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2009年11月

2009年11月30日 (月)

鳩山外交発射準備

 11月も今日一日だ。鳩山首相就任以来、国連、ASEANと席の温まる間もない顔見せ興業を続け、核廃絶、温暖化ガス削減、アジア共同体など自民になかった外交の変化をアピールした。安保政策では、鳩山外交のいわゆる「かけはし路線」に否定的な目を向ける一部大手マスコミや閣内不一致などもあってか、普天間基地移転問題など安保見直しなどが来月以降に持ち込まれる。

 このところ、予算の事業仕分けがTV政治番組を占領し続けた。昨日は休日にもかかわらず、円高、ドバイ金融危機などを受けて急遽関係閣僚会議だ。年末を控えた不況対策にどう対処するか、世間の目がその方に向くことになるだろう。

 思い返していただきたい。選挙投票日の前後「インド洋上給油」を打ち切ると日米関係に取り返しのつかないひびが入ると言い立てられた。そして、鳩山外交はアフガンに50億ドルの民生援助を決めた。これに対しても、血も汗も流さない顔の見えない札束外交と非難したメディアや評論家は、一体どこへ行ったのだろう。

 当ブログでは、アフガンの軍事力強化の治安維持より、日本は米軍などの「出口作戦」に協力すべきだと主張してきた。
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-4e5b.html
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-ddde.html

 その準備は着々と整いつつあるようだ。大手マスコミではほとんど無視しているが、そういった和平仲介の中味が公開されずに進んでいるせいかも知れない。それを乏しい報道の中から二つ紹介する。

2009年11月21日  西日本新聞
 アフガニスタンに和平を築く道筋を探る国際会議が23日から3日間の日程で、東京都内のホテルで開かれる。日本政府は既にアフガンへの50億ドル(約4500億円)の民生支援を表明しているが、会議の結果を日本の中長期的なアフガン和平貢献策に反映させる方針。

 主催は「世界宗教者平和会議」(WCRP)などで外務省が協力。アフガン、パキスタン、サウジアラビア、イラン、欧州連合(EU)などの代表を招き、日本からは犬塚直史参院議員(民主党国際局次長)や伊勢崎賢治・東京外大大学院教授(元アフガン武装解除日本政府特別代表)らが参加する。

 「参加者の安全を確保し、率直かつ自由な討議を保証するため」(WCRP)に会議は非公開だが、外交筋によると、アフガンからは反政府武装勢力タリバンとの和平交渉も担当するスタネクザイ大統領顧問らが参加する。

47news 2009/11/25】  
 アフガニスタンや周辺諸国の代表を招き、23日から都内で開かれていたアフガンの和解と平和に関する国際会議(主催・世界宗教者平和会議など)は最終日の25日、「アフガン和平構築で日本は中心的役割を果たすべきだ」などとする提言書をまとめ、岡田克也外相に手渡した。

 会議は、アフガンから反政府武装勢力タリバンとの和平交渉を担当するスタネクザイ大統領顧問らを招き、非公開で開催された。提言は、和平交渉進展に向けて、タリバンに一定の影響力があるとされるサウジアラビアのアブドラ国王らの協力を期待し、イスラム諸国の一層の関与を要求。

 タリバンメンバーが和解に応じて暴力を放棄すれば、タリバン幹部らの資産凍結を命じた国連安全保障理事会決議からメンバーの氏名を削除するよう国連に求めた。

 日本政府は既にアフガンへの50億ドル(約4400億円)規模の民生支援を表明しているが、これとは別に、提言を中長期的な和平貢献策に反映させる。(共同)

 これと符合するように、ブログ「マスコミに載らない海外記事」では、アメリカが裏ルートでタリバンと接触を始めたとする、相当踏み込んだパキスタンの新聞『Dawn』の記事を翻訳掲載している。当事者としてタリバン要人やサウジアラビア機関がかかわっている点も共通している。立体的にものを見る上で大変貴重だ。

 上記報道にある犬塚直史参院議員(民主党国際局次長)は、民主党政権誕生前からこのプロジェクトに参画しており、当然鳩山・岡田両氏もその経緯を承知して新政策を起案したと思われる。いままでは黒衣(くろご)に徹していた日本政府だが、同国際会議から「アフガン和平構築で日本は中心的役割を果たすべきだ」という提言を受けた以上、より前向きに外交努力する責任と義務がある。

 それにより、オバマ政権に「出口作戦」のきっかけを与え、アフガンで貸しを作ることに成功すれば、日米安保の新しい世界戦略を構築する方向に光りをあて、鳩山ロケットの宇宙発射成功を確実なものにすることができるだろう。
 

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2009年11月29日 (日)

荷風の予言

 荷風の予言といっても大正前半の頃のことである。欧米で5年弱を過ごして帰朝、その体験に照らしながら、更めて日本の姿、より正確に言うなら東京の原風景を荷風独特の眼で観察した「日和下駄」と題する随筆があり、その中にこの先の社会の変化を予測する記事がある。

 100年近くたった今、荷風の想像に絶する世間であり世相であるかも知れないし、あるいは、まさに想像のとおりであったかも知れない。しかし、荷風の考えたのはせいぜい数年程度のことで、そんな先まで予言したとは思っていないだろう。

 「蝙蝠傘を杖に日和下駄を曳摺りながら市中を歩む」というと、もっぱら戦後、晩年の荷風を想像しがちだが、この頃は30代で、枯淡の境地にはまだ遠い。荷風の散歩は、自ら習癖というだけに、自然と人に対する観察は鋭く、蒔絵を見るように読者を引き込む。

 その予言めいた話は「寺」と題された文中にある。ただこれから書くことは寺に直接関係がなく、戦後も彼が好んで題材にした彼の言う「貧民窟」の先行きを占った部分だ。

 場末の路地や裏長屋には仏教的迷信を背景にして江戸時代から伝襲し来ったそのままなる日蔭の生活がある。怠惰にして無責任なる愚民の疲労せる物哀れな忍従の生活がある。近来一部の政治家と新聞記者とは各自党派の勢力を張らんがために、これらの裏長屋まで人権問題の福音を強いようと急(あせ)り立っている。

 さればやがて数年の後には法華の団扇太鼓や百万遍の声全く歇(や)み路地裏の水道共用栓の周囲からは人権問題と労働問題の喧(かしま)しい演説が聞かれるに違いない。しかし幸か不幸かいまだ全く文明化せられざる今日においてはかかる裏長屋の路地内には時として巫女が梓弓の歌も聞かれる。清元も聞かれる。盂蘭盆の灯籠やはかない迎火の烟(けむり)も見られる。

 彼らが江戸の専制時代からの遺伝し来ったかくのごときはかない裏淋しい諦めの精神修養が漸次新時代の教育その他のために消滅し、いたずらに覚醒と反抗の新空気に触れるに至ったならば、私はその時こそ真に下層社会の悲惨な生活が開始せられるのだ。そして政治家と新聞記者とが十分に私欲を満たす時が来るのだと信じている。

 いつの世にか弱いものの利を得た時代があろう。弱い者がみずからその弱いことを忘れ軽々しく浮薄なる時代の声に誘惑されようとするのは、まことによその見る目も痛ましい限りと言わねばならぬ。

 荷風の貴族趣味、差別主義はいかに時代が違うとはいえ、田舎者で貧民に類せられる筆者が荷風と同じ立場に立つことはない。しかし荷風の予言が全く的はずれかというと、どうも「下層社会の悲惨な生活」や「見る目も痛ましい限り」という表現と、勝者にされた「政治家」や「新聞記者」が引っかかってしまうのだ。予見の半分は当たっている。

 しかも日本にとどまらず、アメリカに中国に、ロシア、欧州、ムスリムに至るまで世界に蔓延しているようにさえ思える。「日和下駄」では、工業化、河川改修などによる自然破壊や景観破壊、そして日本古来文明の消滅などへの慨嘆が至る所に出てくる。

 明治維新と日本敗戦が大きな画期にされているが、日露戦争・ロシア革命・第一次大戦・ヴェルサイユ体制は、現今を占う大きな画期になっていると思う。それから1世紀、次の「文明化」の画期にいたるまでまだ当分の時間がかかりそうだ。荷風は、この文末をこう締めくくっている。

