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2010年7月 6日 (火)

スタジオ入り

 このところテレビと世論の相関をよく記事にする。それと直接の関係はないが、かつて仕事でよく放送関連のスタジオに出入りしたことを思い出した。30年以上も前なので今とは多少雰囲気が違うかもしれない。出演者としてではなく、多くは立会人としてであつた。

 防音のための、分厚く重い扉をあけてスタジオに入ると、午後であろうと夜分であろうと「おはようございます」の挨拶で始まる。番組進行の打ち合わせや確認があって、カメラ、録音、ナレーター、ミキサー、小道具そういったスタッフが所定の位置につく。

 窓ひとつない完全密室の中で、スタンバイ→秒読み→オン・エアーの合図が出る。たとえようのない緊張感が走る一瞬だ。スタッフの神経は、完璧な番組進行の一点に集中し、余念をめぐらす隙は一切ない。こうして、無事放送が終了すると、張りつめた空気が一挙に解け「おつかれさま!」の挨拶が飛び交う。この業界専用挨拶が今では一般化したが、「ご苦労様」とは違う、お互いチームプレーだからこそ味わえる語感になっているのである。

 生でなく、録音、録画どりでも手順は同じだ。NHKでは、放送時間に匹敵するリハーサルがあったり、ゲストにはハイヤーの送り迎えがあったり、協力者に名入りのライターとかボールペンが配られたりする。ていねいだが「日本薄謝協会」と称されたように、その分だけギャラは少ないようだ。

 視聴者参加番組でもそうだ。拍手は、あらかじめ決めてあるタイミングで、番組担当者の合図によってするように伝えられている。そして1、2度リハーサルをしてみたりする。このように、スタジオ入りすればすべて番組制作者の意図に沿って進行するのが放送だ。

 印刷物の編集権と同じで、それに異を唱えるべき性格のモノではない。ただ、民放のコマーシャルが以前に比べて回数、時間ともに長くなり、番組を不自然に中断して、その一部であるかのように視聴者をもてあそぶCMが横行するようになったのは、禁止すべきだ。

 スタジオに入り比べ、在宅か街頭取材ならばその場の支配権はこちらにあるわけで、そんな緊張感はない。しかし、局側の目的に迎合しないと、没にされる可能性がきわめて高いことはいうまでもない。放送されなかったと言っても抗議のしようがないのだ。

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