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2010年3月

2010年3月31日 (水)

軍人の属性

 ここでいう「軍人」には「兵士」は入りません。指揮命令権のある将校以上と、文人であっても防衛関係官僚や右派政治家を含みます。日本には軍人がいない建前ですが、自衛隊も外国の軍隊と属性は同じです。「属性」ですからすべてそうだとはいいません。立派な考え(ということは「立派でない」悪口を言おうとしている(^^))を持つ人が大勢いることも知っています。

①兵士=家族や愛するひとのために戦う(命を捧げる)。軍人=国家のために戦う。
⇒もともと軍隊とは国家と国家の戦いのためのもので、冷戦終結以降相手にする国家がなくなったアメリカは困っています。ブッシュは「ならずもの国家」とか「テロ支援国家」というのを作ることで対処を試み、オバマはイランとタリバンに的をしぼったがそれでもまだおかしい。ハイテク兵器を使ってゲリラや自爆テロが戦う愚かな戦争が、際限なく続いています。

②国を守るためには予算や人は多い程よく、その獲得のために手段を選ばない。
③敵に勝つためには、カネに糸目をつけずたえず最新の兵器を持つことが必要だ。
④予算獲得で他の兵種(陸軍と海軍といった)に差を付けられることを極端に嫌う(日本でも戦前を含め増減率が固定される傾向)。

⇒世界の軍事費の半分を使うアメリカは、経済危機を乗り切るためすこしでも軍事費を切りつめたいところです。しかし削る分は最大限同盟国に肩代わりさせ、大幅カットを避けようとしています。米軍の規模縮小は、自動車産業同様、直ちに企業存続・失業増大に関わる、アメリカの体質の一部になっている感があります。 

⑤予算獲得のため、仮想敵国を設け常にその脅威を強調しておく。
⑥軍事機密という隠れ蓑を特権的に使いたがる。
⑦命がけで戦う義務があることを理由に、一般国民と違う特殊な権利や威光を欲しがる。
⑧武器を持つと実際に使って見たくなる(元軍人の証言)。

⇒軍事費1%枠というしばりのある日本はアメリカほどでなくても、軍人の属性には変わりありません。ただ、脅威強調は、アメリカの「テロとの戦い」と日本の「中国・北朝鮮」で、重点の置き方が明らかに一致を欠いています。合同訓練を行う同盟国だから、お互いの利益のために適当に口裏を合わせているというのが実態でしょう。

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2010年3月30日 (火)

社民党さんへ

 普天間基地の県外、国外移転は正論だと認めた上での提案です。これが実現しなければ、連立解消もいいでしょう。しかしその前にしてほしいことがあります。それは、次のようなことです。

①社民党案を実現させようとすれば、日米関係が一時的にしろ悪化する懸念があります。それを認めた上で、長期的にはこれが国益になるという、順序立てた説明を国民にしてください。

②自民党の石破さんは、「台湾有事の場合、米海兵隊は沖縄からなら○時間、グァムからでは○時間もかかる。だから沖縄の米軍基地が必要であり、日本の安全にとっても必要だ」などとテレビで言っています。冷戦時代から一歩もでない絵そらごとだと思いますが、台湾有事とは何か、武力衝突はあり得るのか、仮に独立運動制圧のため中国が動いたとしても、中国の内政問題と言われればそれまでです。

 アメリカには台湾支援や紛争介入の法的根拠があっても、日本には全くありません。日本を基地にして軍事行動を起こすというのは憲法違反です。また、中国には反撃の口実を与え、日本の安全にとってむしろ危険です。こういったことについて、与党間あるいは、自民党に対して説明を求めたり、主張したり、議論をしたということを聞いたことがありません。

 あるいは防衛委員会などで質疑応答があったかも知れませんが、「だから国外」という社民党案の説明の中にはないように思います。それともマスコミが報道しないのでしょうか。もしそうなら、取り上げられるように努力するのが貴党の責任です。

③貴党は、自衛隊を合憲だと認めました。あらためて日米安保のもとでの自衛隊のあり方、任務について具体的な方針を示す義務があると思います。

 内閣や民主党内の混迷ぶりから、もはや政権交替当時の建設的な解決を期待することはできません。場合によると、普天間移転では沖縄県民の同意が得られず、内閣退陣にまで追い込まれるかも知れません。また、参院選に前後して政界再編が進み、改憲派が息を吹き返すようなことがあれば大変です。

 このような時、小沢さんほどでなくともコペルニクス的転回をはかり、次の政局をリードすることができれば、その時はじめて貴党の存在価値が認められることになるでしょう。これまで通りの教条主義的抵抗勢力では、党消滅にまっしぐらです。そうならないよう念じてやみません。

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2010年3月27日 (土)

帝国陸軍遺跡保存運動

 市川市国府台と帝国陸軍には切っても切れない縁がある。陸軍に応召された経験のある人には、よく知られている。しかし、戦後その跡形は1、2の記念碑を残してすっかり消え失せ、人の記憶から抜け落ちようとしている。そこへ最近かけがえのない「お宝」が存在することがわかった。2010_03270013

 写真の煉瓦造建物である。血清研究所の構内にあり、これまで人の目に触れることはなかった。旧陸軍が残したもので、ほかにもあった建物はすべて鉄筋コンクリートに建て替えられたがこの1棟だけ残っていた。血清研究所は閉鎖され、跡地を更地にして払い下げする計画が進んでいた。

 この煉瓦造建物(縦横20×9m、高さ8m)は、当初、棟札に「起工明治36年3月6日、竣成」とあり、その当時のものと考えられていた。ところが工期がわずか25日と異状に短く、また煉瓦の積み方が明治10年代に多く採用されていたフランス積みという形式であることから、棟札は屋根の補修を行った時のものである可能性が強まった。

 いずれ学術的に建築時期は証拠付けられるだろうが、仮にそうだとすると、煉瓦造りの建物として千葉県内最古はもとより、東京駅や横浜みなとの赤煉瓦街より古いことになる。この地に陸軍の施設が最初にできたのは明治16年の陸軍教導団で、軍人勅諭がでた翌年、まだ帝国憲法は発布されていない時期であった。

 教導団とは、後の陸軍士官学校の前身で、日本でただ一つ、下士官を養成する施設で日本各地から若者を集めた。そして、ここから日清戦争(明治27、28年)、日露戦争(明治37、38年)を戦う実戦の勇士が巣立ったのである。

 明治30年には、その後の主力となった野砲連隊がおかれ、幾多の変遷を経ながら「軍都の町」を形成した。その中で野戦11連隊は、沖縄で帝国陸軍最後の戦いに参加している。また、記憶されなければならないのは、やはり全国でただ1カ所、専門の精神科がおかれる陸軍病院があったことだ。

 同病院のカルテなどの史料から、今アメリカで問題になっている「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」に相当する患者があり、戦後の社会復帰がなかなか果たせなかったケースなども明らかになりつつある。煉瓦造建を文化遺産として残す運動がようやく立ち上がり、本27日、最後の見学会(払い下げ前の地質土壌検査が約1年かけて行われるため)があった。

 この地は写真(下)の木立の下に江戸川が流れ、右隣が里見・北条軍が戦った古戦場跡の里見公園、対岸右は矢切の渡しを経て柴又、左奥の遠景には建設中の東京スカイツリーも見える。背後には、奈良・平安時代の国府跡、国分寺なども控え、観光資源は豊富だ。

2010_03271_2  市民・県民・国民のバックアップがあれば、文化遺産保存のほか、他の既設建物も利用した「帝国陸軍記念資料館」「同記念公園」ができる可能性がある。早くて数年先になるだろうが、そんな夢を持ち続けたい。

「赤レンガをいかす会」連絡・問い合わせ先
akarenga_2010@yahoo.co.jp

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2010年3月26日 (金)

イスラエル批判の高まり

 ついに日本の新聞もイスラエルの横暴、アメリカの不公平なイスラエルえこひいきを公然と批判するようになった。26日付毎日新聞社説にそれが現れる。

 米・イスラエル関係が冷え込んでいる。イスラエルのネタニヤフ首相が、同国への「無条件の支持」をうたう米国にやってきた。なのにホワイトハウスは、オバマ大統領との握手の場面を記者団に撮影させなかった。尋常ならざる事態である。

 その主たる責任はイスラエル側にあるだろう。同国は67年の第3次中東戦争以降、占領したヨルダン川西岸や東エルサレムなどにユダヤ人入植地を造り続けた。入植地といえば小さな集落を連想しがちだが、人口数万人の大規模団地もある。

 これについて日本は「基本的にジュネーブ条約違反」(外務省高官)との立場だ。戦争捕虜や占領地の扱いなどを定めた同条約は、占領地への自国民移住などを禁じている。歴代米政権も入植地を「和平の障害」と憂慮してきた。

 さらに、国際司法裁判所が「国際法違反」と断じた占領地の「分離壁」や、国連総会は壁の撤去を求める決議に対して、入植地問題と同様、壁の解消を図る動きは米国内でもほとんど見えないと断じ、「米国のネオコン(新保守主義派)や共和党の支持」または「ユダヤ票への思惑」など、これまでネット論壇では常識化している言葉を駆使して次の結論に導く。

 テロを防ぐには不合理の解消も必要だ。多数の犠牲者を生むイスラエルの軍事行動を擁護し、同国に不利な国連安保理決議案は何度でも拒否権で葬る。それが近年の米国の常だが、あからさまな不合理や不条理を放置すればテロ根絶は難しかろう。

 遅きに失した感があるが正論である。なぜこれまで遠慮がちにしかものが言えなかったのか。それは、ブッシュ政権のもと、すっかり自信をつけてしまったイスラエルのネタニヤフ首相が、アメリカの肝いりで始めた代理仲介工作を妨害するような言動を続発、アメリカ当局をすっかり怒らせてしまった(末記・注)ので、言いやすくなったのか。

 また、ドバイで1月に起きたハマス幹部の暗殺事件で逮捕された実行犯グループが、イギリス、フランス、オーストラリアなどの偽造旅券を所持しており、それらにイスラエルの在外大使館や国家情報機関の手によるものだという疑惑が暴露されて、国際的な反イスラエル気運が出てきたことによるのか。

 本プログは、国連のイラン経済制裁に積極的協力を言う前に、「かけはしになる」といった鳩山外交指針がどこかに置き忘れられていないか、ということを書いた。日本も、「イラン経済制裁に賛成しますが、ヤミ核兵器所有国イスラエルもこの際一緒に経済制裁しましょう」と言えれば本物なのだが……。

-----------------(注)
 【ワシントン共同】クリントン米国務長官は12日、イスラエルのネタニヤフ首相に電話し、バイデン米副大統領が和平仲介のため中東を訪問している最中にイスラエルが入植活動拡大を発表したことについて「理解できない」と強く批判した。米国と緊密な関係にあるイスラエルの首相に国務長官が直接不満をぶつけるのは異例だ。

 クローリー国務次官補(広報担当)が同日の記者会見で明らかにした。イスラエルは米国仲介によるパレスチナ自治政府との間接和平交渉を始めることに合意しながら、バイデン氏がイスラエルを訪れていた9日に占領地東エルサレムでの宅地開発計画を発表。パレスチナ側を刺激し、仲介役の米国はメンツをつぶされた格好となっている。