 思わず畑違いへ例の口癖とは言いながら愚痴が廻りすぎた。世の中はどうでも勝手に棕櫚箒(しゆろぼうき)。私は自分勝手にただ一人日和下駄を曳きずりながら黙って裏町を歩いていればよかったのだ。議論はよそう。皆様が御退屈だから。

 (引用部分は『日本の文学・永井荷風(一)』中央公論社、より)

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2009年11月26日 (木)

ハロー・ディア・エネミー

 右帯にある「お勧めバックナンバー」でも紹介しているが、当ブログで年間を通じコンスタントに検索検索を受け、多く閲覧される記事は「子どものための戦争の本」である。あいにく、その方に造詣が深いわけではなく、単に受け売りで紹介しているに過ぎないが、今回も以下の新聞記事を紹介し、上記エントリーに要旨を追記することにする。

---------(毎日新聞2009/11/25)
 平和と寛容をテーマにした国際絵本展「ハロー・ディア・エネミー!80作品展」(日本国際児童図書評議会=JBBY主催)の巡回展が、全国各地で開かれている。戦争や平和、差別や人権などについて親子で考える機会になりそうだ。【木村葉子】

 「ハロー・ディア・エネミー!」は「こんにちは、敵さん」という意味で、「平和な社会を築くためには、他人を理解し認め合う寛容な心が必要」という訴えが込められている。80作品は、ドイツのミュンヘン国際青少年図書館が選書したもので、欧米だけでなくカメルーンやコートジボワールなどの絵本もある。

 日本からは、「絵で読む 広島の原爆」(那須正幹文、西村繁男絵、福音館書店)や「サニーのおねがい 地雷ではなく花をください」(柳瀬房子文、葉祥明絵、自由国民社)、「二度と」(紙芝居、松井エイコ脚本・絵、童心社)など7作品が選ばれた。また「伸ちゃんのさんりんしゃ」(米国)、「かわいそうなぞう」(カナダ)のように日本原作で海外で出版された本や、広島で被爆した少女サダコの物語を伝えるインド、オーストラリアの作品もある。

 展示では80作品を網羅。38作品は国内で出版翻訳されている。会場によっては読み聞かせもしている。作品展実行委員で翻訳家の野坂悦子さんは「同じテーマでも絵や表現などそれぞれのお国柄が出ていて、読み比べると興味深い」と話す。

 巡回展は30日まで岐阜県で開催中。12月以降は長崎、兵庫、熊本、千葉、宮城の各県で開く予定。問い合わせはJBBY事務局(電話03・5228・0051、メールinfo@jbby.org)。
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2009年11月25日 (水)

高齢化現象・元禄版

 元禄時代というと、忠臣蔵、、将軍綱吉、生類憐れみの例など江戸時代でも比較的なじみのある時代である。「昭和元禄」などといって、高度成長の代名詞のように使われたこともあった。『日本史辞典』(角川書店)を見ると次のように書いてある。

元禄時代 江戸幕府5代将軍徳川綱吉施政下の文治政治と呼ばれている時期。幕藩体制の基礎が固まり、農業生産・商品経済の発展・町人の台頭などで、学問・文化に清新な気風がみなぎった。

 1615年大坂夏の陣が終わって綱吉が将軍になった1680年まで65年、来年は日本の敗戦からちょうど65年目である。平和が続く中「高齢化社会」といわれる時代が到来した。だからといって江戸時代と現代の比較を試みる気はないが、当時としては意外に高齢化社会だったのではないかと思われる。

 まず、公務員(武士)の定年制である。これは一律ではないが中央(幕府)、地方(各藩)ともに原則70歳だったようだ。早期依願退職や天下りはなく、介護が必要になるギリギリまで隠居は許されなかった。吉良上野介が松の廊下で斬りつけられたのが60歳、バリバリの現役である。お役ご免、つまり懲戒解雇さえなければ70歳までやれたはずだ。

 これはあとで述べるとして、老人人口について統計とは言えないが、『鸚鵡籠中記』の中に「南部信濃守領分高年の者の覚え」という記録がある。それによると、領内で100歳以上307人、90歳以上751人で最高齢127歳とある。1970年が全国で310人だったのと比べると、話半分にしても相当ハイレベルの高齢化社会だ。
 
 天野長重という旗本がいた。禄高は3000石を越えていたから直参としてはかなり高い身分である。長重は70歳を前にした元禄2年(1689)、突如将軍綱吉の御座間に召された。「汝日ごろの勤、真実にして裏表なき旨高聞に達す、因って役を移し鑓奉行に補す」という栄誉ある辞令の伝達である。

 御前を退いて、推薦したと見られる老中大久保忠朝に謝辞を述べに行ったところ「戦場に功のあったものはお旗本で貴殿一人になった」と長年の精勤ぶりをほめられた。彼は15、6歳の頃島原の乱に参加したことがある。

 幕府開設以来、戦争らしいのはこれだけで武士本来の活躍の場はなかった。長重にしても、城下にいて敵が投げた石に偶然当たったという程度で、武勲というにはあまりにも「片腹いたし」――気恥ずかしい、という述懐をしている。

 長重は『思忠志集』という膨大な記録を残しているがその多くは子弟に向けた教訓である。特に多いのが健康維持で、武士の心がけの第一が「息災なる様にすべき」と説き、武芸は二の次にしている。そして健康法は食事、睡眠、性生活その他日常のすべてにわたっている。

 老年になってからの健康には、散歩や園芸の効用を説いて「草葉の上、樹木などの類にて色々気を点ずる工夫して、身をつかふべし」とか、「養生に小石をひた物(ひたすら)拾い、こヾみ身をつかふ能(よき)由」といい、とにかく最近の健康ブームが顔負けするほどの内容だ。

 長重には悪いが、「遅れず休まず仕事せず」が出世の要諦であるような感じさえする。事実祖父の時代は200石、その後戦功による加増がないなら着実に終身雇用を全うして役職の階段を着実にのぼって栄誉を受け世襲するしかない。イコール「忠」になるのだろう。

 官僚的処世術は今に始まったことではない。なんと、元禄以来続いた日本的伝統だったのである。長重が老年のため職を辞し、隠居を認められたのが1701年81歳、没年がその4年後85歳の時であった。5男2女に恵まれたが、跡目は孫の長吉が継いでいる。(この記事は氏家幹人『江戸藩邸物語』中公新書を参照にしました)

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2009年11月23日 (月)

密約暴露の先にくるもの

 日米安保条約改定や沖縄返還の際の4件の密約について、外務省の調査が進んでいる。もう文書などは見つかっているらしいが、有識者の第三者委員会とやらで検証し、来年1月に結果を公表するのだそうだ。そんなに膨大な量とは思えないがなぜ第三者委員会なのか、なぜ調べるのに1か月以上もかかるのかわからない。

 ワーキング・グループ(WG)大好きの民主党だが、公開されない密室検討会ならやめた方がいい。密約があったことはもう明白な事実なので、その先をどうするのか、WGは結論に対する党内反対論を封じ込めるためのおまじないに過ぎないのだろうか。普天間移転の結論を出すためのWGもその国際版だ。

 問題は、密約の存在を明らかにしたあと、佐藤首相以来引き継がれてきた「非核3原則」をどうするかだ。核兵器を持たず作らず持ち込ませず、の3原則をそのまま堅持するのなら、密約は破棄しなければならない。と同時にだまし続けた日本国民に対して、さらに佐藤栄作にノーベル平和賞を与えた選考委員会に対して、日本政府としての「お詫び」をしなければならない。賞金はどうするのだろう。

 外務省筋などでは、核兵器を積んだ軍艦の日本寄港は認めるが陸揚げは認めないとする2.5原則案、アメリカはすでに軍艦から装備をはずしていることを公にしているので、「情勢に大きな変化がない限り」という条件付き3原則案、核を積んだ軍艦入港の事前協議許可制などを模索しているらしい。いずれも密約より始末の悪い弥縫策で、恥の上塗りをするだけである。

 民主党マニフェストには、「核兵器廃絶の先頭に立ち、テロの脅威を除去する」という項目があり、その冒頭は「北東アジア地域の非核化をめざす」とある。ということは、3原則撤回、自民欺瞞政治の弥縫策は、取り得ない選択になるはずだ。

