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2010年3月25日 (木)

「東京裁判史観」の暴走

 韓国の学者が、彼がいう「国民会議をはじめとする日本の右翼と一部保守勢力」や「新しい教科書をつくる会」のメンバーを激しく糾弾する中で、これは「東京裁判史観」に陥っているためだ、というレポートを書いた。

 おいおい、待ってくれよ。「東京裁判史観」というのは、あなたが攻撃する右翼勢力の造語で、そもそもそんな「史観」など存在しないし、やはり彼らがいう「自虐史観」と同じで、あなたの主張を支持しようという人たちを攻撃する時に使う言葉じゃないか。

 なんだか頭がこんがらがってきた。これは、最近発表された「日韓歴史共同研究報告書」のサマリーが新聞に載り、その中にあったのだ。塾頭の頭が悪いのか、新聞の要約が間違っているのか、とにかく確認のためネットで財団法人日韓文化交流基金の報告書本文を見ることにした。

 前後の文章から見ても間違いではない。教科書問題分科会で辛珠柏(シンジュペク)という人が書いている。

 韓国社会は日本の歴史教科書問題を対日過去精算の側面から接近する。しかし、日本の歴史教科書においてこうした観点は非常に弱いか、初めから抜け落ちている場合が多い。侵略責任と戦争責任を全く自覚できないでいるためだ。軍部にすべての責任を転嫁する「東京裁判史観」に陥っているためだ。結局、謝罪と反省も自分のすべき事ではないと考える日本人が多い理由もここにあり、不適切な発言が再生産される原因もここにある。

 このブログでは、戦争遂行を地方の末端で支えた1警防団長が敗戦放送の翌日に書いた日記を掲載した。この人は、東京裁判の結果を見て軍部の責任追及をしたわけではない。天皇、政財界、マスコミ、そして庶民に至るまで戦争責任なしとはしないが、昭和になってからの軍部の独走、右翼がらみのテロ、そういったものが牽引した戦争であったことは、東京裁判がなくても立証されており、その補強史料も増加している。

 また、東京裁判と昭和以前の朝鮮侵略とは何の関係もない。一般庶民に朝鮮人差別があったことは否定し得ないが、戦争とともに「人的資源」確保の意図があったにしろ、またそれが迷惑なことであったにしろ「同化政策」で差別をなくしようという国家戦略が存在した。これは塾頭の身近な体験でもある。

 それらが包括的な歴史検証の対象とならず、矮小化された国民感情の衝突だけにとらわれた共同研究ならしても無駄だ。「東京裁判史観」という右翼の造語を、不用意に韓国学者が使う愚かしさでその程度が知れる。そもそも、靖国参拝で物議をかもした小泉首相と左翼政権を作った金大中大統領のもとで発案され、安倍首相の肝いりで人選したスタッフである。

 最初から政治対決のチャンピオンとして研究にのぞんでいるように見えるし、歴史の専門家でない人もまじっている。できるだけ民間ベースにゆだね、それこそ共同体化した恒久的研究組織を作って、出直した方がよそさそうである。そして「東京裁判史観」などという正体不明の用語は、永久追放にしようではないか。国際的に間違って通用するようになっては困るのだ。

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コメント

難波の葦は伊勢の浜荻、中国の汽車が日本の自動車であるように、同じ言葉でも国によって指している実態が違う例はいくらでもあります。
ですから今回問題の『東京裁判史観』なる言葉も、両者が『意味するところ』をすり合せていけば良いだけで、それ程重要では無いと思います。
其れより韓国側教科書が、村山談話は日本国憲法の9条の記述がないとの日本の指摘は的を射ている。
ただ言った側の日本側委員が村山談話や9条否定の人物と同一らしいので、韓国側に無視されたようです。
いくら正しい論でも言う資格のない人物が言うと全く信憑性や信頼感がない好例ですが、
そんな事よりも見過ごしに出来ない発言も随所にあった。
日本側委員の、教科書編纂から見た歴史教育について、
>敗戦後の日本は自らの近現代史の評価は屈折したものとなっている。・・・歴史学者の間では有力で、教師から支持される解釈かもしれないが、多様な国民の常識を反映しているとは言い難い。<
と述べているが『作る会』教科書以外への敵視と、歴史学と教科書が別だとの考え方で、トンデモナイ恐ろしい考えからです。
歴史学が客観的事実やその相互の法則性を調べる『科学』ではなく、『自分が如何思う』『政治的に如何解釈できるか』で自由な主観的判断が可能な文学だとでも勘違いしている。
また、
>多くの歴史学者や教育学者は、国定教科書は国家イデオロギーを国民に吹き込む道具として作られたという解釈を捨てていない。彼らは教科書を執筆する際も平和主義と民主主義を鼓吹する手段と見なしている。彼らの教科書観は国定教科書のあり方と正反対に見えるが、教科書は自分たちが正しいと信ずるイデオロギーを国民に浸透させる手立てと見る点では共通している。教科書は子どもに特定のイデオロギーをたたき込む手段ではない。<
などと『新しい歴史教科書を作る会』の考えに凝り固まって、普通の教科書や歴史学教育学への敵視はとどまるところを知らない。

