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2009年4月

2009年4月30日 (木)

異説・天智天皇8

 母・斉明崩御により、天智へ大権が移った。斉明がやり残した最低限度の課題は、一度亡びた百済に在日中の王子・豊璋を送り返して即位させ、百済復興に手を貸すことである。天智はそれが成功していると判断したのであろう、飛鳥に葬儀のため戻ったまま筑紫の大本営には戻らなかった。

 このあたり、『書記』に納得のいく経緯の説明がなく、歴史家を最も悩ます時期になっている。確実なことは、筑紫の前線司令部と兵站本部の天皇陣頭指揮体制を解いた、つまり誰かに権限委譲したことと、斉明が指令した大動員令は解除されずにそのまま継続していたという二つである。

 無線がない時代である。前線が朝鮮に渡ってしまった以上、作戦司令部は朝鮮におくしかない。一説に天智の弟・大海人を筑紫に残しておいたなどというのがあるが、それをうかがわせるような史料は全くない。私は、その権限を豊璋が受け継いだと見ている。

 それが、天智天皇即位前紀(斉明7年)九月条にある「皇太子、長津宮(福岡)におわします。織冠を以て、百済の王子豊璋に授けたまう。また多臣蒋敷の妹を妻す。すなわち大山下狭井連檳榔・小山下秦造田米来津を遣して、軍五千余りを率て、本郷に衛り送らしむ。是に、豊璋が国に入る時に、福信迎え来、おがみて国朝の政をあげて、皆ことごとにゆだねたてまつる」というくだりだ。

 つまり、日本の最高位の職階を与え、天皇家出身の家柄の女性と結婚させて、百済における全権を付与したのだ。豊璋は来日以来31年、日本の皇族にすっかりとけ込んでいた存在で、日本の将兵を指揮したとしてもそんなに違和感がなかった。

 しかし破綻はすぐやってきた。日本の軍事顧問との衝突や福信の軍政と新宮廷の権限争いなどだ。その様相を見て新羅も攻勢を強めてきた。日本はここで一挙に百済の安定を図ろうとしたのか、天智天皇称制2年の3月、2万7千人の大軍を渡海させた。

 今回は、今までと違って百済救援ではなく、目的を「新羅を打つ」としている。それは、唐と対敵する可能性を否定できず、明らかに天智の意向を反映したものとはいえない。この食い違いに決定的な打撃を加える事件が百済に起きた。

 こともあろうに、百済復興の功臣・福信を豊璋が殺してしまったのだ。謀反の疑いがあるといって卑劣な方法で逮捕、掌に穴を空け革ひもで捕縛し、佞臣のすすめで切り捨てさらに酢づけにして首をさらしものにした。この残虐ぶりは、明らかに福信の人気をねたんだ仕打ちだ。

 これが、福信を恐れていた新羅軍を一挙に勢いづかせることになった。新羅は州柔(つぬ)城奪取に向かい、豊璋は日本軍と合流して白村江(はくすきのえ=錦江河口付近という)に待つという布陣で戦いがはじまった。

 唐も高麗での戦いが進展せず、百済からの牽制がどうしても必要だ。白村江に軍船170艘を連ねて対峙した。これが8月末のことである。最初に日本軍がしかけ、あえなく敗退した。そして翌日、日本の諸将と豊璋が語り合い、「双方で先を争うように責め立てれば相手は退くだろう」と、のんきな作戦をたてた。

 『書記』に「気象をみずして」とあるので、潮目も考えずにということだろう、東軍は左右からこれを挟み撃ちにし、船首をめぐらすことさえ自由にならず、飛び込んでおぼれるものが多かった。これは中国側の文献にも多く記録されている。

 旧唐書、劉仁軌伝では、「倭兵と四戦して勝つ。その船四百艘、炎煙は天にみなぎり、海水は皆赤色となる」とある。中国特有の誇張で、倭船千艘と書いた書もあるが、いいところ両軍で400艘、1000人足らずだろう。そんな大軍が一カ所に展開できるはずがない。

 しかし、中国は太古から火攻め水攻め、大軍の展開に日・百とは比較にならない経験、蓄積がある。そのような知識が宮廷の一部や軍の幹部になかったことが悲劇を招き、一瞬で帰趨が決まった。豊璋は、数人を連れて、いちはやく船で高麗に遁走し、日本軍も百済の要人をともなって、なだれをうつように日本に向かった。

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2009年4月29日 (水)

昭和の日雑感

 みどりの日がいつの間にか「昭和の日」になった。改正した法律の趣旨は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」のだそうだ。最近でも右翼がもりあげに躍起になってるというが、チョット無理だろう。

 なぜならば、右翼のねらいとするところが、昔の明治節のように単純化した天皇礼賛の日にしようというのなら、これは失敗する。なぜならば「趣旨」には、回顧するのが昭和天皇ではなく「昭和の時代」とはっきり書いてあるからだ。

 ただ、「復興」が何からの復興か、戦争も敗戦も占領も全く書いていないので、非常に性格をあいまいにしている。そこが右翼の付け目なのかも知れない。戦争を挟んだ昭和の歴史を徹底検証し、過ちを繰り返さないよう将来への教訓にするという趣旨であれば大いに賛成する。右翼は何にスポットをあてようとしているのだろうか。

 ショウワ、ショウワ?。

♪昭和 昭和 昭和の子供よ 僕達は

 僕達が生まれるころできた歌だ。中の節は3番それぞれに違うが最後は、

♪行こうよ 行こう 足なみそろへて
  タラララ タララ タララララ

となる。まん中は、1番がキリリとした富士の山へ、2番がのぞみ大きく明るい日本晴れ、3番が鳥なら力の強い鷹へ、という久保田宵二の作詞である。満州事変直前、3番が鳩でなく鷹なのが意味深ではないか。世界恐慌のさなかで、日本晴れとはいえない時代だったはずなのだが。

 天皇の時代でよかった、という歌なら次が極めつけである。明るくないが節をつけて盛んにうたわされたものだ(小学生にはむつかしくてピンとこなかった)。

♪みたみわれ生けるしるしあり
   天地の栄ゆる時にあえらく思えば

 万葉集にある海犬養岡麿の詩だ。本ブログで連載している天智天皇の弟・天武天皇の時代である。この時代には、山部赤人など御用歌人が盛んに天皇神格視に協力した。日本の長い歴史の中で天皇賛歌がこれほど盛んになったのは、天武、昭和の2時代に尽きるだろう。

 「昭和の日」、ブログのテーマにして今日一日を有意義に過ごしたい。

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2009年4月28日 (火)

ゆく春や

2009_04280022  ★スペイン風邪 王様罹患で その名つく
メキシコ風邪?、ブタ風邪?つけられる方も大迷惑。

2009_0428  ★ミツバチが いたぞとカメラが 大騒ぎ
ミツバチ不足で果物農家への影響が深刻。
こちらは女王蜂に感染症?とか。

 

2009_0428_2 ★カルガモは 少子高齢 憂いなく
留鳥のカルガモは鳥インフルの心配当面不要。

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2009年4月27日 (月)

「議員=職業」の誤謬

 先週金曜日に「世襲禁止は差別で愚策」というエントリーをあげた。日曜日のニュースを扱うワイドショーもこの問題で花ざかりであった。全部を見たわけではないが、最初から「世襲」に批判的な編集になっており、わずかに現世襲議員等の間で「憲法が保障する職業選択の自由に反する」というような意見が紹介されていた。

 ちょっと待ってほしい。本ブログが上げた憲法第十三条[個人の尊重]や、第四十四条[国会議員及び選挙人の資格]には触れず、本ブログが指摘していない第二十二条[居住・移転・職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由]を上げている人やマスコミは、日本語を知らないか、憲法をよく勉強していないのではないか。

 議員に、職務や職権や職責があり、失職もするがそれ自体が職業ではない。なっとくのできない人は『広辞苑』を見てほしい。

 しょく-ぎょう【職業】[史記孔子世家]日常従事する業務。生計を立てるための仕事。生業。なりわい。(以下略)

 議員は、職業安定所(ハローワーク)で紹介されてなるものではない。選挙を経て国民から推されてなるものだ。地方議員なら歳費だけで生計が立てられず本来の職業を捨てられない人もいる。議員を金儲けの手段、割の合う業=なりわいだと思うから、そんな取り違いが出てくるのではないか。

 昔は「井戸、塀」といって、議員になると志のために私財を使い果たし、井戸と塀しか残らないと言われたものだ。「職業選択の自由」なとを持ち出して、てんと恥じない程度の候補は、世襲でなくても制限したくなる。

 重ねていう。民主党は、日本国憲法の趣旨を尊重し、自民党の画策する改憲指向に反対のマニフェストが作れるような党内体制を採れないようでは、自民との体質の違いがいつまでたっても鮮明にならず、自民党に政策をパクられて終わりになるだろう。「世襲制限」は次元の低い姑息の手段だ。

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2009年4月25日 (土)

異説・天智天皇7

 斉明天皇の6年(660)暮に飛鳥の都を後にした女帝は、あとわずか8か月で寿命が尽き、再びこの地に立つことがないとは考なかっただろう。神功皇后が外征の先頭に立ったという伝承はあるが、あとにもさきにも女帝自ら都をあとに軍を統率したことはない。

 博多湾から川を遡り、両岸の山が迫る要害の地、後の太宰府をこえて海から3、40キロ離れた朝倉宮に着いたのが5月、その2か月後に女帝は崩御した。60歳だった。皇太子・中大兄は母の死とほぼ同時に素服称制、つまり喪服のまま軍政にたずさわった。

