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2010年3月27日 (土)

帝国陸軍遺跡保存運動

 市川市国府台と帝国陸軍には切っても切れない縁がある。陸軍に応召された経験のある人には、よく知られている。しかし、戦後その跡形は1、2の記念碑を残してすっかり消え失せ、人の記憶から抜け落ちようとしている。そこへ最近かけがえのない「お宝」が存在することがわかった。2010_03270013

 写真の煉瓦造建物である。血清研究所の構内にあり、これまで人の目に触れることはなかった。旧陸軍が残したもので、ほかにもあった建物はすべて鉄筋コンクリートに建て替えられたがこの1棟だけ残っていた。血清研究所は閉鎖され、跡地を更地にして払い下げする計画が進んでいた。

 この煉瓦造建物(縦横20×9m、高さ8m)は、当初、棟札に「起工明治36年3月6日、竣成」とあり、その当時のものと考えられていた。ところが工期がわずか25日と異状に短く、また煉瓦の積み方が明治10年代に多く採用されていたフランス積みという形式であることから、棟札は屋根の補修を行った時のものである可能性が強まった。

 いずれ学術的に建築時期は証拠付けられるだろうが、仮にそうだとすると、煉瓦造りの建物として千葉県内最古はもとより、東京駅や横浜みなとの赤煉瓦街より古いことになる。この地に陸軍の施設が最初にできたのは明治16年の陸軍教導団で、軍人勅諭がでた翌年、まだ帝国憲法は発布されていない時期であった。

 教導団とは、後の陸軍士官学校の前身で、日本でただ一つ、下士官を養成する施設で日本各地から若者を集めた。そして、ここから日清戦争(明治27、28年)、日露戦争(明治37、38年)を戦う実戦の勇士が巣立ったのである。

 明治30年には、その後の主力となった野砲連隊がおかれ、幾多の変遷を経ながら「軍都の町」を形成した。その中で野戦11連隊は、沖縄で帝国陸軍最後の戦いに参加している。また、記憶されなければならないのは、やはり全国でただ1カ所、専門の精神科がおかれる陸軍病院があったことだ。

 同病院のカルテなどの史料から、今アメリカで問題になっている「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」に相当する患者があり、戦後の社会復帰がなかなか果たせなかったケースなども明らかになりつつある。煉瓦造建を文化遺産として残す運動がようやく立ち上がり、本27日、最後の見学会(払い下げ前の地質土壌検査が約1年かけて行われるため)があった。

 この地は写真(下)の木立の下に江戸川が流れ、右隣が里見・北条軍が戦った古戦場跡の里見公園、対岸右は矢切の渡しを経て柴又、左奥の遠景には建設中の東京スカイツリーも見える。背後には、奈良・平安時代の国府跡、国分寺なども控え、観光資源は豊富だ。

2010_03271_2  市民・県民・国民のバックアップがあれば、文化遺産保存のほか、他の既設建物も利用した「帝国陸軍記念資料館」「同記念公園」ができる可能性がある。早くて数年先になるだろうが、そんな夢を持ち続けたい。

「赤レンガをいかす会」連絡・問い合わせ先
akarenga_2010@yahoo.co.jp

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コメント

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啓 わが町はそのいにし海軍の街でした。海軍航空隊発祥地の地ですから、明治の施設はありません。
しかし昭和10年(1935)に建設されたという「海軍将校倶楽部」の建物が、著名な建築文化史家の目に止まり、
(県洋風建築重要遺構調査対象)町民組織の訴えが実り、町費で解体保存されました。
94年の話です。
…かくて今年、総工費約12億7千万円。という平和記念館が開館しました。海軍将校倶楽部を復元する絶好の機会だったと思っていたのに残念なことながら、この「将校倶楽部」の面影は何処にもありませんでした。
出来上がったものは、「予科練平和記念館」で検索すれば、すぐ判ります。いわゆる「ハコモノ」にろくなものはありません。
後世に恥ずかしい施設です。

投稿: tani | 2010年3月29日 (月) 20時50分

tani 兄
ご来光ありがとうございます。

小生、考古学好きのため地方の資料館(はこもの)によく行きます。たしかに目玉になるような展示物を持っている所がありますが、日に1、2名くる客のため、側について説明してくれる管理人の親切と、維持費への心配がいつも気になります。

写真(下)の左側の白い建物は戦後になって建てたものですがしっかりしており、ここを利用して資料館にしたり最上階を見晴らしを兼ねた味自慢の食堂にするのもどうかな?、という感じです。

血清研究所も、かつて隣町にあった軍の輸血など医療目的のものを移したらしく、市民にはなじみのないものでした。

軍都というのは、将校用の料亭とかみやげ用の菓子とか、そういった伝統を持つ老舗店舗も多く、市民も利用できる食堂が成り立つといいのですが。 

投稿: ましま | 2010年3月30日 (火) 10時50分

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石川啄木の『啄木詩集』のなかの『ココアのひと匙』から、 われは知る、テロリストの  かなしき心を   言葉とおこなひとを分ちがたき  ただひとつの心を、 奪はれたる言葉のかはりに   おこなひをもて語らんとする心を、                          われとわがからだを敵に擲げつくる心を              しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり          はてしなき議論の後の    冷めたるココアのひと匙を啜りて、    そのう... [続きを読む]

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