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2010年4月

2010年4月29日 (木)

デジタル難民

 1960年代、時代の寵児だった8mmカメラやプロジェクタ、光学から磁気へ。そして、アナログはデシタテルに、捨てきれなかった品々も全く役立たず、そんなハードやソフトがこのほかにもごろごろしている。フロッピーディスクでさえ製造中止になった。使えない膨大な廃棄物を今後どうする2010_04250003のだろう。

 携帯電話の個人利用率は全体の74.8%、パソコン66.2%。残りの4人に1人ほどは、ほとんどは60歳以上のお年寄り。どれを捨てていいのかさえもわからない。ソフトバンクの孫社長は、これからはすべて電子教科書や電子カルテルにすべきだと息巻いた。

 年寄りは、紙に書いたものしか信用できない。してはいけないのだ。そうでないとますます振りこめ詐欺まがいの犠牲者がふえる。アナログ追放のかげでハード、ソフト廃棄のほかに、取り扱いになれず、情報から取り残される膨大なデジタル難民が発生、これは見えない社会問題 だ。

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2010年4月28日 (水)

4人あれば国がひっくり返る

 今の時代、こんな恐ろしいことがあるだろうか。白昼夢のようなことが起きようとしている。検察審査会の小沢幹事長「起訴相当議決」である。これは、その夢物語である。もし夢でなく、私が本当の審査員なら、知り得た秘密をを漏らしたという罪で、6か月以下の懲役または50万円以下の罰金に処せられる。

 全く突然のことだった。裁判所から「あなたは選挙人名簿の中からくじ引きしたところ検察審議会審査員候補になった。ついてはその説明をするから某月某日に出頭せよ」とのことである。いやだから辞退しようと思ったがそれはできないという。

 仕方なしに出かけたら100人ほどくじに当たった人が集まっていた。さまざまな説明があったが、始めてのことでもあり半分以上はわからなかった。また質問票というのが配られ身元調査のようなことがびっしり書いてある。ますます気が重くなる。

 その上でまたくじ引きがあり、11人が審査員になる。なんとこれにも当たってしまった。宝くじなら、天にも昇る気持ちだろうが……。難聴だから断れないかといったら「重病でないからだめ」といわれ、出ないと10万円以下の罰金になるという。

 そして、実際にやってきたのが、小沢議員の政治資金報告虚偽記載問題という一見大事件のようで、その報告内容を議員が知っていたかどうかだけの問題である。それ以外に、検察が必死になって調べてもわからなかったことが私にわかるわけがない。結局証拠なしで言っていることが信用できるかどうかの感情の問題だけだ。

 最初の会合で11人の中から「検査審査会長」を互選することになった。はじめて会う人たちだから、互選などできるはずがない。それまでずっと司会役を務めていた事務局長という人が「この中に学校の校長をされていた方がいます。その人にお願いしたらどうでしょう」と提案、ほかに候補もないので自然にそうなった。

 ほかの10人は主婦、労務者、事務員、遊び人風いろいろだが、法律に堪能なような人はいない。事務局長の説明が長く続いたあと、審査会長が発言した。「お互いに法律は素人だから、法律で認められている《審査補助員》という人をお願いしましょう。その場合、弁護士の資格のある人1人に限られています」。

 会での発言は、ほとんど事務局長、審査会長、補助員だけのものになった。気を付けてはいるのだろうが、どうしても法律用語ぬきで話を進めるわけに行かない。だまっていると、たまに事務局長が発言するよう水を向けてくる。しかし、会の流れの中では、どうしても「あさって」の感じになってしまう。それに対して、事務局長は「こういうことですね」と都合よく話を翻訳する。それが議事録にのるのだろう。

 とにかく、こんな気詰まりで場違いの席にいるうな会は一刻も早く終わってほしい。最後に議決の挙手を求められた。一斉に手があがって満場一致。自分でいうのもおかしいが100%の結論というのは怪しい証拠だ。しかしこれでやっと終わりになった。そのあと2、3日たってのニースに驚いた。

 「小沢幹事長窮地に。5月退陣か」「鳩山内閣解散、衆参同時選挙の声高まる」「政界再編の動きに拍車」

 検察審査会11人の3分の2、8人の手で政治を動かす、いや、この審査を申し立てた匿名告発者、事務局長、審査会長、審査補助員の4人があれば政変可能になってしまう。こういった危なっかしい法律改正のすがたになったのは去年の5月20日からだ。いまさら間に合わぬ。とんでもないことになったものだ。夢であってほしい!。もっとも私は70歳以上、審査員は最初から失格だとさ。wobbly  

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2010年4月27日 (火)

一からやり直せ

 毎日新聞の「記者の目」が久々のクリーン・ヒットだ。「日米関係は、マスコミが書いているように本当に危機的なんですか?」という一般からの疑問が政治部・佐藤千矢子記者の書き出しである。それに対して「同じ政権の中でも外務省や防衛省と、官邸の対米意識には、かなり温度差があるように感じる」とチグハグぶりの根源を暴露している。

 続けて、鳩山首相が持つ対米意識と「新しい日米関係を作り深化させる」という3月16日の発言を紹介し、それが安全保証論抜きで普天間移転先の「不動産探し」に終始し、あわせて「東アジア共同体構想」など手つかずのまま、姑息なやりかたで5月末の決着をつけるようなことは許されないとしている。

 そこで「一からやり直させてほしい」と謝ってしまえ、というのが彼女の結論だ。その記事の下「発進箱」では、沖縄在住の経験がある三森輝久記者が、基地移転先選定に米国の了解が必要――という前提には全く法的根拠がなく、条約では、日本国内の基地使用を米国は「許される」と規定しているだけ、と書いている。

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 東アジア共同体構想と共にこれも、本塾がかねがね繰り返し指摘していたことだが、マスメディアの上では始めて見た。また写真右側ロンドン笠原敏彦記者発の、英国の「揺らぐ米との蜜月」も見応えがある。いずれにしても政治的には「難問」すぎて、直ちに実現することは不可能だろう。

 これが「記者の目」でなく「社説」だったらインパクトが強い。しかし、回りくどく奥歯に物のはさまったような社説とは違い、現場記者の観点や感覚が意外に素人の直感と遠くない所にあるのだということを知った。たまたま、前回「普天間は外交の失敗」を書いている。表現は違うものの意図するところは全く同じである。

 毎日新聞は、このような記者の記事をのせながら社論を変化させていくことがよくある。、時機を失せずオピニオンリーダーとしての本領を発揮してほしい、というのがこの記事を書いた動機である。

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2010年4月26日 (月)

普天間は外交の失敗

 25日、沖縄で米軍基地の県内移設反対集会が整然と行われた。これには本土からかけつけた応援のメンバーもいたし、東京その他でも同調する集会が開かれた。タイで展開されている死者が出るような抗議集会ではなが、一地方の反対運動でもない。これに対する内外のマスコミの反応もまた限定的である。

 安保条約の洗い直し、これは鳩山首相の信念でもあったはずだ。自ら設けた期限もあとひと月になった。これまで何をしてきたのだろう。何もしてないといっていいほどだ。50年前を思い返してほしい。岸首相はアメリカのいいなりになったわけではなく、日本の主張を盛り込むためしっかりと事前調整を進めていた。

 それでも批准のひと月前から、10万人といわれる請願デモが連日続き、米大統領訪日の打ち合わせに来たハガチー秘書は、羽田から都心に向かおうとしてデモ隊に包囲され、米軍ヘリで脱出。最後は警官隊との衝突で樺美智子さんという犠牲者まで出した。

 こうして、通した安保だが、岸は発効後退陣を表明、内閣は総辞職した。これを「職を賭した」という。デモに参加した経験を持つ者として、岸を支持する気持ちはカケラもない。しかし一方で米国の対日感情悪化も、ギリギリのところに達していたはずだ。

