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2010年3月 8日 (月)

徴兵制今昔物語2

 日本で徴兵令が最初に頒布されたのは、明治5年(1872)12月1日である(『日本史年表』河出書房新社)。この模様は高村光雲の体験を通して前回記述した。この中で家業を継ぐ長男は徴兵免除になったが、事実上長男と同じ立場にいても次男以下はだめ、ということが書いてある。

 与謝野晶子の有名な詩「君死にたまうことなかれ」は、老舗菓子店を継いだ新婚早々の末弟が日露戦争にとられ、生き延びて帰ることを祈ったものである。平時はともかく、戦時は徴兵が直ちに死の恐怖につながる。徴兵令は、一度制定されると基準や細則は簡単に変えられてしまう。

 長子特別待遇などは次第に顧慮されなくなった。ただ、抜け道はだんだん悪質化し、徴兵検査の記録改ざんのための買収が地方・中央の有力者の間で行われたり、前科者は徴兵の対象外という規定を悪用して、故意に犯罪をおかして捕まるという若者もいたようだ。

 ことに、昭和2けた以後になると、徴兵やその後の配属先について、軍部要人の口利きで左右されることはもとより、逆に気に入らない人物を死亡率の高い前線に配属するなど、悪意の不公平が半ば公然と行われた。そういったことが戦後の軍部批判につながったといえよう。

 そこで、戦中は小・中学生だった「少年T」の徴兵感を取材してみた。

 当時は、成人式などない代わりに、満20歳になると「徴兵検査」があった。これは逃れることのできない男性の通過儀礼であった。「甲種合格」、これは小さい時から学校の体操の時間などに、とことんたたきこまれた概念だ。まっ先にお召しを受ける「男子の本懐」、そして家庭や地域にとっても「最高の名誉」と続く。それから、第一乙、第二乙とあってここまでは合格。場合によっては徴兵の順番が回ってくる。

 それ以下は不合格扱いで「物の用にもたち得べしと思われず」という、世間さまに顔向けできない地位に置かれた。色気づいた小学校高学年の頃は、徴兵より徴兵検査の方が恐怖だった。一糸もまとわずに整列、軍人検査官の前で「きおつけ」、ジロジロと見られる。不動の姿勢がとれなかったらどうしよう。それから回れ右をして四つんばいになりケツの穴を見せる。

 こんな恥ずかしい思いをするのは死ぬほどいや、という年頃だ。M検といって、性病と痔の検査をしたのだ。あとで聞いたのだが、痔に見せかけるためにブタの肉片を挟んだとか、醤油を一気飲みして病気に見せかけたという徴兵のがれの話、それも日本男子の恥でできるものではない。

 そのうち戦争は日に日に逼迫してきた。どうせのがれられない道、死ぬなら怖くなく苦しまずに死にたい。陸軍の輜重兵、これは絶対いやだ。重い荷物を持って泥沼をくぐってでも運ばなくてはならない。それに敵に遭遇して手柄をあげる機会もない。

 海軍は、潜水艦がいやだ。事故で浮上できず空気がだんだん減っても逃げられず、狭い空間でもがきながら死を待つだけ。名誉の戦死にはほど遠い。そうすると、徴兵の前に志願して少年航空兵というのが一番いい。♪若い血潮の予科練の 七つボタンは 桜にいかり……。映画を見て大いに感激。今でいう「かっこいい」わけだ。敵艦めがけて自爆すれば一瞬で死に至る。

 そうして、昭和19年、20年。志願の年齢まであと2年。しかしその頃は、乗るべき飛行機がもうなくなっていた。近眼だし、合格する保障もない。知らなかったことだが、徴兵検査も19歳、18歳17歳と繰り下がってきたようだ。その頃は、本土決戦などといっているから、もう、どうにでもなれだ。

 死んだ父の遺言は、「息子を大学までやれ」だったと母から聞いた。多分、徴兵猶予の特典があったからだろう。だけどこれは昭和18年10月、鳴り物入りの学徒出陣でほごにされた。叔父の一人は、0歳児を含む3人の幼児を残して応召した。配電会社変電所の技術主任で、とられることはないだろうというのが周辺の見方だった。

 戦後、もしやの復員はなく、目撃者も証言者もなく、一片の遺骨さえ帰ってこなかった。19年のある日、1日の外泊を認められ自宅に顔を見せに戻ったことがある。帰隊する叔父を駅で見送った時、「配属は南方でもう会えない」という予感が、叔母をはじめ皆の頭にあった。しかしそれを口にする者は誰もいない。車両最後部のデッキから身を乗りだし、懸命に手を振る叔父の姿が今でも目に焼き付いている。

 もう一人の若い叔父は、徴兵検査前に軍属として中国・北京の司令部に雇われた。ここにいれば南方に飛ばされるようなことはなさそうだが、戦争も末期になれば情実など「どうにでもなれ」で意味をなさなくなる。南方派遣軍の幹部達は先を争って帰国の便に群がったという。

 徴集を受けた一般兵なら、戦線離脱・敵前逃亡は即射殺だ。8月15日のご聖断放送がなければ、また別の運命が待ちうけていたかも知れない。これが「何でもあり」の戦争の姿なのだ。 

 

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