 オバマ大統領と廃絶に向けての協力も約束した。最善の策は「北東アジア非核兵器地帯宣言」である。北東アジア地域に存在する国は、日本、韓国、北朝鮮、中国、ロシアで、中国、ロシアは国際法上の核保有国である。すると非核宣言の範囲は日本と南北朝鮮3国ということになる。

 その宣言は条約化され、6カ国協議の構成国も直ちに条約に参加、批准することになるだろう。それは核保有国の米・ロ・中国は如何なる場合においてもこの地域への核攻撃をしないという保証を与えることにもなる。

 そういった非核兵器地帯宣言は、トラテロルコ条約(ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約)をはじめ、世界で数カ所にのぼっているが、日本にはなぜかあまり詳しく紹介されていない。その実情は外務省のホームページで知ることができるのでご覧いただきたい。

 さて、この「北東アジア非核兵器地帯宣言」が実現すればどんなメリットがあるだろう。

【日本】①核持ち込み密約を破棄するだけで、どこの国(イスラエル、インドなどは参加しないかもしれないが)からも核攻撃を受ける心配がなくなる。②日米安保はそのままで、国の安全を損なうことにはならない。また日米間が緊密になっても摩擦の原因にはなることは考えられない。③域内加盟国相互の強力で超国家的査察機関が成立すれば、アジア共同体への第一歩にもなりうる。⑤拉致問題解決の糸口になるかも知れない。

【韓国】日本とほぼ同じで核の傘はなくなるが、傘の必要性もなくなる。そのほか南北統一への障害がひとつなくなる。

【中国】①6カ国協議を成功裡に終わらせることができ、議長としてのプライドが保てる。②北東アジアの安定が大いに改善し国内の不安要因がひとつ減る。③米・ロとともにテロ組織への核拡散の心配がなくなる。

【米国】①北朝鮮の核問題が一挙に解決し、アフガン、中東等他地域への対策に専念できる。②オバマ核廃絶政策、外交政策に力を与える。

【北朝鮮】①米国からの核攻撃がなくなることで核開発・管理が不要になる。したがってその費用も他に転用できる。②制裁解除や国交正常化で、経済状態が劇的に改善する。③開国の父・金日成の遺訓でもある朝鮮半島非核化が実現する。

 ロシアのことは書かなかったが、すべていいことづくめのように見える。だがそうはうまくいかない。以前にも書いたことがあるが、北朝鮮の最終目的は韓国との「対等合併」にある。これは金正日の代では実現しそうにないが、後継者にすこしでも高価な遺産をのこしておかなければならない。

 経済では到底太刀打ちできない。そこで「核」という大ダンビラが必要なのである。それは、アメリカと対等に交渉する、つまり韓国にはできないこともやってのけるという道具にも使える。それをむざむざ捨てるようなことはできないのだ。

 日韓を軽視し、6カ国協議参加にもったいをつけるのもその表れである。ということは、まず非核宣言は無理ということになるが、それを発案すれば、これまでの核開発をめぐる北の大義名分が消えてしまうおそれがあるということにもなる。金正日は必死で次の口実を探さなければならない。

 もうひとつ大難関がある。日本と朝鮮半島を一帯として考えることは、北朝鮮だけでなく韓国国民にも「日韓併合」の悪夢をよみがえらせることになる。これは歴史認識の差もあって、感情的な問題だけでは済まされない。日本からの発案には慎重を要する所以であり、日本は金正日以上に知恵を働かさなければならない。 

 以上は素人の憶測というより妄想に近いものである。日本やアメリカには冷戦思考や悪の枢軸思考から抜けきれていない人がいて、「とんでもない」といって反対する人がすくなくないと思う。是非そういった人たちのご高説も聞きたいものだ。

 

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2009年11月21日 (土)

ヘボン来日150年

♪ヘボンさまでも草津の湯でも ドッコイショ 
恋の病はこりゃ治りゃせぬよ チョイナチョイナ
 
 ジェームズ・カーティス・ヘプバーン、日本人の耳に聞こえたのは<ヘボン>だ。ヘプバーンは意に介さず「平文」という日本語表記も発案した。医師、宣教師、日本語研究者、日本語辞書・日本語聖書作成者、教育者、ことにヘボン式ローマ字の名は知らないものがない。

 彼は1859年(安政6)4月にニューヨークを出帆、大西洋、インド洋、上海経由で10月18日神奈川に到着した。成仏寺を住居と定め早速一般日本人との接触を深めようとする。しかし、ペリーの浦賀来航から6年、その年には安政の大獄が起き、翌年は桜田門の変で井伊大老が暗殺されている。

 ヘボンの妻が背後から棒でなぐられ、生涯頭痛に悩まされるようになるなど、厳しい禁教政策と相まって日本人との接触もままならなかった。しかし、彼の人柄は次第に理解されるようになった。一貧民に施した目薬で不治の眼病をなおした。しかも礼金をとらないということから評判になり、やがて門前市をなす盛況になった。

 冒頭の替え歌は、それから明治にかけてのものであろう。少し前に緒方洪庵と種痘の事を書いたが、江戸時代の医者は偉い。ヘボンは布教という動機があったにしろ、それだけで市民にこのように受け入れられるとは限らない。やはり、万国共通の誠意がものをいったのだろう。

 平成の国境なき医師団、最貧国で、紛争国でヘボンに相通じるご苦労があると思う。どうか地元民にその誠意が通じ国際平和につなげてほしい。ヘボンはのちに青山学院の総理として迎えられたが、帰国後の晩年はさびしい生涯を送り96歳で没した。

  日本人になりきろうとしたこのアメリカ人の来日150年を記念する行事は、明治学院などでささやかに行われている。

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2009年11月20日 (金)

外交を動かす世論

 政権交代から3か月を過ぎようとしている。その変化を国民に印象づける試みは、ほぼ成功したと見ていいだろう。しかしさまざまな変化が、この先国民に迎えられるようなものになるかどうかは、はなはだ不透明というほかない。

 さまざまな変化が混乱を招き、閣内不一致や首相の指導力不足が露呈し、不景気が二番底に向かうようなことがあれば、内閣支持率は一挙に下降線をたどるだろう。問題は、自民党路線から抜け出した外交・安保政策でどれだけの成果が得られるかだ。

 日常の事務局レベルで行われる外交折衝ではなく、オバマ宣言にみられるような国家の体質に変化をもたらすような事案には、強い国内そして国際世論の支持が必要だ。またそれを定着させるためには、忍耐強い反対者への説得が必要で時間もかかる。

 アメリカの外交史家アーネスト・R・メイは、世論が外交政策に関心を持ち、それがどのように変化するかについて次のように述べている。『歴史の教訓』(進藤栄一・訳、岩波現代文庫)

 調査資料によれば、次のような常識的仮説の正しさが――すなわち、人々がある問題に関する意見を出す場合、自分独自の分析によることはほとんどないという仮説の正しさが――確認されている。実際彼らの意見は、自分たちが信頼を寄せている人々の判断から借用して作られている。

 国際問題に関する意見を指導していく人々は、通常少数者中の少数者で、それは、官僚や政治家、実業家、それにこれまで政府の仕事をした経験があり、要人と交際があり、数多くの出入国スタンプを押したパスポートを携行し、『ニューヨーク・タイムズ』とか『エコノミスト』のような定期刊行物を購読する習慣のある専門職業人(プロフェッショナル)たちである。

 ――つまり支配階層に属する人々――から成っている。

 わが塾頭は、飛行機はおろか最寄りの駅から電車に乗ることも月に一度あるかどうかの身分である。とても支配階層の仲間には入れない。支配者・被支配者という分類はあまり好きではないが、アメリカではそれがより顕著に見られるのであろう。  
    
 ルイによれば、画一的な外交政策を変化させる要因は、支配層の意見の分裂から始まるとする。それは、海外の暴動、革命、戦争などのショッキングな事件の影響や、支配層の一角を占める取材記者などがもたらす意見や情報によるだろう。

 さらに、世論が政治に寄生する実業家などと利害をともにする議員や、現状維持に固執する官僚を動かせるかどうかを見通すことにより、大統領の大きな指導力が発揮できるようになる。ルイの著作の最大の失敗は、ベトナムからの撤退をうながす世論の背景が「歴史の教訓」とはならず、予測がはずれたことにあった。

