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2010年1月 6日 (水)

松虫寺

 印旛村は、おそらく東京都心から一番近い「村」ではなかろうか。東隣は成田市だが、松虫寺のあるこのあたりは、古木に囲まれてわずかに住居を見るだけで閑静な山里にまぎれこんだ感じの所だ。

2010_01051_2   松虫とは珍しい寺名だが、秋の夜に奏でる虫ではない。聖武天皇第3皇女松虫姫(不破内親王)に由来するという。となると、8世紀「今をさかりの奈良の都」と「鄙さかる東」の片田舎、それにうら若い皇女の間にどんな由緒があるのか、気になるところである。

 社寺の縁起として神話に出てくる祭神や、実在に疑いのある日本武尊などの伝説によるものは関東でも少なくない。しかし、実在する人物の固有名詞を寺伝でつたえるお寺としては、十分に古いものである。この時代は、開基を行基菩薩とする寺が多く、この寺もその例に漏れないが多すぎるとかえって信用されなくなるものだ。2010_0105_2

 さて、その伝説であるが要旨は次のようである。

 松虫姫14歳のおり、重い病にかかり快方に向かわない。ある夜、夢に出てきた薬師如来が下総の同地近くにある薬師を信仰するすれば快癒疑いなしと告げた。姫は早速乳母や供を従え、牛車で長旅に出て同地に至り、日々熱心な信仰に励んだ。

 同時に地元へは、産業振興、福祉増進などにつくし民の信頼を厚くした。やがて姫は決願を果たし見違えるように元気になって都へ帰った。同時に帰京がかなわなかった牛が嘆いて水に嵌った池とか、姫が刺した杖が公孫樹の大木となり今に残るという神木とか、姫の死後分骨して祀った陵墓跡だとか同寺をめぐる伝説上の小道具には事欠かない。

2010_01052  本尊は、平安時代末期作とされる7仏薬師如来像(国重文)、天皇勅願の開基は745年(天平17)とされている。上述の伝説はいろいろに脚色され、異伝も多いようだ。なお、同寺本堂は寛政11年(1799)建造となっているが、古めかしすぎて足下がはなはだ心許ない(写真)。

 然しご安心あれ。重文ほかの秘仏などは耐震防火に耐えられる白い倉(写真上)に収まっているようだ。現在、都営地下鉄から直行できる北総鉄道線の終点・印西日医大前駅から徒歩20分たらず、近くこの線は成田空港に延長し、都心から最速の路線となる。   

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