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2010年7月

2010年7月31日 (土)

クラスター爆弾禁止条約発効

 以下の記事は、カテゴリ「データ・年表」にある「クラスター年表」に追加します。

☆10年8月1日 クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)発効。市民主導の軍縮条約が発効するのは、対人地雷禁止条約(オタワ条約)に続き2度目で11年ぶり。

◆7月30日現在、107カ国が署名、37カ国が批准。発効後は同爆弾の使用、開発、生産、取得、貯蔵、移譲(輸出)が禁止されるほか、これらの活動への援助、奨励も禁止される(日本では三井住友・三菱UFJ銀行が関係企業への融資を停止する)。

◆貯蔵するクラスター弾の総数、廃棄の状況などは毎年、国連事務総長に報告する義務を負う。NGOによると、同弾は米英仏露など15カ国が使用、米英仏露独中など34カ国が生産、85カ国が数十億発を保有している。アメリカは、条約に参加しない方針。

 日本は、自衛隊筋が、日米共同作戦に支障があるとか、憲法上海外では使えない同弾を「日本に上陸した敵軍を住民を避難させた上で使う」などという、滑稽な論理を立て条約参加を妨害し続けた。当初は準備会議への参加を、模様をさぐるためなどとしたかかわり方だったが、一転、方向転換をはかって署名参加を決めたのが、福田康夫元総理だ。その前に公明党の浜四津代表代行も条約参加を首相に陳情し、推進役になった。

 防衛省は、いまだに日本の保有総数を公表していない。理由は「防衛能力が明らかになる」(毎日新聞7/31)からだという。条約に加盟、発効したからには国連に報告義務が生じ、使用も禁止されたわけだから、全くナンセンスだ。

 鳩山変節や菅迷走を見ていると、新しい日米同盟の構築とか軍縮・外交など、官僚に遠慮がある民主党より、自民ハト派と公明党コンビの方がうまくいきそうだ。現実主義を標榜する菅首相は、よほどしっかりした外交・防衛方針を立てないと、「短命政権やむなし」ということになるかも知れない。

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2010年7月30日 (金)

アメリカ人の性格

 アメリカと同じアングロサクソンということで唇歯の間柄であったイギリスが、このところ「世界規模のパートナーではなく、大西洋をはさんだ……」と、距離を置き始めた。イラク戦争につきあわされ、厭戦気分蔓延の中で、アフガンからも期限をまたずに撤退したいという気分になっている。

 それでは、代わりに「太平洋の担当は日本に」ということだろうか、アメリカは、このところ急に対中国抑止論や、ソマリアを含むインド洋での無料給油再開を言いはじめた。「普天間移転は当初案変更は認めず」とか、「グァムの整備が整わず海兵隊移転はおくれる」、「日本は○○億ドルも防衛費を節約できている。思いやり予算を増額すべし」など、米国防省あたりの傍若無人きわまりない声が聞こえてくる。

 一体、アメリカ人の性格はどうなっているんだろうか。日本の官僚や政治家はアメリカに恐れを抱いているというが、日米同盟は、これから果たして対等の立場で見直すことができるものだろうか。アメリカ人の性格について50年前の分析資料を眺め、そこからの変化と今後を考えてみたい。

1.人種をもとにした民族の観点

 最初の移民の波 第1は、イングランド人つまりアングロサクソン。17、18世紀から独立に至るまで続く。彼らは祖国において求められなかった自由を新世界に求めた。この清教徒たちは、今日なおアメリカの精神的中心をなしている。

 第2の移民は、ドイツ、アイルランド系の北欧人。19世紀後半(1840~1880)で勤勉な農民たちで非貴族的。カトリック系の流入となる。駄々っ子の性質、だらしなさ、だぼら、人を煽動する傾向があり、アメリカの大衆迎合政治を特徴づける。19世紀末には、この1、2が合体してアメリカ独自の性格がつくられる。

 そこに、ユダヤ的の、いつも追われている気持ちや深刻な道徳不安がこれに加味される。リンカーン、マーク・トウェーン、エマソン、ホイットマン、エマソンなどアメリカ的偉人も輩出した。

 第3の波は、19世紀の終わりから第一次世界大戦に至るまで(1883~1914)にうち寄せたスラヴ、ラテン系のほかに、ポーランドその他の東欧の人々、それに中国人や日本人など黄色人種で、人種のルツボといわれるようになり、黒人とともに皮膚の色で象徴される生物学的差と文化的背景の違いで、同化されない人たちを内包するようになる。

 以上の分類は、1960年発行の宮城音弥『性格』所載のシーグフリード説であるが、さらにひとつ追加しなければならなくなった。それは、最近目立つようになったヒスパニックと称される人たちである。もともとスペイン語を話す人たちという意もあるが、スペイン人は入らない。メキシコをはじめ中南米諸国からの移住者で、人種というより、黒人やインディオまで含み、貧困階層をなしている。

 彼らは、人口増加率が高く、やがてはアメリカの人口の3分の1を占めるようになるといわれ、オバマ大統領出現もヒスパニック系の支持を得たことによるとされている。それらの人たちが、やがて第4の移民と位置づけられ、アメリカ人の性格に加わるかも知れない。

2.地理的観点

 ひき続き前掲書からの引用で見る。

 アメリカの自然は、とほうもなく大きいし、人口密度も少ない。ヨーロッパの国家主義と社会主義革命すなわち、領土の分割や征服を試みようとする動きおよび富の分配といった運動はアメリカにはみられない。また、あまりにも早く自然を支配してしまったために、自然にうち勝つ自信をもち、自然の法則にしたがうのを拒否する。

 伝統のない広大な大陸で、困ったことはまったくなかった。もし、仕事に失敗すれば、「西部」に向かえばよかった。アメリカ人は個人的成功は既存のワクのなかで可能だと信じていた。(中略)過去にとらわれず、つねに未来を眺めているアメリカ人は、多くの事柄をきわめて単純に考える傾きがある。

 アメリカ人が土地に執着せず、父祖伝来の地という観念のないこと、農民だった者が、労働者になり、さらに事務員や先生になるといった根無し草的性格をもつことは、すべて、以上のような自然的条件と長い歴史をもたないことからきていると考えることができる。

3.近代化と単一化

 アメリカ的性格は、その後機械主義、規格化、大量生産によって、大きな影響をうけた。今日のアメリカは機械化され、生活水準のすばらしく高い事務員国となってしまった。昔の自由主義、個人主義的な国ではなくて、何もかも同一化、規格化、単純化された。

 「合衆国民は共通した生活態度をもち、服をきるにも、歩くにも、話を聞くにも、電話をかけるにも、待つにも、同じやり方をする」こと、「どこへ行っても同じホテル、同じレストラン、同じ列車、同じ料理、同じ新聞雑誌、同じ思想……一言にしていえば、たんに同一の物質的構造のみならず、同一の社会的構造、同一の精神的構造をさえもっている。」ことが認められる。

4.階層による区別

 アメリカの指導階級――階級というより、閉ざされたカストだとシーグフリードはいう――は、創意と能率、人間に対する信頼、サービスの精神、自己優越の意識と低い者に対して道徳的責任を負う態度をもっているが、これは、アングロサクソンという人種的の性質である。

 大衆層には、新教徒の公共心が欠けているが、従順で受身的な規律感が具っている。彼らは万人のみとめた思想に、そのまま従うし、教育の力を信じているが、それはカンヅメを買うように買いうるレディメイドの学問である。

 以上見てくると、この50年間で冷戦終結、アメリカ一国主義、9.11事件の発生、黒人大統領の出現、多極化時代等の外部環境の変化とともに、既述したヒスパニックの顕在化などがあり、特に上記3.と4.には、多様化、格差の拡大というような変化を認めないわけにはいかない。

 しかし、アメリカ人の性格としては、そう大きく変わっていないと思うのだがどうだろう。オバマの「チェンジ」があっても、それほど大きくは動かなかった。性格は変わらなくても、発想を変える柔軟性は、島国の日本よりありそうだ。これからは、むしろ日本人の性格を変えてゆく必要の方があるのではないか。

【参考記事】

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-0943.html
「モンロー主義」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-f850.html
「国連とアメリカ」

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2010年7月28日 (水)

辻元議員離党に思う

 塾頭は、「支持政党なし」であるが、過去の投票行動では社会党を含め社民党が最も多かったし、某市議選で知人候補の選挙運動をしたこともある。ところが歯止めのかからない長期低落で、参院選では、とうとう5人が4人になってしまった。

 その原因については、いろいろと考える。同党の本部は、霞ヶ関から国会図書館を隔てた三宅坂という高級一等地にあり古風で堂々とした建物である。共産党は、代々木の古ぼけた映画館跡が本拠だったが、その後の建て替えや拡張ですっかり近代的になった。

 社民党を考えるとき、どうもその建物を思い出してしまう。社会党全盛期と変わらぬ風貌なのだ。大勢の書記さんが勤務していたが、社会党退潮により過剰人員となってしまった。労働者の党の手前、リストラもままならず、一時は議員も頭が上がらない強力な存在だったという。

 護憲・平和で孤高を保ってきたのはいいが、なぜここまで衰退したのか。福島党首からは、「頑張ります」しか聞こえてこない。普天間移転先について辺野古を書いた閣議決定に署名しなかったのは正しい。そして連立離脱も約束だからやむを得ない。それしか鳩山首相の変節をなじる手がなかったのだ。

 しかしそのあとがよくない。参院選までに政治的にどういう手をうってきたか、何もないのだ。社民党の伝統として組織決定優先はわかる。そのために、政治家としての手をしばられ、時期を失してしまうのでは、政治効果をねらっての党組織が逆の作用しかしなくなる。

 たまたま、7月12日に「社民党解党のすすめ」という記事を書いた。そこでは書かなかったが、他党議員との交際が目立ち、党要職から遠ざけられていた辻元さんや副党首・又市さんのことが頭に浮かんだ。けれど、辻元さんが先頭を切ってというところまでは考えていなかった。

 辻元さんは、HPで「現実との格闘から逃げずに国民のための仕事を一つずつ進めていきたいという思いが強くなりました」と離党の動機をあげている。マスコミでは、「副大臣という権力の味を知って――」などという非難の声も紹介しているが、辻元さんは自民党の加藤紘一さんなどとも親交があり、自社さとして与党議員も経験しているので、急にそうなったわけではない。

