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2009年2月

2009年2月28日 (土)

大軍之後 必有凶年

【『老子』道徳教】

以道左人主者、不以兵強天下。其事好還。
師之所処、荊棘生焉、大軍之後、必有凶年。

【以下は読み下し文】

「道を以て人主をたすくる者は、兵を以て天下に強いず。其の事はかえるを好む。師のおる所は、荊棘ここに生じ、大軍の後は、必ず凶年あり」

【そしてその解釈】

 道理をわきまえて君主を補佐する人は、武力で世界に強制するようなことをしない。そのようなことをすると、必ずその報いがかえってくる。軍隊を派遣したところはいばらやとげがはえて荒れはて、大きな戦争のあとには、必ず凶年がやってくる。

【老子の考えられる人物像】
(金谷治『老子』講談社学術文庫より)

 ほぼ紀元前300年頃の隠君子、世俗の外にあって超然としながら、しかも世俗の混乱と特に民衆の苦しみを救いたいと念願する憂世の哲学者であった、ということである。そのほかのことは一切わからない。

 ブッシュ取り巻きのネオコンたちは、『老子』を読んでいなかった。そのため100年に1度の不景気が世界を覆う。同盟国日本にも一半の責任なしとはいえない。そんなことは、2千数百年前の老子がすべてお見通しだった。 嗚呼。

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2009年2月27日 (金)

日本的民主主義

 終戦後、日本を支配した進駐軍は、日本人に対して盛んに民主主義を教え込もうとしました。その当時、「日本にだって聖徳太子の十七条の憲法というのがあるんだ。そんなのわかってらい!」という気分がありました。

 十七条の憲法は、第一条が「和をもって貴しとなし、さからうこと無きを宗となす(以下略)」、最後の十七条が「大事は独り断ずべからず。必ず衆とともに宜しく論ずべし(以下略)」です。推古12年といえば西暦604年、西欧的民主主義などまだない時代です。

 近代になっても、明治維新の際天皇が宣言した五カ条の御誓文の最初は、「一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」です。そして明治初年から明治憲法ができるころまで活発な自由民権運動が日本を覆い、その憲法のもとという制約があるものの、大正デモクラシーが世を風靡したこともありました。

 ここに大学の政治学の教科書に使われた、『概説現代日本の政治』(阿部斉/新藤宗幸/川人貞史著)という本があります。その中で、民主主義の日本的特徴を次のように解説しています。

  ------------------
 民主主義という政治の原理は、もともと欧米で発展したものであり、日本の民主主義の発展は、欧米の原理を受容したことから始まった。しかし、それは日本の民主主義が欧米の民主主義と同じであることを意味しない。日本の民主主義には、欧米の民主主義にはみられない日本的特徴がある。それはいかなる特徴であろうか。

 まず第一に、欧米の民主主義は個人を単位として社会を構成する原理であるが、日本では、社会は個人が構成するものであるよりは、むしろ自然に形成されるものである。日本で集団の原型とされるのは、家族と村落であり、いずれも自然に形成された第一次集団であって、その中では人々は和気藹々(わきあいあい)となごやかに生活を送るものとされる。

 他の組織はこうした第一次集団になぞらえてとらえられるのであり、国家もその例外ではない。集団の指導者に要求されるのは、親心をもって構成員に接することであり、構成員に要求されるのは、「みんなで仲良く」集団の和を保つことである。(中略)

 第二に、欧米の民主主義はあくまでも政治の原理であり、政治が対立と紛争に決着をつける機能を持つ以上、民主主義も喧嘩に決着をつけるという働きを持たざるをえない。「民主主義は頭数を勘定する方が頭を叩き割るよりはよいという原理に立っている」(カール・ベッカー)といわれる所以である。しかし日本の場合、国家も家族の擬制において理解されてきた以上(家族国家観)、国家はそもそも対立や紛争を含まない集団とされざるをえない。対立や紛争がなければ、政治も存在の余地がなく、要するに日本の国家は非政治的国家とならざるをえない。
  ------------------

 以上、やや長い引用となりましたが「そんなことはないよ」と思われる方も多いでしょう。現に「ショウ・ザ・フラッグ」といって戦争協力を迫ったアメリカのネオコン・アーミテージ国務副長官にならったのかどうか、「郵政民営化に賛成か反対か!」と絶叫して選挙に刺客まで送り込んだ小泉元首相のやり方は、決して日本式とは言えそうにもありません。

 日本式は、島国であり農耕民族というところから来ているのでしょうか。つい最近までアメリカ一国主導のグローバリズムが世界を覆い、イスラムやアラブ諸国にアメリカ式民主主義を押し込もうとする動きがありました。しかし「神の前ではすべて平等」というイスラム式の民主主義は、他の宗教では見られないほど徹底したものです。

 かつて、森元首相が「日本は天皇中心の神の国」といって、たいへん評判を落としました。しかし、日本の民主主義は、上から与えられたものが多く、案外日本式民主主義の本質をついているのかも知れません。その弱点が戦前の天皇制ファシズムを生み、軍部独走を生んだといえましょう。

 しかし、引用文冒頭にもあるように、日本人は、先進文化を取り込むことを非常に得意とする一面があります。聖徳太子の憲法も、いち早く伝来文化の仏教や儒教に指針を求めました。戦前の教訓、戦後の文化から得たものを巧に取り入れるのが日本人です。

 ところが、戦前の超国家主義や幕末・明治にできた皇国史観に先祖帰りするのが日本人だと思っている人がいます。その人がどう考えようが、思想信条の自由は戦後獲得した立派な日本文化で、尊重されなければなりません。ただ、「日本人」の勝手解釈だけは迷惑千万だといえましょう。

 日本式民主主義と世界の民主主義の多様性をアピールし、さらに、アメリカのオバマ路線であるスマート・パワーとうまくフィットすれば、世界の平和構築に大きく寄与できる、こんな夢を持ちたいものですね。 

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2009年2月26日 (木)

民主党の防衛政策

 自民党による「海賊対策新法案」の骨子案が決まった。これに対して民主党はどういう姿勢をとるのだろう。憲法や安全保障問題は党内の意見統一がはかれず、同党の泣き所とされてきた。それとは別に、ここに来て鳩山幹事長や小沢代表の意向が相次いで新聞に報道されていることに注目したい。

 その一つが鳩山氏は英語による講演で、もう一つは小沢氏は非公式の談話らしく詳しいことがわからない。一番詳しいのが「毎日」だが前者については、読売、産経などに記事(ネット検索)が見あたらない。これは、公約となるのかどうか、民主党の変化を示すものかどうか、参考までに末尾にその記事を引用しておく。

 当塾が注目するのは、断片的ではあるが当塾がかねて主張してきた外交・防衛政策に似た表現が出てきたことである。まず、鳩山氏がアジア共同体に言及していることである。これは、政界要人の発言としては、福田元総理、与謝野大臣に次ぐもので、日・中・韓間の連携をもとに、プログラミングの段階に来ているのではないか。

 当ブログに右派の方もよく見えるようだが、「共同体構想」について「大東亜共栄圏」再現などと同一視している向きがある。当ブログのカテゴリ「東アジア共同体」などを参考に、EUの歴史や発展をよく勉強しておいて欲しい。

 次ぎに小沢氏の発言であるが、かつての「国連中心主義」がかげをひそめ、米軍基地の大幅縮小と専守防衛を任務とする自衛隊の再構築(そのために必要なら予算も振り向ける)という点では、当塾にも同様な主張がある。↓ 

反戦・護憲論の行く手2
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8a9f.html
反戦・護憲論の行く手7
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-b2bd.html
非武装中立の否定
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-6619.html

 森本敏・拓殖大大学院教授が、在日米軍の海兵隊と戦略空軍の駐留が抑止力として必要、といったと言うが、敵前上陸したり長距離爆撃したりする部隊を置いておくのは明らかに憲法違反だ。だからこそ自衛隊が肩代わりできないのだ。抑止力として必要というなら核兵器もOKということになる。

 民主党が世界の新情勢を的確にとらえ、前原氏などの方向転換を確かなものとして新安全保障政策を確立しないと、田母神もと自衛隊幹部ばりの考えに距離を置く自民党内の防衛族に、先を越されることにもなりかねないだろう。 

■ 民主党の鳩山由紀夫幹事長は23日、アジアを中心とする海外投資家を対象に東京都内で開かれたセミナーで英語で講演した。「次期衆院選に勝利し、政権交代を目指す」と述べた上で、日米関係について「米国追従外交から国際協調路線へ明確な転換が必要だ」と表明。「アジア太平洋共同体」の実現を国家の新たな目標にする考えを鮮明にした。

