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2009年11月 4日 (水)

満州国指導要綱(案)

 1931年(昭和6)9月18日、関東軍の板垣征四郎・石原莞爾らが満州の武力占領計画実行のため奉天近郊柳条湖附近の満鉄路線を爆破した。関東軍司令官の本庄繁は中国側の行為だとして総攻撃を命令、中国侵略の第一歩となった。

 11月10日には、特務機関を使って天津に蟄居していた清朝の廃帝・溥儀を満州国皇帝とするため大連に拉致連行、翌年3月1日に満州国独立宣言を行った。その過程を調査した国際連盟のリットン報告書の採択に日本が反対し、8年3月27日に国際連盟を脱退した経緯はよく知られている。

 関東軍創設以来、現地での謀略、独断専行、下克上という関東軍の体質は変わらず、これを制御できなかった政治や天皇制の欠陥がそのまま、太平洋戦争突入・敗戦という国民の不幸につながった。そういった経緯の研究は進んでおり、歴史修正主義が入り込む余地はすくない。

 満州国が日本の傀儡政権であることは常識になっているが、日本というより、関東軍の傀儡政権として考えられていたことが下記資料でうかがえる。現在、似たようなことが世界で行われていないか、気になるところである。

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関東軍参謀長橋本虎之助「満州国指導要領(案)(1932年6月)

 満州国は旧軍閥の覆滅に伴ひ独立国家として現出せるも其の将来帝国との相互関係に就いては人々見る所を異にし、為に対策往々齟齬を生ずることなしとせず依って茲に根本方針を確立竝施設の円滑を期せむとす

  方 針

 満州国は我国策に順応すべき独立国家として支持発展せしむ

  要 領

 一、満州国に対する帝国国策の遂行は特に文治機関を設けて之を行はしむることなく専ら関東軍をして之に任ぜしめ其の実行は新国家が独立国たるの対面保持上努めて満州国の名に於てし日系官吏特に総務長官を通じて之が実現を期す

 之が為満州国承認前に在りては我在満政治機関協力の下に軍中心を以て満州国に指導交渉に任じ承認後に在りては在来の我行政官庁を改廃し駐満政治指導機関は軍司令部内に設け以て軍司令官をして満州国政府の指導に任ぜしめ別に外交手続に関しては軍司令官をして駐満全権を兼ねしめ其許に領事等を付属し渉外事務を管掌せしむ

 満州国日系高級人事の決定権は依然軍司令官に於て之を保留す

 二、満州国には帝国軍隊を常置し将来我方との防禦同盟に依り合法的に国防の大部を担任す其の時期迄は治安維持援助の形式に於て実質上帝国自ら国防を掌る

 満州国軍隊は国内の治安維持に任ずるを本則とし漸を逐うて必要の最小限に裁兵す
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以下略。(関東軍参謀長橋本虎之助「満州国指導要領(案)」小林龍夫・島田俊彦・稲葉政夫編『現代資料11 続・満州事変』みすず書房。劉傑・三谷博・楊大慶編『国境を越える歴史認識』東京大学出版会、所載)

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