 さらに、「政策実現のためは、小さくとも党にいた方が無所属の個人よりいいのではないか」という意見があるが、これも違う。前述のエントリーでは、民主党になだれ込むようなことを書いたが、辻元さんなら、政界再編をにらみながら、当分フリーハンドでいた方が影響力を発揮できるし、またその方に期待をしてみたい。

 最後に、本塾で過去に辻元さんに触れた記事のひとつを再録しておこう。(「軍事オタク」09/12/1)

  「軍事オタク」といえば、自民党は石破茂、民主党・前原誠司とたちどころに名があがる。社民党では聞いたことがない。「護憲・自衛隊縮小だからいるわけがない」、「いたら除名にする」?。とんでもない、願ってもない宝物なのに。

 国民新党のように事業仕分け人は買って出る。米軍基地や思いやり予算にどんどんメスを入れる。自衛隊装備を聖域にする理由をただし、仕分けの対象にさせる。「専守防衛にこの装備は必要ですか」「どういう時に使うのですか」「なぜ最新式でなくてはいけないのですか」と突っ込む。

「ソーリ!、ソーリ!」の辻元清美などどうだろう。「軍事オタクになりたい」といえば、前原国交大臣の副大臣でもある、必ず協力してくれるはずだ。いや、おちょくっているわけではない。外務委員もやっているから、防衛に縁がないわけではない。本当にそう願っているのだ。

 それがないから、守屋元事務次官のような腐敗官僚がいつまでも跋扈する。また、「米軍基地がなくなると不安が残るので、ここの自衛隊予算は増額した方がいい」ぐらいのことだって言っていい。そうすれば安全保障に対する国民の知識・関心が高まり、社民党への信頼度・支持率のアップににもつながるだろう。

 亀井金融大臣を見てほしい。あれは「亀」でなく「スッポン」だ。念願のポストに食いついたからにはとことん離さない。宿願の郵政関係では、有無をいわせず社長の首を切り、政府株売却禁止の法案を出して突進する。

「普天間の県外移設でなければ、連立も見直します……」との差は歴然としている。 結果はわかっていそうなのに、政務の間をぬって平沼赳夫グループに接近し、ゆさぶりをかける。参院選後の政界再編をにらんでの陽動作戦だろう。政治的果実を手にするためには「毒くわば皿まで」の精神である。

 そこまで真似しろとまでは言わないが、スローガンだけでは、社民党の退潮に歯止めがかからない。民主党に埋もれた方がいいのか、共産党に埋もれた方がいいのか、無為無策のままでは、社民党の選ぶべき道が狭まる一方だ。

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2010年7月27日 (火)

米国追随報道を自己批判?

 米国批判を遠慮する大新聞の報道姿勢を取り上げ、自省するとともに改善すべきであるという、署名入りの記事が毎日新聞に出た。これまで当塾でもたびたび指摘し、批判してきたことだが、マスコミ自身が報道姿勢の偏りを認め、臆せず告白したことにまず驚いた。

 その記事は、7月25日付朝刊の「米国批判のすゝめ」という布施広専門編集委員の記事である。その中で、

「病的」か否かはともかく、米国への恐れは日本の政治家や官僚、メディア一般の意識にも刷り込まれている。

 と、こうもあっけらかんと言われると、返す言葉がなくなる。ジャーナリズムだとか、オピニオンリーダーだとか社会の木鐸だとか、これまで言い古されてきた言葉も野暮に聞こえる。背景としてあげられた「米国への恐れ」の意識、これこそ日頃分析を重ね、批判し、報道しなければならない最大のテーマではないか。

 それにふたをしたまま、軍事アナリスト・小川和久氏の発言「政治家や官僚の多くは、アメリカに守ってもらっている日本は文句など言えないと思いこんできたのです。こんな卑屈な態度は、いい加減に改めなければいけません」や、福沢諭吉が「利を争うは古人の禁句なれども、利を争うは即ち理を争うことなり」と説いたことを上げ、日本の「利益」を守る「論理」を展開せよ、という結論に持ち込む。

 相当な長文で、普天間基地移転問題など、政・官・メディアが一体となって鳩山構想を引きづりおろした構図はおぼろげながらわかる。しかし、日米同盟の存在に安住して問題点を不問に付してきたいきさつなど、他人ごとのような説明で弁解のようにも聞こえる。果たして、及び腰から抜けきれるのかどうか不安は抜けきれない。

 しかし、日頃憶測はするものの、厚いベールにつつまれて見ることのできなかった内実をあかすことは、横並び意識の強い組織の中で、相当勇気のいることだったと思う。その点でこの記事は大きく評価したい。記者のいうように、アメリカにものを言う、議論することこそ、国益に合致するのだ、という姿が一日も早く見られるようなってほしい。

 ことに、普天間移設問題は、11月の沖縄県知事選の結果によって、再び漂流をくりかえす恐れがある。今度こそ沖縄に負担を強要する国内問題にしてはならない。国際問題としてうまく処理できるよう、政・官・メディアの根本的な脱皮が必要だが、菅・岡田ラインにその覚悟がなければ、せっかくのメディアの自己批判も宙に浮く。これは、相当の長丁場になりそうだ。

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2010年7月26日 (月)

裏社会抹殺の狂気

 波乱の大相撲名古屋場所が終わった。横綱白鵬は記録づくめの全勝優勝、菅首相も小泉元首相にあやかって「よくやった!感動した!」と表彰式でやりたいところだろうが、先方で断るだろう。NHKの中継辞退とか、呼び出しの法被広告廃止だとか、やることが卑屈に過ぎる。

 暴力団関係者の入場禁止や不動産を賃借した親方などへの集中攻撃、一体どういう法的根拠があって追求しまくるのか。政治家が指定暴力団とつきあうのはまずい。しかし、相撲は客商売である。本来はお得意さんを色分けすることすらはばかられる。

 この伝で行けば、政府の援助を受ける日本航空や公営の地下鉄・バスなども、暴力団の利用を断らなければならないのではないか。この集団ヒステリー状態に関連して、20日ほど前に「シリアスな世論のこわさ」という記事を書いた。

 NHKなど、中継に関して場所前に電話が殺到し、その70%以上が中継反対だということを世論として判断基準にあげた。ところが場所が始まってからは中継を求める電話がほとんどだという。あたりまえの話だ。中継を楽しみにしている高年層は、マスコミの誘導に乗って衝動的に電話をかけたりしない。

 内閣の支持率も、まだこなれていないニュースを取り込んで調査するものだからヒステリックに乱高下する。その結果を世論と称し、マスコミや一部政治家が責任逃れに使うことになる。昔使った「輿論」の輿(よ)は、中に車の字がある。

 「それ!車に乗り遅れるな」とばかり、大勢殺到するから、整備不良の欠陥車はすぐに故障する。そんな風潮で政治が定まらず、伝統芸能が瀕死の状態になるとすれば、これは何としてでも正さなければならない。塾頭の頭の中には、過去に書いた「ヒトラーの宣伝と戦争」がないとはいえない。

 さて、話を相撲にもどそう。朝青龍がいた頃、相撲の伝統とか横綱の品格などと盛んに言われたものだが、最近は相撲界の腐敗した体質だとか積年の悪弊と言い替えられた。以前の伝統云々についても、私見は、そんな修身のような立派な伝統など存在しないという意見だった。

 逆に、地方巡業をやめるなど相撲の持つ大衆性を奪い、大勢の警官監視のもとで場所が開かれるというのはまさに相撲の自殺行為でしかない。伝統芸能を残し、相撲を再建させるためには、まず文部省やNHKの過剰な干渉をやめることである。
 
 暴力団の不法行為は決して許されるようなことがあってはならない。マスコミは、これを「反社会的勢力」と呼ぶ。反社会的勢力とは何だろう。政府やマスコミの意に添わない団体が「反社会的勢力」の烙印をおされると、強制排除されるのではないかという不安がよぎる言葉だ。

 「一本刀土俵入り」という有名な芝居がある。「一本刀」は、二本差しになれない、つまりやくざの世界をいう。相撲と「やくざ」はかつて切っても切れない関係にあった。こんなことは、高齢者のほかNHKや相撲関係者なら誰でも知っているはずだが、それには頬かぶりしている。

 そんな昔でも、堂々と世渡りはできなかった。葛飾柴又の寅次郎も「渡世人」つまり、やくざである。これらを反社会的勢力などとは呼ばない。そのかわり「裏社会」という言葉があった。表があれば必ず裏がある。公認されていた売春婦なども裏社会とか「日陰者」といわれてきた。社会には裏も表もあり、裏社会でなければ生きていけなかった人を、社会はそれとなく包み込んできたのだ。

 相撲界もそうだ。それがいけない体質というなら、「今日からこうなります」といってやくざの存在を法律で禁止しなければならない。不法行為は誰であろうと当然摘発しなければならないし、一切の手加減は不要である。そのあたりをゴッチャにしているマスコミの責任はきわめて大きい。

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2010年7月24日 (土)

戦中戦後の中学生

 2010_07240024 入学すると、まず軍隊的習慣を仕込まれる。教員室に入るとき、入口で用件・目的を大声で申告する。「よおし!」の許可がないと入れない。「声が小さい」とか用語が世間風だと、「もとィ」といってやり直しさせられる。必ず一発では通らなく、新入生には鬼門だった。「僕」と言ったら「自分といえ」と叱られた。

 2010_07240025 教練は、当初木銃(本物は銃の先に小剣を装着する)で人を突き刺す訓練をする。指導者は下士官クラスの在郷軍人教官だ。手榴弾の投擲や匍匐前進(腹這いのような姿勢で前進する)訓練もする。銃は、三八式歩兵銃や村田銃。それに1、2挺の機関銃があった。高学年用だ。ただし、手入れと担いで行進するところしか見たことがない。