 それはともあれ、現在、日米ともに支配層の意見が割れている状態には違いない。ブッシュの過ちを繰りかえさせないようにするには、とかく戦争指向に傾きがちな政治勢力に対抗できる世論形成が必要だ。そのためには「被支配階層」としての最低限の海外情報、国際問題の知識、さらにはシビリアン・アウェアネス=文民の軍事知識がどうしても必要になってくる。

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2009年11月19日 (木)

安保条約事前協議

 これまで何度か安保条約について書いて来ましたが、今回は60年安保の事前協議に関する交換公文(条約の付属文書)を確認しておくことにします。日本からの確認を求める書簡とその内容を確認するアメリカ側の文書双方があるわけですが、下記はアメリカ側の文書で、日本が確認を求めた内容をそのまま了解する形をとっています。

 色づけした部分が日本からの文書の内容で、そのうち茶色の部分が実質的内容です。

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 書簡をもつて啓上いたします。本長官は、本日付けの閣下の次の書簡を受領したことを確認する光栄を有します。

 書簡をもつて啓上いたします。本大臣は、本日署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に言及し、次のことが同条約第六条の実施に関する日本国政府の了解であることを閣下に通報する光栄を有します。

  合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国から行なわれる戦闘作戦行動(前記の条約第五条の規定に基づいて行なわれるものを除く。)のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。

 本大臣は、閣下が、前記のことがアメリカ合衆国の了解でもあることを貴国政府に代わつて確認されれば幸いであります。
 本大臣は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かつて敬意を表します。

 本長官は、前記のことがアメリカ合衆国政府の了解であることを本国政府に代わつて確認する光栄を有します。
 本長官は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かつて敬意を表します。

   千九百六十年一月十九日
    アメリカ合衆国国務長官
     クリスチャン・A・ハーター

  日本国総理大臣 岸信介閣下
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 安保条約第六条で、米軍が日本に基地をおくことを許される(「許される」ですよ!)条件としてふたつあげられています。それは、日本国の安全と、極東における国際の平和と安全の維持に寄与するということです。

 ところがその前、第五条に「日本国の施政下にある領域」内における攻撃に対し、「自国の憲法上の規定及び手続きに従って」共同して対処することが定められています。そこで上の付属文書で第五条以外、つまりそれが極東の範囲内であろうとも、日本の基地を使って第三国に戦闘作戦行動を起こす際は、事前に協議の対象とするということになっています。

 もうすこしかみ砕いていうと、日本の領土、領海、領空で日本またはアメリカの基地、艦船が武力攻撃を受けたら共同して対処する、しかしそれ以外の目的でアメリカが基地を使って(例えば中国に)戦闘作戦行動を起こす場合は、事前協議が必要だということです。

 ところが、これまで事前協議は一度もされたことがありませんでした。核兵器を持ち込むとか持ち込まないとか、基地にミサイルを配置するとかの装備の変更、沖縄から海兵隊をイラクに向かわせるなどがあっても、条約や公文は抽象的で勝手に解釈され、また軍事機密優先で公にされません。

 そのほか、政権交代で暴かれようとしている「秘約」があります。核兵器もそうですが、上の協議事項には「朝鮮有事」は含まない、といったようなこともあるようです。つまり、言葉は悪いがほとんどアメリカのいうなりになってきたということです。

 条約があるから、交換公文があるからといって安心できません。どの戦争を見ても、いろいろなところに相談して、あるいは国連や国際間の手続きをすませてからなどという悠長なことはしていません。ことにブッシュ流の戦争への暴走は、世界に不信の種をまきました。

 現在、普天間基地移転問題が騒がれています。海兵隊の飛行場を普天間から名護市の沿岸に移そうということです。そもそも海兵隊とは外国に敵前上陸するなど「殴り込み部隊」といわれる機動部隊です。冷戦時、ソ連、中国、ベトナムなどに囲まれた日本は「極東の防波堤」とか「浮沈空母」などといって、アメリカとしての存在価値は高かったと思います。

 しかし、今となれば日本にいる海兵隊をどう使おうというのでしょうか。もちろん海兵隊の出動は上の協議事項に入ります。国内でも沖縄基地の縮小は日本の安全に脅威だとか、アメリカの機嫌を損ねるなどの意見がありますが、海兵隊の基地をどこに置くなど、もはやアメリカにとっては小さな問題です。

 また、日本にとっても海兵隊がいたからといって安全に寄与するという証明はありません。アメリカが計画通りの早期決着を主張するのは、保守的な議会への対策や予定変更に対する事務的な抵抗が強いというだけです。外交というのは一筋縄ではいきません。しかし紆余曲折があっても、自民外交に風穴をあけるには、今しかないと思います。

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2009年11月18日 (水)

灯油ひと缶1360円

 タイトルと写真は何の関連もない。連想が連想を産んだまでである。

2009_1118hako  「虹色オリハルコン」さんの頁をのぞいたら、「冬になると我が家では、必ずミカンが箱買いされて、毎日よく食べましたっけ」という一文があった。どんな箱とは書いてはないが、ボクの脳みその中では「ミカン箱」といえば木箱である。

 今はほとんどが段ボールで「ミカン箱」を見ることがなくなった。ちなみに「ミカン箱」は「石油箱」同じ寸法(だと思う)で、石油箱ならブリキ製の18㍑缶(23.8㎝×23.8×34.9)が2個並べて入る大きさである。そのブリキ製石油缶も一般家庭ではとんと見かけなくなった。

 だから、それだけの大きさに入るミカンを腐らせずに消化するには、5人家族ぐらいが毎日相当セッセといただかなければならない。残った木箱は、犬小屋を作ったり、棚になったり、フロの薪になったりいろいろ。リサイクルには万全だった。

 そんなところへ「トーユ、ひと缶1360円」という灯油曳き売りの声がした。缶といえば金属製なのに「ポリ缶をご用意ください」という。そうか、今「缶」は18㍑という暗黙の了解のもとの取引単位なのだ。戦前まで石油の出荷単位は「箱」だった。

 それならば、なぜ中途半端な18㍑なのだ。石油缶は伝来もので、5ガロン入った。2個なら10ガロンである。また、日本の尺貫法では1缶が約1斗にあたる。だからガロン缶とか斗缶と称された。それがメートル法に直して1缶18㍑に当たるというわけだ。 

 灯油1斗いくら――といえば違法になるが「缶」ならばOK。「坪いくら」は、相当淘汰されてきたが自動炊飯器の目盛りは依然として「合」のまま。政権交代しても、生活に根付いてしまったことは、そう簡単にチェンジできないものである。ああ、また無粋なことをいってしまった。

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2009年11月17日 (火)

鳩山イニシャティブ

 鳩山首相は15日、シンガポールで太平洋経済協力(APEC)首脳会議が開かれた際演説をおこなった。オバマ演説は核廃絶、イスラムとの融和などで世界に大きな波紋を投げかけているが、鳩山演説もこれまでの日本の首相にはなかった大きな意味合いを持つ。

 鳩山イニシャティブというと、国連演説の温暖化ガス25%削減を言うようだが、シンガポール演説のほとんどを占める「東アジア共同体」もそれに劣らぬイニシャティブを示したものだといえよう。ところがオバマ演説もそのようだが、国内では必ずしも共感をもって迎えられているとは言いがたい。

 シンガポール演説についてもマスコミの扱いは小さく、依然として「具体性がない、抽象的である」あるいは「アメリカの反発を買う」とか、「中国との主導権争いだ」などという過小評価が多い。また「対象国に体制の違う国がある」とか、「言語宗教が多様である」など、ネット右翼の発想かと思ったら、自民党内閣御用達で自衛隊出身の森本敏拓大教授までが、そのようなことをNHKの番組で言っていた。

 そういった半端なことでなく、首相の真意をそのまま表明したのは、私の知る限りこれが初めてである。以下該当部分を外務省仮約で引用する。

(前略) 私の東アジア共同体構想の思想的源流をたどれば、私自身が大切にしている「友愛(yu-ai)」思想に行き着きます。「友愛」は「博愛(fraternity)」と訳されることもありますが、自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格の尊厳をも尊重する考え方のことです。「自立と共生」の思想と言ってもよいでしょう。

 私は政治家になって以来、「日本と他のアジア諸国、より広くはアジア・太平洋諸国相互の間に、友愛の絆をつくりあげることはできないものか」と考えてきました。と言うのも、この地域では、ほかならぬ日本が、多くの国々、とりわけこの地域では、ほかならぬ日本が、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた後、60年以上がたった今もなお、真の和解が達成されたとは必ずしも考えられていないからです。

 目を欧州に転じれば、悲惨な二度の大戦を経て、それまで憎みあっていた独仏両国は、石炭や鉄鋼の共同管理をはじめとした協力を積み重ねました。さらに国民相互間の交流を深めた結果、事実上の不戦共同体が成立したのです。独仏を中心にした動きは紆余曲折を経ながらその後も続き、今日のEUへと連なりました。この欧州での和解と協力の経験こそが、私の構想の原型になっています。(後略)

 そして最後をこのように締めくくっている。

 いかがでしょうか、皆さん? 本日、私の説明を聞いてなお、「鳩山構想の中では、誰が共同体のメンバーになるのか」と質問されますか?

