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2009年6月

2009年6月30日 (火)

ヒトラーと「B層」

 「B層」という言葉は、小泉元首相が構造改革の名のもとに辣腕を振るった時期、ブレーンをつとめた竹中平蔵氏ご推薦の広告代理店が、宣伝戦略のターゲットとして使ったことで有名になった。その層は、IQの低い層として説明されており、まさに当時の「小泉劇場」を成功に導いた裏方であるかのように揶揄されていた。

 この「B層」の考え方は、90年近くも前にヒトラーがよりくわしく端的に指摘していたのだ。広告代理店ではなくヒトラーが権力を獲得し、運用した方針なのである。これが日本の政府、自民党が考えるメディア対策がこれとどれだけ違うか。やや長い引用となるが『わが闘争』の第10章から見ておきたい。

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(前略)新聞の読者はその際、一般に三つのグループに分類されうる。
 つまり、第一は読んだものを全部信じる人々、
 第二はもはや全く信じない人々、
 第三は読んだものを批判的に吟味し、その後で判定する頭脳をもつ人々、である。
 
 第一のグループは数字の上からは、けた外れの最大グループである。かれらは国民の大衆からなっており、したがって国民の中では精神的にもっとも単純な部分を表している。しかしかれらを職業でもって示すことはできず、せいぜい一般的な知能程度で示すことができるだけである。自分で考えるだけの素質もなければ、そのような教育も受けない人々は、みなこのグループに入る。

 そしてかれらの一部は無能から、一部は無知から白地に黒く印刷されて提供されたものを全部信じるのである。(中略)

 第二のグループは数ではまったく決定的に少なくなる。かれらの一部は、最初は第一のグループに入っていたが、長い間の苦い幻滅を経験した後いまや反対側に移って、ただ印刷されて目に映るものならばなんでも、全然信じなくなってしまった分子から構成されている。

 かれらは新聞という新聞を憎み、およそ読まないか、あるいは、その内容がかれらの意見からすれば、全く嘘と、事実でないことだけで構成されているにすぎないのだから、例外なしに、そうした内容に憤慨するかである。なにしろ真実に対してもつねに疑ってかかるだろうから、これらの人々はきわめて取り扱いがむずかしい。(中略)

 最後に第三のグループはけたはずれて最少のグループである。かれらは生まれつきの素質と、教育によって自分で考えることを教えられ、あらゆることにつていかれ自身の判断を形成することに努力し、また読んだものはすべてきわめて根本的にもう一度自己の吟味にかけて、その先の結論を引き出すような、精神的にじつに洗練された頭脳をもった人々からなり立つ。

 かれらはいつでも、自分の頭をたえず働かせながらでなければ新聞を読まないだろう。だから、編集者の立場は容易でない。ジャーナリストがこのような読者を愛するのには努力が必要なのである。(後略)
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 その上で、こう結論づける(太字:管理人)。

 大衆の投票用紙があらゆることに判決を下す今日では、決定的な価値はまったく最大多数グループにある。そしてこれこそ第一のグループ、つまり愚鈍な人々、あるいは軽信者の群衆なのである。

 そのうえでヒトラーは、

 これらの人々がより低劣な、より無知な、あるいはまったく悪意のある教育者の手に落ちるのを妨げることは、もっとも重要な国家、および国民の利益である。国家はしたがって彼らの教育を監視し、あらゆる不正を阻止する義務をもつ。

 といい、国家による言論監視、情報操作の必要性を強調するのである。

 

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2009年6月29日 (月)

小泉城下町に激震

 小泉元首相が次の衆院選に息子を立てようとしている地元・横須賀の市長選挙があった。

【確定得票数】
当68628 吉田 雄人=無新(33)
 64147 蒲谷 亮一=無現(64)
 23134 呉東 正彦=無新(49)

 吉田氏は市議出身で若さが売りもの。破れた蒲谷氏氏は、自民・民主・公明相乗りの支持を受け、小泉元首相も9年ぶりに街頭で応援演説に立った。普通なら小泉効果もあって圧倒的に現職有利になり落選はあり得ないはずだ。

 そんな常識を米軍基地の町・横須賀市民がくつがえした。この調子では、世襲地盤に安心しきって選挙運動もしていないといわれる小泉ジュニアー落選の可能性もでてきた。かといって、民主も安心できないが、圧倒的な人気で首相の座を射た時のブームはもうない。

 直近まで迫った解散総選挙では、山口4区のとくら候補も頑張っていただきたい。元総理といってもメッキがはげればこの通りである。この報道の扱いはまちまちで、NHKTVのニュースでは、小泉の“コ”もでてこなかった。しかし流れは変わった。

 靖国参拝を強行し、ネオコンブッシュにしっぽを振り、また、戦前を「美しい国」になぞらえて改憲しようとした権力者が退場することを、心から願っている国民はすくなくない。一時の人気だけで投票行動に走るのは、千葉県知事だけでもう最後にしてほしいものだ。
 

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2009年6月28日 (日)

三角縁神獣鏡

 古代、「大和朝廷」というものがあった。東北から九州まで普及した前方後円墳というおしゃもじ型の古墳は、「大和王朝系列」のシンボル・マークだ。墓の形だけなら単なる流行といえるかも知れないが、祭祀に使う器台や石棺の構造など、こまかい点も似ているので、統一マニュアルがあったに違いない。

 日本は、多分1800年近くこの大和朝廷が続いている。ただ、男子直系万世一系などはウソだ。続いたのは、祭祀→マツリゴト→政治のマニュアルをバトンタッチすることだけであった。それも前方後円墳のように廃止するものもあれば、当然あとから加わるものもある。

 バトンの中で重要なものに三種の神器(剣・鏡・玉)がある。これも力ずくで持ちだし(源平合戦)行方不明になったりして、確実に伝世しているとは言いがたい。今月はじめに「古墳・卑弥呼など」と題する記事を書いたが、今回はその続きで「三角縁神獣鏡」をとりある。

 この鏡も、最初の大型前方後円墳である「箸墓」が、魏志倭人伝にある卑弥呼の墓ではないかということが話題になるのと同じで、魏志倭人伝にある卑弥呼が魏の国から送られた銅鏡100面かどうかで関心を集めている。

 この鏡の特徴は、鏡の縁どりが三角の山型で裏側のデザインに神仙と霊獣が描かれており、中に漢字で卑弥呼が使いを派遣した頃の魏の年号や、制作者の名前が入っているものが含まれていることである。そこで、魏から贈られたものとする意見が、戦後考古学の大宗ともいえる小林行雄京大教授などにより定説化していた。

2009_06280002  ところが、この鏡が続々と発掘され、あとで日本でまねして作ったことがはっきりしている120面あまりを含めて500面以上にもなってしまった。その上、中国や朝鮮からはこのデザインが1面も発見されないことと、鏡作りそのものの技術が日本になかったわけではないので、全部日本製ではないか、という意見がこのところ有力になっていた。

 しかし、魏の年号が入ったものを独創で作るわけがなく、お手本は必ず何枚かあったはずだ。それはやはり卑弥呼がもらったものに違いないと思っていた。そこに、中国の三国時代に作られたことがはっきりしている鏡と国産の鏡の鉛の同位体、つまり銅鏡のDNA検査のような比較調査で三角縁神獣鏡のサンプルの何面かは中国鏡に一致するという結果が出てきた。

 三角縁神獣鏡は、全国の古墳から発見されるが、大和朝廷から分与されたものであろうとされている。そして、大量に発見されるのは畿内で、それまで鏡の本場だった九州から大和に移っている。古墳時代の開幕を4世紀頃とみて、卑弥呼の時代と三角縁神獣鏡分与に空白期間があるとしていた異論も、箸墓の設営時期が半世紀も繰り上がったことにより矛盾が解消してきた。

 どうやら、倭国の大乱を邪馬台国の女王・卑弥呼の擁立で解消させたというのは、天皇家の先祖のことらしく、箸墓の主である可能性に近づいてきたとみている。(写真:小林幸雄『日本考古学概説』、初版は昭和26年)

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2009年6月27日 (土)

ヒトラーとユダヤ人

  なんとなく踏み込んでしまったヒトラー・シリーズであるが、これまで「ヒトラーと歴史教育」「ヒトラーと民主主義」「ヒトラーと優生学」「ヒトラーの戦争礼賛」の4編(カテゴリ=歴史)になってしまった。その内容は主にヒトラーの自著『わが闘争』に準拠しているが、ここまでは、彼が志願してドイツ軍兵士になる前のこととして記述している。

 軍に身を投ずる動機について、前回の続きになるが彼自身、生まれながらの「好戦嗜好」をまず上げておかなくてはならない。

 一体、なぜ百年前に生まれていなかったのだろう。解放戦争(対ナポレオン戦争)のころであったら、男は「商売」しなくとも実際に何かしら価値があったのではないか。
 そこでわたしのあまりにも遅く始まったこの世の旅――わたしにはそう思えた――について、しばしば立腹を感じ、そしてわたしに近づいている「安寧と秩序」の時代を運命の不当な下劣さと見なしていた。私は若い頃からすでに、まさしく「平和主義者」ではなく、この方向へどんなに教育しようと試みてもムダだった。

 その精神分析に立ち入ることはできないが、彼はその頃無名画家として糊口をしのいでおり、なかば失業の状態が長く続いていたと思われる。それが、赤木智則氏の『希望は戦争』につながってしまうのは、筋違いとはいえ振り払うことができないものがある。またそこに起きた戦争に対し、日露戦争への支持をまっ先に掲げている。

 日露戦争は、すでにわたしが大きくなっていたし、また注意深く見たのである。わたしはそこではほとんど種々の国家的理由から一方にくみし、当時われわれの意見を決定するさいには、ただちに日本人の側に立ったのである。ロシア人の敗北はまた、オーストラリアのスラブ主義の敗北と考えていたからだ。

 このように、スラブ人=ロシアという彼の人種差別、排外主義が露骨にでているが、彼が生まれ育ったオーストラリア内部の人種間確執をそのまま反映したものである。しかしここでは、ユダヤという言葉は一切出てこない。ユダヤは排除すべき相手だとしても、まだ戦うべき相手として強く意識されているわけではなかった。

 彼にとって敗戦は最大の屈辱だった。しかも除隊して戻ったミユンヘンを支配するのは、王政をくつがえし、バイエルン共和国を作ったユダヤ人社会民主主義者クールト・アイスナーであり、フランスとの休戦条約に署名し、ベルサイユ条約の受諾をうながしたM・エルツベルガーもまたユダヤ人であった。

 さらに意識していたかどうかはわからないが、戦勝国として講和を取り仕切ったアメリカ大統領・ウイルソンまでユダヤ人である。ドイツ国民が高額な賠償金を背負って塗炭の苦しみを味わうことになっるこの時期、ヒトラーは得意の弁舌をもってユダヤ人を糾弾する政党政治家に転身するのである。

 

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2009年6月25日 (木)

東国原自爆テロ?

