でも
吾が子は吾が子 母は母
神様だけが 知っている
たまに逢う日の 子守唄

 聖戦逼迫の戦中より、ラジオ歌謡開放の戦後の方がはやった。夏は暑かったが、クーラーはなくカボチャやトウモロコシが出回つて空きっ腹を満たし、夕立がすがすがしかった。肉親殺しなどもつい聞くことがなかった。戦争のあった頃の方が今よりいい?……。

 いやいや、国の権威をかさに人を芋虫のように殺して誇る、そんな時代は2度と来て欲しくない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年8月 3日 (火)

アフガン苦戦のツケは日本へ

 NATO(北大西洋条約機構)の一員オランダ軍1700人の大部分が、今月から治安悪化が続くアフガン南部より撤退を開始した。国際治安支援部隊(ISAF)の撤退の流れはじわりと広がっており、約2800人を派遣しているカナダは2011年に撤退させる計画。米国に次いで2番目に多い約9500人を派遣している英国も15年までに撤退させたい考えだ。

 同地域最多の米軍は、ISAFの3分の2にあたる約7万8000人で、オバマ公約により来年7月から撤退を開始することになっているが、その見通しは立っていない。米兵死者は6月60人、7月63人と、すでに開戦以来1000人をこえ、増派以来治安はむしろ悪化している。

 オランダ軍も過去4年間で死者24名、負傷者140名をだしている。 オランダの前政権は、労働党がNATOによる派兵延長の要請を拒否したことで崩壊するというおまけまでついている。本命の敵、アルカイダやタリバン過激派は隣国パキスタン国境地帯に潜んでおり、アメリカは無人機爆撃で民間人の犠牲者をだしいる。このため、友好国パキスタンの国民のうち60%がアメリカを敵視しているという調査がある(ピュー・リサーチセンター)。

 このところ、米国の焦りは相当表面化している。軍内部の強硬派であるアフガン現地指令官の更迭や国内右派の突き上げ、それに当然出てくる米国民の厭戦気分、パレスチナ和平に向けたオバマ外交の限界など、アメリカを取り巻く国際環境は悪化し続け、威信の低下はぬぐい去れなくなっている。

 前々回「アメリカ人の性格」でも書いたが、ことに盟友イギリスの離反による精神的な孤立感は、想像するに余りある。そこで狙い打ちにされたのが、時ならぬ東アジアの緊張で、アフガンの迷路から太平洋艦隊の大演習に関心をそらす重要な役割をはたしている。金正日や潜水艦をひけらかす中国は、この面での功績者といわなければならない。

 2日の衆院予算委員会は、自民党・石破議員が菅首相に沖縄と抑止力の問題を取り上げ、防衛論争を深化させるように論戦を挑んだ。文民統制を堅持するため政治家による議論のレベルを高めるという、同氏の主張は大賛成である。しかし、菅首相の答弁も、アメリカの呪縛から一歩も抜け出そうという気構えがなく、石破ペースで終わった。

 ことに、沖縄普天間基地の移転問題は、10数年前からの懸案であるにもかかわらず、直近の作られた緊張で県外・国外を否定する論理は、小学生でもわかる詭弁であろう。石破論理に正面から反対の論陣を張れる政治家はいない。社・共にいてしかるべきだが無理だろう。たとえいても、政治を動かす力にならなければ無意味である。

 これからも、沖縄基地の実質拡張や、「思いやり予算」、米国製武器整備などを居丈高に要求してくるだろう。「日本を守ってもらっている」という迷妄から目覚めない限り、日本は唯々として従うしかない。またアメリカも防衛予算縮減の折り、それを利用しない手はない。オランダ労働党ような国益最優先の存在が日本にできるのはいつの日になるのか。

(以上、時事ドットコム、毎日新聞、 ポートフォリオ・ベルギーニュース等を参照)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »