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2009年8月 7日 (金)

強い日本と「核」

 連続して3回「毎日新聞」からの引用をするのはさすがに気がひける。かつては5紙も購読したことがあるが、今は1紙だけ。「毎日」の回し者ではないが成り行き上やむを得ない仕儀と相なる。同紙を特徴づける自慢のコラムに「記者の目」がある。今日(7日)はそこに引きつけられた。30歳になる真野森作記者の目だ。

 核保有論が目指すのは、一義的には日本の3度目の被爆を避けることだろう。「核を持たないと核にやられる」という論理だ。例えば、月刊オピニオン誌「正論」(産経新聞社)8月号には「核脅威ふたたび」と題した特集が載った。西村真悟前衆院議員(改革クラブ)が「現在、我が国家には『核抑止力』が必要である」と持論を訴えている。

 こうした主張に魅了される人が一定数存在するのは現実だ。とりわけ、今30歳である私の同世代や年下の世代は、親にも戦争の記憶が乏しい。強い国家像が好まれがちなインターネットでの言論も一役買っている。

 熱を帯びた核保有論に対しては、封殺や無視をするのではなく、徹底した議論を繰り返し、核に日本がどう向き合っていくのか国民全体で考える機会とすべきだ。

 「核保有論など議論すらすべきではない」という人には暴論と映るかもしれない。だが、タブー視して議論をしないままでは、言いっ放しの雑な主張がはびこり、世論の分断がじわじわと進んでいく。

 この前段に、さして原爆に深い関心を持たなかった記者が、被爆者への取材を通じて核戦争の不毛な実像に強いインパクトを受けた経緯が記されている。被爆者ではないが、当時は中学生だった私が意を強うしたのは、「核タブー視ではない徹底的な議論を」という結論である。

 これは、このブログでもたびたび繰り返してきたことだ。また、中川昭一元外相の「核政策の議論や研究はすべきだ」とか、久間章生元防衛庁長官の「原爆しょうがない」発言に理解を示したところ、冷たい目でみられた覚えもある。

記事リンク「護憲」から「攻憲」へ:
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-c03a.html
「核軍縮を輸出せよ」:
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-de0b.html 

 私の子供よりさらに若い記者が、そういった結論に至ったことに勇気づけられたことを言いたかったわけだが、記者の指摘にある「強い国家像」に関し、若い人に往々にして誤解があるので、久間発言を切り口に付言しておきたい。

 私がすべての人の代弁をするわけにいかないが、特別の階層の人をのぞく意識はこうでなかったかと思う。終戦の詔勅を知ったとき、残念がり、悔しがり現に泣いている人を目のあたりにした。詔勅の「しのびがたきをしのび」とははまさにそのことだある。

 2年先には志願兵になっているはずの私も、内心「これで近く死なずに済みそうだ」と思った。その先の人生など何も考えていなかったので、今の若い人のような悩みは全然ない。中には戦中との生死観の葛藤で自殺する人もいたが、死なないでいいということだけですべてバラ色にできたのだ。

 広島・長崎が強力爆弾で被災したことは、その前に知っていた。しかしその後も秋田などが空爆されて大勢の人が死んでいる。原爆と知ってその残虐ぶりを認識したのはもっと後のことだった。戦争で多くの非戦闘員が犠牲になる、そのこと自体は「しょうがない」ことだと思っていた。

 誰を恨むわけでもない、戦争とはそういうものだ。勝つためには手段を選ばない。日本の敗色が濃くなったとき、起死回生の一手が原爆の開発でそれを夢見ていた。日本がそれに成功していれば必ず使っていたはずである。

 「過ちは繰り返しません」という原爆の碑の誓いは、日本人が非戦と核兵器廃絶を目指す覚悟を言うものだと、当時も、今でもそう思っている。さて、「強い国家像」だが、敗戦、占領中などは「弱い国家像」だったのだろうか。

 1990年頃から右派論壇にそのような論調が生まれ始めた。「東京裁判史観」などという一連の歴史修正主義だ。しかしこれはためにする作文にしかすぎない。敗戦の嘆きは長く続かなかった。東条英機の自殺未遂事件の頃から、戦中に鬱積していた軍部に対する批判が一斉に噴きだした。

 「戦争に負けてよかった。勝っていたらどんなに軍部がどんなに威張り散らすかわからない」というのは、私の近辺で大人から聞いた言葉だ。そして、2.1ゼネストを計画し食料デモはするが、《アメリカから押しつけられた》憲法はいやいやながら文句もいえずに受け入れ、東京裁判のA級戦犯断罪に抗議もできなかった、日本人はそんなに卑屈で内向的だったのだろうか。

 そうでない人もいた。鳩山民主党代表たちの父親一郎は総理大臣直前に戦時中の言動によりGHQから公職追放された。公職追放は多くの民間人、学校の先生にまで及んだ。こういった人達は占領軍が憎かっただろう。しかし、鳩山さんにしろ吉田さんにしろ岸さんにしろ、敗戦という現実をふまえたうえ、世界の強豪・米ソ相手に堂々と渡り合った。

 当時、人々は「強い日本」を目指し、今以上に確固とした自説を持っていた。他国に追随し、世界に堂々とものが言える気概に欠ける「弱い日本」ぶりは、現在の方がむしろ心配になる。強硬論を唱え核武装するのが「強い国家像」なら、北朝鮮を見習えばいい。一番弱い国のすることだ。

 これからの日本を背負って立つ若人にお願いしたいことは、真野記者のように、受け売りではなく、自分で調べ自分の頭で考えるようにしていただきたいことだ。そうすれば憲法9条を改正しないでも、核兵器保有国にならなくてもより「強い日本」になれることがわかるはずである。

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