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2009年5月11日 (月)

異説・天智天皇11

 天智称制3年(664)7月27日、白村江で唐軍に大敗を喫してからあと1月で1年になる。唐の追撃にそなえて計画された水城を前衛とする新大宰府など、各地の要塞化はまだ完成していない。斉明死後、即位を果たしていない天智の政治基盤も盤石なものになっていない。そんな時、唐の大船が対馬沖に現れたのだ。

 まず、大山中の位を持つ出先の官吏に用件をたださせた。その結果、百済占領軍の鎮将・劉仁願の牒書と献物を持参しているという。代表は朝散大夫・郭務そう(りっしんべんに宗)、兵隊の位で言えば大佐か少将といったところか。

 そこで別館(対馬か筑紫かは不明)に郭を迎え入れ、僧・智弁が牒書だけを受け取って持ち帰った。その内容は一切公開されていない。大宰府の帥・阿倍比羅夫はそれをチェックする役割がある。自らの判断・意見と共に京へ超特急の早馬を走らせた。

 そのためか、郭らに対する返答は9月になった。今度は智弁のほかに津守吉祥と伊吉博徳が立合っている。あとの2人は斉明の死直前に帰国復命した遣唐使で、唐の天子・高宗と面識があることをすでに述べた。筑紫でそのまま、比羅夫の外交をサポートをしていたのかも知れない。

 回答の要旨は次のようなものである。「今客らがきたのを見るとどうも天子の使ではない。百済の鎮将の私的な使である。また書簡も執事の私信である。これをもって使人は国に入ることができない。書も朝廷に上げない。ただ概略だけは口頭で奏上しておこう。筑紫太宰はそう仰せられている」

 郭は納得しなかった。劉仁願将軍にうっかりそんな報告をしたらばっさり斬って捨てられる、そんなこわい気性の人だ。なおも別館でねばり続けた。『書記』では、彼らが来たという事実関係しか書いていない。このくだりは、主に室町時代後期に編集された『善隣国宝記』によるものである。

 さらに、『書記』を追うとこうなる。「冬十月一日、郭らを出発させる詔勅が宣告される。この日に中臣内臣(鎌足)名義で物賜う。四日、郭らを饗宴する。十二月十二日に、郭らまかり帰りぬ」。しかし、郭が帰国のきっかけを作ったのは、同月博徳らから公式の文書回答を受け取ったからだ。

 『善隣国宝記』によると、内容は九月の回答と変わらないが表函(ふみひつ)の表書きには「日本鎮西筑紫大将軍之牒」としてあった。日本にこんな役職・官名はない。これは劉大将軍に見合いの役どころというか、それを上回る威厳を示したつもりなのだろう。

 天智政権のこの時の対応は、想像であるが、唐の書簡の内容は朝鮮の処理方針についての説明であり、日本を攻撃する内容を含んでいないということと、防衛体制構築に時間がほしかったため、手続き上の理由で回答を保留し、時間稼ぎをすることだっただろう。

 唐の真意はまだはかりかねる。しかし、大宰府要塞化の目途も見えてきたので、まずは一刻も早くお引き取り願い、天智体制の確立を優先させたいという気持ちが、硬軟とり混ぜた処置として表れたのだろう。とにかく日本の外交としてまずはは立派なものだ。

 次の使節がやってきたのは、それから1年も経ていない翌4年9月だった。  

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コメント

外交の基本は『国益の擁護』だと思われているが、案外気が付きにくいのは『国益』のような『実』では無く国家の名誉』とか『権威』のような実体の無い『名』で、これが大昔から一番肝心なようです。
昔の唐も日本もこの『名』に拘って色々駆け引きをしているのですね。
国と国との外交では『実』も『名』も両方とも取るのは一方的に負けた側に遺恨を残し良くない。
此方が『実』を取れば相手に『名』を取らせて双方が満足いく方法でないと将来に紛争の種を残すことになる。

そう思うと、昨今の日本政府の北朝鮮に対する対応は不思議でならない。
相手(北朝鮮)の『名』を如何にして潰すかに腐心しているように思えるが、これでは絶対に『実』は取れませんよ。
今の小泉以来の歴代自民党政府のやり方では日朝の色々な懸案の解決ではなく、拉致問題や核問題等の解決を『如何にして長引かせるか』を考えているとしか思えません。

投稿: 逝きし世の面影 | 2009年5月12日 (火) 12時30分

逝きし世の面影 さま
このシリーズ、果たしてどの程度関心を持っていただけるか自信がないところへコメントいただきありがとうございます。

 まったく同感です。金賢姫さんにさえ「面子を立てて交渉すれば、いつかはいい結果が」といわれている始末です。

 ブルーリボンバッジとやらを、国内でつけているのはまだかわいげがありますが、首脳会議の正式な場にまでとくとくと着用している神経で外交がつとまるのでしょうか?。

投稿: ましま | 2009年5月12日 (火) 13時13分

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