2010_07240027  低学年の勤労動員は農家の手伝いが主。昼飯に振る舞われる純白(外米や麦など混じっていない)の大きなおにぎりが唯一の楽しみ。

 上級生に町で会うと敬礼する。絵のような「停止敬礼」でなくてもいいが、見逃して挨拶しなかったらあとで鉄拳制裁が待っている。「生意気だ」などとにらまれたら最後で集団暴行を受ける。巻脚絆(ゲートル)は教練の時使うので低学年は毎日着用していた。足駄履きはこの地方独特の風俗。

2010_07240026  進駐軍、最初は鬼のように見えたが、日本の将校のように威張っていないのでやがてうち解けた。中には、乞われて遊郭へ道案内し、チョコレートせしめた学友もいる。簡単な英単や英会話集が飛ぶように売れた。おそらく買わなかった奴はいないだろう。米兵は、甘いにおい(たばこラッキーストライクのにおいか)がし、尻がやたらに大きく見えた。(イラストは同級生・故石川雄二画伯の同期会資料より)

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2010年7月23日 (金)

朝鮮を考える②

 「無抵抗の婦女子を暴力で拉致して帰さない、人道上決して許すことのできない犯罪国家である」というのが北朝鮮に対する拉致被害者家族の声であり、大多数の日本国民の意識である。ところが、前回も書いたように朝鮮における反応は日本と微妙に違うのである。

 それは、連合国による日本占領の末期、1950年(昭和25)から1953年まで続いた「朝鮮戦争」について、ほとんどの日本人が、戦争特需で景気が好転し戦後復興の足がかりができたという、「人ごと」のような関心しか持っていなかったことに起因するのではないか。

 この3年間、38度線を越えて釜山近くまで攻め込んだ北朝鮮、(この時は、北九州に警戒警報が発令され、いざ戦争!という気分になった)国連軍の参戦で逆に中朝国境近くまで押し返し、さらに中国義勇軍の参戦でソウルが奪い返されるなど、詳しくは Wikipedia などで見てほしいが、日本の沖縄戦のような悲惨な戦闘が長期間、何度も繰り返されたのである。

 日本は沖縄の犠牲のもとで、本土決戦はまぬかれた。しかし同じ日本の施政下にあった朝鮮は、冷戦構造の犠牲となり新たな「戦争」に巻き込まれたのである。死者は、軍・民間を合わせて400万人から500万人といわれる。米軍の犠牲者は6万3000人といわれるが、ベトナム戦争をはるかに上回り、今日のアフガンの1000人余と比べて格段の差があることに慄然とする。

 その戦争がまだ続いているのである。休戦協定は結ばれたものの、法的にはいつ熱戦が再開されてもいい状態にある。北朝鮮にとって、連合軍すなわちアメリカ、韓国、それに占領下にあった日本は、敵国なのである。日本人は「えっ、そんなおぼえはないよ」と言いたいだろうが、日本から米軍が出動し、物資を補給し、軍備の補修までしている基地になっている以上、攻撃目標になってもおかしくないのだ。

 当時の日本人は知らなかったが、海上保安庁の掃海艇が米軍の命令で北朝鮮の元山港まで出動し、触雷して戦死者までいる。知らなかったと言えた義理ではない。われわれ、戦時を知っている者は「戦争というのは、何でもありなのだ」とよくいう。

 民間だから、人道に反するからなどといって手控えすれば負けてしまう。人道に反しても原爆も使い、じゅうたん爆撃もする。スパイを潜入させ、工作員を潜らせて暗殺や拉致、後方攪乱、場合によればクーデター工作までする。特に近代兵器に遅れを取っていた北朝鮮にとっては欠かせない戦術だ。

 熱い戦争が終わっても、こういった水面下の戦争は続いた。もちろん韓国もこの手は使っている。それが戦争遂行上欠かせない手段である以上、交戦国は相手を非難できない。朝鮮戦争下、双方が何度も国土を上下するたびに住民が協力を強いられ、徴用されて、いまだに多くの離散家族がの交流がはばまれたままだ。

 だけど、学校帰りの中学生を拉致することが戦争目的遂行上欠かせないことか、というとそれは違う。これは原状回復して謝ってもらうしかない。ただ、それを実現するためには、例えば上述のような、朝鮮戦争や日本の位置、立場をわきまえたうえで、相手側の取り得る方法を交渉で探ること以外にないということだ。

 そうではなく、朝鮮半島のもつ痛みや傷口に手を突っ込んで引っかき回すようでは、その糸口さえつかめないということになる。また、北朝鮮が、朝鮮戦争の侵略者であったことはすでに定説になっているが、当時の国際共産主義は、国境を越えても飢えた農民や搾取される労働者の決起を支援するという発想、特に南の傀儡腐敗政権のもとで苦しむ同朋を見捨てるわけにはいかない、という大義名分があったことも、時代の変化とし知っておく必要があろう。

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2010年7月22日 (木)

朝鮮を考える①

 大韓航空機爆破犯として韓国で死刑判決を受けていた金賢姫が来日して、国賓並の待遇もさることながら、TVワイドショウのフィーバーぶりもまた異状である。番組の中でアナウンサーが、中継でつながった韓国駐在の記者に、「韓国、そちらの反響はどうでしょうか」と質問したのに対し、本局の期待に反して「小さな記事で紹介されているだけです」と、申し訳なさそうに答えていたのが印象的だった。

 身近な隣の国なのに「朝鮮」(以下朝鮮半島と朝鮮民族の総称とする)のことをさっぱりわかっていないのが日本人である。韓流ドラマがすっかり定着し、ライバルのスポーツ選手もなじみの存在となり、わがパソコンの増設メモリーもサムソン電機製であるが、地方参政権とか、高校の無償化などになると朝鮮を念頭に置いて偏狭なナショナリズム?が頭をもちあげ政治問題化する。

 韓国にも日本以上の拉致被害者がいるのに、なぜ騒がないのだろうか、天安艦沈没事件の当局発表を鵜呑みにしない勢力があり、当局も強硬手段にいまひとつ引けたところがあるのは何故だろうか、日本に敵愾心をもやし、歴史認識で一歩も引かずこだわるのは何故だろうかなどなど、オピニオンリーダーでさえ双方の認識に大きな隔たりがあり、協調への道を妨げているのではないかと気になる。

 そういった中、拉致被害者家族の田口さんや横田さんと金さんが数時間という長時間にわたり話し合い、心を通じ合ったことは、今後の相互理解に大きく役立つのではないかと思う。田口さんの長男は朝鮮語にトライし、料理を共に作るなど実の親子のように付き合うことに成功した。

 金賢姫さんは、北の立場を理解し、話の糸口さえつけば必ず帰ってこれるようになる、という考えのようである。また田口さんは、韓国で大韓航空爆破犠牲者の冷たい目を意識し、北の刺客を恐れ、時の対北政策の激変におののき、軟禁に近い暮らしを強いられている金さんの境遇を知る。そして、分断民族がおかれている悲劇・悲願に思いをいたすことになるだろう。

 横田さんは、父・滋さんが韓国を訪問したこともあり、韓国の複雑な立場にも配慮され、北制裁一本槍では解決に資することがないというお考えのように拝察される。今では家族会会長を辞されが、かつて孫ウンギョンさんに会いに行きたいといった希望を、「問題解決の口実に使われる」との理由で断念されたようにも記憶する。

 一方、家族会から抜けられた蓮池さんのお兄さんは、当初は強硬派副会長として活動されていたと思うが、拉致されていた弟さんが朝鮮語のベテランとして相互理解の活動をはじめられたこともあってか、制裁一辺倒の拉致問題対策に批判的になったようだ。

 そうした中で、「救う会」を中心としたこれまでの拉致問題活動は、転機にさしかかっているのではないか。それにしても、金正日の代が変わると、父親の方針は変えられない、父祖の行動に泥を塗ることはできないということで、解決はますます困難になると推測する。

 民主党政権に、拉致問題解決にコペルニクス的転回ができるかどうか、これも熱望はするが、現内閣では悲観的だといわざるを得ない。菅総理は、左右の次元の低い対立や、小沢グループとの確執などにこだわらず、果断な指導力を発揮する以外に生きる道がない。

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2010年7月21日 (水)

米韓合同演習は対日圧力?

 中国の「人民網日本語版」は、黄海や日本海で行われる日韓双方の合同軍事演習について、演習の時期や目的、米軍が空母「ジョージ・ワシントン」を黄海に派遣するかなどに関連し、中国、北朝鮮に向けた圧力であるとともに、普天間基地移転問題などに対する対日圧力にもなるとの見方を紹介した。

 中国新聞網が、国防大学戦略教育研究部主任の朱成虎少将に、その見方に対する分析を取材したもので、他のアジア地区、特に日本と韓国の国内世論に米国が圧力を感じ取り、それに対処するための同盟の存在感を強調するという多目的な意図も感じられるとしている。

 さらに、「一般国民は主に野次馬的に事件全体の推移を見ている。だが天安事件において明らかに日本は米国の側に立っている。与党民主党には口には出せない苦悩がある。本質的には、民主党が今回の米韓合同軍事演習を心から望んでいるとは思えない」と、民主党内の複雑な党内事情にまで踏み込んだ観察をしている。

 

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2010年7月20日 (火)

水撒き

 選挙が終わり梅雨が明けてギラギラの真夏がやってきた。
 今も昔も変わらぬ夏の風物に水撒きがある。(以下、氏家幹人『江戸藩邸物語』より)

 江戸水撒きマナー其の一

 寛延元年(1748)、会津藩邸前での出来事である。辻番足軽が通りに水をうたせていたところ、折り悪く、江戸城西の丸御用の茄子を運んで前を通った八百屋の籠に水がかかってしまった。大切な御用茄子に汚水をかけるとはもっての外、もはや上納できなくなったと憤る八百屋とついに口論となり、足軽は追放処分になったという。(『家世実記』)

 江戸水撒きマナー其の二

 守山藩邸では、貞享三年(1686)閏三月、以後水をうつ場合は、前後をよく見定めたうえは、はねを飛ばさぬよう申し渡された。理由はいうまでるない。「若(もし)人に掛候はば六ヶ敷なるべきも知れず候間」――これもまた紛争回避の作法の紛れもない一環に数えることができるだろう。

