緒方洪庵と種痘
新型インフルエンザワクチンで医療関係者から接種がはじまった。われわれ高齢者の順位は一番最後だ。妊婦や子どもが優先されるのは当然で、別に異議をとなえることはない。近所の医者の口調では、明言はしないものの「まあいらないんじゃないでしょうか」という感じだった。
開闢以来、天然痘は死を免れても生涯醜いあばたを皮膚に残す最も恐ろしい伝染病だった。イギリスのジェンナーが発見した牛痘種痘法のが日本に入ったのは、160年前の嘉永2年(1849)6月、冷凍設備のない当時生きた苗を欧州から取り寄せることができず、届いたのは患者の「かさぶた」だった。
それは早速佐賀藩の御側医・楢林宗建の生後10か月のわが子ほか3名の子どもに植え付けられ、宗建の子だけ赤い腫れが見られ接種は成功した。そこからリレー式に何人かの子ども経て緒方洪庵(写真)のもとに届いた。
洪庵はあらかじめ準備して置いた1軒の貸家を大阪除痘館(現・大阪市中央区道修町)と名付け11月7日に神式による分苗の儀式を行い、社中の医師への普及を開始した。しかし、ジェンナーの発見当時と同様、世間から異端視され、幕府から公認を受けたのは安政5年(1858)、9年もたってからであった、
大阪除痘館の規定に次のような一文がある。
「是唯仁術を旨とするのみ、世上の為に新法を弘むることなれば、向来幾何(いくばく)の謝金を得ることありとも、銘々己が利とせず、更に仁術を行ふの料にせん事を第一の規定とする」
洪庵は大阪で蘭学塾「適塾」を開き、大村益次郎、佐野常民、橋本左内、大鳥圭介、福沢諭吉、高松凌雲など各地から身分を問わず集まった向学の士を育てている。幕末の民間の教育者として私は吉田松陰より高く買っている。(百瀬明治『「適塾」の研究』、Wikipedia、ほかより)
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