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2009年9月24日 (木)

宇垣一成

 前回「国語力」というテーマで、現在の政治家が発信する「国語力」について記事を書いた。そのあと、武田泰淳の『政治家の文章』という旧著(1960年、岩波新書)があることに気づいた。以下がその冒頭にある、当時陸軍次官宇垣一成の大正13年元旦の日記である。

 「光輝ある三千年の歴史を有する帝国の運命盛衰は繋りて吾一人にある。親愛する七千万同朋の栄辱興亡は預かりて吾一身にある。余は此の森厳なる責任感と崇高なる真面目とを以て勇往する。余は進取、積極、放胆、活溌、偉大の精神意気を以て驀進する。世態人情の趨向は余に此の決意を一層鞏固ならしめたり。」

 政治家として活躍するのはこの後だが、「文人」ならぬ軍人の文章としてはなかなか格調が高い。彼の日記は、昭和史の前半でよく引用されるが、武田がこの章の題にしたような、「政党政派を超越したる偉人」の文章、という評価にはとても従えない。

 それより、日本が大陸侵略の野心を隠さなくなったこの時期の軍人に、「光輝ある三千年の歴史を有する帝国の運命盛衰」という万世一系、皇国史観が根付いていたことである。「記念碑の流浪」で書いた、昭和8年の「狂気のような皇民化教育のはじまり」は、10年前、すでに軍指導者の信念として芽生えていたのだ。

 宇垣は明治23年、陸軍士官学校の第1期卒業生である。前年に帝国憲法が発布され、その年に教育勅語が生まれて、天皇は「神聖にして侵すべからざる」統帥者の地位に君臨した。さらに日露戦争を経た明治末期には、天皇暗殺を嫌疑とする大逆事件、南北朝正閏問題論争が起きたりする。

 いずれも、天皇絶対化への布石として作用する。南北朝正閏問題というのは、後醍醐天皇の時代(1336)から半世紀以上にわたり天皇家が南北の2系統に分裂していた史実を教科書がどう扱うか、またどちらを正統とするかについて、マスコミや国会まで巻き込んだ論争である。

 結局、徳川光圀が編纂させた『大日本史』、つまり勤王・水戸学の解釈で、南朝を正統とする天皇の決裁を得た。そこで当時南朝に与した楠木正成、徳川家が先祖と称する新田義貞などが賞賛すべき勤王の忠臣としてもてはやされ、北朝についた足利尊氏は賊臣の巨魁としてさげすまされることになった。

 私たちもそういう教育を受けたわけである。天皇絶対視が明治憲法発布、日露戦争・第1次大戦、満州事変後の3段階に分けて考えられるような気がするのだが、まだそれを論証するような材料は持ち合わせていない。
 

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