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2009年1月14日 (水)

日中関係史考1

日露戦争のトラウマ
 「朝鮮・韓国」シリーズを23回続け「日韓併合」で最終回としました。今度は「日中関係史考」です。これもこのブログの前身「反戦老年委員会」に書いた同じ題名のリニューアルになりますが、史論というよりできるだけくだけた内容にしたいと思います。

 日清・日露という明治時代の戦争は、朝鮮と戦争したわけではないものの、いずれも日本にとっての朝鮮問題がその発端でした。日本の安全とか利害に大きな影響をもたらすといういわゆる「利益線」が、日露戦争を契機に「満・蒙」へ広がっていった経緯もすでに書きました。

 日本は、日露戦争で何がどう変わったのでしょうか。いろいろありますが「朝鮮・韓国」から中国にテーマをバトンタッチする上で、ひとつ挙げておかなければならないのは、それまであまり顕在化しなかった「愛国心」という言葉です。

 「愛国心」の定義はいろいろありますが、このところヒラリー・クリントン次期国務長官が連発して有名になったスマート・パワーではなくハード・パワー、つまり相手と協調点を探るやりかたでなく、国家を表に立てて妥協を排し、力で解決していくという方向をとるということにしましょう。

 それには何時の時代でも共通する現象が現れます。それは、危機や脅威をあおり、軍の行動や方針を批判したり協力をしなかった場合、「非国民」とか「売国奴」といった攻撃を受けて、ほとんど言論を封殺してしまうことです。

 日露戦争の講和条約が明らかになった直後、その条件が不満だとして日比谷焼き討ち事件などという過激な抗議活動が起きましたが、その裏には膨大な戦死者を出し血税を費やしたことに対するぬぐい去れないトラウマがひそんでいたと思います。

 日清戦争では、三国干渉で「臥薪嘗胆」で我慢したものの、結局報われることなく日露戦争まで行ってしまったのです。今度はなにがなんでも払った犠牲に見合うものを取り返さなければ後に引けない、こういった気持ちが5年たっても10年たっても、あるいはそれ以上後にも残ったといえましょう。

 以下は、いずれも右翼から発せられた言辞ですが一般国民の気持ちを代弁している面もあります。最初は大正2年(1913)に起きた、外務省政務局長阿部守太郎暗殺犯人の斬奸状の一部分、次ぎに大物右翼を代表格する玄洋社の頭山満が、1924年(大正13)来日した孫文に語ったとされる言葉を紹介しておきましょう。

 曾(かつ)て弐拾億の巨財と拾万の同朋が屍山血河悲惨極まる努力に因て漸く贏(か)ち得たる満蒙を棄てて顧みざる而耳(のみ)ならず……民論を無視し、帝国をして累卵の危きに置きて顧みる所なく……(島田俊彦著『関東軍』より)

 貴国四億の国民を以てして、外国の軽侮と侵害を甘んじて受くるが如きは、苟も国家を愛する志士豪傑の之を憤るのは当然である。嘗て満蒙地方が露国の侵略を受けし時の如き、幸にして我が日本が相当の実力ありたればこそ、多大の犠牲を払って、唇歯輔車(相互に助け合う)関係にある貴国保全の為め之を防止するを得たのである。依って同地方に於ける我が特殊権の如きは、将来貴国の国情が大いに改善せられ、何等他国の侵害を受くる懸念のなくなった場合は、勿論還附すべきであるが、目下オイソレと還附の要求に応ずる如きは、我が国民の大多数が承知しないであろう。(藤本尚則『巨人頭山満翁』山水書房、松本健一『竹内好「日本のアジア主義」精読』岩波文庫、所載)

 なお、頭山満は孫文の支持者で、「西欧帝国主義列強がみんなやっていることだからわが国だけが非難されることはない」などという、破廉恥なことは言っていないことに注意してください。なお、この発言が出た時代背景などは追って触れることにしたいと思います。

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