 《自民党古賀選対委員長運転の衆院選車両が通過しようとしていた宮崎県庁で大爆発が起きた。スワ自爆テロ?。どうやら東国原知事が仕掛けたものらしい。目下、宮崎県警が原因と被害状況を調査中である》

 といった感じの知事の「総裁立候補条件付」衆院選立候補声明である。テレビが繰り返し報道するので、ことの次第は省略する。「果たしてそんなことできるのかなあ」とか、「あり得ないし、あっても反対――」というのが庶民の反応だろう。

 そこでケース・スタディーその1、知事の意向をそのまま受け入れる。この場合、総裁候補は国会議員でなければならない、という自民党党則を至急総会を開いて改定するか、現総裁一任をとりつけて超法規的に次期総裁に指名する。これは、自民党内の現状からみて絶対に不可能。

 ケース・スタディーその2、東国原氏当選後に総裁選を行い、次期総裁候補の1人となる。この場合は、麻生総理による解散総選挙で、国民は麻生総裁を前提に投票する。したがって、もし自民が勝てば、麻生が信任されたということになり、新入議員に禅定などという事態は起きない。

 自民が負けた場合、野党の総裁選びということになり、東国原氏は「地方から国を変える近道」という県民へのアピールを裏切ることになる。その3は、より長い目で次の次ぎを狙うとか、政界再編の起爆剤となるなどの選択があるが、そこまでは先を見通していないだろう。

 大衆受けする人気は移ろいやすいということは、彼が一番よく知っているはずだ。一方、先輩の松浪議員が言った「顔を洗って出直してこい」の意味は、中央政界はそんなに甘くないよ、という忠告だということを、東国原氏はどこまで自覚しているか。

 結局、東国原知事の自爆テロであるかどうかは、宮崎県民、比例区出馬なら九州の得票数が決定するだろう。当選したばかりの森田健作千葉県知事が、早くもマスコミをはじめ自民党県議に至るまでさまざまな批判を受け、子供からは「ウソはつかないでください」などと要望される有様である。元気がいいのはいいが、人気のかげりはどこからくるかわからない。他山の石にしてほしいものだ。

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2009年6月24日 (水)

「謝罪」

 マイクの並んだ長テーブルを前に、起立最敬礼して「申し訳ありませんでした」という「お詫び」の会見。すっかり見飽きた。「世間をお騒がせして……」、騒いでない!。「ご心配をおかけし」、心配してない!。「ご迷惑を……」、迷惑してないってば!。

 それなのにその顔は一向にお詫びしていない。このパターン化は誰がはじめたのだろうか。最近、日本郵政の西川社長と鳩山前総務相の間に確執があって、社長をくびにしようとした大臣が逆に麻生首相から事実上くびにされた。

 非自民の皆さんは、おわびをしない西川さんが悪い、とのお見立てが多いようだが、私には鳩山さんが悪代官で、西川さんの方が黄門(ほどではないか)に見える。政治かけひきとか改革の是非は抜きにしてである。

 お詫び会見などしないで、背筋をピンと伸ばし権力やマスコミに屈しないところが西川さんはよかった。気の進まない役目(銀行出身者が銀行の強敵を作る)を、小泉元首相から三顧の礼を以て迎えられ、お国のためなら「それでは」と出陣した。劉元徳に呼び出された諸葛孔明(ほどではないか)だ。

 頼んだのなら任せなければならない。まだ国有会社だが、民間の腕を振るってくれということだ。民間なら、極端にいえばかんぽの宿を誰にいくらで売ろうと、背任でない限り社長権限だ。それが会社にとって最善ならお詫びするいわれはない。

 西川さんが立派に見えるのは、政治的野心や私腹を肥やす目的とは思えないからだ。ここにお詫びをしない美学がある。「そこはひとつ、円くおさめて」を押しつけられるのが日本のわるいところで、弱者はこれでいつも損をする。

 もうひとつのお詫びがある。先月末、藤崎一郎駐米日本大使がアメリカの「バターン死の行進」生存者に直接日本政府を代表してお詫びの意思を表明した。そのお詫びの詳細を知らないのだが、バターンやコレヒドールの戦いに関連して「多くの人々におびただしい被害と苦痛を与えたことに心からお詫びをする」という、村山談話の一部分を切り取って援用したらしい。

 全くまちがっているのが、アジアの侵略地に向けたお詫びの主語を変えて全く違うお詫びに使う無神経さだ。最初に書いたお詫びのパターン化だ。その事件の頃まだ生まれていなかった藤崎さんがなんで知らない事件のお詫びしなければならないのだ。

 お詫びが悪いと言ってはいない。どの点をどうお詫びするのか、お詫びするならそこをはっきりさせなくてはならない。それでは納得しない相手がいるかもしれない。しかしそうしない限り互いに理解しないまま終わってしまう。原爆をお詫びしない国へ行ってワンパターンのお詫びをすればいいというものではないのだ。

 従軍慰安婦問題もそうだ。歴史の検証は河野談話が精一杯で、史実に反する主張まで受け入れてお詫びまでする必要はない。もし歴史認識に違いがあれば、双方の専門家の研究にゆだねるべきだ。繰り返していうが、強要されたり、当座をしのぐ誠意のないワンパターンのお詫びは、見苦しいばかりでなく双方にとって実りのない儀式に終わるということだ。 

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2009年6月23日 (火)

ヒトラーの戦争礼賛

 そして賢明なドイツ外交が一九〇四年の日本の役割(日露戦争を指す)を引き受けていたと考えてみよう。そうすればその結果がどれほどドイツのためになったか計り知れないのである。
 決して「世界戦争」にまでいたらなかったに違いない。

 一九〇四年の血は、一九一四年から一九一八年にかけて流した血(第一次大戦をいう)を十倍も節約したのだ。
 そうすればドイツは、今日世界でいかなる地位を占めていただろう。

 上記は第一次大戦5年後の1923年、暴動を起こした政治犯としてランツベルク要塞拘置所で執筆したとされるヒトラーの『わが闘争』にある一文(注記は管理人)である。戦勝国でさえ大戦のもたらした悲惨な結果を反省し、永久平和を模索している時期に、志願して兵士に加わった母国が無惨な敗戦の憂き目を見ながら、なお主戦派としての立場を変えることはなかった。

  その日露戦争に海軍軍人として参戦した水野博徳大佐が、第一次大戦後のドイツを視察した。そこで、人骨や散乱した武器がそのまま残る激戦地・ペルダンの要塞や廃墟のようなベルリンを目にし、「鉄槌を以て頭をうち砕かれ、利刀を以て胸を突刺された」ような衝撃を受けた。水野は自伝でこのようにいう。

 ――何が両軍の兵士をしてこのようにしたのか。彼らとて容易に生命を捨てたかったわけではあるまい。ただ、国家の要請の下に、妻子、眷属を捨て、己のいのちまでなげうったのだ<国家は多数国民の為には、少数国民の利益を犠牲とする権力を持って居る。

 彼らが死の戦場にかり出されたのも、多数国民の幸福を擁護せんが為であった。然るにこれ等の国家は多数国民の貧困を救う為に、少数国民の富を犠牲に供することを敢えて為さない。之は国家として正しい行為であろうか>(木村久邇典『帝国軍人の反戦』による)

 水野もまた、国家は最高の道徳なりというドイツ哲学を無条件に信奉していた一人であった。それがヒトラーと正反対に戦争への疑問を強く抱くようになったのだ。しかし日独双方とも、第一次大戦後の民族自決、国際連盟、国際労働法、軍縮、不戦同盟といった世界の潮流に背を向け、第二次大戦に突入して、そのまた十倍ではとてもきかない血をみたび流しすことになった。ヒトラー理論はもともと破綻すべき運命にあったのだ。

 ヒトラーは、ドイツの人口増大に対して、国内開発と出産制限では問題解決にならないとし、

 かくして増加する民族数に労働とパンを確保するには、ただ二つの道しか残っていなかった。
 三、人々は過剰な幾百万人を毎年移住させるための新しい土地を手に入れ、そして自給の原則で更に今後も養っていくか、あるいは、
 四、外国の需要のための商工業を起こし、その売上高によって生活をまかなっていくかであった。

と、二者択一をせまり「両者の中で、より健全な道は、前者であったろう」と結論づける。さらに「過剰人口の移民のために新しい土地や領土を求めることは、現在のみならず、特に将来を注視するならば無限に多くの利益がある」として、ドイツ東方への侵略政策を隠さない。

 日本にヒトラーはいなかったが、日露戦争当時、現在の半分にも達しない人口が昭和のはじめにかけて10年で1千万人も増えるなど「狭い国土に養いきれない人口」という認識は共通していた。そして第一次大戦後、満州での覇権獲得から蒙古、さらに北支へと大陸侵略に露骨さ増幅させた関東軍とそれを支える国内勢力が存在した。

 

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2009年6月22日 (月)

ティー・ブレーク2

 反戦塾はお茶の時間です。

 「早めし・早××」という言葉は、戦時体験のある人なら誰でも知っている。ゆっくり食事をしたり用をたしたりしていると、いつあるか知れない敵襲に身をさらすことになるということである。戦後は、ふかしいもなど人(兄弟)より早く美味しそうな大きいのに食らいつかないと満腹に遅れをとった。

2009_06210003  そのせいか、いまだに人より食事が早く終わってしまう。自然、お茶をいれる担当大臣は小生の拝命となる。おいしく出すには年期が入っているだけに自信があるが、ひとつ困ったことがある。写真右の急須、伝統的スタイルの名器?だが、注ぎ口から下辺に伝わる一本の白い線――。

 お茶の葉が目詰まりをすると吐出量が急に減り、お茶は茶碗に落ちず白い線を伝わってテーブルの上を洪水にする。「ふきん、ふきん!」と叫ぶ腹立たしさはいかんともしがたい。そこに、あるブログァーの方からお知恵をいただいた。

 写真左のタイプである。ありそうでどこにでもあるというわけでなもく、ようやく気に入ったものがあった。値段は3000ウン百円。容器と同じ口径の乳房形金属製網がぶら下がっているが底までは達していない。だからこした茶は一旦底に落ち、それが抵抗なく注ぎ口にでてくる仕掛けである。

 こうして、わが食後には平和が戻った。そういえば、戦後、昭和30年代ころまでの労働組合婦人部の要求定番は、「お茶くみ反対」、「生理休暇完全消化」だった。折しもニュースが失業率5%台の最悪水準に、といっている。

 かつて、首切りは文句なしのゼネラルストライキ突入だった。今はあまりそういうことを聞かない。労働組合の弱体化は、古い急須のように全く閉まらない話だ。茶化すわけではないが、正直、日本経済のためもっと強くなってほしい。

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2009年6月20日 (土)

ヒトラーと優生学

 臓器移植法改正案が18日に衆院本会議で採決された。海賊対処法案や国民年金法改正案もすでに周囲を通過、参院で否決されたものを19日の衆院3分2再可決で法が成立した。いずれの法案もマスコミ報道で「議論が不十分のまま」とか「国民の議論が尽くされていない中で」といった形容詞がつくのがこの頃の常態になっている。