 クリントン長官は電話で、計画発表は米国とイスラエルとの関係に悪影響を与え、和平プロセスへの信頼も傷つけると訴え、具体的な行動で和平推進への積極姿勢を見せるようネタニヤフ首相に求めたという。

 ネタニヤフ首相は10日、計画発表が不適切な時期だったとして、バイデン氏に遺憾の意を伝えている。
------------(北海道新聞)

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2010年3月25日 (木)

「東京裁判史観」の暴走

 韓国の学者が、彼がいう「国民会議をはじめとする日本の右翼と一部保守勢力」や「新しい教科書をつくる会」のメンバーを激しく糾弾する中で、これは「東京裁判史観」に陥っているためだ、というレポートを書いた。

 おいおい、待ってくれよ。「東京裁判史観」というのは、あなたが攻撃する右翼勢力の造語で、そもそもそんな「史観」など存在しないし、やはり彼らがいう「自虐史観」と同じで、あなたの主張を支持しようという人たちを攻撃する時に使う言葉じゃないか。

 なんだか頭がこんがらがってきた。これは、最近発表された「日韓歴史共同研究報告書」のサマリーが新聞に載り、その中にあったのだ。塾頭の頭が悪いのか、新聞の要約が間違っているのか、とにかく確認のためネットで財団法人日韓文化交流基金の報告書本文を見ることにした。

 前後の文章から見ても間違いではない。教科書問題分科会で辛珠柏(シンジュペク)という人が書いている。

 韓国社会は日本の歴史教科書問題を対日過去精算の側面から接近する。しかし、日本の歴史教科書においてこうした観点は非常に弱いか、初めから抜け落ちている場合が多い。侵略責任と戦争責任を全く自覚できないでいるためだ。軍部にすべての責任を転嫁する「東京裁判史観」に陥っているためだ。結局、謝罪と反省も自分のすべき事ではないと考える日本人が多い理由もここにあり、不適切な発言が再生産される原因もここにある。

 このブログでは、戦争遂行を地方の末端で支えた1警防団長が敗戦放送の翌日に書いた日記を掲載した。この人は、東京裁判の結果を見て軍部の責任追及をしたわけではない。天皇、政財界、マスコミ、そして庶民に至るまで戦争責任なしとはしないが、昭和になってからの軍部の独走、右翼がらみのテロ、そういったものが牽引した戦争であったことは、東京裁判がなくても立証されており、その補強史料も増加している。

 また、東京裁判と昭和以前の朝鮮侵略とは何の関係もない。一般庶民に朝鮮人差別があったことは否定し得ないが、戦争とともに「人的資源」確保の意図があったにしろ、またそれが迷惑なことであったにしろ「同化政策」で差別をなくしようという国家戦略が存在した。これは塾頭の身近な体験でもある。

 それらが包括的な歴史検証の対象とならず、矮小化された国民感情の衝突だけにとらわれた共同研究ならしても無駄だ。「東京裁判史観」という右翼の造語を、不用意に韓国学者が使う愚かしさでその程度が知れる。そもそも、靖国参拝で物議をかもした小泉首相と左翼政権を作った金大中大統領のもとで発案され、安倍首相の肝いりで人選したスタッフである。

 最初から政治対決のチャンピオンとして研究にのぞんでいるように見えるし、歴史の専門家でない人もまじっている。できるだけ民間ベースにゆだね、それこそ共同体化した恒久的研究組織を作って、出直した方がよそさそうである。そして「東京裁判史観」などという正体不明の用語は、永久追放にしようではないか。国際的に間違って通用するようになっては困るのだ。

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2010年3月24日 (水)

生方解任撤回劇の裏側

 生方幸夫議員は演説も下手だし、人を意見を聞かず自説を押しつけるようなしゃべり方をしない人だ。その人が新聞のトップをにぎわし、テレビ番組でひっぱりだこになったのには驚いた。ひとつわかったことは、ネット内はもとより、新聞記者でさえ知名度の低い人だったことだ。

 この先の展開は全くわからない。前々回の記事ではないが、マスコミに現れるアドリブ発言の端はしから読み解くしかない。列挙してみよう。

「みんなと仲良く」(小沢幹事長)
・党員は幼稚園生なみ?

「雨降って地固まる」(高嶋筆頭副幹事長)
・お人好しでもなかなかこうは言えない。

「むしろ、良かったんじゃないかなと思ってます」(首相)
・高嶋さんなみ!

「雨が降ったら、ぐじゃぐじゃ」(生方議員)
・嵐を呼んだのはこの方。けだし正解。

 もうひとつ、この騒動に収穫があったとすれば、小沢専権の本質に迫ろうというマスコミの動きがあることである。毎日新聞は1面と3面を使って「忖度政治論」を展開している。小沢さんの気持ちを汲んで、ということだが忖度(そんたく)とは、難しい言葉をつかったものだ。今日、ANNの昼の番組に出た川村晃司解説委員、上杉隆ジャーナリストの見解もそれである。

 「他人の気持ちを推し量る」…、それならばよくある。アメリカの気持ちを推し量る「おもいやり予算」、辺野古沖合以外にはないなどなど。「多くの支持者から献金があるように見せたくて」、「よかれと思ってやったことなのに」というのは、鳩山、小沢両氏の秘書が忖度してやらかした失敗だ。

 両氏とも、現在の苦境を招いたのが「忖度」ならば、民主党内に「忖度禁止令」を出したらどうだろう。ところが、小沢強権剛腕論を唱えるマスコミもある。以下双方を比較するため引用してみよう。

毎日新聞(3/24朝刊)
 小沢氏は生方氏の解任方針に、必ずしも積極的ではなかったとの見方も出ている。
 「同じ仲間が切られるのはつらくないか」。小沢氏は18日夕、解任を迫る高嶋氏にやんわりと問い返した。高嶋氏が「説得しても無理です。一気に解決したほうがいい」と求めると、小沢氏は「君たちに任せる」と応じた。

時事ドットコム
 
解任を主導したのはもともとは小沢氏だった。生方氏が政策調査会の復活を求める活動を始めると、小沢氏は生方氏を更迭するよう党幹部に指示。この幹部は当初ためらったが、しばらくして小沢氏の党運営を批判する生方氏のインタビューが一部新聞に載ると、小沢氏は「人事は冷徹と言われようとやらなきゃ駄目なんだ」と、手をこまぬいている側近へのいら立ちをあらわにした。
 22日の段階でも、幹部への電話で「温情があだになるとはこのことだ。仏心を出すから(つけあがるん)だ」と、解任方針は変えないと繰り返したほどだった。

  一見全く矛盾する報道だ。時事の方が生々しい表現を交え、真相を語っているようだが双方とも取材先(証言者)の氏名を明らかにしていない。多分「周辺関係者」からの伝聞取材だろう。その人の立場によって憶測や誇張を交えながら話すことだ。結局は、記者の力量、経験に頼るしかない。

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2010年3月23日 (火)

NATOと日本の核の傘

 NATOとEUの違い、自信のない方は一度こちらをご覧下さい。簡単にいうとNATOはアメリカを含むヨーロッパの軍事同盟、EUはヨーロッパ主体で経済・外交等の各国国家主権を一部移譲した共同体です。加盟国はほとんどダブりますがイコールではありません。2国間、多国間の違いなど性格は異なりますが、やや乱暴にいえば、NATOは日米安保に相当する米欧安保です。

 来月、オバマ米大統領がプラハで昨年「核兵器のない世界」を呼びかけたのに呼応、NATOの外相会議で欧州の核兵器配備について話し合われます。ヨーロッパには米軍基地がいくつもありますが日本のような「非核3原則」はありません。

 したがってオランダ、ベルギー、イタリア、ドイツ、トルコの基地には150から240発の地中貫通型の核兵器が配備されているといわれますが、詳細は不明です。それでも一時は7000発以上といわれている数から比べると、ほとんどゼロに近い数まで廃棄されたわけです(フランスとイギリスは核保有国)。

 今度の会議で、ドイツ、ベネルックス3国、ノルウェーなどからこういった中短距離ミサイル用の戦術核兵器の撤去に向けた話が出る可能性があります。ドイツの外相は「冷戦時代の遺物」で役に立たないという立場ですが、ポーランドやリトアニアなど旧共産圏で冷戦後にNATO加盟したロシアに近い国は消極的です。チェコなども「米国が欧州を守るシンボル」という評価をしています。

 つまり、対ロシア抑止力です。これらの国は過去に何度も陸続きのロシア・ソ連から軍隊が送り込まれ、国土が蹂躙された苦い経験を持っています。核兵器があればそう簡単に攻めてくるようなことはないだろうという「安心感」です。陸続きでも遠い国にはその心配がありません。

 これらを見てアメリカのクリントン国務長官は、撤去は慎重にすべきだという考えのようです。無用なことはわかっていても、対ロ交渉の切り札に使える、という下心のようです。世界から戦術核兵器が劇的に減ったのは下の年表資料にあるように、1970年に米英ソ間で拡散防止条約(NPT)が発効したことによります。

 これで戦術核兵器は、アメリカの洋上艦船、飛行機に搭載されることもなくなりました。したがって世界の関心は、大陸間弾道弾など戦略兵器削減条約(START)の行方に向いています。そこで、日本の「核の傘」論を考えてみることにしましょう。

 日本の非核3原則の持ち込ませずは、今のところ持ち込まれる心配はないようです。しかし密約が破棄されない限り「これは例外」という詭弁と「軍事機密」という壁に守られ、密約は生き続けることになります。密約暴露しても、岡田外相のように歯切れの悪い言い方しかできないのが現状です。

 これは、冷戦時代の抑止力とか核の傘信仰が残っているからで、チェコなど東欧国の考えに似ています。日本は幸いに海に囲まれ、旧共産国の陸戦隊が攻めてくるようなことはこれまでもなく、これからもないでしょう。仮にあったとしても戦術核をどこに打ち込めばいいのか、見当もつきません。

それなのに麻生内閣は、原子力潜水艦への核兵器装備などを「核の傘」配備として維持するように要望していたようです。アメリカとしては、「どうか守ってください」というお願いは、正直迷惑かも知れません。しかし、それをはねつけるようなことはしません。

 なぜならば、NATOの例でもわかるように、いろいろな切り札として使えるからです。日本に対しては「おカネ」でしょう。「日本を守らないと日本は核武装する」というのも、アメリカが時々内外に向けて使うカードです。そういった日米安保体制60年のぬるま湯体制から脱却するためにはどうすればいいか、普天間にしろ、安保見直しにしろ思考停止の状態が今の日本です。

核軍縮年表
(広島平和記念資料館資料)

1955年 8.6 第1回原水爆禁止世界大会開催
1961年 11.24 国連総会、核兵器使用禁止決議
1963年 8.5 米英ソ、部分的核実験停止条約調印(同年10.10発効)

1968年 7.1 核拡散防止条約(NPT)調印(1970.3.5発効)
1987年 12.8 米ソ、中・短射程ミサイル(INF)廃棄条約調印(1988.6.1発効)