 彼はそれが「日本の将来のため」という信念を通し、アメリカにおもねるようなことはしなかった。「日本の独立の完成」を主張したのは、首相の祖父・日本民主党の鳩山一郎首相である。彼が重光外相を派米し、ダレス国務長官に安保改定案を提出したものの、一蹴される目にあったのが1955年8月、岸首相がアイゼンハワー大統領・ダレス長官に交渉の糸口をつけたのが1957年6月、それから3年もかけている。

 現首相の対応はどうか。所管大臣が政府案らしいものを作っては窓口で蹴飛ばされ、日替わりメニューのようにアメリカの顔色をうかがっている姿しか見えてこないではないか。反対運動が整然として行われているということで甘く見てはならない。5月末になってもシュワブ沖に埋め立てでない滑走路を造るなど、姑息な、子どもでもだまされないような案しか出せないようなら、そこで鳩山首相の命脈はつきるだろう。

 参院選与野党逆転、民主党内不一致で分裂・政界再編、野党転落という最悪のシナリオも考えられなくない。首相がそこから抜け出す道は、海兵隊国外移転の筋道をつけることしかもはや残っていない。沖縄県民、日本国民、それにアメリカまで愚弄するようなやりかたは、すでに限界に来ている。 

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2010年4月24日 (土)

ギリシャ

 「ギリシャ」と聞いて思い出すことは何だろう。オリンピックの発祥、ギリシャ彫刻、ギリシャ文字、スパルタ式教育、それに最近は、あまりいい意味で使われないポピュリズム、衆愚政治、つまり民主主義の元祖もギリシャだ。

 日本にとって知っているようで知らない国、近いようで遠い国ギリシャ。そのギリシャが金融不安で大揺れに揺れている。なんとか無事おさまってくれればいいが、一歩間違えると欧州全体の経済や安全に亀裂を生みかねない、ということは「普天間移転先」などとは比較にならない大問題である。

 菅財務相が出席したG20(主要20カ国と地域の財務省・中央銀行総裁会議)が23日閉幕し、経済回復が予想以上に回復しているとの見通しを声明に盛り込んだ。しかしその中で、ギリシャとヨーロッパにおける不安はそのまま残されている。ギリシャの財政赤字がGDP比13.6%に達し、国債は売り込まれて金利が10%にも高騰していた。

 このまま放置すると破産しかねない。金融マフィアはそこまで見込んで大もうけの機会を虎視眈々と狙っている。そんなことになれば、ようやく立ち直りかけた世界経済に致命的な打撃となり、回復の予想が立たなくなるかも知れない。

 難航の末ようやくIMFとEUの金融支援など財政再建策が見えてきた。ギリシャはEUの一員・ユーロー圏の中にある。だから、影響はギリシャ一国だけの問題ではないのである。EUの中にはほかにもお荷物の国がある。対応を誤るとユーロー全体の信用にもかかわってくる。

 これと直接の関係はないが、地中海に紛争の火種を残すキプロス島。1960年に英国から独立した島だが南半分にギリシャ系、北にトルコ系住民が住む。ギリシャ併合、トルコ軍の北キプロス占領に続くトルコ系の独立など、植民地放棄のあとの民族紛争の構図はパレスチナと似ている。

 この分断状態に連邦国案など融和策を模索していた北キプロスのタラト現職大統領が、分断維持派のエロール大統領に18日に行われた選挙で敗れた。トルコはEU加入を望んでいる。これで加入に賛成しない国が勢いを得そうだ。トルコはいうまでもなくイスラム圏の国である。また、ヨーロッパではないと考え、これ以上の拡張に慎重な空気も存在する。

 しかし、ヨーロッバの歴史はトルコを無視しては成り立たないことを示している。トルコを引き込むことにより確固としたひろがりと安定を手に入れるという利点も考えられる。現にNATOについてはすでに加盟国である。冷戦後のヨーロッパの安定、ギリシャは、まさにその要に位置している。そう、ギリシャ神話に登場するアキレス腱なのである。

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2010年4月23日 (金)

首相有罪、執行猶予2か月

 首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」をめぐる偽装献金事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪に問われた元公設第1秘書勝場啓二被告の判決が22日、東京地裁であり裁判長は「政治活動の公明に対する国民の信頼を著しく損ねた」として、禁固2年、執行猶予3年を言い渡した。

 鳩山首相は、「東アジア共同体」とか、日米安保体制の見直し再構築など、歴代首相の中では、一番当塾の主張に近い。しかし、これほど言葉の軽い首相もまた珍しい。その多くは、これまでできるだけ善意に解釈してきた。

 記者を前にした発言と違って、自ら文章化した言葉は繕いようがない。秘書の犯罪も判決があるまでは「推定無罪」であり、判決に影響を与えるやうな行動には慎重でなくてはならなかった。こころが下に示すように有力な物証がある。そこで塾頭の下した判決は、秘書の有罪確定なら首相も有罪。執行猶予2か月とする。

 執行猶予の情状は、野党の党首とか1閣僚とは違う、すくなくとも一国の総理である。普天間問題も5月中に決着をつけなければならないし、国民生活への影響もなしとはしない。そして2か月たったら党代表を辞任し、あとは党員投票に結果をゆだねて参院選に臨んでもらいたい。

 その際、小沢幹事長の去就も当然問題になるだろう。塾頭はもともとこれらの「政治とカネ」の問題は、かつてのリクルート事件や佐川急便問題などと違って国政をゆるがすような問題だとは思っていない。また1年で首相をくるくる変えるのは国際的にもはずかしいことだし、国民にとっても損失となる。

 説明責任を果たしていないというなら、政治家の責任として国会でチャンとすればいいのだ。そしてプライバシーなどの答えたくない問題には「答えられない」でいい。要は、政治家にとって一番大事なことは、国民へのアクセスと信頼のよすがとなる「ことば」であるということである。首相は見える形で自らを罰し、言葉の「ケリ」をつけなくてはならない。

はあとめーる(鳩山由紀夫メールマガジン)(2003年7月23日)

 私は政治家と秘書は同罪と考えます。政治家は金銭に絡む疑惑事件が発生すると、しばしば「あれは秘書のやったこと」と嘯いて、自らの責任を逃れようとしますが、とんでもないことです。政治家は基本的に金銭に関わる部分は秘書に任せており(そうでない政治家もいるようですが)、秘書が犯した罪は政治家が罰を受けるべきなのです。

鳩山内閣メールマガジン第28号(2010年4月22日)

 私の元秘書に対する裁判の判決が出されました。大変残念なことであり、責任を感じております。私としては、身を粉にして国民のみなさまのために働かせていただき、政権交代により大きく政治を変えてほしいとの期待に応えることで、責任を果たしていきたいと思います。

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2010年4月22日 (木)

継体天皇

 一時代を画する天皇、ということで前回は応神天皇をあげました。それからの11代を「応神王朝」と呼ぶこともあります。この時代は朝鮮からの人材の移入で、文字を駆使する史人(ふひと)がふえ、公的、私的な文献が作られ始めたことが大きいと思います。

 それらは、2、3百年後の『古事記』や『日本書紀』が編纂される頃まで一部が残っていたらしく、また『百済記』など、現在は見ることのできない海外文献も参考にしています。そのため、応神以降の『日本書紀』などからは荒唐無稽の神話めいた話はめっきり減りました。

 まだすべてが史実とまではいえませんが、埼玉古墳群から見つかった雄略天皇の時代のものと推定される鉄剣銘に、崇神時代と思われる人物以来の系譜が書かれていたことなど、『日本書紀』の本文と符合する点も明らかになりました。それらから、日本の史書にある古代がすべて「でたらめ」であるという史観は訂正されつつあります。

 余談になりますが、万世一系とか天皇不可侵を信じて疑わない人は、神話伝説だけでなく是非応神王朝の各代の天皇紀を見ていただきたいと思います。塾頭が受けた皇国史観教育では教科書に仁徳天皇がでてきます。民のかまどから煙が見えるようになるまで無駄な公共工事は一切ストップするという、例のありがたいお話です。

