« ただのこわし屋? | トップページ | 餞別 »

2009年5月14日 (木)

異説・天智天皇12

 白村江の敗北で、唐から日本侵攻の危機におびえ、極度の緊張状態にあったのは、前回述べた天智紀2年から3年(633~634)にかけてである。唐が派遣した使節を瀬戸際外交で追い返し、その間、筑紫大宰府の防塞化や大和王朝の統治基盤を回復できたことで、天智もやや自信を取り戻した。

 しかし、朝廷周辺にはかつてない難問が山積している。まず妹で孝徳帝の皇后だった間人皇太后の死である。彼女は天皇空位の中、欠かすことのできない宮中祭祀を、母斉明に代わって担ってきた。前に述べたことがあるが、孝徳のもとから母・妹と一緒に集団家出をした異状とも言える家族愛で結ばれた間柄である。おそらく近侍した人々であろう、330人を出家させて供養に当たらせた。

 喪中にもかかわらず、各地の城塞新築工事や百済難民救済対策も進めなくてはならない。2度目の唐使節がやってきたのはそのような中である。対馬に現れたのが4年7月20日であった。だが、前回とは違って、劉徳高という唐軍の局次官クラスが国を代表し、また前回の郭務そうがアシスタントのような形で同行していたため、対話には継続性があった。

 何よりも、日本側は前回のような極端な緊張が姿を消し、交渉を可能とする余裕が持てたことが大きい。早速、完成したばかりの大宰府に迎え馬をもって使節を招きいれただろう。入り口の門は、高さ13メートル、延長1.2キロにわたる土塀の両端にある。塀に沿って2重の堀があり、前の堀は幅60メートル、深さが4メートルもあった。

 その豪華な門を潜って大宰府迎賓館にたどり着くには、さらに左右の山の間を20分ほど歩かなければならない。朝廷の出先として、史上最も権威を持った施設は、外交官にそれなりの心象を与えただろう。ここで外交文書を受け取り、あとは『書記』に記すように淡々と事が進む。

 冬十月十一日、大いに宇治に閲(けみ)す。つまり難波から淀川をさかのぼり、わざわざ遠回りして宇治で大規模な閲兵行事をする。十一月十三日、劉徳高らに饗(あえ)賜う。十二月の十四日に、物を劉徳高らに賜う。この月に劉徳高らまかり帰りぬ。

 この後、使節を送るという名目で人を派遣したりまた送り返されたりで、日本は朝鮮に介入しないし唐は日本に侵攻しないという和平協定がなり立ったと見てていい。しかし、天智政権はその後も城郭の建設を続けたり、騎馬軍団を創設するなど防衛力整備に力を注いだ。

 前にも述べたが、天智はそういった新規事業に百済難民の中からそれぞれが持つ能力を生かして高度に利用した。また400人余りを近江で開拓時業にあたらせ、2000余人を東国に移住させた。あとのケースでは3年間の食料援助までつけている。

 このような福祉事業や城塞建設のほか、大水による租税の免除も重なり、財政逼迫は極限に達したものと思われる。斉明天皇と間人大后の陵墓は6年2月にようやく完成、合葬した。ただし労力を要する石室の造営は廃止され、古墳時代末期の天皇陵薄葬にはずみをつけた。

 それが終わると、都を近江に移す。財政難の折り、民衆の反対が強かったとされている。首都防衛のためという説があるが、敦賀方面から上陸された場合を考えると、どうして近江が防衛上有利なのか説明がつかない。また、唐の圧力は一時より大幅に緩和しており、この説は採らない。

 近江では百済人による開拓が進み新規の産業も興りつつある。さらに、朝鮮出兵前に実現した越から北海道方面まで伸びた版図、そして東海、関東の生産力の高まりに配慮し、これまでの九州・瀬戸内海を中心とした大和王朝体制から比重を東に移して、その交通の拠点である近江に注目したとするのは、あまりにも現代的な考えに過ぎるだろうか。

 そして7年正月、ようやく天智は即位する。父、舒明天皇の死からかぞえると、30年のあとに実現したことになる。

|

« ただのこわし屋? | トップページ | 餞別 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/29611133

この記事へのトラックバック一覧です: 異説・天智天皇12:

» 忌野清志郎と放送禁止のロックンロールヒーロー [逝きし世の面影]
『9・11事件』の直後、ブッシュにひたすら追従する事しか芸のないアメリカ命のカルト宗教?であるアメリカ教信者である小泉純一郎が行った憲法無視の時限立法でのイラク派兵の直前の2002年に、リリースされた『ロックンロールヒーロー』 桑田啓祐は英語を日本語のように、日本語を英語のように使うので理解するのが難しいが面白い。 金だけ取られて何もいえない日本、アメリカはヒーロー俺達のヒーロー、と歌ってすぐさま放送禁止になった桑田佳祐。 今回、日本の自衛だけと限定されていた筈の世界有数の軍事力である自衛隊が、... [続きを読む]

受信: 2009年5月15日 (金) 12時00分

« ただのこわし屋? | トップページ | 餞別 »