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2010年2月

2010年2月27日 (土)

新聞不信

------------家に帰ると新聞が来ている。東京の悲劇に関して沈黙を守っている新聞に対して、言いようのない憤りを覚えた。何のための新聞か。そして、その沈黙は、そのことに関してのみではない。

 防諜関係や何かで、発表できないのであろうことはわかるが、――国民を欺かなくてもよろしい。

 国民を信用しないで、いいのだろうか。あの、焼跡で涙ひとつ見せず雄々しくけなげに立ち働いている国民を。

 昭和20年2月27日の高見順の日記にある一部である(『敗戦日記』文藝春秋新社)。高見はこの日、自宅の鎌倉から東京に出て2日前の空襲のあとを目のあたりにしてきた。被害は神田区、下谷区、浅草区、荒川区、本所区、日本橋区、深川区、本郷区の広範囲にわたっている。

 しかし、残る下町の民家すべてを狙ったじゅうたん爆撃「東京大空襲」は、このあとの3月10日であった。多くの国民が目撃した事実を隠蔽する方がかえって人心をまどわす。さすが今度は、大本営発表せざるを得なかった。しかし、酸鼻を極めた被害の実情は伏せたままである。

 天皇をはじめ、指導層の一部が敗戦を決意したのはこの頃のようである。広島・長崎の原爆投下を5か月前にさかのぼる。  

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2010年2月26日 (金)

島国根性

 「島国」という言葉はこのブログでもたまに使います。それは、「島国根性」といわれるような、他国民、他国文化を受け入れないような狭いマイナス面をいう場合と、防衛、安全保障上、専守防衛に好都合なプラスの面をいう場合の双方があり、そのどちらでもない三つに分かれそうです。

 さて、江戸時代の鎖国はどう考えたらいいでしょう。そもそもは、耶蘇教追放の豊臣秀吉から引き継いだものですが、江戸末期の欧米、ロシアが開国を迫った国防問題よりは、仏教や日本の神々と違う強力な神様(一神教)が、天下人の支配体制をおびやかすと見たからだと思います。

 中国や朝鮮には貿易上の例外を認めていたわけですし、いろいろな技術や科学については、織田信長をはじめ、一部の大名は積極的な関心を示しました。外国人だからといって排除するのではなく、優遇してそれを取り込むことに熱心でした。

 幕末の「尊王攘夷」はほんの一時で、「攘夷」の方はあっさりと「開国」に切り替わりました。これは、蘭学など、熱心な外国技術導入の下地があったからだと思います。したがって鎖国は、3分類の「島国根性」とは無関係だと思います。

 日本人のルーツを探ると、北から南から、さらに弥生時代の幕開けには、朝鮮・中国との往来が盛んになり、その後も文字、宗教、芸術に至るまで多くのものを取り入れました。まさに「混合民族」といわれる所以で、日本文化はそこからはぐくまれました。聖徳太子の頃までは、しかとした国境があったわけではなく、人種・民族の区別もあいまいだったのです。

 日本は海に囲まれているからいろいろな人がやってきて住み着いた。日本で自然発生した人などいません。海洋民族でいろいろなものを受け入れそれを発展させてきた、どちらかといえば、開放的・発展型民族ではないかと思っています。

 それが、閉鎖的な「島国根性」を持つようになったのはいつからでしょうか。多分、漢文文化で移入された「中華思想」に、国粋主義が加わった皇国史観がもとになっているのでしょう。江戸時代に水戸藩を中心に「国学」が盛んになりました。しかし、日本人が世界でもっとも優秀な民族だという選民意識は、昭和2桁の戦時中から格段に多くなったように思えます。

 皇国史観はその前にもありましたが、アジア主義が右翼の主流だったように偏狭な排外主義ではありません。また、戦後も成長が続いた段階では、「島国根性」が表に出るようなことはありませんでした。すると、勢いを得たのはごく最近のことだといえそうです。保守を自認する人は「島国根性」とは縁がないはずです。

 人種のルツボといえるアメリカ、多様性を誇るアメリカ。しかし、根強い人種差別意識が底流にあることは覆い隠せない事実です。EUも国境をなくして多様な価値観を認め合うのがその建前ですが、失業問題や風紀・習慣などで排外的な主張がないわけではありません。

 日本で問題なのは、それらの例と違って、自衛隊幹部経験者や現閣僚や元総理大臣まで、それに影響されて政治を左右しようとする人達がいることです。これが、どれほど周辺各国との関係を悪化させ、世界の潮流から遅れをとる原因になっているかわかりません。

 鳩山首相の「友愛」とは、ま反対の精神構造です。首相の指導力がここでも問われることになります。首相は与党とか党内の意見を斟酌して決めるのではなく、何が日本の将来にとって必要か、世界に貢献し尊敬されるような国にするには、どうすればいいかを判断して決めて下さい。

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2010年2月25日 (木)

小沢叩きもいいが…総括

 小沢民主党幹事長の政治資金をめぐる国会での証人喚問は、自民党の国会審議拒否戦術が腰砕けに終わり、実現しないことになった。当塾では正々堂々と受けて立つべきだと主張していたが、自民党側にも、質問で検察が引き出せなかった以上の証言を得られる自信がなく、今回のトヨタのアメリカでの証言のように、かえって追求される側に同情や余裕を与える結果になることをおそれたに違いない。

 小沢叩きもさすがに飽きられた。マスコミや検察はまだ次のタマを求めて執拗な攻撃を続けたい意向だろうが、もはやありきたりのかくし球では通用しないのではないか。国民の関心は小沢ではなく景気回復だ。国会審議が進み新予算による次の展開や、参院選へ焦点が移っていくだろう。

 しかし、この問題はこれで幕引きというわけには行かない。それは、内部からも批判が出るような検察の強引な手法と、検察リークを疑われたマスコミの一方的な報道ぶりである。これは日本の民主主義の存続にもかかわることで、しっかりと検証し総括して欲しい。

 とりわけ気になるのが『週刊朝日』2/12号の《暴走検察、子ども“人質”に、女性秘書「恫喝」10時間》の記事である。記事がすべて真実かどうかはわからないが、あってはならないことで、仮に誤報であれば検察に徹底的な抗弁を求めたい。その内容が、弁護士など外部との連絡を絶つなど、明らかに憲法の精神に反するからだ。

憲法
第十三条[個人の尊重]すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第三十一条[法定手続きの保障]何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。

第三十四条[抑留・拘禁に対する保障、拘禁理由の開示]何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

 また、この件は週刊誌をのぞくマスメディアでほとんど報じられていない。また、小沢氏や容疑者に対する一方的な疑惑報道についての是非についても、この際検討の俎上に乗せ、報道への信頼を高めてほしいものだ。

国際人権規約
第十四条
1 (省略)
2 刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する。

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2010年2月24日 (水)

中南米、共同体へ

 メキシコで開かれていた中南米・カリブ海諸国の32カ国による「統一首脳会議」は23日、同地域の新らたな機構を創設する方針を再確認する宣言を採択して閉会した。11年7月のベネズエラ会議で基本合意を目指し、12年チリ会議で新機構の名称などを決める方針になっている。

 米大陸には、1948年に結成された米国とカナダを含む米州機構(OAS)がある。反共を意識した米主導の組織で、革命を起こしたキューバは除名されている。今回の会議は、米・加両国抜きで欧州連合(EU)のような機構に発展させる機運を受けたものである。