 前回まで国際情勢を述べてきたが、やや複雑なので簡単に復習しておこう。朝鮮3国のうちここ20年近く百済と高麗が結託して新羅を圧迫していた。新羅は唐の歓心を買いながら救援をもとめ、唐も隋の時代から果たせなかった高麗との紛争解決に決着を着けたかった。

 そのため、唐は渡海して新羅と百済を挟みうちにし、わずか3日ほどで百済王室を滅ぼして王以下百僚を捕虜にした。逃げおおせた将軍・鬼室福信が残党を集めて反撃、奇跡的な勝利を得て王宮を復活、日本に人質として滞在していた王子・豊璋を擁立することと、軍事援助を求めてきた。

 これが去年のできごとである。日本にとって朝鮮3国の興亡は人ごとではないのである。政治の記録を担当する官僚、建築設計、仏教、織物・冶金等の産業など多くは韓人(からひと)という渡来人に支えられいてる。

 これを如何にうまく分割統制していくかが政治の要諦なのだ。これまでも朝鮮で起きたバランスの変化は直ちに政変に結びついた。百済の滅亡は国益に大いに関係する。しかし、唐が加わった今回の政変に直接干渉することはさすがにひかえられた。

 そこに起きた、鬼室福信による百済復活劇である。斉明女帝による対新羅主戦派に対し、入唐の経験がある孝徳側近とその薫陶を受けている中大兄らは、毎朝城門前で規律のとれた訓練を繰り返している唐軍の姿や、何千年も前から戦国の世を経験している中国と衝突すれば勝ち目のないことを知っている。

 当然、そのあたりを慎重に配慮していたはずだ。まず8月に百済救援のめ、五穀と兵(人数不明)を百済に送った。さらに9月、豊璋に最高位の位を授け、護衛の兵5000余をつけて福信のもとに送り届けた。そうしておいて10月7日に天皇の遺体を奉じて海路帰京の途につく。

 その途中、ある所に寄港、次のような歌を詠む。

 君が目の 恋しきからに 泊(は)てて居て
   かくや恋ひむも 君が目を欲(ほ)り

 解説するほどの文才はないが、「どうかもう一度目をあけてください。優しい目をみせて下さい」という心情が伝わってくる。夏場を過ごしてこれ以上遺体を保持できなくなり、ここで火葬に付したのではないかと想像される。それから約1か月余り飛鳥で喪に服した。

 筆者は、改革派でありながら母と意見が違っても逆らわなかった中大兄の「マザコンぶり」をここに見る。彼が16歳の時、父舒明の弔辞を健気に読み上げてからこのかた、細心の注意を以て中大兄守る果敢な決断をしてきた。異母兄・古人大兄の殺害や孝徳の子有間皇子の謀殺もこれに当たると思う。

 しかし、百済王朝の復活は改革派といえども反対の理由はない。また斉明崩御の直前、唐から帰国を許された遣唐使が復命しており、その中に唐は朝鮮3国の現状変更が目的ではなく、捕虜とした百済王室も保釈したことから、唐の経営方針に反しない限り百済復活を認めるだろうという情報をつかんでいた可能性もある。

 その後1年半ほどは「新羅討伐」という文言が『書記』から消えていた。また、この間に唐の捕虜と称される106人が福信から贈られているが、この中に後に「音声博士」という厚遇を受けて、『書記』の一部執筆を受け持ったとされる続守言(森博達・説)が含まれているという。この小康状態が破られたのが662年、天智称制2年の春である。

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2009年4月24日 (金)

世襲禁止は差別で愚策

 国会議員の候補者から世襲候補を閉め出すという計画が進んでいる。民主党は岡田克哉氏が中心になってマニフェスト化する方向で、自民党も菅義偉氏が導入に積極的になっているという。政党が公認候補の選定基準にするのは勝手だが、今の小選挙区制のもとで両党から世襲に当たる候補が排除されれば、政治信条を無視しても小政党の候補になるか無所属で立候補する以外になくなる。

 そうすると、候補者だけでなく有権者も選挙の自由を奪われ、仮に世襲議員として当選しても政治活動は大幅に制限される。これは、法制化されなくてもあきらかな憲法違反の社会的差別である。

日本国憲法----------
第十三条[個人の尊重]すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条[法の下の平等、貴族制度の禁止、栄転の授与]すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

第四十四条[国会議員及び選挙人の資格]両議員の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。
--------------------

 そもそも、世襲のどこがいけないのか明示されていない。いろいろな事件や政治行動に関連して「あれも世襲、これも世襲」といった、マスコミが作り上げた「貴種に対するやっかみ」に過ぎないのではないか。

 選挙の際に必要な地盤・かばん・看板の看板に頼ってでてくるから苦労がたりない?。そんなのは今をさかりのタレント候補の方がもっと大きな看板を背負って出てくるではないか。それも排除するのでなければ理由にならない。

 たしかに、世襲といわれたここ4代続いた首相に多くの問題があり、不祥事で辞任した大臣もいる。しかしそれと世襲のどこに本質的な関係があるというのだろう。逆に選挙で無理をしなくてもいいから、小手先の利益誘導より国家的な政策に取り組める、政治に対する関心、知識が幼少時からインプットされており、政治を志す有能な人もいる、などの利点もあるはずだ。

 要は、世襲ではなく人物が問題なのだ。上記の違憲問題を含めて両党の推進者はそれをどう考えるのか。またマスコミも選挙目当てか、と言う程度で正面からこれを批判しないのはどうしてか。有名人の看板だけにひかれ、政策や経歴も吟味せず投票する選挙民に一番問題があるのは確かだ。

 こういったことに、正面から取り組み、改憲を画策し基本的人権を軽視する自民党を攻撃するのが民主党の役目ではないか。そこいらを党内意見がまとまらないからといって、世襲禁止などという愚策を公約にかかけるようなことでどこまで国民の目がとらえられるか、大いに疑問である。直ちに取り下げてほしい。

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2009年4月23日 (木)

自衛隊の体質と改憲

 昨年2月19日に起きた海上自衛艦・あたごと漁船の衝突事故から1年あまりたって、乗務士官2名が21日、業務上過失致死などで起訴された。艦長ほか自衛隊上層部はおとがめなしである。当時、事実の隠蔽や口裏合わせ、そして自衛隊に内在する綱紀や体質の欠陥が取りざたされ、石破防衛大臣がトマトのような顔をさらに赤くして抜本的改革に努力する、と言っていたことを思い出す。

 (参考バックナンバー「ゴーストップ事件」「あたご事件と2.26」)

 それ以後、その公約の成果が表れたのだろうか。それを検証するのはマスメディアの責任だと思うが、とんとお目にかかることがない。つい最近の北朝鮮ミサイル発射のダブル誤報もひどいものだか、人命にかかわりがないせいか、またはほかに原因があるのか、早くも忘却の彼方へ追いやられそうな気配だ。

 「防衛省担当の防衛記者会は、長年の当局からの接待攻勢と、防衛記者の“兵器オタク”化と懐柔策の成功で<防衛省広報部>と揶揄される程の<報・官>の癒着ぶり(川邊克朗「世界」2007/11)」は、今でも続いているのだろうか。

 自衛隊の不祥事は、守屋武昌元事務次官の汚職をもってその頂点をなすが、細かいことについては枚挙にいとまがない。その中でどうしても見過ごせないのが文民統制がうまく機能していない事である。これは文民といわれる人、すなわち政治家の多くが軍事(現場)に対して知識がゼロに近いことと、防衛に関する権限・任務など組織上のあいまいさが放置されているからであろう。

 田母神俊雄元空幕長のレベルの低い修正史観で、政府方針を否定する論文が公然化したのはそう古いことではない。しかし、これも今や一件落着の様相である。いや、もっと古い話で、元・イラク派遣自衛隊長が先の戦争のきっかけを作った関東軍の独断専行そのままの暴言に対して、社会的制裁を受けるどころか、自衛隊を代弁する自民党・参議院議員となってテレビのワイドショーで活躍中である。

 海外での武力行使、文民統制という2重の憲法違反を自覚しながら犯そうという言論が公的立場で堂々と行われる異状さは、エスカレートすることはあっても決してなくなってはいない。国民の安全という一刻もゆるがせにできない、また間違いが許されない問題について、不問に付してしまう政治とジャーナリズムの識見劣化は覆い隠せないようだ。

 自・公はここにきて突如憲法審議会を立ち上げる動きにでてきた。民主党内や野党憲法論議が統一されていないことをあばきたて、選挙戦術の一環とするためだという。そこで、上記の佐藤正久議員がかつて示した本音を再録し、健忘症的無関心と安易な軍国主義復活ムードに歯止めをかける警鐘としたい。(2007年8月10日、TBS「筑紫哲也ニュース23」)

 オランダ軍が攻撃を受ければ「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる状況を作り出して警護するつもりだった」「巻き込まれない限りは正当防衛、緊急避難の状況は作れませんから」「日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと……」

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2009年4月22日 (水)

雨上がり

 2009_04220001 うなだれし 花も穀雨で 目を覚まし

                反戦塾頭(乞クリック)

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2009年4月21日 (火)

異説・天智天皇6

 斉明天皇の6年9月、百済は正式な使者をたてて、百済滅亡の経緯を天皇に奏上した。7月に新羅が強力な軍事力をバックに隣国のよしみを捨てて唐人と結託して百済を転覆させた。国王や重臣は捕虜となりほぼ残るものはいない、と言う趣旨である。

 これで見ると一方的に百済が犠牲者の立場にいるようだが、中国や朝鮮の文献を見ると抗争の根は深く、女帝が皇極として即位した頃から20年近くも続いている。すなわちこの間、百済が高麗と結託し、新羅をたびたび侵略していたのだ。

