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2010年2月19日 (金)

イランで得点を

 一冊の古い本を引っぱり出してきた。冒頭のグラビア頁に記念写真がある。写るメンバーは鳩山首相の父、若き日の鳩山威一郎氏、鳩山首相のお母さんの父、ブリジストン社長・石橋正二郎氏と夫人つまり鳩山首相の祖父母、ほかに4人関係者がいるが、ソファの中央に座るのは、主賓であるモサデグ・イラン首相の“密使”ホスロプシャヒ氏である。

 場所は東京麻布にある石橋邸の応接室で、昭和27年(1952)3月28日、講和条約が発効しGHQが廃止される1か月前のことらしい。その本の名は『イラン石油を求めて・日章丸事件』読売新聞戦後史班編<昭和戦後史>である。

 なぜそんな本を思い出したかというと、オバマ話し合い路線にもかかわらずイランのウラン濃縮作業が進み、核拡散防止で交渉してきた常任理事国とドイツの6カ国のうち、イランに同情的であったロシアまでイラン制裁に傾き始めたという最近の情勢である。これが約60年前、石油資源国有化でイランが世界から孤立した姿にそっくりなのだ。

 長年イランの石油利権で独占的利益を上げてきたのはイギリスの企業で、英国は国有化に激怒した。軍事力行使に限りなく近い恫喝で、イランの石油を引き取る消費国はなく、イランの石油タンクは満杯となる一方経済制裁で国民生活は苦境に立たされた。

 そんなとき、極秘の使命を帯びて日本にやってきたのが前出のホスロプシャヒ氏で、この密会がきっかけとなり、世界を驚嘆させた日本の出光興産・日章丸による抜け駆け輸入が実現する。日章丸が日本を離れる時には、船長などごくわずかが知るだけで、船員や家族も行き先を知らされていなかった。

 船長なども、途中英海軍に拿捕される覚悟はしていたが、まさか撃沈したり命を取ることまではしないだろうという、不安に満ちたものだった。また、航行中疑念や追尾をさけるため、無線発信をおさえ、やむを得ない連絡には暗号を使うなどスリリングなものだった。

 その経過の詳細はとても紹介しきれないが、日章丸は昭和28年5月10日、製品を満載して川崎に入港、荷揚げを開始した。そして2度目の航海につき、船が目的地アバダンに近づいた時の模様を前掲書が次のように伝えている。

 日章丸がルーカ・チャネルをさかのぼりはじめねと、大きな白いシーツを旗になぞらえて打ち振るもの、口笛と喚声と拍手がイラン側の河岸にこだまし、アバダン製油所が近くになるにつれ、小蒸気船がなん隻も日章丸にまつわるように集まってきて、盛んに汽笛、サイレンを鳴らす。

 石油桟橋には軍楽隊の出迎え、空からは超低空で飛ぶ小型機より、赤い花、黄色い花がばらまかれる。ゲート付近には鈴なりの人、人――。上陸した乗組員には「日本人、英雄」「ジャポン、イデミツ」の声が高まった。さながら日章丸は、経済苦境にあえぐイランにとっての救世主の雄々しい姿だった。

 この間、日本の外交にとってどんな難問が降りかかってくるかも知れない。各国ともそれぞれ国益にどう影響するか固唾をのんで見守るしかない。日本はようやく独立を果たしたばかり、朝鮮戦争はまだ後始末がのこっており、冷戦のまっただ中にある。

 イランの密使・ホスロプシャヒ氏はアメリカ経由でやってきた。CIAや日本の外務省はこのことを承知しているはずだ。欧米各国は、当時残っている各地の石油利権や財産権を侵害されることに反対である。しかしアメリカは、イランが共産化することをより恐れており、また、中東など利権獲得に遅れをとっている地域で、平等な機会が与えられることに反対する理由はなかった。

 だからといって、国が英国の反感を買うようなことはできない。こんなことで日本におはちがまわってきたのではないか。もちろん日本政府も同様である。日章丸帰着の頃イギリスのエリザベス女王の戴冠式があり、皇太子(今上天皇)が天皇の名代として参列する、戦後初の晴ればれしい外交舞台が待ってる。