1991年 7.31 米ソ、第1次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)調印(1994.12.5発効)史上初めて戦略兵器を削減する条約で、発効後7年間でそれぞれの戦略核弾頭を6,000個に削減するというもの
  9.27 米核軍縮提案
 1.地上配備のすべての核砲弾と戦術核ミサイルの核弾頭の一方的廃絶
 2.海洋発射ミサイル(SLCM)を含め、洋上艦と攻撃型原子力潜水艦搭載の戦術核兵器を一方的に撤去
    ソ核軍縮提案
 1.地上配備の戦術核兵器の全廃
 2.洋上艦と多目的潜水艦から戦術核兵器をすべて撤去
 3.核実験の1年間の一方的停止

1992年 7.13 米大統領、核兵器用プルトニウム、高濃縮ウランの製造中止を発表
1993年 1.3 米ロ、第2次戦略兵器削減条約(STARTⅡ)調印(未発効)
双方の戦略核弾頭を2003年までに1/3(3,000~3,500発)に削減する
地上発射の多弾頭大陸間弾道ミサイルの配備を禁止
1994年 1.25 ジュネーブ軍縮会議で包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉開始の文書案を採択

1995年 5.11 核拡散防止条約(NPT)の無期限延長決定
 11.7 国際司法裁判所(ICJ)で核兵器使用の違法性について平岡広島市長、伊藤長崎市長意見陳述
1996年 1.26 米上院本会議、STARTⅡを批准(ロシア議会未批准)
 7.8 国際司法裁判所が世界保健機関(WHO)及び国連総会から求められていた核兵器使用の違法性について、勧告的意見を言い渡す
  7.29 中国が通算45回目の核実験を実施。30日以降の核実験の凍結(モラトリアム)を宣言
  9.10 第50回国連総会特別本会議で包括的核実験禁止条約(CTBT)を圧倒的多数で採択

1996年 12.5 グッドパスター元欧州連合軍最高司令官、バトラー元米戦略空軍最高司令官ら17か国61人の退役軍人が「将軍たちの核兵器廃絶声明」を発表
  12.10 国連総会、国際司法裁判所の勧告的意見に基づき、核軍縮を目指す多国籍間交渉を1997年に開始するよう求める決議、究極的な核廃絶を目指す核軍縮の促進を求める決議などを採択、115か国が賛成、核保有国など22か国が反対、日本を含む32か国が棄権、核保有国では中国だけが賛成

1997年 3.21 ヘルシンキでの米ロ首脳会談で核兵器削減に合意
 1.第二次戦略兵器削減条約(STARTⅡ)の発効後、2007年末までにそれぞれの核弾頭数を2,000~2,500とする第三次戦略兵器削減条約(STARTⅢ)の交渉を開始する
 2.STARTⅡの履行期限を2007年末まで延期する

1998年 2.2 カーター元米大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領ら46か国117人が署名した「世界の文民指導者による核兵器に関する共同声明」を発表
2004年 1.6 (核兵器等の保有)懸念国リビアが、大量破壊兵器の開発計画を破棄し、包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准し、科学兵器禁止条約(CWC)に加盟・批准

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2010年3月20日 (土)

生方議員は確信犯

 本日(20日)午後1時から松戸駅前で民主党・生方幸夫議員が街頭演説を行った。同議員はわが塾が属する選挙区で、昨年自民党議員を破って復活当選を果たし、このブログでも2、3回名前を出したことがある。小沢幹事長批判のかどで副幹事長更迭となり、このところメディアへの露出が急に増えだした。

2010_03200049  街頭演説の中味は、写真のビラの要旨に沿っており、産経新聞の「担当直言」記事には多少の着色もあるのかと思っていたがほぼその通りだった。そこでアドリブ的発言だけを紹介しておこう。

●「民主党立党に参加したした一人」
 自社さ政権の崩壊から(旧民主党)を立ち上げた頃、新進党党首だった小沢一郎は政敵の関係だった。とても頭には入れきれないような離合集散が繰り返されるなか、開かれた自由な議論を通して新党を育てようという理念で始めた党だが、そうでなくなった、と言いたいようだ。

●「予算成立が見越された1か月前から」
 あてもなく新党や離党をちらつかせる自民党議員とは違って、このタイミングを選んだ時期を語り、民主党政権の成功と参院選勝利を目標にして市民との対話を重視したいとする。また、小沢幹事長の退陣もさることなかせら、現在なお議会での説明を期待している。

●「今日、明日、明後日と全国各地でこのような街頭演説がされるだろう」
 多数の同志(3月4日に「政策調査会」を立ち上げ、代理出席7名を含め48人が集まった)がおり、党内で孤立したものではないことに自信を持っている。なお、有力な政治ブログ「きまぐれな日々」が現政権への批判を強めており、同議員を次のように取り上げている。

民主党でも小沢一郎幹事長を批判した生方幸夫副幹事長が更迭された。この件では、生方氏がこれまで小沢一郎と親密とされていた横路グループの議員であることに注目したい。

 その中で「小沢一郎と親密とされていた横路グループの議員」という点に関連して、憲法解釈での小沢・横路合意と、かつて生方議員らが立ち上げた「リベラルの会」創設宣言を参考資料としてかかげておく。
 
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リベラルの会結成にあたって(2004年8月)
私たちは、東西冷戦に象徴されるイデオロギー対立の政治が終焉した21世紀こそ、「真の自由」と「真の民主主義」を実現する世紀にしたいと思います。そして、「真の自由」と「真の民主主義」こそが、世界に平和をもたらし、個々人に光り輝ける人生をもたらすものと考えます。

 以上の基本認識の下、私たちは、次の基本的な考え方を政策実現していくために、「リベラルの会」を結成します。

1、 憲法第9条の精神を世界に広め、活かしていきます。自衛隊は専守防衛に徹し、一部の国を敵国扱いすることとなる集団的自衛権は行使せず、国連を中心とした集団的安全保障の確立を目指します。国連改革を推し進め、新しい国連の下、積極的に世界平和の構築に取組むとともに、北東アジアの平和と安全の為にイニシャティブを執っていきます。

2、 真に自立した市民一人一人が政治に参加することのできる「市民に開かれた政治」を目指します。そして、「市民に開かれた政治」の中で、社会的立場の弱い人を含むあらゆる人が、安心して自由に暮らしていける社会の実現を目指します。

小沢一郎さんとの会談について (2003.11.25)
 総選挙ではご支援を頂き、ありがとうございました。心から御礼申し上げます。
 特に北海道では、全員当選を実現できましたことはうれしい限りです。本当にありがとうございました。
 来年の参議院選挙で与野党逆転を実現し、次の総選挙を政権交代の闘いとしていかなければなりません。
 そのためには民主党衆議院議員177名一致協力していかなければなりません。

 選挙期間中に、「横路さんは小沢さんと一緒にやれるんですか」とよく聞かれました。小沢さんも同じようなことを聞かれたようです。
 それは、お互いの安全保障についての議論が水と油であって一致できるものではないと思われているからです。
 実は2年前、小沢さんたち自由党の皆さんと議論して、問題点を整理したことがあります。(別記)

 いまイラクへの自衛隊派遣が行われようとしていますが、これはアメリカの要請の基づくものであります。
 民主党も私も、アメリカによるイラク戦争は国連憲章に反した違法なものであり、自衛隊を派遣すべきではないと考えております。
 アメリカがイラクへ戦争をしかけた理由は、イラクは大量破壊兵器を持っている、その兵器がテロリストの手に渡るかもしれない、そのテロリストがアメリカを攻撃するかもしれない、だからいま戦争を行って阻止するんだというものでした。
 これは国連が禁止している予防戦争であり、先制的な軍事力の行使だったのです。しかも大量破壊兵器は見つかりませんでした。
 これを前例にすれば、アメリカの要請があれば自衛隊は地の果てまで出撃することになってしまうでしょう。こんなことを許してはなりません。

 そこで、自衛隊は日本の国土防衛の組織であって、そのことに専念する。集団的自衛権の行使は行わない。国際平和協力は自衛隊とは別の組織を作り、国連の決議による要請にのみ協力することなどを双方で合意した2年前の問題点の整理を、今回のイラク情勢などを見て最近小沢さんと再確認したところです。
 もちろんこれから党内における議論を通じて、別組織の内容を具体化することなどが必要です。
 私は、軍事部門ばかりでなく警察部門や医療グループなども含んだ組織であって、北欧の即応部隊などの例を想定しています。
 いずれにせよ、政権交代をめざしてお互いに協力してやっていきましょうと確認した会議でした。

<別記>

 日本国憲法の理念である平和主義・国際協調主義に基づき、我が国の平和と安全、独立を確保するため、安全保障は以下の原則により行う。

(1) 自衛隊は憲法9条の理念に基づき専守防衛に徹する
 日本が武力による急迫不正の侵害を受けた場合およびそのまま放置すれば侵害を受ける蓋然性が極めて高い場合に限り、国民の生命および財産を守るため、武力による阻止または反撃を行うものとし、それ以外の場合には、個別的であれ集団的であれ、自衛権の名の下に武力による威嚇または武力の行使は一切行わない。

(2) 地域安全保障体制の確立
 日本およびアジア太平洋地域の平和と安定のため、日米安全保障体制は引き続き堅持する。さらに日本を巡る北東および東南アジアの平和的国際環境を醸成し発展させるため、当該地域諸国(米国を含む)からなる協議・協調の機構設立を目指す。

(3) 国際平和協力は国連を中心に行う
 国連を中心に世界の平和・安全を確保するために日本として積極的に貢献する。そのために自衛隊とは別組織の国連待機部隊を新たに創出する。国連の決議等によって要請された行動にその部隊を直ちに派遣し、国権の発動とならないよう、指揮権を放棄し国連に委ねる。

以上

よこみち孝弘ホームページ(活動記録)http://www.yokomichi.com/
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2010年3月19日 (金)

密約と欺瞞、どっちが悪い

 言行不一致どころか完全に詐欺である。鳩山内閣の内政はともかく、外交である。友愛、架け橋、東アジア共同体、東北アジア非核兵器地帯宣言、普天間基地県外移転、安保見直しその他もろもろ。なにひとつ実現しそうにない。長い目で見なければならないものも多いが、現実にはその逆を行っているではないか。

 岡田克也外相は18日夜、フランスのクシュネル外相と東京・麻布台の外務省飯倉公館で会談した。イランの核拡散問題について、岡田氏は「4月から日本は国連安保理議長国として重要な役割を果たす。安保理で(制裁を)決めれば実施をちゅうちょしない」と述べ、イランへの新たな国連制裁を主張する米仏などに理解を示した。(毎日新聞3/19)

 安保理議長国としての任務を言ったものだろうが、そこには「対立のかけはしになる」という雰囲気は全くうかがえない。先月、「イランで得点を」というエントリーをかかげ、イランで仕事をされている「ていわ」さんからも、欧米追随一本槍の日本外交を憂慮するコメントをいただいた。

 今回はこの事ではない。「政治とカネ」キャンペーンに同調することもなく、問題先送りや発言のブレ、閣内不一致もあえて善意に解釈してきた。鳩山・岡田外交に期待していただけに、ここへ来て信頼は急速に消え去lりつつある。

 前回は、普天間基地県内移転を持ち出す欺瞞性を言った。続けて核持ち込み密約の処理を問題にする。

 3月3日付のエントリー「朝鮮出動密約は破棄せよ」を掲載したのは、まだ密約調査が正式発表されていない時期である。その中で、調査の結果を受けての処理を次の3つのいずれかに確定するよう主張した。