 毎日新聞(2/24東京夕)によると、ボリビアのモラレス大統領は会議後の会見で、「OASは米国に支配されている。人民のためではなく、帝国(米国)のためのものだ」と述べ、「米国抜き」の新機構の重要性を強調したという。

 新機構が左派のモラレス大統領のいうような反米色の強いものになるとは限らないが、アメリカの庭先で起きていることは「脱アメリカ」を目指すという各国の共通認識である。アメリカにとって、のど元にささったキューバ革命以上の大転換にさしかかっているといってもいい。

 中南米の近代史は、文末年表に示すようにアメリカによる陰謀・侵略・支配・収奪の歴史といえよう。その政策は、中東・アジアなどでも応用され、現在も姿を変えて続いているといっても過言ではない。

 ベネズエラ、ブラジルをはじめ中南米に左翼政権が続出しているのは、アメリカが推進してきた新自由主義経済が格差拡大を促進していることに無関係ではない。南米有力国間ですでに貿易・経済協力が進んでいるが、OASはいずれ解体の運命をたどることになるだろう。

 EUにも、もともとアメリカの1国支配に対抗する意図があった。前回のエントリーでも述べたが、地域機構に属さない主要国は、米・加と日本だけということにもなりかねない。東アジア共同体を含め、日本の向かうべき国際的な位置づけ、戦略を早急に打ち立てなくてはならない時期が迫っている。

アメリカ――中南米関係年表
1835年 ペルー 革命の動き。米海兵隊、権益擁護のためリマ等を占領
1848年 メキシコ 米墨戦争に敗れたメキシコ、国土の半分を割譲     
1852年 アルゼンチン 政変に際して米海兵隊、権益擁護のため上陸、首都に駐留
1855年 ウルグアイ 政変に際して権益擁護のため米軍上陸
1856年 ニクウグラ アメリカ人が内戦に乗じて大統領に就任
1858年 ウルグアイ 政変に際して権益擁護のため米軍上陸
1865年 コロンビア パナマに革命の動き。アメリカ市民と財産を守るとして米軍が上陸
1867年 ドミニカ共和国 アメリカがドミニカの併合を図り失敗。サマナ湾を租借
1868年 ウルグアイ 暴動に際して権益擁護のため米軍出動
1873年 コロンビア パナマ地域の権益をめぐり米軍が出動
1885年 コロンビア パナマ鉄道が運ぶアメリカ製品の免税化を要求し米軍が上陸
1891年 ハイチ 米海軍艦艇がハイチ沿岸を封鎖、湾の譲渡を迫る
1894年 ブラジル 通商とアメリカの船舶を守ると称して米海軍がリオデジャネイロに上陸
    ニカラグア 革命に際して権益擁護のため米軍出動
1895年 コロンビア 武装集団の襲撃に対して権益擁護のため米軍出動
1896年 ニカラグア 政変に際して権益擁護のため米軍出動
1898年 プエルトリコ 米海軍が占領
1899年 ホンジュラス  米英海軍がカリブ海沿岸に上陸、1か月駐留
1900年 プエルトリコ アメリカの領土に編入
1903年 コロンビア パナマ政権成立の動きに際して米軍が出動
    ホンジュラス 政変に際して権益擁護のため米海兵隊が上陸
    ドミニカ共和国 政変に際して権益擁護のため米海兵隊が上陸
    ドミニカ共和国 独立。運河地帯の永久租借権獲得めざし米海兵隊が出動
1904年 ドミニカ共和国 革命の動きにドミニカ共和国
    パナマ 反乱の動きに米軍が出動
1906年 キューバ 革命の動きに米軍が出動
1907年 ホンジュラス ニカラグアと戦争。米軍が出動し要地を占領
1909年 ニカラグア ニカラグア左派の伸びを警戒して米海兵隊が上陸
1910年 ニカラグア 内戦に際し権益擁護のため米軍が出動
1911年 ホンジュラス 内戦に際して権益擁護のため米軍が出動
1912年 キューバ 権益擁護のため米海兵隊が出動
    ニカラグア 内乱の発生で米海兵隊がニカラグア占領
    ホンジュラス 権益擁護のため米海兵隊が上陸
1914年 ハイチ 暴動に際して米軍が出動
    ドミニカ共和国 反乱の動きに米海軍が出動
    メキシコ 米海兵隊がペラクルスを占領
1915年 ハイチ 米海兵隊が占領支配。1934年まで
1916年 ドミニカ共和国 反乱の動きに米軍が出動、24年まで駐留
1917年 キューバ アメリカの権益保護のため米軍が出動、22年まで駐留
1919年 ホンジュラス 革命の動きに権益擁護のため米軍が出動
1920年 グアテマラ 内乱に際し権益保護のため米軍が出動
1925年 パナマ ストに際して米軍が出動、多くの都市を占拠
1926年 ニカラグア 反政府暴動への弾圧を援助するため米海兵隊が上陸
1933年 ニカラグア 米海兵隊が上陸し革命運動を鎮圧
1946年 パナマ アメリカのスパイ・工作員養成学校スクール・オブ・アメリカ設立
1954年 グアテマラ アルベンス政権がアメリカ支援の反政府軍侵攻(CIA工作)で崩壊
1959年 キューバ 革命成功
1960年 キューバ アメリカが禁輸を発表、翌年国交断絶
    ドミニカ共和国 アメリカが経済制裁
1962年 キューバ ミサイル危機。アメリカが海上封鎖。
1965年 ドミニカ共和国 革命の動きに際して米海兵隊4万人が出動、占領
1981年 ニカラグア アメリカが支援する反政府右派ゲリラにより内戦開始
1982年 アルゼンチン フォークランド戦争。アメリカは同国に経済制裁
1983年 グレナダ 米軍が侵攻
1989年 パナマ 米軍が侵攻。ノリエガ将軍を拉致
1994年 ハイチ 無秩序状態となり権益保護のため米軍が出動
(伊藤千尋『反米大陸』集英社新書ほかで作成) 

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2010年2月23日 (火)

政権交替から政権後退へ

 内閣支持率の凋落や長崎県知事の与党候補落選で、マスコミがさかんに理由を喧伝する。それが「政治とカネ」の一本槍であることがなんとも不思議だ。普天間基地の移転先迷走ぶりも極限に達しているのだがこの方の議論は先送りになってる。

 当塾は前から、「政治資金問題は国会で説明責任を果たせ」と主張している。検察でさえ決定的な証拠をつかめなかったのだから、事情聴取で答えたことをそのまま証言すればいい。要するに毅然とした態度と正々堂々とした姿勢が求められているのだ。

 「政治とカネ」といっても、国民は何が問題なのかをどこまで知っているだろうか。検察が取った今回の措置にもかかわらず、「証言しないのは、賄賂を受け取っているからだろう。隠しているに違いない」という感じの世論操作に踊らされている。

 以上の問題は、他のブログでも多く論じられているので、外交面での「政権後退」を取り上げてみたい。首相就任直後の国連演説や国際会議で、はなばなしく打ち上げた温室効果ガス25%削減、核廃絶努力、アジア共同体、そして「かけ橋」論などさまざまなものがあり、これぞ「政権交替」だと思わせたものだ。

 ところが、この半年でその準備の一端と思われるものがさっぱり見えてこない。もちろん長期目標もあり「すぐ成果を」というわけにはいかない。さきに「イランで得点を」でも取り上げたが、IAEA(天野之弥事務局長)の報告書が以前より厳しい評価になり、イラン当局では、日本政府の対応がアメリカの圧力で動いた過去と変化がない、と見る懸念が高まっていると報道されている。

