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2010年4月16日 (金)

民族自決

 「民族自決」という言葉がある。1789年のフランス人権宣言にはじまり、第一次世界大戦を契機として、国際平和を先導したアメリカのウィルソン大統領による提唱があり、さらに第二次世界大戦後は、国連憲章の中で「人民の同権及び自決の原則」という表現でとりこまれた概念である。

 「民族のことは民族の中で決めるのが第一」、当然のことのように思えるが、戦後の一時期をのぞいて最近はあまりもてはやされなくなった。2度の世界大戦が終わり、米ソ2大国による冷戦激化が次の戦争となることを恐れたアジア・アフリカ諸国が反帝国主義、反植民地主義とともに、改めて永久平和のための支柱として掲げた精神である。

 これは、インドのネール首相、インドネシアのスカルノ大統領、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となってよびかけ、インドネシアのバンドンで日本を含む29カ国が参加したアジア・アフリカ会議で平和10原則として宣言された。

 多国間会議で白人が参加しないはじめての会議となったが、その後継続会議は開かれず、2005年に50周年を記念する特別会議が開かれるに止まった。ここでは、帝国主義的グローバリゼーションに抵抗しAA諸国の連帯を宣言したが、日本は小泉首相が出席していわゆる村山談話の継承を声明している。

 アメリカが抜け出せないでいる「テロとの戦い」は、そもそもがパレスチナ問題「民族間の紛争」に端を発していることを今や疑う者はいない。それまでのユーゴスラビア解体、スリランカ、カンボジア、ルワンダ、ソマリア、チモール、グルジアなどすべて民族がからむ。

 しかもそれらには、多国の干渉、武器・資金援助などの工作がいつもつきまとっている。このように「民族自決」が色あせたものになってしまったのはなぜだろう。まず、民族を定義するため例により広辞苑を開いてみる。

 みん-ぞく【民族】(nation)文化の伝統を共有することによって歴史的に形成され、同属意識をもつ人々の集団。文化の中でも特に言語を共有することが重視され、また、宗教や生業形態が民族的な伝統となることも多い。社会生活の基本的な構成単位であるが、一定の地域内に住むとは限らず、複数の民族が共存する社会も多い。また、人種・国民の範囲とも必ずしも一致しない。

 ここに肝心なことがある。民族イコール国ではないことである。かつて漠然と唱えられていた民族とは、ある植民地化されている民族の将来は、その民族の自主的意向で決定すべきである、という民族イコール国の発想が根底にあった。

 領土侵略を伴う植民地化競争は既になくなった。その意味での民族自決は消滅したといっていい。ところが民族イコール国ではない紛争が続発しているのである。国の中の民族独立運動である。ロシアにおけるチェンチェン、中国のウイグル自治区、イラクほかにまたがるクルド族などがある。

 レーニンのロシアや毛沢東中国は、かつて民族自決をモットーにした国である。しかし今や国内少数民族が「自決」されては困るのである。国連も所詮「国」単位の連合体で、「民族」に重きを置くことができない。したがってジェノサイド(民族虐殺)や難民続発でもない限り、国内問題として「内政不干渉」が優先してしまう。

 このように、同じ「民族」という言葉を使っても2通りの「民族」を使い分けているのが現状だ。また、かつてのAA諸国でも、中国・インドのように大国入りすることにより資源問題などで帝国主義的な動きがでてこないとはいえない。

 「民族自決」を含め、AA会議のバンドン精神をもう一度引っ張り出して再吟味すべき時期がきているのではなかろうか。「民族自決」の原始的・基本的精神に変更を加える要因はどこにもない。新しい時代に沿った「民族自決」のあり方が示されることを期待したい。

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