 結論は3つ。密約を破棄するか、過去のことだからといって時効のように効力なしにするか、まだ必要性があるとして改めて公開の上協定しなおすかである。「改めて密約」というのは、国民を愚弄するものでこれはないだろう。しかし、外交交渉に密約100%なしが非現実的であれば、せめてアメリカ並に時限を設けた公開制度を確立することだ。いずれにしても、あとの処置をうやむやにすることは許されない。

 ところが、外務省の有識者委員会が核持ち込みなどの密約が「あった」と認定したのに対して、岡田外相は記者会見で有識者委の結論を「外務省の公式見解としない」と言い張っている。その一方で「非核3原則は堅持」である。調査の結論には同意しているのに、さっぱり意味がわからない。

 上の3つのうちもっとも近いのが、国民を愚弄する「改めて密約」であるが、それもせずに「前の密約は有効・存続」といっているのと同じで、何のために調査をしたのかわからず、うやむやにするのと同じ最悪の結論だ。外務官僚に押しきられたと見られる最も官僚的な口調といえよう。

 せめて、「前の密約は廃棄する。核持ち込みの疑念があるときは、改めて日本から事前協議を申し入れる。ただし協議の内容・結果は直ちに公表しないことがある」ぐらいのことはどうして言えないのか。官僚の壁にさえぎられ、アメリカの無形の圧力の前で口を閉ざす、こんなことは、自民党内閣でも吉田、岸両首相の頃はなかったことだ。

 なお、軍艦や飛行機に積む中・短距離戦術核弾頭が、大陸間弾頭ミサイル(ICBM)の出現で意味をなさなくなり、米ソの間で核軍縮の一環としてすでに搭載されていないことや、アメリカが核弾頭の保管や移動を公表しない建前をとっていることなどについて、いろいろの解説があるのでここでは省略した。

 ただ思うのは、「密約はない」と言い続けてきた自民党のほうがまだわかりやすく、岡田外相は何をいっているのかわからない。どうかすると「政権交替」しても何も変わらない、それどころか、さんざん思わせぶりのことを言っておいてだまされたという、後味の悪い印象が残るだけではないか。

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2010年3月18日 (木)

琉球独立の悪夢

 普天間飛行場移設問題の震度計の針は振り切れ、吹っ飛ぶ寸前である。辺野古のキャンプシュワブ陸上部、うるま市ホワイトビーチ沖埋め立て、さらに鹿児島県徳之島までとりまぜ、誰も食べて見ようのない毒入り雑炊を「秘密、秘密」と言いながら見せびらかしている。

 自民党政権下でギリギリ条件闘争を余儀なくされていたのが、「常時駐留なき安保へ」「国外、最低でも県外へ」「名護市長選の結果や沖縄県民の意志に反しないよう」……。これらは与党、そして鳩山首相が言い続けてきたことである。

 沖縄県民は、政権交替で「今度こそは」という期待を持った。それが前述のような毒入り雑炊を突きつけられたらどう思うだろう。辺野古陸上では、以前あった案より騒音や危険がふえ、うるま市沖埋め立ても沖縄名産もずくが育つ自然豊かな海を永遠に失う。明からに沖縄にとって改悪された案だ。

 政府の一部は、普天間基地の危険さえなくなればいいと思っているのだろうか、それならば、米国と合意済みの辺野古沿岸V字滑走路でもいいわけではないか。なぜ新提案なのかわからない。沖縄県民の意向は、県外である。これはもうはっきり示された。

 そこへ持ってきて、仮に「徳之島の案は地元や鹿児島県が反対するので」などということになれば、沖縄は完全にキレる。「本土の反対はすぐ受け入れて、沖縄だけが犠牲になれというのか」となる。これは終戦時の沖縄の置かれた立場・悲劇と全く相通ずる。

 沖縄(琉球)の人が独立したくなる……白昼夢である。しかし沖縄が日本である期間は、たかだか100年そこそこであることをどれだけの人が意識しているだろうか。琉球王朝で日本、明、朝鮮、南蛮等の貿易を仲介し、香港・マカオのように豊に振る舞った時代、戦後、実質アメリカ国内であった時代。その当時の方がましだったと思う人が出てきても不思議ではない。

 簡単なことである。日本が沖縄に何をしてきたか、検索で「沖縄の歴史」とすればいくらも出てくるのでもう一度勉強してみよう。特に、沖縄在日米軍が中国、北朝鮮への抑止力になるとか、出撃基地として最適などと考える人達にお勧めしたい。中国がいう「東シナ海を平和の海に」は、本当は日本の願いであってしかるべきなのだ。

 「琉球独立要求デモ隊荒れる」。警察の手に負えなくなれば自衛隊出動。日米安保で米陸海軍も各地から出撃。「だから沖縄に米海兵隊がいてよかった?」まさか。「中国が喜ぶだろう」、残念でした。チベット、ウイグル自治区そして台湾への波及をおそれてアメリカに協力、鎮圧支援・海上警備に当たります。もっともそうなる前に、鳩山内閣が崩壊することだけは確実なのだが。

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2010年3月17日 (水)

ネットと名誉毀損

 インターネットで、あるラーメンチェーンに対し「カルト団体が母体」という書き込みをしたことについて、最高裁が名誉毀損に当たるという判断を下した。1審は無罪判決だったが、罰金30万円の有罪判決を下した2審判決を支持し確定させたものだ。これは、ネット上の表現をめぐる初の判断だそうである。

 すぐに思い出したのが、当ブログにコメントなどをいただいたことのある「鳥居正宏のときどきLOGOS」さんである。現在公判中のため、更新などを中断されているが、全く根拠のない虚言をネットで執拗に流布され、長い間困っておられた。

 告訴が受理され、成り行きに関心を持っていたが、今度の最高裁判断が有利に働けばいいな、と思う。かねて、ネット空間が昔の公衆便所の落書きのようになっていることに不快感があり、また、サイバー攻撃や詐欺、犯罪など悪意のある利用が横行するコワいところというイメージも一般にある。

 特殊の存在であったインターネットが、携帯電話の普及もありあっという間に空気や水のようになってしまった。しかし、公共空間という認識は育っていないし法律も追いついていない。大気汚染や水質汚染に法的規制があるように、公共の福祉を守る法体系がない。

 だからといって法規制でがんじがらめにするのは、技術の進歩をさまたげるとともに、言論の自由や表現の自由にさしさわるようなことであってはならない。空気や水などの環境保全につていも、長い時間をかけ産業政策などとの折り合いをつけながら段階的に整備されてきた。

 世界を覆うインターネットでは、いきなり世界画一のルールを作ることは無理がある。お国柄でそれぞれ違う対策になるのはやむを得ない。しかし人間にとって空気と水は、どこであろうとなくては生きていけない。インターネットもそろそろ公共物として独自の環境整備に動き出す時期に来ているのではないか。

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2010年3月16日 (火)

神武天皇

 一百七十九万二千四百七十余歳、これは中国伝来の漢文。やまとことばでは、「ももよろづとせあまりななそよろづとせあまりここのよろづとせあまりふたちとせあまりよほとせあまりななそとせあまり」と読むのです。

 神武即位から2600余年なんてなものではありません。神武の曾祖父ニニギの尊は、まだ原人すら現れていない時代に天から雲を押し分けて南九州の高千穂野峰に降り立ったのです。そうすると一代あたり60万年ですか。考えるだけでもバカバカしいですね。

 本塾では、津田左右吉史学のように、『日本書紀』が官僚のでっちあげ、捏造のかたまりではなく、なにがしかの史実を反映している可能性があるとする考えで、神武が全く架空の人物と断言しかねています。『日本書紀』は、味わって読むとなかなか面白いのです。

 神武東征は、軍隊を引きつれた日本で最初の戦争の物語です。最初に難波から生駒山を越えて大和に攻め入ろうとしたら、長髄彦(ながすねびこ)軍に反撃され、神武の兄・五瀬命(いつせのみこと)が矢を受けて戦死します。これが双方相対峙するもっとも戦争らしい戦争です。

 神武はその後正面攻撃でなく、遠回りして背後を突くことを考えます。それを漢文で「神策」と書き、「あやしきはかりごと」と読ませました。本当に「あやしい」のです。ここからは、呪術が中心の神がかり物語が多く、カラスとかトビなど動物か神か人か正体不明の活躍が目立ち、正攻法はほとんど消えてしまいます。

 さらに陰謀、知略、だまし討ちが中心で、無力な土着民を征服したり懐柔したりして足場をかため、また相手の内部分裂を画策したりします。最後に「神祇」という言葉を挙げておきましょう。これは「あまつやしろくにつやしろ」または「あまつかみくにつかみ」とも読み「天神地祇」と書くこともあります。

 天神は、神武の先祖、つまり「天が原」出身の一族で、通称「天孫属」の神々です。それに対して、地祇は、もともと地上の各地にいる神々で、その最大勢力は大国主命でしょう。いずれも神ですから、神武もそれらを怒らせてはなりません。ちゃんとお祀りし機嫌を損ねないようにしています。

 そうすると、神武らが土蜘蛛とかエミシ(蝦夷)などと呼ぶ種族、これらにも神がいるはずですが「地祇」に入るのでしょうか。神武や景行などは○○戸畔(とべ)と呼ばれる女酋長を何人も殺しています。彼女たちは多分巫女(ふじょ=みこ)だと思われますが、そっちの方の神はあまり気にしていないように思えます。

 そうすると土蜘蛛やエミシは縄文以来の先住民族で、天神地祇の系統は、水稲耕作や金属などを持ち込んだ弥生文化人なのでしょうか。しかし、時代がくだって660年(斉明5)には、「即ち船一隻と五色の綵帛(しみのきぬ)とを以て、彼の地の神を祭る」と『日本書紀』にあります。彼の地、つまり日本海沿岸の蝦夷地の神に敬意を表したのです。人種差別、神種差別かな?をなくした瞬間かも知れません。

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2010年3月14日 (日)

すべての高校を無償化に

 前回のエントリー「差別ということ」に対し、shuueiさまからコメントをいただきました。その内容が、美しく心温まるばかりでなく、ネットでは見られない「言葉の美しさ」「整った文章」にも感激しました。中学で国語の先生をされているとのこと、さすがです。

 日曜は、原則休塾の日ですが、コメント欄では見落とされることもあるので、以下に全文を転載させていただきます。

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 卒業する生徒から、「先生、これからも言葉の美しさを生徒に伝えていってください」というお礼の手紙をもらったことがあります。それは、在日三世の朝鮮の女子生徒からでした。私は彼女が朝鮮人だということを知りませんでした。在日朝鮮人であるという事実も、その手紙に書かれてあったのです。私は中学校で国語を教えていますので、彼女が「言葉の美しさ」に触れてくれたことはとてもうれしく感じました。しかしそれ以上に、彼女が朝鮮人であることを卒業の手紙で教えてくれたことがショックでした。そして朝鮮人であることを隠しながらこの日本に生きていて、日の丸や君が代を前に日本の学校を卒業することはどんな気持ちだったのだろうと、複雑な気持ちにさせられたものです。