 言っただけで半歩も踏み出していないのが「アジア共同体」である。これをすぐEUのように持っていくのは誤りであることは、当ブログのカテゴリ「東アジア共同体」で繰り返し主張した。しかし、何もしないでもいいということではない。そこに、今まで消極的なように見えた中国の新しい動きが報じられた(毎日新聞10/2/22東京朝刊)。

 ハイチ大地震で国連本部(ニューヨーク)が対応に追われる中、地震発生翌日(1月13日)、安全保障理事会で興味深い会合があった。1月の安保理議長国・中国が企画したもので、安保理と地域機構との協力をテーマにした会合だった。

 参加したのはアフリカ連合(AU)、北大西洋条約機構(NATO)、東南アジア諸国連合(ASEAN)、上海協力機構、アラブ連盟など安全保障に関係した地域機構を中心に11組織。安保理では、その月の議長国が関心の深い課題について集中協議をする慣例があるが、中国はこうした協議をあまりしないことで知られている。その中国が地域機構との協力をテーマとしたため外交団には、「中国はAUと国連の協力を仲介する思いがあったのでは」との観測が広がった。

 安保理理事国(15カ国)のうち、今回会合に参加した11機構のいずれにも属していないのは日本だけだという。これに関し高須幸雄・国連大使は「冷戦構造の残る東アジアの特異性を表している。(地域機構を持たない)日本にとって国連がいかに重要かを認識させられる」とコメントしたというが、間の抜けた話である。

 中国は、そういった地域機構の在り方、機能、国連との関連などを慎重に検討し、アメリカ一極支配の次ぎにくるべき世界安全保障の姿を見定めたいのだ。当然東アジア共同体を頭の片隅に置いている。日本がもたもたしているうちに、主導権を握ろうとするのは当然だ。日本は何歩も出遅れている。

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2010年2月22日 (月)

THE POWER OF DOGU

 前回に続き考古学!。大英博物館の好評を受けた帰国記念展。ジャパニーズ・パワー勢揃い。

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惜しくも昨日の日曜が見納めの最終日。しかし、天孫属大和王朝にまつらわぬ朝敵・エミシの芸術にこんな人気があるとは。(東京国立博物館)
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2010年2月20日 (土)

遺跡見学会

 珍しいものを見た。仏像墨書土器である。墨書土器は文字が中心で人面というのもたまに見かける。これも写実的な婦人像かと思ったら、螺髪、白亳、光背まであり、れっきとした仏像である。

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2010年2月19日 (金)

イランで得点を

 一冊の古い本を引っぱり出してきた。冒頭のグラビア頁に記念写真がある。写るメンバーは鳩山首相の父、若き日の鳩山威一郎氏、鳩山首相のお母さんの父、ブリジストン社長・石橋正二郎氏と夫人つまり鳩山首相の祖父母、ほかに4人関係者がいるが、ソファの中央に座るのは、主賓であるモサデグ・イラン首相の“密使”ホスロプシャヒ氏である。

 場所は東京麻布にある石橋邸の応接室で、昭和27年(1952)3月28日、講和条約が発効しGHQが廃止される1か月前のことらしい。その本の名は『イラン石油を求めて・日章丸事件』読売新聞戦後史班編<昭和戦後史>である。

 なぜそんな本を思い出したかというと、オバマ話し合い路線にもかかわらずイランのウラン濃縮作業が進み、核拡散防止で交渉してきた常任理事国とドイツの6カ国のうち、イランに同情的であったロシアまでイラン制裁に傾き始めたという最近の情勢である。これが約60年前、石油資源国有化でイランが世界から孤立した姿にそっくりなのだ。

 長年イランの石油利権で独占的利益を上げてきたのはイギリスの企業で、英国は国有化に激怒した。軍事力行使に限りなく近い恫喝で、イランの石油を引き取る消費国はなく、イランの石油タンクは満杯となる一方経済制裁で国民生活は苦境に立たされた。

 そんなとき、極秘の使命を帯びて日本にやってきたのが前出のホスロプシャヒ氏で、この密会がきっかけとなり、世界を驚嘆させた日本の出光興産・日章丸による抜け駆け輸入が実現する。日章丸が日本を離れる時には、船長などごくわずかが知るだけで、船員や家族も行き先を知らされていなかった。

 船長なども、途中英海軍に拿捕される覚悟はしていたが、まさか撃沈したり命を取ることまではしないだろうという、不安に満ちたものだった。また、航行中疑念や追尾をさけるため、無線発信をおさえ、やむを得ない連絡には暗号を使うなどスリリングなものだった。

 その経過の詳細はとても紹介しきれないが、日章丸は昭和28年5月10日、製品を満載して川崎に入港、荷揚げを開始した。そして2度目の航海につき、船が目的地アバダンに近づいた時の模様を前掲書が次のように伝えている。

 日章丸がルーカ・チャネルをさかのぼりはじめねと、大きな白いシーツを旗になぞらえて打ち振るもの、口笛と喚声と拍手がイラン側の河岸にこだまし、アバダン製油所が近くになるにつれ、小蒸気船がなん隻も日章丸にまつわるように集まってきて、盛んに汽笛、サイレンを鳴らす。

 石油桟橋には軍楽隊の出迎え、空からは超低空で飛ぶ小型機より、赤い花、黄色い花がばらまかれる。ゲート付近には鈴なりの人、人――。上陸した乗組員には「日本人、英雄」「ジャポン、イデミツ」の声が高まった。さながら日章丸は、経済苦境にあえぐイランにとっての救世主の雄々しい姿だった。

 この間、日本の外交にとってどんな難問が降りかかってくるかも知れない。各国ともそれぞれ国益にどう影響するか固唾をのんで見守るしかない。日本はようやく独立を果たしたばかり、朝鮮戦争はまだ後始末がのこっており、冷戦のまっただ中にある。

 イランの密使・ホスロプシャヒ氏はアメリカ経由でやってきた。CIAや日本の外務省はこのことを承知しているはずだ。欧米各国は、当時残っている各地の石油利権や財産権を侵害されることに反対である。しかしアメリカは、イランが共産化することをより恐れており、また、中東など利権獲得に遅れをとっている地域で、平等な機会が与えられることに反対する理由はなかった。

 だからといって、国が英国の反感を買うようなことはできない。こんなことで日本におはちがまわってきたのではないか。もちろん日本政府も同様である。日章丸帰着の頃イギリスのエリザベス女王の戴冠式があり、皇太子(今上天皇)が天皇の名代として参列する、戦後初の晴ればれしい外交舞台が待ってる。

 当然、政府内でイラン油輸入に賛否両論があったが、外務省の空気は「イランと英国の抗争に、なにも我が国の民間が行う合法的な行為をやめさせることはない」という、内心はイラン油輸入を応援する考えだった。ただ、外交上は、英国の意図に反しないよう巧妙な慎重さを演じていた。

 その後、イランにクーデターが起き、アメリカの支援するパーレビー王朝となるが、次ぎにホメイニ革命が起き、アメリカ・イランの決定的対立の根源であるアメリカ大使館占拠事件などが起きる。もともとこの地域は、イギリスとロシアが領域を2分しあうなど、他の中東地域同様に欧米やロシアに対する不信感が根強い。
 