 そのため、新羅は唐に救済を求め、また唐も隋の時代から失敗を繰り返していた高麗攻略に転機を求めていた。それには百済・高麗同盟にくさびを打ち込み、南北に兵力を分散させたいと願っていた。日本は三国鼎立の状態で安定的に交流できるのが一番いい。日本国内でもぞぞれの文化や移住者を受け入れており、国内に抗争の要因を持ち込まれるのが一番困る。

 したがって、開明派が主流であった孝徳時代は、シリーズ3で述べているように保守・主戦派の巨勢徳陀古臣の積極策などは採用されず、積極介入を避けるのが賢明な方策だとしていた。それが一転、朝鮮出兵にかじが切られたのは次の事情である。

 百済でかろうじて唐の手から逃れていた鬼室福信という将軍が残党を募り、最初はほとんど素手で抵抗組織を立ち上げた。それで新羅の武器を奪い百済に精鋭軍を再建、王城を確保した。国民の人望は一挙に福信に集まり、唐もあえてこれを排除しなかった。

 その報告は、10月唐の捕虜100余人を引き連れた福信の使節によりもたらされた。そして、日本に質として滞在する王子・豊璋を帰国させ国王に擁立するとともに、軍事援助も求めてきた。これにすぐ反応したのが斉明女帝である。

 こんな要旨の詔勅をだした。「軍事援助を求められ、危機を救い、絶えたものを復活させることは昔から常道とされている。今国が亡び窮状を告げるところもなく、臥薪嘗胆して遠くわが国を頼ってきた。その志は無にできない。わが将軍に命じ、多くの道から進軍し新羅に向けて集まり雲の如く会い雷の如く動けばそのあだを返し、苦しみをやわらげよう。すぐ王子に礼をもって出発させよ」。

 女帝の堰を切ったような好戦的な宣言はどこから来たのだろう。暮れもせまっているのに出兵のため自ら難波宮に移り、出兵準備のため造船を指示し、兵糧の集積を命じた。『書記』はここでも、批判の童謡、わざうたや不吉な前兆のいくつかを紹介している。つまり世論は「反対」だったのだ。

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2009年4月20日 (月)

異説・天智天皇5

 斉明天皇6年夏5月、『書記』が「皇太子、初めて漏剋を造る」(前掲)と書いたことを前回紹介した。飛鳥の都に「チーン」といったか「カーン」となったかは定かでないが定刻になると鐘の音が響いた。そののどかさとは裏腹に「国こぞる百姓(おおみたから)、故なくして兵(つわもの=武器)を持ちて、道にかよう」という不穏な雰囲気を伝えている。

 これには、「長老が言った。これは百済の国が滅亡する前兆だ」という注釈をつけている。この頃すでに唐の百済侵攻は、決定していたが、実際に新羅連合軍の攻撃を受けて王室が唐に拉致されるのは2か月ほどあとだ。こういった百済滅亡の予言は、ほかの事象についても「或本に曰く」として紹介しており、天皇家以外の政権批判が多かったと見ていい。

 しかしこういった予言はどうも後付けらしい。百姓(一般庶民のことで農民とは限らない)が武器を持って往来していたというのは、事実だろう。それは、阿倍比羅夫による北伐に動員された兵士達であろう。そんなに大軍ではないが、同年まで連続3年にわたり連続派兵し、延べでは万を超えているだろう。この前後にも捕虜50名余を朝廷に献上している。

 ことにこの最後の回は、激しい戦闘もあったので、兵士には論功行賞で武器の下賜があったと見ていい。大相撲千秋楽の三役勝利者に給う、弓とか矢と同じである。だからこれは勲章であり、誇らしげに都の中を持って歩いたという社会現象なら大いにあり得る。

 さて、ここで紹介しておきたいのは、「伊吉連博徳書」という折から遣唐使に随行していた官僚の報告書紹介の記事である。これは、『書記』の中の引用文献の中で、漢文の誤りも訂正されずに原典を忠実に反映しているなどと、高い信頼性を得ている部分である。以下は、その概略である。

 ――斉明天皇の5年7月3日に遣唐使の正使・坂合部石布連と津守吉祥連が2隻の船で難波を出発した。筑紫の大津(福岡)、百済の南の島を経て大海に乗りだす。石布の船が逆風に遭い漂流して南の島に漂着、島人の船を盗み出した5人をのぞき、石布らは島人に殺されてしまう。

 吉祥連の船は、3日ほどで杭州湾南岸に着き、閏10月29日に洛陽に入った。翌30日に天子高宗と面会し議事録を残している。まず、天皇をはじめ閣僚の安否にはじまり、国内情勢の説明をする。そして同行した異様な風俗そのままの蝦夷(えみし)を紹介する。

 蝦夷の居住する地域や種類、住居の有様や食料、生活実態などを、極端に原始的であるかのように説明し高宗の関心を引いた。次ぎに冬至のセレモニーに各国の代表とともに天子と再会するが、日本の代表が一番風采が上がっていたと自賛する。蝦夷の演出で大国に見せかけたことに自信を得たのだろう。

 ところがここでハプニングが起こる。随員の中に讒言する者があって間諜と誤解された。伊吉連の弁解が通じて罪一等を減じられ、西安で幽閉される。その説明の中に「来年予定されている政治的な理由(百済出兵であろう)で帰国は許されない」とあった。

 翌年の8月、百済の平定が終わり9月12日に、帰国の許可が出て釈放される。11月1日に百済王など拉致されて京に連れてこられた50人余りも高宗から許される。他方遣唐使らは、同月19日に天子の慰労を受けて24日に洛陽を出発、帰国の途につく。――

 帰国すると、天皇は大和ではなく筑紫の朝倉の宮にいた。7年の5月23日、遣唐使らはここで復命することになる。斉明女帝死去の2か月前である。この間の朝鮮と国内情勢は次回にゆずる。

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2009年4月18日 (土)

見放された北朝鮮

 韓国の有力紙「朝鮮日報」電子版に北のミサイル発射に関する次のようなコラムが載っていた。すこし前に「北朝鮮の虚言症」という記事を書いたが、国際的な反応として相通ずるものを感じ興味を覚えた。

 それは米国の民主党に強い影響力を持つブルッキングス研究所の朴善源研究員(Brookings Institution,Dr Sun-won Park)が、同研究所のホームページに発表した報告「平壌がまたも失敗、北朝鮮による3回目のミサイル発射と金正日の読み違い」を紹介したものである。

 この朴研究員の前歴がものすごい。前・盧武鉉政権では、統一外交安保戦略秘書官という地位にあった。つまり金大中政権以降続いた「太陽政策」を実現させるため、北朝鮮とコミットし関係を緊密にする役柄である。

 氏は1960年代生まれで、韓国では「反米運動第1世代」といわれ、ソウルの米国文化院占拠事件で身柄を拘束された体験も持つ。また、近くはマカオの銀行の金融制裁を解除するため、米政府とわたりあいブッシュ政権の関係者から「忌避すべき人物」との烙印まで押されたという。

 その朴氏は、まず、「オバマ政権はブッシュ政権とは異なり、米中首脳会談にも意欲的で、新たな関係の始まりに向けて北朝鮮に手をさしのべていた」のにもかかわらず、これを軽視し、安保理の議長声明に「待ってました」とばかり強硬な対応するに至ったのは、失敗だとしている。

 それは、日、韓、米が北朝鮮問題について強い連帯感を持つようになったこと、これまで国際社会の中で後ろ盾になって支えてきた中国とロシアに疑念を生じさせたことであり、核開発を続け6カ国協議を破棄するような道をとれば、「北朝鮮は永遠に不良国家として存続する以外にない」と結論づけている。

 身勝手な金正日時代がいつまでも続くはずがない。しかし今までのように東アジアに余計な不安材料を増産し、自滅への道をひた走るような愚を誰が是正するのだろうか。それとも、1951年に父・金日成が失敗した北主導の朝鮮統一をいまだに夢見ているのだろうか。

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2009年4月17日 (金)

異説・天智天皇4

 斉明天皇が即位してまず着手した事業は大土木工事と建築工事である。それらを列挙しよう。

1.飛鳥の小墾田(おはりだ)というところは推古天皇の時代、初めて中国(隋)の国使を騎兵隊の儀仗つきで晴れがましく迎え入れた由緒ある宮どころである。斉明は大規模な瓦葺き建築を目論んだが、それを支える太い木材が足りず途中で放棄した。結局即位時の板蓋宮が火事で焼け、川原宮を経て岡本に敷地を求め、数年かけてそこを根拠地にした。

2.田務嶺(飛鳥東方、現・多武峯最高点海抜603㍍)を巡るように垣をめぐらし、その上に楼観を建て両槻(ふたつき)と名付ける。次に記す運河とともに、唐の侵攻に備えた軍事施設だという説があるが、それならば、地形から見て後に天智が施工したように、生駒山系の高安あたりに防塞を築くのが自然だ。これは祭祀に用いる寺院であろう。

3.香具山の西から石上山(現在の天理市あたりをいうなら延長12㎞以上になる)まで運河を造り、舟200艘で飛鳥まで石を運ぶ。その石は「宮の東の山に石を累ねて垣とす」とある。2000年に発掘された水仕掛けの一部らしい亀形石造物が有名になったが、それを取り囲むように小型のコロシアム状の石積みがあって、それである可能性が強い。

 そのほかに吉野宮を作ったとしているが、『書記』はそれらを「時の人謗(そし)りて曰く」との表現で公然と非難している。すなわち、運河は「狂心の渠(たぶれごころのみぞ)」であり、掘削に3万余、石の運搬や垣の造成に7万余の労働力を無駄にし、建材の木を腐らせ、山裾は破壊されたといい、未完のまま放置されたことを暗示している。

