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2009年5月 7日 (木)

異説・天智天皇10

 天智称制2年、秋の風が身にしみるころ長津(博多港)は、身ひとつ逃れてきた敗残兵や手に持てるだけの荷物を持った百済の難民でごったがえした。兵達は出発の時と違って統率する指揮者がいないことも多い。出身も九州や畿内はもとより、日本海岸越ををのぞく関東・東北地方までほぼ全国にわたっていた。

 その数、控えめに見てもざっと数万人、船はのべ千艘を越えただろう。疲労と不安と焦燥にかられる群衆ををどう混乱なく受け入れるか。その至難の業を、手際よく仮の落ち着き先や食料の配給、傷病者の手当などをとり捌く初老の将軍がいた。前回名をあげた後将軍・阿倍引田臣比邏夫である。

 朝鮮派兵が始まる前まで、秋田、北海道方面に3年連続で船師を率い、蝦夷・粛慎平定に経験を積んだ。息子の宿奈麻呂も比羅夫の手足となって奔走していた。実はそんなことは『書記』になにも書いてない。手がかりは『日本続紀』に息子の死亡記事があり、その親として「後ノ岡本朝筑紫大宰ノ帥大錦上比羅夫」とあるからである。

 ここですこし解説を加えると、「後岡本朝」というのは、斉明天皇の時代をいう。しかし天皇死後天智は6年も即位していないし、首都も飛鳥・岡本宮から移していないのて斉明の延長という見方になっている。さらに「大錦上」という冠位は、天智称制3年2月に制定したもので、比羅夫が派兵開始以来ずっと筑紫で大和朝廷の出先として活躍していた可能性が高いのである。

 さて、肝心の天智は都で即位もせずにその頃なにをしていたか。前述のように冠位改定を含む大行政改革を行った。これは大化改新以来の刷新で、戦後の政権強化と疲弊した財政の建て直しが目的であろう。これには弟の大海人皇子も参画している。

 さらに、国防の充実強化が最優先課題である。対馬、壱岐、筑紫、長門などの防塞を新築または強化し、のろし場を整備した。また大宰府を大規模な堀と堤防(水城)でガードし左右の山には大野城、椽城を築いた。これは4年後の高安城(生駒山塊)、屋島城(讃岐)、金田城(対馬)につながる。もちろん、唐、新羅の攻撃にそなえるものである。

 このような中、3年7月27日に唐の使節団総勢254人が対馬沖に姿を現した。戦後初めて唐との接触になる。日本列島に極度の緊張が走った。

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