 私の答は--、理想と夢を共にする人々--です。

 当塾では過去ずっーとEC/EEC/EUの生い立ちを含め、カテゴリ「東アジア共同体」を設けて取り上げてきた。それは、「反戦」がスタートであり、究極の目標であるからである。上述のような無関心や反対論はEUのたどった過去と努力に関する無知、無関心から来ていると言えるだろう。

 例えば、過去の侵略に対する反省も「村山談話」を確認しただけととらえられ、欧州統合を経済目的のブロック統合としか見ていないということに尽きる。EUの60年にわたる発展過程をつぶさに見れば、将来あるべき姿や参加国の範囲などを、当初から想定しないことが成功の鍵であることをさとるはずだ。

 そして軸となったのは、有史以来犬猿の仲だったドイツとフランスである。東アジアの場合は2千年前後の歴史の中で、日中が争ったのは、元寇などの一時期をのぞき、わずかここ100年に満たない。朝鮮を含め相互の関係は極めて緊密で高いものかある。ここを軸として動かなければ、永遠の平和も相互の経済発展も望めないだろう。

 当ブログの願いは、ヨーロッパを正しく認識するためマスコミ・言論界・教育研究機関が連動して動き、鳩山イニシャティブを後押しする国民世論を高めることだ。そして、NGOなど多くの組織がこれに加わり、個人の資格で動ける有力な鳩山サポーターを出現させなればならない。

 鳩山イニシャティブに対し、平和が党是となっているはずの公明党・社民党・共産党の動きがにぶいというか具体策がさっぱり見えてこないのはどうしたことか。それにくらべれば首相の方がよほど現実的である。ヨーロッパでは、首脳というより、NGOや政府高官などが共同体誕生に大きく貢献したことを知るべきであろう。

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2009年11月16日 (月)

相撲・おでん・ミカン

 昨日から大相撲九州場所が始まった。幕内最年長の魁皇のファンだが、今回はご当地場所で応援がものすごい。JR博多から出身地の直方行きの特急に「かいおう」という愛称がついているとは驚いた。最近は懸賞ののぼりの数がいやに増えたが、土俵を回る時は、NHKのカメラがずーっと引いて字が読めないようにする。

 公共放送はコマーシャル無関係ということらしい。だが呼び出しさんなどが着ているはっぴ、背に「紀文」と書いてあるのが大きく写ってしまうのはやむを得ないらしい。伝統から来る特権であろうか。「紀文」といえばおでんのたね。どうして相撲とおでん……?。うんそう。ちゃんことねり物はつきも、相性がいいかも知れない。

 江戸時代の「紀文」は、粋人・紀伊国屋文左衛門である。

 沖の暗いに白帆が見える
 あれは紀伊国蜜柑船

紀伊の国屋文左衛門は、材木問屋を家業として、世にも聞こえたる富豪なり、活気の者にて、常に、花街、劇場に遊び、任侠を事とし、千金を抛ちて心よしとす、故に、時の人の紀文大尽と称して、其名一時に高し、寛永の比(ころ)までは、本八丁堀三丁目総て一町、紀文居宅なり。(上山勘太郎『実伝紀伊国屋文左衛門』)

 吉原大門を両手で〆、など大尽の風流話、真偽のほどはさだかでない。隠居後、俳人「千山」として名をなしたともいう。「おでん」の方は、初代が山形県出身だそうで、紀伊ではない。命名の由来は調べていないのでわからない。こういうとりとめのないことを書くのを無粋のきわみという。さりながら相撲は納めの場所。おでんもみかんも、これからが味わい時である。

 

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2009年11月14日 (土)

読売社説の暴言

 11月14日付読売新聞社説である。あえてその片言節句をとらえて非難する。

一市長選の結果が、国全体の安全保障に重大な影響を与える事態は避ける必要がある。

 オバマ大統領来日を受けて、沖縄普天間基地移転先について現行計画のまま年内早期決着を迫る文意の中にある。その口調を受けてあえて言おう。

一海兵隊の移転先にかかわる事務的問題だけで、沖縄県民の65年にわたる犠牲を無視する必要がある。

 仮に読売のその他の部分の主張が正しいとしよう。それならば日本国民として沖縄の負担軽減のため県外移転を真剣に考えなければならない。そういった配慮の片鱗すらない。それほど大きな基地が必要というわけではない。作ったばかりなのに廃港寸前の空港がいくらでもあるではないか。

 もちろん本土内では、候補にされた地元の反対があるだろう。しかし、沖縄の痛み苦悩とは比べられるだろうか。日本を代表する大新聞が犠牲を沖縄だけに押しつけ、恬(てん)として恥じない態度はどうだ。名護市長、沖縄県民は大いに怒って読売不買運動でも展開してほしい。そして、日本の安全を本当に考えているのは住民か、巨大マスコミか、財界か大いに議論を盛り上げるべきだ。 

 鳩山首相は、自民党が続けてきたみっともない駅伝首相とは違う。国家100年の計を立てている(…と思いたい)。基地移転を1年先延ばしし、そのため目先の外交でつまずいて齟齬を生じても次の前進に全力をあげていただく方がいい。なお、この意見の前提となる前エントリー「オバマを救う鳩山外交」をあわせてご覧いただけると幸せです。

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2009年11月13日 (金)

オバマを救う鳩山外交

 イギリス『エコノミスト』の元編集長で、『日はまた昇る』などの著述で有名なビル・エモット氏が、、最近大きく変化した日米両国の政治情勢をどう観察しているか、「DIAMONDonline」がインタビュー記事にまとめている。

 まず、普天間基地の移設問題で日米同盟がギクシャクしているという見解について、国際政治という(冷酷な)世界では、どこに移設すればいいかというテクニカルな懸案だとし、「ワシントンの実務方は怒っているようだが、政権が交代すれば、外交の主要議題は仕切直しを求められるものだ」と、国際感覚からその怒りは正当化されるものではないという観点を示している。

 ということは、アメリカの怒りとは《これまではアメリカの方針に要望をだすことはあっても、最後はすなおについてきた》という従順さが、民主党政権になってなくなったということに対する怒りだろう。同氏はオバマ政権の中枢が、日米関係を冷え込ませるような行動に出るとは思えないとも言っている。

 日本のマスコミが「事務方」発言を報道するのはいいが、これを針小棒大にとらえ、「日本の将来を危うくする」調の社説までかかげたY紙、S紙の《自民外交ボケ》がいつまで続くのか、気になるところである。

 また、アメリカの中国接近が「G2」を目指すもので、ジャパン・パッシングとなる、という見解について、「それは見当違いだ」と断言、「米国が中国との対話により多くの時間を割くのは、中国との関係に確信をもてないから」だと観察する。

 アメリカのこれからの大きな課題は、人民元改革をどう誘導するかであり、鳩山案の東アジア共同体がそれにプラスの影響を与えるとすると、「願ったり叶ったり」でオバマ政権としては、それを「サポートしたいという感じ」ではないかという。

 これも「アジア共同体→反米」という、一部の論調とは全く逆だ。日本の進路を危うくするのは、むしろそういった偏屈な引きこもり精神ではないか。イギリスを本拠としてアメリカとの接触が多く、また日本支局長の経験を持つ同氏は、EUとアメリカの関係をつぶさに見てきている。