 ところが、この時代は天皇の後継者争いで、肉親の兄弟を殺したり、対立候補になり得る若者を殺害するなど日常茶飯事でした。ちょっと数えただけでこういった犠牲者は8人もいます。最後の武烈天皇には子どもがなく、とうとう跡継ぎが絶えてしまいました。この天皇も殺人が好きで、妊婦を殺したり変態殺人ショーをしたり、とても仁徳天皇の血を引く人とは思えません。

 こうして、大臣達があれやこけや苦心の末に探し出したのが北陸地方に住んでいた継体天皇です。応神天皇から5世を経た孫、という触れ込みです。さきほど鉄剣銘のことを書きましたので、地方の豪族でも系図のようなものを競って作り持っていた可能性はあります。

 この天皇擁立に反対する勢力があって、なかなか大和に入れなかったとする説が現在有力です。また、応神王朝を倒した新王朝という解釈もありました。なかなか、話題の多い継体天皇ですが『日本書記』を見る限りどうも事績のとぼしい「はりぼて」天皇ではなかったのかという気がします。

 ひとつ例を挙げておきましょう。九州の豪族・磐井が新羅から買収され、日本から送り込まれる軍隊を妨害するということが起きました。天皇は早速磐井討伐を物部氏に命じますが、その時、九州の施政権を天皇からはずし物部が自由に扱っていいという、領土割譲のようなことを言います。これもまた無責任な話ですね。

 こんな調子ですから、朝鮮にあった日本の発言力・権威は全く地に落ち、任那といわれた土地をどんどん百済などに与えたり切り取られたりしました。したがって、継体の血統による次の新しい時代は、欽明や推古、聖徳太子の時代まで待たなくてはなりません。

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2010年4月21日 (水)

党首討論の限界

 21日の党首討論は、普天間移転問題や安保の問題にしぼられそうだと思って腰をすえて見ることにした。しかしいつものことながら幻滅に終わった。あの形式張った一問一答のスタイル、言葉の内容より殺し文句が先に来るのと時間のなさ、もっと工夫がなければ継続の意味がないように思える。

 それでも、鳩山にポイントをつけたい点が2つあった。それは普天間の危険除去とか辺野古沖の埋め立て云々ではなく、沖縄県民の負担軽減や日米安保の将来に筋道をつけるという長期的観点に立つという説明。それに、谷垣が追求しようとした、「海兵隊の抑止力」とか「地政学的」とかの個々の誘導尋問に乗らず、抑止力という言葉を使いながらも他の地区まで含めた陸海空一体化した総合的な戦力、つまり米軍再編の精神に似たような答弁でかわそうとした点である。

 もちろん議論は、全くかみ合うことなくすれ違いで、何を考えているのかよくわからないというのが本当のところである。ただ、鳩山の方が、自民党政権が長年維持させてきた膠着的安保理念より、よく言えばワイドで斬新な観点を示してきたということだろうか。

 本当を言えば、抑止力の対象となる仮想敵国はどこか、アメリカをどこまで信用できるのか、また何の目的で米軍がそこにいるのか、あるいはいなくてはならないのか、ということに踏み込まなければならない。

 これまで、軍事・外交に関することというので機密を理由に公開の議論が避けられてきたし、今でもそれは残っている。ましてや党首討論ではとても無理だろう。

 しかし、これからの国の基本的なあり方を検討しようという時期には、そういったタブーを一切はずして赤裸々の議論をしてみてもいいのではないか。それがない限り本当の国防や安全保証、つまり日米安保の新体制は望み得ないし、新憲法を検討するにも素材も生まれないということになるだろう。

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2010年4月20日 (火)

全面グアム移転の奇策

 『サンデー毎日』5/2号が“小沢と鳩山が密かに動く―普天間「グアム全面移設」”を目玉記事に掲げた。実は、当塾4月13日の「ハードルを高める鳩山流」で、《あるいは?……》という感触ながらそれを匂わせる書き方をしていた。

 政府案として徳之島をちらつかせ、それが大きな反対運動に火をつけるようなことがあれば、他県での反対を理由に沖縄に押しつけることができなくなるということから、

 県外に打診が始まったら、その段階でもう後戻りできないのだ。鳩山内閣はこうしてまたハードルを高めてしまった。日本国中どこでも反対ということなら、あとはグァムしかない。鳩山作戦が未熟でつたないのか、また世界を欺く高等戦術(これもあり得る)なのか、それによって5月以降の内閣支持率と命運が決まってくる。

 というのがその内容だ。

 自ら期限を設け、民意尊重を繰り返しながらどんどんハードルを高め、閣内不一致の様相には「腹案がある」という奇妙な自信(サンデー毎日)を見せている不可解さは、「裏に何かあるのかな」と思わせるのに十分だ。また当塾は、アメリカが海兵隊のベースキャンプとしての居住環境(抑止力としてではない)や、日本国民の同意を最重視していることから、最終的にはグアム集約に有利な筋道を付けたいのが本音ではないか、という心証を抱いていた。

 特に、「日本国民の賛成が重要」というのは異様に聞こえる。日本国内のことは日本の為政者の責任だ。ご親切というかお節介な話ではないか。わずか3年前の1月27日、久間元防衛大臣が講演会で「アメリカに『あんまり偉そうにいってくれるな。日本のことは日本に任せてくれ』といっている」といったことがある。

 アメリカの高官は、イラク協力などで「憲法を変えろ」などのことを平気で言ってきた。普天間基地の移転に関して公有水面埋め立て許可権限が県知事にあるのをアメリカは「政府同士が決めたのだから、それでやったらいいじゃないか」と《偉そうに》言ったことを久間大臣はさしているのだ。

 それが「国民(県民)の意見重視」になぜ変わったのか。見方によっては反対運動が盛り上がった方がいいようにも聞こえないか。それにより、アメリカのタカ派政治家や日本国内の冷戦信奉与野党防衛族、利権マフィアなどの反対勢力を押さえ込むことができる。

 日米共にその過程を最も高く売りつけたいということだ。アメリカは移転費負担の全面肩代わり、基地維持費などで、鳩山内閣は参院選前の奇跡的支持率恢復だ。当塾は、これまで言外に匂わせたことがあるがここまで言い切ることはできなかった。

 当塾が言えば妄言で、サンデー毎日が言えば憶測になる。しかし当塾が書いた前述の「鳩山作戦が未熟でつたないのか、また世界を欺く高等戦術(これもあり得る)なのか」という設問については、残念ながら前者の方にかけるざるを得ない。鳩山氏に、国民を前にしてこんな芝居がかったことができるだろうか。大勢の人をだましたり、ひっかけたりするような人柄とはとても思えないのだ。

 なお、サンデー毎日は、日米による在日米軍再編実施のための「ロードマップ」で、海兵隊約8000人とその家族9000人のグアム移転を14年までに移す合意と、去年公表されたグアムを軍事拠点として整備する「グアム統合マスタープラン」を実行するための「環境影響評価案」をあげ、海兵隊とその周辺機能のグアム集約が可能としていること、そして関係先への取材と証言などを加えてこれらを補強している。 

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2010年4月19日 (月)

言語明瞭意味不明

 この言葉はかつて竹下総理大臣を表現したものだったように思う。19日、鳩山総理はぶらさがり会見で鹿児島県・徳之島で大規模な反対集会が開かれたことについて、「大変なエネルギーだと思う。徳之島のみなさんがこれだけ集まったということは、ひとつの民意だと理解すべきだ。そういう民意というものを勉強させていただきながら、政府として普天間の移設先に関しては真剣に考えていきたい」述べたことを各紙が伝えている。

 ここ数日間、政治テーマから遠ざかっているが、こういった報道につくずく嫌気がさしたことにもよる。総理の意図がさっぱり伝わってこない。オバマの反応が「大丈夫なのか?」といったものだったとしても当然だろう。首相は政治と科学実験「ゆらぎ」を混同しているようだ。