 これらを斉明女帝の個人的な嗜好だとしてしまうのはちょっと酷な気がする。前代の孝徳も難波に豪華な宮殿を造営した。それは外国使節団に都の偉容を示すためであった。斉明はそれに劣らぬものを作りたかったのだろう。

 しかし、水運が開け交通の要衝で商業に適し、自然に人と物の集まる難波とは違う。かつて孝徳のもとに集まった開明派は、中大兄を含めその無謀さに気がついていた。また、中国はスケールがお大きく朝鮮外交とは全く次元の異なることも知っていた。

 斉明紀の中で大きなスペースが割かれるのは、阿倍比羅夫による秋田・北海道方面への3回にわたる遠征である。これも、斉明が望む労働力としての蝦夷の確保と、開明派である比羅夫が、折からの唐・高麗間の紛争に影響を持つ北方民族・粛慎(みしはせ)の北海道進出を聞き、その実態を調査をするという二面的な目的があった。

 前に中大兄は『書記』に情報量が多い、と書いたが青壮年に当たる斉明紀にはほとんど記述がない。斉明の存命中に書かれた実績は、孝徳の息子である有間皇子が謀反の嫌疑で中大兄の訊問を受けたということと、初めて漏剋(ろこく=水時計)を造り民間に時を知らせたという2件だけである。

 一見、引きこもり状態にも見えるのだが、中国伝来の科学技術・漏剋の開発という一面は、たしかに科学者・昭和天皇に受け継がれている。当時の皇位継承は、天皇の推薦、豪族の一致した支持、血脈の正しさの3つで決まり、皇太子即後継者ではなかった。

 その点、有力な有資格者ではあるが決定的なものではなく、よほど身の危険に迫られない限り出過ぎたことをしないようにしていたのかも知れない。これまでの数代はいずれも犠牲者を出している。まず、母斉明の意に添うことを第一にしていたのではなかろうか。しかし、真相は不明である。

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2009年4月16日 (木)

続・社民党に与う

 海賊法案に対する社民党の対応が毎日新聞にでていた。以下は同党幹部の発言内容である。

・日森文尋国対委員長・「民主案は与党案よりもずっと中身がいい。しかし、自衛隊が出ることには(党内に)伝統的な(反対)意見もある」

・福島瑞穂党首・「政府案には大反対。それを修正してどうなるか」

 過去には、土井委員長の「駄目なものは駄目」という有名なせりふがある。当塾としてなにか記事にしたいと思ったが、どう考えてもため息がでるばかり。そこで、手抜きで気がひけるが、前の記事に飛んでいただいてお茶をにごす。

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2009年4月15日 (水)

北朝鮮の虚言症

 安保理の議長声明に対して、北朝鮮は「6カ国協議は不要」とする強硬な姿勢で反応した。すべて想定内のようで想定外のことが一つある。それは、「非難」の文字が入るなど、議長声明が日本政府も満足するほど強硬なものになったことである。

 朝日新聞などはこれを日本外交の勝利などと説くが、そうではあるまい。ロシアや中国が議長声明案に歩み寄ったのは、北朝鮮が「人工衛星を軌道に乗せた」という子供だましの嘘を公然と世界にまき散らすなど、両国の面目に配慮を欠いた北の虚言症に愛想をつかしたからであろう。

 両国とも、打ち上げ前は人工衛星説をかげながら支持する立場だった。本塾も、その可能性は前回と違って事前の通告をしたことなどからあり得ると見ていた。前にも繰り返しているが、そうだとしても弾道ミサイルと技術開発では共通することには違いない。

 北朝鮮は衛星の楕円軌道の距離や、発信電波の周波数まで公表、国内向けには、受信将軍賛歌の録音なるものを流した。だけど世界ではロシアをはじめそれを検証できたという情報はない。軌道追跡などという高度な装置でなくても、地上に届く電波は、アンテナと受信器さえあれば誰でにでも確認ができる。

 外交のかけひきで国家が嘘をついたり、情報操作を駆使するのは当然で、場合によっては国運をかけた激しいやりとりになる。それを一般人がどこまで本当か嘘かを見極めることは、まことに困難である。ところがこの件は、本人以外にだれも証明する人がいない。北は見え透いた単純な嘘を天下にさらさし、世界と自国の人民を愚弄した。中国・ロシアが「それと同類と見られたらたまらない」という気になるのは当然だろう。

 仮に、北が「衛星の切り離しに失敗しました。今後できたら各国の協力を得て成功させ、平和に貢献したい」という声明でもだしていたらどうなるだろう。日本とアメリカがその裏を疑ったとしても、安保理に上げることさえ困難だったかも知れない。

 北朝鮮がこのような嘘を平気で流し続けるようなら、いずれ世界の人民に見放され、信頼を失う。「軍事・経済ともに世界の最盛強大国になる」などの目標は、その逆はあり得ても絵空事にすぎないことを知ることになるだろう。かといって、日本政府が脅威論と制裁一本槍で対応を人任せにしたまま、交渉の糸口にさえたどり着けないというのも、まことに芸のないことだ。

・関連過去記事
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_1e43.html
 

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2009年4月14日 (火)

異説・天智天皇3

 斉明天皇が飛鳥で即位すると、『書記』には早速次の記事が表れる。

 夏五月の庚午の朔に、空中にして竜に乗れる者有り。貌(かお)、唐人に似たり。青き油の笠を着て、葛城嶺より、馳せて胆駒山に隠れぬ。午の時に及至りて、住吉の松嶺の上より、西に向かいて馳せ去ぬ。

 つまり、飛鳥に近く外国からの移住者が多い葛城あたりから、空飛ぶ怪人が奈良・大阪の県境の山を北上し、難波港の方に向かった、といううわさ話だ。ここで気をつけていただきたいのは、「笠を着た」怪人である。もう一つ、斉明が遠征先の福岡県東南部の朝倉宮で病死した時の話を紹介しよう。ここでも「笠を着た」怪人が現れるのだ。

 是の夕に朝倉山の上に、鬼有りて、大笠を着て、喪の儀を臨み見る。衆皆嗟怪ぶ。

 見過ごされがちだが、皇極紀や斉明紀にはこういった奇談や童謡(わざうた)などを載せるケースが多い。自然現象や社会現象から先を占うという女帝の時代で、国記にもそれが反映したものという解釈もできる。だが決して無駄につけ加えられたものではなく、そこに何らかの意味を持たせようとしたものに違いない。

 この笠を着た人は、中国のスパイだ、という説がある。あり得ない話ではない。『書記』には、日本からひそかに派遣した役人が百済高官の自宅に潜入する話しがあり、既に駅馬(はいま=早馬)といった高速通信網も整備されていた。それなりの国際情報組織のようなものがあっても不思議ではない。

 こういったことから、斉明女帝の出現と死去はやはり中国との関係を抜きにして考えられない。前回、斉明を「中国嫌い」と評したが、孝徳ら革新派が「媚中派」というわけではなく学問僧などを通じた「知中派」と言った方が正しい。

 中国と朝鮮の間に微妙なバランスの変化を日本が感じ取ったのは、孝徳崩御の3年程前である。新羅の朝貢使が民族衣装の朝鮮服にかえて中国服を着て表れたのだ。これでは中国の出先のようで、日本として直ちに受け入れがたい。筑紫から追い返してしまった。

 この時、左大臣巨勢徳陀古臣が天皇に奏上している。「今、新羅を討っておかないとあとで後悔することになります。まず、難波から筑紫にかけて軍船を連ね相手を脅迫することです」といった。巨勢臣は、例の改新のクーデターの時、蘇我の精鋭親衛隊に乗り込み説得して逃亡させた軍人出身者で、保守派の巨頭になっていた。

 新羅が中国との連携を計ったのはさらに3年はどさかのぼる。しかし巨勢の案は姑息の手段として採用されず、種子島や東北などの領域拡大や内政の安定・充実など国力増進を最優先課題としていた。つまり、中国との差をよく認識しておりより優位に立ちたいということだったのだ。

 斉明天皇の2年、これまでの慣例に従って新羅に遣唐使の先導役を依頼したところ、体よく断られた。新羅が中国に接近したのは、隋の頃から国境を接し互いに攻防を繰り返し手を焼いていた高麗を遠交近攻で挟み撃ちにしようという魂胆があるからである。ここでまた斉明の心は傷ついた。

 百済と日本ははっきりいってじゃまされたくないけむたい存在になる。日中の緊密化は嬉しくないわけだ。斉明の嫌中はともかく、応神朝以来日本に根付いた産業、技術、仏教、文化は移住者に支えられており朝鮮三国のバランスの上で成り立っていることを無視できない。ことに、百済の質として滞在する王子たちは、宮中の一員のように扱われていた。

 また、それは日本の権力の根源をなしており支配層共通の認識であったと考えてもいい。これまで触れてこなかったが、中大兄は、中臣鎌足などとともに南渕請安の講義を受け、孝徳と大化改新を推し進めるなど改革派であるが、朝鮮の安定に関して母と対立するようなことはなかった。

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2009年4月13日 (月)

異説・天智天皇2

 西暦655年1月3日、斉明天皇が飛鳥板葺きの宮で即位した。この場所は10年前、皇極天皇の面前で蘇我入鹿を中大兄が斬りつけ暗殺したところである。式典に参加した中大兄は気が晴れなかった。皇極天皇は中大兄の母である。皇極は、入鹿暗殺でショックを受け、中大兄に譲位すると言ったが、中臣鎌足の入れ知恵で辞退し、結局皇極の実弟・孝徳に政権が移った。

