三角縁神獣鏡
古代、「大和朝廷」というものがあった。東北から九州まで普及した前方後円墳というおしゃもじ型の古墳は、「大和王朝系列」のシンボル・マークだ。墓の形だけなら単なる流行といえるかも知れないが、祭祀に使う器台や石棺の構造など、こまかい点も似ているので、統一マニュアルがあったに違いない。
日本は、多分1800年近くこの大和朝廷が続いている。ただ、男子直系万世一系などはウソだ。続いたのは、祭祀→マツリゴト→政治のマニュアルをバトンタッチすることだけであった。それも前方後円墳のように廃止するものもあれば、当然あとから加わるものもある。
バトンの中で重要なものに三種の神器(剣・鏡・玉)がある。これも力ずくで持ちだし(源平合戦)行方不明になったりして、確実に伝世しているとは言いがたい。今月はじめに「古墳・卑弥呼など」と題する記事を書いたが、今回はその続きで「三角縁神獣鏡」をとりある。
この鏡も、最初の大型前方後円墳である「箸墓」が、魏志倭人伝にある卑弥呼の墓ではないかということが話題になるのと同じで、魏志倭人伝にある卑弥呼が魏の国から送られた銅鏡100面かどうかで関心を集めている。
この鏡の特徴は、鏡の縁どりが三角の山型で裏側のデザインに神仙と霊獣が描かれており、中に漢字で卑弥呼が使いを派遣した頃の魏の年号や、制作者の名前が入っているものが含まれていることである。そこで、魏から贈られたものとする意見が、戦後考古学の大宗ともいえる小林行雄京大教授などにより定説化していた。
ところが、この鏡が続々と発掘され、あとで日本でまねして作ったことがはっきりしている120面あまりを含めて500面以上にもなってしまった。その上、中国や朝鮮からはこのデザインが1面も発見されないことと、鏡作りそのものの技術が日本になかったわけではないので、全部日本製ではないか、という意見がこのところ有力になっていた。
しかし、魏の年号が入ったものを独創で作るわけがなく、お手本は必ず何枚かあったはずだ。それはやはり卑弥呼がもらったものに違いないと思っていた。そこに、中国の三国時代に作られたことがはっきりしている鏡と国産の鏡の鉛の同位体、つまり銅鏡のDNA検査のような比較調査で三角縁神獣鏡のサンプルの何面かは中国鏡に一致するという結果が出てきた。
三角縁神獣鏡は、全国の古墳から発見されるが、大和朝廷から分与されたものであろうとされている。そして、大量に発見されるのは畿内で、それまで鏡の本場だった九州から大和に移っている。古墳時代の開幕を4世紀頃とみて、卑弥呼の時代と三角縁神獣鏡分与に空白期間があるとしていた異論も、箸墓の設営時期が半世紀も繰り上がったことにより矛盾が解消してきた。
どうやら、倭国の大乱を邪馬台国の女王・卑弥呼の擁立で解消させたというのは、天皇家の先祖のことらしく、箸墓の主である可能性に近づいてきたとみている。(写真:小林幸雄『日本考古学概説』、初版は昭和26年)
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