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2009年4月30日 (木)

異説・天智天皇8

 母・斉明崩御により、天智へ大権が移った。斉明がやり残した最低限度の課題は、一度亡びた百済に在日中の王子・豊璋を送り返して即位させ、百済復興に手を貸すことである。天智はそれが成功していると判断したのであろう、飛鳥に葬儀のため戻ったまま筑紫の大本営には戻らなかった。

 このあたり、『書記』に納得のいく経緯の説明がなく、歴史家を最も悩ます時期になっている。確実なことは、筑紫の前線司令部と兵站本部の天皇陣頭指揮体制を解いた、つまり誰かに権限委譲したことと、斉明が指令した大動員令は解除されずにそのまま継続していたという二つである。

 無線がない時代である。前線が朝鮮に渡ってしまった以上、作戦司令部は朝鮮におくしかない。一説に天智の弟・大海人を筑紫に残しておいたなどというのがあるが、それをうかがわせるような史料は全くない。私は、その権限を豊璋が受け継いだと見ている。

 それが、天智天皇即位前紀(斉明7年)九月条にある「皇太子、長津宮(福岡)におわします。織冠を以て、百済の王子豊璋に授けたまう。また多臣蒋敷の妹を妻す。すなわち大山下狭井連檳榔・小山下秦造田米来津を遣して、軍五千余りを率て、本郷に衛り送らしむ。是に、豊璋が国に入る時に、福信迎え来、おがみて国朝の政をあげて、皆ことごとにゆだねたてまつる」というくだりだ。

 つまり、日本の最高位の職階を与え、天皇家出身の家柄の女性と結婚させて、百済における全権を付与したのだ。豊璋は来日以来31年、日本の皇族にすっかりとけ込んでいた存在で、日本の将兵を指揮したとしてもそんなに違和感がなかった。

 しかし破綻はすぐやってきた。日本の軍事顧問との衝突や福信の軍政と新宮廷の権限争いなどだ。その様相を見て新羅も攻勢を強めてきた。日本はここで一挙に百済の安定を図ろうとしたのか、天智天皇称制2年の3月、2万7千人の大軍を渡海させた。

 今回は、今までと違って百済救援ではなく、目的を「新羅を打つ」としている。それは、唐と対敵する可能性を否定できず、明らかに天智の意向を反映したものとはいえない。この食い違いに決定的な打撃を加える事件が百済に起きた。

 こともあろうに、百済復興の功臣・福信を豊璋が殺してしまったのだ。謀反の疑いがあるといって卑劣な方法で逮捕、掌に穴を空け革ひもで捕縛し、佞臣のすすめで切り捨てさらに酢づけにして首をさらしものにした。この残虐ぶりは、明らかに福信の人気をねたんだ仕打ちだ。

 これが、福信を恐れていた新羅軍を一挙に勢いづかせることになった。新羅は州柔(つぬ)城奪取に向かい、豊璋は日本軍と合流して白村江(はくすきのえ=錦江河口付近という)に待つという布陣で戦いがはじまった。

 唐も高麗での戦いが進展せず、百済からの牽制がどうしても必要だ。白村江に軍船170艘を連ねて対峙した。これが8月末のことである。最初に日本軍がしかけ、あえなく敗退した。そして翌日、日本の諸将と豊璋が語り合い、「双方で先を争うように責め立てれば相手は退くだろう」と、のんきな作戦をたてた。

 『書記』に「気象をみずして」とあるので、潮目も考えずにということだろう、東軍は左右からこれを挟み撃ちにし、船首をめぐらすことさえ自由にならず、飛び込んでおぼれるものが多かった。これは中国側の文献にも多く記録されている。

 旧唐書、劉仁軌伝では、「倭兵と四戦して勝つ。その船四百艘、炎煙は天にみなぎり、海水は皆赤色となる」とある。中国特有の誇張で、倭船千艘と書いた書もあるが、いいところ両軍で400艘、1000人足らずだろう。そんな大軍が一カ所に展開できるはずがない。

 しかし、中国は太古から火攻め水攻め、大軍の展開に日・百とは比較にならない経験、蓄積がある。そのような知識が宮廷の一部や軍の幹部になかったことが悲劇を招き、一瞬で帰趨が決まった。豊璋は、数人を連れて、いちはやく船で高麗に遁走し、日本軍も百済の要人をともなって、なだれをうつように日本に向かった。

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