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2010年7月20日 (火)

水撒き

 選挙が終わり梅雨が明けてギラギラの真夏がやってきた。
 今も昔も変わらぬ夏の風物に水撒きがある。(以下、氏家幹人『江戸藩邸物語』より)

 江戸水撒きマナー其の一

 寛延元年(1748)、会津藩邸前での出来事である。辻番足軽が通りに水をうたせていたところ、折り悪く、江戸城西の丸御用の茄子を運んで前を通った八百屋の籠に水がかかってしまった。大切な御用茄子に汚水をかけるとはもっての外、もはや上納できなくなったと憤る八百屋とついに口論となり、足軽は追放処分になったという。(『家世実記』)

 江戸水撒きマナー其の二

 守山藩邸では、貞享三年(1686)閏三月、以後水をうつ場合は、前後をよく見定めたうえは、はねを飛ばさぬよう申し渡された。理由はいうまでるない。「若(もし)人に掛候はば六ヶ敷なるべきも知れず候間」――これもまた紛争回避の作法の紛れもない一環に数えることができるだろう。

 江戸水撒きマナー其の三

 守山藩邸前ではこの種の間違いは生じなかったようである。『御日記』にはしかし、他家の出来事して一例が記録されている。貞享三年七月、他家といっても藩主頼元の女(むすめ)が嫁した相馬弾正の門前で、掃除の者が幕府御手先天野弥五右衛門与力佐原助之丞の倅に水をかけ、刃傷沙汰に発展したというのである。

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