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2009年7月26日 (日)

宇野重吉

2009_07260005  購読している新聞の日曜版をめくっていたら、なんとも懐かしい顔がぱっと目に入ってきた。別に知人ではなく、とりたててファンという程でもない。今から40数年前、たまたま富山行きの同じ飛行機に乗り合わせただけである。

 その時も別に言葉を交わしたわけではないが、なぜか道中のいろいろな光景が思い出されるのである。私の用件は、新聞記者とカメラマンをその頃建設中であった立山の室堂トンネル現場に案内することだった。宇野は単身で、羽田空港待合室の3人前ほどに並んでいた。服装は写真にあるような軽装である。ちょうど今どきの季節だったと思う。

 乗った飛行機は、フレンドシップというフランス製(多分)の高翼(胴体をつり下げるように上部に翼があり前方や下界の見晴らしがまことにいい)機で、ターボジェットエンジンのプロペラがついていたように思う。

 晴天の飛行日和だったが、飛行高度は1万㍍に達しない。上越国境あたりに入道雲が現れると直線コースをはずれて雲塊を迂回する飛び方だった。富山空港はできて間もないひなびた空港である。成願寺川河川敷(今回調べ直したら神通川だった)にあり、着陸態勢に入ると地面近くのすぐ横を大きな石塊が走り過ぎるのでびっくりした。

 着くと田舎の鉄道駅を思わせるターミナルの平屋根屋上に、10人前後の人が手を振って迎えに出ている。迎えを出すという話だったがいやに多いな、と思った。そう、宇野重吉のことはすっかり忘れていたのだ。ただそれだけの話だが、亡くなって21年たつという。

 その後お目にかかるのは、NHK大河ドラマの脇役とかメーデーの会場とかであったが、今の政治屋タレントとは月とすっぽん。新劇で鍛えられた深みのある演技とにじみ出る知性や行動力など、戦後を代表する演劇人だったと思う。

 なお、新聞記事の内容は同じ演劇人である奈良岡朋子の回想談話である。奈良岡とは仕事で短時間話したことがあるが、その中味は覚えていない。多分、TVアニメ「ムーミン」のナレーションのことなどだったかもしれない。 

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