 日本は、アフガンなどと同様、イランを孤立から救いイラン国民と協力態勢がとれる唯一の国といっていい。イランは、核開発問題でIAEA(国際原子力機関)に協力する姿勢も見せている。12月に同機関事務局長に就任したばかりの天野之弥氏が、核拡散防止と核平和利用の両面からどういう展開を見せるか。

 期待された鳩山外交は「政治とカネ」などの陰にかくれ、遅々として進まない。父方、母方両お爺さん時代に負けない自主的で性根のすわった外交を駆使し、内閣の得点をあげてみたらどうか。 

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2010年2月17日 (水)

小沢叩きもいいが…

 関東地方はここ数日、曇か雨で暗くつめたい日が続く。内外のニュースもつらくうんざりするようなものが多い。いきおいブログにも興がわかない。昨日まで「官僚たたきもいいが…」というシリーズにしたが、マスコミの「小沢たたき」も一向におとろえを見せない。

 おかげで、去年前半までその金権体質やこわし屋渡り鳥政治家の小沢一郎が嫌いだったが、あまのじゃくの塾頭は小沢ファンになって応援したくなった。マスコミも民主党内も、ただ小沢たたきの幻影に踊らされている。

 「暴君」「罵倒」「僭主」「傲慢」考えつく言葉を総動員(毎日2/17夕刊・牧太郎専門編集委員)して、新聞紙面を悪人イメージで覆う。昨今のマスコミはどう見ても異状としかいいようがない。なかには独裁者・ヒトラーにたとえようとする論調まで現れている。

 小泉元首相が参院のねじれ現象に業をにやし、特権を行使してお門違いの衆議院を解散した。そして郵政民営化に反対する自民党候補のところへ情け容赦なく刺客をねじこみ、圧勝したことは記憶に新しい。当塾は当時、いわゆるB層を標的とした宣伝手法などを含め、小泉流をヒトラーに擬したことがある。

 しかし、その当時は小泉改革礼賛一本槍で、ヒトラーとくらべてみたマスコミなど見たことがなかった。小沢バッシングはまさか顔が嫌いというのではないだろう。小泉ヒトラーに比べれば可愛いものだ。金権体質も自民・保守から引きずった過去の体質で、現在、またはこれからの問題ではない。

 法的に糾弾できないのなら、残すところ好き嫌いだけではないか。剛腕というが政治を力強く引っぱっていく能力がある数少ない政治家だ。彼のやっていることが気に入らなくても、考えてみて道理に反する言動はしていない。むしろ政府閣内にある優柔不断、言行不一致、政策決定できない迷走ぶりの方に批判を向けるべきだ。

 昨年決定されるはずだった「防衛計画の大綱」は、政権交代で決定が1年延期され、鳩山政権らしい防衛政策が打ち出されるものと期待していたが、このほどその基礎となる「新たな時代の安全保障と防衛計画に関する懇談会」のメンバーが決まった。

 その中には、集団的自衛権容認に向けて走った麻生内閣で委員を務めた中西寛・京大大学院教授や、加藤良三前駐米大使が再任され、改憲を打ち上げた安倍元首相のブレーン、岩間陽子・政策研究大学院教授も入る。

 座長は、平野官房長官のお友達・京阪電鉄最高経営責任者の佐藤茂雄氏である。ほかに5人の委員と防衛官僚関係者2名が加わるが、私の乏しい経験によるとこういった会合は、どうしても過去から参加しているベテランと事務局が用意したデータに引きずられ、最初から決まっている結論へ持って行かれる。

 普天間基地の移転問題は、当初の鳩山首相の意気込みとは裏腹に、連立各党の案はまとまらず、5月決定なら、今頃最大の交渉当事者であるアメリカと地元での折衝が始まっていなければならないのに、まだ方向すら決まっていない。

 マスコミの小沢立件予測ははずれたが、「政府は、辺野古沖修正案で押しきろうとしている」という観測記事を流し始めた。たしかにそういった周辺情報は多い。5月決定がその通りになったら、参院選に向けて「結局自民と同じじゃないか」ということになり、社民党の離反を招いて、小沢選挙戦術は大きく後退することになる。

 小沢幹事長としては、決して黙視できないことである。そこで党内世論を政策に反映させようとすれば、「強引・強権」の小沢叩きに一段と火を注ぐことになるだろう。塾頭は、去年のように選挙前の小沢優退も考えたが、ますますあとに引けない状況になる可能性も強い。「小沢たたきもいいが…」である。
 

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2010年2月16日 (火)

官僚叩きもいいが…(番外)

 官僚というのは、昨日今日生まれたものではない。また日本の特異性はあるが世界に共通するものがないとはいえない。シリーズは完結したものとして、番外に「武士と官僚」を考えてみた。

 豊臣秀吉から天下を奪った徳川家康は、征夷大将軍の称号を得、武士の統領として江戸に幕府を開いた。戦争のない時代になった時、大勢の武士団はながば失業状態になったが、中央または出先機関の官僚として腕をふるうものが出てきた。当塾でも能吏として田沼意次を挙げたことがある。

 刀や槍は体力づくりで、算盤や筆の方が重用される時代になったのだ。譜代の武士は無役であっても終身雇用される。それどころか、世襲が原則だった。こういった武士階級と、名主・医者など名字帯刀を許される知識階級「準・武士」が明治新政権を支えた官僚になったのだろう。

 もちろん、それに乗り切れなかった者も多い。新たに作られた軍隊に加わる武士も多かっただろうが、国民皆兵のもともはや軍人は士族の特権的職業でなくなった。統計は知らないが、商人や農民になった人は稀なのではないか。

 こういったことから、日本の官僚は明治から現在に至るまで、利点・欠点を含め武士の伝統を色濃く受け継いでいるようにも思える。それを考える材料として、新戸部稲造の『武士道』の一文をひいておく。(矢内原忠雄訳・岩波文庫)

 我が国歴史を熟知する者は記憶するであろうごとく、我が開港場が外国貿易に開かれたる後僅々数年にして封建制度は廃せられた。しかしてこれと共に武士の秩禄が取り上げられ、その代償として公債が与えられた時、彼らはこれを商業に投資する自由を与えられたのである。そこで諸君は問うであろう、「何故彼らはその大いに誇りとせる信実をば彼らの新しき事業関係に応用し、それによって旧弊を改良し能わざりしや」と。

 多くの高潔にして正直なる武士は新しくかつ不慣れなる商工業の領域において狡猾なる平民の競争者と競争するに際し、全然駆け引きを知らぬがため恢復し難き大失敗を招き、彼らの運命について、見る目のあるものは泣いても泣き足らず、感ずる心ある者は同情しても、し足りなかったのである。アメリカのごとき実業国にありてさえ実業家の八〇パーセントは失敗するということだから、実業に就きし武士にして新職業に成功せし者が百人中辛うじて一人であっても、驚くに足りぬではないか。

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2010年2月15日 (月)

官僚叩きもいいが…③

 14日のTV番組・サンデープロジェクトに、就任間もない枝野幸男行政刷新相が出席し、前回②の冒頭に書いた、高級官僚降格を規定する公務員法改定案が閣議で保留になったことについて、田原惣一朗の質問に答えていた。

 簡単にいうと、総合的・包括的な議論が必要なのに、こなれてなく実効が疑問な法案が出てきたことに対し、原口大臣が異議を唱えて保留になったということらしい。前回述べている公務員の地位などとの関連もあるようだ。