 また、中国人の生徒も受け持ったこともあります。ある日の技術家庭科の授業で、その生徒はエプロンを忘れてきてしまいました。その日は調理実習の授業だったので、全員がエプロンと三角巾を持ってくることになっていたのですが、それを忘れたときのペナルティも決まっていました。五分間ほど正座をして、反省の言葉を言う、というのが技術家庭科の先生が決めたペナルティでした。エプロンと三角巾を忘れたものは数人いましたが、中国人のその生徒もふくめていつものようにそのペナルティを課せられました。ところが、その日の夜、その生徒の父親からクレームの電話が入りました。罰として「正座」をさせたことが問題だというのです。後日、技術家庭科の先生とも会っていただき理解を得ることができましたが、「正座させられた」ことが許せなかったのは、中国人としての憤りなのだろうと思いました。

 国際社会といわれる今、人と情報の行き来はかつてない速さです。二度の大戦を経た20世紀から、21世紀の社会を子どもたちはどう築いていくのでしょうか。

 子どもたちに罪はありません。どこの国籍であろうと、子どもたちが歴史や政治の隘路に陥っていくことは悲しいことです。世界の果実となる子どもたちに対して、国によって差別するような政策を日本が進めるならば、国際社会から支持されることはないと思います。

 最後に中国人の生徒が中学三年生の時に、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」について、書いた感想文を載せます。
 
  例えば「夏草や」の「や」の切れ字。夏草をただ想いうかべると、ただの草だけど、その夏草の草原の上をサーと風が通りすぎてゆくと、草の白く反射した部分がきれいに横一列に移っていくのは誰でも見たことはあるはずです。最初に光っていた草もすぐに光を失い、次の草、次の草へと移っていきます。そして、その間の時間はほんの一瞬の出来事です。もしかしたら(本当にもしかしたら)夏草にはこんな意味があったのかもしれません。

 地球から見たら、こんなに小さい草原(夏草)、この長い歴史から見たらこんなに小さい藤原三代の出来事、だけどそのどちらもこんなにも感動を与え、人々を圧倒させる。ただ人の世のはかなさに涙を流したのではなく、この小さな物、事がこんなにも長く、大きく人を感動させていたことに感心し、この句を詠んだのではないだろうかと思います。

(2010.3.13)
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2010年3月13日 (土)

差別ということ

 朝鮮学校の無償化が第三者による協議機関に判断をゆだねるようなかたちで先送りされた。鳩山内閣の決断力のなさをまた露呈したわけで、わずか一人の閣僚の横車に揺らぎまくっている。これでは普天間移転先など、5月までに決まりようながない。

 中央紙は、産経以外は読売を含めて中井拉致担当大臣の除外意見に疑問を呈する社説をかかげている。国際機関から、差別を問題視する勧告がありそうだという報道もあるが、一部とはいえ、依然として歴史や世界を見渡す良識が通用しない日本が恥ずかしい。昔、民族服を着た学生に暴行したという卑劣な事件があったことを思い出す。

 憂鬱になるのは、この傾向がもっと広ろがる、あるいは広げようとする人が増えるのではないかということである。中国が経済・軍事・外交でますます実力を高め、日本が下位に置かれる、また家電など韓国に追い越されオリンピックでも太刀打ちできないなどのことで、負け惜しみに代わり差別で鬱憤を晴らすということだ。

 相手国にもたしかに次元の低い反日感情がある。これは腹立たしいことに違いない。しかし、「大人げない」というのは、これをまともに受けて張り合おうとする心根である。度量の点ですでに相手と同じかそれ以下だといえよう。

 こんなことを今日のテーマにするつもりはなかった。過去、外国人参政権の問題を一度取り上げたことはあるが、在日朝鮮人をテーマにして書いた記憶はない。問題が複雑だし、子どもの頃、同じ日本人であった同級生の仲間が大勢いたことにもよる。

 このブログは「反戦塾」を名乗っている。そして過去(2007/12/25)に「入門編・戦争とは」と題してシリーズ(カテゴリ「戦争とは」参照)にした。その中で戦争がなぜ起こるかを、サ=差別、ケ=経済格差・貧困、カ=拡張(領土・軍拡をいったものだが、最近は減りつつあるので、「干渉」と変えてもいい)、ナ=ナショナリズム、シ=宗教、にわけて考えてみた。

 理論的根拠は何もないが、「差別」をまっ先にだしている。その観点からも、政府の一歩置いた姿勢はやはり許し難い。反対論者に「差別」ではないという主張があるのなら聞いてみたいものだ。国交がない、拉致をした犯罪国家、経済制裁を受けておりそれを強化すべき国だからか。

 子どもや父兄がそうしたわけではない。国交がなくとも国連加盟国だ。経済制裁といっても、6カ国協議復帰に向け努力が続いているのに、制裁をもっと強化しようなどと考えている国は日本以外にはない。金正日は、すでに拉致で詫びを入れている。

 なんとか筋道をつけて国交を正常化し、諸問題を解決して平和国家にし向けようというのが世界の良識ではないか。金親子の写真がかざってある、朝鮮語で教育をしている、民族教育や朝鮮の歴史教育をしている、当然ではないか。だからルーツを重んじている父兄が通わせているのだ。

 日頃、「日の丸・君が代」を声高に叫ぶような人に限って、反対論が多いのも奇妙な現象だ。仮に朝鮮総連が特殊な政治的意図にもとずき、反日工作員教育でもしているとなれば問題だ。パナマが米軍の工作員学校を国外に追放したことがある。そうすればいいので、無償化の対象にするかしないかとは、おのずから次元が異なる。

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2010年3月12日 (金)

警防団と敗戦

 昭和13年(1938)、近衛文麿政権は「爾後国民政府を相手とせず」として中国支配への国内体制固めを急いだ。「国家総動員法」の議会審議で、官僚の国会答弁禁止どころか陸軍省の説明員・佐藤賢了は、議員に「黙れ!」と一喝、さすがにこれは政治問題化した。

 翌14年、平沼騏一郎内閣となり、消防、警防を一体化した警防団設置を法令化した。そして中央の「国民精神総動員委員会」指導のもと、地方自治体、在郷軍人会、産業報国会、隣組などとの連携を強め、準公務員として戦争遂行の挙国一致体制を固めた。

 戦争末期になると、啓蒙、精神的な役割から、防空、空襲被害処理、強制疎開、やみ屋、配給物資横流しの監視なども加わり、昭和20年には、授業がほとんどなくなった中学の生徒など少年補助隊員が協力・在籍していたことが、下記の「警防団長の日誌」からうかがえる。

 今回、その中から終戦放送の翌日の記録を抜粋する。

 この団長は、人望が厚く日頃粉骨砕身、誠実に任務に当たっていたことがそれまでの日誌でわかる。ところが、終戦、その翌日、耐えていたものが一挙に噴き出すように権力批判をしている。これは驚きであると同時に、末端の偽らざる心情を吐露したものといえよう。まだ、特高や軍などが解体されたわけではない。言論の自由が謳歌できるようになったのは、もうすこし先だった。

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八月十六日 午前六時本部ニ出勤書類其ノ他ノ整理ヲ整フ、B29数機来タリ、
警戒警報ノ伝達アリ不可解ナルモヤムヲ得ズ、サイレンヲ鳴ラシタリ、敵ハ我軍ノ戦闘行為ノ有無偵察ニ来タルモノヽ如シ、

防空壕内ノ整理ヲ行フ、尚自家壕ヲ調ベタルニ放任シタル故、布団其ノ他メチヤメチヤトナレリ、
午后九時帰宅休養ニ入ル、

国破レテ山河アリ、今敗戦ノ苦境ニ立テル国民悲痛ナル思ヒ更ニ日本ノ前途ヲ憂イテ静カニ空想ニフケル、眠ラレズ吾等如何ニ敗レタルカ、

一、満州事変ヲ□□□トシテ軍備ノ拡張強化ト相挨ツテ軍人独善独裁的ト政府ハ雖モ追随ノ已ムナクニ至レルコト、
二、近代化学戦ニ対処スル軍ニ其ノ用意ナカリシコト、

三、化学者ヲ重要視セザリシコト、
四、各種兵器敵国ニ比シテ二十年モ遅テ居タコト、

五、日本国民性ニ適合セザル統制経済組織ヲ敢テ行ヒタルコト、
六、無策無定見ナル動員計画ノ実行、

七、軍人及官僚ノ横暴、
八、食料増産ノ方法ヲ知ラズ机上計画ノミニ終リタルコト、

九、工場労働者ノ適正配置ヲ欠キタルコト、
十、法律ノ乱発ト取締ノ過酷ニヨル官民ノ離反、

十一、怠民ヲ養生、精励者ノ減退ニ陥リタルコト、
十二、真ニ国民ノ有スル生産増産ノ意図ヲ生カシテ働カシメズ、表面ノミヲ視テ号令スルノミニ終リタルコト、

十三、大学出ノ若僧官吏ノ立案計画ハ根本的ニ実際ト合致セザルコト多ク反ツテ支障ヲ来タシタルコト、
十四、消防々火ニ対シテ誤レル指導ト軍ニ消防認識ナカリシコト、

十五、火災ヨリ受ケタル物的精神的損失ニヨル国民戦時生活ノ破壊、
以上通リ近代総力戦ニ対スル準備ト戦争遂行方策ニ欠クル所ナカリシカヲ再検討セバ、今度ノ戦争ニ対シテ及バザリシ数々アリタル事ガ想起スルヲ得ルモノニテ吾等ハ其失敗ヲ再ビ繰返スコトナキヨウ心スベキデアロウ、

十六、昨夜ハ斯カル空想ニフケリ眠ルコトモ出来ズウトウト明方迄セリ、午前五時起床、直ニ警防本部ニ出勤ス、消防係ノ少年達未ダ寝ニツキヲリ、
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(福地家文書『市川市史第七巻』史料より) 

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2010年3月11日 (木)

司法の劣化と不信

 日弁連の会長に、現執行部路線継承に反対する宇都宮健児という人が当選したという報道があった(3/11)。法曹界にくわしくないが、まあ政権交替ということになるのかどうか。その主張に「司法試験合格者を年間1500人に削減する」というのがある。

 弁護士の失業対策もあるが、「質」の劣化も問題にされているようだ。もともと、自民党政権時代の「司法改革」の一環として増員が図られたが、アメリカの要望もあったように記憶している。裁判員制度とともに、「国民にとって悪いことではない」ということで、なぜ改革をしなければならないかということを、痛切に感じたことはなかった。

 最近、司法の劣化を感じるのは、むしろ司法官僚の方である。お巡りさんの犯罪など、ほとんど当たり前のように連日といっていいほど新聞に出てくる。さらに検察・警察の事件処理である。昨年来、小沢金脈などをめぐる検察の対応が問題になり、現にそれが政治に大きな影響をもたらしている。

 どこまで正義の味方なのか、事件の真相を知らないし、また決着がついていない事件もあるので、正面からの批判はさけるが、公正を疑わせる不可解な事件が多すぎはしないか。ちょっと考えただけでこんなにある。立件しなければならなかった本当の理由は何だったのだろう。

 志布志事件、高知白バイ事件、足利事件、検察裏金暴露事件、朝鮮総連本部事件、……。そして昨日、郵便不正事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告の第12回公判があり、検察に追い打ちをかけるような証言があったことを毎日新聞が伝えている。 
 
 それによると、不正の証明書を受け取った際のもようについて「凜の会」側の証言、上村勤・元係長がいた社会参加推進室から窓際の通路を通り、当時課長だった村木被告の席の正面で挨拶をして書類を受け取った、がウソであるとの証言だ。