 今回はヒトラーが『わが闘争』の中で人命や遺伝を論じている中から、一部を文末に紹介する。臓器移植法を考える際、かつて議論された優生学的見地や自然淘汰などをどう考えるか、とも関連させながら考えるべきだと思うが、「優生」がヒトラー、さらには人種差別、ジェノサイドと結びつけられ、優生学そのものがすっかり悪者にされて議論から遠ざけられた印象が避けられない。

 優生学とは、人類の遺伝的要素を改善することを目的として悪質な遺伝形質を淘汰し優良なものを保存することを研究する学問で、ヒトラーが生まれる前、1883にイギリスで始まった。日本でも学問として戦後まで続いていたものの、1948年に成立した「優生保護法」が、96年に「母体保護法」と名前そのものをかえてしてしまう。変更の中味自体は妥当性があるが、学問の基本となる自由な発想や、純粋な研究まで封印してしまう傾向があるのはどうかと思う。

 以下、ヒトラーがオーストリアからミュンヘンに移住した1912年以降の自伝の中に書き込んだものである。しかしこの頃はまだ、優生学とユダヤ人の大量虐殺を直接結びつけるような考えが表にでてこない。

 (前略)人間は生殖を制限するが、しかし一度生まれたすべてのものをどんな代価をはらっても維持しようとし、ひきつけんばかりにいっしょうけんめいになる。神の意志を訂正することが、かれには人間的であると同時に賢明であるように思える。

 そうしてもう一度ある点で自然を凌駕し、自然のたらないところを証明したと喜んでいる。もちろん実際には数を制限したが、これに対し個々の価値は低下されたのだということを、神の愛すべき小猿はもちろん好んで見ようともしなければ、聞こうともしないのである。

 というのはひとたび生殖自体が制限され、出生数が減少するやいなや、最も強いものや最も健康なものだけしか生きることを許されない自然的な生存競争の代りに、最も弱いものや、それどころか最も病弱なものも、どんな代価を支払っても「助け」ようとする当然の欲望、また自然と自然の意思を軽侮することが長ければ長いほどますます悲惨なものとならざるをえない子孫のために胚を残しておこうとする当然の欲望が、生ずるのである。

(前回までのヒトラーのシリーズは、カテゴリ「歴史」で見てください)

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2009年6月19日 (金)

情報錯乱

 新聞紙上に飛び交う内外の情報は、ブログ記事を書く上で欠かせない。しかし、関心ある記事がすくなくとも、また、逆に多すぎても何にするか迷ってしまう。それと、関心があっても記事の信憑性が疑われるようなものは敬遠せざるを得ない。

 それが、中国における北朝鮮情報である。これまで「白昼夢」という題で国連安保理決議後の動きを占った記事を書いたため、「白昼夢その3」まで続けてしまう羽目になった。さすが今回は「白昼夢その4」とする元気はない。もう今日はやめにしようかとも思ったが、それもあとを引くようで気分が悪く題を「情報錯乱」とした。

 錯乱情報その1は、中国共産党機関誌・人民日報が発行する『環球時報』が、平壌に駐在する某国大使から北京で取材した話を載せたという記事である。それによると、金正日総書記の健康状態が「大きな問題が発生し、ひどい状況にある」ため、三男・正雲氏が後継者に決まったというものである。

 各紙とも、このような両国間の重要かつ踏み込んだ問題を外国人からの取材で取り上げるのは初めてであるとしており、大使が情報をわざわざ北京まで来て本国に報告しなければならないほど北朝鮮の情報管理が厳しくなっていることも伝えている。

 錯乱情報その2は、金正雲氏が訪中したという朝日新聞報道を中国外務省報道局が否定したことである。それを毎日新聞はこう伝える。

 (前略)秦副局長は16日の会見で、「そのような状況は承知していない」と答えていたが、朝日新聞は、さらに18日付朝刊1面(同)で「正男氏も同席」と金総書記長男の正男(ジョンナム)氏も会談に同席していたと続報を掲載した。

 18日の会見で秦副局長は「日本の方々は東洋の含みのある言い方が理解できるに違いないと思っていた。まだ理解できないようなら今日はもう一歩進めて事をはっきりさせる」と前置きしたうえで、「私も関係メディア(朝日新聞)の報道を読んでみたが、まるで(スパイの活躍を描いた)『007』の小説のようだと思った。彼らが次のシリーズで何を書くのか、私には知る由もない」と述べた。

 中国外務省の会見について、朝日新聞社広報部は18日、毎日新聞に「ご指摘いただいた北朝鮮についての一連の報道は、確かな取材に基づき記事にしたものです」とのコメントを出した。

 朝日新聞は記事の中で取材先を複数の北朝鮮関係筋としており、金総書記と近く北京との接触の多い人物だとしている。また韓国の朝鮮日報は、日本の取材競争の過熱ぶりをつたえ、朝日の記事は「誤報」をにおわせるような表現で記事を載せている。

 ちなみに、朝鮮日報は毎日新聞と提携関係にあるが、公正に見て朝日新聞の記事には多くの疑問が残る。ただ、その直前に伝えられた韓国KBSテレビの「正雲側近による三男・正男暗殺計画と中国官憲の身辺保護」報道が正雲訪中とされる日に近く、何かの動きがあったのかな、という気がしないではない。

 その点をのぞけば中国の対応に大きな矛盾があることになる。最初に書いた某国の駐北朝鮮大使から入手した情報をリークしたような、中国の北朝鮮に対する情報提供への不信感がある一方、国家元首である胡錦濤主席に面会し、国内何カ所かの工場見学をするような公式訪問を極秘にするように要求されて、それに唯々として従うというのはおかしい。事前に相当緊密な打ち合わせがなければならないはずだ。

 さらに、朝日新聞が相当細かな行程、宿泊場所、それに正男の参加など追加情報まで得たとすると、任意で得た情報というより、何らかの情報錯乱のためしかけられた工作のような気がしてならない。全くの素人は、歴史とか場所とか前後のかかわりなどいろいろなニュースの中から真偽を見極めなくてはならない。

 このニュースは、解釈とか言った言わないなどの話ではなく、いずれ結果がはっきり出る問題である。これを取り上げた朝日新聞編集幹部の英断と勇気に敬意を表するとともに、もし誤報だったらどう責任を取るのだろうと思ってしまう。  

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2009年6月18日 (木)

党首討論

 イランでは、大統領選のTV討論が大いに盛り上がり、投票率がピンと跳ね上がったという。さらに投票に不正があったのではないかということで、国をゆるがすデモさわぎが今も続いている。その点、日本の選挙管理委員会はしっかりしているので、国民は幸せである。

 ところが、昨日おこなわれた党首討論、近々行われる選挙でどっちかが次期総理大臣になるはずなのに、国民は冷ややかでちっとも盛り上がらない。新聞で見る識者の評判も、両党首の討論内容と同じで肺ふをえぐるような感動が全くでてこない。まことに不幸なことである。

 かといって一方通行の、劇場型選挙ははもうこりごりである。だが、あの党首討論だけはなんとかならないか。同じ形の演台を30㎝ほど間隔をあけて相対し、発言の度に立ったり座ったり。それだけで何とも滑稽に見えてしまうのだ。

 そもそもの発案者が小沢一郎さんだったというが、ああいった舞台仕掛けで、演説でもなし座談でもない、紋切り型のこんにゃく問答をするのが恥ずかしくて逃げてまわっていたのではないか。せめて、日曜に多く行われるTVの政治討論ぐらいの内容にはできないのか。

 それは無理。「党首討論」というのは俗の名前で、実は「国家基本政策委員会合同審査会」というのが正式なのだ。つまり、国会の予算委員会の変形のようなもので、形式にとらわれ、くだけた形にはできない仕掛けになっている。あれでは発言の鮮度や両者の人となりなどがどうしても後退してしまう。

 だから、両党首が自己主張を前面に出して自由な雰囲気の中で議論を高め、そこから国民が判断材料を得るという場にはなってこない。盛り上がらないのは彼らの責任ではない。前回はヤジがひどくてひんしゅくを買い、今回は自粛したようだが、すこしでも盛り上げようとした傍聴者の工夫だったかもしれない。

 国会は大相撲ではない。伝統的なしきたりやしぐさなど必要ない。メディアなどの意見も聞いて国民の要望に応えられるよう、大幅改革をしたらどうだろう。

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2009年6月17日 (水)

ヒトラーと民主主義

 第2次世界大戦を引き起こし、大量虐殺であまりにも悪名高いヒトラー。歴史に「もしも」はないが、彼の存在がなければ日本も大戦にまきこまれることがなかってかも知れない。彼は偏執狂なのかあるいは変人なのであろうか?。

 また、どうしてドイツ国民は彼を指導者にしてしまったのであろうか。彼については知っているようで知られていない面が多いように思う。前回の「ヒトラーと歴史教育」に続き、彼の生い立ちや思想遍歴を見てゆく。

 彼の生まれ育ったところは、オーストリア帝国である。当時の帝国内には9言語を話す16の主要な民族グループ、および5つの主な宗教が混在していた(Wikipedia)。その中で彼はドイツ民族グループにいたわけだが、長ずるにしたがって、自らの位置をたしかめる意味から民族問題を深く考えるようになったのであろう。

 「議会制民主主義」や「政党政治」などは、現在なお日本ではキャッチフレーズとして健在だが、ヨーロッパでは第一次大戦前、すでに日本も憲法で手本にしていた立憲君主制度の中で確立していたのだ。ヴィーンで職探しをしていた若きヒトラーがそれらをどう見ていたか。まず、マルクシズムについては『わが闘争』でこう書いている。

 マルクシズムというユダヤ教的学説は、自然の貴族主義的原理を拒否し、力と強さという永遠の優先権のかわりに、大衆の数とかれらの空虚な重さとをもってくる。マルクシズムはそのように人間における個人の価値を否定し、民族と人種の意義に異論をとなえ、それとともに人間性からその存立と文化の前提を奪いとってしまう。マルクシズムは宇宙の原理として人間が考えうるすへての秩序を終局に導く。

 マルクシズムとユダヤを並列に置いた発想は論理性に欠けた粗雑なものだが、個よりインターナショナルな連帯性に固執する点を共通項として見たのだろう。その前に、欧州人が伝統的に持つユダヤ人に対する嫌悪感も隠そうとはしていない。そうして、民主主義や議会についてはこう見ている。

 民主主義のこの発明は、最近になって真の恥辱にまで発展した特性、すなわちわれわれのいわゆる「指導者たち」の大部分の卑怯な特性に、最もぴったりと応ずるのだ。いくつかの重要なことをすべて実際に決定するばあいに、いわゆる大多数というスカートの影にかくれることができるのは、なんと幸福なことだろう。(中略)

 実際、一つだけ決して忘れてはならないことがある。すなわち多数は、このばあい、決して一人の人間の代理ができない、ということである。多数はいつも愚鈍の代表であるばかりでなく、卑怯の代表でもある。百人のバカものからは一人の賢人も生まれないが、同様に百人の卑怯ものからは、一つの豪胆な決断もでてこない。