 そういった中味については田原も知らなかったとみえ、「国民からよく見えるよう事業仕分けのように閣議を公開したら」などとズッコケタことを言っていた。①で指摘したことだが、閣議の内容をしっかり取材し国民に論点がわかるように説明するのは、マスコミの責任ではないか。

 さて、既述した憲法第12条第2項「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」の規定である。これは、ワイマル憲法にほぼ同文の規定があり、参考にされていることで知られている。この憲法は、第一次世界大戦後ドイツの帝政が倒れ、議会制民主主義のワイマル共和国によりうち立てられたものである。 

 ヒトラーはその憲法のもとで頭角を現し、1933年1月30日首相に就任した。そして同年3月、全権委任法を制定し、憲法に違背する法律を制定する権限を含む強大な立法権を掌握した。これにより、ワイマル憲法は事実上その効力を失ったとされる。

 このような事態を招いたのは、第2次世界大戦の膨大な賠償金支払や、世界大恐慌などで国民生活が塗炭の苦しみを味わう中、議会制民主主義が信頼を失ったことにも関連がある。ヒトラーは官僚をどう見ていただろうか。自著『わが闘争』の中で次のように言っている(平野一郎・高柳茂共訳『完訳わが闘争2』黎明書房)。

 政体と陸軍に続いて、第三のものとして、旧ドイツ国の比類のない官吏団が同盟に加わった。

 つまり、官僚をナチスを支える3本柱のひとつにしたのだ。ここでいう「旧ドイツ」はワイマル以前の帝政時代のことである。そして官僚は、その当時の方が個々の政府から独立した堅実な仕事をしており、中立をうたったワイマル憲法のもとでは、逆に「党派的見地が現れ、自主的、独立的な性格は、なにかを促進するというより、むしろ(国際金融資本への奉仕など)妨害するものになってしまった」と、未熟な議会制民主主義と政党に批判の矢を向けたのだ。

 このように、世を挙げての「官僚叩きもいいが…」その扱い方ひとつで、背筋の寒くなるような方向に持って行かれかねないことを、どれほどの人が気に止めているだろうか。世論のなだれ現象にはよほど注意が必要である。
 

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2010年2月13日 (土)

官僚叩きもいいが…②

 昨日(12日)予定されていた、次官・局長級公務員を部長級に降格できる公務員法改正案の閣議決定が見送りになった。詳細はわからないが「手ぬるすぎる」ということらしい。どういう場合に降格するのかわからないが、民間でできることなら公務員でも、という発想があるようだ。

 お役所のトップの勤務成績は、コンビニの店長であるまいし売上高や利益額ですぐ出てくるわけではない。評価をする政治家には、どうしても「意に添わない」という情実が入るだろう。民間会社に左遷はあるが、法を犯したとか社の名誉を損じたとかの懲罰以外に降格というのはめったにない。

 役員クラスが部長に降格となれば、エリートにとって耐えられない屈辱だし、その部の社員が忠誠をつくすわけがない。結局は依願退職、「くび」にしたと同じことになる。筆者は法改正の趣旨に反対するわけではない。それならば最初から「貴官は前政権に忠実だった。政権交代したのでくびにする」と言った方がすなおで本人のためでもある。

 前回のシリーズ①では、日本の近代官制ができてから戦後まで天皇のための天皇による官僚であったことを言った。それが新憲法により、主権者で任免権を持つ国民の官僚となった。憲法第12条第2項には「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とある。

 公務員の不偏不党精神は、明治憲法下でも機能していた。内閣や政党政治の交替で業務が不安定になることを防いでいるのである。明治官制をうち立てた伊藤博文が参考にしたのは、憲法同様プロシア(ドイツ)の官制であったと思われる。

 官僚の身分保障や特権とともに厳しい任官試験、資格、勤務規律などがそれを担保する背景となっていた。われわれの若い頃の役人の印象は、空威張りする、融通が利かない、安月給、そのかわりこつこつ勤め上げれば恩給がつく、といったものだった。新しい改革案は、職責と身分にどう折り合いをつけようとしているのか。

 公務員制度改革の狙いは何か、あるべき姿はどうなのか、冒頭に書いた閣議決定のつまずきなどを見ていると、どうも全体の姿が見えてこない。官僚を弱体化して政治権力の独裁化を図るのが目的のようにも見える。ここで「陛下の官僚」から「国民の官僚」に変わって間もない頃の論文の序言から一文を紹介しておこう(辻清明『新版日本官僚制の研究』東京大学出版会)。

 官僚制の民主化という課題は、新憲法の原理を実現して行くために、我々日本国民が避けることのできない至上命令であり、現在の新しい制度の設定のみでこの課題が果たさると考える安易な態度は、絶対許されるべきものではない。

 とくに本書で指摘しているような日本官僚制の特殊な性格は、ひとり統治構造の分野にのみ限られず、政党や大企業、さらに進歩的と称される組合に至るまで、およそわが国におけるすべての社会集団のなかに、程度の差こそあれ常に存在している現象である。いわば、それは日本の社会全体を蔽うている暗雲のごときものであり、国民のすべてが、自己の属する集団で克服に努めねばならない問題である。

 ちなみに、引用の中の「日本官僚制の特殊な性格」というのは、セクショナリズム、縦割り行政、前例主義、非能率、責任不在など現在取り上げられいる問題のほとんどを含んでおり、改善が進んでいない。結論として、個々の現象面だけをとらえた「官僚叩き」や「小沢叩き」で解決する問題ではなく、戦前にさかのぼる国民全体の体質改善にかかわっている、と言いたかったのである。 

 

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2010年2月12日 (金)

官僚叩きもいいが…①

 最近、この世にはだかるもの「小沢叩き」と「官僚叩き」である。当塾は昨年、大久保秘書逮捕を受けて、当時の小沢民主党代表の辞職をうながす記事を何度か書いてきた。また現役当時から、高級官僚の天下り、わたりに強い嫌悪の念を抱いていた。

 しかし、最近の風潮は「何が、どうして」の部分をのぞいて(掘り下げようとせず)ただ叩けばいいという安直さが主流になっている。ことにジャーナリズム精神をどこかに置き忘れたような大新聞の質の低下、ひたすら大衆受けする絵を追い続ける民放テレビの先走りが目につく。

 官僚が悪いのは、人そのものか制度なのか、またどこをどう改めればいいのかも整理されておらず、改善案もばらばらでまとまりがない。官僚制そのそのの本質・根幹をつく議論もサッパリ聞けない。

 戦争に負けようが、政権交代があろうが、世の中は大河のようにゆっくり流れて行くものである。気を付けなくてはならないのは、一面的でヒステリックな時代の声が、誰も望まないあらぬ方向へ流れを変えようとすることである。

 シリーズとして①にしたが、この稿の流れも行き着く先が定かでないことをご勘弁願いたい。筆者が初めて日頃接した官僚は、学校の先生である。中学生の頃「校長は勅任官(奏任官の間違い?)」だとか「あの先生は判任官」だと噂しあったことを思い出す。

 戦後まで官僚は「天皇の官僚」だった。その最初は、明治18年12月23日に始まる。勅語は心構えまで盛り込むので、国費乱用は天皇の意向に背く行為として、厳しくいましめられていたわけだ。