 江戸水撒きマナー其の三

 守山藩邸前ではこの種の間違いは生じなかったようである。『御日記』にはしかし、他家の出来事して一例が記録されている。貞享三年七月、他家といっても藩主頼元の女(むすめ)が嫁した相馬弾正の門前で、掃除の者が幕府御手先天野弥五右衛門与力佐原助之丞の倅に水をかけ、刃傷沙汰に発展したというのである。

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2010年7月19日 (月)

『孫子』の教訓

 「しんぶん赤旗」(10/7/6)が伝える。

“犠牲増避けがたい”
駐留米軍司令官 アフガン重大局面

 【ワシントン=西村央】アフガニスタン駐留米軍の司令官となったペトレアス氏は、4日、アフガニスタンの首都カブールで、「数年間に及ぶ戦争の結果、重大な局面を迎えている」と述べ、アフガン戦争が9年目に入っている今、その戦況は厳しいものになっていると強調しました。

 ペトレアス氏の表明は、米軍司令官と兼任することになる国際治安支援部隊(ISAF)司令官の就任式で述べたもの。同氏は「アフガニスタンで簡単に片付くことは何一つない」として、国際テロ組織アルカイダの脅威が依然残っていることを例示。テロ組織がアフガンで再び聖域を築くことを押さえ込まなければならないと述べました。

 アフガニスタンでの米軍とISAFに参加している多国籍軍の戦死者は、この6月に100人台となり、1カ月間の死者は2001年10月の米軍の攻撃開始以来、最も多くなっています。

 今日の毎日新聞(7/19)では、

 オバマ米政権の米軍増派に伴い、アフガン全土で戦闘が激化。同国の人権団体によると、6月に戦闘に巻き込まれて死んだ民間人は212人、今年上半期の民間人死者は計1074人となり、ともにタリバン政権が崩壊した01年以降、最悪を更新した。6月の外国人兵士の死者も、AP通信は過去最悪の103人と報じた。(解説)

 【ニューデリー栗田慎一】アフガニスタンで18日、北大西洋条約機構(NATO)軍を標的にした自爆攻撃や刑務所を狙った爆破事件が相次いだ。内務省によると、カブールでNATO軍の車列近くでバイクに乗った男が自爆し、通行中の市民2人が死亡、6人が負傷した。

 一方、西部ファラ州の刑務所内で爆発が発生。タリバンのメンバー86人が服役中で、うち11人が脱走、囚人と治安要員の計2人が死亡した。刑務所内にあらかじめ爆弾が持ち込まれていたという。

 そこで、オバマ大統領も愛読する中国古代の兵法『孫子』から教訓を。(岩波文庫より)

作戦篇第二

故兵貴勝、不貴久、故知兵之将、
生民之司命、国家安危之主也

 故に兵は勝つことを貴ぶ。久しきを貴ばず。故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり。

 以上のようなわけで、戦争は勝利を第一とするが、長びくのはよくない。以上のようなわけで、戦争の[利害]をわきまえた将軍は、人民の生死の運命を握るものであり、国家の安危を決する主宰者である。

 勝つことだけしか頭にない司令官に「言うも愚かなり」か。(塾頭)

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2010年7月17日 (土)

仮想敵国

 一度このテーマで書いてみたいと思っていた。現在日本政府は、露骨かつ公然と北朝鮮と中国が「脅威」であるあると名指しにしている。多くの国民もそれを疑っていないだろう。ところが塾頭の考えは違う。「仮想敵国=日本の脅威」ということになると、第一がアメリカ、次いでロシア、第三は南北一体化した朝鮮で、中国はその次ぎにくる。

 別に反米・媚中でも、気が狂ったわけでもない。国家の歴史的な関わり合い、国力、軍事力、外交戦略などを勘案するとそういうことになるので、安全保障を考える上で、古今東西ごく普通に採用されてきた発想である。1907年(明治40)の帝国国防方針では、ロシア、アメリカ、ドイツ、フランスの順序に仮想敵国を設定した。

 日露戦争が終わり、日本に好意的であったアメリカのルーズベルト大統領が間に立って、日露講和条約をまとめてくれた。日本もその時、戦争継続の余力が全くなかったのである。前述の国防方針は、わずかその翌々年のことである。時期を同じくして日米の角逐を危惧する論文『日本之禍機』が発表されており、福田康夫元首相座右の書ということから当塾でも紹介した。

 たまたま、前回のエントリーで取り上げた『平和の代償』の中で、永井陽之助教授がこのテーマに触れている。そこでもやはり、脅威の第一位を米国としているのだ。ただし、現在の「北朝鮮の脅威」のように、韓国に天安艦沈没事件が起きると、調査に携わってもいないのに、先に立って国連の制裁をうながしたり、沖縄に米海兵隊存続させる理由づけにすることなどとは、全く違う意味を持っていることに、ご留意いただきたい。(引用のうち《》部分は傍点)

 ごく簡単に、日本の安全保障と防衛の基本問題を要約すると、「意図」の点は別として、その潜在的な脅威と「能力」という点からみれば、明らかに、第一に米国、第二にソ連、第三に中国が、日本にとって「脅威」である。したがって、論理的には、その優先順位にしたがって、外交による友好関係を持続し、なんらかの相互の安全保障体制の確立によって、相手側を《無害化》する外交路線が、国防費を削減し、日本に、行動選択の大きな幅をゆるす道なのである。

 塾頭は、東アジア共同体に《無害化》を位置づけていた。したがっていきなりASEANやオーストラリアなどまで念頭に置く経済ブロックを作ろうという発想とは違う。例えば、東シナ海における資源開発権益の共同体に主権移譲をするようなことや、北東アジア非核地帯宣言などへの着手を探るということだ。民主党のマニフェストにこういった項目だけはあるが、全く手つかずと言っていい。その《無害化》を実現することが、即、米・露の《無害化》を意味することになるという観点に早く立って欲しいものだ。

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2010年7月16日 (金)

『平和の代償』という名著

  6月11日に行った菅首相の所信表明演説で、自らの政治理念のベースに松下圭一氏の『市民自治の思想』があることにあわせ、「私は若いころ、イデオロギーではなく、現実主義をベースに国際政治を論じ、『平和の代償』という名著を著された永井陽之助先生を中心に、勉強会を重ねました」と述べた。

 松下圭一氏に関しては、すでに今月はじめ「バル菅政治家脱却を」という記事で触れたが、『平和の代償』は読んでいなかった。これは「反戦塾」の教材としてどうしても必要である。地元図書館に検索をかけると「貸し出し中」とある。予約を入れておいてようやく8日に手にした。

 大急ぎで読み下すつもりが、大正生まれの永井教授の名著である。「限界生産性低減の法則」などという塾頭にとっては難解な言葉も出てきて、その都度信号待ち状態になる。借りた本の悲しさ、「読書百遍意自ずから通ず」とはいかず、とりあえずとばし読みの感想でご勘弁を願いたい。

 その前に、検索で菅首相と書名で検索し、同書の評価をさぐった。頭の方では、産経新聞などの引用で批判的否定的な意見をするものが多いように感じた。それは、「冷戦時代の古い図書考えで実用にならない」とか「永井教授は左翼の論客である」といったものが多い。

 読後感からすれば「ああ、やはり読んでいないな」と思ってしまう。1967年1月初版だから古いことには違いなく、ベトミン、ホーチミン、毛沢東、「張り子の虎」など、忘れかけた言葉も次々でてくる。ベトナム戦争が終わるのが8年以上も先で、もちろんソ連解体、湾岸戦争、テロとの戦いなど見通せない時期である。

 当時のことが思い起こせる人なら、それが後にどう繋がっていくのか興味をもって読み進め、また永井教授の推論が今日いささかも風化していないことを読みとれるだろう。もちろん今日を予言する目的で書いたものではないので、理解しづらい面はある。

 菅首相の言葉にもあるように、永井教授の真骨頂は、現実主義である。同書のあとがきにこうある。

 ふるくさい冷戦感覚と、反共思想のゆえに、アジア情勢と米国の政策を誤解し、米国の期待にこたえるべく、対決の姿勢を強化することで自らの権力の強化を図る保守勢力の右派と、他方でこれまた、北爆と地上軍の増強は、米ソの対立を激化させ、中ソの和解、北ベトナムの中国寄りを促進させる愚策と断定する程度の、対米認識と国際感覚しかない左翼陣営と知識人がいる。

 引用の後半は左翼陣営への苦言で、これは、当時のアメリカの立場と極東情勢を知らないと理解不能だが、前半部分の右派への批判は、現在のことではないか、と間違えるぐらいで、教授の先見性が生きている部分である。また、自らの現実主義を、逆説的に皮肉っぽくこう表現している。

 カール・シュミットが、マキアヴェリを評した言葉をモジっていえば――もし私が、いわゆる“現実主義者”であったなら、悪名高い防衛論議や戦略論など書かずに、米帝国主義を非難し、平和と正義の道徳感情に訴えるような理想主義的な一文を書いたであろう。

  これを菅首相にあてはめれば、「もし私が、いわゆる“現実主義者”であったなら、悪名高い消費税論などに触れずに、北朝鮮天安艦攻撃を非難し、景気対策や環境問題など理想主義的な演説をしたであろう」ということになるが、それはうがち過ぎというものであろう。

 最後に、教授の日本の防衛問題についての結論を結論を掲げておくが、これは当塾の考えにほぼ合致しており、40年以上前にすでに標榜されていたことが、今日の情勢のもとさらに妥当性を得ていることに感嘆せざるを得ない。

(一)自主外交の基礎は、自主=核武装という方向ではなく、むしろ、米国に対して、政治的に信頼感と安心感を与える方向にある。日本の政治が、民主的な安定性をもち、左右両極の暴力主義に走らない明確な保障と安心感を与えることが、長期的に見て、日本が米国依存から脱却して、政治・外交の面でイニシャチブを確保する近道である。

 日本の防衛努力は、米国に安心感と信頼感を与え、しだいに安保体制から脱却してゆく前提条件であるし、自衛隊の存在理由の第一は、じつに、そこにあるといってよい。そのためには、狭義の防衛費は、他の先進国の例と比較しても、最大限、国民所得の二%程度(四十年度は一・三三%程度)までは、常識的にやむをえないといわざるをえない。これは、一種の国際的な安全保障体制へいくまでの過渡的な責任負担の表現のようなものである。

