ヘボン来日150年
♪ヘボンさまでも草津の湯でも ドッコイショ
恋の病はこりゃ治りゃせぬよ チョイナチョイナ
ジェームズ・カーティス・ヘプバーン、日本人の耳に聞こえたのは<ヘボン>だ。ヘプバーンは意に介さず「平文」という日本語表記も発案した。医師、宣教師、日本語研究者、日本語辞書・日本語聖書作成者、教育者、ことにヘボン式ローマ字の名は知らないものがない。
彼は1859年(安政6)4月にニューヨークを出帆、大西洋、インド洋、上海経由で10月18日神奈川に到着した。成仏寺を住居と定め早速一般日本人との接触を深めようとする。しかし、ペリーの浦賀来航から6年、その年には安政の大獄が起き、翌年は桜田門の変で井伊大老が暗殺されている。
ヘボンの妻が背後から棒でなぐられ、生涯頭痛に悩まされるようになるなど、厳しい禁教政策と相まって日本人との接触もままならなかった。しかし、彼の人柄は次第に理解されるようになった。一貧民に施した目薬で不治の眼病をなおした。しかも礼金をとらないということから評判になり、やがて門前市をなす盛況になった。
冒頭の替え歌は、それから明治にかけてのものであろう。少し前に緒方洪庵と種痘の事を書いたが、江戸時代の医者は偉い。ヘボンは布教という動機があったにしろ、それだけで市民にこのように受け入れられるとは限らない。やはり、万国共通の誠意がものをいったのだろう。
平成の国境なき医師団、最貧国で、紛争国でヘボンに相通じるご苦労があると思う。どうか地元民にその誠意が通じ国際平和につなげてほしい。ヘボンはのちに青山学院の総理として迎えられたが、帰国後の晩年はさびしい生涯を送り96歳で没した。
日本人になりきろうとしたこのアメリカ人の来日150年を記念する行事は、明治学院などでささやかに行われている。
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