 それは、当時の現場を知る複数の課長補佐によるもので、隣室との間はキャビネットで窓側まで仕切られ、行き来できるのは廊下側の通路だけだったと指摘。さらに、課長席の前にはつい立てがあったため正面には立てないというものだ。

 もっとも、その後模様替えして「凛の会」証言でも矛盾がないようになったが、それならば、家宅捜査か何かの時検察官が見てきた現状に合わせて誘導訊問したことになる。事件に仕立てられる場合、その人に多少の落ち度があるか、あるいは別件逮捕などというケースが多いが、村木被告については、他の証言・証拠から見ても真っ白な人を逮捕した可能性がある。

 そうすると、そもそもの仲介者とされている民主党の石井一代議士への疑念にもひびが入り、末端だけの犯罪と言うことになりかねない。もしそうなら捜査方法そのものに犯罪性があることになる。前に書いた石川知弘議員の女性秘書軟禁事件が事実とすれば、それらを含めて、誣告罪、公務員特別陵辱罪、同職権乱用罪などで黒白をはっきりできないのか。

 それがないようでは、日本の司法の劣化に歯止めがかからず、法曹界への信頼も致命的な打撃を受けることになるだろう。

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2010年3月10日 (水)

月日の移ろい

 鎌倉鶴岡八幡宮の大イチョウが、今朝根本から倒れてしまった。正面石段のわきにあり、観光客には必ず説明のあるところ。 1219年、鎌倉幕府の3代目将軍源実朝が八幡宮の参拝を終えたところ、この木に隠れていた公暁(くぎょう)が飛び出て暗殺したとされる伝説の木「隠れ銀杏(いちょう)」である。

2010_02020001  「古木」なるエントリーをあげたのが1か月前。そこに「孤独」と題してタブの木の写真を載せた(上)。
2010_03100002 その姿が今すでにない。あとに赤いカラーコーンがひとつ(下)。2、3日前に切り倒されてしまったのだ。多分道路工事の邪魔になるということだろう。

2010_03100001   月日の移ろいは早い。ひな祭りの余韻さめやらぬ今日、早くも商魂たくましい鯉のぼりだ。5月、旧なら6月の節句の頃、小沢幹事長は、それに普天間はどうなっているだろう。トヨタ車じゃないけど、アクセルを踏まないのに猛スピードで走るような世間に目が回る。

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2010年3月 9日 (火)

安保議論素通り

 毎日新聞は9日付1面トップに「安保議論素通り」という大見出し(昔はこういうのを「板活字見出し」といった)をぶつけてきた。まさにその通りで、当ブログも先週そのことを「普天間移転先乱舞」で言ったばかりだ。

 ただ、辺野古陸上案、うるま市の海上案などの政府(官房長官)案が、地元へは何の連絡、打診もなく進められているとは知らなかった。昨8日に名護市議会は「陸上案」に絶対反対の意見書を満場一致で可決し、沖縄県議会は先月24日に県外移設を求める意見書を決議している。

 前述のエントリーでは、4年後(国民新党の15年後案とは違う)に「常時駐留なき安保」を実現するという保証があれば暫定案受け入れもやむを得ない、ととられかねない書き方だったが、平野官房長官の、一般論として地方議会の決議に拘泥されないという沖縄無視発言を聞いて、あらためて沖縄県内暫定案に強く反対する方向に修正する。

 「安保議論素通り」……、実は当の毎日新聞もそうではないか。社説で「……北朝鮮の脅威がより深刻なのは自明である。膨れ上がる脅威のもとで、日本が米国の『核の傘』に頼るのは不合理でも矛盾でもない」(3/7付)としたり、防衛省幹部の「中国と台湾で紛争が起きれば、米海兵隊が急派される。それが在沖縄海兵隊の存在意義」という、アメリカでは軽視されている「意義」を紹介するだけで、みずからその反対意見を提起しようとする形跡はない。次のような、素人の素朴な質問に答えられるように、議論の素材を紙面で提供してもらいたいものだ。 

台湾有事
 台湾と中国の関係改善、アメリカの中国重視の姿勢から、かつての米・中緊張関係はない。オバマ大統領も「冷戦思考脱却」が方針だ。しかし、あり得ないことでも対処できるよう備えをするのは、軍事の常識。仮に、台湾独立戦争が起きたとしよう。

 アメリカは、一体どっちに味方するのだろう。日本もそうだ。昔なら共産国中国が敵だっただろう。ソ連もそうだが、「革命の輸出」ということがあり、「弾圧される日本人民を救うため」、という名目で攻撃されるかも知れなかった。

 しかし、そんなアホウなことを考える人が今でも実際にいるから困る。世界では、稀少種で一番多いのが日本だろう。アメリカにも進化を否定する伝統派が存在するのは事実だが、ソ連・中国に備えていた在日、在韓米軍は、ロードマップ見直しで大幅縮小の方向に再編が進んでいる。

 沖縄の海兵隊が任務とする敵前上陸を中国大陸、または台湾に対して行うには、安保条約の規定で日本と事前協議をする必要がある。日米密約で「朝鮮有事はのぞく」とあるから、中国の場合は日本から協議を申し入れることができるわけだ。

 その時日本は何と答えるだろうか。普通なら日本の安全に直接関係がない。むしろ米軍が沖縄から出撃するなら、沖縄は中国の攻撃目標になり、ミサイル攻撃を覚悟しなければならない。当然「おことわり」だ。もし日本の安全に関係ありとしてOKすれば、米軍を傭兵したと同じで憲法違反にもなる。

北朝鮮脅威
 密約により事前協議がいらないとされる北朝鮮向けでは、米海兵隊の存在が抑止力である、という説もある。これははっきり言うが、アメリカは北朝鮮に負けるし、北も勝てると思っているはずだ。北には、人口の5%といわれる訓練された100万の陸上兵力があり、また若者を総動員できる体制もある。

 いかに装備が違うと言っても、タリバンやベトナムより北の方が上だ。山岳地帯のトンネルに立てこもれば、万そこそこの海兵隊で歯が立つはずがない。アメリカは、自国の利害と無関係にそんな危険をおかすはずがない。ただし、日本の島が占領され、それを日米共同で奪還するというのならあり得るだろう。

 そもそも日本国土を守るのは自衛隊と役割分担が決まっており、米軍が抑止力というのは筋が通らない。韓国も防衛は韓国軍の指揮下に移ることになっており、アメリカは朝鮮有事に日本ほど重きを置いていない。

核の傘論
 核戦争に勝つためには、①核弾頭を多く備えている。②運搬手段が発達していて数も多い。③国土が広い。が必要条件として考えられる。①では米ソの数の競争で、両国だけで地球が破滅するほど作ってしまった。②も米ソ甲乙付けがたい。ただ開発費用はアメリカが豊富に出せた。③は発射基地や目標を分散できるということである。

 結局どう工夫してみても多く作りすぎ、使えない兵器であることがわかった。だから相互に制限する協議が始まり、核軍縮の筋道が作られ始めた。また南アやリビアのように費用対効果の面で所有をやめる国もでてきた。現に広島・長崎以来一度も使われたことがない。

 結局、「核の傘」は、米ソ対立時代に核競争で均衡均衡がもたらされた時代、どちらかの大きな傘に入っていれば核攻撃を受けない、という安心感が得られた頃のものだ。その後中国が遅れて保有国となったが①の点では米ソに対抗できず「先制攻撃はしない」というしばりを自分でつけた。また、インド、パキスタンは両国だけに通用する抑止力である。

 核の傘も、核廃絶に動き出した世界の潮流ら逆らう時代遅れの概念になっている。自分は核の傘にいて、北朝鮮の核実験は断固制裁、というのでは筋が通らないだろう。たしかに北も「傘」を一本持ったが、ぼろぼろの破れ傘である。

 一番いいのは、日・韓・北による東北アジア非核兵器地帯宣言である。そうすれば米・ロ・中の3本の傘を無償でさしてもらえる。しかし、前にエントリーした「核を手放せない北朝鮮」でも言ったとおり、北は、後継者擁立、韓国との対等合併の目途がつくまで破れ傘は捨てないだろう。

  

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2010年3月 8日 (月)

徴兵制今昔物語2

 日本で徴兵令が最初に頒布されたのは、明治5年(1872)12月1日である(『日本史年表』河出書房新社)。この模様は高村光雲の体験を通して前回記述した。この中で家業を継ぐ長男は徴兵免除になったが、事実上長男と同じ立場にいても次男以下はだめ、ということが書いてある。

 与謝野晶子の有名な詩「君死にたまうことなかれ」は、老舗菓子店を継いだ新婚早々の末弟が日露戦争にとられ、生き延びて帰ることを祈ったものである。平時はともかく、戦時は徴兵が直ちに死の恐怖につながる。徴兵令は、一度制定されると基準や細則は簡単に変えられてしまう。

 長子特別待遇などは次第に顧慮されなくなった。ただ、抜け道はだんだん悪質化し、徴兵検査の記録改ざんのための買収が地方・中央の有力者の間で行われたり、前科者は徴兵の対象外という規定を悪用して、故意に犯罪をおかして捕まるという若者もいたようだ。

 ことに、昭和2けた以後になると、徴兵やその後の配属先について、軍部要人の口利きで左右されることはもとより、逆に気に入らない人物を死亡率の高い前線に配属するなど、悪意の不公平が半ば公然と行われた。そういったことが戦後の軍部批判につながったといえよう。

 そこで、戦中は小・中学生だった「少年T」の徴兵感を取材してみた。

 当時は、成人式などない代わりに、満20歳になると「徴兵検査」があった。これは逃れることのできない男性の通過儀礼であった。「甲種合格」、これは小さい時から学校の体操の時間などに、とことんたたきこまれた概念だ。まっ先にお召しを受ける「男子の本懐」、そして家庭や地域にとっても「最高の名誉」と続く。それから、第一乙、第二乙とあってここまでは合格。場合によっては徴兵の順番が回ってくる。

 それ以下は不合格扱いで「物の用にもたち得べしと思われず」という、世間さまに顔向けできない地位に置かれた。色気づいた小学校高学年の頃は、徴兵より徴兵検査の方が恐怖だった。一糸もまとわずに整列、軍人検査官の前で「きおつけ」、ジロジロと見られる。不動の姿勢がとれなかったらどうしよう。それから回れ右をして四つんばいになりケツの穴を見せる。

 こんな恥ずかしい思いをするのは死ぬほどいや、という年頃だ。M検といって、性病と痔の検査をしたのだ。あとで聞いたのだが、痔に見せかけるためにブタの肉片を挟んだとか、醤油を一気飲みして病気に見せかけたという徴兵のがれの話、それも日本男子の恥でできるものではない。

 そのうち戦争は日に日に逼迫してきた。どうせのがれられない道、死ぬなら怖くなく苦しまずに死にたい。陸軍の輜重兵、これは絶対いやだ。重い荷物を持って泥沼をくぐってでも運ばなくてはならない。それに敵に遭遇して手柄をあげる機会もない。

 海軍は、潜水艦がいやだ。事故で浮上できず空気がだんだん減っても逃げられず、狭い空間でもがきながら死を待つだけ。名誉の戦死にはほど遠い。そうすると、徴兵の前に志願して少年航空兵というのが一番いい。♪若い血潮の予科練の 七つボタンは 桜にいかり……。映画を見て大いに感激。今でいう「かっこいい」わけだ。敵艦めがけて自爆すれば一瞬で死に至る。