(二)日本は中国の核脅威の増大に対しては、米国の核のカサに入る以外に道はない。これはたとえ自主“核武装”をしても、程度の差であるにすぎないし、米国は日本の核武装を最もおそれている。ただし、日本本土、沖縄の固定した核基地化には絶対に反対すべきである。海上のポラリス潜水艦を主軸とした核抑止力に依存することは、日本の選択の問題ではない。

(三)前述の外交努力で、米ソ中間の緊張緩和につとめ、その緩和のテンポに応じて、日米安保体制を次第に有事駐留の方向へ変えていくことである。それは、同時に、日本独自の通常兵力の質的な拡充と補充を必要とする。それは先に述べたように、(イ)短期的、集中的な電撃作戦を抑止しうるだけの通常陸上兵力、および空軍、海上自衛隊の整備を必要としよう。少なくとも、日本は、世界の世論に訴える外交行動をとるだけの時間をかせぐ必要があるからである。(以下略)

 もう一度確認しておこう、日米安保体制の有事駐留体制は、沖縄返還前に既に構想されているのである。そして現在民主党の中で、党内右派を構成するグループのうち旧民社党は、当時、有事駐留の先鋒に立っていたのである。

 この図書に歴史的価値しかないとしても、その理念と方法論を理解しているかぎりそれは「史観」として生きてくるだろうし、アメリカの情報機関・研究機関は、すでに同書を政権内部にレポートしていると見なければならない。

 私は、鳩山施政の失敗は、アメリカの意向というより、現状変更を嫌う官僚、特に日本官僚が強く抵抗したためと見ている。菅首相の現実主義は、現実固定主義ではないはずだ。これからどこまで指導力を見せることができるかが、長期政権を保つ鍵になるだろう。

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2010年7月15日 (木)

血迷ったか?田中秀征

 配信されたメールマガジンに、評論家・田中秀征氏によるダイヤモンド・オンライン記事があった。要旨は、

①参院選で「ねじれ国会」再現を予告してきた。
②自民党政権では行政の多くを官僚組織が担っていたが、民主党には、“政治主導”で政権を担当する見識も力量も備わってなかった、つまり政権担当能力が欠如しているのにその自覚がなかった。

 とした上、ねじれ国会を前にして、どうすればよいのかについて次の3条件あげる。

(1)参院選の結果は、実質的に菅直人政権への不信任を意味している。これは否定できない。したがって、ねじれを是正したり、混乱を回避するために、最も望ましいのは、直ちに衆議院の解散・総選挙を実施すること。もし、総選挙で民主党が勝てば、参議院で少数派であっても“直近”の民意に立脚して政権運営がより容易になる。

(2)それができなければ、内閣総辞職によってけじめをつけること。これでも世論は大方納得するだろう。ただ、改造人事ではとても政権運営のための求心力は生まれない。

(3)(1)、(2)を避けるなら、最小限、菅首相の消費税10%発言を全面的に撤回し、首相自ら国民に対して混乱を招いたことを陳謝すべきだろう。

 党の責任がいきなり菅首相の責任に転嫁される。そして野党でも建前論に過ぎない解散・総選挙が最善だとする。それは「総選挙で民主党が勝てば、参議院で少数派であっても“直近”の民意に立脚して政権運営がより容易になる」ということだけである。

 田中氏は、民主党が勝つことを前提にしているようだが、参院選で直近の民意を問うたばかりなのに巨費を使って1年足らず前に選んだばかりの衆議院議員をまた選び直すというのか。国民が望んでいるのは「政権がころころ変わるのはもうたくさんだ。落ち着いた政治をやってくれ」ということだ。

 (1)と(3)では、菅氏の続投もあり得るわけだが、田中氏の真意はそうでないだろう。まだ読んでないが『週刊現代』の広告では、「かつての同志、田中氏は『菅さんに総理の資質なし、辞任すべし』とズバリ」と対談記事の紹介をしている。

 総理の首をすげかえることになれば、国民の気持ちもさることながら、国際的に今度こそ外交上の信頼を一挙に失墜させ、国の安全にも経済にも回復しがたい打撃となり、国力低下は避けられない。「政権担当能力がない」というが、菅さんも田中さんもともに閣僚経験のある人である。また、さきがけ当時の同志がこぞって選出したばかりの総理である。

 その前に、田中氏が「菅氏にその資質なし」という警告をしたということは聞いたことがない。田中さんは民主党応援団だと思っていたが、およそ国政に携わった経験のあるプロの議論とは思えない。民主党系の人は、さきがけや松下政経塾出身者などを中心に、同志の出世をねたむ傾向があるという。そうでないとすれば、あまりにも雑だ。

 その点、同じダイヤモンド・オンラインに掲載された上杉隆氏の記事、「ねじれもまた民意」の方が見応えがある。同氏は、2007年の夏の参院選から一貫して「ねじれ国会」歓迎派であると自称し、ねじれ現象は決して特異な状況ではなく、参院のチェック機能が機能し、よりよい結果を生んだ歴史を例示している。

 そしてさらに、機能不全のジャーナリズムに代わり、政府・行政の不正をあぶり出す効果があるとし、大新聞の牙城となっていた記者クラブ解体に勢力を注いできた上杉氏ならではの主張も盛り込む。要は「ねじれ」が悪いのではなく、本来期待されている参院議の良識より、党利党略を優先する議員のありかたこそ、批判されるべき対象だということである。

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2010年7月13日 (火)

プロライフ&プロチョイス

 62年前の今日、1948年7月13日に人口妊娠中絶を容認する優生保護法が公布された。この年は片山哲(社会党)から芦田均(民主党)、吉田茂(民自党)と3人も首相が入れ替わった(今よりひどい)。アメリカの反共シフトが進み対日民主化占領政策転換が明確になってきた年である。つまり、戦後左翼の天下、最後の年といっていい。

 Wikipedia にこうある。 

 左派は圧倒的に中絶に賛成の立場であり、中絶の権利の習得のために闘った各国のフェミニストは歴史的にいつも右派保守政治家に反対された。例えば、現在、過激キリスト教と関連するフランスの右翼団体が反中絶デモ(Anti-IVG)を行っている一方、左派は中絶は女性の重要な権利であると唱え、保守系の反中絶活動に断固反対する。現在においても衝突が激しい。

 ただし、当然のことではあるが、左派が中絶の権利をフェミニズムや女性解放と結びつけるのは、国民国家時代の先進国の、とりわけキリスト教世界の言論の中であって、歴史的には、プロライフやプロチョイスなどではなく、単に育てる価値のない子供は殺すべきという理由で中絶をしていたし、今もしている。

 プロライフ(英: pro-life)は、生命を尊重する立場のことをいい、狭義では人工妊娠中絶の是非をめぐる議論における中絶反対派のことを示す。具体的には「胎児の生命」と「女性の選択権」を比較した場合、「胎児の生命」を優先する立場のこと。対語はプロチョイス(チョイス=選択)あるいはプロライト(ライト=権利)である。

 さて現在。左右対立の中で「夫婦別姓」論争に(主に右の方から)熱が入るが、千葉法務大臣の落選で法制化の目途はたたなくなったようだ。一方「中絶」については、優生保護法制定の頃から見て医療水準や社会環境も大きく変わっている。しかるに少子化対策や母体保護などの観点から見直そうという議論はあまり聞かない。

 この方はこのままでいいのだろうか?。えっ?、「アメリカの共和党と民主党のようになっても困る」。それもそうだ。

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2010年7月12日 (月)

社民党解党のすすめ

 改選議席数で第一党になれなかったこと、これはいかに弁解しようと民主党の惨敗である。選挙結果の分析はこれから続々と出てくるだろうが、マスコミの言いはやす「消費税」は果たして本当だろうか。地方で反発が大きく、特に1人区では自民の圧勝になったというが、増税の公約は自民の方が先行していたのに民主だけが批判されたというのはおかしい。また、絶対反対の社・共が議席を減らしたのも、その説明に逆行する。

 「政治とカネ」バッシングが小沢退陣を機にいつのまにか消えて、そのかわりに担ぎ出されたのが「消費税」だ。菅首相も不本意だろうが、原因は別の所にあり、その責任も総理が負わなければならない。それは、前回衆院選でみられたような「どきどき感」の喪失である。

 マニフェスト選挙というが、国民の99%はマニフェストなど読み比べてはいない。ただ子ども手当だとか、普天間基地だとか高速料金といった断片的な報道を知るだけである。その公約がどうなったのかよくわからないうちに、参院選のマニフェストが出た。

 一言でいって、勢いのない後退した公約に変わっており、普天間問題のように自民時代以上希望の持てないものになった。民主党は、この一年に満たない間に、前公約を変化させたことの説明・反省をおこたり、自民との違いどころか同質性の方を強く押し出した。

 それでは、勝てるはずがないと思っていたが、結果はそれ以上惨憺たるものだった。関心は、一挙に政界再編の方に向かっており、その最初の山場は9月の民主党代表選挙だろう。それまでは夏休みに入り、マスコミで取りざたされるようなことは起きなさそうだ。また、代表選では「小沢反撃・党内混乱」など、民主溶解を望むような論調があるが、菅続投は動かないだろう。

 惨憺といえば、参院5人の勢力を1人減らした社民党である。たった1人といえど率からすれば伝統ある政党の中で最悪である。長い間の支持政党であったが、選挙ごとに議員をへらす政治力のなさは、もはや我慢の限界にきた。この際、いさぎよく解党することをお勧めする。

 そして、民主党になだれ込んで、リベラル・社会民主主義勢力と手を組むことだ。沖縄基地の県外移設を望む仲間が100人以上いる。そこで政治を動かすことのできる政治家として力を発揮していただきたい。すくなくとも、本家自民で伝統重視右指向の国民新党や、消化不良の新自由主義・みんなの党に、機先を制するという効果だけはある。

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2010年7月10日 (土)

米国流言論の自由

 前回に続いて、毎日新聞の国際面(7/10)からの取材である。同じページの下段の扱いで、アメリカ人の発言をめぐる責任問題を取り上げた別々の2件のニュースである。くわしくは、電子版で見ていただくとして、最初に内容を紹介しておこう。