 そうであれば「首相としての資質を欠いている」と言われても仕方がない。国民は実験動物ではない。「ひとつの民意」の取り方にもふた通りある。ひとつは「いくつかある民意のひとつとして」の意味で、片方は「民意のはかり方のひとつとして」である。

 そのいずれかでまったく逆の意味になる。そこを質問した記者は、一人もいなかったようだが、マスコミもそのまま生で流して涼しい顔をしている。日本の政治の貧困ここに極まれり、の姿だ。

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一日一筆

『岡本綺堂随筆集』岩波文庫(青空文庫より)
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     一 五分間

 用があって兜町の紅葉屋《もみじや》へ行く。株式仲買店である。午前十時頃、店は掻き廻されるような騒ぎで、そこらに群がる男女の店員は一分間も静坐《じっと》してはいられない。電話は間断《しきり》なしにチリンチリンいうと、女は眼を嶮しくして耳を傾ける。

  電報が投げ込まれると、男は飛びかかって封を切る。洋服姿の男がふらりと入って来て「郵船《ふね》は……」と訊くと、店員は指三本と五本を出して見せる。男は「八五だね」とうなずいてまた飄然と出てゆく。詰襟の洋服を着た小僧が、汗を拭きながら自転車を飛ばして来る。

  上布の帷子に兵子帯という若い男が入って来て、「例のは九円には売れまいか」というと、店員は「どうしてどうして」と頭を掉《ふ》って、指を三本出す。男は「八なら此方《こちら》で買わあ、一万でも二万でも……」と笑いながら出て行く。電話の鈴は相変らず鳴っている。表を見ると、和服や洋服、老人やハイカラや小僧が、いわゆる「足も空」という形で、残暑の烈しい朝の町を駈け廻っている。

 私は椅子に腰をかけて、ただ茫然《ぼんやり》と眺めている中に、満洲従軍当時のありさまをふと思い泛《うか》んだ。戦場の混雑は勿論これ以上である。が、その混雑の間にも軍隊には一定の規律がある。人は総て死を期している。随って混雑極まる乱軍の中にも、一種冷静の気を見出すことが能《でき》る。

    しかもここの町に奔走している人には、一定の規律がない、各個人の自由行動である。人は総て死を期していない、寧ろ生きんがために焦っているのである。随って動揺また動揺、何ら冷静の気を見出すことは能ない。

 株式市場内外の混雑を評して、火事場のようだとはいい得るかも知れない。軍《いくさ》のような騒ぎという評は当らない。ここの動揺は確に戦場以上であろうと思う。

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 底本「木太刀」の初出は明治44年12月、まさに明治最後の兜町光景である。「満州従軍」というのは日露戦争のことだろうか。昭和も戦後を迎えて落着きを見せてきた1950年代、「ふね」=日本郵船、「あぶら」=日本石油、「ちやんこな」=日清製粉などという銘柄の符丁はまだ生きていた。

 変わったのは和服が消え、国民服が見えなくなりワイシャツ、背広となった程度で、その頃の兜町が喧噪の絶頂期だったに違いない。素人には別世界だった取引所(東証)の場立ちの光景、指先や符丁でやりあう姿が見られなくなったのは、1999年4月である。

 10年一昔というけど、そんなに昔ではない。今は電光掲示板チカチカ、パソコンがスラリだけ。株取引はすっかり静寂の世界になってしまった。そういった中で巨大金融取引会社ゴールドマン・サックスが、素人をだましたとして訴訟沙汰に。この静寂さがもたらすのは、地球規模のそこしれない魔性なのだろうか。

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2010年4月17日 (土)

卯年の飢饉

2010_04170001  1700年代後半、日本は天災・疫病・飢饉などに打ちのめされた。特に明和9(迷惑)年(1772)の大水など天候異変、「卯年の飢饉」(天明3年・1783)が語り継がれているが、このような凶年は、その年だけでなく連続して起きていた。東北地方の「村に人影なく、白骨累々」などという身の毛のよだつような記録もある。

2010_04170002_2   今年は、寅年で来年が卯年にあたる。天明2年の寅年に、春から夏にかけて長雨・洪水・大風そして冷害に見舞われたのが卯年の飢饉の原因だ。そして卯年には、「天明の浅間焼け」という浅間山大爆発による火山灰被害が追い打ちをかけた。現在のキャベツの名産地・嬬恋村などが、爆発の直撃を受けて壊滅している。

 今日の毎日新聞コラム「余録」の書き出しは、「1783年の夏は薄気味悪いことが多く、恐ろしい事象に満たされました……」とある。それは今朝の季節外れの降雪のことではなく、アイスランドの今回の火山爆発に近いラキ火山の噴火で英国が火山灰に覆われた古記録を紹介しているのだ。

 そして同じ年、日本では浅間山が爆発し、東西を問わず深刻な食糧不足に陥った。フランス革命はこの5年後に飢餓・恐慌・貧困の社会不安の中から起きる。まさに「薄気味悪いことが多い」寅年といえそうだ。

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2010年4月16日 (金)

民族自決

 「民族自決」という言葉がある。1789年のフランス人権宣言にはじまり、第一次世界大戦を契機として、国際平和を先導したアメリカのウィルソン大統領による提唱があり、さらに第二次世界大戦後は、国連憲章の中で「人民の同権及び自決の原則」という表現でとりこまれた概念である。

 「民族のことは民族の中で決めるのが第一」、当然のことのように思えるが、戦後の一時期をのぞいて最近はあまりもてはやされなくなった。2度の世界大戦が終わり、米ソ2大国による冷戦激化が次の戦争となることを恐れたアジア・アフリカ諸国が反帝国主義、反植民地主義とともに、改めて永久平和のための支柱として掲げた精神である。

 これは、インドのネール首相、インドネシアのスカルノ大統領、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となってよびかけ、インドネシアのバンドンで日本を含む29カ国が参加したアジア・アフリカ会議で平和10原則として宣言された。

 多国間会議で白人が参加しないはじめての会議となったが、その後継続会議は開かれず、2005年に50周年を記念する特別会議が開かれるに止まった。ここでは、帝国主義的グローバリゼーションに抵抗しAA諸国の連帯を宣言したが、日本は小泉首相が出席していわゆる村山談話の継承を声明している。

 アメリカが抜け出せないでいる「テロとの戦い」は、そもそもがパレスチナ問題「民族間の紛争」に端を発していることを今や疑う者はいない。それまでのユーゴスラビア解体、スリランカ、カンボジア、ルワンダ、ソマリア、チモール、グルジアなどすべて民族がからむ。

 しかもそれらには、多国の干渉、武器・資金援助などの工作がいつもつきまとっている。このように「民族自決」が色あせたものになってしまったのはなぜだろう。まず、民族を定義するため例により広辞苑を開いてみる。

 みん-ぞく【民族】(nation)文化の伝統を共有することによって歴史的に形成され、同属意識をもつ人々の集団。文化の中でも特に言語を共有することが重視され、また、宗教や生業形態が民族的な伝統となることも多い。社会生活の基本的な構成単位であるが、一定の地域内に住むとは限らず、複数の民族が共存する社会も多い。また、人種・国民の範囲とも必ずしも一致しない。

 ここに肝心なことがある。民族イコール国ではないことである。かつて漠然と唱えられていた民族とは、ある植民地化されている民族の将来は、その民族の自主的意向で決定すべきである、という民族イコール国の発想が根底にあった。

 領土侵略を伴う植民地化競争は既になくなった。その意味での民族自決は消滅したといっていい。ところが民族イコール国ではない紛争が続発しているのである。国の中の民族独立運動である。ロシアにおけるチェンチェン、中国のウイグル自治区、イラクほかにまたがるクルド族などがある。

 レーニンのロシアや毛沢東中国は、かつて民族自決をモットーにした国である。しかし今や国内少数民族が「自決」されては困るのである。国連も所詮「国」単位の連合体で、「民族」に重きを置くことができない。したがってジェノサイド(民族虐殺)や難民続発でもない限り、国内問題として「内政不干渉」が優先してしまう。