 東アジア共同体への展望については、「やや乱暴に聞こえるかもしれないが」と前置きしながらも、アジア版のEUを目指すべきで、通貨統合まで視野に入れて対話をはじめるべきだ、とアドバイスする。日本はより一層ヨーロッパに学ぶべきだということを痛感する。 

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2009年11月12日 (木)

「より実用的で大胆に」

 「より実用的で大胆なことからはじめて、より果敢に国家の主権を制限しようとしなければならない」

 これは、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(CECA)を立ち上げることに貢献し、ヨーロッパ統合の父と称されるジャン・モネ(Jean Monnet,1888-1979)が『回想録』(近藤健彦氏による邦訳がある)のなかで述べている言葉である。

 フランスの外相シューマンに共同体の構想を持ちかけたのは、2度の大戦をくぐり抜け60歳に達していたモネで、当時、政府の設備近代化計画局長官を務めていた。この案はアデナアウアー独首相をはじめ、直ちに関係各国首脳の歓迎するところとなった。

 石炭と鉄鋼の生産を協同で管理するというこの案が実現すれば、フランスとドイツのあいだの戦争は、想像もつかないだけでなく、事実上不可能になる。それだけではなく、経済統合への発展などを通じて各国の利益に大きく還元されると考えられたのである。

 モネは、若い頃からよかれと思ったことは自ら果敢に挑戦するという行動派で、1951年8月には、ルクセンブルクに置かれた超国家機関である共同体の暫定本部初代委員長に就任した。しかし順風満帆とはいかなかった。ことにフランス右派を代表するドゴール将軍からは、「アメリカを愛する男」といわれ、何度も対立した。

 しかしモネの引いた路線が途絶えることはなかった。モネ退任の翌年1956年10月、アデナウアー独首相とフランス社会党出身のギ・モレ首相がルクセンブルクで会談し、独・仏国境近くの産炭地で約200年間帰属を争ってきたザール地方について、住民投票の結果も入れ西ドイツ領とすることに決定、歴史的な和解に合意した。これは共同体が築き上げた信頼関係の成果でもある。

 この和解がCECAの次ぎの段階EEC(欧州経済共同体)への橋渡しに積極的な役割を果たした。モネの目指した方向はこうして実現していくが、共同体の苦難はまだまだ続く。モネはさらなる統合をめざし、折に触れアイディアを提供していた。

 そしてEU(ヨーロッパ連合)設立が行き詰まった折りなどには、「あまり野心的ではない道」を選ぶなどという、モネの戦法が参考にされた。しかし、1992年のマーストリヒト条約調印を見ることなく、モネは1979年に没した。

 

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2009年11月11日 (水)

纏向のロマン

 奈良盆地の東縁、山の辺の道を天理から桜井に南下する。行灯山古墳(崇神稜)から渋谷向山古墳(景行稜)の後円部に沿った小道を抜けると、急に視界が開ける。まず目に飛び込むのが絵に描いたような端正な姿の三輪山。右手には、平坦部の池に姿を浮かべる最古の巨大古墳・箸墓。香具山など飛鳥をへだてる三山の先は、遠くかすむ二上山(大坂山)と難波を隔てる生駒の山並みだ。

 足下に広がる田園風景、何の変哲もないようだがここが今日11日、卑弥呼の宮殿跡発見か、と報道されている纏向遺跡のあるところだ。近く下った所に国道169号線があり箸墓の方に伸びている。その道を車が往来していなければ、古代と同じ展望だろう。

 そして宮殿跡かといわれる今回の発掘現場は、JRローカル単線のひなぴた巻向駅ホームの端がわずかにかかる位置だ。三内丸山や吉野ヶ里のような怪しげな復元建物など建てず、柱跡そのままで保存するようにしてもらえないか。

 日本人の心の古里といわれる飛鳥の風景も悪くないが、左右と南を山が囲む箱庭のような狭さを感じる扇状地より、ここの広々とした展望が利くこの辺りの方が好きだ。歴史の上でもここと飛鳥では3世紀ほどの差があり、謎が多いといってもすっかり歴史時代に入った聖徳太子の時代と、神話の時代に半分足がかかったような卑弥呼の時代では、空想の世界の広さでも断然纏向を中心とする山の辺一帯の方に軍配があがる。

 新聞などでは、もっぱら邪馬台国はここか、九州かを興味の中心にしている。まあこれは、決着がつかない方がファンの楽しみが続くのでいいのだが……。私は、ここに根拠を置いた大和王朝が今に続いていることの方に関心がある。

 とはいっても、神武即位も、2600年も、万世一系も全然信じていない。ただ、その系譜にあることを理由に世界最長の皇統システムを維持し続け、独特の文化基盤・アイデンティティを残したことについては、その価値を認めざるを得ないのではないか。つまり、世界文化遺産としての価値である。

 大君は神にしませば水鳥の
 すだく水沼を京師(みやこ)となしつ

 『万葉集』で大伴御行は天武天皇の時代をこのようにうたっている。ただし、埋め立て工事を神の仕業にするなど、どこか揶揄したような気分もあって、戦前の戦争に駆り立てるための天皇神格視・絶対化ではない。長い歴史の中で、一般にこのような天皇観を強制したのは戦前・戦中に限られる。

 また、最近はやりの週刊誌皇室論も相当いびつなものを感じる。ここは、古事記や日本書紀全文をすなおに読んで、エロチックでエッチな天皇や粗暴な天皇、臆病な天皇、嫉妬深い天皇など、古代天皇をいろいろな角度でロマンチックな想像も交えながら考えてみたらどうだろう。  

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2009年11月10日 (火)

核を手放せない北朝鮮

 このブログでは、選挙を前にした8月17日に民主党の外交・安保政策について「鳩山代表の本気度」という記事を書き、新政権発足後の9月から10月にかけて北東アジア核非武装宣言構想などを中心に「オバマに提案して下さい」、「オバマの背中を押せ」、「新外交にギヤかかかった」というエントリー掲げてきました。

 まもなくオバマが来日します。マスコミや議会が騒いでいる沖縄基地問題は、小さな問題とはいいませんが、冷戦体制下で生まれ、半世紀も続いた日米安保体制のレビューをする中で考え、決着を先送りするという方向に向かいそうです。

 また、外交諸懸案もすぐ結論を出すというより両国が目指す方向を確認しあうという、セレモニー的なものになるでしょう。なぜならば、議論する時間がなく煮詰まった話などもありません。北東アジア核非武装宣言構想も「せいてはことをし損ずる」ことにもなりかねないので、そのあたりをすこし――。

 北東アジアで非核武装国といえば、核の傘は別として日本と韓国しかありません。その中で北朝鮮は自前の核兵器を持ち、核保有国を宣言しています。これを阻止し、また核を放棄させようとしたのが6カ国協議です。

 しかし、このところ北朝鮮は6カ国協議をボイコットしアメリカを対話に引き出すことに重点を置きました。最近は6カ国協議復帰も匂わせていますが、本当は韓国、日本には入ってもらいたくないのです。それはなぜでしょう。

 金正日の健康は相当回復したようです。そこで後継者にどうしても引き継がさなければならないことに力を入れ始めたのです。それは、朝鮮統一のあり方ではないでしょうか。ベルリンの壁崩壊から20年、東ドイツの二の舞だけはどうしても避けなければならないとの思いです。

 つまり、吸収合併には断じてさせない、対等かできれば上位で望みたい、それには国の「格」ならぬ「核」が必要なのです。世界一のアメリカと堂々とわたりあい、譲歩をひきだすのも「格」を高める仕掛けです。韓国からの1万トンの穀物支援をけっ飛ばすのも「武士は食わねど高楊枝」の心意気でしょう。

 それが「主体性理論」なのか、朝鮮人の国民性なのかはわかりません。朝鮮半島の非核化は北・韓国、日朝の共同宣言にもあり、6カ国協議でも1度はうたっています。すべてうまくいけば核を放棄してもいいと思っているはずです。

 その点、北・韓国・日本を区域とする非核武装地帯宣言をし、核保有国のアメリカ、ロシア、中国がこの地域に核を使わないという条約に調印すれば、6カ国の枠組みの中で安全を保証されるだけでなく、各国の交流や援助も盛んになり、東アジアの安定が一挙に進展するわけです。