 鳩山氏は「日米関係は何よりも大事な2国間関係だ」と明言。一方で「米国が(軍事面で)間違った行動をとり威信を失わないよう、日本は友人として率直な助言をしなくてはならない」と述べた。「日米同盟重視か国連重視か」の二者択一論を「間違っている」と否定した。【佐藤丈一】(毎日新聞 2009年2月24日 東京朝刊)

■ 日米首脳会談に合わせる形で、民主党の小沢一郎代表は25日、在日米軍削減論を重ねて示し、「対米追随脱却路線」を鮮明に打ち出した。次期衆院選後の政権交代をにらみ、「対等な日米同盟」の具体策として持論を強調したものだが、日本の防衛力強化にも言及。専門家からは「憲法改正が必要になる論法」との指摘が出たほか、野党内に困惑や警戒感が広がった。

 「グローバルな戦略を米国と話し合って役割分担し、日本に関係の深い安全保障面は日本が負担すれば、米軍の役割はそれだけ少なくなる」

 小沢氏は25日、大阪市で記者団に語った。そのうえで「米国のプレゼンスは必要だが、おおむね(米海軍横須賀基地に司令部を置く)第7艦隊の存在で十分だ。米軍が引くことによって日本の防衛に関することは日本が責任を果たせばいい」と改めて指摘した。

 小沢氏に近い民主党関係者によると、在日米軍の役割のうち「日本の防衛」に応分の負担をする分、「極東の安定」は第7艦隊で十分になるという意味だという。

 ただ、森本敏・拓殖大大学院教授(安全保障)は「海軍である第7艦隊だけでは抑止機能の一部しか果たせない」と指摘。「出ていった米軍の肩代わりを日本がするのであれば、再軍備を意味し、憲法改正が必要となる」と語った。

 こうした中、共産党の志位和夫委員長は「軍拡の道を進むことでイコールのパートナーになるのは間違った道だ。日本が軍事的な力を強めれば強めるほど米国は利用する」とけん制。社民党の福島瑞穂党首は「『第7艦隊で十分』の後が『日本でやる』か『基地縮小』かで意味が違う。軍備拡張には反対だ」と戸惑いを見せた。

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は東京都内で記者団に「極東において脅威が増大している状況ではないという発想ではないか。日本の軍備増強という発想ではない」と語り、小沢氏の発言への理解を求めた。ただ、その一方で「将来ミサイル防衛網などをしっかり作れば、米国に頼らなくとも専守防衛の中で日本の安全を保てる」という持論も展開した。【渡辺創、古本陽荘】(毎日新聞2月26日東京朝刊)

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2009年2月24日 (火)

身分制

 100年に1度というのが当たっているのかどうかわからないが、数字の上では相当深刻な不景気である。ことに、昨年来報道されている派遣労働者に降りかかる深刻な状況には心が痛む。「派遣切り」など聞くだけで腹が立つ。こういったことは、日本の労働慣行から即刻追放すべきだ。

 日本が戦争に負けて2、3年あとまで、大企業には身分制というのがあった。社員と工員は身分が違った。工員は通常日給月給制(日割りした金額を月1~3回に分けて払う)で、社員の下位におかれた工長とか職長以上にはなれなかった。

 これは、義務教育の小学校卒と月謝が必要な中卒以上の学歴格差で、事務所勤務でも社員に対して雇員という身分の壁があった。そういった身分の差は、多分明治以前の武士とその従卒から来ているのだろう。同じ武士でも越えられない差があるのだ。

 士・農・工・商の士以外は、原則として自活の道をもっており被雇用者ではない。前述の社員・工員は身分に違いはあっても主に対する忠誠は身についており、主はどんな苦しいことがあっても士の生活を守らなければならない道義的責任を負った。

 この身分制は、封建的であるというので占領軍の意向もあって廃止され、全員が「社員」になるのだがしばらくの間は因習が残り、かえって陰険な労務政策がとられる原因にもなった。しかし日本固有の「企業内組合」や終身雇用に見られる一家意識で、派遣切りのような事態は起きにくかった。

 身分制撤廃の功罪は、功の方が圧倒的に多いだろう。日本の高度成長にすくなからぬ貢献をしているはずだ。また、高学歴化によりそれに基ずく差別をつけにくくなった。そこで生まれてきたのが正社員とパートなどの差である。

 成長期には、労働力の流動性を高め機会均等に寄与するメリットがあったかも知れない。しかし、世界同時不況ではたちまちその欠陥を露呈した。モノ・カネ・ヒトを同列に置いた資本の過ちである。かつての身分制以上の差別を労働者に強いることになった。

 グローバル化にひた走ることに専念してきた日本は、こういう時こそヒトにとって何が一番大切かを、スタートに立って考えなおすいい機会だと思う。

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2009年2月23日 (月)

麻生さま!これが最善

 毎日新聞の調査で支持率が11%になりました。党幹部はようやく首の皮一枚が残ったと言ったそうです。「今すく辞めるべきだ」と「予算成立をみて辞めるべきだ」がともに39%という結果で80%近くの国民が退陣を望んでいます。

 このような逆境にめげず、100年来の大不況を乗り切る予算成立のために日々笑顔でご奮闘のお姿、かげながら敬服しております。今日は麻生さまに、歴史に残る名宰相になるための最善の手だてをご提案します。それは、総裁(総理ではありません)の辞表を今日すぐお書きになることです。

 内閣総辞職ならば閣僚全員のサインがいりますがこれならば一人でできること。辞任の理由は、党内が崩壊寸前の混乱をしていることの責任をとるためです。混乱しているのは内閣でも国会でもありません。ここは野党と協力し、国民や各界の意見をまとめて最善・最速の予算をあげることに全力をあげてください。

 そうすればもう党内のいざこざに振り回されたり気を回すことはありません。しかし総裁を空席にしておくわけにいきません。細田幹事長はびっくりした顔で、すぐ後継総裁選挙を準備するでしょう。あなたが国会解散すれば自民党衆院議員の総裁選投票権もなくなるわけですから。急がなければなりません。

 こうしておいて、予算の見通しがついたらあなたの手で堂々と解散権を行使するのです。もしそうしないで内閣総辞職をすれば、4度目のたらい回し人事となるばかりか、後継選挙管理内閣組閣のための人選や、健康を害しておられる天皇陛下に認証式をお願いするなど面倒な手間や時間がかかります。解散だけなら、1通の「御名御璽」を議会に届けていたくだけで済みます。

 そうです。「総総分離」の新バージョンです。しかし『週刊ポスト』がいっている与謝野総理と桝添総裁などのショボイ話ではありません。みんなあなた一人でできることです。細田さんも総選挙や党にとって最善の総裁を選ぶお膳立てをするでしょう。

 あなたが責任を負わなくてもいいのです。そして解散宣言後の40日ほどを、日本国民のために最後の善政をほどこして下さい。本当は自民党が嫌いなのでこんな提案をしたくないのですが、中川泥酔大臣のように忠言する側近もいないようなので、塾頭、非力をかえりみずここにしゃしゃり出ました。
  

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2009年2月21日 (土)

政治家の外交力

 まず、次の二つの引用文を読み比べていただきたい。

■近代に入って、日本は西欧諸国とも外交関係を持つようになったわけだが、明治維新の元勲たちがいた間はよかったが、彼らがいなくなってしまうと途端に「外交音痴」に戻ってしまった。そして、昭和の日本は国際問題を処理することができなくなり、あのような戦争に突入することになってしまったというわけだ。こうした歴史的事情に加えて、戦後半世紀にわたって「思考停止」を続けてきたのだから、今の日本が「外交不在」の国になったのは当然すぎるほど当然の結果とも言える。

■外務大臣というのは外交のスペシャリストである必要とか、世界情勢について敏感に反応できるといったものはあまり必要ではないと思う。貫禄というか。器量があればやっていけるはずだ。頭がいいと思っている官僚は大勢いるのだから、情報収集や分析は官僚に任せておけばいい。自らが外交のスペシャリストであるかは、それと無関係といえる。人間としての器量があれば、おのずと結果はついてくるとおもう。

 上が、小沢一郎の『小沢主義』で、下が『吉本隆明のメディアを疑え』である。私は年齢からすると両者のほぼ中間に位置するが、戦中の社会を知っている点で吉本にやや近い。しかし過去、吉本の作品は読んだことがないし、読んだとしても心に残っているものが何もない。

