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2009年5月16日 (土)

異説・天智天皇13

 このシリーズが13回も続くと思っていなかった。それでも省略してしまった事件・事績はまだ多く残っている。あえてそれに触れなかったのは、「反戦塾」という立場から「白村江事変」を中心に分析して見たかったからである。

 前回ようやく天智即位までこぎつけたのに、これをもって最終回とする。そのわけは、天智の仕事はいくつかの仕上げを残すものの即位とともに終わったと同然になるからだ。天皇在籍年数はわずか4年で、斉明死後、皇太子の身分のまま称制といわれた期間の6年より短い。

 その6年間の政権運営の心労が、決して長寿とはいえない46歳で生涯を終える原因になったのではなかろうか。彼の政策判断の師であり精神的に天智を支えたのは、蘇我入鹿暗殺の共謀者で大化改進に道筋をつけた中臣鎌足である。斉明時代には『書記』から鎌足の記述が消えているが、8年10月条に次の記述がある。

 天皇、内大臣の家に行幸し、みずから病を問いたまう。しかるに、きわめて憂うべき病状である。そこで詔があった。「天道が仁者を助けないということがあろうか、必ずよい徴候があるはずだ。なにかすべきことがあれば聞かせてほしい」。それに答えて「臣、もとより無能です。その上何を望みましょうか。ただ葬儀は質素にしてください。生きていても軍国(おおやけ)に務を果たせませんでした。死んでまでご迷惑をかけられません」。

 死の1日前、東宮大皇弟(大海人皇子)を名代に「藤原」の姓と大織冠を授け、死後再び家におもむきねんごろに弔った。まったく異例の措置だが、白村江事変と戦後の処理を、天智、大海人(後の天武天皇)と共に、「軍国の務」と言った鎌足の3人で取り仕切っていたことをうかがわせる。

 結局、天智が必死の仕事に取り組んだのは、入鹿暗殺の乙巳の変の1日と白村江のあとの6年であるといえる。しかし史家は、大化改新の政治改革に果たした役割や天智死後天武に至る壬申の乱の王権移動に目を向け、外交と戦争がテーマの白村江事変はあまり論じられない。もちろん皇国史観ではこの敗戦を大きく取りることがなかった。

 そういった中、有能ではあるが乙巳の変で入鹿を殺し、異母兄の古人皇子謀反の密告で攻め殺し、乙巳の変の功臣、蘇我石川麻呂も謀反容疑で自殺させ、孝徳の一粒種有間皇子を謀殺するなど冷酷果敢という天智像ができあがっていった。

 そして権力に固執して、長年苦楽をともにし、斉明死後は大皇弟として後継者に擬していた大海人を最後の段階で退け、わが子可愛さから大友皇子にゆだねようとして天智の死後壬申の乱が起きた、というのが通説になっている。

 つまり「権力闘争史観」である。しかし『書記』に書いてないことを深読みせず、前後の記事も含めてすなおに読むと、そのような解釈では色んな矛盾を見いだすことが多い。例えば、天智が指示して古人皇子を殺したとすると、その娘を自分の皇后にしたというのはどうも腑に落ちないなどのことである。

 そういった読み方をすると、天智は前述した「必死の仕事」をした時期以外は、日頃できるでけ目立つことはさけ、母斉明の意向に従い、鎌足の助言を受けてすごす内向的な「水仕掛けおたく」「マザコン王子」だということになってしまうのである。また、親子4人はいつも行動を共にしており、死の間際になって急に大海人と仲違いするとは考えられないのだ。

 最後に、大宰府のその後に触れて、このシリーズを終わりにしたい。大宰帥をつとめた阿倍比羅夫の官位は大錦上で主要大臣クラスである。以後もこの伝統は維持された。天智死亡の翌年(672)、天武が吉野から蜂起すると、天智の遺子大友を立てる蘇我赤兄らは大宰府に急使をたて、天皇の命令だとして派兵を要請した。この時の大宰帥は皇室の栗隈王である。その答えはこうであった。

 筑紫の国は外国から国を守ることにある。城を高く溝を深くし、海に向かって備えをするためで、内賊のためではない。今、勅命があるからといって軍を発すれば国が空になる。もし急なことが起き国を傾けるようなことが起きれば、私を百回殺しても役には立たないだろう。簡単に兵を動かすことはできない。

 遠いみかど、つまり朝廷の代理として国防に絶対の権限を持つという自負心と責任感があったのだ。これが、時代を経て唐、新羅との緊張が解けると、それに比例して大宰府は中央の官僚にとって赴任を敬遠するわずらわしい存在になってしまう。ついには、遣唐使の国家的な使命は終わったとして中止を決めた菅原道真が、皮肉なことに懲罰的な意味をこめて流されるという存在になってしまうのである。

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