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2010年4月22日 (木)

継体天皇

 一時代を画する天皇、ということで前回は応神天皇をあげました。それからの11代を「応神王朝」と呼ぶこともあります。この時代は朝鮮からの人材の移入で、文字を駆使する史人(ふひと)がふえ、公的、私的な文献が作られ始めたことが大きいと思います。

 それらは、2、3百年後の『古事記』や『日本書紀』が編纂される頃まで一部が残っていたらしく、また『百済記』など、現在は見ることのできない海外文献も参考にしています。そのため、応神以降の『日本書紀』などからは荒唐無稽の神話めいた話はめっきり減りました。

 まだすべてが史実とまではいえませんが、埼玉古墳群から見つかった雄略天皇の時代のものと推定される鉄剣銘に、崇神時代と思われる人物以来の系譜が書かれていたことなど、『日本書紀』の本文と符合する点も明らかになりました。それらから、日本の史書にある古代がすべて「でたらめ」であるという史観は訂正されつつあります。

 余談になりますが、万世一系とか天皇不可侵を信じて疑わない人は、神話伝説だけでなく是非応神王朝の各代の天皇紀を見ていただきたいと思います。塾頭が受けた皇国史観教育では教科書に仁徳天皇がでてきます。民のかまどから煙が見えるようになるまで無駄な公共工事は一切ストップするという、例のありがたいお話です。

 ところが、この時代は天皇の後継者争いで、肉親の兄弟を殺したり、対立候補になり得る若者を殺害するなど日常茶飯事でした。ちょっと数えただけでこういった犠牲者は8人もいます。最後の武烈天皇には子どもがなく、とうとう跡継ぎが絶えてしまいました。この天皇も殺人が好きで、妊婦を殺したり変態殺人ショーをしたり、とても仁徳天皇の血を引く人とは思えません。

 こうして、大臣達があれやこけや苦心の末に探し出したのが北陸地方に住んでいた継体天皇です。応神天皇から5世を経た孫、という触れ込みです。さきほど鉄剣銘のことを書きましたので、地方の豪族でも系図のようなものを競って作り持っていた可能性はあります。

 この天皇擁立に反対する勢力があって、なかなか大和に入れなかったとする説が現在有力です。また、応神王朝を倒した新王朝という解釈もありました。なかなか、話題の多い継体天皇ですが『日本書記』を見る限りどうも事績のとぼしい「はりぼて」天皇ではなかったのかという気がします。

 ひとつ例を挙げておきましょう。九州の豪族・磐井が新羅から買収され、日本から送り込まれる軍隊を妨害するということが起きました。天皇は早速磐井討伐を物部氏に命じますが、その時、九州の施政権を天皇からはずし物部が自由に扱っていいという、領土割譲のようなことを言います。これもまた無責任な話ですね。

 こんな調子ですから、朝鮮にあった日本の発言力・権威は全く地に落ち、任那といわれた土地をどんどん百済などに与えたり切り取られたりしました。したがって、継体の血統による次の新しい時代は、欽明や推古、聖徳太子の時代まで待たなくてはなりません。

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