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2009年9月19日 (土)

記念碑の流浪

 史跡名勝天然記念物保存法ニ依ル史蹟トシテ昭和九年十一月一日文部大臣指定

2009_09190003 と鮮やかに彫ってある。正面は、「明治天皇行在所」とその地名である。行在(あんざい)所とは、旅行または視察の途中立ち寄ったとか昼食をとったという意味で、都心から遠くないここで泊まったわけではない。
 
 この碑のあるところは、博物館の建物の裏である。本来あるべき位置ではない。建立されて10年余り、戦争に負けて天皇の権威は地に落ちた。多分進駐軍の目に触れてもろくなことはない、ということで現地から解体撤去され、石材屋にしばらくの間ころがっていた。

 それを自治体が引き取り、この場に石造物の一つとして移設、展示?したという説明がある。法律がどうなっているか知らないが、現在にそんな国指定の史跡はない。とり消されたのであろうか。それともうやむやにしたままなのだろうか。碑そのものに歴史上の価値はない。しかし碑の変転・流浪は立派な歴史的記念物である。

 昭和史研究の泰斗・保阪正康は、昭和8年が日本人を皇民化して戦争に駆り立てる運動の始まりだという。軍部と文部省の合作で、国定教科書は全面改定きれた。小学1年は入学するといきなり「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」で、2年生では「テンノウヘイカハ、ワガ大日本テイコクヲ オヲサメニナル、タツトイオンカタデアラセラレマス」などとなる。

 9年になると、10月1日に陸軍省は「国防の本義とその強化の提唱」いわゆる陸軍バンフレットを発行、今でいうマニフェストのようなもので国政全般に間接的な関与を試みる。また10年には議会で美濃部達吉博士の「天皇機関説」攻撃が始まり、政府は「国体明徴声明」を発表する。

 こうして、天皇は世界に君臨すべき神としてまつりあげられる。天孫光臨、万世一系の中でも軍事大国の道を開いた明治天皇は、特別に尊崇すべき天皇だった。その立ち寄り先が神聖視され、たった20数年前に亡くなった天皇なのに、史蹟にするという、狂気にも似た気の入れようだ。

 その時の文部大臣は、鳩山一郎。友愛を旗印に躍り出た鳩山由紀夫総理の祖父であったことも、反省すべき教訓として是非念頭に置いて欲しい。

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