 その孝徳は難波の地に都を移し、いわゆる「大化改新」を中国留学経験者やその影響を受けた側近の助けを得ながら断行した。そのあと皇位を継いだのは、母である皇極(前回触れたように、煩瑣を避けるため天皇号を固有名詞のかわりに使う)で、いわゆる重祚、2度目の天皇就任である。

 以前の孝徳への譲位は生前譲位で、重祚とともに史上はじめての珍事である。しかし、中大兄の憂鬱はそんなことではなかった。皇極と孝徳の間に生じた決定的な姉弟間の感情の溝のことである。この対立は政権内部を分裂させただけではなく、外交問題にまで影を落とした。

 ひとくちでいうと「中国嫌い」である。これは、皇極がその前の舒明天皇の皇后だった頃に始まっている。この当時、近隣外交や相互の往来は比較的活発に行われた。これは、推古天皇以来続いた蘇我本宗家の功績でもある。

 外交使節の接遇は、朝鮮三国と中国で手順は同じながら、出迎えの人数、担当する官位などに差があった。しかし舒明天皇の3年に来日した使節・高表仁は難波まで来て天皇に会わず帰国したらしい。その理由は、旧唐書に王子と「礼」のことで論争ななったようなことが書かれている。

 王子とは誰のことかわからないが、朝貢国として日本の意を得たい朝鮮三国、ことに長期間王子を人質として逗留させる百済と、中国の差を実感していない宮中の外交感覚のなさが露呈したのではないか。皇極は、天皇家の中の女性の役割として巫女としての権威を非常に重視していた。『書記』には「天皇順考古道、而為政也」つまり、いにしえの道を考えて政治をおこなったと書いてある。

 卑弥呼以来の伝統であるが、天文・占星などによる予言、雨乞いの祈祷など皇極にはそれなりの実績と自信があった。その職掌とプライドを無視してはばからなかったのが、中国帰りの学者・僧旻(みん)である。

 大流星が現れ、爆発音も聞こえたということが世間で評判になった時、僧旻は「あれは流星ではない、天の狐である、その吠える音が聞こえたのだ」と言った。女性天皇、または皇后としての権威が台無しにされたと思ったはずだ。

 僧旻は、孝徳の時代に白いキジが発見されたと言って、元号を「白雉」と変えさせた。こんな風習は過去日本にない。皇極が遂に怒りを爆発させたのは、それから数年後旻が死去した際、皇極や中大兄らに孝徳が弔問を指示したことだろう。

 この年、これまた前代未聞の皇族集団家出が演じられる。『書記』は、中大兄が孝徳に前のやまとの都に遷都するよう求めるが聞き入れられなかったので、中大兄が、母の皇極、妹で孝徳の皇后である間人(はしひと)、後に天武天皇となる弟、さらに官僚まで引き連れて難波を去ったと書く。

 孝徳の妻である間人まで連れ出したのは、皇后には任務があり単なる天皇の愛玩物ではない、という強いメッセージを込めたものだろう。事実上の平和的クーデターである。孝徳は悲嘆にくれ一時引退を覚悟したが、外交や叙勲などの業務は継続され、高官であった中臣鎌足なども家出に加担しなかったようである。しかし、孝徳の余命はその翌年10月に尽きてしまう。

 

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2009年4月11日 (土)

安保条約まで戻れ

 在沖縄海兵隊8000人のグアム移転に日本側が上限で28億ドルを負担する在沖縄米海兵隊グアム移転協定の承認案が10日、衆院外務委員会で採決され、与党の賛成多数で可決された。民主党など野党は反対した。14日の衆院本会議で可決され、参院に送付される。野党多数の参院では否決される見通しだが、条約の国会承認は憲法の規定で衆院の議決が優先され、遅くとも参院送付から30日後には承認される見込みだ。(4/11毎日新聞)

 イラク政府は、米軍撤退とともに多額の資金を受け取った。日本は逆にべらぼうな移転費用なる内訳不明な金額をむしりとられる。もちろんイラクとは事情が違うが、なぜ「どこか変だ」と思わないのだろう。日米安保条約を見てみよう。(赤字は当ブログ)

 旧安保(吉田安保)
第一条 平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその付近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国はこれを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた日本国における大規模な内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。

 新安保(岸安保)
第六条 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国内において施設及び区域を使用することを許される。前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国の安全保障条約第三条に基づく行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。

 赤字で示されているように、米軍の駐留は、主権国家である日本国の許しを得てはじめて可能なのである。日本占領直後や冷戦の強い圧力があった当時でさえ、それが常識だった。「出ていってやるから金をだせ」といった、まるで居直り強盗のような言い分がどうして通るのか。移転はアメリカ側の都合でもある。

 これでは、「真の友好国」と言えるわけがない。それは長い間自民党政権が続く中で、「日本を守ってください、核の傘にいれてください(…聞こえないように…その方が楽だから)」と言い続けてきたつけを払わされているのだ。

 条約そのものは変わっていない。なのに知らぬ間にここまで押し込まれたのは、冷戦終了後も安逸をむさぼっていたすきにアメリカに先手を打たれたのだ。それが当ブログのカテゴリ「安保」で指摘したように、新ガイドラインを押しつけられた「橋本安保」、米軍のロードマップに従った「小泉安保」の時代へと変貌したからだ。

 ここまでは、一部の国粋主義的右翼の主張と完全に一致する。だから、「集団的自衛権を解禁し、憲法改正をして軍事大国になろう」というのと、当塾の主張である「日本憲法の原点に帰り、すくなくとも安保条約本体(岸安保)の線まで立ち返って、対等かつ真の友好条約のあり方を追求し直そうというところで違いがある。果たしてアメリカはどちらを望むのか。

 こうなったことには、与党と同じで安逸をむさぼっていた野党にも責任がある。野党の場合、ガイドライン等に沿った法案を政府が提出しても、法案審議という枠内でテクニック論に終始し、安保・外交の基本的戦略・理念を追求し得なかったということはないのか。

 そう考えると、現状に変化を求め日米新時代を目指すためには、政権交代しかないのかも知れない。しかもそれは、自民党の負の遺産をひきずるようなものであってはならない。相手のあることなのですべて急に変える事ができないにしても、せめてオバマ並にしっかりビジョンをうち立てて総選挙に臨んでもらいたい。

 

 

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2009年4月10日 (金)

異説・天智天皇1

 「畏くも今上天皇陛下におかせられましては、天智天皇をことのほか崇敬あそばされる御おもむきと、もれうけたまわります。こん日の時勢に鑑み、国民として恐懼感激を新たにするものであります」。終戦前ならこんな言い回しをしなければならなかった。

 どうして7世紀の天智天皇がお好きなのか、成婚50周年とやらで皇室報道に精出す週刊誌に聞いて欲しかった。また、上記のような天皇を絶対視・神格視する言い回しがいつから始まったのかわからないが、すくなくとも7世紀当時は「天皇=てんのう」とは言わず「大王=おおきみ」であった。

 大王を神がかりにしたのは天智の弟・天武天皇のあたりからで、御用歌人、柿本人麻呂などの広報活動が利いている。「天智」というのは、後世に作られた漢風諡号(かんぷうしごう=中国式おくり名)、本名・開別(ひらかすわけ)、幼名通称・葛城皇子、即位前通称・中大兄である。大化改新といえば中大兄で、日本史の暗記項目だからこれが一番ポピュラーだ。しかし、本稿では天智(てんぢ)で代表させることにした。

 この天皇を取り上げようとするのは、白村江の合戦で日本開闢以来はじめて手痛い敗戦を喫し、中国(唐)、朝鮮(新羅)の追撃を恐れて本土決戦に備え、戦後処理に心を砕いた天皇だからである。いわば、昭和天皇と立場が似ている。

 題を「異説」としたのは、定説にはない憶測を入れた物語、いわば小説だからである。しかし、それはあくまでも『日本書紀』と、同書が明らかにしている参考文書だけを読んで組み立てたもので、津田史観やその亜流の学説のように「書いてあるからウソ、書いてないことが真実」という、およそ科学的ではない憶測には組みしない。その理由は「日・中協業」「日・中協業2」ですでに書いた。

 最初の回は、このブログ歴史シリーズの前例にならって白村江戦前後の簡単な年表を示すことから始める。( )は天智の推定満年齢。

・645年6月 母・皇極天皇の面前で蘇我入鹿を殺す。叔父・孝徳天皇即位、皇太子となる(19)。
・655年1月 孝徳天皇病没、母・斉明天皇重祚。(29)
・660年秋  新羅・唐が連合して百済侵攻、天皇は百済救援軍派遣を決め準備に入る。(34)
・661年1月 天皇、皇太子ら征西軍を指揮して、愛媛・道後温泉、博多港経由で朝倉宮に親征。
・661年7月 斉明天皇67歳で病没。征西軍は渡海。
・661年10月 服喪のため皇太子帰京。
・663年3月 27000人を新羅に向け増派。
・663年8月 白村江で唐軍と衝突。大敗して敗走・撤兵。(37)
・667年3月 近江・大津に遷都。即位する。(41)
・671年12月 大海人(弟・後の天武天皇)に譲位を申し出るが断られ、病没。(45)

 天智は、『日本書紀』の中では非常に情報量の多い人物である。記述は、舒明、皇極、孝徳、斉明、天智、天武の6代の天皇紀にわたっている。一般的には開明派であるとともに、積極果敢、武断派であるように見られているようだが、開明派はともかく、何度も即位の機会を見過ごし、40を過ぎて漸く天皇の地位につくなど、性格は優柔不断、どちらかというとオタクっぽい印象がするのである。

 そのあたりを、時代背景とともに朝鮮出兵と敗戦処理をめぐる天智の業績を次回以降に見ていきたい。
 

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2009年4月 9日 (木)