 ここまで見てくると、日本の現在の万年野党とか、総理大臣を言っているのではないかと錯覚しかねない。おまけに、民主主義は無駄な時間を費やし手続きが厄介で、決してカッコよくない。たしかにヒトラーは真相の一面をついているのだ。

 それでも、それでもなお民主主義がいい理由は何なんだろうか。今こそじっくりと考えてみたいことだ。 

(前回までのヒトラーのシリーズは、カテゴリ「歴史」で見てください)

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2009年6月16日 (火)

白昼夢その3

 2週間前に書いた「白昼夢」が、その3、までゆくとは思わなかった。そこで、このところの北朝鮮の“瀬戸際外交”が、これまでとは違う何か不気味なものを感じるような書き方をした。金正日健康不安と後継者問題があるからだ。

 続けて「中・朝の現実」と「白昼夢その2」を書いたが、今日(6/16)入ったニュースは、日頃の北潜入レポートなどと違って聞き捨てならぬものがある。それは、朝日がトップで報じた金正雲の訪中と胡錦濤主席との会見と、各紙が韓国KBSテレビの報道として伝えた、長男・金正男の暗殺計画発覚である。

 後者については、前のエントリーでその可能性に触れたが、亡命・失脚はともかく、暗殺についてはややぼかして書いた。いくら世界から数十年は遅れている国とはいえ、後継者候補として世界で最も知られている顔である。簡単にバレルような暗殺計画を立てるとは思えない。

 韓国・KBSはNHK同様公共放送である。だから正しい情報とは言えないが、日本のどこかの民放のように金正雲の近影と称するとんでもないガセ写真をつかまされ、大恥をさらすようなことはないだろう。一抹の不安は残るが、仮に大筋で合ってるとしよう。

 その中で問題なのは、「計画に金総書記は関与していない」という点だ。これは、金正雲側近が三男に対する忠誠心競争に先んじようとして独走した計画だとしても、金正日総書記の指揮・命令が利かなくなっているという証拠ではないか。

 それならば、いつ軍事的暴発が起きてもおかしくないことになる。また前にも触れたがオーストリアの皇太子暗殺で第一次大戦が始まったように、仮に正男暗殺にでもなれば、当事国である中国・北朝鮮間に戦闘が起きる原因にもなり得る。

 次ぎに、三男正雲が金総書記の特使として訪中したという朝日の報道である。後継決定を告げ、最近の外交問題について話し合い、広東省深セン、広州も訪問し、ハイテク工場などを視察したというおまけまでついている。

 飛行機で北京に行っているというので、飛行機がこわい金正日と違ってお召し列車が目撃されるということはないだろう。しかし、工場見学までしていればネット情報の発達した国だ。いずれ真偽は明らかになる。それにしてもこの段階に至ってまだ後継者発表を控えている理由がわからない。2年後の金日成前主席の生誕100周年に合わせて発表というのも、金正男暗殺計画と同じくらいわけのわからない話だ。

 

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2009年6月15日 (月)

ヒトラーと歴史教育

 この題は、当ブログの前身「反戦老年委員会」が05年8月に取り上げたものである。当時、小泉政権のファッショ化や、急速な右傾化が警戒されはじめた頃で、続けて掲載した「ヒトラーの宣伝術」とともに、ご好評をいただいた記憶がある。それを見直して一部を補強し、ヒトラー・シリーズとしてみたい。なお、引用に用いたヒトラーの自著『わが闘争』は、平野一郎・高柳茂訳(黎明書房)によるものである。

 ヒトラーに関する研究・解説書は、内外を問わず多数あるようである。しかし『わが闘争』こそ、同書の訳者が序言で言うように、「極端な国家主義、なかんずくプロイセン=ドイツ的軍国主義という大前提に支えられた、単純でしかもしばしば飛躍はあるが、大衆説得をもつ論理」を見抜く、格好の資料であることは間違いない。

 彼は、歴史が大好きであった。『わが闘争』に、彼が後年立ち至った業績にとって、2つのすぐれた事実が特に重要であると言っている。すなわち、
 第一に、わたしが国家主義者になったこと。
 第二に、わたしは歴史を、国家主義的意味で理解し、解釈することを学んだこと。
のふたつで、歴史については、中等学校の15歳の頃「わたしはこの教師のおかげで歴史が大好きな学科になった」と回顧している。その歴史について彼はこう言う。

 わたしが幸いにも歴史についてひとりの教師を得たことは、その後のわたしの全生涯に対して決定的な影響を与えた。(中略)この教師は現代から過去を解明し、また過去から現代に対する因果関係をひきだすことを知っていたので、幸福もそれだけ大きかった。
 
 さらにまたかれは、他の教師以上に当時われわれを夢中にさせていた時事問題のすべてについて説明してくれた。われわれの小さい国家主義的熱狂が、かれにはわれわれを教育する手段となった。つまりかれは、一度ならず国家主義的名誉感に訴え、それだけで他の手段を用いるよりはるかに早く、われわれ悪童どもを手なずけることができたのだった。 

 しかし、学校での成績は、図画と体操、歴史を除いてはよくなく、無断欠席などもあって途中退学を余儀なくしている。また、24歳になってミュンヘンにやってきた頃、図書館に通い詰めて読書に熱中していたことが知られているが、その内容についての評価は至って低い(大澤武男『ヒトラーとユダヤ人』)。

 それは、「マルクシズムとユダヤ人との関係をいっそう徹底的に吟味するようにした」という彼自身の発言が物語っている。もちろんヒトラーの独学がきわめて偏見と独断に満ちていたことは明らかで、その読書方法も自分の思考や考え方に合うものを選択し、そうでないものは無視していたようである。

 反面、かれは、前述の歴史教師と同様、大衆を把握し組織する抜きんじた才能の持ち主であったことは多くの研究者が共通して認めるところである。

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2009年6月14日 (日)

何だ!これは?

 よく見ると、まん中はまるで北朝鮮のテポドン発射だ。
 テッセン?、クレマチス?。
 図鑑を見るが、似たようなものが見つからない。
金木犀さんからコメントで教えてもらいました。「トケイソウ」というんだそうです。いつもお手数かけます。ありがとうございました。flair

2009_0612  近所の民家の塀で咲いていた。金正雲クンの花として贈ったら、デヴィ夫人のように招待状がくるか

も。

2009_03040001  ついでだから、以前掲載して評判がよかった沖縄のコノハチョウも再掲しておこう。

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2009年6月13日 (土)

戦後の10年

  加害者の人権ばかりを尊重し

 橋下大阪府知事がかつて人権派弁護士を攻撃した時の句ではない。活動写真弁士から戦後は名声優として鳴らした徳川夢声の60年以上も前の作である。出典は『粋人随筆』(緑地社)で、筆者はお医者さんの吉田機司さん。昭和30年に出版され、戦後10年の世相を川柳その他をまとめた類書がほかにもいくつかある。以下、*は同書の引用である。

 *敗戦後の食料不足で遅配欠配がつづき、どちらさまも青瓢箪になっていたころ、留置場の中ではのうのうと三食を食べていた。そのころの句である。

 おそらく、「人権」を盛り込んだ新憲法が国会で議論になり、「国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね」という食料デモのプラカードが不敬罪にとわれた、昭和21年のことであろう。

 その「新憲法」についても3、4句紹介されているが、やはり腹の足しにはならないとか、「9条は親子で意見が食い違い」というさめた句が多い。9条は親が反対したのか子が反対したのかわからないが、両方ともあり得ただろう。憲法は川柳にはなじまない題材だったかのも知れない。

 このところの政治関係のニュースは、日本郵政の社長をクビにするといっていた総務大臣が、逆にクビになるなど内閣の失態もあって、近づく都議選や地方の選挙が急に注目されるようになった。

 *ことしは選挙の当たりどしである。選挙の傑作はなんといっても地方選挙にある。この前の地方選挙にはこんなのがあった。熊本県玉名郡玉水村の村長選挙に立候補した某候補は、開票の結果ただの一票。「はて、女房のやつ一体だれに投票したんだろうか」

 具体的な地名まであげているので、全くウソとも思えない。次の話も、その後まだまだ続編があり、肝炎入りの血液製剤などもっと大規模で国が謝罪しなければならないような事件まで起きた。医療詐欺事件なら今でも日常茶飯事だ。

 *数日前の新聞に、血液協会につとめていた廿四歳の青年が、今度は自分で無免許の開業をして、黴毒の血液検査証を偽造して会員にもたせ、その血液を売っていた記事があった。

  輸血して命拾って鼻が落ち

 黴毒は梅毒とも書く。その当時はまだ駆逐されていない性病として恐れられ、潰瘍で鼻が欠けるなどといわれた。したがって売春禁止法がなかった時代でも免許のない売春婦と交わる時には、その覚悟が必要だったのである。

 世情、現在と同じようでもあり、全く違うようでもある。さて?。

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2009年6月12日 (金)

お寺改革

 「真間山弘法寺」、マイナーとはいえこの地では名刹である。開基は平安時代というが、寺運が隆盛に向かったのは、鎌倉時代に日蓮宗に改宗してからであろう。
2009_06120006  右の写真は無縁仏の山、「享保十乙巳十一月」とある。もっと古い石造物もごろごろしているのだが、半跏像が可愛いのでこれにした。アメリカの独立宣言より50年以上前のものである。

2009_06120005  さて、次の写真は祖師堂工事、日蓮宗以外では金堂にあたる寺の中心をなすお堂の改築現場である。看板には「浄財勧募中」とあった。このお寺は、日頃文化講演会や町のイベント起こしその他の活動にも積極的である。

 隣には、すでに改築が終わった鉄筋コンクリートの立派な寺務所が、辺りを払うように建っている。なまじっか国宝や重文でないので、祖師堂も鉄筋コンクリートになるのかも知れない。まあ、これも平成文化なのだから文句をいう筋合いではない。

2009_06120008  さて、この原資はどこから生まれるのだろうか。次の組み写真が物語る積極的なスクラップ・アンド・ビルド。これこそ近代経営に欠かせないモチベーションである。しかし、それだけではスウッと頭に入ってこない。

 やはり、相当高額な喜捨がなくてはならない。そこに、いきなり不逞な連想が飛び込んでしまった。統一教会系の霊感商法の手口である。先祖の供養にといって、庶民なら一生かかっても容易に作れないような貯金を女性からまきあげ、印鑑を買わせたというあの事件である。

2009_06120012  このお寺では、定期的な宗教講話や講座なども以前から続けて、正しい信仰を身につける努力を払っている。したがってそれなりの浄財を集めることができたのだと思う。しかし、縁なき衆生。まだ不思議に思うことがある。

 寺院に限らず、家の近所にあるお地蔵さんが最近どんどん新しいものに代わっていることは、以前書いた覚えがある。どうやら私より若い人の発願らしい。すこし前のことで手元にないが、心霊や死後の世界などの存在について、世代間に差があるという研究結果を新聞で見た。

 私は、その中の「戦争世代」に入るのか「戦後第1世代」に入るのか知らないが、そういったことを真っ向から否定し、科学的であることに最高の価値を見いだす人種である。つまり、「鉄腕アトム」の「科学の子」だ。

 これは、皇国史観、神話教育の反動かも知れない。昭和天皇と同じ「日本は科学でアメリカに負けたんだ」という発想に通ずる。ところが、世代間では、団塊の世代からあと、心霊・来世肯定派がぐんと増えて、その傾向はより若い人まで続くのだそうだ。

 そういえばテレビの番組にそのようなものが増えたり、オウム真理教に高学歴、しかも理系の信者がいることを不思議に思ったりした。宗教と奇跡と心霊、はからずもそういったことに思いをいたす今日の散歩になってしまった。

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2009年6月11日 (木)

アーミテージは去れ!

