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2010年7月16日 (金)

『平和の代償』という名著

  6月11日に行った菅首相の所信表明演説で、自らの政治理念のベースに松下圭一氏の『市民自治の思想』があることにあわせ、「私は若いころ、イデオロギーではなく、現実主義をベースに国際政治を論じ、『平和の代償』という名著を著された永井陽之助先生を中心に、勉強会を重ねました」と述べた。

 松下圭一氏に関しては、すでに今月はじめ「バル菅政治家脱却を」という記事で触れたが、『平和の代償』は読んでいなかった。これは「反戦塾」の教材としてどうしても必要である。地元図書館に検索をかけると「貸し出し中」とある。予約を入れておいてようやく8日に手にした。

 大急ぎで読み下すつもりが、大正生まれの永井教授の名著である。「限界生産性低減の法則」などという塾頭にとっては難解な言葉も出てきて、その都度信号待ち状態になる。借りた本の悲しさ、「読書百遍意自ずから通ず」とはいかず、とりあえずとばし読みの感想でご勘弁を願いたい。

 その前に、検索で菅首相と書名で検索し、同書の評価をさぐった。頭の方では、産経新聞などの引用で批判的否定的な意見をするものが多いように感じた。それは、「冷戦時代の古い図書考えで実用にならない」とか「永井教授は左翼の論客である」といったものが多い。

 読後感からすれば「ああ、やはり読んでいないな」と思ってしまう。1967年1月初版だから古いことには違いなく、ベトミン、ホーチミン、毛沢東、「張り子の虎」など、忘れかけた言葉も次々でてくる。ベトナム戦争が終わるのが8年以上も先で、もちろんソ連解体、湾岸戦争、テロとの戦いなど見通せない時期である。

 当時のことが思い起こせる人なら、それが後にどう繋がっていくのか興味をもって読み進め、また永井教授の推論が今日いささかも風化していないことを読みとれるだろう。もちろん今日を予言する目的で書いたものではないので、理解しづらい面はある。

 菅首相の言葉にもあるように、永井教授の真骨頂は、現実主義である。同書のあとがきにこうある。

 ふるくさい冷戦感覚と、反共思想のゆえに、アジア情勢と米国の政策を誤解し、米国の期待にこたえるべく、対決の姿勢を強化することで自らの権力の強化を図る保守勢力の右派と、他方でこれまた、北爆と地上軍の増強は、米ソの対立を激化させ、中ソの和解、北ベトナムの中国寄りを促進させる愚策と断定する程度の、対米認識と国際感覚しかない左翼陣営と知識人がいる。

 引用の後半は左翼陣営への苦言で、これは、当時のアメリカの立場と極東情勢を知らないと理解不能だが、前半部分の右派への批判は、現在のことではないか、と間違えるぐらいで、教授の先見性が生きている部分である。また、自らの現実主義を、逆説的に皮肉っぽくこう表現している。

 カール・シュミットが、マキアヴェリを評した言葉をモジっていえば――もし私が、いわゆる“現実主義者”であったなら、悪名高い防衛論議や戦略論など書かずに、米帝国主義を非難し、平和と正義の道徳感情に訴えるような理想主義的な一文を書いたであろう。

  これを菅首相にあてはめれば、「もし私が、いわゆる“現実主義者”であったなら、悪名高い消費税論などに触れずに、北朝鮮天安艦攻撃を非難し、景気対策や環境問題など理想主義的な演説をしたであろう」ということになるが、それはうがち過ぎというものであろう。

 最後に、教授の日本の防衛問題についての結論を結論を掲げておくが、これは当塾の考えにほぼ合致しており、40年以上前にすでに標榜されていたことが、今日の情勢のもとさらに妥当性を得ていることに感嘆せざるを得ない。

(一)自主外交の基礎は、自主=核武装という方向ではなく、むしろ、米国に対して、政治的に信頼感と安心感を与える方向にある。日本の政治が、民主的な安定性をもち、左右両極の暴力主義に走らない明確な保障と安心感を与えることが、長期的に見て、日本が米国依存から脱却して、政治・外交の面でイニシャチブを確保する近道である。

 日本の防衛努力は、米国に安心感と信頼感を与え、しだいに安保体制から脱却してゆく前提条件であるし、自衛隊の存在理由の第一は、じつに、そこにあるといってよい。そのためには、狭義の防衛費は、他の先進国の例と比較しても、最大限、国民所得の二%程度(四十年度は一・三三%程度)までは、常識的にやむをえないといわざるをえない。これは、一種の国際的な安全保障体制へいくまでの過渡的な責任負担の表現のようなものである。

(二)日本は中国の核脅威の増大に対しては、米国の核のカサに入る以外に道はない。これはたとえ自主“核武装”をしても、程度の差であるにすぎないし、米国は日本の核武装を最もおそれている。ただし、日本本土、沖縄の固定した核基地化には絶対に反対すべきである。海上のポラリス潜水艦を主軸とした核抑止力に依存することは、日本の選択の問題ではない。

(三)前述の外交努力で、米ソ中間の緊張緩和につとめ、その緩和のテンポに応じて、日米安保体制を次第に有事駐留の方向へ変えていくことである。それは、同時に、日本独自の通常兵力の質的な拡充と補充を必要とする。それは先に述べたように、(イ)短期的、集中的な電撃作戦を抑止しうるだけの通常陸上兵力、および空軍、海上自衛隊の整備を必要としよう。少なくとも、日本は、世界の世論に訴える外交行動をとるだけの時間をかせぐ必要があるからである。(以下略)

 もう一度確認しておこう、日米安保体制の有事駐留体制は、沖縄返還前に既に構想されているのである。そして現在民主党の中で、党内右派を構成するグループのうち旧民社党は、当時、有事駐留の先鋒に立っていたのである。

 この図書に歴史的価値しかないとしても、その理念と方法論を理解しているかぎりそれは「史観」として生きてくるだろうし、アメリカの情報機関・研究機関は、すでに同書を政権内部にレポートしていると見なければならない。

 私は、鳩山施政の失敗は、アメリカの意向というより、現状変更を嫌う官僚、特に日本官僚が強く抵抗したためと見ている。菅首相の現実主義は、現実固定主義ではないはずだ。これからどこまで指導力を見せることができるかが、長期政権を保つ鍵になるだろう。

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