時計と収賄

松平定信『燈前漫筆』
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近年時計世に流行して、諸侯方居間に二三十、少くして十ばかりもありといふ、いかなる心にて翫び給ふぞや、其心は知らず、おもふに只何の心あるにはあらず、時の流行といふに雷同して、多きをむさぼるの心ならむか、

此器の用は時を計るものなれば、一つにても足りぬべし、遅速の見合わせのためぞとからば、二ッまでは可なるべし、二三十乃至四五十に至ては何の用なる事を知らず、工人は産業の折りを得たりと思ひ、形をいろいろにかへて作り出すを、是もめづらしかれも面白しと、限りなく求めらるゝ故に、終に三四十にも及ぶなるべし、

又時めく役人などは、諸侯の方をはじめ手入れとやらんに、何をがなと賄賂を争ひ贈る時節なれば、其人の好む品、又は時にはやる物といえば、我おとらじと贈るほどに、終に其数あまたになるにも有べし、武用の器なとならば、何ほども余計ありたきものなり、

させる用なき品に、金銀の費多きは奢侈のひとつなるべし、かゝる事を聞ては、其余無用無益の費さぞ多からんなれば、領分の百姓貢諸役の取立きびしく、家中の諸士も宛行を減ぜられて、因窮ならんと思ひやられてうとましくぞ侍る、
 dollar------------------------dollar

 贈る人の思惑と贈られる人の思惑はまったく別。贈られる人は贈る人の意を介することなく飾っておくだけ。別に法に違反するわけではない。ただ、国民の税金が無駄に使われ、地方公務員の俸給もけずられ士気も低下する一方。

 古い因習と時計集めにうつつを抜かす政治家たちは、早くなんとかしてほしい、そういった庶民の熱望にこたえて老中に抜擢され、寛政の改革を断行したのが松平定信である。彼は陸奥白河藩主として天明の大飢饉でも領内に餓死者をださなかった。

 今なら福島県知事からの転身、ただ「元気もりもり」だけの人とは違う。

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2009年4月 8日 (水)

賃金計算書

 昭和26年(1951)年の「賃金計算書」が出てきた。朝鮮戦争で釜山まで迫った北朝鮮が連合軍に押し返され、ソ連とアメリカが休戦を模索し始めた頃である。日本はまだ占領下であった。

2009_04080002_6  「給与明細書」とは書いてなく「賃金計算書」である。「給与」は会社が一方的に社員に与えるというイメージで労使対等の精神に反するという組合の主張によるものだろうか。

    左欄の<支給額>
基本給                 2700-
生計手当(扶養家族  人)               4120-
勤務地手当基本給と生計手当と合計額の15%)   1023-
早出残業手当( 29時間)        1653-

 合計で月収9496円、入社2年目で世間ではよい方だった。ちなみに、1年前の入社時は6千数百円、当時地方の代用教員の月収は3千円台だった。最下欄に「4月分精算額1522円」というのがあるが、春闘のベースアップと昇給による差額が示されている。

 生計手当は、扶養家族がいないのに基本給よりはるかに多い額になっている。これは、右欄の第一・二回仮払額とある月3回分割払いとともに、戦後うち続いたインフレに対処するための名残が残っているせいであろう。

 そのほか、「組合活動による賃金控除額」「欠勤、遅刻、早退等による控除額」などの欄があるが、一般組合員でも組合活動は委員会、大会などの出席に日割り時間割で賃金が差し引かれ、「ヤミ専従」など民間では想像の範囲を超えていた。

 勤務地手当は、東京・大阪などの15%から地方町村部の0%までの生活物価を反映する格差があった。しかし、時代を経るに従って逆の格差が生じるなど、組合内部でも意見対立が大きくなった。これも戦後買い出し経済の名残だろう。

    右欄の<控除額>
第一・二回仮払額      3200-
健康保険料            135-
厚生年金保険料        130-
勤労所得税              0-
社宅料                  12-
労働組合費            320- 
食事代                250-
互助会費                20-

 厚生年金保険料130円――、年金特別便というのが桝添大臣のほうから来るらしいので、またまだ大事にとっておかなければならない。所得税ゼロというのは年間を通じてそうだったかどうか覚えていないが、独身サラリーマンの安月給にはそんなに重税がかけられていなかったようだ。

 控除額の中で労働組合費が一番高いことが目立つ。社宅料は、木造2階建て独身寮6畳1間2人住まいの賃借料負担額。食事代は、社員食堂の日替わり定食1食10円のひと月分である。会社の厚生費補助があって質的水準が低くかったにしろ、現在より相当低レベルの負担で済んだ。

 結論として、高度成長前ではあるが当時のサラリーマンは、貧しくとも精神的に今よりずっと豊かに暮らせていたように思える。

  

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2009年4月 7日 (火)

片隅のニュース2題

■部品落下

 6日午後2時5分ごろ、成田国際空港に到着した韓国・仁川(インチョン)国際空港発のイラン航空800便(ボーイング747SP型機)の着陸点検で、第4エンジンの一部の部品がなくなっていることがわかった。エンジンで作り出した高圧空気を異常時に外部へ逃がす「ニューマチックリリースドア」(縦約20㌢、横約20㌢)で、通報を受けた成田国際航空会社(NAA)は「部品が落下した可能性がある」として、午後3時ごろから約10分間、滑走路を閉鎖した。点検の結果、滑走路に異状はなかった。(毎日新聞7日千葉西北版)

 だからいったでしょ。毎日飛んでる飛行機やヘリの方が、北のいう人工衛星よりよっぽど危ないって。今日国会の衆参両議院本会議で、北朝鮮への制裁を強めるという非難決議を採択するのだそうです。

■秋葉広島市長

 オバマ米大統領がプラハでの演説で核廃絶に強い姿勢を示したことに対し、秋葉忠利広島市長は6日、臨時に記者会見を開いて高く評価。大統領が「来年までに主催する」とした核安全保障を巡るサミットについて、「広島での開催希望を米国側に伝えたい」と話した。秋葉市長は5月に米ニューヨークである核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会に出席予定で、その場で「オバマ大統領に会いたい」と話した。

 以上2題は、いずれも毎日新聞最下段のベタ記事扱いになっています。オバマ大統領の「核兵器を使った世界で唯一の国である」という道義的な責任をふまえ、核廃絶の先頭に立つという演説は、5日にプラハで行われました。これに対して何の具体的な対策を提起できないでいる日本政府に対し、広島市長がいち早く歴史的意義を有するアイディアを呼びかけたのです。

 これが実現すれば、黒人大統領出現と同様、アメリカ文化の大きな転換を意味するとまで言えるでしょう。改めてオバマ大統領出現による「チェンジ」の意義を考え直す試金石になると思われます。また、冷戦終結に劣らない人類の英知が試されることにもなるでしょう。

 秋葉市長は、毎年の原爆忌で世界の趨勢を鋭く観察し格調の高い「平和宣言」を発表することで日ごろ尊敬している方です。本当は中央政界で活躍してほしいような人材です。東京オリンピックなどとは比較にならない歴史的舞台を作ろうという話です。国民をあげて市長へ応援の声をあげたいものですね。

 

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2009年4月 6日 (月)

ミサイル騒動顛末2

 北朝鮮の「飛翔体発射」から一夜明けた今日の朝刊は、社説をはじめ各面さらに記事がおどった。それに触れる前に昨日の記事に言葉足らずの点があるのでつけ加えておきたい。

■世論誘導と現場情報誤認は戦争勃発の前兆である。
 国民に危機感や相手国への敵意をあおり、偏狭なナショナリズムを背景に軍事費増大や戦争準備をねらうのは、ナチスのヒトラー総統、戦前の日本軍部から、アメリカのネオコンとブッシュ大統領まで一致しており、北の金正日また然りである。

 軍末端の誤認、誤情報、独断専行はしばしば戦争の導火線になった。日本の過去の戦争(本ブログのインデックス参照)の多くがそれにあたり、近い例ではアメリカのイラク進攻も「失態」として明らかにされている。また、民間誤爆や同士討ちなどもあり「人間だから過ちがあるのは当然」ではすまされない。

■人工衛星でも国連安保理へ。
 このたび、本塾が発射失敗による日本本土への影響が万が一にもないと思ったのは、北が国際機関に危険地域を指定して通告したり、自国民にはやばやと予告していたことは、失敗が絶対に許されないという背水の陣のもとで、イランの打ち上げ成功の実績も加えた自信に裏打ちされたものと見たからである。

 人工衛星であるかどうかは、北朝鮮の成功発表とアメリカの失敗発表で真っ向から対立している。今の段階ではどちらが正しいとも判断ができないが国際的には1週間以内に真偽がはっきりするだろう。仮に成功ならICBM(大陸間弾道ミサイル)に道を開き、アメリカにとって無視できない存在になってくる。

 今のところアメリカは全く迎撃すべき対象として見ていないが、衛星成功であれば逆に日本が危険視する対象ではなくなる。このように各国で微妙な立場の違いがあり安保理の強硬な新決議はまず不可能だろう。ただ、日本が「対話と圧力」つまり対話のテクニックとして必要な圧力に位置づけるのならわかる。

 ただし、制裁としての効果が限られていることはすでに先方に見透かされている。それより、福田内閣退陣により拉致再調査などの外交ルートが閉じたままで、相手が言う「平和目的の人工衛星」に対する問い合わせすらできないようでは困る。要するに独自の外交能力を持っていないということなのだ。

 拉致被害・救う会の国民運動が使うブルーリボンバッジは、多くの共感を得るためには必要だろう。しかし、外交に責任を持つ総理や外務大臣が、国際外交舞台の席までそれを着用して出席する姿は、見る人によっては逆効果にもなり得る。いかにも政治家としての資質に自信がないようで違和感を禁じ得ない。

