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2010年3月 6日 (土)

徴兵制今昔物語1

 自民党に憲法改正推進本部というのがあって、3月4日にまとめた論点整理というものが外部に出た。小泉政権当時、桝添議員などかまとめた改憲案があるが、つぎはぎだらけなお粗末なもので、素人が見ても現憲法の格調には遠く及ばないものだった。

 さすが、もう一度持ち出すのは恥ずかしいと思っているのだろう。改憲気運も遠のいたので、この際うんと保守色の強いもので練り直そうというのか、徴兵制を検討対象にするかのような表現もある。大島理森幹事長が慌てて打ち消しに回ったが、研究ならば大いに結構、やってほしい。

 どうせ、起案する面々は自分が徴兵されるとは思っていない。また若い人も何のことかよくわからないだろう。そこで、まず日本に徴兵制度ができた頃のお話からはじめよう。明治維新までは、戦争するのは武士と決まっていた。殿様に命を預けるかわりに代々俸禄を授かる。農民は年貢を取られるが兵役の義務はなかった。

 それが、明治新政府になって国民皆兵、身分を問わず男子は兵役の義務を負うことになる。農民は、年貢も取られるし兵役も科せられる、これでは合わぬと思っただろう。以下は、農民ではないが、彫刻家として有名な高村光雲の体験談『幕末維新回顧談』(岩波新書)をアレンジして再現してみよう。

はじめての徴兵制
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 ご一新でなにもかにも変わる。いきなり太陽暦となって以前とは違う月日になったと思うと、その翌年の明治六年に、寅歳《とらどし》の男が徴兵に取られるということがありました。それはそれ切りのことと思って念頭にもなかったのです。

 その当時の社会一般に人民が政治ということに意を留めなかったので、徴兵令はその以前に発布されて新しい規則がしかれていたのであろうが、自分のこととして徴兵適齢が頭の上に来ていることに私は気が附かなかった。
 
 ところが、明治七年の九月に突然今年は子歳《ねどし》のものを徴集するのだといって、扱所といったと思う、今日の区役所のようなものが町内々々にあって、そこから達しが私の処へもあったのです。なるほど当年二十三のものは子歳で、私は正にそれに当っている。何時何日に扱所に出頭して寸法や何やかやを調べるというおふれです。

 これは大騒ぎ。今日から思うと迂闊極まることではあるが、今日とは物情大変な相違であるから、我々は実に意外の感。まず第一に親たちの驚き。夜もおちおち眠られぬという始末。また師匠の心配。私が兵隊に取られるとあっては、容易ならぬ事件。仕事の上からいっても、今、私を取られては仕事その他種々差し支えがあるというので、当人の私よりも師匠がまず非常の心配をしました。

 そこでいろいろ調べて見ると、そこにはそれなりの逃《のが》れ道があるのです。というは、長男である総領は取らぬということです。私は事実は総領のことをしているが、戸籍の上では次男でありますから、この逃れ道は何んにもならない。私は兵隊に取られる方である。

 ところがまた、次男でも親を一人持ち、戸主であれば取らぬという。それから、もう一つ、二百七十円政府へ上納すれば取らんというのです。それで、お金のある人は金を出して逃れる道をした、その当時何んでもない爺さま婆さまが、思い掛けなく、金持の息子の養子親となって仕合わせをしたなどいう話があって、これを「徴兵養子」と称えたものです。

 毎年この徴兵令のことは打ち続いて行われるのだそうで、国家のため、さらに忌み嫌うべきことではないが、師匠の考えでは、私がこれから三年の兵役を受けることになると、今が正に大事な所、これから一修業という矢先へ、剣付鉄砲を肩にして調練に三ヶ年の間をあけては、第一技術の進歩を挫き、折角のこれまでの修業も後戻りする。

 親たちの心配もさぞかし。これはどうしてもその抜け道を利用して何んとかこの場を切り抜けて始末せねばならないと師匠東雲師が先に立って、いろいろ苦心をされた。知り合いのうちにこんなことを引き受けて奔走する人があって、その人に相談をすると、次男なら仮りの親を立てれば好い。誰か仮りの親になる人がないかということであった。

 そこで師匠は直ぐに思い付き、「それは格好な人がある。私の姉、悦《えつ》が、今日まで独身にて私の家にいる。それに一軒持たして、幸吉を養子に、同時に戸主にしては如何でしょう」というと、その人は、それがよかろう、しかし、日限が迫っているから、大急ぎという。

 で、師匠は右の趣を姉お悦に話すと、もちろん承知で、かねてから師匠が持っていた別宅へ引き移ることにしたのであった。この事につき万事その人が始末を附けてくれました。

 お悦さんが籍を移し、私が養子となり、今まで中島幸吉であった私が高村幸吉となった訳であります。私が高村姓を名乗るようになったのは全く徴兵よけのためであったので、これで一切始末が附いて、私は兵隊にならずにすんだのでありました。今から考えるとこれはあまり良い事ではないようです。

 後に、師匠が彼の人に話しているのを私は聞いていたが、もし幸吉が悦の養子になれないとすれば、自分は二百七十円政府へ納めるつもりであったが、お蔭で手軽く済んでよかったなどいっておられました。思うに師匠は私のために大金を出しても兵隊に取られぬようにしようという決心であったと察せられました。師匠がいかに私のことを考えていられたか、今日でもその当時のことを思うと師恩の大なることを感ぜぬわけに参りません。
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コメント

この徴兵制の件は共同通信の誤報、もしくは悪意ある曲解に等しい報道でしょう。「徴兵制の復活」や「徴兵制の導入」を検討しているわけでもあるまいし。誤解されやすい表現をしていた自民党もよくありませんが、あくまでも検討である以上、それ以上でもそれ以下でもない。先日までマスコミ批判をされていたと思いますが、自民党に都合の悪い場合はスルーですか?残念です。

投稿: herosu | 2010年3月 7日 (日) 08時11分

herosu さま。
 この記事を書くにあたって、共同通信は見ていません。共同に記事を頼らない有力各紙を確認したものです。
 大島幹事長も「論点整理」の中に「徴兵制」の文言があるのは否定せず、ドイツなどのケースを調査するだけだと弁明しているので、誤報とはいえないでしょう。
 マスコミ批判は、権力指向、記者クラブ依存の体質を云っているのでこの場合はあたりません。(記者クラブのいい点も知っています。笑)
 


投稿: ましま | 2010年3月 7日 (日) 10時18分

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