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2009年1月17日 (土)

日中関係史考2

 1905年(明治38)9月に日露戦争が終わってから9年後の1914年(大正3)8月、日本は次の戦争第1次世界大戦に突入します。この間、韓国は日本に併合され、中国も辛亥革命がおきて、両国とも古代から続いた王朝支配の政治は終わりをつげました。

 ここで注意していただきたいことがあります。現在、中国や韓国の指導者がよく「過去の歴史を鏡として」とか「歴史を教訓に」というコメントをしますが、この歴史というのは王朝が支配していた時代を含んでいません。韓国は国名を朝鮮から韓国に改めた直後に日本に併合され、中国は、辛亥革命で清国から中華民国になった頃を区切りとして、それ以後を今日に続く歴史のスタートと見ている点です。

 それは、学校教育で大正・昭和の歴史を省略してしまう日本とは逆です。日中関係も、そのあたりから見ていかなくてはなりません。日本は日露戦争の戦利品として、ロシアが中国から得ていた遼東半島南端の租借権と長春~旅順間の鉄道利権を接収しました。租借地は領土と同じだから軍隊の駐留は自由にでき、鉄道の方は沿線1㎞当たり15名以内の守備隊を置けるという特典つきです。

 中国としては、無理やりロシアに奪いとられた利権で、日本が肩代わりする理由は全くないわけですが、日本は力づくでそれを納得させました。清国代表で交渉に当たった袁世凱は、「ロシアが煙草を2本持ち去ったのを理由に、日本に一箱全部を持っていかれた」と嘆いたそうです。それから1945年の日本敗戦まで日本軍が中国大陸に居続けたのです。

 ロシアが獲得した旅順・大連などの租借期間は25年間で1923年に切れ、鉄道なども1940年までです。当面日本が管理するにしても、西欧列強の帝国主義的支配から東亜各国を独立・開放するという使命感のある日本ならば、遅くともそれまでに取り戻した主権は返すのが本筋だったわけです。

 そうにはならず、逆の方向に走り出したのが次ぎのテーマ第1次世界大戦と、その結果をふまえた「対華21か条要求」です。日清・日露戦争までは、開戦に「自衛」が色濃く反映していたのが、拡張・侵略路線に転換し始めたのはなぜか、当時も右翼主導の主戦論はありましたが、一般国民も日露戦争の犠牲があまりにも大きかったため、それに見合う報酬がなくてはならないと考えたのではないか、ということを前回書きました。

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