 そうして、昭和19年、20年。志願の年齢まであと2年。しかしその頃は、乗るべき飛行機がもうなくなっていた。近眼だし、合格する保障もない。知らなかったことだが、徴兵検査も19歳、18歳17歳と繰り下がってきたようだ。その頃は、本土決戦などといっているから、もう、どうにでもなれだ。

 死んだ父の遺言は、「息子を大学までやれ」だったと母から聞いた。多分、徴兵猶予の特典があったからだろう。だけどこれは昭和18年10月、鳴り物入りの学徒出陣でほごにされた。叔父の一人は、0歳児を含む3人の幼児を残して応召した。配電会社変電所の技術主任で、とられることはないだろうというのが周辺の見方だった。

 戦後、もしやの復員はなく、目撃者も証言者もなく、一片の遺骨さえ帰ってこなかった。19年のある日、1日の外泊を認められ自宅に顔を見せに戻ったことがある。帰隊する叔父を駅で見送った時、「配属は南方でもう会えない」という予感が、叔母をはじめ皆の頭にあった。しかしそれを口にする者は誰もいない。車両最後部のデッキから身を乗りだし、懸命に手を振る叔父の姿が今でも目に焼き付いている。

 もう一人の若い叔父は、徴兵検査前に軍属として中国・北京の司令部に雇われた。ここにいれば南方に飛ばされるようなことはなさそうだが、戦争も末期になれば情実など「どうにでもなれ」で意味をなさなくなる。南方派遣軍の幹部達は先を争って帰国の便に群がったという。

 徴集を受けた一般兵なら、戦線離脱・敵前逃亡は即射殺だ。8月15日のご聖断放送がなければ、また別の運命が待ちうけていたかも知れない。これが「何でもあり」の戦争の姿なのだ。 

 

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2010年3月 6日 (土)

徴兵制今昔物語1

 自民党に憲法改正推進本部というのがあって、3月4日にまとめた論点整理というものが外部に出た。小泉政権当時、桝添議員などかまとめた改憲案があるが、つぎはぎだらけなお粗末なもので、素人が見ても現憲法の格調には遠く及ばないものだった。

 さすが、もう一度持ち出すのは恥ずかしいと思っているのだろう。改憲気運も遠のいたので、この際うんと保守色の強いもので練り直そうというのか、徴兵制を検討対象にするかのような表現もある。大島理森幹事長が慌てて打ち消しに回ったが、研究ならば大いに結構、やってほしい。

 どうせ、起案する面々は自分が徴兵されるとは思っていない。また若い人も何のことかよくわからないだろう。そこで、まず日本に徴兵制度ができた頃のお話からはじめよう。明治維新までは、戦争するのは武士と決まっていた。殿様に命を預けるかわりに代々俸禄を授かる。農民は年貢を取られるが兵役の義務はなかった。

 それが、明治新政府になって国民皆兵、身分を問わず男子は兵役の義務を負うことになる。農民は、年貢も取られるし兵役も科せられる、これでは合わぬと思っただろう。以下は、農民ではないが、彫刻家として有名な高村光雲の体験談『幕末維新回顧談』(岩波新書)をアレンジして再現してみよう。

はじめての徴兵制
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 ご一新でなにもかにも変わる。いきなり太陽暦となって以前とは違う月日になったと思うと、その翌年の明治六年に、寅歳《とらどし》の男が徴兵に取られるということがありました。それはそれ切りのことと思って念頭にもなかったのです。

 その当時の社会一般に人民が政治ということに意を留めなかったので、徴兵令はその以前に発布されて新しい規則がしかれていたのであろうが、自分のこととして徴兵適齢が頭の上に来ていることに私は気が附かなかった。
 
 ところが、明治七年の九月に突然今年は子歳《ねどし》のものを徴集するのだといって、扱所といったと思う、今日の区役所のようなものが町内々々にあって、そこから達しが私の処へもあったのです。なるほど当年二十三のものは子歳で、私は正にそれに当っている。何時何日に扱所に出頭して寸法や何やかやを調べるというおふれです。

 これは大騒ぎ。今日から思うと迂闊極まることではあるが、今日とは物情大変な相違であるから、我々は実に意外の感。まず第一に親たちの驚き。夜もおちおち眠られぬという始末。また師匠の心配。私が兵隊に取られるとあっては、容易ならぬ事件。仕事の上からいっても、今、私を取られては仕事その他種々差し支えがあるというので、当人の私よりも師匠がまず非常の心配をしました。

 そこでいろいろ調べて見ると、そこにはそれなりの逃《のが》れ道があるのです。というは、長男である総領は取らぬということです。私は事実は総領のことをしているが、戸籍の上では次男でありますから、この逃れ道は何んにもならない。私は兵隊に取られる方である。

 ところがまた、次男でも親を一人持ち、戸主であれば取らぬという。それから、もう一つ、二百七十円政府へ上納すれば取らんというのです。それで、お金のある人は金を出して逃れる道をした、その当時何んでもない爺さま婆さまが、思い掛けなく、金持の息子の養子親となって仕合わせをしたなどいう話があって、これを「徴兵養子」と称えたものです。

 毎年この徴兵令のことは打ち続いて行われるのだそうで、国家のため、さらに忌み嫌うべきことではないが、師匠の考えでは、私がこれから三年の兵役を受けることになると、今が正に大事な所、これから一修業という矢先へ、剣付鉄砲を肩にして調練に三ヶ年の間をあけては、第一技術の進歩を挫き、折角のこれまでの修業も後戻りする。

 親たちの心配もさぞかし。これはどうしてもその抜け道を利用して何んとかこの場を切り抜けて始末せねばならないと師匠東雲師が先に立って、いろいろ苦心をされた。知り合いのうちにこんなことを引き受けて奔走する人があって、その人に相談をすると、次男なら仮りの親を立てれば好い。誰か仮りの親になる人がないかということであった。

 そこで師匠は直ぐに思い付き、「それは格好な人がある。私の姉、悦《えつ》が、今日まで独身にて私の家にいる。それに一軒持たして、幸吉を養子に、同時に戸主にしては如何でしょう」というと、その人は、それがよかろう、しかし、日限が迫っているから、大急ぎという。

 で、師匠は右の趣を姉お悦に話すと、もちろん承知で、かねてから師匠が持っていた別宅へ引き移ることにしたのであった。この事につき万事その人が始末を附けてくれました。

 お悦さんが籍を移し、私が養子となり、今まで中島幸吉であった私が高村幸吉となった訳であります。私が高村姓を名乗るようになったのは全く徴兵よけのためであったので、これで一切始末が附いて、私は兵隊にならずにすんだのでありました。今から考えるとこれはあまり良い事ではないようです。

 後に、師匠が彼の人に話しているのを私は聞いていたが、もし幸吉が悦の養子になれないとすれば、自分は二百七十円政府へ納めるつもりであったが、お蔭で手軽く済んでよかったなどいっておられました。思うに師匠は私のために大金を出しても兵隊に取られぬようにしようという決心であったと察せられました。師匠がいかに私のことを考えていられたか、今日でもその当時のことを思うと師恩の大なることを感ぜぬわけに参りません。
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2010年3月 5日 (金)

愛子さま受難

 皇太子の娘、愛子さまが学校を休んでいることをマスコミが一斉に報じている。男の子の乱暴が原因だなどと宮内庁の東宮大夫が記者発表したらしい。どうも最近の宮内庁の役人のやることはおかしい。天皇の中国要人との会見で、羽毛田長官が公言すべきではない時期(会談前)に「政治利用の懸念云々」などの記者発表した。

 天皇は、さぞかし気まずい思いで習副主席を迎えられただろう。当塾が長官を批判する記事を書いたのは、小沢民主党幹事長が、辞表を云々という非難発言をする前であった。宮内庁の役人であれば、皇族個々の気持ちを推し量り、最善の結果が得られるように気を回すのが仕事ではないか。

 愛子さまの件など、しもじもではつね日ごろ起きることだ。それぞれ親子と学級担任などで解決すれば済むこと。これを社会問題のように大げさにひけらかす役人の神経はどうなっているのだろうか。皇太子ご夫妻は、問題を大きくされてさぞお困りのことだろう。

 皇室が、身の回りにいる侍従などをうとましく思いながら、大変気を使っていることを『高松宮日記』から拾ってみた。個人の尊厳もプライバシーもあったものではない。(大正2年、海軍兵学校時代、人名は傅育官と雇員)

 三月二十五日 金曜 雨
  別ニナシ。
  鷹司、今日東京発ノムネ電報来レリ。石川ハ明後日出発ナリ。明日曽根田出発帰京。
  軍医長ト相談シ、日々ソノ度毎ノ眼的検便ヲヤメルコト。ソノ代リ異状ガアツタラ、直チニ云フコト。便通アラバ、アリシムネ云フコトヲ約ス。

  [三月補遺欄]
   三月廿五日午後軍医長ト合談(強要ノ程度ニ至ラズ)シテ今後普通ニハソノ都度ノ検便ヲセザルコトヽス。
 

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2010年3月 4日 (木)

普天間移転先乱舞

 共同通信(3/4、14:02)によると政府は、従来の辺野古海上案に引導を渡し、辺野古陸上案と、より普天間に近い米軍ホワイトビーチ(同県うるま市)の沖合を埋め立てる案を米側に提案したらしい。真偽のほどはよくわからないが、日本政府の決定にしてはいかにも軽く、打診程度のことなのだろう。

 防衛大臣と官房長官の本心は、アメリカにのんでもらって早くこの問題にキリをつけたい。つまり自民の発想と同じ。社民党の本心は、県内移設絶対反対、連立離脱も辞さず。そうそう、それがいい。その方が鳩山首相はやりやすいと思うよ。

 アメリカ知日派の本心は、「日本はすなおになんでも言うことを聞くようにしつけてきた。決めたことに楯突くとは怪しからん」。知日派というのは、自民系に顔が利いたということ、まだ至る所でのさばっている。アメリカの中枢にいる戦略家の本心は、沖縄で抑止力などもう古い。むしろグァムに力を集め、太平洋、インド洋、中東への機動力を高めた方がいい。それが米軍再編のロードマップだ。

 アメリカの本心は、最も経費をかけず(日本に基地を置けば世界でもっとも安上がり)、日本に核の傘などといって恩を売り、しかも世界一の軍事力のにらみを利かせること。普天間の移転先など、まあ、本当はどうでもいいのだ。

 首相の本心は、県外、国外が困難なのはやむを得ない。そのかわり普天間移転先はあくまで暫定処置の条件をつける。4年後には「常時駐留なき安保」を目指して、50年間使い古した安保の全面見直しにとりかかる……であってほしいな。そうでなくては参院選惨敗。小沢さんのせいではないですぞ。

 

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2010年3月 3日 (水)

朝鮮出動密約は破棄せよ

 政権交替により実現した日米間の外交密約の調査結果は、約束の期限を延長したもののようやく明らかになりそうで、続々リーク(笑)が続いている。それらによると、

①核搭載艦船などの核持ち込み密約(60年安保改訂時)
②朝鮮半島有事の在日米軍無断出動(60年安保改訂時)
③有事の際の沖縄核持ち込み密約(72年沖縄返還時)
④沖縄返還時の原状回復費日本負担(72年沖縄返還時)