 その1のタイトルは、「『一部アフガン人への銃撃は楽しい』発言:米中東司令官に就任へ」で、いまひとつは「ヒズボラを賞賛女性編集者解雇:CNN」である。その1は、この塾でもすこしふれたことがあるが、アフガンのマクリスタル駐留米軍司令官が、飲酒の席でオバマ大統領の政策と側近をおとしめる発言をしたことがバレて更迭され、その後任のまたその後任である中東軍司令官にマティスという海兵隊の大将が就任したことに始まる。

 彼は5年前の討論会で、「アフガンではベールをかぶっていないからという理由で女性をたたくやつらがいる。そんな連中を銃撃するのはとても楽しい」と発言して、けん責処分を受けた前歴がある。人種や宗教が違えば狩猟気分で人を殺してもいいという、ベトナム戦争で一兵士が発した言葉が世界のごうごうたる非難を浴びたことをもう繰り返しているのだ。

 ゲーツ国防長官は「その後の5年を見れば学習したことが分かる」と弁護したが、幼児じゃあるまいし学習で消える問題ではない。アフガンを含め大部分の戦闘の場所がイスラム圏なのに、そんな人を配属してどうして市民の協力が得られようか。日本では絶対受け入れられない寛容さ、つまりゲーツの弁解が簡単に通ってしまう国なのかと思ってしまう。

 もう一つは、米CNNテレビで20年にわたる経験を持つ中東担当の女性記者が、4日に死亡したレバノンのイスラム教シーア派最高権威ファドラ師のことを、ツイッターに「大いに尊敬する(レバノンのシーア派武装組織)ヒズホラの一人だ」と書いて解雇された。

 言論人が言論で首になるとは、これまた異常なことだ。経営者やユダヤ人読者の強圧があったのであろうか。中国でダライラマを尊敬したからといって、国外追放になるようなことを、アメリカが人権問題として非難する権利は全くないといっていい。

 たまたま、小さい記事ながら同じ紙面に載ったせいで、アメリカ流の「自由」に対する疑念が一段と高まってしまった。言論の自由は、戦後GHQの肝いりで、ニューヨークの自由の女神像と共に学んだ。また、情報公開制度ひとつとっても、日本が学ぶべき情報先進国であると信じていた。

 本当のことはアメリカに住んでみないとわからない。しかし、アメリカの開けっぴろげな「正義」が、いつの間にか、始末に負えない「暴君」の社会に化してしまったのではないかという危惧の念が去らない。

 

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2010年7月 9日 (金)

ポツダムに原爆碑

 ボツダムといえば、日本が敗戦を受け入れた「ボツダム宣言」を思い出す。ドイツの首都ベルリンに隣接し、宮殿など多くの建造物が残る世界遺産に指定された古都で、観光に訪れた人も多いだろう。ここで米・トルーマン、英・チャーチル(途中からアトリーと交代)、ソ・スターリンの各首脳が会談し、日本に無条件降伏案をつきつけたのである。

 ポツダム市は、その中にあるトルーマンが長期滞在した「トルーマン邸」の前に、「トルーマンはここで原爆投下を決断した」という事実のもと、広島・長崎の原爆被爆者追悼碑を建立する計画を立てた。これに対して異議を唱えたのが在住米国人の事業家で、例により「原爆投下は戦争終結に重要な役割を果たした」という意見を強調する。(毎日新聞7/9)

 よその国の市民が考えたことに、米国内で通用する論理で異を唱えるなどどうかと思うが、これを企画したドイツ人は、原爆投下をナチスのアウシュビッツ蛮行と同列に置いて考えており、彼らからすれば、なんらそこに区別する理由はないのである。

 これを読んでおられる皆さんはどうお感じになるだろうか?。塾頭の考えはこれまでも記述したことがあるが、戦争を起こしてしまえば、平時のモラルは一切無視され、民間・軍部の区別なく大量殺戮が行われるおぞましい結果を招いてしまうというものである。これは、国家総力戦として第一次大戦ですでに人類が経験していることである。

 久間元防衛庁長官が「原爆投下はしょうがない」と発言したことについて、彼の真意はわからないがなんとなく共感する部分があった。これまで、日本人がアメリカへの非難や謝罪要求をしてこなかったのは、そういった感覚を抜きにして考えられない。

 いま冷静に考えてみて、東京大空襲などを含め民族大虐殺にも相通ずる脅しであり、現在のアフガン・パキスタンなどの民間人殺戮に至るまで、アメリカには、幾多の国際法を無視してきたことに謝罪や反省があってしかるべきで、アメリカだから許されるという独善は成り立たない。

 ひるがえってドイツのケースであるが、ドイツ人がナチスを生んだ過去の歴史に対して、ドイツ生き残りのため、深刻な反省と徹底的な責任追及がなされていることは知られている。これは、特に旧西ドイツが中心で、東ドイツは、ヒトラーに距離を置いた共産主義者などが東に流れたこともあってそれほど顕著ではない。

 日本では、戦争責任をいう左派でさえ、ドイツのようにナチスを生んだ民族としての歴史、文化にまで踏み込んで再発を根絶させよう深まりは見られない。それどころか、右翼の論客は「日本の大陸侵攻は、それぞれ国際法にのっとり邦人保護のため合法的に出兵したもので、反日分子を制圧したのは正当防衛である」とし、「侵略」とするのは自虐史観で、ナチスのような犯罪行為は日本はしていないという言論がまかり通っている。

 ドイツも、東ドイツを中心に崩壊以前を知らない若い世代の中で、貧富の格差や外国人の流入などから不満を募らせている「ネオ・ナチ」といわれる国粋主義、排外主義者が発生しているが、日本のような懐古趣味や歴史修正主義とはその性格を異にしている。

 日本の右翼のような言い方をすれば、民主的な選挙のもとでヒトラーを選出し、独裁的にはなったものの彼らにしてみれば、自衛のため合法的、組織的にジェノサイドを実行に移したということなる。すなわち、戦争遂行に支障ありと認めれば、どのような殺人もやってのけるこわさがあることを認識していない。

 ポツダム市民が考えるのは反米でも親日でもない。ドイツ国民が経験してきたこと、そしてヨーロッパの中核としてこれからのドイツを考えれば、自然に思いつく必然的・建設的なアイディアなのだ。アメリカ人の反論は視野の狭い技術論であり、とても古都・ボツダムの重みに耐えることはできないだろう。 
 

 

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2010年7月 8日 (木)

天皇・マッカーサー・憲法

 昭和21年(1946)10月16日、天皇・マッカーサー第3回会見

天皇 今回憲法が成立し、民主的新日本建設の基礎が確立せられたことは、喜びにたえない所であります。この憲法成立にさいし貴将軍において一方ならぬご指導を与えられたことに感謝いたします。

元帥 陛下のお陰にて憲法は出来上がったのであります(微笑しながら)。陛下なくんば憲法も無かったでありましょう。

天皇 戦争放棄の大理想を掲げた新憲法に日本はどこまでも忠実でありましょう。しかし、世界の国際情勢を注視しますと、この理想よりはいまだに遠いようであります。その国際情勢の下に、戦争放棄を決意実現する日本を、危険にさらせることのないような世界の到来を、一日も早く見られるよう念願せずにおられません。

元帥 ……戦争はもはや不可能であります。戦争をなくするには、戦争を放棄する以外には方法はありませぬ。それを日本が実行されました。五十年後において(私は予言いたします)日本が道徳的に勇敢かつ賢明であったひとが立証されましょう。百年後に、日本は世界の道徳的指導者となったことが悟られるでしょう。世界も米国もいまだに日本にたいして復讐的気分が濃厚でありますから、この憲法もうくべき賞賛をうけないのでありますが、すべては歴史が証明するでありましょう。

天皇 巡幸は私の強く希望するものであることは、ご承知のとおりでありますが、憲法成立まではとくにひかえていたのでありますが、当分差しひかえたほうがいいというものもあります。貴将軍はどうお考えになりますか。

元帥 機会あるごとにお出かけになったほうがよろしいと存じます。回数は多いほどよいと存じます。日本を完全に破壊せんとするロシアや、豪州は、ご巡幸に反対しておりますが、米国も英国も、陛下が民衆の中に入られるのを歓迎いたしております。司令部にかんするかぎり、陛下は何事をもなしうる自由をもっておられるのであります。何事であれ、私にご用命願います。

 ――この最後の、誇り高きマッカーサーがいったという言葉“Plese Command Me”が、まことに印象的に響く

 以上サンケイ新聞が発掘したものとして、『昭和天皇独白録』文芸春秋、に所載。

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2010年7月 7日 (水)

ロシア極東大演習と沖縄

 (抑止力を)「学べば学ぶにつけ」と言って公約を撤回、赤恥をさらした鳩山さんは総理大臣をやめた。しかし彼の功績として、国民に日米同盟や安全保障、沖縄の基地問題などについての関心を高め、議論を深めるきっかけを作った、などのことが盛んに言われている。

 果たしてそうだろうか、ロシアが択捉島や日本海をはじめ、極東地域で本格的な大演習を行ったことについて日本のマスコミはほとんどとりあげていない。いずれも、6日までにロシア国防省が発表した「ボストーク2010の一環として択捉島で実施。兵士約1500人のほか、計200の軍用、特殊車両などが投入された」ということと、岡田外相がおこなった抗議に対し、同国外交筋が「ロシアはどこであれ、ふさわしいと思う場所で軍事演習をする権利がある」と表明したという程度に止まる。

 読売は「日本の領土要求をけん制する狙い」などと、やや的はずれと思われる推定を乗せたが、その他各紙でも極東の安全という面から考察した記事を見ることができない。その点は、ロシアとの国境紛争で実戦を交え、核戦争すら覚悟したことのある中国の分析は参考になる。以下は「人民網日本語版」(チャイナーネット、2010/7/6)に掲載されたものある。

http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2010-07/06/content_20432398.htm

「アジア太平洋地域におけるロシアの働きを増強しなければならない。ロシアはこの地域でかなり安定した地位を得ているが、われわれがさらに積極的に行動することを地域も期待している」----。ロシアのメドベージェフ大統領は2日、ハバロフスクで開かれた極東社会経済発展会議で、ロシアのアジア太平洋「出撃」に「総動員」をかけた。