 例にあげた吉本の意見は、小泉首相が田中真紀子外相を更迭した批判として書かれているので、文学的表現として多少割引くにしても、隠居のたわごとにしか聞こえない。両者とも小泉外交の向米一辺倒を攻撃している点は同じだが、吉本の論述は自己破綻をきたしている。

 その点、日頃このブログで批判的に書くことが多い小沢ではあるが、最近の政治家の無力を説くこの方がまともである。明治の元勲が引退して、そのあと外交の主導権を軍部が握ったいきさつなど、ある程度外交史を勉強していなければ言及できないことだ。

 ここまでいうのだから、本人は「外交音痴」ではないという自信があるということにしておこう。ただし、<戦後半世紀にわたって「思考停止」>だったとはいえないだろう。戦前、軍部独走に抵抗し続けた幣原喜重郎外相は、戦後も総理をつとめて憲法制定に貢献し、吉田茂、岸信介は戦後自立に向けてアメリカに相対した。

 ことに、幣原・吉田は反軍と目され、戦中は生命の危険にもさらされた。そういった先覚政治家を鏡とし、さらに欧米や中国を中心とした外交の推移や機微に通じた政治家でなければ、総理や外相・防衛相、さらに広げるなら経済・財政・金融相などはつとまらない。

 それが余りにもお粗末だというのは、小沢の言うとおりだ。自公連立政権が風前のともし火となり、後継者として高村など外相経験者の名も上がっているが、ブッシュ時代の小泉・安倍外交路線を担当した点では、麻生元外相と同様、とっくに使用期限が切れている。

 小沢民主党内閣ができたら、せめて前述の「外交音痴」でない先輩程度の外交政策を展開して欲しいものだ。

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2009年2月20日 (金)

非武装中立の否定

 「反戦塾」は、憲法9条改正に反対しますが、自衛隊はあった方がいいと思っています。ただ現在の米軍の付属品(プラグ・アンド・プレー)のような自衛隊運用には反対です。ましてや、田母神元幹部のように国際問題を勝手に解釈し、独走するような自衛隊なら、今すぐにでも解散すべきでしょう。

 自衛隊の目的は、日本国民と国土をしっかり守ることにつきます。国外に出ていって戦争をするためではありません。その機動力を生かして災害復旧や、国際貢献に奉仕することも目的に入れていいでしょう。しかし戦争をするために出動するのではないので、武器を持っていく必要はありません。

 外国へ行くためには、その国や国連からの要請があること、その国に紛争や内戦がないこと、護身用以上の武器の必要がないことなど厳しい制約が必要でしょう。それならば、日本を守るためにどれだけの装備や兵員があればいいかということになります。

 話は飛びますが、必要な武装をした上で永世中立国を宣言し、世界もそれを認めている国にスイスがあります。スイスは徴兵制度があり国民皆兵の国です。中立を厳守するため、最近まで国連にも加入していませんでした。

 だからといって、国際貢献をしていない、などとの非難はありません。国連のいくつかの機関がスイスにあり、平和会議などもたびたびこの国を選んで開かれます。小さな国ですがその軍備は、敵国が侵略しようとしても、損害の大きさを考えると断念せざるを得ないというという水準を保つのだそうです。

 したがって、兵器産業が発達し高いレベルの装備を備えています。ただそれが輸出されているというのは感心しません。スイスの武装中立は非情に古い歴史の中から生まれてきたものです。またその伝統は、民主的な国民の意思のもとで多少の変化があってもさらに続くと思います。

 日本はなにもスイスと同じである必要はありませんが、長い戦乱の中から生まれたスイスの知恵は参考になると思います。国を守るという国民の強い意志が永世中立の保障となっているということです。私もかつて一部政党のように、段階的に自衛隊を解消するなどのことを考えていたことがありました。

 しかしこのところ考えが変わりました。それは二つの理由からです。一つは、憲法で前文でいう「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」というのが文字通り「人間相互の関係を支配する崇高な理想」によっているということで、現在その段階に達していないということです。

 その実例は、このまえのアメリカのイラク攻撃や北朝鮮の瀬戸際恫喝外交を見ればわかることです。国連ですら「諸国民の公正」を完全に担保しているとはいいきれないのが現実です。もう一つの理由は、日清戦争以降の日本の戦争のあり方です。(バックナンバー「朝鮮・韓国」「日中関係史」等にあります)

 これを朝鮮・中国という相手のせいにしてしまうのは、大変気のひけることですが、やはり当初は両国ともに自分の国を自分で守るという一致団結した体制がなかったことは間違いありません。日本は隣の家が火事になりそうなのに知らぬ顔はできない、放って置けば火の粉をかぶる、という理屈です。

 したがって、国防に無関心または人任せというのは、隣近所にとって本当は迷惑なことなのです。世界で5,6番目といわれる自衛隊の予算が本当に必要なら維持すべきで、もし不足するなら(そんなことはないと思いますが)増額だってあり得ます。

 中国が不安を抱くのは、専守防衛の自衛隊ではなく、同盟国アメリカの攻撃能力であり、「村山談話」を否定したり憲法を改正して戦前の姿にもどそうという日本の国内勢力の存在です。そういった勢力が「日本は悪くなかった」と、主観的にいうのは勝手ですが、歴史学の上でも世界でも通用しません。

 9条を守り抜き、日米同盟のあり方を検討しなおす、そんな国の前例がないといいますが、スイスも前例があってそうしているわけではありません。軍縮とか環境とかがこれから世界の潮流となろうとしている時、周辺国や世界の大多数の国から歓迎されるような旗を掲げることこそ、最大の安全保障ではないでしょうか。

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2009年2月18日 (水)

友とするに悪き者

 今日は、兼好法師『徒然草』第117段、「友とするにわろき者」である。これを取り上げた理由は、失脚した中川昭一大臣が麻生総理にとっての「盟友」という2文字である。今朝見た新聞1紙にすくなくとも5回はでてきた。そこでまず原文を見ていただこう(『徒然草全訳』清水書院より)。

 友とするにわろき者七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つには武く勇める兵(つわもの)、六つには虚言(そらごと)する人、七つには欲深き人。よき友三つあり。一つには物くるる友、二つはくすし、三つには知恵ある友。

 さて、これで見て中川昭一は麻生太郎にとって「よき友」だったのかどうか。『徒然草』の中では読みやすい段だが、チョット注釈を加えてみよう。

 一つ=二世代議士、東大(法)卒、諸大臣歴任。二つ=中川55歳、麻生68歳。三つ=性懲りなく大酒が飲める。四つ=好むどころではない。五つ=極め付きのタカ派。六つ=「口を付けた程度。ゴックンしてない」。七つ=「予算通過までやらせて」。

 と、見てくると全然「友とするにわろき者」の条件に合っているではないか。これだけ揃えば、「よき友」の物くれる友、薬剤師、知恵ある友などは無視してよい。最後の政権の足を引っぱった「わろき者」を「盟友」にしてしまったのが、麻生氏の運の尽きであった。

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2009年2月17日 (火)

政局春一番

 このところ、政治、ことに政局に関するテーマからは遠ざかっている。なぜならば、朝書いた記事が夕方には陳腐なものになり、今日書いた予測が明日には狂うようなことが多いからだ。専門家でもそういったことはありがちだと思うが、ましてや素人が簡単に立ち入る場所ではない。

 しかし、今度こそは本物だろう。中川昭一財務・金融担当大臣が泥酔疑惑会見の責任をとって、新年度予算衆院通過を目途に閣僚辞任するということを、今日(17日)昼頃発表したからだ。現在、予定されていた予算委員会は、「辞める大臣の答弁は聞けない」として、野党が即刻辞任を求めストップしたままだ。

 これに公明党までが同調し、与党も分解寸前といった有様だ。仮に衆院の話し合いがついたとしても、麻生総理は後任を誰にするのだろう。参院の審議も残っている。上程した予算案作成にタッチしていないニューフェースを中川大臣の代わりに持ってくるわけにいかない。

 党内に財務、金融の2閣僚分をこなせるピンチヒッター候補がいればいいが、さもなければ総理が兼任するか、他の閣僚が兼任するかだ。そうなれば3官僚分兼任だ。これでは、もうまともな行政府の体をなしているとはいえない。もはや「話し合い解散」しかないだろう。