 このように、同じ「民族」という言葉を使っても2通りの「民族」を使い分けているのが現状だ。また、かつてのAA諸国でも、中国・インドのように大国入りすることにより資源問題などで帝国主義的な動きがでてこないとはいえない。

 「民族自決」を含め、AA会議のバンドン精神をもう一度引っ張り出して再吟味すべき時期がきているのではなかろうか。「民族自決」の原始的・基本的精神に変更を加える要因はどこにもない。新しい時代に沿った「民族自決」のあり方が示されることを期待したい。

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2010年4月15日 (木)

今日、不思議に思うこと

4月中旬なのに真冬並みの寒さ。本当に地球温暖化対策が必要なのだろうか。

 桝添前厚労相が、世論調査で次の首相にしたい候補のトップ。「ほかに適当な人がいない」という理由があったにしても、とても一票入れる気になれない人なのだけど。

 何のことやらさっぱりわからん。「責任者出てこい!」

 鳩山首相が普天間問題の「5月末決着」を改めて明言したことに対し、平野官房長官は15日午前の記者会見で、「『(米国や地元の)合意』の解釈には幅がある。5月末までに技術的な詳細も含めて全部終わっていなければ合意や理解でない、という認識には立たない」と述べ、首相の主張するような「決着」を5月末までに実現するのは難しいとの考えを示唆した。(YOMIURI-ONLINE

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2010年4月14日 (水)

応神天皇

 神武、崇神と書いてきたので、もうすこし続けることにします。どういう基準で取り上げるかということを決めているわけではありませんが、やはり時代を画すような背景の中で、存在感のある天皇ということになるでしょう。

 ここまでに取り上げた天皇は、なぜかみんな「神」という字がつきます。こういう名は「漢風諡号(かんぷうしごう)といって、『日本書紀』ができあがる頃つけられた名前です。漢字のない時代に漢字の名があるわけがありません。

 この逆が韓国ですね。キム・ヨナとかベ・ヨンジュンなどと、もとは漢字のはずが、漢字を追放してハングルだけにしてしまったので、自分の名を漢字で書けない人もいるとか。まあ、それはともかく「神」がつく天皇は上の3代だけで、以後はありません。特別な意味があるのでしょうか。

 ついでに神武の「武」がつく天皇を調べてみました。武烈・天武・文武・聖武・桓武の5人です。なんとなく政変とか遷都に関連しそうな人ばかりでそれ以後はなく、平和で文学的な命名が主流になります。応神天皇とは別に「応神王朝」という言葉があります。その最初は応神の実母である神功皇后に始まります。

 神功皇后も「神」がつきますが、古代史上では天皇扱いされています。応神王朝は皇位継承に問題が起きた武烈天皇まで続くわけですが、ここでは応神王朝のスタートという面から見ていきましょう。応神王朝は、卑弥呼の時代と重なる可能性のある崇神天皇の系統とは著しい差があるのです。

 崇神王朝の本拠は、奈良県天理市から櫻井市にかけた奈良盆地東南縁でした。そこに卑弥呼の墓ではないかとされる箸墓をはじめ、歴代の天皇陵と目される長さ200m級の古墳が集中しました。また縁戚関係も地元有力者との繋がりが多く、地元の安定と国内各地への勢力拡充を図っていた時期だと思われます。

 その後、英雄伝説めいた「日本武尊」や巫女的な振る舞いの多い神功皇后の話が出てきて、『日本書紀』はそれまでと違った展開を見せます。古墳群も盆地北端の佐紀古墳群に持っていかれ、その中の最大のものが神功皇后陵とされています。

 どうもその辺りの推移がよくわからず「謎の4世紀」とされることもあります。神功皇后といえば、夫・仲哀に先立たれ、朝鮮に攻め込む話が有名です。これも神話的伝説が多く、とても歴史史料として使用に耐えられるものではありません。

 しかし、広開土王碑という石碑が中朝国境地帯から発見され、また『百済記』といった朝鮮側の記録が『日本書紀』の参考になっていることなどから、「倭」の軍勢か大挙して朝鮮半島に武威を張った事実はありそうです。それに従い、国内でもさまざまな変化が現れました。

 古墳ですが、位置は奈良盆地から大阪平野に移り、応神陵や仁徳陵といわれる400mを越す超大型なものが現れ、副葬品も豪華な鎧兜や、馬具など大陸系のものが増えました。また、土器もこれまでの縄文・弥生の伝統とは違う須恵器と呼ばれる朝鮮系硬質土器が現れます。

 さらに大きいのは、人・文化・技術の流入です。文字が書ける人や紡績・土木・工芸の技術者が歓迎されたほか村単位でやってきた人もいました。もちろん王侯、高級武士階級の往来も頻繁になります。

 戦後、江上波夫氏による騎馬民族説というのがありました。北方騎馬民族が朝鮮半島を南下して日本を制覇、応神王朝を築いたというものです。まさにそう思ってもいいほど、日本は大陸色が濃くなったのです。しかし、この説は多くの史料から論破されることが多くなりました。
 
 崇神時代、1地域の人的関係が重視されたのに対し、応神朝時代は海を越えた朝鮮半島との往来が最重要課題になりました。ただそれらが単純に他民族の流入とか国際化と割り切れるかどうか、疑問なところもあります。筆者は、縄文時代から朝鮮海峡を挟んだ往来は盛んで、魏志倭人伝が記された頃には半島南部に「倭人」が集落をなしていたと考えています。

 もちろん、その人たちは大陸系との混血が多く、日本の弥生時代を築いた勢力のもとになったと思われます。今のように国境がないので、移住者とか帰化人というは、あとからつけた概念なのです。すくなくとも応神朝時代には、いわゆる「蝦夷」より任那・百済・新羅の方に一体感があったのではないかと思われます。

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2010年4月13日 (火)

ハードルを高める鳩山流

 鳩山代表は、普天間基地を国外か最低でも県外へという高めのハードルを公約として掲げた。政権交代後は、「年内に」「名護市長選挙の民意を」「沖縄県民の意志に反して」「5月中には……」と、ハードルを徐々に高めながら官房長官や担当大臣などから、名護市シュワブ陸上案・うるま市沖合埋め立て案など県内移設をさかんに匂わせ、沖縄県民をいらだたせてきた。

 ここへ来て、「時間がかかる」「地元の理解が得られない」というアメリカ側の意向もあってうるま市沖埋め立ては断念し、鹿児島県の徳之島既設滑走路利用の案に大きく比重をかけているようだ。もちろん徳之島はもとより、奄美諸島、県をあげて反対の気勢を上げている。

 本土と沖縄の経済格差はよくいわれるが、沖縄と鹿児島県離島の格差というのもあるのだそうだ。徳之島でも、ガソリンの価格、航空・海上運賃などせめて沖縄並みにという悲願があり、それにプラスアルファーすることで基地受け入れを、という意見も潜在するという。

 沖縄の仲井間知事の発言はテレビなどで見ても、どうも奥歯に物がはさまったような微妙な言い回しをする。予定されている基地反対県民大会への出席も決めていないそうだ。鹿児島県の方も、地元出身で圧倒的に影響力を持つ自民党代議士徳田毅が表面上反対を唱えているが、政治決着を高く売りつけるためではないかとささやかれている。

 その徳田氏は、沖縄にも徳州会を通じた地盤があり、知事選への影響力を持っている。つまり沖縄も鹿児島も利権をめぐる共通な利害関係があり、大衆抜きの政治決着の余地ありと政府が見込んでいるように見えるのだ。

 しかし、いかに離島部とはいえ、かつての顔役政治が通用すると思うのはすこし甘いのではないか。仮に鹿児島県の反対運動が盛り上がり、「では、もとに戻して沖縄へ」ということはもう決してできない。鹿児島の反対は受けられても沖縄は駄目とは絶対に言えない。

 県外に打診が始まったら、その段階でもう後戻りできないのだ。鳩山内閣はこうしてまたハードルを高めてしまった。日本国中どこでも反対ということなら、あとはグァムしかない。鳩山作戦が未熟でつたないのか、また世界を欺く高等戦術(これもあり得る)なのか、それによって5月以降の内閣支持率と命運が決まってくる。