 の4項目のうち、②と③は国内に証拠ありで、残りのふたつは存在を推定できるが断定できないというものらしい。さて、これについて政府はどう対応するのかが問題である。結論は3つ。密約を破棄するか、過去のことだからといって時効のように効力なしにするか、まだ必要性があるとして改めて公開の上協定しなおすかである。

 「改めて密約」というのは、国民を愚弄するものでこれはないだろう。しかし、外交交渉に密約100%なしが非現実的であれば、せめてアメリカ並に時限を設けた公開制度を確立することだ。いずれにしても、あとの処置をうやむやにすることは許されない。

 そのうち、殊に問題なのが②である。これは、朝鮮半島有事の場合、在日米軍が日本から出撃するのに事前協議がいらない、という部分と日本の施設などを自由に使えるとする部分からなるらしい(2/24日付の読売新聞ではなぜか肝心の前者が抜けている)が、これは今後もあり得るので破棄すべき内容である。

 米軍が北朝鮮に出撃したらどうなるだろう。当然在日米軍基地を目標に200発あるとされるノドンを打ち込んでくる。ノドンは命中精度が低い(笑)ので無差別攻撃と同じだ。当然陸軍の司令部がある東京地区のキャンプ座間もねらわれる。発射場所や発射時間をずらして打ち込めば、パトリオットで防ぎきれず都心に命中するかも知れない。

 こんなヤバイことが、事前に知らされないで「何が日米同盟だ」といえるのではないか。たしかに密約当時は東西対立が先鋭化していた時代で、朝鮮の安定に問題もあった。しかし、今は北朝鮮は国連に加盟しており、核保有国で日本に対する反撃能力もある。しかも米朝直接交渉が取りざたされている時代である。

 ここで、安保条約を確認しておこう。

 第4条 締結国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締結国の要請により協議する。

 朝鮮半島の場合はこの例外、という密約である。それでなくても、これまで随時協議以外の協議は、一度も開かれていない。ベトナムや中東地域に日本の基地から飛行機や海兵隊が向かっても協議の対象にはされていない。「極東ではない」といわれればそれまでだが、この「極東の範囲」は歴代内閣で勝手に解釈を変え、今や世界中どこへでも出ていける軍隊のために、基地を貸しているといえる状態だ。事前協議の対象は中国(台湾)だけということになるのか。

 行き先がどこであろうが、日本にある恒常的な基地から外国へ戦争をしに行くというのは、たとえ外国軍隊であろうと憲法9条の戦争放棄条項の精神に反する。しかも、事前協議をないがしろにしたままでいいのだろうか。この際戦争にかかわる出動は、すべて事前協議を原則とするという意味で、密約は破棄した方がいい。

 本来ならもっとアメリカを信頼したいのだが、ニセ情報でイラク戦争を始めたブッシュ政権以来信用できなくなった。しっかりした緊密な日米関係を築くためには、この密約処理が最初の試金石となり、日米安保見直しの第一歩となるということを現政権に認識しておいて欲しい。

 

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2010年3月 2日 (火)

新聞記者の気骨

 このところ新聞批判の記事を書き続けている。満州事変の頃は、朝・毎など巨大全国紙が陸軍に加担し、排外主義や戦争の拡大を阻止し得なかったのにくらべ、地方紙の福岡日日(現・西日本新聞)や信濃毎日などが、陸軍・右翼の脅迫や在郷軍人会の不買運動をはねのけ、命がけで果敢な論陣を張ったという歴史がある。

 信濃毎日新聞の主筆をつとめた桐生悠々の「関東防空大演習を嗤う」という社説(昭和8年8月9日付)は、特に有名で、このため同紙が廃刊の危機にさらされ、桐生は社の存続のため自ら身を退いた。この社説は今読み返してみても全く新鮮で、彼の予測はまさに的中したのである。

 太平洋戦争末期、サイパン島の陥落で米軍の発進基地が確保された反面、日本は迎撃する戦闘機と燃料の不足で制空権・制海権を奪われた。その結果米軍機の飛来が容易になり、東京をはじめ全国主要都市、広島・長崎の悲劇を招いた。

 その桐生から嗤われそうなことが、今なお一部の防衛族や自民・民主の保守派議員の間で信じられている。曰く「在日米海兵隊・陸軍の抑止力」「沖縄の地政学的位置」、そして自衛隊の「新型戦車」や、敵上陸を想定した「国民保護訓練」などなどである。

 中国、北朝鮮の脅威をいうのはよしとしよう。しかし、日本領空や領海の制空権・制海権を堅持するのは自衛隊の役目である。また、世界トップクラスの能力も備えている。それを突破して攻めてくる想定の国防意識は、約80年前に桐生が指摘したことから何の進歩もうかがえない。

 この社説は、著作権保護期間が過ぎているので、「青空文庫」により敢えて全文を転載し、鑑賞に供したい。

------ 以下転載・カッコ内は管理人
 防空演習は、曾て大阪に於ても、行われたことがあるけれども、一昨九日から行われつつある関東防空大演習は、その名の如く、東京付近一帯に亘る関東の空に於て行われ、これに参加した航空機の数も、非常に多く、実に大規模のものであった。そしてこの演習は、AK(ラジオ中継)を通して、全国に放送されたから、東京市民は固よりのこと、国民は挙げて、若しもこれが実戦であったならば、その損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感したであろう。というよりも、こうした実戦が、将来決してあってはならないこと、またあらしめてはならないことを痛感したであろう。と同時に、私たちは、将来かかる実戦のあり得ないこと、従ってかかる架空的なる演習を行っても、実際には、さほど役立たないだろうことを想像するものである。

 将来若し敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、それこそ人心阻喪の結果、我は或は、敵に対して和を求むるべく余儀なくされないだろうか。何ぜなら、此時に当り我機の総動員によって、敵機を迎え撃っても、一切の敵機を射落すこと能わず、その中の二、三のものは、自然に、我機の攻撃を免れて、帝都の上空に来り、爆弾を投下するだろうからである。そしてこの討ち漏らされた敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市をして、一挙に、焼土たらしめるだろうからである。如何に冷静なれ、沈着なれと言い聞かせても、また平生如何に訓練されていても、まさかの時には、恐怖の本能は如何ともすること能わず、逃げ惑う市民の狼狽目に見るが如く、投下された爆弾が火災を起す以外に、各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだろうとも、想像されるからである。しかも、こうした空撃は幾たびも繰返えされる可能性がある。

 だから、敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである。この危険以前に於て、我機は、途中これを迎え撃って、これを射落すか、またはこれを撃退しなければならない。戦時通信の、そして無電の、しかく発達したる今日、敵機の襲来は、早くも我軍の探知し得るところだろう。これを探知し得れば、その機を逸せず、我機は途中に、或は日本海岸に、或は太平洋沿岸に、これを迎え撃って、断じて敵を我領土の上空に出現せしめてはならない。与えられた敵国の機の航路は、既に定まっている。従ってこれに対する防禦も、また既に定められていなければならない。この場合、たとい幾つかの航路があるにしても、その航路も略予定されているから、これに対して水を漏らさぬ防禦方法を講じ、敵機をして、断じて我領土に入らしめてはならない。

 こうした作戦計画の下に行われるべき防空演習でなければ、如何にそれが大規模のものであり、また如何に屡《しばしば》それが行われても、実戦には、何等の役にも立たないだろう。帝都の上空に於て、敵機を迎え撃つが如き、作戦計画は、最初からこれを予定するならば滑稽であり、やむを得ずして、これを行うならば、勝敗の運命を決すべき最終の戦争を想定するものであらねばならない。壮観は壮観なりと雖も、要するにそれは一のパッペット・ショーに過ぎない。特にそれが夜襲であるならば、消灯しこれに備うるが如きは、却って、人をして狼狽せしむるのみである。科学の進歩は、これを滑稽化せねばやまないだろう。何ぜなら、今日の科学は、機の翔空速度と風向と風速とを計算し、如何なる方向に向って出発すれば、幾時間にして、如何なる緯度の上空に達し得るかを精知し得るが故に、ロボットがこれを操縦していても、予定の空点に於て寧ろ精確に爆弾を投下し得るだろうからである。この場合、徒らに消灯して、却って市民の狼狽を増大するが如きは、滑稽でなくて何であろう。

 特に、曾ても私たちが、本紙「夢の国」欄に於て紹介したるが如く、近代的科学の驚異は、赤外線をも戦争に利用しなければやまないだろう。この赤外線を利用すれば、如何に暗きところに、また如何なるところに隠れていようとも、明に敵軍隊の所在地を知り得るが故に、これを撃破することは容易であるだろう。こうした観点からも、市民の、市街の消灯は、完全に一の滑稽である。要するに、航空戦は、ヨーロッパ戦争に於て、ツェペリンのロンドン空撃が示した如く、空撃したものの勝であり空撃されたものの敗である。だから、この空撃に先だって、これを撃退すること、これが防空戦の第一義でなくてはならない。
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2010年3月 1日 (月)

マスメディアの説明責任

 毎日新聞に「メディア時評」というコラムがある。本日(3/1)付に藤代裕之氏がジャーナリスト・ブロガーという肩書きで書いているが、電子版にはなぜか出てこないので、要旨を紹介したい。

 まず、小沢民主党幹事長が不起訴処分にになった翌2月5日の各紙のうち、連日続いた疑惑報道の洪水について、毎日が政治部長や社会部長などの署名記事で説明しようとしている姿勢を評価している。寄稿するからには、ヨイショも礼儀のうちだろう。そして次のように続ける。

 小泉敬太郎社会部長は「検察リーク批判に答える」として、取材の困難さと権力の監視の重要性を訴え、「問題は、得られた情報が事実かどうか、そして報道する価値があるかどうかを冷静に見極めるメディア側の力量だ」と書いている。その姿勢には共感するが、不起訴までの報道を振り返ってみると、結果的に書くべき内容だったのか疑問を抱くような記事もあった。

 そしていくつかの例を挙げるが、次のように極めつける。

 2月5日の紙面でも、特捜部長が「有罪判決を得るだけの証拠がなかった」と不起訴の理由を説明しているのに、別面には「検察幹部『真っ黒だが、司法の限界』」という見出しがあった。不起訴になっても真っ黒、というレッテルを背負わなければならないとすれば、司法の意味はないのではないか。

 また、鈴木宗男氏が1月16日の民主党大会で、自身の経験から裁判に至らない事柄について、検察のリークで世論誘導された、と発言したことは、マスメディアが取り上げず、ネットで広がったという経緯も紹介している。

 本塾には、特段の情報ルートがあるわけでなく、ほとんどがマスメディア経由の知識で書いている。また誰々からの影響をうけて、ということもない。これまで、例示しきれないほど検察の手法に疑問を投げかけ、マスメディアには、民主党幹部の説明責任と同様に、報道の在り方について説明責任がある、と主張し続けてきた。

 その一端が、こういうかたちで紙面に出たのかどうかはわからない。いずれにしても、やがて歴史がその評価を下す。藤代氏が書いた内容は、遠慮があるものの正面から切り込んだものであり、遅まきながらそれに答えていこうという意図が同紙にあるのだとすれば高く評価したい。

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