 さて、この場合の自民党の対処の仕方である。麻生総理の解散権行使で、そのまま選挙に入れば歴史的惨敗が目に見えている。どうしても選挙前に「勝てる新総裁」を擁立しなければならない。その可能性が唯一あるのが小泉純一郎の復活、「夢よもう一度」である。

 橋下大阪府知事だとか東国原宮崎県知事などの地方区では全国に通用しないし、自民党内でも外様を将軍に据えるようなことはできないだろう。キーポイントは、定額給付金のそもそもの勧進元・公明党である。「3分の2を使って通すような法案でない」とまで小泉に明言され、だまってついていけるのか。

 いままでの公明党は、気の進まない3分の2でもいやいやつきあってきた。政権に食らいついていることが至上命令だったのだ。「ああーそれなのに」という心境だろう。しかし小泉旋風が確かなものならともかく、福田を見捨てて麻生小旋風を期待したのが太田現執行部だ。これほど見事に見通しを誤ったのに、支持団体にとって次の失敗を許せるはずはない。

 内閣支持率が1桁台もあるというように、余りにも民主優勢と差がつきすぎたので、大規模な政界再編は遠のいたのではないか。新聞雑誌にはあまり取り上げられないが、一番気になるのが透明性の欠ける公明党の動きである。

追記 やはり世論の厳しさを受け、夕方になって事態は変わった。中川氏は麻生総理の意向もあって即刻辞表を提出し、後任は与謝野経済財政担当大臣という報道があった。

 現職大臣の兼任だ。担当大臣は竹中氏もごたごたと兼任していたからできなくはないのだろうが、変則的であることには違いない。麻生総理の初志はまた1日にして方向転換のやむなきにいたった。 

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2009年2月16日 (月)

村上春樹さん、反戦演説

 偉い!!。村上春樹さんが戦時下のイスラエルで反戦演説をした。国際会議場でヨイヨイの醜態をさらす国辱大臣がいる一方、こんな立派な日本人もいる。結婚式に招待され、新郎新婦の悪口をいうどころではない勇気のいることだ。感激のあまり、当塾としてはめったにしない全文を(YOMIURI ON-LINE)から引用する。

【エルサレム=三井美奈】作家の村上春樹さん(60)がイスラエル最高の文学賞「エルサレム賞」に選ばれ15日、エルサレム市で授賞式が行われた。

 同国軍のパレスチナ自治区ガザ攻撃で約1300人の死者が出た直後だけに、受賞辞退を求める声も出ていたが、村上さんは受賞スピーチで「作家は自分の目で見たことしか信じない。私は非関与やだんまりを決め込むより、ここに来て、見て、語ることを選んだ」と述べた。

 村上さんは、戦争を生む社会システムを「我々を守る一方、時には組織的な殺人を強いる『壁』」と呼び、人間を壁にぶつかると割れてしまう「卵」にたとえた。ただ、卵は個性を持つかけがえのない存在であり、自分は「常に卵の側に立つ」と宣言した。

  その上で、「壁は高く勝利が絶望的に見えることもあるが、我々はシステムに利用されてはならない。我々がシステムの主人なのだ」と述べた。

 エルサレム賞は1963年創設。「社会における個人の自由」をめぐる優れた執筆活動に対して隔年贈呈され、これまでに英国の哲学者でノーベル文学賞受賞者のバートランド・ラッセル、仏人著述家シモーヌ・ド・ボーボワールらが受賞している。(2009年2月16日15時12分  読売新聞)

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日中関係史考11

 前回、満州国が誕生したところでちょっと茶飲み話にしたいと思います。私は当時満1歳を超えたばかりなので、満州に抱いた印象というのはもっと先のことになります。まず、「満州」というといくつかのメロディーが頭に浮かびます。

♪離れて遠き満州の 赤い夕日に照らされて~ 
♪わたしゃ16満州娘 春は3月雪解けに~

 それに、広軌の満州鉄道を走る日本最速の特急「あじあ号」の勇姿、そこには「満州最速」という発想はありません。同様に、日本最高の山は富士山ではなく台湾の新高山でした。日本は、人口密度が蘭印のジャワに次いで高いが、満州には放置された土地がいくらでもある、石炭は露天掘り。ロマン十分です。

 満州に行けば失業も飢えもない。現地人を指導して無限の開拓が可能になる。昭和恐慌から抜け出したばかりの日本人からみて、新天地が開けたように見えたでしょう。現に、普通のサラリーマンでも、現地人車夫が曳く人力車を自家用車のように使える生活だったといいます。

 そこには、中国を侵略したなどという意識は毛頭浮かびませんでした。よほどの識者をのぞいて一般市民もそうだったと思います。中国では内紛に明け暮れし、日本の好意を逆恨みしするわからずやの反日分子がいて、治安も生活も最悪という知識しか与えられていません。

 日本人が中国人を蔑視しはじめるのはやはり昭和のはじめ、田中義一内閣の頃からで、満州事変で決定的になったと思います。そして陸軍兵士の規律も落ちました。明治の頃は統率がとれ、略奪・暴行などには縁のない世界でも評判な兵隊達だったのです。

 それが満州事変後は、そうとは言えない事件がいくつか発生していたようです。関東軍の正義に反する謀略、下克上、腐敗が関連しているのかも知れません。私が物心ついた頃、軍人勅諭を茶化して「一つ、軍人は要領をもって旨とすべし」という一項が加えられていました。

 一方中国人にとってみると、満州をもぎ取られただけでなく、華北の堺を中心に日本がトラブル(関東軍の謀略によるものも多い)発生のたび軍隊を侵入させ、または北京上空を威嚇するようにわが物顔で飛行機を飛ばすなど、中国国民が、過去の欧米に対するものもまで含めて日本に反感をつのらせるようになった大きな理由だと思います。

 最後は満州の人。ある外国人が独立後始めて大連から特急に乗った。時刻は正確、床にタンを吐いた跡もなくチリひとつない清潔さ。駅に着いていままでのように窓に群がる物もらいの群れもない。さすがは、と思っているところにボーイがやってきた。

「満州茶はいかがですか」。もらって飲むと日本で味わった茶の香りだ。
「これは日本茶ではないか?」。
「ハハハッ。満州は日本ですから、ハッハハ」。 

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2009年2月14日 (土)

日中関係史考10

 1933年(昭和8)76年前の今日2月14日、国際連盟の19人委員会は、リットン報告書の採択と、満州国不承認を内容とする英・仏・独などの9カ国小委員会案を全会一致で可決した。

