« 日中関係史考10 | トップページ | 村上春樹さん、反戦演説 »

2009年2月16日 (月)

日中関係史考11

 前回、満州国が誕生したところでちょっと茶飲み話にしたいと思います。私は当時満1歳を超えたばかりなので、満州に抱いた印象というのはもっと先のことになります。まず、「満州」というといくつかのメロディーが頭に浮かびます。

♪離れて遠き満州の 赤い夕日に照らされて~ 
♪わたしゃ16満州娘 春は3月雪解けに~

 それに、広軌の満州鉄道を走る日本最速の特急「あじあ号」の勇姿、そこには「満州最速」という発想はありません。同様に、日本最高の山は富士山ではなく台湾の新高山でした。日本は、人口密度が蘭印のジャワに次いで高いが、満州には放置された土地がいくらでもある、石炭は露天掘り。ロマン十分です。

 満州に行けば失業も飢えもない。現地人を指導して無限の開拓が可能になる。昭和恐慌から抜け出したばかりの日本人からみて、新天地が開けたように見えたでしょう。現に、普通のサラリーマンでも、現地人車夫が曳く人力車を自家用車のように使える生活だったといいます。

 そこには、中国を侵略したなどという意識は毛頭浮かびませんでした。よほどの識者をのぞいて一般市民もそうだったと思います。中国では内紛に明け暮れし、日本の好意を逆恨みしするわからずやの反日分子がいて、治安も生活も最悪という知識しか与えられていません。

 日本人が中国人を蔑視しはじめるのはやはり昭和のはじめ、田中義一内閣の頃からで、満州事変で決定的になったと思います。そして陸軍兵士の規律も落ちました。明治の頃は統率がとれ、略奪・暴行などには縁のない世界でも評判な兵隊達だったのです。

 それが満州事変後は、そうとは言えない事件がいくつか発生していたようです。関東軍の正義に反する謀略、下克上、腐敗が関連しているのかも知れません。私が物心ついた頃、軍人勅諭を茶化して「一つ、軍人は要領をもって旨とすべし」という一項が加えられていました。

 一方中国人にとってみると、満州をもぎ取られただけでなく、華北の堺を中心に日本がトラブル(関東軍の謀略によるものも多い)発生のたび軍隊を侵入させ、または北京上空を威嚇するようにわが物顔で飛行機を飛ばすなど、中国国民が、過去の欧米に対するものもまで含めて日本に反感をつのらせるようになった大きな理由だと思います。

 最後は満州の人。ある外国人が独立後始めて大連から特急に乗った。時刻は正確、床にタンを吐いた跡もなくチリひとつない清潔さ。駅に着いていままでのように窓に群がる物もらいの群れもない。さすがは、と思っているところにボーイがやってきた。

「満州茶はいかがですか」。もらって飲むと日本で味わった茶の香りだ。
「これは日本茶ではないか?」。
「ハハハッ。満州は日本ですから、ハッハハ」。 

|

« 日中関係史考10 | トップページ | 村上春樹さん、反戦演説 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/28126507

この記事へのトラックバック一覧です: 日中関係史考11:

« 日中関係史考10 | トップページ | 村上春樹さん、反戦演説 »