「朕惟フニ経国ノ要ハ官其制ヲ定メテ機関各其所をヲ得ルニ在リ内閣ハ万機親裁専ラ統一簡捷ヲ要スヘシ今其組織ヲ改メ諸大臣ヲシテ各其重責ニ当ラシメ統フルニ内閣総理大臣ヲ以テシ以テ従前各省太政官ニ隷属シ上申下行経由煩雑ナルノ弊ヲ免レシム乃各部ニ至テハ官守ヲ明カニシ以テ濫弊ヲ除キ選叙ヲ精クシ以テ才能ヲ待繁文ヲ省キ以テ淹滞ヲ通シ冗費ヲ節シ以テ急要ヲ挙ケ規律ヲ厳ニシ以テ官紀ヲ厳ニシ徐々ニ以テ施政ノ整理ヲ図ラントス是レ朕カ諸大臣ニ望ム所ナリ中興ノ政一タヒハ進ミ一タヒハ退クヘカラス華ヲ去リ実ヲ務メ綱挙リ目張リ永遠継クヘカラシム諸臣其レ各朕カ意ヲ体シテ奉行スル所アレ
 明治十八年十二月二十三日
  奉勅
   内閣総理大臣伯爵 伊藤博文」

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2010年2月11日 (木)

私説・紀元節

 「建国記念の日」などという国辱的な命名は、即廃止してほしい――「紀元節」の方がいい、という趣旨で書こうとしたら2年前の今日、すでに書いていた。暦のない時代、しかも「国=国家」などない時代のうそっぱちを、世界に向けて「建国記念の日」とする恥ずかしさからである。

 昔の「紀元節」の名を復活して、日本民族や大和王朝のキゲン(起源)、日本国の成立などを日本書紀など古典と、考古学の両面から考える日ならば結構である。そこで『私説・紀元節』の一席でお時間拝借といきたい。

 2世紀の後半、後漢・霊帝(168~189)の頃、それまで、朝鮮・対馬・壱岐・奴国・伊都国を経た鉄の交易などで力を蓄えていた九州北西部の諸国が、漢の弱体化や気候不順などで勢力を失い、代わって漁労や畑作の依存度の高い九州南部に新勢力が勃興した。

 この新勢力も出自は北西部で軍事にたけており、後に天孫族といわれるが、各地を移動するくせがあった。古典が言う鹿児島・宮崎あたりから、九州北部、山陽瀬戸内海沿岸などに移駐・逗留を繰り返し、最後は難波や紀伊に上陸、奈良盆地を征服しようとしたいわゆる「神武東征」は、古典がいう時期を除いて概ね史実と見ていい。

 ただし、奈良県橿原での即位儀式というのはウソである。それは後世の王権移譲の儀式を最初に行った場面を創設したかっただけで、戦勝宣言、王位簒奪式ならわかるが、初代天皇の即位ではない。神武の名は、伊波礼毘古(いわれひこ)である。大和王朝発祥の地と見られる纏向に近い磐余(いわれ=櫻井市の一部・地名)に関係があるのではないか。

 神武は、この時点でまだ完全にこの地方全体の支配権を掌握しきっていない。婚姻政策などで地元での地位を固めてきたが、東海から九州北部あたりまでの豪族盟主としての権威を確立したのは3世紀前半、卑弥呼(ヤマトトソモモソヒメ)を擁立してからである。

 卑弥呼死後、経100歩という大きな墓を造った。これが現存する日本最初の巨大前方後円墳・箸墓である。以後大和王朝の勢力範囲で東北から九州まで同じ墳形の墓が造られるようになる。大和王朝は、卑弥呼死後地位を世襲しようとしたが豪族間で支持が得られず混乱、女性の台与を立てることでようやく収まった。

 さて、前述した磐余に最も近いところに、メスリ山古墳(250m)がある。箸墓に続くように築造された帝王級の大型古墳であるが、古典では被葬者が示されていない。副葬品として鉄矛212本、銅鏃236本など大量の武器があることで有名である。これは、神武が得た戦利品、あるいは対抗勢力武装解除にともなうものであろう。

 もう一つ、被葬該当者なしでほぼ同じ時期の古墳・桜井茶臼山(200m)がある。これは昨年国内最多の13種81面の銅鏡が発見されたことでクローズアップされた。数ばかりでなく種類の多さも異例である。過去には豪華な「玉杖」がみつかっている。

 これも、卑弥呼の先祖に関係する大物の墓であろう。敢えて言えば、神武東征の前までここを支配しており最後は神武と和解した天孫族・饒速日命かも知れない。なぜ卑弥呼死後、何代も前の先祖の墓を造ったのか。卑弥呼の墓の巨大さと共に、大和王朝は代々天孫族が世襲するものであることを、豪族間に印象づける目的があったのである。

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2010年2月10日 (水)

説明責任は双方に

 小沢幹事長や石川議員に対して、まだ「説明責任」を果たしていないという自民党の主張に、マスコミが世論調査の数字をたてに同調して追求の手をゆるめようとはしない。記者会見ではだめだというのは、記者が無能なのか限界なのか、それとも納得のいく説明とは、検察の思惑にそった「悪の告白=自白?」なのだろうか。

 両氏は、証人喚問でも参考人でもなんでもいい。できれば証人喚問の方がいい。国会で堂々と証言したらいいではないか。これも両氏の権利行使である。もちろん、法的に守られている不解答の権利もある。検察のリークが疑われていること以外に、質問する側がどういって容疑を追求をするか興味津々である。

 その前に条件がある。検察関係者も喚問して証言してもらう。すでに『週刊朝日』上で、ジャーナリスト・上杉隆氏が明らかにした、容疑とは関係のない石川議員の女性秘書を、被疑者扱して検察庁に10時間監禁したという記事がある。

 全く自由をうばわれたまま、日が陰る頃になって秘書が2人の子を預けている保育園の迎えがあるからといって、夫に電話しようと思ってもそれもそれも許さないという専横ぶり。週刊誌には、まだまだ常識では考えられないひどい仕打ちが書いてある。

 女性や子供を人質にした拷問で、戦時中の特高でも聞いたことのない卑劣なやりかただ。もし本当なら、公僕であるべき公務員の仕業として決して許すことができない。何が正義の味方だと言いたくなる。『週刊朝日』にはファクスで「事実に反する」という当局の抗議文が来たというが、全くの虚報とはいいきれないだろう。

 不法取り調べということで、訴訟も起こせると思うが、まず国民のまえに納得のいく説明をする必要がある。検察もそんな疑念を残したままでは今後の権威にかかわることになるだろう。国民のため国家のため最善の道は、国会でそれを明らかにすることである。

 本来ならマスコミがその役割をはたすべきだが、上杉氏は、司法記者クラブを中心としたマスメディアは、検察と共犯関係にありその役割を期待できない、という考えだ。このまま、放置されれば、どうしても日本の暗い過去に思いを思い出さずにいられなくなる。本日目にした上杉氏の発言の冒頭部分を最後に引用する。

 日本は推定無罪の原則を持つ法治国家であるはずだ。

 だが、いまやそれは有名無実化している。実際は、検察官僚と司法記者クラブが横暴を奮う恐怖国家と化している。

 昨年3月に大久保秘書が逮捕されてからの10ヵ月間というもの、記者クラブメディアは検察からの情報ばかりに拠って、あたかも小沢幹事長が逮捕されるかのような報道を繰り返してきた。