 ここしばらく顔を見ないでせいせいしていたのに、またもやらかしている。昨日(10日)東京都内で講演し、北朝鮮に対し先制攻撃をする可能性につての発言だ(毎日新聞)。それは「米国や韓国、日本に対し差し迫った攻撃の兆候があるという精度の高い情報があった場合だ」としている。

 「制度の高い」ニセ情報でイラクを攻撃し、自国兵4000人のほか多くの人を死なせたブッシュ政権の国務副長官をつとめた彼は、パキスタンを「石器時代に戻りたいのか」と戦争に加担するよう脅したり、日本には「ショー・ザ・フラッグ」といつたニュアンスで協力を要請した人物として有名だ。

 当ブログは、ここのところ「白昼夢」「中・朝の現実」「白昼夢2」「軍縮先進国を主導する党は」と立て続けに北朝鮮問題を掲げ、アメリカによるものであろうと先制攻撃をすれば、反撃を受けるのは日本・韓国であり、アメリカは涼しい顔をしていられると説いた。

 日本の自民党ですら、先制攻撃は自制すべきものという方針案をまとめたばかりである。アメリカの先制攻撃は日本や国連の承認を取ってからやるわけではない。アーミテージは知日派といっておだてられ、リップサービスをしたつもりなのだろう。

 また、国内でも日本属国化指向の面々は、思考停止でこの発言を評価するだろう。しかし日本政府は米軍基地をかかえる日本立場をふまえ、日本国憲法や日米安保条約に基づかないアメリカの先制攻撃をしないよう、アメリカに釘をさしておくべきだ。

 まあ、アーミテージもいうように、現実的な問題ではない。しかし、その発言が日本にどういう影響をもたらすかまで考えているかどうかは疑問だ。とにかく一刻も早く日本を去り、二度と日本にこないでほしくい。

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2009年6月10日 (水)

軍縮先進国を主導する党は?

 今日(10日午前)、衆院に続き、参院がクラスター爆弾禁止条約を批准することを可決した。当ブログではノルウェー主導で国際会議が始まって以来、消極的であった政府自民党の方針を攻撃、ささやかな論陣を張ってきた。

 これで、主要国ではドイツに次ぎ2カ国目、世界で10カ国目の批准となる見通しである。非政府組織(NGO)や有志国主導の軍縮条約を日本が批准するのは、98年の対人地雷禁止条約以来2度目となる。この早期批准が日本の軍縮への強い意欲を国際社会に示したことになるかどうか、安倍内閣当時、条約締結の足を引っぱってきたいきさつから疑問が残る。

 この点、禁止賛成に大きく舵を切った福田内閣を高く評価したい。いまや米・ロ・中国などの大量保有国に条約賛成を積極的に働きかける立場に立っている。これも今日のニュースだが、国際原子力機関(IAEA)の次期事務局長を決める出直し選挙の模擬投票で、日本人候補が最高得票を得たということだ。
 毎日新聞によると、9日のウィーンのIAEA本部による模擬投票で、候補者5人に対して理事国(355カ国)が投票し、日本の天野之弥(ゆきや)ウィーン国際機関代表部大使(62)が最高の20票を得た。

 ただ実際の事務局長選出には、理事国の3分の2の支持(24票以上)が必要で、それには届かなかった。模擬投票は各国の支持の動向を確かめる目的で選出における拘束力はない。本選挙は来月上旬に実施されるとのことである。

 これが仮に実現し、オバマ大統領が国連議長などと連れだって広島を訪問し、日本政府が核の傘論を凍結して核廃絶にスクラムを組むようにでもなれば、ようやく世界も軍縮先進国として日本を注目するようになるだろう。もうひとつ同紙の報道をあげたい。自民党国防部会の動きである。

 自民党国防部会の防衛政策検討小委員会は9日、年末の「防衛計画の大綱」(防衛大綱)改定へ向け、敵基地攻撃能力の保有を求める提言案を正式決定した。党国防部会・安全保障調査会・基地対策特別委員会の合同会議でも了承。週内にも麻生太郎首相、浜田靖一防衛相らに提出する。

 敵基地攻撃能力の保有については山崎拓前副総裁らから慎重意見が出ていたが、「予防的先制攻撃は行わない」との文言を入れ、ミサイル発射が差し迫っている場合など「自衛目的」に限られることを明確にした。浜田防衛相は9日の記者会見で「敵基地攻撃ができることになり、その後にくるものは何かということを考えれば、慎重になるのは当たり前だ」と改めて否定的な考えを示した。【仙石恭】

 専制攻撃について、自衛上それしかない場合は国際法上認められる、という論理は、今でもアメリカをはじめまかり通っている。しかしそれは、核ミサイルなどない過去の戦争論で、現在では核保有国が非保有国に対してのみ通用する制覇の論理にすぎない。それが非常に危険をはらむということを、前のエントリー「白昼夢」でひとつの例としてあげた。

 自民党内部では、阿倍残党を中心とする軽率な主戦派が依然として執拗に復権をたくらんでいる。しかし、同じ党内でも、防衛族である山崎拓氏や石破・浜田、元・現防衛相など、現実に根ざした慎重意見が健在であることも示している。

 最近の当ブログの結論がいつも同じ所へ行ってしまうので、いささか気がひけるのだが、日本を軍縮先進国に誘導することができる党はどこなのだろうか。民主党も前原・小沢・鳩山と党首が替わり、外交・防衛政策でも微妙に変化しているように見えるが、自民党に優るものという証拠がでてこない。

 いよいよ選挙も差し迫ってきた。軍縮先進国指向を公約に掲げ一歩先んじるのは今しかない。目先の泥仕合と支持率にしか関心を持たない低空飛行の日本政治でなくなるのはいつのことか。アメリカのオバマ効果は望むべくもないが、まだ間に合うと思いたい。

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2009年6月 9日 (火)

ティーブレーク

 「反戦塾」はお茶の時間です。以下は、すべて唐木順三『千利休』(筑摩叢書)からの引用です。

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2009_06090002  わびは元来、対比においてなりたつものであった。豪奢に対し、また過剰にに対して、意識的に自己を対比するのがわびであつた。あるときはそれが失意の形をとり、落魄の感情をともなつた。あるときはみづからの閑居をたのしみ、俗人の知らない出世間の簡素を楽しんだ。

 然し対比である以上、そこに何等かの気取りをまぬがれない。わびた心によって、対比の対照を批評し、また評価するといふ性格をもつ。秀吉と利休との衝突もそこから当然に起きてきたものであつた。

 利休の場合、当の相手は関白であり、絶対権を握つてゐるものであつた。権力者への批判、評価は死を賭しての行為である。利休の茶が、また一般に彼の行為が、はげしく「たぎつた」ものであつたのはそのためである。生死を賭けての茶であつたわけである。

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2009年6月 8日 (月)

白昼夢その2

 当塾は、先週北朝鮮情勢に関連して「白昼夢」と「中・朝の現実」の2本エントリーした。外電などをウォッチしていると、まさかという時、まさかという形で戦争が始まる。湾岸戦争(イラクのクウエート侵攻)も、今度のイラク戦争もそうであった。

 しかし、その前に当事国間の応酬、つばぜり合いが間断なく報道され、予兆がないわけではない。ただ、戦争は「国家の大事」なので、どこでいつ誰と戦かうかは、当事国の首脳の胸の内ひとつ、ほかから推し量ることはできない。

 いつも、北朝鮮、中国脅威論に水をかけている当塾であるが、今回は、「意外に戦争は近いかも」と言ってみるつもりである。7日のテレビ朝日「サンデースクランブル」では、北朝鮮の金正日の後継者から脱落した長男の金正男が亡命するかも知れない、という話を興味本位で放送していた。

 例によって、わけ知り顔のゲストコメンテーターが、北朝鮮の異状ぶりと日本が標的にされているという脅威論を、繰り返し放映され見飽きた映像をバックに強調する。これに対して常連で出てくるテリー伊藤と黒鉄ヒロシが「ここで言うのもなんだが、チョットこういう番組多すぎるんじゃーないの(正確ではない)」といったのには笑っちゃった。

 彼らもしたり顔でそのような企画につきあうことに、さすがあきあきしていたのだろう。局側の困惑ぶりとゲストコメンテーターの憮然とした顔がアップされたのは、生でしか味わえない名場面だった。それは別として、金正男の亡命、失脚はあり得る。かつての世襲王朝では暗殺・謀殺が常識といっていいほどで、日本の天皇家も例外ではなかった。

 金正男が活躍の本拠にしていた中国は、また大きな難問を抱え込んだことになる。その扱い方ひとつで中・朝間に思わぬ緊張をもたらすかも知れない。田中真紀子元外相が、厄介払いしたような簡単な問題ではない。皇太子暗殺で第一次大戦は起きた。今、北朝鮮に一番脅威を感じているのは中国であると言いたい。

 北による日本・韓国への脅しは、国内向けプロパガンダと、瀬戸際外交のダシに使っているだけだ。アメリカは歯牙にもかけないふりを装っている。むしろ脅威を感じているのはほかならぬ中国なのだ。中国が国連安保理決議で、公海上の船舶臨検回避にこだわっているのは、北朝鮮が可愛いからではない。

 臨検を強行するとすればアメリカしかない。そこで、軍事衝突が起き、アメリカがそれを口実に先制攻にミサイル発射基地や核関連施設を攻撃し、平壌に中国から全くコントロールが利かない親米政権ができて、将来韓国と一体となった核大国にでもなったらそれこそ脅威だ。

 それでなくとも、ミサイル発射基地は攻撃目標になりやすい。東倉里など、中国国境に接近した場所に中朝距離弾道ミサイル基地を作り、国連決議を無視してそこから発射実験などされたら、大迷惑どころがとばっちりさえ受けかねないのだ。

 ミサイルはどの方向にも向きを変えられる。そのようにはならないという保証はどこにもはない。アメリカが中国と境を接するインド、パキスタンの核兵器保有を黙認していることも懸念材料となる。そんなことにはなり得ない、とおっしゃる方、中国が経験した直近の戦争を思い起こしてほしい。