ロシア海軍3艦隊、日本海入り軍事演習に参加

事実、アジア太平洋での主導力の強化というロシアの構想は、経済面で形になっているだけでなく、軍事的な動きも鮮明にしている。現在実施中の軍事演習「ボストーク(東)2010」は、東アジアにおける地位を強調するための軍事力の誇示と見られている。ロシアのこの戦略的野心は、ロシア海軍の精鋭が演習に参加していることから一層明らかだ。演習の前に、3隻の旗艦全てに遠距離航海をさせたのが、将兵の戦争準備水準を高めるためのロシア海軍の極端な方法であることは明らかだ。しかもロシア海軍は、3隻の軍艦の遠距離航海中に、実戦に近い訓練を数えきれないほど行ってきた。

■海軍の精鋭が総出動

ロシアメディアによると、「ボストーク2010」にはシベリア軍管区と極東軍管区の全ての陸軍常備部隊、空軍長距離航空兵、前線航空兵部隊、および海軍の3大主力艦隊が参加。6月30日にはミサイル巡洋艦「ワリャーグ」、大型原子力ミサイル巡洋艦「ピョートル大帝」、ミサイ巡洋艦「モスクワ」が一斉に日本海に入り、演習を行った。

海兵隊の協力の下、3大軍艦は水雷演習、対潜水艦演習などの通常訓練に加え、火砲発射、強行上陸を含む実戦的な演習も行った。3大艦隊の旗艦が日本海に集結したこと自体、ロシア海軍にとって過去20年来で最大規模の海上演習を意味する。ロシアが今回、日本海で大々的に軍事力を誇示することで、「東アジアにおけるロシアの地位を軽視するな」とのメッセージを伝えようとしていることは明らかだ。演習中、ロシアは太平洋艦隊の大型揚陸艦、大型対潜水艦など主力艦を含む軍艦や保障船30隻余り、および太平洋艦隊海兵隊、航空兵の戦闘機やヘリコプター20機余りを動員した。

■背後の深い意味

ロシアのラブロフ外相は2日、「アジア太平洋地域の安全保障情勢は楽観を許さない。朝鮮核問題、領土紛争、テロは、いずれもロシアの安保上の利益にとって脅威だ」と表明した。今回の態度表明は、ロシアの戦略布陣においてアジア太平洋地域の比重が高まっていることをはっきりと示している。

 さあ、「抑止力」を講義した鳩山さんの諸先生方、どうします。ロシアは海兵隊を含めての上陸演習です。辺野古かV字型か、そんなちゃちい話ではありません。移転先はやっぱり北海道を含めた県外でしょう。いっそうのこと日米合意は撤回して、白紙にかえした方がいいのでは?。

 そうしておいて、普天間飛行場の離着陸を大幅にカットし、時間をかけてでも日本の安全のあり方をじっくり考えましょうよ。一方岡田外相は、中国・ロシア抗議専門担当大臣ではなく、クリントンさんの半分でいいから善隣話し合い外交に精出していただきたいものですね。 

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2010年7月 6日 (火)

スタジオ入り

 このところテレビと世論の相関をよく記事にする。それと直接の関係はないが、かつて仕事でよく放送関連のスタジオに出入りしたことを思い出した。30年以上も前なので今とは多少雰囲気が違うかもしれない。出演者としてではなく、多くは立会人としてであつた。

 防音のための、分厚く重い扉をあけてスタジオに入ると、午後であろうと夜分であろうと「おはようございます」の挨拶で始まる。番組進行の打ち合わせや確認があって、カメラ、録音、ナレーター、ミキサー、小道具そういったスタッフが所定の位置につく。

 窓ひとつない完全密室の中で、スタンバイ→秒読み→オン・エアーの合図が出る。たとえようのない緊張感が走る一瞬だ。スタッフの神経は、完璧な番組進行の一点に集中し、余念をめぐらす隙は一切ない。こうして、無事放送が終了すると、張りつめた空気が一挙に解け「おつかれさま!」の挨拶が飛び交う。この業界専用挨拶が今では一般化したが、「ご苦労様」とは違う、お互いチームプレーだからこそ味わえる語感になっているのである。

 生でなく、録音、録画どりでも手順は同じだ。NHKでは、放送時間に匹敵するリハーサルがあったり、ゲストにはハイヤーの送り迎えがあったり、協力者に名入りのライターとかボールペンが配られたりする。ていねいだが「日本薄謝協会」と称されたように、その分だけギャラは少ないようだ。

 視聴者参加番組でもそうだ。拍手は、あらかじめ決めてあるタイミングで、番組担当者の合図によってするように伝えられている。そして1、2度リハーサルをしてみたりする。このように、スタジオ入りすればすべて番組制作者の意図に沿って進行するのが放送だ。

 印刷物の編集権と同じで、それに異を唱えるべき性格のモノではない。ただ、民放のコマーシャルが以前に比べて回数、時間ともに長くなり、番組を不自然に中断して、その一部であるかのように視聴者をもてあそぶCMが横行するようになったのは、禁止すべきだ。

 スタジオに入り比べ、在宅か街頭取材ならばその場の支配権はこちらにあるわけで、そんな緊張感はない。しかし、局側の目的に迎合しないと、没にされる可能性がきわめて高いことはいうまでもない。放送されなかったと言っても抗議のしようがないのだ。

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2010年7月 5日 (月)

シリアスな世論のこわさ

 毎週、いやそれ以上の頻度で繰り返されるようになった世論調査。内閣支持率の乱高下、相撲界の賭博事件に対する極端な反応、いろいろあるが、これらはすべてマスコミの「何々は許すことのできない悪」という印象操作によるものと断定できる。

 何故ならば、それぞれの事件・事案の中味を十分検討したり議論する過程を経ず、またそういった時間的余裕のないまま調査が行われている。そしてその設問の多くはイエス・ノーの二元論だ。その結果が錦の御旗となって直ちに社会的、政治的な決着を着けようとする風潮に、これまで経験したことのない「こわさ」を感じる。

 たとえば、「政治とカネの問題は悪」、何が悪なのかほとんど説明がない。言えることは、秘書の不始末に政治家が責任を取らないことだけで、小沢氏の場合その秘書が無罪になる可能性もあるのに、極悪非道の張本人であるかのようにイメージづけられる。

 たしかに小沢氏はかつて自民党田中派に属し、政治利権をいかに資金集めに生かすがで辣腕を振るった先輩のもとにいた。そのDNAをひきずっているとしても、先輩が侵した犯罪が政治生命を奪った事実から厳しい教訓を得ているはずだ。「不正の金は一切受け取っていません」というのが、真実でないという証明は全くない。しかし、マスコミと世論調査は「政治とカネ=悪」で、鳩山・小沢コンビの政権を葬った。

 発足後V字回復した菅内閣がこのところ2桁台の急落ぶりだという各社調査の報告が盛んに続く。その原因を首相の「消費税発言だ」としているが、消費税アップの賛否は拮抗しており、自民党も主張しているのにそれが現れず、反対の社共が伸びたということもないのて断定しかねているようだ。

 もし消費税のせいだとすると、中味の検討なしに「消費税=悪」のイメージが視聴者に埋め込まれ、その線で答えておくのが正義であるかのような回答者の心理が働いたのであろう。組織も金もないみんなの党が、伝統のある公明・共産・社民のはるか上に位置するのも、利権にあぐらをかく官僚は悪、それにしぼって攻撃的な渡辺代表は善、というイメージが支えている。

 それが極端に現れているのが、相撲界の賭博と暴力団の問題である。相撲界の情報通としてよくTVに登場する元NHK記者が、人ごとのように協会を非難しているのを聞くのは憤慨に堪えない。すこし前まで、相撲、芸能界はもとより、政界、警察に至るまで暴力団とある部分でギブ・アンド・テイクの関係があったことは誰でも知っている。また、賭け麻雀、ゴルフのにぎり、花札など一切やったことがないなど、どれだけ自信を持って言えた人がいるだろう。

 今回の事件がよくないことに異論はないが、これで名古屋場所中止をほのめかしたり相撲界全体の存続を云々する、悪の巣窟のようなイメージがどうして急にできあがったのか、不思議でならない。マスコミは世論に反応したというだろう。しかし、マスコミ抜きで世論が即座に自然発生するわけはないのである。

 世論調査の設問は、ちょうどニタク問題の○×方式に似ている。正解はどちらでしょうか、なら悪とされる方を選ばない心理が働く。こうしてマスコミが作り出すシリアスな世論というのは、時により戦争の引き金にもなりかねない。活字文化の衰退がこれに輪をかける。となれば、ネットの一角で蟷螂の斧を振るうしか手がないということになるのか。

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2010年7月 4日 (日)

バル菅政治家脱却を

 バルカン政治家とは、東欧バルカン半島の政治家が小国同士のせめぎ合いの中から、現実重視の妥協を重ねる政治家の姿を言ったものだ。日本では、かつて三木武夫首相や竹村正義さきがけ代表を指して言われた事があった。リアリストといわれる菅首相に、早くもそのようなレッテル貼りを用意している向きがある。

 鳩山前首相を発足当時、過大な期待をしすぎてほぞを噛む結果になってしまったので、首相の品定めはしたくないのだが、菅氏は、前内閣の副総理として普天間問題で日米合意を認め、前財務相の懸案だった消費税問題を前面に押し出してきた。当面は前内閣承継の色合いを残すにしても、最終的な落としどころをどのあたりに求めようしているのか、さっぱり見えてこない。

 一方、これまでの彼の政治家としての軌跡から、市民運動を起点として社会市民連合から政界に進出、社民連に参加して欧州型社会民主主義を標榜する中道左派(石原慎太郎知事のいうような極左呼ばわりは無教養で見当違い)に位置づけられたとする意見も多い。

 もし彼が、9月の民主党代表選挙を乗り越え、なにがしかの内閣改造をしてより菅色の強い長期政権を担うとすればどのような方向を目指すのであろうか。参院選も終わらないうちに、まだ早いと言われればその通りだが、現状では彼の持ち味に程遠く“バル菅”と呼ばれても仕方のないような振る舞い方が多い。