 だが、結果は小沢幹事長の不起訴であった。当然に法的にはシロであるはずなのだが、それでも最強の権力集団である検察と排他的な記者クラブの複合体は諦めない。

 次に、国民からは道義的な責任を求める声が沸き起こっているとして、世論の後押しで小沢幹事長を辞任させようとしている。(ダイヤモンド・オンライン
 

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2010年2月 9日 (火)

古木

2010_02020001_2  『孤独』

2010_02020003 『老荘』

2010_02020004_2  『ムンク』

2010_02020008 『勲章』

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2010年2月 8日 (月)

喧嘩のしかた

 テレビのサンデープロジェクトに連続出演している郷原信郎弁護士、東京地検特捜部に勤めた経験があり、民主党応援団として、なかなかのご活躍ぶりである。法曹界には珍しい理科系のご出身で、同じ鳩山さんや菅野さんととも話が合いそうだ。また話しぶりも理路整然として反対意見に立ち向かい、頼もしい。

 ところが8日の番組では、なんと、民主党に激しく怒って見せた。小沢不起訴の決定を受けた小沢さん自身も党内世論も、検察に対する追求の姿勢をすっかりひっこめ、めでたしめでたしで終わろうとしている、というのだ。

 これまた、郷原氏の正義感もさることながら、法治国家日本に対する警鐘としては当然のことである。前回書いた「書生論」ではとてもない。しかし「喧嘩の仕方」としては、あれ(小沢流)でいいのではないか、と思った。

 最近の子は喧嘩の仕方を知らない。最近の蒙古の子はやがて30だが、喧嘩の仕方を誤って大横綱を棒に振った。草食動物などという嫌な表現がはやっている。喧嘩の仕方を知らず、すぐ刃物を振りかざして「むしゃくしゃした」などと見ず知らずの人を殺す。

 昔は餓鬼ん子でも喧嘩の仕方を知っていた。勝つためには最初から負けにつながるような突進や、追いつめて手負いの猪にはしない。そこらの呼吸駆け引きはお相撲さんもよく知っているはずなのに、蒙古の子は酒でしくじってしまった。

 民主党には、是非最後の勝利を手にして欲しい。 それは、明治からある政治の金権体質を、戦前政治の系譜をひきずる自民党ではなく、民主党の手で実現しなければならないからだ。郷原さんにも頑張ってほしい。「喧嘩の仕方」を知っての上でのテレビ発言であったとすれば、多才な郷原さんに俳優の称号も差し上げなくてはならない。

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2010年2月 6日 (土)

書生と秘書

 これから書こうとしていることは、ご想像の通り昨5日こう留期限が切れて釈放された小沢民主党幹事長の元秘書らにヒントを得ている。テレビのワイドショウなどを見ていると、建設業者が秘書に渡したとされるおカネは「元秘書と小沢氏の間でア・ウンの呼吸があって」通じ合っていたのではないか、つまり「限りなく黒に近い灰色」といったしたり顔のコメントが行き交っている。

 私は、それはチョット違うのではないかと思う。小沢氏も元秘書も「不正なおカネは断じて受け取っていません」といいきる。よほど強い自信があるのだ。それならば、「不正でないカネなら受け取ったんですか」と混ぜっ返したくなるが、それはそれで真相は保留にしておこう。

 両者の間に「ア・ウンの呼吸」のもとの合意があったとすれば、証拠はないが共犯関係ということになる。それを否定しきれる両者の間柄とは何か、それは先生の身近で「書生」として修行し、その後「秘書」として仕えた間柄で、そのいずれも職業としての対等な雇用関係とは違う。

 「書生」というのは、明治のはじめ頃勉学目的で上京し、政府高官などの私邸に寄宿して来客の取次など家事の雑用をしながら出世の手がかりを得ようとした風習からきているのだろう。「書生論」など未熟を言い表す言葉は残ったが、寮などの完備で身分そのものは消えた。

 しかしこの場合は、徒弟というより家僕、草履取りに近いような秘書修行を言うようである。うろおぼえだが、田中・元首相が若き日の竹下登議員に「まだぞうきん掛けが足りない」などと叱咤したという。政治家の場合は多分これだろう。

 ひとかどの秘書、政治家になるためには、まず人が避けるキタナイことツライことを、いとわずにやれるようでなければならない。同時に先生に対する絶対服従の忠誠心もたたきこまれることになる。一口でいうと、雇用関係ではなく主従関係である。

 「秘書」という語感は、昭和の中頃まで西欧から来たビジネスライクな仕事というより、「美人秘書」などという表現があるように属人的印象をもって語られる傾向があった。優秀な秘書とは、主人が口に出さないことでもすばやくその意向を察知し、仕事がうまくいくように、たとえツライことキタナイことであってもいとわず、完璧を期してお膳立てをしておく。

 しかし、その一方で法規に触れること、反社会的なこと、名誉を損ずることは一切してはならない、というきついお達しもある。そこで秘書は、塀から足を踏み外さない、しっぽをつかまれないぎりぎりのところをかいくぐって手柄を立てなければならない。それが秘書の器量のあるなしを決めることになる。

 大金の現ナマ授受は、特に警戒が必要でそういった古典的手法が取られるとはちょっと考えられない。橋本元首相への日本歯科医師会からの料亭での授受などあったが、かえってしっぽをつかまれやすい場面をつくることになった。

 キタナイ不法なカネの授受には受取りがいらない。出金の証拠を残さないためには裏金が使われる。裏金の収支は、通常記録も残さない。従って裏金を管理する幹部は、往々にして公私の区別をせずポケットに入れる。これを知っている使用人も、受け取りのいらない裏金を掠めることになんら罪悪感を感じなくなる。

 もちろん関係者で山分けということもある。いずれにしても大金の現ナマ授受はヤバイ仕事である。裏切り、タレコミがない保障はない。だから秘書の仕事である資金集めに苦労しなくてもいい鳩山首相の秘書は、主人の名誉のために別な苦労を味わったようだ。

 カネと票は多いほどいいという主人がいれば、あらゆる知恵をしぼってアクロバット的な仕事をすることになるのだろう。もう一度ことわっておくが、これは小沢幹事長とか石川知裕議員らのことをいっているわけではない。

 つい最近まであった「書生」とか「秘書」の古めかしい印象を再現してみただけである。その観点で小沢政治資金問題を観察するなら、「限りなく黒に近い灰色」ではなく、「白とはほど遠い灰色」という印象になるということである。検察が真っ黒にできなようなら、いさぎよく白旗をあげざるを得まい。

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2010年2月 4日 (木)

検察対小沢は

 今日は立春、四緑友引。こんなビッグニュースが集中する日はめったにない。わが家の給湯器の給水管凍結、午前中お湯使えず……、まあそんなことはどうでもいい。朝青龍引退届け、小沢幹事長不起訴、同元秘書3人起訴決定。

 ところが、夕刊のトップ記事は、戦時中治安維持法で拷問などを受け有罪の判決を受けた横浜事件だった。判決は実質無罪、遺族に刑事補償という68年ぶりの決着である。小沢の政治資金問題とは、背景も性格も全く異なる事件だし、それをなぞらえようという気は全くない。

 しかし、小沢が検察に向けて「私は闘います」と断固宣言した事件である。それだけに、この歴史的な司法の黒星確定の日が重なったことに、何の感慨もなかったといえばうそになるだろう。政権交代による権力の移行、政・官の桎梏に、マスコミが異様な反応を示した小沢の政治資金問題である。