●安保理付議で一致の社説。
 次ぎに今日の新聞からである。大手各紙の社説は多少の表現の違いはあるものの、安保理付議で一致している。かねて当塾でも言及しているがICBMと衛星打ち上げの技術は一緒である。人工衛星と称して兵器の実験をしたといわれても仕方ないだろう。
 
 しかし、人工衛星であろうとコンピュータの開発であろうと、当初は、軍事目的を意識して膨大な国家予算がつぎ込まれてきたことは事実である。原子力発電は原爆より前からあるわけではない。つまり新技術開発は、多かれ少なかれ兵器がからんでくることは常識である。

 宇宙条約であろうが、核拡散防止条約であろうが平和を掲げて作られた条約でありながら、小国、発展途上国に対するダブルスタンダードが依然として現存することについて、どう考え解決するのかに触れた社説はない。

 政治部主導の社説で、アメとムチのムチを強調すべきだという趣旨なら賛成できる部分が多い。しかし朝日新聞の「(北朝鮮の)暴挙に深い憤り」というオピニオンリーダーの矜持をかなぐり捨てたような表現はいただけない。このところ低くなっている朝日の評価も底に達した感じだ。

●いまだからこそ冷静に。
 このほか、毎日新聞の外電で、青瓦台(韓国大統領府)関係者の話として、今回の発射費用が3億ドル前後と推定され、この金額が米100万トン分に相当、北朝鮮の1年間の食糧難を解消できる分量、という報道が目をひいた。また、社会面には社説とことなる標題の「社会部社説?」がのっており当塾の意見に符合する部分が多いので以下に紹介する。

 東京・市ケ谷にある防衛省の運動場に、地上配備型迎撃ミサイル(PAC3)の発射機2台が、満開のサクラの向こうにそびえ立った。東北地方の陸上自衛隊駐屯地などでも発射機が射出口を上空に向けた姿やイージス艦の船影が連日テレビで流れた。「ちょっとやり過ぎだった。ここまで部隊の運用状況をさらしていいものか」。統合幕僚監部幹部はぼやいた。

 ここ数日、北朝鮮のミサイルを巡る問題は、自衛隊幹部も戸惑うほどニュース番組を独占した。 もちろん、日本人の危機管理意識が今回の騒動を機に高まったことは歓迎される。核などの大量破壊兵器開発を意図し、その運搬手段を手にしようとしている国を隣に持つことがどういうことか、国民は考え始めている。各自治体が緊急情報の速報システムを構築、点検し始めた。防衛省の「誤探知」事件も長い目で見れば、国民に素早く伝えることの難しさを同省自身が身をもって体験でき、教訓となっただろう。

 しかし98年に北朝鮮がテポドン1号を発射し東北地方の上空を越えて三陸沖に落ちたことで、国民の不安感は急激に高まり、MD(ミサイル防衛)システムは国会審議をあまりすることもなく、導入が決まった。今回の状況も当時と似ている。国民は「国際社会の意向を無視した北朝鮮」のイメージを極度に膨らまし、憎み、ミサイルを恐れ、何を求めるのか。

 開発途上のMDシステムにさらに予算をつけて万全を期することか。さらには「力には力を」の声が強まってくるのか。「いまだからこそ、冷静に」の声は、ほかならぬ防衛省内にも根強い。【滝野隆浩】

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2009年4月 5日 (日)

ミサイル騒動顛末

 5日午前11時30分の北朝鮮テポドン発射は、4日付で上げたエントリー「杞憂」に書いた予定原稿通りになった。専門家でもないのに100%当てられたのは、「こんなことは、防衛大臣をはじめ政府要人ならだれでも予想していた」上での政治的キャンペーンと見なしていたからだ。

 この結果について当塾では非常に満足している。それは、予想が当たったからではない。まず、一部政府与党筋にあるナショナリズム刺激策、すなわち小泉・安倍政治の延長上にある現政権の強化維持の目論みが、4日のミサイル発射の誤報発表で、一挙に崩れ去ったことにある。

 当塾はそれを喜んでいるわけではない。防衛省や政府の情報管理のおそまつさ、中でも政府の自衛隊現場に対する認識や意思疎通に大きな隔たりがあることがはっきりし、世界に恥をさらすことになった。これが、日本の防衛政策を真剣に考える反省材料として働けば、決してマイナスではないということだ。

 その根源に、日本国憲法と現在の安保体制の矛盾があるが、今日は触れないでおこう。ただ、これを機会に、日本の安全を守るために、防衛政策や自衛隊員の自覚はどうあるべきか、国は諸情報をどう管理し扱うべきかを、与野党を問わずより真剣に考える機会としてほしい。

 次ぎに、マスメディアである。当初当塾は、政府の宣伝の尻馬に乗って北朝鮮バッシング、脅威論をあおる過剰報道を非難していたが、国土への落下が「杞憂」に終わったことで一転、軍事専門家を加えたミサイル知識の解説が増えてきた。

 これは、結果として日本の「爆破命令」がほぼあり得ない過剰防衛措置であることを証明することになったが、ミサイル防衛システムなるものを絵入りで解説し、国民に理解を与えるいい機会になった。その中には、本当にこわいのはテポドンではなく、日本を射程にいれたより小型のノドンである、といったテポドン発射以前にはあまり触れられなかった話もでてきた。

 テポドンと違って車に積んだままどこからでも発射可能なノドンは150発以上あると言われ、同時に打ち込まれたら半径20㎞ぐらいしか対応できないPAC3などでは到底迎撃できない。これに核弾頭を装備すれば、それこそ日本の都市を火の海にすることもできるが、田母神氏でさえ「北はそのようなことはできないし考えてもいないだろう」といった趣旨のコメントをしていた。
 
 また、今後のこれに対する安保理の対応などに議論が及んでいるが、世界の感心が集まる中東和平やアフガン対策、新オバマ政権とNATO各国、ロシア、イランなどとの協調・話し合い路線の中での北朝鮮対応のあり方をどう考えるかなど、拉致問題に特化しがちな日本の議論に突破口を開く機会になれば、この「ミサイル騒動」も決して無駄ではなかったということになる。

 相手がどこであろうが、議論がまっとうに行われれば、決して対決や交戦にはいきつかないはずである。
 

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スター・ウォーズ

 子供の頃マンガは好きだったが、社会人になってもマンガを読みふける人を見て不思議に思う非マンガ世代である。しかしテレビ画面や玩具のイラストなどは、どうしても目に入る。新兵器の類をアルファベットで言われても、わからないことだらけなので、以下のような私用のメモを作っておいた(修正・再掲)。

 カテゴリの「データ・年表」に入れておき、必要に応じ加筆修正していきたい。今回追加したASATやHEL、HPMなど、想像の世界のスター・ウォーズで使う兵器が続々と実現しかけている一方で、飢餓や貧困を抜け出せない人々があふれるこの地球をどう考えればいいのだろう。

 以下『軍事研究』2月号に掲載された、HPMに関する多田智彦氏のレポートの一部を引用しておこう。これが使われたら何が起こるかは、想像していただきたい。
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現時点でのHPM兵器による無能力化や破壊とは航空機やミサイルなどの機体外面へのダメージではなく、電磁パルスEMP(Elrcto Magneic Pulse)による電気回路や電子回路の誤作動や破損を引き起こすことを指している。特に高高度での核爆発は強力な電磁パズルを発生して広範囲に影響を及ぼすため、高高度電磁パルスHRMP(High Altitude EMP)と呼ばれている。長距離ミサイルなどを使用して大気圏外での核爆発で発生するHRMPは、人体には直接影響ないが広範囲のコンピューターや通信回路で誤作動や破損の原 因となる。また点火装置や制御装置に電子回路をを使用している車両では作動不能になる。例えば1メガ・トンの核弾頭がアメリカ本土上空五百㎞の大気圏外で爆発すると、その電磁パルスによる影響はアメリカ大陸東西海岸にまで及ぶと言われている。
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      *は08年防衛白書他
ABM(弾道弾早期迎撃ミサイル)同制限条約を米国一方的脱退           
ABL(Airbome laser)空中発射レーザー・ミサイル迎撃機
AEGIS(先進型艦対空地域防衛)米・独・伊の開発
AI(artificial inteligence=人工知能)
ASAT(潜水艦発射型衛星攻撃兵器)中国が開発中
BMDO(弾道ミサイル防衛局)
BMD(Ballistic Missile Defence)弾道ミサイル防衛システム
CCW(特定通常兵器使用禁止制限条約=クラスター爆弾等)
CM(巡航ミサイル↓参照)
CTBT(核実験全面禁止条約)

DF25(中国=中距離弾道ミサイル=射程1800~2500Km)
EMRG(Electto Magnetic Rail Gan=電磁レール砲)米国開発中
FPS5(警戒管制レーダー:通称ガメラ、千葉県旭市配備09/4/4航跡を誤認、政府発表の失態あり)

GBI(Ground Based Interceptor)地上配備迎撃ミサイル
GPS(人工衛星による全地球測位システム、米国防総省運用)
GSOMIA(軍事情報包括保護協定)米国、韓国、NATOの一部と締結
HEL、HPM(レザー、マイクロ波を使う高エネルギー兵器)米国その他保有、開発中
ICBM(大陸間弾道弾)*米550基*ロ508基
INF(Intermediate-range Nuclear Forces)中距離核戦力。米・ソがヨーロッパに配備した核弾頭を装備した中距離弾道ミサイルと巡航ミサイルは1987年の中距離核戦力全廃条約によってすべて廃棄されている。条約ではINFは射程500kmから5,500kmまでの核ミサイルを指すが、この定義は短距離弾道ミサイルと中距離弾道ミサイルの両方を含む。
IRBM(中距離弾道ミサイル)テポドン等が含まれる
JDAM(精密誘導爆弾)衛星誘導兵器で米国は、サウジに販売予定
JSOW(滑空型誘導弾)
LAWS(AIが自ら標的を判断するなどして攻撃する兵器)