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2010年4月12日 (月)

悼惜・井上ひさし

 井上ひさし氏が9日に75歳でなくなった。同氏とは会ったこともないし作品も読んでいない。ただ、夕食時のテレビが流す「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングを懐かしく思い出す程度である。氏との縁といえば、全国区の人気作家となったばかりの頃、私は彼の住宅から300mと離れていないところに移り住んだということがある。

 彼の家は、敷地いっぱいに建てた15坪あるかないかの平屋建てで、有名作家の住むような家ではなかった。当時自家用車を持つ家庭はまだ少なかったが、奥さんが子どもを乗せて近所の店に買い物に来ている姿を、妻がよく目にしている。その後より広い新築戸建てに移り、さらに地元から移住したようだがその先は知らない。

 これも彼とは直接の関わりがないが、このブログをはじめてから地元「9条の会」に名を連ねた。同会は知られているように、彼ら9人が呼びかけたものだ。その呼びかけ人も相当高齢化している。今後その趣意がどう引き継がれていくのかが気になるところだ。

 片や先週は、平沼赳夫氏などによる新党「たちあがれ日本」の旗揚げがにぎにぎしく報道された。これも高齢がキーワードになっている。発起人が石原慎太郎都知事だそうで、9条の会発起人と全く逆の発想であることは、両人とも隠そうとしていない。

 同じ戦中生まれながら、どうしてこんなに違うのだろうと思う人がいるだろう。早くいえば、その人にとって敗戦がプラスだったかマイナスだったかの差ともいえるが、そんな単純な問題ではない。同年代だから99%意見が違っても1%は話が合うことがある。

 それは、彼(平沼)らの目論見の「反日的行動が日本を駄目にする」という裏返しにした危機感である。同じ世代について横断的に世代論を説くことの難しさがあって、気にはなっていたがその違いを分析しかねていた。そこへ、宮島理さんという息子より若いフリーライターの方の「井上ひさし氏と天皇を暗誦できない右翼」と題するページを見つけた。

 戦後生まれの20歳と60歳にどれほどの違いがあるだろうか。今の60歳に、年齢に見合った伝統的価値観、土着的信仰心があるだろうか。単に生きている年数が違うというだけで、中身は大して変わらないように思う。戦後生まれはみんな「現代っ子」なのだ。

 この文化論的分析の中で「土着的信仰心」という言葉にひきつけられた。伝統的価値観というのは、史観として議論の対象になるだろうが、「土着的信仰心」は多分に井上氏の出自や作品を意識しながら述べられたのではないかと思う。

 かつての軍隊では軍人以外を指して「地方人」といった。その中には中央(権力)ではない、素朴な草の根のという意味合いがあるのだろう。「たちあがれ」グループは、まさに「土着的」ではない信仰心から生まれてきたものではなかろうか。

 追記:Wikipediaに戦中、小学生に歴代天皇の暗誦を強制したような記述があるが、どこまで言えるか知的競争のようなことはあったにしろ、強制された記憶はない。

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2010年4月11日 (日)

5周年

 ブログを始めてから明日で満5年になる。よく続いたといえば続いたものである。もっとも最初のタイトルは「反戦老年委員会」で、途中「反戦塾」と名を変え、プロバイダーもOCNからNiftyに移した。このため最初のものは、一部転載したもの以外ブログとして残っていない。

 この間、約1560編のエントリーを掲げた。始めてからしばらくの間は書いたものを覚えていたが、こう多いと覚えきれない。同じ主旨のことを反復して載せることもあるだろう。普通、文章を綴る際には重複を避けるものだが、読む立場からみてその方が印象に残り、必ずしも悪いとはいいきれない。

 そう割り切って、日々題材を求め、だらだらとこれからも続けていこうと思う。それがブログだといえばそれまでだが、「反戦」と名を冠したからには、目的意識がないというとうそになる。そうなると、目的を果たしたところで「終わり」にしなければならない。

 上記の題名変更にはその意味合いもあった。2001年1月、アメリカはブッシュ・J大統領が発足し4月には小泉純一郎首相という組み合わせになる。そして9.11同時多発テロ、21世紀は不毛の戦争で明けた。2003年にはイラク戦争、そして自衛隊派兵が続き、首相による戦争顕彰の靖国神社参拝、アメリカ要人からの改憲圧力、そういった中で戦争不感症化が進められた。

 「これは危ない」と発言の場を求めた05年4月12日、ブログ誕生の日である。小泉首相の強引な手法、選挙戦術には、ヒトラーの『我が闘争』を例にあげて攻撃し、その後を受けた改憲指向の安倍内閣の一刻も早い退陣を望む記事を書き続けた。まさに「反戦老年委員会」の気概である。なお余談ながら、ベトナム戦争当時の「反戦青年委員会」から借りてきた命名ではあるが、本人はその組織に関係したことが一度もない。

 07年9月、7月の参院選で自民党は大敗し、自公は議員の過半数を維持できなくなった。閣僚などの不祥事が相次いだ安倍首相は、自信の健康維持もおぼつかなく、突如内閣を投げだした。あとを受けた福田康夫首相は、目立たないようにだが、小泉・安倍路線の修正をはかるはずだと見た。

 改憲ムードの潮は明らかに遠のいた。中国・アジアとの関係改善も進むだろう。ここで「委員会」は目的を見失ったような気がしたので解散宣言をし、「塾」に衣替えをした。委員会や塾といっても自分一人である。「委員会」の臨戦態勢を解き、「塾」という日常の中で、ある時は「塾頭」あるときは手習いにはげむ「塾生」に立ち位置を変えてみた。

 ただ「反戦」は、本人が満州事変、上海事件勃発の時期に生を受け、成人するまで戦争・占領下ですごした原体験を背負っている。これはすでに名字のようなものだ。さて「塾」にしてから2年半が過ぎた。その間に麻生内閣は舵取りに失敗し、惨めな崩壊を余儀なくされた。

 そして民主党への「政権交替」。当ブログは、鳩山首相の「友愛」が欧州共同体の生みの親ともされるカレルギー伯の著書に基ずくことを知り、その発想を高く評価した。というのは、EUは知っていてもその動機が反戦・平和にあったことを知る人がすくなく、以前からカテゴリを設け、紹介に努めてきたからである。

 ところが、直近のエントリーで見るようにその期待をどこまで引っぱられるか、はなはだ疑問が大きくなってきた。オバマへの歓迎ムードも今や昔である。こうして見ると、5年間の変転はめまぐるしく、かつ非常に大きい。この先どのような展開が見られるのか、「塾」に勉強の種はつきそうにない。

  2010_04100001_2 この5年間の中で1度遭遇した特異現象に「炎上」がある。それを写真データとして残しておく。これは、チベットの反乱事件に反応しなかった平和勢力ということで、2チャンネルなどがリストアップしたことによる。

 同時に膨大なネットウヨによる非難中傷の書き込みがあったが、ウソを書いた1件をカットしたほかは反応せずにそのまま残しておいた。書き込みは、当ブログの過去記事を読んだことがなく、団体と勘違いしているものがほとんどで、それらの生態を知る上で大いに参考になった。それ以来、アクセス常連になった右派系の方が増えたのは確かなようである。当ブログにとって決してマイナスではない。

 さて6年目、諸兄姉の変わらぬご支援におすがりし、スタートを切りたい。

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2010年4月 9日 (金)

核廃絶はできるのか

 チェコのプラハで行われた米オバマ大統領とロシアのメドベージェフ大統領の「米露新核軍縮条約」調印式が大々的に報道されている。世界をわかせた約1年前のオバマ「核廃絶演説」と同じ場所が用意され、計算され尽くされた舞台装置のもとである。

