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2010年4月14日 (水)

応神天皇

 神武、崇神と書いてきたので、もうすこし続けることにします。どういう基準で取り上げるかということを決めているわけではありませんが、やはり時代を画すような背景の中で、存在感のある天皇ということになるでしょう。

 ここまでに取り上げた天皇は、なぜかみんな「神」という字がつきます。こういう名は「漢風諡号(かんぷうしごう)といって、『日本書紀』ができあがる頃つけられた名前です。漢字のない時代に漢字の名があるわけがありません。

 この逆が韓国ですね。キム・ヨナとかベ・ヨンジュンなどと、もとは漢字のはずが、漢字を追放してハングルだけにしてしまったので、自分の名を漢字で書けない人もいるとか。まあ、それはともかく「神」がつく天皇は上の3代だけで、以後はありません。特別な意味があるのでしょうか。

 ついでに神武の「武」がつく天皇を調べてみました。武烈・天武・文武・聖武・桓武の5人です。なんとなく政変とか遷都に関連しそうな人ばかりでそれ以後はなく、平和で文学的な命名が主流になります。応神天皇とは別に「応神王朝」という言葉があります。その最初は応神の実母である神功皇后に始まります。

 神功皇后も「神」がつきますが、古代史上では天皇扱いされています。応神王朝は皇位継承に問題が起きた武烈天皇まで続くわけですが、ここでは応神王朝のスタートという面から見ていきましょう。応神王朝は、卑弥呼の時代と重なる可能性のある崇神天皇の系統とは著しい差があるのです。

 崇神王朝の本拠は、奈良県天理市から櫻井市にかけた奈良盆地東南縁でした。そこに卑弥呼の墓ではないかとされる箸墓をはじめ、歴代の天皇陵と目される長さ200m級の古墳が集中しました。また縁戚関係も地元有力者との繋がりが多く、地元の安定と国内各地への勢力拡充を図っていた時期だと思われます。

 その後、英雄伝説めいた「日本武尊」や巫女的な振る舞いの多い神功皇后の話が出てきて、『日本書紀』はそれまでと違った展開を見せます。古墳群も盆地北端の佐紀古墳群に持っていかれ、その中の最大のものが神功皇后陵とされています。

 どうもその辺りの推移がよくわからず「謎の4世紀」とされることもあります。神功皇后といえば、夫・仲哀に先立たれ、朝鮮に攻め込む話が有名です。これも神話的伝説が多く、とても歴史史料として使用に耐えられるものではありません。

 しかし、広開土王碑という石碑が中朝国境地帯から発見され、また『百済記』といった朝鮮側の記録が『日本書紀』の参考になっていることなどから、「倭」の軍勢か大挙して朝鮮半島に武威を張った事実はありそうです。それに従い、国内でもさまざまな変化が現れました。

 古墳ですが、位置は奈良盆地から大阪平野に移り、応神陵や仁徳陵といわれる400mを越す超大型なものが現れ、副葬品も豪華な鎧兜や、馬具など大陸系のものが増えました。また、土器もこれまでの縄文・弥生の伝統とは違う須恵器と呼ばれる朝鮮系硬質土器が現れます。

 さらに大きいのは、人・文化・技術の流入です。文字が書ける人や紡績・土木・工芸の技術者が歓迎されたほか村単位でやってきた人もいました。もちろん王侯、高級武士階級の往来も頻繁になります。

 戦後、江上波夫氏による騎馬民族説というのがありました。北方騎馬民族が朝鮮半島を南下して日本を制覇、応神王朝を築いたというものです。まさにそう思ってもいいほど、日本は大陸色が濃くなったのです。しかし、この説は多くの史料から論破されることが多くなりました。
 
 崇神時代、1地域の人的関係が重視されたのに対し、応神朝時代は海を越えた朝鮮半島との往来が最重要課題になりました。ただそれらが単純に他民族の流入とか国際化と割り切れるかどうか、疑問なところもあります。筆者は、縄文時代から朝鮮海峡を挟んだ往来は盛んで、魏志倭人伝が記された頃には半島南部に「倭人」が集落をなしていたと考えています。

 もちろん、その人たちは大陸系との混血が多く、日本の弥生時代を築いた勢力のもとになったと思われます。今のように国境がないので、移住者とか帰化人というは、あとからつけた概念なのです。すくなくとも応神朝時代には、いわゆる「蝦夷」より任那・百済・新羅の方に一体感があったのではないかと思われます。

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コメント

遅ればせながら、祝5周年。
歴史書では応神から継体までの辻褄合わせがおもしろいですね。ところで宇宙の端っこを探す時代だというのに、宮内庁所管の神代と古代の古墳が発掘されないのは歴史マニアには不思議でなりません。

投稿: ていわ | 2010年4月14日 (水) 20時47分

ていわ さま

祝辞感謝感激雨霰。

倭の五王の謎は、天皇陵を発掘により解明されるかも知れませんね。雄略の名を記す鉄剣銘が発見されたのは地方豪族の墓からです。

外交密約を発掘する時代ですから、宮内庁改革は是非必要です。《天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国見区の総意に基く》 

投稿: ましま | 2010年4月14日 (水) 21時35分

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