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2010年1月 3日 (日)

明治初期の中国脅威論

 下の記事は06年1月4日、当塾の前身「反戦老年委員会」の記事にしたものである。また、文中にある《去年あった状況》というのは、4月に勃発した中国の反日デモを指している。当時の小泉首相が靖国参拝に固執する中で、日中の国民感情悪化に火を注ぐような世情となったことを、古書に託して皮肉ったものである。

 ところが今日なお、在日米軍の抑止力議論などをめぐり、明治初期と変わらないような意識の持ち主が存在するのを見ると、リンク不能になった過去の記事を消してしまうわけにはいかない。下記引用のうち、国際関係における「実形」と「虚声」についていえば、読売新聞などの「アメリカは怒っている」報道も「虚声」の疑い濃厚のひとつといえよう。

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 今から120年前の1887年、中江兆民は『三酔人経綸問答』の中で、去年あった状況をあたかも予測していたかのような議論を、「南海先生」「豪傑君」「洋学紳士」三人にさせている。

 歴史は繰り返すのか、社会が一歩も進歩していないのか、考え込ませる同書であるが、兆民の卓抜した「新しさ」にも改めて敬服する。今回は管理人の現代語訳でやや長く引用をするが、岩波文庫に同名のテクストと桑原武夫・島田虔次訳・校注があるので、是非全文を見て当時の国際情勢と現在の比較をお願いしたい。

 南海先生曰く、(中略)中国のように、その風俗習慣や文物や地勢を考えて見ても、周辺の国々はこれと友好関係を維持すべきで、つとめて恨みを転嫁するようなことを無くさなければならない。産業が発展し通商が盛んになれば、中国国土の広大さと民衆の規模から見て、わが国の販路は無限に拡がり利益の源泉になる。これを考えずに、国体を張る、などの観念で些細な行き違いをあおり立てるのは、まるで計画性のない行動に見える。

 ある論者はこんなことをいう。「中国はもともとわが国に恨みを持っている。こっちが礼を厚くして友好を求めても、周辺他国の関係をうかがいながら、それらまたは欧州強国と協定して日本を餌食にして利益を得ようとしている」と。

 僕はそうは考えない。中国の本心はそんなところにない。大抵国と国の間にある怨恨というのは、「実形」ではなく「虚声」なのだ。「実形」を見れば疑う余地の無いようなことでも「虚声」がそれを恐怖に陥れる。したがって各国間の不信感は、いわば神経病なんだ。青色の眼鏡をかけて見るとなんでも青色になる。僕は常に外交家の眼鏡は無色透明であってほしいと思っている。

 だからこそ両国が戦争状態になるというのは、互いに戦いを好んでいるからではなく、むしろ恐れているからなんだ。我が方が相手を恐れて急に軍備を強化すれば、相手もまた急遽軍備を増強する。相互の神経病はこうして昂進する。その間に新聞などがあって、各国の「実形」と「虚声」を区別せずに並べて書き、なかには、「神経病」に筆を振るい、一種異様に着色して世間に宣伝する者さえでてくる。

 こうして両国の神経はますます錯乱し、先んずれば人を制すとばかり、戦争の恐怖がその極に至り、自然、戦端が開かれることになる。以上が古今万国交戦の実情である。もし仮にその一方に神経病がなければ、大抵戦いに至ることはない。もしあったとしても、その国は戦略上防御を主とし、余裕と正義を手にすることで文明の破壊者としての非難を浴びることがないのだ。

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