投稿: 逝きし世の面影 | 2010年3月29日 (月) 14時16分

教科書の記述に使用する言葉の問題としては、
昔の左翼学生運動で良く使われた『米帝』と同じような、韓国での戦前の日本を指す『日帝』と言う言葉が、ことさら日本国に対する敵意を煽る政治的な目的と意味を持っているのではないかと危惧しています。
以前日本で良く使われていた李氏朝鮮が韓国側から批判されて使用を止めた前例があるが、『日帝』の問題ではないでしょうか。?
日本が昔は『帝国』だったのは歴史的事実で間違いではないが、それなら大日本帝国か、あるいは日本帝国でしょう。

投稿: 逝きし世の面影 | 2010年3月29日 (月) 14時27分

逝きし世の面影 さま
コメントありがとうございます。

「東京裁判史観」という実態のない造語(そんな学説はなく、戦争責任が軍部に偏在すること、満州事変以来大陸侵略が続いたことなど、東京裁判以前から指摘されていたこと)で、世界に誤解の種をまくのは賢明とはいえません。すくなくとも、歴史的叙述からは抹殺されるべきです。

「日帝」も「日王」も漢字を追放した国では略称といえずチャン…、チョン…というのと同じ侮蔑語になりますね。

もともと、両国の史料の量と研究の蓄積は日本が圧倒的に凌駕しており、韓国でも権威ある史学者の重鎮などの考えは、現代史をのぞいて大きな差(李朝末期の失政などを含め)がありません。

むしろ安倍人選で、日本のレベルを大きく落とし、韓国側の敬意を得られない結果を作ったのが問題だと思います。

やはり民間ベースの学術交流に重きを置くべきでしたね。  

投稿: ましま | 2010年3月29日 (月) 21時22分

韓国側委員の「東京裁判史観」という言葉は確かに問題ですが、指摘している事実は、ある程度は本当の事ですよ。
ドイツでは戦争責任を全てナチス(具体的にはSSに)被せて、戦争をした本体であるドイツ国やドイツ国軍、ドイツ人には責任が及ばないようにしたのと同じような責任転嫁(責任の局所化)が日本でも行われて、『戦争責任は一部軍国主義者である』とする政治決着が日中国交回復時に行われたが、これは実は歴史的事実とは違い、客観的な事実を追求する歴史学的には間違いです。。
当時のドイツは最も民主的な憲法の下に圧倒的なドイツ市民の支持の下にヒットラーが政権を掌握していたのであり、私的な組織のナチの親衛隊(SS)よりも国家の正規な組織であるナチ突撃隊やドイツ国軍の責任はSSと同等か、それ以上ですが、親衛隊だと少数だが突撃隊だとドイツ人尾殆どが関係してくる。
それでSSに全ての責任を転嫁してそれ以外のドイツの戦争責任を隠蔽した。
ノーベル文学賞作家ギャンター・グラスが少年時代に武装SSに志願したと告白した後のドイツ国民の反応は常軌を逸した異常なものでした。
日本も今から見れば遅れているが当時アジアでは最も民主主義の発達した国家であったわけで、新聞などマスコミによって形成された戦争支持の世論は侮れない勢いがあったのです。
戦争責任は東条などA級戦犯だけに限定するのは田中角栄と周恩来両首相等日中当局約束事。
ですから首相のA級が合祀された靖国参拝は国家間の約束破りだとの説は私も何度か語っているのですが、韓国側委員の意見とも一部は重なります。