 それは、ちょうど30年前の79年2月に起きた中越戦争だ。ベトナム戦争でアメリカに勝ち抜いた北ベトナム(共産党政権)に中国が攻め入った。原因はいろいろある。支援していたカンボジアのポルポト政権に、ベトナム軍が干渉して勢力拡大を計ったとか、華僑が弾圧を受けて難民化したことがあげられている。

 しかし最大の理由は、さきの記事でも触れたように、核戦争すら辞さないという中ソ間の関係悪化である。アメリカが去ったあと、ソ連は海軍力を駆使してベトナムに急接近した。ベトナム戦争を国境を接している中国が支援したことは、それより前、朝鮮戦争で中国が北朝鮮に義勇軍を派遣したことに似ている。

 そのベトナムを、今や最大の仮想敵国であるソ連が軍事的支配権をにぎるようなことはどうしても避けなければならない。ここで人民解放軍の威力を示しておかなければならない理由があったのである。中国はその前に着々と外交上の手を打ってあった。

 78年8月の対日平和友好条約締結、79年1月の対米国交回復、その他東南アジア各国の理解を得ることなどである。これも、今回の北朝鮮の愚行に対し、制裁決議に精一杯日米その他各国と歩調をあわせる努力をしていることに似ている。つまり大義を手にしておきたいのだ。

 こう見るとあと何らかの動機が作用すれば、中国が動き出す条件が整う。前回「中国の堪忍袋の緒がきれたら」というような表現をしたが、それが何であるかわからない。3度目の核実験やミサイル発射かも知れないし、6カ国協議完全離脱、あるいは金正男の扱いで中国の威信を傷つけるようなことかも知れない。

 中越戦争は中国側5、6万人の死者を出しながら1カ月で終息した。北朝鮮と戦火を交えても限定戦争となるだろう。北朝鮮にとって悲劇的なことは、息の根を止められるようなことはなくても、どこからも支援が受けられないことに加え、金正日王朝は確実に崩壊するだろうということである。

 全く素人考えのシナリオかも知れない。しかし外交はアメリカ頼み一本槍で、今後のさまざまな国際環境の変化・動きに対応できる確固とした方針を持たない日本の現状を憂慮して、あえて今日のブログの題目にしてみた。

 

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2009年6月 6日 (土)

オバマ演説とコーラン

毎日JP(6月5日)より
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 オバマ米大統領の4日のカイロ演説では、イスラムに対する否定的な固定観念を改める決意を表明すると同時に、イスラム側の対米意識の問題点も指摘するという、「配慮」と「率直さ」が目立った。イスラム世界から価値観の「押し付け」などを批判されたブッシュ前政権との違いを際立たせる意図がにじむ内容だった。

 オバマ氏は演説で、イスラム世界がギリシャ・ローマの古典文化を守り、欧州の文芸復興(14~16世紀)や啓蒙(けいもう)運動(18世紀)へ道を開いたと言及し、その歴史的貢献を称賛。イスラム教の聖典コーランから3回も引用し、相手の文化を尊重する姿勢を示した。
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『コーラン』井上俊彦訳・岩波文庫より

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 これこれ、そこな者ども、汝らは彼が好きらしい、向こうでは汝らのことなど好きでもないのに。汝らは勿論、聖典は全部信じておる。ところが彼らは、汝らに面と向かえば「我々も信じている」、などというくせに、自分たちだけになると憤怒のあまり汝らに向かって指を噛む。

 言ってやれ、「怒り狂って死んでしまえ。お前らが胸の中でどんなことを考えているかアッラーはすっかりご存知だぞ」と。汝らに幸運が訪れれば、それで彼らはくやしがり、不幸が襲ってくれば、それで彼らは大喜び。だが汝らさえ忍耐強く我慢して、神を畏れかしこんでおれば、彼らの悪だくみも全然汝らには歯も立たぬ。彼らのしていることはアッラーが全部ご存知だから。
********************

 オバマ演説は、いつも多くの人に感動を与える。上の二つの引用は別に他意はない。なお、コーランの中の「聖典」とは、ユダヤ教・キリスト教が奉じる「聖書」のことである。これで見てもムスリムが手放しでアメリカを信用するようになるというのは幻想に近い。

 また、アメリカには、平和と和解のために反省をこめて歴史を正視しする動きに対し、「自虐史観」とか「媚回派」などとわめき立てる反動分子がいるのかどうかわからないが、オバマ演説に対して厳しい制約がかかることは充分察しがつく。

 オバマ演説は表面の華やかさとは裏腹に、狭いいばらの道をたどることになるだろう。これを空中分解させないように、せめて日本だけはブッシュ――小泉連携の罪滅ぼしに、核廃絶をはじめ精一杯の対米協力をしてほしい。自民党が無理ならば、それができるのが「民主党」であるという旗を掲げてほしい。 

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2009年6月 5日 (金)

カラスと戦う

2009_0605_2  ♪カラスのあかちゃんなぜ泣くの
  コケコッコのおばちゃんが……

 ♪夕やけけこやけで日が暮れる
  ……カラスと一緒に帰りましょ

 ♪カラスなぜ鳴くの……
  山に可愛い七つの子があるからよ
 
 お若い衆!、いくつご存じかな。昔のカラスはかくも愛された。しかるに昨今、石原都知事の大捕獲作戦のせいかこの地に跋扈する。楽しみにしていたナスやキュウリの初物、そろそろと思っていたところを食い荒らされた。誰かのセリフではないが「今どきのカラス、絶対に許せません!」。

2009_06050001_2 やはり自衛隊策じゃない自衛対策は必要だ(^^)。急遽ホームセンターに行ってネットと支柱を買ってきた。都合、1万円でわずかにお釣りがきただけ。固定資産税が上がるせいか小作料は25%も高くなっている。石破大臣殿、これでは、採算がとれず日本の農業が崩壊する(おおげさァ(^o^))。

 ただ囲っただけ、上はあいている。滑空しないと着地できないカラスはこれで近づけないだろう。それでも心配でテープを張って威嚇。CDもぶら下げたが、これは学習していると見えて効果がないこと実証済み。支柱はややぐらつく。その方がカラスが中継点として止まれないからいいのだ。

 さてこの戦い、采配の行方は?。 

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2009年6月 4日 (木)

中・朝の現実

 前々回のエントリーが「白昼夢」であった。買ったまま読んでいなかった『週刊朝日緊急増刊・朝日ジャーナル4.30号』を見ていたら、「外交に民主主義は不要!難問を米に頼らずに解決せよ」と題する記事があった。

 それによると「白昼夢」は麻生外交などの方で、わが塾の「白昼夢」は、なかなか現実味のあるような論調になっている。筆者は、北京大学に在学経験のあるジャーナリスト・富坂聡氏で、遅まきながら紹介しておきたい。

 全体を要約すると、日本の外交は、尖閣諸島の領有問題も拉致問題にしても「軍事大国アメリカに働きかけるだけの思考停止」状態にあるとし、またメディアもこれを検証する力がなく、政府や国民世論(民主主義)に追随するだけで、解決をむしろ遠ざけているという指摘である。

 そして、北朝鮮の核実験に対する中国の反応について、その蛮行を中国自身が止められなかったことに対する批判が噴出すると同時に、「北朝鮮は60年代の中国と同じで危険だ。とてもまともに相手できない」という慎重意見が党・軍の幹部に多いという。

 60年代の中国といえば対外的には中ソの対立が激化し、全面戦争を覚悟した悲壮な時代だ。旧ソ連は中国に原爆を投下することを本気で計画し、中国はそれを事前に察知し、「原爆を落とされても誰かが生き残って報復する」ために主だった将軍を全国に散らせた。中国が北朝鮮の現状をこんなふうに見ていることは興味深い。

 一方、その中国もほんの10年ほど前まで「アメリカの兵士が1万人も死ねば世論が反戦に傾き戦争の継続は困難になる。しかし中国は100万人が死んでもまだ戦争を続けられる」と豪語していた国である。

 と説き、また拉致問題に対する取り組みも「日本が自分でやる」というというより「アメリカがやってくれる」、もしくは「いつか自壊する」という淡い期待が、超大国の優越した軍事力や経済封鎖で実現すると考えているように見え、当事者であれば当然分析すべき次のような実態が無視されていると指摘する。

 人口の5%の約100万人が軍人という総戦力に近い状態を維持している国の危険性をもっと詳細に分析しなければならないはずだ。日本に置きかえれば700万人の自衛隊を持っている計算だ。マンパワーを誇る中国人民解放軍でさえ200万人だ。

 中国の軍幹部が「中国の60年代と同じだから相手にしたくない」というのも頷けるというものだ。もし裸の日本がこの危険な国と本気で向き合っていれば、相手がどんな国であれ、国家元首・金正日の謝罪の意味をもう少し考えたのではないだろうか。

 そうして、最後をこうしめくくる。「国(アメリカ)が疲弊して国民が海外の問題に興味を失えば自己完結する大国が内向することはむしろ自然だ。そうなったときに日本が慌ててももう遅いのだ」と。

  麻生(誤読)、中川(酒)大臣などに国の運命を託さなければならない不幸から早く抜け出したい。これが「夢」だ。

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2009年6月 3日 (水)

EEC/EC/EU年表

この年表は、小屋修一著『欧州連合論』によるもので、著者の許可を得て転載します。文責・管理人(未完・一部項目省略)

-----------------------------------
1847年8月21日 文豪ヴィクトル・ユゴーが「欧州合
       州国」の創設を提言
1923年10月  オーストラリアの貴族、R・クーデ
       ンホーフ=カレルギー伯爵が、汎欧
       州運動憲章を発表
1925年1月  E・エリオ(1872-1957)・フラン
       ス首相が「欧州合衆国」のための国
       際会議を提案
1929年9月5日 A・ブリアン(1862-1932)フランス
       首相、国際連盟第10回総会で、欧州
       諸国民による連邦制度を提案
   9月1日 ナチス・ドイツ軍が、ポーランドに
       侵攻、第2次世界大戦始まる
1940年6月  W.チャーチル英首相が「英仏合邦」
       を提案
1942年5月31日 亡命ドイツ人、英国を含む統一政
       府を持つ「欧州連邦」の樹立を訴え
       る
1944年9月  ベネルックスの在ロンドン亡命政府
       が、「ペネルックス関税同盟条約」
       に調印
1945年5月7日 ドイツ軍、連合国に降伏
1946年9月19日 W.チャーチル前英首相、チューリ
       ッヒ大学での演説で、「欧州合衆国」
       樹立を訴える
1947年
3月7日 「英仏同盟相互援助(ダンケルク条約)」
     調印
6月5日 G.C.マーシャル米国務長官「欧州復興援
     助計画」(マーシャル・プラン)を発表
1948年
1月1日 ベネルックス三国による関税同盟発足
1月22日 英仏両国、ベネルックス三国、相互防衛の
     ためのブリュッセル条約に調印
4月16日 パリで、欧州復興会議(第3回)が開かれ
     「マーシャル・プラン」受け入れのための
     OEEC(欧州経済協力機構)を結成
1949年
1月28日 「ブリュッセル条約機構」理事会、「欧州
     会議」の設立を決定
5月5日「欧州会議」憲章、英仏等10カ国により調印
1950年
5月9日 R.シューマン仏外相、「シューマン計画」
     を発表
9月   EPU(欧州決済同盟)発足
10月24日 R.プレヴァン(1901年生まれ)仏首相、 
     「シューマン計画(欧州防衛共同体=CE
     D)」を発表
1951年
4月18日 CECA(欧州石炭鉄鋼共同体)条約、仏、
     西ドイツなど6カ国により調印される
1952年
5月27日 CED条約が調印される
7月25日 CECA条約発効
1953年
2月10日 CECA石炭・鉄鉱石・屑鉄の共同市場発足 
5月1日 CECAの鉄鋼共同市場発足
1954年
8月30日 仏国民議会、CED条約批准案を否決
10月23日 ブリュッセル条約、西欧同盟に改組
1956年
5月29日 ベニス会議。6カ国外相がEEC条約草案
      の起草に着手
7月19日 英国、欧州自由貿易連合設立計画発表
1957年
3月25日 EEC(欧州経済共同体)、EURATOM
      (欧州原子力共同体)設立のためローマ
      条約調印
1958年
1月1日 EEC、EURATOM正式発足
1959年
1月1日 EEC6カ国が第1回関税率引き下げ(10
      