 本塾は、石川衆院議員逮捕を見て、「血を見ずにはすまされない」というエントリーを上げた。つまり、勝負に出て行き着くところまで行くということであり、引き分けはないということである。まだ、最後の判定には至っていないが、今日の時点では検察の負けである。

 政治資金報告書にどう書いたか、あるいは書かなかったかというのは、重大な法令違反であることは間違いない。しかし、これが議員を逮捕したり、国会や選挙に重大な影響があっても、敢えて犯罪捜査を断行するというのは、よほどの悪質性と緊急性がなければならないことだ。

 それは、あっせん収賄に類する金銭授受があるとか、放置すればそういった犯罪が進行し繰り返される危険があるということであろう。今回の場合はその点の証明ができず、決定的な証拠もなかったということである。

 国会では、石川議員の起訴を受けて辞職勧告決議案が提出されるであろう。民主以外の、自公共など野党はもとより、社民または民主の中でも賛成せざるを得ない立場におかれる。仮にこれが議決されても、選挙民から付託された地位だということで、石川議員にはそれに従う法的な義務はない。

 仮に、石川議員が辞職すると不逮捕特権がなくなり、別件による再逮捕の憂き目を見るのはほぼ確実であろう。そんな辛い思いをするより世間を敵に回しても、しがみついていた方がいいはずだ。鈴木宗男議員もそうして耐え、まだ最終判決は出ていないがこの前の衆院選で当選を果たした。

 一方、小沢議員の方である。自身の秘書が罪の軽重はともかく3人も逮捕起訴され、各自その罪を認めている。任免者として責任がないとはいえないだろう。去年の党代表辞任の時と同じで、小沢がもっとも適当と見る時期を選んで幹事長を辞任するに違いない。

 これも不謹慎な連想だが、朝青龍の引退会見はさばさばした後腐れのない態度で、最後にいかにも彼らしい演出を見せた。いわゆる不祥事の度ごとにごうごうたる非難や処分を受けながら、最後を優勝で飾りファンに感謝しながら地位を去った。これは日本人好みの演出である。

 参院選勝利で政治生命の最後を飾りたい、小沢にそんな気分が働いても不思議ではない。この先も、政治とは数、政治とはカネが消え去ることはないだろう。しかし、これは古い自民のDNAである。これを取り去っても小沢の魅力は残る。民主党のため、日本のためにもうひと働きしてほしいものだ。

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2010年2月 3日 (水)

米国防政策と新聞見出し

 米国防総省は1日、国防政策の指針となるオバマ政権で初めての「4年ごとの国防政策の見直し」(QDR)を発表した。これは、日本の各紙とも夕刊で報じられたが、今後の世界の安全・平和を見ていく上で欠くことのできない非常に大きなニュースである。

 同じ中味を報道するわけだが、3大紙の見出しを比べてみた(朝・読は電子版による)。
・米国防政策 対テロ重視に転換(毎日)
・在日米軍再編、世界戦略の一環に位置づけ
            米国防報告書(朝日)
・米国防計画、中国軍拡に深刻な懸念(読売)

 それぞれの新聞の性格がよく出ている。アメリカの世界戦略全体を表現した見出しは、毎日だけであった。1面トップで解説を含め紙面の半分以上費やし、予算教書の内容など関連記事で6面につないでいる。それにくらべ、他の2紙の見出しは日米、または米中日という狭い枠内でとらえようとしていることがわかる。

 アメリカの軍事力やヘゲモニーを、単に東アジア、日米同盟、普天間移転先というお家の事情にだけに矮小化してしまい、「アメリカは怒っている」キャンペーンに明け暮れすしたマスコミは、いまだにその先へ一歩も踏み出していない。

 日本にとって、基地移転先も北朝鮮拉致問題も政権の存亡をかけた大問題かも知れないが、アメリカにとってみれば無関心とまではいわないが、多くある諸懸案のひとつに過ぎない。日本が問題解決を図るには、世界全体の動きの中で、それをうまく利用しながら主体的に外交力努力を重ねることである。

 台湾問題を例にあげると、アメリカが台湾にミサイル防衛用のPAC3やヘリコプターの売却を決めた。しかしアメリカは、台湾から要望のあったF16戦闘機について売却を控えるなど、中国にそれなりの配慮をしている。

 中国もそれを知りながら、外交関係の正常化に支障をもたらしかねない強硬な姿勢で対抗している。双方とも関係悪化を懸念しながら、国内の強硬派に義理立てしなければならない事情があるからだ。この場合、日本は同盟国としてアメリカの代弁者として危機論に相乗りするのか、双方の緊張緩和に一役果たすのかが問われることになる。

 前者は、小泉首相から安倍首相と自民中心政権で受け継がれてきた。鳩山首相は、就任後の国連演説で外交問題を解決するために「かけはしとなる」という言葉を何度も繰り返した。目下、足下が定まらないためなにひとつ成果らしいものがないが、その理念には変化がなく、それが政権交代だと信じたい。

 ゲーツ米国防長官は、中東と東アジアでほぼ同時に発生する二つの大規模地域紛争に備える、という冷戦後の戦略を「時代遅れ」と切り捨てた。また、普天間移転問題なども含め、「今の我々の合い言葉は忍耐だ」と語っている。

 またアメリカの世論も、ニューヨーク・タイムズ紙が社説(1/28)で、普天間問題で強硬姿勢を続けてきた米政府を批判する記事を掲げるなど、決して一色ではない。このように、底流は明らかに変化しつつあるのだ。日本がアメリカの属国のようになっているのが日米双方の利益だと考える時代は、すでに去った。

 冒頭で、毎日新聞の報道姿勢を評価するようなことを書いたが、一夜明けて3日付朝刊では、「中国を強く警戒」とか「普天間、依然ネック」という大見出しの特集を記事にし、前日夕刊とのバランスを図ったようにも見える。 

 そして、社説では「アジアの変化に注目を」という見出しをかかげ、結語として次のようにいう。

 台湾への武器供給をめぐる米中摩擦も続いているが、米中が争ってはアジアは安定しない。G2とも呼ばれる両国の間で日本が関係を取り持つ選択肢があるのかどうか。QDRは日本の立ち位置や外交力、アジアの将来像も考えさせる。

  考え込むだけでは社説にならない。どうしてもう一歩踏み込めないのだろうか。オピニオン・リーダーの職務放棄でといわれても仕方がない。なお、同日付読売新聞の見出しは「重要性を増す日米同盟の強化」であった。
  

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2010年2月 2日 (火)

逆読み童謡

2010_02020006_2  今どきの餓鬼ん子は、ゲームがあるからこんな替え歌では喜ばない。昔の餓鬼ん子は、幼稚で素朴だった。だけど、これは日本語だからこそ可能な知的ゲーム。

 
ツポ ツポ ツポ  トハ ツポ ポ
メマ ガ シホ イ カ ラソ ゾルヤ
ナンミ デ カナ クヨ ベタ ニ イコ

 今どきのハトは餌付けを禁止されて豆ももらえない。

2010_02020014

キユ ヤ ンコンコ レラア ヤ ンコンコ
テッフ モ テッフ モ ダマダマ モツ ル
ヌイ ハ コロヨ ビ ワニ ケカ ワマ リ
コネ ハ ツタコ デ クルマ ルナ

 今どきの犬は、ベストを着てマットで丸くなる。

 平年より24日遅い初雪が降ったが、最も遅い都心の初雪記録は1960年の2月10日、現安保条約締結の年である。

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