 新聞などでも「核兵器なき世界」への第一歩などと、手放しの評価が多く広島・長崎の市民の声もその線で拾っている。当塾は、これまでオバマ演説にしろ鳩山演説にしろ、ブッシュ・小泉、安倍のアンチ・テーゼとして高く評価しすぎ、その後幻滅を味わされていることを反省している。

 マスコミはもっと冷徹な目で見て、国民に変な幻想を抱かせない配慮が必要なのではないか。米・露ともにピーク時には7万数千発あったという核弾頭を、使いようのない兵器、維持費のかかる兵器ということで、自発的要素も含めながら徐々に減らしてきている。

 その一方で、世界の9割以上を保有する核大国としての抑止力を誇示する必要もある。だから保持数量はなるべく多く見せかけたいという本能も働く。オバマが言ったったひとつの正直な発言は、彼の生涯の中では廃絶が実現できないかも知れない、という言葉に尽きる。

 米・露交渉は、核兵器の数量カルテルのようなもので、決してそれをゼロにしようとする第一歩などではない。その点を平和主義者は甘く見てはいけない。ブッシュとプーチンが02年にモスクワで結んだ条約は、91年の湾岸戦争当時に設けた上限6000発を1700~2200発にするというものだったが、それを今回は1550とする自然減またはカウント誤差程度のものにしか過ぎない。

 交渉は「核兵器をなくしよう」という理想主義のもとで進められているものでなく、あくまでも、核保有国の既得権益と軍事バランスをどう維持するかのパワーポリティクス・ゲームの中で出た結論だ。アメリカは舞台にプラハを選んだように国外向けPR効果をねらい、ロシアは軍事費節減と大国意識保持という国内向け効果をねらった同床異夢の調印式だったということだろう。

 オバマには、共和党や保守主義者の多い天敵・上院が待ちかまえている。これまでも包括的核実験禁止条約を締結しておきながら、上院が批准を拒否したというような、後ろ向きなことが再々起きた。これがアメリカの現実である。

 核を持たない日本は核軍縮交渉の当事者にはなれない。唯一の被爆国として廃絶の理想論を持ち続け、国連など国際組織やNGOを活用しながら、単なる米国追随を卒業してパスクアメリカーナから多国主義への賢明な橋渡し役になる覚悟がなくてはならない。

◆核軍縮の年表、用語解説はこちらをご覧下さい。
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-88c2.html

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2010年4月 8日 (木)

徒然草第20段

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 なにがしとかやいひし世捨人の、「此の世のほだし持たらぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しき」といひしこそ、誠にさも覚えぬべけれ。

【塾頭訳】誰だったか隠居仲間のひとりが、「この世に何の束縛を受ける身ではないが、誰がやっても政治が大きく変わりそうにもないのが残念だ」と言っていた。本当にそう思う今日この頃である。

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2010年4月 7日 (水)

沖縄は怒っている

 普天間基地移転問題は、名護市キャンプシュワブ陸上案、うるま市ホワイトビーチ沖埋め立て案、徳之島等県外分散案の3本建てが首相の「腹案」の中味らしい。その線で、沖縄県知事やアメリカ当局に了解をとるための下ごしらえを始めたようである。

 これら中央マスコミの報道は、官邸や国会すじあるいはアメリカ関係先の取材が主で、アメリカも重視しており、また首相の公約である沖縄県民の意向がさっぱり聞こえてこない。市や県の議会決議は報道されるものの、それは建前であって、交渉次第によっては受け入れられるかも、といった印象操作さえ疑われる。

 一般の沖縄県民は寡黙である。しかしその寡黙の中に長い歴史の中で受けた苦悩と諦観がかくされているように思える。当塾は、この問題について、1政権の問題ではなく日本の将来にかかわる、そして1地方の問題でなく日本全体の問題である、と繰り返してきた。

 沖縄県民以外の国民の責任は重大である。また同時に沖縄県民の責任も重大であると言わなければならない。その県民の気持ちを察するためには、沖縄の2大県紙の社説が参考になる。以下、その一部を紹介し、今月末に開かれる県民大会に向けた「沖縄県民がんばれ」のメッセージにしたい。

沖縄タイムス

掲載日・3月27日
[うるま市決起大会]なぜ民意に耳をふさぐか

本気なのだろうか。どうも現実味を感じない。

 米軍普天間飛行場の移設問題を沖縄県内だけで処理しようとすればするほど、政府は自ら迷路の深みにはまっていくように見える。いま報じられている政府案について、仲井真弘多知事が「無理筋」だと批判する感覚がむしろ普通だろう。

掲載日・4月7日
題・[首相腹案]暗中模索に募る不安感

 うるま市の勝連沖を埋め立て人工島を造る案に対し、地元は猛反発している。この一点だけでも政府案の筋の悪さが際だち、現実味がうせる。いまどき住民反対を押し切って軍事施設を建設できるのか、ということだ。

 50年代に本土各地で計画された基地拡張計画は住民運動でことごとく挫折した歴史を政府は忘れてはならない。戦後の沖縄でも米軍統治下で「銃剣とブルドーザー」により住民を排除して基地を拡張したが、いま同じことをやれるはずもない。

 なぜ正直に現状を伝えないのだろうか。沖縄に基地が集中したのは米軍統治下のことで、負担軽減には米側も連帯責任を負うはずだ。県内外に受け入れ先がないことを率直に説明し、別の解決策を探れないか協議すべきだ。

琉球新報

掲載日・4月7日
題・外交青書 「国民と歩む」行動で示せ

  鳩山政権初の外交青書(2010年版)が閣議で了承された。
 日米4密約の解明を外交に対する国民の信頼回復につなげ、国民とともに歩む外交を実践すると強調しているが、米軍普天間飛行場の移設問題一つを取っても、民意を踏まえている印象は薄い。

 現状では民主党が「国民不在」と批判してきた自民党政権の外交と大筋で変わらないということになる。
 外交政策の転換を政権交代の成果としてアピールしたいなら、冷戦期に形成された「軍事最優先の外交」と決別することだ。国民と歩む姿勢はポーズだけでなく、具体的な行動で示してほしい。

 

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2010年4月 6日 (火)

与謝野烏、鷹に捕まる

 前回が「与謝野薫に祖母の訓え」であった。晶子おばあさまの訓えは、国民の希いに反し権力争いに明け暮れするみにくい烏になるな、という有難いお言葉だった。

 ところが、教えを破ってはぐれ烏になった孫の薫が、とうとう平沼鷹に捕まった。「えさ場(資金源)も多いし子分も多く立派な巣(東京事務所)もある。俺が大将だ……」で、与謝野新党はどこへ?。平沼はそれでも足らず、落ち目とはいえ現役都知事で仲間うちの慎太郎まで応援させた。

 与謝野烏、最後のふんばりどころとばかり、中曽根大勲位鷹に握手を求めに行った。慎太郎でもどうかと思うのに、ちょっと古すぎない?。あっ、それに大勲位は鷹じゃない、鶏、風見鶏というニワトリだったんだ。

♪烏の赤ちゃんなぜ泣くの
 コーケコッコのおばさんに
 赤いお帽子ほしいよ
 赤いお靴もほしいよと
 カーカー泣くのね

閑話休題

 さてこれからだが、平沼鷹、烏のように白いペンキを塗って鳩に見せかけようなどのことは決してしない。鷹は鷹、毅然とした姿でなくてはならない。これは結構なことだ。「きまぐれの日々」の古寺多見さんではないが「彼らが、平沼赳夫や城内実と組めば、極右政治家が結集した政党となって、わかりやすくて良い」ということになろう。

 新党で一定の議席を確保すれば、テレビ討論の場にも引っ張り出される。街宣車のようなことばかり言ってはいられない。そもそも極右というのは一匹狼が多く、ほとんどの場合、多数を集結するためにはファシズムとか宗教か必要になってくるものだ。