 小学館の『20世紀年表』の政治・経済欄は、その年の年初から3月末までのをすべて満州関連の事項で埋める。以下、その引用。

~~~~~~~~~~~~~~~~
1.1 日本軍、山海関で中国軍と衝突。
1.2 関東軍出動(山海関)事件。
1.27 関東軍司令官武藤信義、熱河作戦の発動準備を命令。
2.14 (上述・略)

2.23 熱河省に侵攻。
2.24 国際連盟総会、19人委員会の報告書を賛成42・反対1(日本)・棄権1(シャム)で採択。日本代表松岡洋右、「日本は日支紛争に関し国際連盟と協力せんとするその努力の限界に達した」と宣言、退場。

3.27 内田康哉外相、連盟総長ドラモンドに日本の国際連盟脱退を正式に通告。詔書発布。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

 なおこの間、1月30日にヒトラーが独首相に就任した。第2次世界大戦の地下マグマが動き出したこの3か月である。

 追記 さきほどの読売ニュースによると、民主党小沢代表とクリントン米国務長官の会談が決まったようだ。当塾の主張が実現し有難いことだ。

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2009年2月13日 (金)

新・マルサス「人口論」

 「マルサス」、その名を知ったのは、高校生の頃かもっと後だったか忘れた。関連のある著書を読んだ覚えもなく、きっと先生から聞いた話なのだろう。なんとなく、こんなことだ。

 戦時中、特高警察がある大学生の自宅に踏み込んだ。書棚にあったマルサスの『人口論』を見て、マルクスの『資本論』と勘違い、共産党員の証拠物件として得々として押収したという話。もうひとつは、そのマルクスはマルサスが大嫌いで、『人口論』はマルキシズムにより完全に論破されたという話だ。

 あとの話をもうすこしつけ加えよう。マルサスの人口論は、「子孫を多く残したいという人間の欲望から等比級数的に人口が増えて限りがない。これに対して確保しなければならない食糧を生産する土地は有限で、等差級数的にしか増やせない、そこで人類は、奪い合うための戦争や飢餓・暴動が避けられない」というものだ。

 これに対してマルクスは、「革命で労働者・農民・インテリゲンチアが権力を握れば、すべての生産や消費が人民の計画に基ずくものとなり、自然を改造することで人類は発展する」といったかどうかわからないが、19世紀、20世紀中はマルサス理論が立証されるようなこともなく、スッカリすたれたものだと思っていた。

 ところが、ここに不気味な「新・マルサス論」が再び頭をもたげてきた。ポーランド人ジェノサイド学者、グナル・ハインゾーンの『自爆する若者たち』(猪股和夫・訳、新潮選書、2008/12)がそれだ。豊富な国・地域別、年齢別統計と、大小の戦争、虐殺、飢饉、暴動、移住などを結びつけて例示しているのを見てぞーっとしない人はいないだろう。

 ことに、現在進行形のパレスチナ・ユダヤ問題、イラク・アフガン問題などは、オバマ流の「スマート・パワー」的発想に対し、非情なまでに水をかける論調である。マルサスとの最大の違いは、人口増は食糧問題とは関係なく、15歳から29歳までを戦闘能力を有する「軍備人口」としている点だ。

 それを「ユース・バルジ」と命名しており、パキスタン、アフガニスタン、イラク、サウジアラビア、ソマリア、パレスチナなどイスラム圏各国におけるその比率が、これからも世界で最高のレベルを維持すると説いており、「軍備人口」が猛威をふるうとしている。

 ちなみに、同書では、最近5年間の15歳未満の人口が30%を超える国を「ユース・バルジ国」としており、上記イスラム圏各国はすべて40%を超えている。同書の全体を通じた分析やそこから出した結論は、ハード・パワーそのもので、リーズナブルなものとはいえない。やはり「新・マルサス論」をでるものではない、と言っておこう。

 以下、日本と関係しそうな周辺各国の同書による「ユース・バルジ度」を参考までにかかげる。太字はユース・バルジ国、細字は戦闘敗退国あるいは人口失敗国として、ユース・バルジ国の移民や労働力を受け入れるべきい国だとしている。

 また、中国と北朝鮮を日本最大の脅威と見なす諸兄姉にご安心いただけるよう、最後に参考文を引用しておいた。

■インド=33% 中国=24% インドネシア=31%
パキスタン=40% 米国=21% ブラジル=28%
バングラデシュ=34% フィリピン=37%

ヴェトナム=32% ロシア=16% イラン=32%
日本=14.5% 朝鮮(南・北)=22% タイ=24%
ビルマ=29% マレーシア=34% 
カンボジア=41% 台湾=21% モンゴル=32%

(以下引用文)
 中国の2003年の15歳未満の男子は、1億6500万強であるが(女子は1億5000万弱)、そこにはユース・バルジは存在しない。年少人口の総人口に占める割合が24パーセントにすぎず、30パーセントに満たないからだ。
 
 中国における就業者と年金生活者の割合は、1995年の10対1から2050年には3対1に下がるという(WorldBank1997)。そのとき、老齢者の生活を支える年金を稼いでくれる人がどこから現れるのかは、誰も知らない。第一世界以外の15歳未満の男子9億人の中に目下のユース・バルジ事例を探っていくとき、中国はむしろ除外されるのだ。

 そのことは、アメリカの戦略家が中国が敵となるかパートナーとなるかを評価するにあたって、ユース・バルジの破壊力に較べれば、脅威となる懸念は小さいとする見方が支配的であることの根拠となっている。 
 

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2009年2月12日 (木)

小沢代表のわがまま

 クリントン米国務長官がアジア歴訪の皮切りに、間もなく日本へやってくる。民主党小沢代表に会談を打診していることについてはすでに伝えられていたが、ここに来てどうも小沢代表がしりごみしているらしい。朝日新聞にもそのような感じの報道がされているが、以下、毎日新聞12日(東京朝刊)から引用する。

 党関係者によると、米側からの打診は今月上旬、米大使館関係者を通じてあった。「野党第1党党首と会うのは当然」としているという。米側は17日の会談を希望するが、小沢氏側はクリントン長官と中曽根弘文外相との会談後となることに難色を示し、応じるかどうかを決めていない。
 
 小沢氏は党幹部に「日程が合えば会うが、選挙準備が優先」との意向を示しているという。民主党は昨年7月にまとめた党沖縄ビジョンで、普天間飛行場の県内移設について「県外移転の道を引き続き模索すべきで、戦略環境の変化を踏まえて国外移転を目指す」としている。【渡辺創】

 民主党としては、絶好のチャンスである。来るべき選挙に向けて、、民主党のこれまでの主張がどう評価されているのか、外交を自民党政権からどう「チェンジ」するのかの戦略を探り、政権をとったら早速コンタクトしなければならない要人と顔がつながる絶好のチャンスではないか。

 それを避けようとしている理由として、「中曽根弘文外相より後ではいやだ」とか「選挙準備が優先」などが本当にあるのなら、相手にとってたいへん失礼だし、国民の目からは国益を二の次にしているとしか見えないだろう。

 本当の選挙対策なら、生まれかわるアメリカと日本がどう付き合っていくのか、目をこらしている国民に答えることを最優先しなければならない。地方の支持団体に会うのとどちらが大切か、そんなことをいうのも悲しくなる。

 党内で外交政策が一致していないから、という風聞もあるが、それであれば与党がいう「政権担当能力がない」ということを証明するようなものだ。代表質問を人にまかせたり、国会からエスケープしたり、自分の選挙区を空白にしておいたり、そういった彼のわがままから来ているのかそれでなければ、やはり政権を取っても首相をやる気がないのではないのか、とさえ思う。

 政権交代を心から願っている者としてたいへん残念である。民主党のためだけではなく、日本国民のため、これからでもいい、前向きに会談を実現させることにしてほしい。

以下追加(YOMIURI ONLINE 02/14 11:32配信)

16日に来日するクリントン米国務長官と民主党の小沢一郎代表が17日夜、東京都内のホテルで会談することが決まった。米大使館から14日午前、同党の山岡賢次国対委員長に伝えられた。米国務長官が民主党代表と会談するのは初めて。政権交代が現実味を帯びる中、野党第1党の党首との関係構築を重視したと見られる。

 会談は米側が今月上旬に打診したが、日程調整が難航。米側から13日に見送りの意向が伝えられた。しかし、同党執行部内で「政権交代をにらみ、会談は実現させるべきだ」との意見が大勢を占め、再度日程を調整していた。

 山岡氏によると、小沢氏は「喜んでお目にかからせていただきたい」としており、会談が実現することになった。【白戸圭一】

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2009年2月11日 (水)

枕詞(まくらことば)