%)
1960年
5月3日 EEC理事会、資本移動の自由化に関する
      第1次指令を採択
7月1日 域内関税率第2回引き下げ(10%)
1961年 
1月1日 域内関税率第3回引き下げ(10%)
2月12日 パリで第1回EEC首脳会議
7月9日 EEC、ギリシャと連合協定締結
8月1日 アイルランド、EECに加盟申請
8月10日 英国、デンマークがEECに加盟申請
12月1日 域内関税率第4回引き下げ(10%)
12月30日 閣僚理事会、カルテル規制第1次規則採択
1962年
1月14日 共通農業政策で、加盟国の合意が成立。共同
      市場、第2段階に移行
4月30日 ノルウェー、EECに加盟申請
7月1日 域内関税率第5回引き下げ(10%)
12月18日 閣僚理事会、資本移動自由化第2次指令を採
      択
1963年
1月14日 ドゴール大統領、英国のEEC加盟を拒否
7月1日 域内関税率第6回引き下げ(10%)
9月12日 トルコとの連合協定締結
12月31日 域内関税率第7回引き下げ
1964年
4月15日 閣僚(蔵相)理事会、対インフレ共通政策を承認
4月    閣僚理事会、経済・通貨統合の基本原則を承認
12月15日 統一穀類価格の合意が成立
1965年
1月1日 域内関税率第8回引き下げ(10%) 
4月8日 EEC、EURATOM、CECA3共同体(
EC)単一
      理事会・単一委員会設立条約調印(発効は1967
      年7月1日)
7月1日 フランス、ハルシュタイン計画(EECの統合強化
      策)を拒否、代表を総引きあげ
9月23日 日本とCECAとの初の定期協議始まる
1966年
1月1日 域内関税率第9回引き下げ(10%)
1月29日 フランスとの妥協成立、EEC復帰
7月16日 EECとナイジェリアの連合協定調印
1967年
2月8日 閣僚理事会、EECの付加価値税制で一致
5月11日 英国、アイルランド、デンマーク改めてEEC
      加盟を申請
7月1日 3共同体機関統合条約発効(
EC
      域内関税、新たに平均5%調整
      共同体農産物の半分が単一市場の段階に
      入る
7月24日 ノルウェー、EEC加盟を申請
11月   英ポンド14.3%切り下げ。大規模な金投機発生
12月19日 ドゴール大統領、英国の加盟を再び拒否

1968年
3月    「金プール」解散。金の二重価格制導入
7月1日 関税同盟完成、域外共通関税も実施に入る
7月18日 基本共通運輸規則が採択された
7月23日 閣僚理事会、統一労働市場計画を承認
7月26日 ケニアなど東アフリカ3カ国と連合協定調印
8月1日 農業協同市場完成
11月9日 EEC域内での労働者の自由な移動を認め
      法令が発効
11月   フラン売り、マルク買いの大規模な為替投
      機発生
12月9日 域外共通通称政策採択
1969年
2月、3月 チュニジア、モロッコ、キプロスとの
      連合協定締結
7月17日 EEC加盟6カ国、短期金融相互援助で原則
      同意
8~10月 フラン、マルクの平価、安定を欠く
12月1、2日 ハーグで第4回首脳会議が開かれ、共同体
      の「強化・拡大・完成」を決議
12月6日 EEC、EURATOMの機構再編で合意
12月31日 ECの12年間の過渡期間が終了
1970年
3月19日 ECとユーゴスラビアの通商協定調印
4月22日 第1次予算協定(共同体の固有財産制発足)
1971年
2月1日 共通漁業政策発足
4月   マルタと連合協定締結
7月1日 EEC、一般特恵関税制度を実施
8月16日 欧州外為市場全面閉鎖
11月8日 EC、アルゼンチンと通商協定に調印
12月18日 スミソニアン協定(為替のセントラル・レー
      ト制採用を含む)成立
1972年
1月22日 英、アイルランド、デンマーク、ノルウェー
      EEC加盟条約に調印
4月19日 イタリアに欧州大学設立を決定
5月18日 トラックの域内自由通行を認める
9月26日 ノルウェー、国民投票で政府加盟案否決
10月  デンマーク国民投票、賛成多数でEC加盟案
     承認
10月5日 EC・フィンランド「工業製品自由貿易地域
     設立条約」調印。74年1月1日発効
10月  EC首脳会議、域内の通貨を統合する基本方
     針を決定
12月18日 キプロス、エジプト、レバノンと連合協定
1973年
1月1日 英、アイルランド、デンマーク、ノルウェー
     ECに加盟
1月15日 閣僚(蔵相)理事会、FECOM(欧州通貨
     協力基金)設立を決定。
2月1日 ドル危機再燃
2月12日 欧州各国の外国為替市場閉鎖
3月19日 「スミソニアン体制」崩壊
5月14日 ノルウェー、ECとの自由貿易協定に調印
1974年
1月19日 フランス、共同フロート制離脱。75年3月
     復帰
1月21日 閣僚理事会、「社会行動計画」を採択
2月26日 EC委員会、マリなどサハラ周辺6カ国
     に総額7370万UC(計算単位)の緊急援助
     決定
10月11日 国連総会、全会一致でECを承認
12月10日 首脳会議を制度化して「欧州理事会」とす
     る
1975年
3月4日 FEDER(欧州地域開発基金)設立
6月6日 英国でEC残留の是非を問う国民投票。
     賛成67.2%
6月15日 ギリシア、EC加盟を申請
1976年
2月1日 イタリア・リラ、フランス、ベルギー
     フラン暴落。欧州通貨危機
4月27日 ECがチュニジア、モロッコ、アルジェリア
     と貿易・援助協定に調印
9月20日 閣僚(外相)理事会、欧州議会の直接選挙に
     関する共同体法(選挙協定)に調印
12月15日 欧州議会、対日貿易不均衡の是正決議を採択
1977年
1月18日 エジプト、ヨルダン、レバノン、シリアとの
     連合協定調印
3月28日 ポルトガル、EC加盟を申請
7月1日 EC関税同盟完成
7月28日 スペインがEC加盟申請
1978年
4月3日 EC、中国の貿易協定に調印
7月6-7日 欧州理事会、欧州通貨制度(SME)創設
     で合意
1979年
3月9日 欧州通貨制度発足
6月7日 欧州議会第1回直接普通選挙。フランス、西
     ドイツ、イタリア、ベルギー、ルクセンブル
     クは10日実施
12月25日 EC・ユーゴスラヴィア貿易協力協定調印
1980年
3月7日 EC、東南アジア諸国連合と協力協定調印
1981年
1月1日 ギリシアECに加盟
1984年
7月   西ドイツ、フランス、ベネルックス3国、
     共同体住民のこれら3国出入力管理を全廃
1986年
1月1日 スペイン、ポルトガルがEC加盟
3月   「欧州(共同体)の旗」採択
1987年
7月1日 「単一欧州議定書」発効
1988年
3月11日 「欧州宇宙機構」フランス領ギアナで「ア
     リアン」3号打ち上げ成功
6月   欧州委員会、統一通貨問題研究のため「ド
     ロール委員会」設置を決定
     閣僚理事会、1992年末までに、域内道路運
     送の自由化、各国加盟大学の学位の相互承
     認などに関する指令を採択
     EC、湾岸協力会議加盟諸国と協力協定に
     調印
1989年
3月2日 閣僚(環境相)理事会、今世紀末までに、
      フロンガス生産、消費の全面禁止合意
3月15日 欧州議会、加盟12カに居住する外国人へ
      選挙権を付与する決議を採択
6月3日 ハーグでEC、米国、日本、カナダ4極通商
      会議
6月29日 欧州議会、ソ連・ポーランド・ハンガリー
      ユーゴスラヴィアのECへの特別参加資格
      を承認
8月1日 EC委員会、対ポーランド、ハンガリー援助
      のための24カ国機関を設立
10月30日 英国をのぞくEC11カ国、「基本的社会権
      利憲章」承認
11月9日 「ベルリンの壁」崩壊

11月18日 EC緊急首脳パリ会議、東欧支援のための
      「欧州開発銀行」設立を決定
12月7日 EC関係閣僚理事会、域内航空・電気通信事
      業の自由化決定。93年1月1日から実施

1990年
4月28日 第43回欧州特別理事会、ドイツ統一を承認
5月29日 欧州復興開発銀行設立規約、参加42カ国のロ
     ンドン会議で承認。ECは株の51%を保有
6月15日 EC閣僚(内・法相)理事会「難民に関する
     ダブリン条約」に調印
7月1日 経済通貨統合の「ドロール計画」第一段階ス
     タート
     EC域内の資本移動自由化協定発効
1991年
6月24日 EC閣僚(蔵相)理事会、付加価値税、消費
     税の税率格差是正で一致。付加価値税の標準
     税率を1993年から15%に
1992年
2月7日 「マーストリヒト条約(欧州連合条約)」調
     印。各国の国民投票、批准が進む
1993年
1月1日 EC単一市場発足
11月1日 「マーストリヒト条約」発効、EUの骨格定
     まる
1994年
1月1日 経済・通貨同盟第2段階スタート 

以後省(メモ書きにします)