 つまり、アジテーターにはなれても討論には弱い。言論が正常に機能している限り、現在の2大政党再編を牛耳ったり、鷹派を大結集して一極を担う勢力にはならないだろう。仮に平沼色を濃くし、これまで与野党に混在していた右系の人がそこに集まるとすれば、むしろその不条理を攻撃しやすくなる。これは決してマイナスではない。そのために、各党は鷹の爪にかからないよう理念や国家観を、すくなくとも今以上に明確に掲げておく必要があるだろう。

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2010年4月 5日 (月)

与謝野薫に祖母の訓え

 代議政治は国民の一切が国民みずからの生活の幸福な発展を目的として、法律を制定すると共に、一切の政治を運用しかつ監督する権能を発揮する政体です。しかるに官僚と政党とは代議政治の採用されている今日なお依然として国民の上に立ち、平氏と源氏、新田氏と足利氏の関係を以て対峙《たいじ》しております。

 彼らは国民の利害と国家の消長とを口実にしながら、実は政権の争奪を以て主要な目的としております。直截《ちょくせつ》にいえば、どの政党も皆官僚の変形であって、官僚が政党を罵《ののし》り、政党が官僚を罵るのは鴉《からす》が互に色の黒いのを罵るのに等しく、笑うべきことであるのです。

                       与謝野晶子

 『大阪毎日新聞』1917/2/27~3/4(「選挙に対する婦人の希望」抜粋、青空文庫より)

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2010年4月 3日 (土)

「魔がさした?」元農水相

 自民党の若林元農水相が、31日の参院本会議で席の空いている隣の青木幹夫議員の投票ボタンを押して代わりに投票したという事件、「いやまあ、議員とはこの程度のものか」とあきれてしまいます。投票した選挙民や国民に恥をかかせる大失態でしょう。

 本人は、カメラの前で含み笑い浮かべ「魔が差した……」などと言いました。即刻辞表を議長に出して認められ一件落着、これまた軽い話であいた口がふさがりません。そういえば、自民党の農林大臣といえば、このところ武部さんの失言にはじまり、自殺大臣、ばんそうこう大臣と、因縁続きですね。食糧難の頃は、大物政治家の定席だったのですが……。

 ところで「魔が差した」というのは、ど~も言葉の用法を間違えているような気がしてなりません。普通、万引きで捕まった人がよく言いますよね。彼は参議院の投票権を万引きしたのでしょうか。それを言うなら「出来心」の方がよかったのでは?。

 不本意な行動を10回も繰り返したのなら、「前後不覚」という言葉もあります。下にそれぞれ『広辞苑』からその意味を引用しましたが、さすが「失禁」という言葉の引用ははばかられるのでやめました。再び議員になることのない彼の余生を、そこまで汚す気はありません。ただ「魔がささないよう」祈るばかりです。

 ま【魔】-が差す 悪魔が心に入り込んだように、ふとふだんでは考えられないような悪念を起こす。

でき-ごころ【出来心】もののはずみで、ふと起こった悪い考え・思い。

ぜん-ご-ふかく【前後不覚】前後の区別もつかないほど正体のないさま。

 今入ったニュース。与謝野・園田両議員は、自民党を離党することを谷垣総裁に表明しました。自民党、数がどこまで減るのでしょうか。

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2010年4月 2日 (金)

崇神天皇

 先月16日に「神武天皇」を書いたので、その次の注目天皇、崇神天皇に飛んでみます。神武から崇神まで8代天皇がいますが、『日本書紀』ではその事績について語るところが少なく、すべて父子直系相続で115歳まで生きる天皇がいるなど、歴史家からとかく無視されがちの時代です。

 崇神天皇には、いくつかの注目点があります。まず、神武天皇の名は「イワレ・ビコ」といい、大和の地名「磐余」からとったのではないかと言いましたが、崇神は「ミマキ・イリ・ビコ」です。また、皇后の名も「ミマキ・ヒメ」です。

 「ミマキ」は朝鮮南部の任那の城という説が多く、崇神晩年には、はじめて任那の使節を迎え入れています。「イリ」の意味はわかりませんが「入」の字を宛てており、子どもたちの名にもそれがあるため「イリ王朝」という呼び方もあります。韓国へ行ったとき、バスガイドが「崇神天皇は韓国の出身です」と言っていました。教科書がそうなっているかどうか知れませんが、北方騎馬民族出身だと言った日本の学者は、たしかにいました。

 2番目に、もしかして卑弥呼ではないか、といわれる「ヤマトトビモモソヒメ」の巫女としての事績や、死んたあと巨大な墓「箸墓」を作る話があります。また、魏志倭人伝にいう卑弥呼の後継者、台与(トヨ)は、崇神の子豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)ではないかなど、こじつけにしろ奇妙に当てはまる点が多いのです。

 それに関係があるのかどうか、この天皇には「御肇国天皇(はつくにしらしすすめらみこと)」という特別の称号がつけられました。実は、「始馭天下之天皇」と字は違うものの、全く同じ称号が神武天皇にもつけられているのです。日本国の始祖がふたりいたことになります。

 神武同様、この天皇の時代も史実と認めない説がこれまで有力でした。皇后の父とされる将軍・大彦命は、単に大いなる男という名の架空の人物という人もいました。ところが、1978年に埼玉・稲荷山古墳から出土した鉄剣に銘文があり、雄略天皇の時代のヲワケオミの6代前の先祖が「オホヒコ」だと書いてあったのです。

 鉄剣には辛亥年(471)7月中に記すとあるので、200年以上あとに書かれた『日本書紀』を見て書いたわけではありません。偶然の一致というのも無理です。創作上の人物である可能性は大きく後退した、つまり崇神紀には史実が反映している、というのが塾頭の考えなのです。

 

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2010年4月 1日 (木)

米軍、抑止力を否定

 沖縄基地移転問題に関して、沖縄の海兵隊の存在理由が抑止力であるという日米両国政府の説明に対し、米太平洋海兵隊のキース・スタルダー司令官が、駐留の意義は、北朝鮮崩壊の際核兵器を回収するためだという本音を語っていたことが毎日新聞(4/1)の報道でわかった。

 2月17日、赤坂の米大使館で開かれた両国防衛当局幹部の会合で、「実は沖縄の海兵隊の対象は北朝鮮だ。もはや南北の衝突より金正日体制の崩壊の可能性の方が高い。その時、北朝鮮の核兵器を速やかに除去するのが重要任務だ」と言ったという。

 現に3月8日から展開していた米韓合同軍事演習には「核兵器など北朝鮮の大量破壊兵器の捜索・確保・除去」を任務とする米特殊部隊の輸送が含まれており、米国会にも報告されている。これについて、マイケル・グリーン元米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長は、そうすることで中国への間接的な抑止力になるというが、いかにも苦しい。

 防衛庁の情報中枢も、台・中の問題にアメリカはできるだけかかわりたくないという意向のあることをつかんでおり、中国への抑止力という説明は完全に破綻している。また、北朝鮮対策なら沖縄より本土からの方が近いし、すでに合同訓練をしている韓国ならもっと近い。

 しかし、当塾でかねて主張しているように海兵隊を北朝鮮に展開するのは極めて難しく、現実にはあり得ないことだろう。海兵隊が出動するということは、相当の抵抗を排除し、一定の地域を完全に制圧するということだ。100万の正規軍があり、山岳地帯とトンネルで要塞化したところへ1~2万の海兵隊が行くには、膨大な損害を覚悟しなければならない。

 イラクでは大量破壊兵器の発見に失敗し、アフガンでは原始的な装備しかないタリバンに手こずっている。第一、国境を接する中国にとって、アメリカ軍の侵攻は決して無視し得ない国家安全上の大問題だ。人民解放軍が国境を越えて予防線を張るようならば、第2次朝鮮戦争の再開になるだろう。

 誰が考えても、アメリカがそのようなことをするはずがない。「なぜ沖縄に」という疑問は、日本よりむいろ米国内の方に多いという。ここらの事情を同紙は1面と3面を使って詳述しているが、一つは日米同盟をより深化させるため、日本の北朝鮮脅威論を利用しない手はないということと、沖縄がいかに「居心地がいい」かということに尽きるのではないか。

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