« 日本の軍事力? | トップページ | 米高官の露骨な干渉 »

2010年6月 8日 (火)

「武」のつく天皇

 初代天皇・神武以来「神」のつく天皇に、崇神・(神功皇后)・応神があります。それに続く何代かをそれぞれ崇神王朝、応神王朝などと名付け、自民から民主ではないが、なにがしかの政権交替のようなことがあったと考える人がいます。

 それはともかく、一つの時代の区切りになっていることは確かのようです。続けて時代の区切り目の天皇として、後継者がなく応神5代目の孫として担ぎ出された継体天皇、次に天武天皇、以上をこのブログの「歴史」カテゴリで取り上げてきました。天武まできたのは、強大豪族との連立によらない、天皇神格視、皇国史観を打ち上げた最初の天皇だったからです。

 そのあとは律令国家としての体裁が整い、奈良時代・平安時代と移っていきますが、豪族にかわって藤原氏など天皇家との姻戚関係を深めた貴族が政治を動かすようになります。平安末期、鎌倉時代になると源平など武力による勝者が政治権力を握り、天皇は単なる儀礼的存在になりました。

 古代に比べて、天皇の事績といえるものが極端に減っていきます。天皇親政の建武の中興を目指した後醍醐天皇は失敗に終わり、明治維新も天皇の事績とするわけにいかないでしょう。強いて言えば昭和天皇の「終戦の決断」は日本の時代の区切りとして光っているかもしれません。

 このテーマも天武でやめようとと思ったのですが、最初を神武の「神」のつく天皇で始めたので、神武の「武」がつく天皇を挙げておくことにしましょう。天武のあとに文武天皇、聖武天皇、そして桓武天皇と3人います。なぜか奈良の都を企画した文武と奈良を捨てた桓武、そして、その中間で大仏を作るなど仏教立国を目指した聖武など、比較的自発的意志に基ずく事績の多い天皇です。ちなみに、桓武天皇の母親は先祖が百済からの帰化人だったことが知られています。

 桓武による遷都で平安時代に入ったあと「神」や「武」のつく天皇はなくなり、文学的・平和的なみやびな命名が主流になります。森喜朗元首相が言った「日本は天皇中心の神の国」は、一体いつ頃のことなのか聞いてみたい気がします。最初から最後まで「象徴天皇」であったとしても、天皇制は世界に誇るべき文化遺産ではあることに変わりはないでしょう。

|

« 日本の軍事力? | トップページ | 米高官の露骨な干渉 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/35140000

この記事へのトラックバック一覧です: 「武」のつく天皇:

» 日本人は奈良時代から肉食だった? [ニュース記事を運ぶジェイムズ鉄道]
奈良時代の官庁街だった平城宮跡・東方官衙(かんが)地区(奈良市)で昨年見つかった土壌化した糞便(ふんべん)から、牛や豚、ニワトリから感染する寄生虫卵が検出されたことが17日、奈良文化財研究所の分析でわかった。奈文研は「寄生虫卵の存在は、役人らが肉を食べていた証拠では」と推測。奈良時代の日本人の肉食を考古学的に裏付ける初めての資料になるという。同様の寄生虫卵はこれまで、大宰府・鴻臚(こうろ)館跡(福... [続きを読む]

受信: 2010年6月18日 (金) 02時35分

« 日本の軍事力? | トップページ | 米高官の露骨な干渉 »