 もうそろそろ1年近く前になるが、近くのお寺が奈良の古寺を模して山門をあざやかな丹色に塗りかえたので、「あおによし」というフレーズの入った記事を書いた。そのあと、この語をキーワードにした検索がなぜかわがブログに殺到した。

 そのことをまた記事にしたら、とある学校の先生から、親切なコメントが入った。なんでも学生の噂では「万城目学氏の小説『鹿男あおによし』がベストセラーになり、今月からフジテレビのドラマとして放映されて人気になっている」とのこと。

 放送は終わったはずなのに、いまだにぽつぽつと検索が入る。検索の目的は、その意味が知りたいということのようで、当時、自分なりに、「こうともいわれているが、正確なところこれが本命という解釈はない」程度の記事を書いたように覚えている。

 このほど、それとは関係なく文献(池田弥三郎『日本故事物語』)をチェックする意味で Wikipedia の「枕詞」を開いた。そしたら、文献にある解釈は Wikipedia になく、Wikipedia が1100もあるとされる枕詞の中から選んだ代表例の中に次の3地名は入っていなかった。

【ひさかたの】の意味。もともとは、「あ」にかかる。「あ」は蟻で、蟻はヒョウタン形つまり瓢形(ひさかた)である。それが天(あめ、あま)の「あ」、にかかり、転じて「光り」など天にかかわる自然現象につながった。

【ころもで】常陸国の枕詞
【しらとほる】新治之国の枕詞
【みずよする】茨城之国の枕詞

 要するに、伝統にはぐくまれた枕詞ではあるが、どちらかというと落語に近いところもある。だから、気が向けば新作枕詞を誰が創作してもいい、ということになりそうだ。詩句には全く造詣がないが、そういった「新自由主義」ならば大賛成だ。

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2009年2月10日 (火)

日中関係史考9

 昭和6年9月18日の満州事変勃発から、同7年3月1日満州国建国までの約半年、短い間ですが日本の大陸侵略を見る上で大切な期間です。本当は気が進まず飛ばしてしまいたいところです。まず、清最後の皇帝・溥儀(フギ)を天津の隠れ家から連れ出す工作から見ましょう。

 それを担当したのは、戦後A級戦犯で絞首刑になった土肥原大佐と、関東大震災のどさくさで社会主義者・大杉栄を殺した当時の甘粕大尉です。これもあらかじめ皇帝の側近だった旧臣たちに手をまわし、準備してありました。

 日本政府は、当時中国を代表する蒋介石政権のもと、満州に親日的な地方政権を樹立する程度の考えで、諸外国の反発を受けるようなことを避ける方針でした。一方、関東軍は満州領有まで意図していたので、傀儡政権を独立させるというのは、次善の策だったといえます。

 土肥原はまず、天津の日本総領事館の目をあざむくことから始めました。11月8日、中国人街でニセの暴動を起こさせます。それをきっかけに邦人保護(いつもこの手です)といって軍を出動させます(ここは外国ですよ)。そのどさくさで、溥儀を乗用車のトランクに入れまた変装もさせ、海岸に待たせたランチに乗せて拉致しました。溥儀がどれだけ乗り気だったかはわかりません。こうしてまた政府は、既成事実を認めてしまうことになるのです。

 次は翌7年1月に起きた上海事変です。これは紛争というより立派な戦争です。以前、前身のブログ「反戦老年委員会」でとりあげたことがあるので、そのスタイルを利用します。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 当時の新聞紙上いっぱいにおどる主な見出しと記事を見てみよう。これは上海で軍同士の衝突が起きて8日目の模様である。また、破線以下は別の地域で、満州の奥地、ハルビンを侵攻し、満州事変の軍事行動に終止符をうつニュースである。

●我軍を悩ました猛烈な市街戦・我軍の死傷七十三名・上海五日の総攻撃・夕刻警備境界線まで後退(以上4段抜き。見出しと小見出し)
●敵機飛来し我軍に爆弾投下・けふ根拠地爆撃に決す(同上)
●敵陣地爆撃の艦上機墜落・搭乗三将士惨死す(2段抜き。見出しと小見出し)

●邦人殴打さる(2段抜き見だし。以下はその記事)
 上海東方製氷社員岡田昂氏(三五)、熊本県出身結城健士氏(三七)は北京路を通行中支那人約二千名の群衆に包囲殴打され顔面、頭部等に瀕死の重傷を受けやつと馳せつけた英国軍隊により群衆を追つ払い折柄通りかヽつた邦人のトラックに救はれて篠原病院にかつぎ込まれたなほ同地方の民衆はいきりたち形勢不穏である

●邦人行方不明
●豊田紡保護の陸戦隊引揚
●十数名の敵を倒す・内藤一等水兵の殊勲(以上一段見出し)

 ----------------
●多門師団司令部 堂々ハルビンに入る・各機関、歓迎に忙殺・我軍死傷八十余名(4段抜き。見出しと小見出し)
●各戸に翻る日章旗・邦人婦女子の歓喜
●爆撃また爆撃 輝かしい空の殊勲(以上3段抜き見出し)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 上海事変の発端は、中国人群衆が、日本山妙法寺の僧侶と信者3名を襲い、うち1名を死亡させた事件です。これは時々テレビドラマなどで取り上げるので、ご存じの方も多いと思います。関東軍が騒ぎを起こす工作費として2万円を上海駐在武官に渡し、男装の麗人スパイ・川島芳子を使って中国人を買収したものです。

 関東軍の目的は、世界の目を上海に釘付けにし、満州の戦線拡大と全域支配に対する抗議をそらすことでした。人口密度が高い上海は、それでなくても治安が悪化しており、各国が陸戦隊を上陸させるなど緊張状態にありました。

 そして、最後は満州国皇帝即位式の模様を、アメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノーが描く『極東戦線』(梶谷善久・訳)からご紹介します。

 張りつめたような緊張感と、暗殺への病的な恐怖感の中で、ヘンリー溥儀はその朝早く起床し、真紅と黒の王衣をまとい、天命に従う準備を整えた。

 いま新京で溥儀は三回目の王座につき、天子として運命づけられた役割を果たそうとしている。また新たに神に代わる統治者になろうとしているのだ。

 着剣した銃をもつ日本部隊が、銃剣をつけていない満州国軍のうしろに立つ。それが皇帝を迎える歓迎陣である。皇帝の行進に対して民衆の拍手もなく、歓呼もない。

 玉座に張り巡らした黄色い絹のカーテンが三月の寒風にはためき、数分間ですべての儀式は終わった。溥儀は防弾装置つきのリンカーンで急いで市内へ戻った。彼の演技は終わり、幕となった。

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2009年2月 9日 (月)

日中関係史考8

柳条湖満鉄爆破
 最初に事件を報ずる東京朝日新聞の号外(昭和6/9/19/7:00)を見てください。

 18日午後十時半奉天郊外北大営の西北側に暴戻なる支那軍が満鉄線を撃破し我鉄道守備兵を襲撃したが我軍側は午後十一時直ちに奉天の全駐在軍に対して出動準備命令を下し十九日朝零時半日本軍は遂に北大営を全部占領した(以下略)。

 また鉄道爆破です。どうしても3年前の張作霖爆殺事件を思い出します。同じ奉天近郊ですが前回とどこが違うのでしょうか。まず今回は線路1本が曲がった程度で死傷者はもとよりほかに被害がなく、線路を取り替えてそのあとすぐ列車が定時に通り抜けています。

 また日本軍のしわざ、と疑われても仕方ありませんが、前回と違うのは個人プレーではなく、関東軍を中心に完璧を期して準備されていたので外から証明できるものがないことです。それに前回と違って国内の参謀本部にもあらかじめ根回しがきいていました。

 そして疑いを差し挟む間もないほど、電光石火の早さで吉林など各地の支那軍を攻撃、武装解除してしまったのです。また、在留民間人にはあらかじめ警戒するよう伝えられており、巻き込まれて犠牲になった人はいませんでした。

 国内にも、幣原外相など謀略を疑った人は少なくありません。それどころか、関東軍の戦線が拡大してしまったので、天皇の命令なしに朝鮮在留軍が越境応援に駆けつけたり、関東軍独断で錦州を爆撃したりする始末です。

 政府は2度にわたって「不拡大方針」の声明をしますが、これがやっとで、軍の独断専行を追認します。この原因は何でしょうか。このシリーズの前2回(6、7)にそのヒントをあげました。さらに、この年の3月に参謀本部の中佐・橋本欣五郎ら軍部中堅と右翼・大川周明らのクーデター未遂事件(3月事件)があり、爆破事件のあと、10月にも橋本らがさらに大がかりなクーデターを計画します。

 これは10月事件といいますが、後の2・26事件並の規模を予定し、これが反軍の口封じの役割を果たします。3月事件の首謀者がまた現れるなど、やりたい放題で真剣な責任追及がありません。この甘さが、そのまま後の日本の敗戦まで影響してゆきます。また関東軍の暴走も「結果よければすべてよし」という日和見がわざわいしていました。  

 さて、もう一度冒頭の号外の記事に戻ってください。「暴戻な支那軍」という言葉があります。これは関東軍から陸軍中央部に届いた電文の中にもあります。「暴戻」が具体的にこの事を指しているとは言えませんが、同じ年の5月に起きた万宝山事件と、6月末から7月に起きた中村大尉事件というのがあります。

