« 鳩山変節の裏側 | トップページ | 吹き飛ばない閉塞感 »

2010年6月17日 (木)

高松宮と東条英機

 十月十七日 晴
  (前略)夕刻、東條陸相に組閣御命じあり。意外にも思つたがよく考えれば、それをそのつもりで考へ居る人には自然の帰結かも知れぬ。当然とも思へることだつた。そしてうまくやつたなと云ふ感じと、これで国交調整もだめ、とうとう開戦と決まつた気持ち。(後略)

 十二月八日[続き]
  (前略)夜、一九三〇頃にボツボツ機動部隊、台湾等の既報来り、パールの戦果大成功にてよろこぶ。
 「ガム」はやりすぎる位に爆撃ス。
 「ウェーキ」も甘くいつた。
 第七駆逐艦隊ノ「ミッドエイ」砲撃も焔上させた。
 東條首相の詔勅発表直後の話は、文も話振りも上出来。(後略)

 以上は、昭和16年(1941)『高松宮日記第三巻』より。12月8日は開戦の日であるが、これより前、11月30日に参内、陛下に、海軍は戦争遂行に不安あり出来れば日米戦争を避けたい意向と言上されている。高松宮は海軍軍令部出仕で、昭和16年は中佐であった。

 次は、敗色が濃くなった昭和19年6月13日、高松宮は天皇にこう詰め寄った。(川越重男『かくて太平洋戦争は終わった』による)

 (前略)たとえば、東条内閣について、各方面でたいへん評判が悪いということもご存じありますまい。私のおります海軍でもそうです。このまま放っておけませんから東条を辞めさせ、陸軍皇道派の将軍達と海軍の連携で内閣をやらせたらどうか、と近衛などは考えております。(後略)

 近衛の側近であった細川護貞によると、高松宮は東条暗殺まで口にしたということで、議会内からも重臣の平沼騏一郎や米内光政、閣内の岸信介らへの工作が進み、またサイパンの戦局悪化も加わって木戸内大臣からも見放され、7月18日に政権を投げださざるを得なかった。

|

« 鳩山変節の裏側 | トップページ | 吹き飛ばない閉塞感 »

戦中・戦後」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/35326443

この記事へのトラックバック一覧です: 高松宮と東条英機:

» サッカー・ワールドカップと『君が代』 [逝きし世の面影]
『強者と勝者とが同一とは限らない』 全ての勝負事に共通する原則ですが、 同じ選手、同じチームでもモチベーションやコンディションが同じとはいえず、その時々で多きく違っているので『勝つ時』もあればその反対に『負ける時』もある。 『必ず強い方が勝つ』なら、そもそも競技して勝負する意味が無い。 明らかに弱い方が勝つことが、時々確率的に起きるからレースやゲームや『賭博』が成り立つ。 ですから国際サッカー連盟(FIFA)世界ランキング45位の日本でも、ランキング1位のブラジルに100回ぐらい試合すれば何回か... [続きを読む]

受信: 2010年6月18日 (金) 09時03分

»  3 天皇  (2) [ブログ人]
         ブログ小説            夕陽・少年隊         [続きを読む]

受信: 2010年7月 3日 (土) 03時49分

« 鳩山変節の裏側 | トップページ | 吹き飛ばない閉塞感 »