MEADS(中距離拡大防空システム)米・独・伊の開発
MD(Missile Defence)ミサイル防衛
MKV(Multiple Kill Vehicle)
MLRS(多連装発射型ロケット弾システム)
NBC兵器(核・生物・化学兵器)
NDA(Navy Area Defense)海軍地域防衛
NMD(National Missile Defence)国家ミサイル防衛→ICBMからの防衛
NPT(核拡散防止条約)
NTWD(Navy Theatr Wide Defense)海軍戦域広域防衛

PAC-3(Patoriot Advanced Capability 3)バトリオット。地対空迎撃ミサイル。地上レーダー誘導目標高度10数㎞射程範囲半径約20㎞のドーム状。1発の価格約5億円。
PSI(大量破壊兵器拡散防止構想、米国主導)
4(戦略防衛構想)
SEW(早期警戒情報)
SDI(戦略防衛構想)
SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)*米432基*ロ252基*北朝鮮も実験成功
SM-3(Standerd MMissile-3)→イージス艦搭載迎撃ミサイル。目標高度100㎞以上。摩擦熱による赤外線探知。09/04までの成功率=命中/実験自衛隊1/2、米軍13/16。一発の価格20億円。自衛隊負担配備費+開発費=1兆円超
SSBN(原子力潜水艦)
SSM-1(地対艦誘導弾)日本では88式

START1(第1次戦略兵器削減条約)
STSS(弾道ミサイルの発射と探知に活用する宇宙追跡・査察システム)
TBM (戦術・戦域弾道ミサイル)
TDS(終末段階防衛セグメント)
THAAD(戦域高高度地域防衛)
THEED(サードTerminal High Altitude Area Defense missile)PACより高高度で弾道ミサイルを狙う地上発射型迎撃ミサイル
TMD(Theatar Missile Defence)戦域弾道ミサイル
TPOD(tagetng pod、ペープタック参照)
UVA(無人機)・UCAV(無人戦闘航空機)
VLS(垂直発射装置)

イージス艦(艦隊防空システムを持つ軍艦)
サイバー・テロ(語源=cybernetics、舵を取る人。情報をどのように伝達・処理・制御するかを狂わすテロ)
斬首作戦(米軍が中東などで多用した敵要人暗殺作戦。B1B新鋭爆撃機などを使い北朝鮮がもっともおそれていたという)
スカッド(ソ連開発の長射程地対地ミサイル、湾岸戦争時イラクが使用、北朝鮮にも改良型がある。液体燃料)
ステルス機(レーダー探知困難な軍用機)米国製戦闘攻撃機F-22ラプターなど、中国でも開発済み

デコイ(囮弾頭)
電磁パルス(でんじパルス、: electromagnetic pulse)は、高高度核爆発などによって発生するパルス状の電磁気のことである。EMPと略す。
トマホーク(米国の長射程陸上目標攻撃用巡航ミサイル)
ブースター(後援者、推進用ロケット)
ノドン(北朝鮮=中距離弾道ミサイル=射程約1300Km)150~300基
テポドン(北朝鮮=中距離弾道ミサイル=射程約2000Km以上)
トマホーク(巡航ミサイル)アメリカ製、潜水艦を含む海上発射型が有名
ペープタック(赤外線とレーザー照射装置を組み合わせた目標探知システム)
ムスダン(北朝鮮=中距離弾道ミサイル=射程3000~4000Km)50基
レーザー誘導弾(レーザー照射しながらその反射で目標を定めるので精度が高い)

宇宙基本法(2008年8月27日施行)
戦略爆撃機*米114機*ロ79機
巡航ミサイル(Cruise missile)飛行機のように翼とジェットエンジンで水平飛行する。低空100m飛行でレーダー補足が困難。誘導可能で命中精度極めて高い。
東風31改良型(中国多弾頭型弾道ミサイル)

関連エントリー

MD迎撃失敗 MD迎撃成功 ムダ使い、SM3

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2009年4月 4日 (土)

杞憂

 き-ゆう【杞憂】[列子天瑞](中国の杞の国の人が、天地が崩れ落ちるのを憂えたという故事に基ずく)将来のことについてあれこれと無用の心配をすること。杞人の憂い。取り越し苦労。「-であれば幸いだ」――『広辞苑』

 北朝鮮の「飛翔物」について、政府のキャンペーンにのって「今か今か」と待っているのはばかばかしいので、結論をさきに出しておく。

 結論1=発射がわかって各地に連絡したときには、すでに飛翔物が日本の国土上空を通過している。したがつて何も落ちてこない。本当は、毎日上空を飛んでいる飛行機からの落下物の方がはるかにあぶない。

 結論2=MD迎撃はしない。SM3は日本国土を狙って発射しない限り命中の確率も低く、20億円を海に捨てることになる。北の反撃が宣伝だとしても6カ国協議がパーになる。また、命中し損ねると国内外に大恥をさらすことになるのでやらない。

 結局北朝鮮も日本も、政府が国民に危険をあおり相手国に敵愾心を持たせた分だけ、政権維持に効果ありでめでたしめでたし。ただし日本はあくまで安保理決議に持ち込もうというKYさんがいるだろう。

 もしテポドンが人工衛星を軌道に乗せ、金日成を讃える歌でも世界に流していれば、怒り狂う日本の姿が余計に滑稽なものになってくる。

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2009年4月 1日 (水)

小沢辞任は今月中

 今日はエープリル・フール・デー、当たらなくとも責任は負いません(^^)。

 西松建設関係で小沢民主党代表の秘書逮捕が報じられてひと月近くになる。当ブログでは、当時解散に向けた野党の攻勢が弱体化することと、民主党支持者の信頼を裏切ることになることを理由に、小沢代表の即刻辞任を主張した。

 それ以来、事態は何ら進展を見せず硬直状態に陥っている。検察の強引さ不公平さもすでに公然化しているが、民主党の支持率低下という事実はくつがえしようがない。それは将来最高裁判決で無罪になっても同じである。

 検察と闘いたい気持ちはわかるが、政権を取ってから人事で報復するなどという無茶なことは、未開国でなければできない。「泣く子と地頭には勝てない」、そこらのことは、小沢代表が一番よく知っているはずである。またこのまま長引けば、民主党が追いつめられることについても同様である。

 私は前から、小沢代表がそう遠くない時期に辞任するという気がしていた。それはかねてから、「総理大臣をつとめる柄ではない」というそぶりをうががわせていたからでもある。小沢代表は、民主党にとって(選挙を有利にするための)辞任の時期を慎重にはかっているに違いない。

 それは、麻生総理と「暗黒の孤独」の中で続く凄絶な葛藤である。来月の与党の補正予算提出前後が山場になるが、「小沢辞任が当然」と思われてからでは遅い。仮に「時期はよし」ということで首相が解散に踏み切ってからの辞任であれば、民主党は総選挙の行われる40日以内に新代表を選出しなければならない。

 こんなことは、事実上不可能に近く、結局小沢、麻生の戦いにならざるをえない。麻生おろしが不発となりそうなので、これが自民党にとって最善の戦い方になる。ちなみに、解散されれば衆議院議員は失職する。そのため自民も民主もこの間に選挙で新党首を選ぶには、現行の党首選挙規定を変える必要がある。

 そうすると、小沢に変わるべき候補にあらかじめ狙いをつけ、もっとも党内に混乱を起こさず、選挙に有利な体勢を築くとすれば今月中しかないことになる。その後麻生首相が解散権を行使せず、60日条項で補正予算を通過させても、景気が劇的に改善されるというようなことのない限り、自民有利の場面は見られないだろう。

 なお、民主党で今全く名前がでてこない人がいる。党籍を離脱している江田参議院議長と横路衆議院副議長である。ともに1941年生まれで議長を花道にするにはまだ若すぎる。ことに横路氏は、小沢代表と安全保証3原則を確認しあい小沢氏を支えてきた間柄である。また、ご本人もやる気満々であることを講演を聴いて知った。解散で党に復帰すれば、一方の旗頭になれる人である。以下、小沢氏との合意3原則をあげておく。

 日本国憲法の理念である平和主義・国際協調主義に基づき、我が国の平和と安全、独立を確保するため、安全保障は以下の原則により行う。

(1) 自衛隊は憲法9条の理念に基づき専守防衛に徹する
 日本が武力による急迫不正の侵害を受けた場合およびそのまま放置すれば侵害を受ける蓋然性が極めて高い場合に限り、国民の生命および財産を守るため、武力による阻止または反撃を行うものとし、それ以外の場合には、個別的であれ集団的であれ、自衛権の名の下に武力による威嚇または武力の行使は一切行わない。

(2) 地域安全保障体制の確立
 日本およびアジア太平洋地域の平和と安定のため、日米安全保障体制は引き続き堅持する。さらに日本を巡る北東および東南アジアの平和的国際環境を醸成し発展させるため、当該地域諸国(米国を含む)からなる協議・協調の機構設立を目指す。

(3) 国際平和協力は国連を中心に行う
 国連を中心に世界の平和・安全を確保するために日本として積極的に貢献する。そのために自衛隊とは別組織の国連待機部隊を新たに創出する。国連の決議等によって要請された行動にその部隊を直ちに派遣し、国権の発動とならないよう、指揮権を放棄し国連に委ねる。

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