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2010年7月26日 (月)

裏社会抹殺の狂気

 波乱の大相撲名古屋場所が終わった。横綱白鵬は記録づくめの全勝優勝、菅首相も小泉元首相にあやかって「よくやった!感動した!」と表彰式でやりたいところだろうが、先方で断るだろう。NHKの中継辞退とか、呼び出しの法被広告廃止だとか、やることが卑屈に過ぎる。

 暴力団関係者の入場禁止や不動産を賃借した親方などへの集中攻撃、一体どういう法的根拠があって追求しまくるのか。政治家が指定暴力団とつきあうのはまずい。しかし、相撲は客商売である。本来はお得意さんを色分けすることすらはばかられる。

 この伝で行けば、政府の援助を受ける日本航空や公営の地下鉄・バスなども、暴力団の利用を断らなければならないのではないか。この集団ヒステリー状態に関連して、20日ほど前に「シリアスな世論のこわさ」という記事を書いた。

 NHKなど、中継に関して場所前に電話が殺到し、その70%以上が中継反対だということを世論として判断基準にあげた。ところが場所が始まってからは中継を求める電話がほとんどだという。あたりまえの話だ。中継を楽しみにしている高年層は、マスコミの誘導に乗って衝動的に電話をかけたりしない。

 内閣の支持率も、まだこなれていないニュースを取り込んで調査するものだからヒステリックに乱高下する。その結果を世論と称し、マスコミや一部政治家が責任逃れに使うことになる。昔使った「輿論」の輿(よ)は、中に車の字がある。

 「それ!車に乗り遅れるな」とばかり、大勢殺到するから、整備不良の欠陥車はすぐに故障する。そんな風潮で政治が定まらず、伝統芸能が瀕死の状態になるとすれば、これは何としてでも正さなければならない。塾頭の頭の中には、過去に書いた「ヒトラーの宣伝と戦争」がないとはいえない。

 さて、話を相撲にもどそう。朝青龍がいた頃、相撲の伝統とか横綱の品格などと盛んに言われたものだが、最近は相撲界の腐敗した体質だとか積年の悪弊と言い替えられた。以前の伝統云々についても、私見は、そんな修身のような立派な伝統など存在しないという意見だった。

 逆に、地方巡業をやめるなど相撲の持つ大衆性を奪い、大勢の警官監視のもとで場所が開かれるというのはまさに相撲の自殺行為でしかない。伝統芸能を残し、相撲を再建させるためには、まず文部省やNHKの過剰な干渉をやめることである。
 
 暴力団の不法行為は決して許されるようなことがあってはならない。マスコミは、これを「反社会的勢力」と呼ぶ。反社会的勢力とは何だろう。政府やマスコミの意に添わない団体が「反社会的勢力」の烙印をおされると、強制排除されるのではないかという不安がよぎる言葉だ。

 「一本刀土俵入り」という有名な芝居がある。「一本刀」は、二本差しになれない、つまりやくざの世界をいう。相撲と「やくざ」はかつて切っても切れない関係にあった。こんなことは、高齢者のほかNHKや相撲関係者なら誰でも知っているはずだが、それには頬かぶりしている。

 そんな昔でも、堂々と世渡りはできなかった。葛飾柴又の寅次郎も「渡世人」つまり、やくざである。これらを反社会的勢力などとは呼ばない。そのかわり「裏社会」という言葉があった。表があれば必ず裏がある。公認されていた売春婦なども裏社会とか「日陰者」といわれてきた。社会には裏も表もあり、裏社会でなければ生きていけなかった人を、社会はそれとなく包み込んできたのだ。

 相撲界もそうだ。それがいけない体質というなら、「今日からこうなります」といってやくざの存在を法律で禁止しなければならない。不法行為は誰であろうと当然摘発しなければならないし、一切の手加減は不要である。そのあたりをゴッチャにしているマスコミの責任はきわめて大きい。

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