 一見、北にとってもよさそうですが、朝鮮の統一にはプラスにはなりません。日本主導では昔の「大日本帝国」の区域を思い出すでしょうし、韓国との経済格差だけでなく日韓の連携があればますます孤立しかねません。つまりは、対等合併の切り札をなくしてしまうことになるのです。

 以上は独特な見方ですが、テレビのコメンテーターがいうような「ごね得外交」「専制孤立主義」だけの国で、経済制裁を強化すればいずれ参るだろうという考えとは、ちょっと違う見方をしてみたかったということです。

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2009年11月 9日 (月)

鉄と核と人類

 佐賀県玄海原子力発電所で日本最初のプルサーマルによる発電計画が今月5日から始まった。順調にいけば今日あたりから発電が開始される。政権交代で核兵器に対する政府のスタンスは、表面的には大きく転換したように見える。

 しかし原子力発電については、前政権とどう違うのかよく見えてこない。鳩山首相の言葉を借りれば「工科出身閣僚が4人もいる」政権であり、温暖化防止・25%の排出ガス削減のためには、原発推進により比重を置くことが不可避という感触も見え隠れする。

 科学立国を目指さなければならない日本だが、この際、日本ではじめてノーベル賞を受けた故・湯川秀樹博士の言葉をかみしめておく必要がないか。これは豊田利幸著『核戦略批判』に寄せられた巻頭文の一部で、書かれたのが40年以上前の1965年、しかし根源はなんと紀元1世紀から人類に科せられた課題だと説く。

 人類の長い歴史の中で現代はどういう時代であろうか。あるいは、どういう時代となりうるであろうか。一九六五年という時点ににおいて、この設問に対するどういう解答を私たちは持ちうるであろうか。

 過去のいくつかの時点において、何人かの人が、同様な設問――ただし、それは地球全体ではなく、限られた地域に住む人たちの歴史についてではあったが――に解答をあたえている。例えば紀元一世紀のローマ人プリニウスは『博物誌』の中で 

「鉄は生活における最善にして最悪の道具である。鉄で土地を耕し、樹を切り、石を切り、家を建てる。しかしまた、鉄を戦争、殺人、強盗にも用い、直接殺しあうだけでなく、投げ道具にし、あるいは羽根をつけて飛ばせる。死がいっそう早く人間に達するように、死に翼をつけたのである。

 しかし、自然には責任がない。ポルセンナの市民は国王を放逐し、ローマ市民と講和を結んだが、その条件は鉄を農業以外には使用しないということであった。」
と言っている。(中沢護人著『綱の時代』[岩波新書]による)

 この解答が、二千年近くの年月をへだてた現在の時点において、私たちの考えていることと、あまりにもよく似ているのに驚かされるのである。彼のほかにも、古代人の中には、火と鉄とについて、今日私たちが原子力、核兵器、その運搬手段などについて持っているのと同じような考えを持っていた人が何人かあったであろう。

 しかし幸いにして鉄は、それだけでは人類の歴史を中断させうるほど巨大な力をもっていなかった。(以下略) 

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2009年11月 7日 (土)

米に撤兵の勇気があるか

 アメリカのオバマ大統領は、テキサス州の陸軍基地で起きた銃の乱射事件の追悼式に出席するため、日本訪問を13日に変更したいと日本側に伝えているようだ。米兵の犠牲者が出るたびに大統領が追悼式に出席すると、外遊などしている暇がなくなる。

 しかし今回の事件が、オバマにとってよほど深刻な事態であることを物語っている。アフガンに増派をするのか取りやめるのか、日々伝えられる現地情勢に好転の兆しはなく、このままではベトナム以上の泥沼化が避けられなくなる。

 増派中止、さらに撤兵ということになると国内の右派から猛反発を受け、政権に回復不能の打撃になることもあり得る。また、犯人がイスラム教徒であったことなどを考え合わせ、この際どんな障害があっても犠牲者に最大限の弔意を払うこと以外に彼の選択肢がない。

 この事件はもう一つの大きな問題をアメリカ社会に投げかけている。それは、毎日新聞(11/6)が伝える次のような事実である。

 イラクやアフガンでの戦争では、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や、爆弾攻撃により脳細胞が破壊される外傷性脳損傷(TBI)を患う兵士が急増した。オバマ政権は今春、対テロ戦争を「象徴する負傷」と位置づけ、最終的にいずれかを発症する兵士が30万人前後にのぼると推計し、治療体制を拡充すると表明した。

 しかし、現場では、軍での経歴に障害となったり、除隊を迫られることを恐れて、精神的な治療を敬遠するケースが目立つ。米精神医学会が昨春、約350人の帰還兵らを対象に行った調査によると、約半数が不眠やうつ症状を訴えたが、治療を受けた人は約1割だけ。治療を受けなかった人の多くは、目に見えない症状のため治療を求めても適切な診断が得られにくく「(兵士としての)経歴に悪影響を及ぼす恐れがあるから」と答えた。

 こうした状況を受けて、米陸軍副参謀長のピーター・シラリー大将は今月5日、陸軍の年次総会で「従軍を逃げようとする弱い兵士の訴えではない」と指摘。偏見をなくし、迅速な対応をするよう求めた。

 犯人は、同基地の精神科医を務める少佐で、帰還兵患者のカウンセリングなどの任務を持っていた。その彼自身がアフガンなどに配属される予定があったとか露骨な差別発言に悩んでいたとかで、神経症に罹患していた可能性があるという。

 上記のように米軍で治療を受ける患者はわずか1割に過ぎない。他の負傷と違って表に出したくないという心理が働くからだ。日本でもさきの戦争で多くの戦争神経症患者が出たはずだが、「皇軍兵士にはそのような弱兵はない」という建前があったため、重症者は監禁に近い状態で精神病棟に入れられていたようだ。

 戦後60年たって、引取先のない「戦傷病者特別援護法」等による入院精神障害者は全国で84人(平均年齢80代半ば)も残っている。つまり、負傷といっても癒えることのない悲惨な状況におかれる患者が、今後アメリカで激増する可能性を否定できない。

 太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争をそれぞれ比較すると、米軍の死者は劇的に減っている。しかし、死者と傷者の割合では傷者が増え続け、発見の遅れている潜在患者まで入れると、最近の状況はまさに破滅的といってもいいのではないか。(以上については、下記の関連記事を参照して下さい)

 アメリカは「テロとの戦い」を大転換するべき時期にさしかかっている。オバマは果たしてその勇気ある決断をする勇気(同時にアメリカ人の勇気でもある)があるのか。鳩山首相は、近く会う大統領に「同盟国としてアメリカの方針を支持します」とオウム返しでいうだけでは、せっかくの政権交代の意味がなくなる。

 首相はオウムではなくハトである。「米軍撤退のために必要な協力は惜しみません、そのためにはかけはしにもなりましょう」と増派撤回を進言することだ。それが真の同盟国への友愛精神だと思うのだが……。オバマも鳩山も正念場である。

参考エントリー
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_eda8.html
帰還兵の殺人
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-190f.html
アメリカの兵士3
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-a4fb.html
アメリカの兵士2
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-0bd4.html
アメリカの兵士1

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2009年11月 6日 (金)

「撃壌歌」(古代中国)

日出(い)でて作(な)し
日入りていこう
井をうがちて飲み
田を耕して食らう
帝力、なにか我にあらんや

日が昇れば起きて働き
日が沈めば帰って憩う
水は井戸を掘って飲み
田を耕して食を充たす
政治、自分にとって何のかかわりがあろうか。

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2009年11月 5日 (木)

書評『ヨーロッパ統合』

 国会論戦が続いているが、防衛・安保、天下り人事、政治資金などに焦点がしぼられ、鳩山外交の目玉であった東アジア共同体についての議論はあまり聞かれない。その理由として、①鳩山首相から「友愛」という理念のほかは、その中味や展望について具体的に語られていない、②ASEANにおける中国との主導権争いのようなことなら、自公政権の時代から唱えられていた事柄で争点にならない、③「共同体」の定義がされておらず、モデルとされるEUについての知識が不十分、といったことが考えられる。

 ①については、当ブログでもEUの前身を創設する頃にあった「あらかじめ最終的な姿を想定して議論すべきでない」というタブーを紹介したことがある。また、激しい外交交渉を経ながら前進させるというテクニックが必要なので、交渉に不利をもたらすような手の内をさらすべきではない、ということもある。