2005年 仏・オランダ「欧州憲法」を国民投票で否決

2007年
12月   憲法に変わり「大統領」「外相」などを設ける「リスボン条約」署名

2009年
10月   アイルランド、08年6月のリスボン条約国民投票否決を受け、軍事的中立などの保証をつけて再投票の結果賛成が決まる。来年には条約発効の見込み。
11月  【ブリュッセル福島良典】欧州連合(EU、加盟27カ国)は19日夜、ブリュッセルで特別首脳会議を開き、新基本条約「リスボン条約」で新設される「EU大統領」(欧州理事会常任議長)にベルギーのファン・ロンパウ首相(62)を選出し、「EU外相」(EU外務・安全保障政策上級代表)に英国のアシュトン欧州委員(53)=通商担当=を指名した。これにより、約5億人の大欧州を国際社会で代表する「EUの顔」がそろった。だが、共に知名度は低く、EUが国際社会で存在感を高めるには、これまで以上に域内の結束が必要となる。

 ファン・ロンパウ氏は昨年末に首相に就任後、フランス語圏とオランダ語圏の緊張が続くベルギーをまとめた「たぐいまれな調整能力」(外交筋)が独仏首脳らに買われた。地味だが、首相就任から日が浅く、「EU内に敵が少ない」ことも有利に働いた。

 英労働党政権はカリスマ性のあるブレア前首相(56)をEU大統領に推していたが、在任中のイラク戦争参加や英国がユーロ圏に入っていない点などが響き、支持を集められなかった。このため、外相ポストを確保する戦術に切り替え、男女バランスを取る上から女性のアシュトン氏に白羽の矢が立った。

 リスボン条約は12月1日に発効。ファン・ロンパウ氏は来年1月1日からEU大統領の執務を開始する。外相は欧州副委員長(対外関係担当)を兼ねるため、アシュトン氏の就任は欧州議会の承認後となる。

 ファン・ロンパウ首相は選出後の記者会見で「全加盟国の意見に注意深く耳を傾けたい」と対話と結束維持に力を注ぐ方針を表明した。アシュトン委員は外交経験が乏しい点について「行動で評価してほしい」と述べ、ブラウン英首相は「EUで英国の発言力が強まる」と強調した。

 EUでは加盟国首脳が半年交代で欧州理事会(EU首脳会議)の議長を務めてきたが、今後は任期2年半の大統領が理事会の議事進行にあたる。任期5年の外相はEUの共通外交を立案・実行し、域外への部隊派遣を含む安全保障政策を仕切るのが主任務だ。

 チェコによる条約批准手続きの完了(11月3日)で12月1日発効が確実となったことを受け、議長国スウェーデンが大統領と外相の人選を進めてきた。

11/20毎日

■以下掲載中断

2016年
6月24日 英国、国民投票によりEU離脱を僅差で決定。

 

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2009年6月 2日 (火)

白昼夢

 ・北朝鮮がICBM(大陸間弾道弾)を列車に積み、新しい発射基地に運んでいるらしい。発射は6月中旬頃の可能性がありだと。
 ・新基地は北西部にあるというが、日本海側にあるテポドン発射基地と相当離れているし、一体どっちに向けて発射するつもりだろう。
 ・いずれにしても、日本を狙うのならそんな高価なものを使うわけがないな。

[そこへ臨時ニュース]
 ・「ただいま入ったニュースです。アメリカ空軍は、北朝鮮平安北道にあるミサイル発射基地に攻撃を加え完全に破壊、黄海に展開する空母に全機無事帰還しました。続報は入り次第お伝えします」
 ・エッ、先制攻撃?。どういうこと?。
 ・「北朝鮮のミサイル攻撃について、アメリカ大統領が記者会見を行います。その模様をこれから中継でお伝えします」(なぜか出てきたのがオバマでなくブッシュ。夢だからしかたがない)

[米大統領記者会見]
 ・「ならずもの国家北朝鮮は、度重なる国連の警告にもかかわらずミサイル発射や核実験を繰り返した。政府は、今度のミサイルがわが国を標的にしている明らかな証拠を入手したのだ。アメリカは自衛のため断固たる措置をとった」
 ・イラクでは大量破壊兵器を隠しているという偽情報をつかまされたが、今度はウソであってもばれるという心配がない。ブッシュは安心している。
 ・「アメリカは世界の自由と平和と正義を守るため、金一族の存在を許しておくわけにはいかない。彼らの悪巧みを座して待つことはしない」
 ・座して待つ?、どっかで聞いたセリフだな、そうだ自民党の国防部会だ。やっぱり先制攻撃論はアメリカが本場で、そこからの伝染だったのだ。アメリカは費用と効果と確実性からみてこれが最善と読んだのだろう。

[火の海宣言]
 ・怒ったのは北朝鮮だ。早速反応した。例のおばちゃんが節を付けて絶叫する。
 ・「アメリカの帝国主義者どもは、偉大なる首領・金正日将軍のうち立てた偉業である宇宙開発の成果を無謀にも爆破した。わが共和国は直ちに南朝鮮と日本の米軍基地に対して軍事行動を起こすことに決定した。ソウルも東京も火の海と化すだろう」
 ・ただのおどしではなかった。すでに虎の子のICBMは使えず、頭にきたのだ。後継者問題で軍の威信を保つにはこれしかない、遂に恐れていた暴発が現実のものになった。

[ミサイル飛来]
 ・日本には10数発のノドンが飛んできた。沖縄や都心などを狙ったものは3発ほどはパトリオット(PAC-3)で撃ち落とした。また不発弾や撃ちそこねがあり、PAC-3の守備範囲以外の過疎地に落ちて火災も起きたが、被害は奇跡的に軽微で核弾頭の装てんはなかった。スカッドミサイルが主力になった韓国でも死傷者は少なかった。
 
[核の傘]
 ・日本の世論は当然のように激高した。「もはや遠慮することない。北朝鮮を再起できないほど徹底的に叩きのめせ!」。これに反対すると国賊のように扱われる雰囲気だ。しかし攻撃能力はなくアメリカに頼るしかない。お願い!!アメリカさま。

 ・アメリカの新兵器を駆使すればいろいろな施設がたちまち撃破されることはわかっている。しかし陸戦隊で全土を制圧するのでなければ、降伏はおぼつかない。その失敗はベトナムでさんざん経験してきたことだ。第一、中国との関係を犠牲にする覚悟がなければできない。アメリカにメリットのないようなことをするわけがない。日本気持ちはわかるがお願いの方は却下。

 ・韓国も同様だ。兵器の近代化は進んでいるが、通常兵力では北にかなわないし、あとの難民殺到も困る。こう見ると核の傘なんて案外役に立たない。そこで、あてになできないアメリカ依存から抜け出し、憲法を改正して核であろうと反撃用の兵器であろうと外国に対して武力行使ができるようにしようと自民党国防部会が言っているのだ。

 
[中国には勝てない]
 ・これは当然中国のことも考えてのことでしょう。しかしやめておきなさい、勝てるわけないのだから。昔の支那とと思ってはいけない。国土が広く、人口が多く、経済を含めた総合的な国力は日本をはるかに上回る。核弾頭を積んだミサイルは、広い大陸のみならず原子力潜水艦を含めてどこからでも発射できるのだ。

 だから、外国に出て行って武力行使はしない、先制攻撃もしないという憲法を高くかかげる。その反面国土を侵されないよう最高度の備えをする。そしてその覚悟を国民が共有する。米軍基地はあってもいいがそこから直接海外に出撃しない、またミサイルの先制攻撃もしないという約束をする。それが守られないようなら出て行ってもらうしかない。それでもわけもなく攻めてくる国があるだろうか。

 ああ、これで今晩もゆっくり眠れそうだ。 

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2009年6月 1日 (月)

古墳・卑弥呼など

 箸墓古墳の前方部周辺で発見された土器から得られた炭素年代測定で、箸墓造営年代を240年から260年の間とする歴史博物館の研究が発表された。そのことはあとで書くことにして、まず、塾頭の「古墳好き」を告白しておきたい。

 「反戦老年委員会」という題でブログを始めたのが05年4月、それ以来テキストの「古墳」を文字検索をしたら今日までで14回、ブログの性格から見てやはり多いといっていいだろう。思い立って旅行する時は必ずその土地の古墳をコースに入れる。

 今年も連休に群馬県を訪れた際、関東第一クラスの規模を誇る(全長210m)太田市天神山古墳ほか2カ所を見てきた。その場所にたどり着くまで周りの景色を観察し、山、川、農地など古代人の生活環境と古墳を造営する古豪が存在した条件などを想像する。

 そして、このあたり、と思った場所に突然こんもりとした自然林の中に古墳が現れ、その形や石室などの位置などを確認できると、その時代に身をおいたような気がして何となくぞくぞくしてくる。上記の3古墳は1カ所が円墳、残りは前方後円墳であるが、いずれも道案内板などはなく人に尋ねながら行った。中には地元の人さえ知らないというものもあった。

 天神山古墳は、最近まで続けていた「異説・天智天皇」シリーズで朝鮮出兵の将軍となった上毛野君稚子の先祖の墓に違いない。この地はかつて関東で最も豊かで栄えた地域なのだ。新田氏、足利氏、すこし怪しいが徳川氏までこの地の出身を唱えている。

 箸墓もそのようにして訪れ、背景となる三輪山、前方に拓ける纏向遺跡など、すっかり魅入ってしまった一帯だ。箸墓はかつて4世紀といわれてきたものが3世紀後半、さらに中葉まで造築時期が繰り上がってきた。

 これは、なにも今回の年代測定ではじめて出た見解ではない。すぐ近くの小型前方後円墳・ほけの山古墳の木製品の年輪による年代測定や、纏向に存在する箸墓に先行する類似の墳丘などで、卑弥呼死亡の時期に重なってくることは広く信じられるようになっていた。

 今回の発表では、日本考古学会がこれで確定したわけではないということで、報道には慎重な姿勢で望んでほしいと念を押したようだが、どうも余計なお世話のように思える。卑弥呼、邪馬台国論争で、宿命的ともいえる九州説との論争があり、炭素測定法に誤差が多いことなど、すこしかじった人なら常識である。

 炭素測定法はDNA鑑定に似ている。不純物によるブレがあるので、サンプルの取り方には細心の注意が必要となり、また対象とする時代によって統計的な不揃いが指摘されることもある。しかし、これらの欠点は研究を重ねる毎に補正をかさね、日進月歩で正確さを増している。

 これにひき換え、文献による反証は、新資料が発見されるわけでもなく分が悪い。例えば魏志倭人伝で卑弥呼の墓を円墳としているから、箸墓の形と違うという。しかし、前方後円墳などということばは近代になって便宜上つけたもので、昔からあった言葉ではない。

 箸墓などの形は、弥生時代に大型の墓を作るとき周りの土を掘って溝を作りその外側から墓へ通れる道を1カ所残した形が、丸い墓なら鍵穴型とかばち型になる。それが祖型として残ったという説明がつくので、丸い墓といってもあながち不自然ではなかったのである。

 考古学会は、かつて旧石器遺跡捏造事件という大不祥事に見舞われたことがある。それ以来、新聞報道に神経質になりがちなのかも知れない。しかし、政治報道や犯罪報道ではあるまいし、なにも自粛する必要はない。誤報は困るが、こういったことには読者の興味をそそり知識をひろめる意味で大いにハッスルしてほしい。そうすれば、群馬のような無関心ぶりもなくなるだろう。 

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