 万宝山は、長春の近くで朝鮮人200人ほどが水田開発をしていました。この人達の中には、中朝国境に近い間島に昔から住んでいた朝鮮族もいます。ここで暴動が起き、朝鮮族の裁判権をめぐって日中で争ったことがありました。

 そして、今度は水田の水を引く水路の件で中国人と朝鮮人の間で紛争が起き、中国官憲は朝鮮人を検挙、日本は邦人(朝鮮人=日本人です)保護のため警官を派遣、銃火を交えるに至りました。この問題は朝鮮内部で中国華僑など100人を越す虐殺事件に発展し、日本がなおざりにしておけなかった問題だったのです。

 中村大尉事件とは、参謀本部がソ連国境に近い興安嶺方面に兵要地誌作成、つまりスパイとして予備曹長1名を伴い潜入し、現地軍に殺された事件です。日本側は中国側に真相究明を迫ったが中国側はなかなか事実を認めず、やっと責任者処罰を明らかにしたのが9月18日だったのです。

 これをもって、満州事変勃発の原因に位置づけ、日本軍の行為を正当づけようという考えが今でも限られた人々の間にあります。しかし、もうおわかりですね。9月18日は、満鉄爆破のその日です。関東軍は中国側の責任者処罰、賠償支払いなどで平和解決し、念願の軍事作戦が先送りにならないでほっとしたことでしょう。

 こうして、次は中国から満州を切り離すため関東軍の暗躍がまだ続きます。それは次回としますが、欧米やロシアの侵略から安全を確保する「利益線」が朝鮮だったのに、朝鮮が日本になったため朝鮮人も保護しなくてはならなくなった、だから「利益線」は満・蒙になり、新たに作った満州国の安全を日本軍が保障する条約を作ったため、華北まで「利益線」になるという経過をたどります。

 伊藤博文は、朝鮮併合に反対だったといいますが、もしここまで見越していたならば、文句なしに尊敬したくなります。そうしないいい方法がほかにあったかどうかわかりませんが、日本の歴史はずいぶん違ったものになっていたでしょう。

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2009年2月 7日 (土)

自衛隊は違憲か

 答えは「極めて違憲に近い」である。ただし、某政党がいう「違憲的存在」や「違憲状態」とはタッチの差で異なる。具体的に言うと、イラクへの陸自、空自の派遣は、その時点で明らかに「違憲状態」だった。これには、昨年4月の名古屋高裁判決でも示されているとおりである。

 「違憲状態」をいう人は、世界で五指に数えられるほどの防衛費予算の規模、日米同盟が運用面で自衛の範囲をこえる恐れがあること(集団的自衛権を認めるうごき)、現職自衛官に内在する意識、それに外国人が自衛隊を「軍隊」と見ていることなどである。

 しかし、軍隊にはつきものの独自の司法権(軍法会議)がなく、装備も外国攻撃を目的とする航続距離の長い飛行機などは配備されていない。つまり軍隊としては、攻守の攻の部分が不完全で、そこを米軍がになうかたちになっている。ただし、国内の基地から米軍が出撃すればやはり憲法上の問題となる。

 つまり、ぎりぎりのところで「専守防衛の自衛隊」が守られてきたのである。それを紙一重のところまで持ってきたのが橋本内閣以来の政権で、「周辺事態法」や「武力攻撃事態法」「国民保護法」「防衛庁設置法」など次々と地ならしを進めてきた。

 私はその「紙一重」がまことに貴重だと思う。最後の一線を突破させようとしたのが小泉・安倍両首相で、抵抗していたのが目下評判を落としているが官僚だった。それがまことに幸いなことに、参院選で大敗した安倍首相が退陣して雰囲気が変わってきた。

 残念ながらこれは、社・共など護憲政党の力や護憲運動による成果ではない。その後、9条改正反対が世論調査などで過半数を占めるようになったが、これもアメリカのブッシュの失政、オバマの出現で、パワーポリティックスが見直される気運を受けてのことだろう。

 したがって、第2の安倍晋三がいつ復活してもおかしくないのである。それをどうやって防ぐのか。それには、現実を認めてそこから可能な範囲の是正を一歩ずつはかり、しっかりした安定世論に支えられるようにするしかない。その第一歩が「自衛隊は違憲状態」という主張をひとまずひっこめることである。

 そして、「国を守るためにはそれ相応の備えが必要である」、「災害復旧などに自衛隊は頼もしい存在だ」、「国際平和に貢献することは必要である」などの国民感情と真摯に向き合い答えていかなければならない。

 9条を厳守するためには、日米同盟の指針などの見直しが必要である。政治家はまずそこから手を付けなければならない。それで米軍基地の大幅縮小をすると、自衛上仮に防衛費の増大を招くなどということがあれば、一時的にそれを甘んじて受けなくてはならない。

 そして、平和憲法を持つ日本が世界の軍縮に大きく貢献し、その中でわが国が他国に率先して軍事費を削減するというビジョンを持つことである。それにより周辺国との緊張の除去、利害の共有化など平和外交に活路を見いだすことが可能になる。

 そういったプログラムを示し、政権を奪取する政治家が現れるのはいつの日のことだろうか。当塾が主張するところは、とりあえずは、自衛隊が「護身用武器をこえる武器を持って他国領域内に入らない」ということを徹底する(場合によっては憲法に加筆してでも)ことである。  

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2009年2月 6日 (金)

弾丸切手

 戦時中「弾丸切手」なるものがあった。それとオバマが結びつく、というのはかなりきわどい連想だが、まあ聞いていただきたい。最初は、オバマが膨大な選挙資金を大衆の零細な寄付でまかなったという報道からである。

 どういう仕掛けがあるのだろう。大きな会場にあふれんばかりの支持者が歓声をあげる。その人達が買う入場券だろうか。日本にあてはめて見た場合、どうしてそれが成功するのか想像できない。日本なら1枚2万円ほどのパーティー券を企業などに売りつけるやりかたがある。

 もともとこれはパー券といって不良学生などの資金源だった。買った企業などは、普通パーティーなどには出席しない。ほかには、ニュースでよくあばかれる抜け道だらけの政治団体あて政治献金だ。共産党は今でも『赤旗』購読料なのだろうか?。

 日本には、一般国民がおこずかい程度で政治に直接参加する機会がない。まあ○○候補者、○○議員の後援会に入るという手もあるが、将来とも支持し続けるとは限らず、固定化されるようでおっくうなものだ。

 そこで思い出したのが冒頭の「弾丸切手」。昭和17年、いよいよ戦局が転換しはじめる頃だ。額面2円、1等1000円が当たる抽選券付き。政府の宣伝は、これで敵を撃つ弾丸ができる、そしてよく当たる(抽選が)だった。

 今日からみても、ごろ合わせなどあるが宣伝効果抜群の命名だと思う。しかしその割りに戦時財政に貢献したようにも思えない。高級たばこ「光」18銭の時代の2円は切手としては高すぎる。それに5枚買って10円にして郵便貯金にしないと元金をとり戻せなかった。

 まあ、早い話国債消化策だったわけだが、ここから政治資金大衆化策のアイディアはだせないだろうか。郵便局から政治資金に使う戦後版「弾丸切手」を売り出す。額面は100円、500円、1000円など、凝ったデザインで何枚綴りのシートも作ればいい。

 それは切手として郵送代にも使えるが、政治家あてに寄付額を余分に貼って出す。政治家はそれを現金化できるというもの。金の流れ方は別途考えればいい。それをたくさんもらった候補者は「よく当たる(当選する)」よ。この記事、どこまでまじめな話かわからなくなった。happy01

追記(2/8)

 【オバマ陣営への献金方法が判明】

 ネットを通じてクレジット決済、15ドル(1500円弱)から可能。
 (毎日新聞「勝間和代のクロストーク」より)

 日本ではどうだろう。公職選挙法、クレジットカードより現金、ネット利用者のかたより、新手のふりこめ詐欺……。やはり「弾丸切手」の方が情が伝わる点で上。

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2009年2月 5日 (木)

ネット暴力取締り

 ある男性タレントのブログに「殺人事件に関与した」などとの書き込みが数百件にのぼり、警察に被害届を出していたところ、このほど当局は、悪質な20代女性1人を脅迫容疑、その他の男女18名を名誉毀損容疑で書類送検する方針を決めたという。

 当ブログとコンタクトのある鳥居正宏さんのブログでも、関係のない1個人が執拗に虚偽の情報を各方面にばらまき、名誉毀損で刑事告発されている。これもいずれしかるべき措置が採られるものと思う。一口にネット暴力といってもその種類は多種多様で、これからどういう方向に進むのかが気になる。

 当ブログも昨年春、一度炎上といえる状態があった。1日7000余のアクセスがあり、書き込みも空前の多さに達したが、それほどの被害意識がなかったし、それも3、4日でほぼ平常ベースに戻った。しかしネット暴力であることには違いない。