 しかし②と③は、その本質を探る上でどうしても語ってもらわなければならない部分なのにそれが明らかにされていない。もっとも、今国会は仮免運転中のような所があるのでこれからの能動的な活躍に期待するとして、今回はEU発展の過程をカラフルな画像を駆使してまとめた好著を紹介したい。

ヨーロッパ統合――歴史的大実験の展望
バンジャマン・アンジェル/ジャック・ラフィト著
田中俊郎監修/遠藤ゆかり訳/創元社発行/¥1575

 私がこれまで見た類書は、学術研究書であったり、専門的立場から観察した解説書などで、たびたび告白するように、極めて難解・複雑そして問題が多岐にわたるためつかみきれない、というのが正直なところである。

 本書は、142頁にすぎないが、頁の少なくとも1/3以上をカラー写真・図版等に充てており、見出しと視覚だけでも役に立とうという編集方針であるように見受けられる。だから読みやすいか、というとそうはいかない。やはり、その歴史、組織、仕組みなどは複雑多岐で容易に理解するというわけにはいかない。

 ただ、同組織にたずさわってきた欧州人が書いているだけに、遠くヨーロッパの語源から書き起こし、長い抗争の歴史、戦争回避・平和希求に多くの頁を費やしていることと、組織発足からこれまでを発展の歴史というより、合意破綻、離脱、意見不一致、失敗など苦難の歴史という印象が強い。

 しかし、変化の要点は注釈などをふくめ網羅されているので最初の入門書としてはいいのではないかと思う。EUがECC(欧州経済共同体)からの発展であることはいうまでもないが、日米同盟がある日本としては、アメリカが加わるNATOとの関連が気になるところである。

 本書ではこのあたりも要領よく記述されている。その中で印象深かったのは、当初、ヨーロッパに恒久的な平和をもたらすにはどうすればよいかという課題に、どう答えたかについてである。その最初の答えとして取り上げられたのは、軍事同盟という「かなり古典的」な方法だったという。

 当時は第2次大戦の余燼もさめやらぬ時期で、チェコなど共産主義革命のクーデターなどもあり、不可侵条約、共同防衛条約などだけで防ぎきれないという不安があったようだ。そういった新たな冷戦の脅威からNATOが誕生した。同書は次のようにいう。

 軍事同盟とは、永続性のある平和を実現するための必要条件ではあるが、十分条件ではない。2度の世界大戦は、たとえ同盟を結んでいたとしても、各国が真の意味で融和してなければ、結局は紛争を広げてしまうことを証明した。そのため、より独創的な方法が求められたのである。

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2009年11月 4日 (水)

満州国指導要綱(案)

 1931年(昭和6)9月18日、関東軍の板垣征四郎・石原莞爾らが満州の武力占領計画実行のため奉天近郊柳条湖附近の満鉄路線を爆破した。関東軍司令官の本庄繁は中国側の行為だとして総攻撃を命令、中国侵略の第一歩となった。

 11月10日には、特務機関を使って天津に蟄居していた清朝の廃帝・溥儀を満州国皇帝とするため大連に拉致連行、翌年3月1日に満州国独立宣言を行った。その過程を調査した国際連盟のリットン報告書の採択に日本が反対し、8年3月27日に国際連盟を脱退した経緯はよく知られている。

 関東軍創設以来、現地での謀略、独断専行、下克上という関東軍の体質は変わらず、これを制御できなかった政治や天皇制の欠陥がそのまま、太平洋戦争突入・敗戦という国民の不幸につながった。そういった経緯の研究は進んでおり、歴史修正主義が入り込む余地はすくない。

 満州国が日本の傀儡政権であることは常識になっているが、日本というより、関東軍の傀儡政権として考えられていたことが下記資料でうかがえる。現在、似たようなことが世界で行われていないか、気になるところである。

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関東軍参謀長橋本虎之助「満州国指導要領(案)(1932年6月)

 満州国は旧軍閥の覆滅に伴ひ独立国家として現出せるも其の将来帝国との相互関係に就いては人々見る所を異にし、為に対策往々齟齬を生ずることなしとせず依って茲に根本方針を確立竝施設の円滑を期せむとす

  方 針

 満州国は我国策に順応すべき独立国家として支持発展せしむ

  要 領

 一、満州国に対する帝国国策の遂行は特に文治機関を設けて之を行はしむることなく専ら関東軍をして之に任ぜしめ其の実行は新国家が独立国たるの対面保持上努めて満州国の名に於てし日系官吏特に総務長官を通じて之が実現を期す

 之が為満州国承認前に在りては我在満政治機関協力の下に軍中心を以て満州国に指導交渉に任じ承認後に在りては在来の我行政官庁を改廃し駐満政治指導機関は軍司令部内に設け以て軍司令官をして満州国政府の指導に任ぜしめ別に外交手続に関しては軍司令官をして駐満全権を兼ねしめ其許に領事等を付属し渉外事務を管掌せしむ

 満州国日系高級人事の決定権は依然軍司令官に於て之を保留す

 二、満州国には帝国軍隊を常置し将来我方との防禦同盟に依り合法的に国防の大部を担任す其の時期迄は治安維持援助の形式に於て実質上帝国自ら国防を掌る

 満州国軍隊は国内の治安維持に任ずるを本則とし漸を逐うて必要の最小限に裁兵す
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以下略。(関東軍参謀長橋本虎之助「満州国指導要領(案)」小林龍夫・島田俊彦・稲葉政夫編『現代資料11 続・満州事変』みすず書房。劉傑・三谷博・楊大慶編『国境を越える歴史認識』東京大学出版会、所載)

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2009年11月 3日 (火)

アジアの東

……といっても当塾のオハコ「東アジア共同体」のことではない。(^^)
♪アジアの東 日いずるところ 聖の君の現れまして
旧明治節で歌った歌詞である。

2009_11030024  明治節11月3日は「必ず晴れる」という伝説?があった。事実、太平洋岸は西高東低の快晴、その代わり校庭の土は冷たく(休みではない式典があった)、終わると足踏みをして体を温めたものだ。その明治節は新憲法公布を祝す「文化の日」になった。(写真クリックで富士山が!)

 右翼ブログではそれを国辱的ととらえ、明治節復活を唱えて上記の歌詞を入れているものが多い。ところが、「神」とあるべきところを「紙」とした変換ミスを、そのままコピペしたのではないか、と思えるものがいくつかある。くれぐれもご注意を。

 そしてさらに、今日は「望月」陰暦の十五夜の月。もちづき。そこで朝早く沈む寸前の残月を写真にとった。しかしこれは十四夜かな?。2009_11030001

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2009年11月 2日 (月)

国会がおもしろい!

 私は国会の予算委員会の中継で与党質問など聞いたことがなかった。まさに茶番で時間の無駄だったからだ。今日、政権交代後はじめての委員会が与党質問から始まった。単に好奇心からだったがこれが予想外に面白い。

 民主党の山口壮代議士のアフガンに関する質問は、考えが当塾と同じだった。すなわち、経過はソ連の侵攻と全く同じ経過をたどり、国際的にも「負け戦」であると認識されるようになった、いまや出口戦略を考える段階だ、日本は日本にしかできない国際貢献をするべきだ、という主張だ。

 そして遂にでた。「私なら体を張ってでもタリバンとの接触を試み武力ではない国際協力に当たる」という発言。言いも言ったり、わが塾の主張と同じである。山口氏は外務省出身で、米、中、パキスタン、英の各大使館勤務を経験した人で素人ではない。

関連エントリー
アフガンは振出しにもどせ
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-2991.html
アフガンの出口を作れ
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-1de4.html
アフガンの動き、急
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-6c3c.html
ガンダム
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_e87f.html?no_prefetch=1

 このほか、国民新党下地幹郎議員の普天間県外移設発言に対する、「候補になった自治体の意見を考えろ」というヤジに「沖縄だけに基地を押しつけるという心構えだから解決しない。基地は国民全体で負担を分担する考えがどうしてできないか」と反論したのも圧巻だった。(以上議員発言は正確ではありません)

 午後からは野党質問も始まる。やはり「民主党がんばれ」だ。

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