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2010年4月 2日 (金)

崇神天皇

 先月16日に「神武天皇」を書いたので、その次の注目天皇、崇神天皇に飛んでみます。神武から崇神まで8代天皇がいますが、『日本書紀』ではその事績について語るところが少なく、すべて父子直系相続で115歳まで生きる天皇がいるなど、歴史家からとかく無視されがちの時代です。

 崇神天皇には、いくつかの注目点があります。まず、神武天皇の名は「イワレ・ビコ」といい、大和の地名「磐余」からとったのではないかと言いましたが、崇神は「ミマキ・イリ・ビコ」です。また、皇后の名も「ミマキ・ヒメ」です。

 「ミマキ」は朝鮮南部の任那の城という説が多く、崇神晩年には、はじめて任那の使節を迎え入れています。「イリ」の意味はわかりませんが「入」の字を宛てており、子どもたちの名にもそれがあるため「イリ王朝」という呼び方もあります。韓国へ行ったとき、バスガイドが「崇神天皇は韓国の出身です」と言っていました。教科書がそうなっているかどうか知れませんが、北方騎馬民族出身だと言った日本の学者は、たしかにいました。

 2番目に、もしかして卑弥呼ではないか、といわれる「ヤマトトビモモソヒメ」の巫女としての事績や、死んたあと巨大な墓「箸墓」を作る話があります。また、魏志倭人伝にいう卑弥呼の後継者、台与(トヨ)は、崇神の子豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)ではないかなど、こじつけにしろ奇妙に当てはまる点が多いのです。

 それに関係があるのかどうか、この天皇には「御肇国天皇(はつくにしらしすすめらみこと)」という特別の称号がつけられました。実は、「始馭天下之天皇」と字は違うものの、全く同じ称号が神武天皇にもつけられているのです。日本国の始祖がふたりいたことになります。

 神武同様、この天皇の時代も史実と認めない説がこれまで有力でした。皇后の父とされる将軍・大彦命は、単に大いなる男という名の架空の人物という人もいました。ところが、1978年に埼玉・稲荷山古墳から出土した鉄剣に銘文があり、雄略天皇の時代のヲワケオミの6代前の先祖が「オホヒコ」だと書いてあったのです。

 鉄剣には辛亥年(471)7月中に記すとあるので、200年以上あとに書かれた『日本書紀』を見て書いたわけではありません。偶然の一致というのも無理です。創作上の人物である可能性は大きく後退した、つまり崇神紀には史実が反映している、というのが塾頭の考えなのです。

 

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