 それでも民意はまだ菅民主党を見限ってはいない。国民が臨むのは、目先の打算から右顧左眄する腰の据わらない「菅」ではなく、安定感のある強力い本来の姿の「菅」である。彼は「国民が『よし!、それでやれ』と言えば全力をつくして……」などとも言っていた。

 方向付けを民意に押しつけているようで、無責任のようにも見えるが、力の源泉を市民の始発的意志に求めるという発想は、市民運動の原点でであり、首相就任時の思いつき発言ではないだろう。ただ、菅路線の展望が見えないことは、今後長期政権を託すという方向になかなか行きづらいのではないか。

 彼が政界を志した頃に出版された岩波文庫、松下圭一著『市民自治の憲法理論』が手元にある。当時、市民運動にタッチしたことのある人にとってはバイブル的存在で、彼もすくなからぬ薫陶を受けていた筈である。同書が冒頭に掲げるのは、現行憲法について「その理論構成の実態に於いては、官僚国粋派と対決したとはいえ、現在もなお、美濃部達吉に代表される戦前の官僚リベラル派が構成した官治的性格をもったドグマの『クモの巣』である、といって過言ではない」という、官僚支配の実態である。

 当塾もかつて「官僚叩きいいが」というシリーズ記事の中で、独法の影響を受けて成立した「天皇の官僚」以来、占領下でさえ崩壊することなく脈々と受け継がれてきた伝統的統治システムのことを言った。その「クモの巣城」は、同書刊行から35年がたち、昨年の政権交替を経てもなお落城の気配はない。クモの巣に絡め取られたのは、自らも告白しているように、普天間県外移設を撤回せざるを得なくなった前鳩山首相である。また、菅首相が消費税推進積極派になったのは、財務相官僚の差し金だという人もいる。

 前掲書は、憲法が主権在民をうたいあげているのに、地方自治法など行政法は、国民を公が支配する私人に転化してしまっており、主客逆転してしまっていることをいう。つまり、本来は民から発して議会、国が動かなければならないのに、「お達し」という形で、官から民を束縛する、昔からの上意下達が何の疑いもなくまかり通っていることである。

 これを、市民参加による地方自治から、ベクトルを上に向けることにより、憲法の国民主権を活性化させることができるとし、それが本来の姿であるべきだと主張する。菅首相は、辺野古周辺への普天間移設を8月末に工法を決定し、そのまま、特措法まで作って地元の同意のないまま着工するというようなことはしないと言った。

 当然であろう。中央で決めたことを、「お達し」ひとつで地方自治の精神を覆すわけにはいかない。また地方の望まないことに「ご理解をいたたく」という性格のものでもない。また同書では、憲法9条など「平和主義」も、「個人自由」を自衛する個人自治権がその原点にある限り、例外にはなり得ないとしている。

 そんな古いことはどうでもいい、という感じもあるであろう。しかし、これも菅議員の原点であることに違いはない。どうか、足が地につかない「宇宙人」の二の舞だけは、避けていただきたい。

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2010年7月 2日 (金)

戦時不穏歌謡

 以下「思想旬報」昭和19年第3号(4.30)警保局保安課、『近代市民生活誌』よりの引用です。

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一、不穏歌謡の流布状況(其の一)
 大東亜戦争勃発以後に於ける不穏歌謡の流布状況を概観するに、開戦第一年に於いては緒戦の大戦果並に一般国民の緊張等により一部の工場労務者間に徴用問題を主題とする不謹慎なる歌謡流布せられたる他著しく不穏内容なものは殆んど発見せられざりしが、其の後戦局の不振並に生活の窮屈化等に伴ひ昨春頃より軍事並に生活物資の窮迫化等を主題とする反軍的乃至厭戦的歌謡乃至は不敬内容のもの漸次流布せらるゝに至り、而も其の流布範囲に於ても当初は主として青壮年工場労務者方面に口吟まれつゝありたるが其の後漸次一般青壮年方面に伝播し、最近に至りては国民学校児童等の間に無意識的に之等不穏歌謡を口吟む者を生ずるに至り、時局下民心の動向の一面を現はすものとして治安上注意を要するところなり。
之等不穏歌謡中主として軍事関係のものを摘録すれば次の如し

    ○
一城焼けた 二城焼けた 三城焼けた 四城焼けた
五城焼けた 六城焼けた 七城焼けた 宮城焼けた

    ○
一、腰の軍刀にすがりつき 連れて行きませ
  ソロモンへ 連れて行くのは安けれと
  女乗せない輸送船 オヤホントニホントニ
  ソウナノヨ
二、大佐中佐はじゞくさい と云うて大尉にや妻がある
  可愛い少尉にや金がない 女泣かせの予備学生
  オヤホントニホントニ  ソウナノヨ
三、辛い辛いよ軍隊は  金の茶碗に金の箸
  仏様ではあるまいし 一膳飯とは情ない
  オヤホントニホントニ  ソウナノヨ

    ○
  厭でござんす兵隊は 十日十日の月給も
  僅か一円五十三銭  ○○代にもなりません

    ○
一、粋な角帽や制服を 見るも雄々しい軍服に
  見上る彼の娘が目に涙 知らずや海軍予備学生
二、君に忠義 親に孝 今ぢや御国の楯と散る
  勇む姿の荒鷲に  熱い情の一しづく
三、腰の軍刀にすがりつき 連れて行きやんせ
  ニユーギニヤ 連れて行くのは安けれど
  女は乗せない戦車隊
四、女は乗せない戦車隊 長い黒髪断ち切つて
  粋な兵隊さんに身を替し 主のお側に参りたい
五、貴方散る花若桜  妾しや吹く風春の風
  散つた貴方を胸に秘め 附いて行きたいどこまでも
六、粋な姿に一目惚れ 夜毎夜毎に頬に露
  一人待つ身のやるせなさつれない別れのホトヽギス
七、北の護りの固いのは 困苦欠乏の果て越へて
  アツツ桜の花と咲く 若い血潮が守るのだ
八、大佐中佐は爺くさい 少佐大尉にや妻がある
  可愛い少尉にや金がない 女泣かせの予備学生

    ○
一、多くの人に送られて 人の嫌がる軍隊に
  行くこの身の哀れさよ 可愛い好ちやんと泣き別れ
二、行く先は高田の六七で 其の名も高き機関銃
  嫌な古兵になぐられて 泣く泣く送る日の長さ

    ○
  主が召されて門出の後は 独り淋しい蚊帳の中
  我が子思ひのかげ膳すへた雑煮の冷へた淋しさよ

    ○
  僕は軍人大嫌ひ 今に小さくなつたなら
  お母さんに抱かつて乳呑んで 
  一銭もらつて飴買へる

    ○
一、昨日生れた豚の子が 蜂にさゝれて名誉の戦死
  豚の遺骨は何時帰る 明日帰る帰る
  豚の母さん淋しかろ
二、豚の遺骨が今帰る 豚の母さん丸髷結つて
  豚の遺骨を背負つて行く 並んで行く行く
  豚の母さん元気よく
三、豚の村葬始まつた 豚の母さん涙がポロポロ
  豚の遺骨が三つ並んだ 並んだ
  豚の母さん悲しかろ  

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2010年7月 1日 (木)

スパイ捕まる

 サッカー・ワールドカップ敗退の南ア発ニュースに隠れているが、アメリカでは、ロシアのスパイ10人がつかまったニュースが大きい。そのうちの女性の一人が、会員制交流サイトに自身の写真を掲載していた。上半身を半身にかまえ、流し目の媚態を示した美人で、アクセスが殺到しているそうだ。

 当局によると、スパイ戦術は、見えないインク、暗号などを駆使、情報は駅などですれ違いざまにバッグを交換するなど「ハリウッド映画ばり」の古典的なもので、米国にとって被害といえるほどの中味はない模様である。いうなれば、趣味の良くないスパイごっこだ。

 ロシアでは、メドベージェフ大統領がホワイトハウスでオバマ米大統領と会談の直後にこの件が発表されたことから、「米・ロ接近を喜ばない筋による意図的な妨害行為」という、これまた謀略戦をにおわす発言が続いている。

 やや旧聞だが、イスラエルの諜報機関が外国で、ガザのハマス幹部を暗殺したことについて、各国からごうごうたる非難を浴びせられたという事件があった。北朝鮮の工作員もそうだが、冷戦時代はやったスパイ活動はすでに時代遅れで、アメリカもイラクで開戦のきっかけを作ったニセ情報をつかまされるなど、得られる情報の質の低さは、信じられないほどだ。

 いただいたコメントの中に、なだいなださんの知人の英国人の話、というのを紹介したものがあった。それによると、韓国天安艦沈没について、「アメリカは事前に情報をつかめたはずだが、つかんでいないとすれば、情報機能が著しく低下しているか、あるいは知っていて同盟国・韓国に通報しなかった可能性もある。日本もアメリカ情報にだけ頼りにし、それを信じ込むのは大いに危険である」というものである。

 これは、沈没を北の仕業と決めた上での発言だが、もしそうでないとすれば、アメリカ、韓国ともに信じられないような失態があったことになり、韓国は後射撃事件で司令官以下を大量処分したが、いずれにしてもガバメントの機能低下に致命傷を与えるものになるだろう。

 処分といえば、最近アフガンの駐留米軍司令官が、飲んだ席での大統領周辺に対する批判がもとで更迭された。また2月頃だったが、日本でも中沢連隊長という人が、鳩山首相がオバマ大統領に言った「トラスト・ミー」と言う発言を批判するような訓辞をして同じ結果を招いた。

 いずれも、文民統制上厳格に処分するのは当然のことながら、ガバメントの低下と無関係とは言いがたい。だけど、普天間に関して、各大臣の言うことがバラバラ、首相もその都度発言を変化させ、ついに政権を投げだしてしまったことに比べれば些細なことになってしまう。

 日本のようにこうあけすけでは、スパイも活動して見ようがない。アメリカもあきれ果てて手をつけかねている。ガラス張りもいいが、国益をいたく損じたことだけは確かのようである。果たしてこれを誰がどう修復して政治を前向きなものに変えるか。まだ国民にはその姿が見えてこない。

 

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