 当然、政府内でイラン油輸入に賛否両論があったが、外務省の空気は「イランと英国の抗争に、なにも我が国の民間が行う合法的な行為をやめさせることはない」という、内心はイラン油輸入を応援する考えだった。ただ、外交上は、英国の意図に反しないよう巧妙な慎重さを演じていた。

 その後、イランにクーデターが起き、アメリカの支援するパーレビー王朝となるが、次ぎにホメイニ革命が起き、アメリカ・イランの決定的対立の根源であるアメリカ大使館占拠事件などが起きる。もともとこの地域は、イギリスとロシアが領域を2分しあうなど、他の中東地域同様に欧米やロシアに対する不信感が根強い。
 
 日本は、アフガンなどと同様、イランを孤立から救いイラン国民と協力態勢がとれる唯一の国といっていい。イランは、核開発問題でIAEA(国際原子力機関)に協力する姿勢も見せている。12月に同機関事務局長に就任したばかりの天野之弥氏が、核拡散防止と核平和利用の両面からどういう展開を見せるか。

 期待された鳩山外交は「政治とカネ」などの陰にかくれ、遅々として進まない。父方、母方両お爺さん時代に負けない自主的で性根のすわった外交を駆使し、内閣の得点をあげてみたらどうか。 

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コメント

戦後の「日彰丸事件」。こういう時代があったのを日本人は忘れてほしくないです。イギリスの艦船がマラッカ海峡を封鎖していたのを迂回して川崎港に入港したという命がけのプレーでした。あのとき日本はアメリカの高い石油を買わされていたので独自ルートを開拓したかったのです。日本がアングロサクソンの足下でチョロチョロしていた米ソ冷戦時代のことです。

冷戦が終って20年が過ぎました。政治家が問われているのは次の時代をみすえることです。東アジア外交はそういう意味でアメリカに警戒されているのでしょう。ならば日彰丸のようにマラッカ海峡を通らなくても別のルートを考えればいいのだと思います。

イランの核開発についてIAEAの報告書がニュースで発表されています。イランの新しい核施設が軍隊の施設内にあるのですから報告書のとおり疑うのはそのとおりでしょう。また、いつまでも到達点を見いだそうとしないイラン政府にプレッシャーをかけるのは国際機関としての役割だと思います。であるならば、昨年の9月18日のIAEA総会で決議した「イスラエルの核査察」についても国際機関として履行するという行動をとるべきではないでしょうか。このバランスが事務局長の仕事です。でも、日本は「イスラエルの核査察」決議に反対しています。こういう立場の事務局長が「鳩山外交」なのでしょうか。まさか、日本政府の知らぬところで日独伊の三国同盟を締結したように、政治が内政で混乱していると外交は暴走するのでしょうか。これは官僚機構の弊害?

投稿: ていわ | 2010年2月20日 (土) 09時43分

ていわ さま
 早速のコメントありがとうございます。このささやかなブログでは、何の力にもなり得ません。また、情報もごく限られたものになります。

 言いたかったのは、日章丸事件の頃の政治家、実業家、官僚の10歩は先を見た鋭敏な洞察力と、進歩の気性そして命がけの行動力です。実質アメリカ支配の元にありながら、アメリカが妨害しないという先を読んでいたと見ます。

 また、書いてはいませんがイランとの交渉であわや決裂といった厳しい場面もありました。差し押さえの裁判もありました。

 それらを総合して、鳩山政権がどこまで自主性のある新外交ができるか、あるいは政権交代前の対米従属安住型でいくのか、まさに正念場にあると思います。

 ただ、昔と違って「信念」ではなく「世論」が政治を動かすようになり、政治家は世に媚びる時代になりました。その一方でNGOの存在価値が高まっています。私にできること、プログを頑張るしかないと思っているわけです。

投稿: ましま | 2010年2月20日 (土) 11時10分

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