投稿: 逝きし世の面影 | 2010年3月31日 (水) 12時30分

兄と意見は一致しません。
私のは史観ではなく体験です。
また、ワイマール憲法と、帝国憲法ならびに天皇神格化の戦前を同列に置いたり、新聞記事と世論(国民の本音)一緒にする手法はずさんだと思います。

投稿: ましま | 2010年3月31日 (水) 13時27分

近代国民国家では、必ず国民の支持を取り付けてから戦争を行うものです。
国民国家の誕生で『戦争』が規模も姿も一変してしまう。
この『国民の支持の強さ』が自動的に戦争の勝敗に影響するのですが、これは世界最初の国民国家であるフランス革命後のナポレオン軍の強さの秘密でもあった。
2百数十年前のフランスの民主主義の程度は戦前の我が日本国よりも勝っているとは到底思えないが、周辺欧州諸国に比べれば格段に勝っていた。
それで一時はフランスはドーバー海峡の向こうのイギリスを除く全ての欧州を支配下に置く。
国王に雇われて雇い主の為に戦う兵士と、国家の為に戦う国民国家の兵士ではモチベーションが大きく違っていたのですが、これが戦争の勝敗に大きく影響してくる。
この原則は国民国家同士の戦争にも言えて、中国は辛亥革命後に封建的な帝国から国民国家になるのですが、先輩の日本に比べれば国民意識は各段に低かったので自動的に中国兵の意識(戦意)も低いので日本軍には勝てなかったのです。
その原因は矢張り中国の民主主義の程度の低さでしょう。
当時の日本は今から見れば遅れていたが周辺アジアと比べれは各段に進歩した明治維新以来の半世紀近い議会制民主主義(国民国家)の歴史があったのです。
戦後のことですが、作る会や中山成彬元文部大臣が考えているように日教組の反戦教育のお蔭で愛国心がなくなったとの話の正反対。戦後でも戦艦大和は世界一、ゼロ戦は無敵、日本軍は強かったと授業そっちのけで生徒に語っていた先生が何人もいたが、戦前ではもっと沢山いたと推察されます。

投稿: 逝きし世の面影 | 2010年3月31日 (水) 14時36分

議会制民主主義、国民の賛成どころか、統帥権のある天皇の意志に反してまで戦線拡大をはかり、戦争に追い込んでいった軍部の専横が日本の歴史です。
国民の支持のないまま戦争に突っ走ったから日本は負けたのでは?。

投稿: ましま | 2010年3月31日 (水) 18時33分

中国に対する悪辣な帝国主義戦争だったアヘン戦争で英国議会の賛成票は過半数ぎりぎりで可決されるが、それでも名目的には国民を代表している議会が賛成したので英国は戦争に突き進む。
このとき国会議員の半数近くは戦争に反対していた。多分国民レベルではもっと反対意見は多かったでしょう。
しかしそれでも戦争になるのです。日本軍部の専横は事実ですが、議会も政府も一応はこの時点では存在していたが、アヘン戦争の英国と同じで、全てが戦争に賛成してしまったのです。
日露戦争当時も開戦時には戦争反対だった萬朝報までが賛成し、マスコミは全て戦争賛成になってしまう。
国民の支持がなければ国民国家は戦争が出来ませんが、これは国民全てが完全に賛成しているの意味ではなく、名目的に国民の賛成で戦争をしていることにしているの意味です。この場合には戦争反対の世論は沈黙しているのです。

基本的に『徴兵制』とは国民国家でなければ実施できないのです。
日本でも戦争をするのは武士だけで一般庶民層は税金を払うだけで戦うことはないと思っていたのですが、明治新政府は徴兵制をしくわけで、当時は不満は信じられないくらいで皆が反抗して、日清戦争以前には『おしん』に描かれていた脱走兵などは当たり前であったらしい。
これが変化するのは日露戦争辺りからで、動員率が飛躍的に向上する。
当時は数十万人規模の動員ですが太平洋戦争時には数十倍の規模に膨れ上がる。
日本では根こそぎ動員なる言葉があるが第二次世界大戦時の動員率は8%(6百数十万人)で、実はアメリカの半分の少なさなのです。
最高の動員率はドイツの25%(2000万人)で男子の半分を兵隊として徴兵していた。
これを可能としたのは名目的であるか本当であるかに関わらず国民国家の『国民の支持』なのです。

投稿: 逝きし世の面影 | 2010年4月 1日 (木) 11時24分

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