 起因は、チベット暴動騒ぎで当ブログが弾圧を無視したということを右系サイトが掲載し、それが別の所にコピーされて一挙に増幅されたらしい。最初に「反戦」とか「平和」といった名を付けたブログを検索してリストを作っと見え、狙いははずれていたに違いない。

 書き込みは何れも貧弱な中傷・暴言の類で、明らかに団体の公式サイトと誤認しているようなものもあった。また、前後の記事などを読んでいないことも明らかであった。書き込みには応答しなかったが、虚偽内容がある1件を除いて削除もしなかったし閉鎖もしなかった。

 いわゆるネットウヨなのだろう。その名は知っていたが、その生態を知る上で大いに参考になった。ユニークといえる内容はすくなく、組織的なものがあるかどうかはわからなかった。仮にあったとしても騒ぐには100人もいらないだろう。それを機会に時々見に来ていただけば(実際にあるようだ)当塾の目的にもかなっている。

 今は、むしろ商売や露悪スパムTBの削除に手を焼いている。こういったネットの静謐を妨げる存在はなんとかなくして欲しいが、かといって物々しい防壁や内容監視で自由をさまたげられるようでも困る。理想的なネット環境を作る、これも自然や平和と同様に人類共通の課題としてもいいのではないか。

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2009年2月 4日 (水)

日中関係史考7

 前回のシリーズ6では、張作霖爆殺事件と柳条湖満鉄爆破事件の間の日本の国内事情として、田中上奏文など3件をあげておきました。この両事件にはさまれた数年間は、世界恐慌の深刻化、農村の疲弊と失業者、労働運動と治安維持法問題など、現在と非常に似ているところがあります。

 小林多喜二の『蟹工船』もこの間(昭和4年)に発表されたものでした。しかしそれだけでは、前記の両爆破事件をはじめ、続々と起きる関東軍の独走や、なぜ軍部が国を左右する力を持つようになったのかの説明になりません。そこでヒントを2件を追加し、以後それがどうエスカレートしていったか、経緯を見ていただきたいと思います。

 陣中要務令

 前々回、張作霖テロを敢行した関東軍が「独断専行」だったといいました。ところがなんと、その言葉そのものが軍人のあるべき姿を諭した教範『陣中要務令』にあるのです。その冒頭に掲げられた「綱領」の3番目がそれで、当用漢字、かなづかいなど直して次ぎに掲げます。

 三 命令の実施には独断を要する場合少なからず。けだし兵戦の事たるその変遷はかりがたく、命令の指示状況の変化に伴はざることあり。この如き場合においては、受令者自らその目的を達し得べき方法を採り、独断専行もって機会に投ぜざるべからず。然れども独断専行は、応変の道にして常経にあらざるなり。みだりに発令者の意図以外に逸脱すべからず。

 「上がそうなればいいと考えていそうなら、ためらわずやってしまいなさい。命令指示がなくても、まごまごして機会を失うようでは、陛下の軍人とはいえませんよ」という精神です。ここでは「独断専行」を奨励しているのです。

 「然れども」以下がありますが、具体的にどういう場合という注釈はなく、それこそ「直接天皇の御名御璽をいただいた」命令に位置するものですから、これに対する一切の疑義・批判はさしはさめなかったのです。
 
 これが、昭和13年の『作戦要務令』に受け継がれ、さらに戦後になっても、陸上自衛隊がこれを参考に『野外幕僚勤務・野外令』を作ったとされています。それならば、イラクに派遣されていた佐藤正久元隊長や、この間問題になった田母神元空幕長の発言も不思議ではない、ということになります。
  
 統帥権の独立
 
 統帥権とは、軍隊を統率し、指揮命令する権利です。旧帝国憲法は、それを次のように定めています。

 第十条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
 第十一条 天皇ハ陸海軍ノ編成及常備兵額ヲ定ム

 昭和5年にロンドンで軍縮会議が開かれました。日本からは、若槻礼次郎元首相、幣原喜重郎外相らが出席し、海軍の軍艦の数を制限する条約に調印しました。これに海軍当局は猛反対し、また野党政友会も鳩山一郎を先頭に政府を猛攻撃しました。

 この時持ち出されたのが「統帥権の独立」です。つまり、軍艦の数をどうするかなどは、そもそも天皇が決めることで、政府や全権大使が勝手に決めてはいけない、憲法に定められた天皇の権限を侵すことになる、というわけです。

 明治時代にはこんなことは起きませんでした。政府、議会の中枢に維新以来軍隊をリードしてきた元勲がいて抑えてきたからです。しかし今回は、海軍・軍令部の担当少佐が切腹したり軍令部長が天皇に辞表を提出するなど騒然となり、機会をうかがっていた右翼がこれに乗りました。

 浜口雄幸首相は、昭和5年11月14日岡山出張のため東京駅のフォームにきたところ、右翼団体構成員の銃撃にあって瀕死の重傷を負いました。そして9か月余の療養の後一命を落としました。こうして、その後相次ぐ政治テロの最初の犠牲者となったのです。 

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2009年2月 3日 (火)

スイッチ式トイレに喝!

 電車に乗ってトイレを使うことは滅多にない。ところが驚いたことが起きた。扉の開閉、ロック、使用後のフラッシュバブル、すべての作動を別々のプッシュボタンで6回も押さなくてはならないのだ。急な時は間に合わないよ~。sad

 いつからこんな不便なトイレができたのだろう。JR東日本のE217系。よく確かめてないが、ごく最近のものでもなさそうだ。ボタンと小さなプレートに書いてある漢字と英語を確かめながら使う。

 幼児、外国人、なれないお年寄り、目の不自由な人は使うな、ということか。暗闇であろうと、体が不自由であろうと生理現象にあわせて作るのがトイレだ。当然あるべき位置にある取っ手、ノブの類がない、こんな人間工学無視、人権無視の設計に誰も文句言わないのだろうか。angry

 電気じかけであれば、人間の摂理に反していても近代的・合理的・新式と考える風潮は、明らかに退歩である。優先席を作ってしつこい車内放送を流し、点字ブロックを張り、エレベータ・エスカレータを整備する。その一方で過去には考えられないような人為的ミスを続発させる。

 公共交通機関だけでなく、これに似た例は社会全体に蔓延している。ああ情けない。think 

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2009年2月 2日 (月)

「護憲は左」の卒業を

 これまで9条改正に反対すると「左」と見る人が多かった。事実、地元「9条の会」の活動は、共産党の方に多くを支えられているし、街角に見る9条の会ポスターも、志井さんの顔写真と隣り合わせに掲げられていることが多い。

 現在の政界地図を見ても、護憲を標榜している政党は歴史的背景に支えられた社共のみで、民主党では社会党から移籍した議員を中心に3~40人いるらしいというだけだ。公明党も9条を心情的には維持したいのだろうが、改正を党議決定している自民を頭からそでにするわけにいかずあいまいだ。

 だから、現状の政界は「護憲」ではない。やはり、「護憲」は「左」なのである。護憲に限らず、各種の平和運動の事務局や日常活動は、やはり護憲政党、市民運動活動家、左派の労働組合が中心である。私自身「左」だと思っているから、それが別に悪いとは思っていないし感謝している。

 毎日新聞によると、次期衆院選に立候補を予定している人は、55%が9条改正に反対という態度を明らかにしているという。これは、このところの一般の世論調査が9条維持が過半数を超え、アメリカのブッシュ敗退、小泉・安倍首相時代終焉の時勢に迎合しただけのことかも知れない。

 だから、これまでのように「護憲」は「左」のままでは、いつ先祖帰りをする人がでてきてもおかしくない。日本の、そして世界の潮流として9条を定着させるために大きく一歩を踏み出べき時期にきている。かといって、日本の政治家にオバマ以上の人材を求めるのはちょっと絶望的だ。

 ここは、どうしても一般の世論により勢いをつけるしかない。そうするためには、運動を支えてくれる人々や言論を見ていると、どうも「教条主義」的なところが気にかかるのだ。それが「護憲」を浸透定着させる障害になるのではないかと心配になる。

 「護憲」であれば「反自衛隊」、護憲であれば親中(媚中)、護憲であれば反米(反安保)、護憲であれば反与党のままでいいのか。自衛隊員も、アメリカを含む周辺各国も、自民党支持者に対しても9条改正に反対してもらわなくてはならないのだ。

 なにも自らの信条に反したことはいう必要はない。ただ、右翼の攻撃の的になるような「自虐史観」に対して知識不足、勉強不足から適切な反論ができず、むやみに観念論でスローガンを繰り返すような言論だけはやめていただきたいと思う。

 右であろうと左であろうと、国籍・人種がどうであろうと、オバマ大統領ではないが、多様性の中から一致する価値観・理念をを見いだして国民や人類の幸福を追求する、これからはそういった「護憲」でありたい。

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