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2009年1月24日 (土)

日中関係史考5

張作霖謀殺事件
 戦時中から戦後にかけ、傍若無人、独断専行、なんでも人にかまわず思った通りやってしまう人を俗に「関東軍」といいました。田母神元空幕長はそうではないと思いますが……。関東軍の「関東」は、日本の関東ではなく、万里の長城、山海関の東ということで、日露戦争以後の利権守備隊がそのはじまりです。

 その関東軍が独走し、謀略に精出すようになったのは、大正末期からです。中国は、辛亥革命後も各地の軍閥による勢力争いが耐えず、まさに戦国時代の様相を呈していました。関東軍は、関東(満州)の安全のためにといって、北京を中心に各軍閥に軍人をもぐりこませ、軍事援助、買収、裏切りなど、思いのままに謀略を繰り広げていました。

 今回は張作霖謀殺事件を取り上げますが、これは関東軍独走の一典型として、犯行の中味と結末だけをを書いてみたいと思います。主に参考にしたのは、防衛・外務両省の資料を精査し、中立的立場から書かれたとされる島田俊彦『関東軍』(講談社学術文庫)です。

 昭和3年(1928)6月3日夜、奉天と北京を結ぶ京奉線の鉄橋に爆薬を仕掛け、通りかかった満州を地盤とする軍閥・張作霖が乗った列車が爆破されました。その謀略の首謀者は、関東軍高級参謀・河本大作大佐で、張は間もなく死亡します。

 河本は、約半年前から鉄道爆破の予行演習を繰り返し、世間の反応を見るなどのケーススタディーを繰り返していました。それらが中国人の仕業と解釈されることも多く、各軍閥を挑発して混乱を招けば、満州の安全を理由とする関東軍の出動が可能になると考えたのでしょう。後の満州事変誘発と変わりありません。

 計画は民間商人の手も借りて進めました。遊郭経営の中国人の配下にいるモルヒネ患者のならず者2名と、王某の3名に100円から150円を与えて買収、当日の早朝入浴と散髪をすませ、サッパリした衣服に着替えさせました。

 その後、王某は危険を察知して逃亡、残る2人は、列車爆破のため爆弾を投げるのが役目だと教えられました。さらに反張派の爆破命令を書いたにせ密書3通を懐に入れさせます。そして河本大佐に引き渡されたのです。

 自動車で爆破予定現場に着くと、中国人の2名は日本兵に直ちに刺殺されました。そして、死体にはかねて用意の爆弾を抱かせ、現場に放置されました。爆薬は100~150㎏が装填され2人が持つには重すぎます。それは約200m離れた所と導火線でつながれました。

 爆破は、実に見事に実行されました。この一連の謀略について疑惑を持たれた関東軍は、陸軍次官に当てた電報で犯行を否定し、疑惑をほのめかすような新聞・報道は厳に取り締まるよう要請しました。それで国内ではこれを「満州某重大事件」などと言いかえてごまかしましたが、かえって軍関与を匂わせる結果になっています。

 しかし悪いことはできません。当時の野党・民政党の議員や中国側の調査で続々とボロが出てきました。爆薬の量が便衣隊の仕業にしては多すぎただけでなく、入手経路も明らかになりました。また、途中で逃げた王某の証言や、殺された2人の顔を見ている風呂屋の主人がまちがいないと証言するなど、政府も放置できなくなりました。

 田中義一総理は、天皇に「軍法会議を開いて責任者を徹底的に処罰します」と伝えていたにもかかわらず、閣議でうやむやにしておいた方が得策だという結論になり、河本を退役処分にしただけでした。それを天皇に報告すると、天皇は「それでは前と話が違うではないか、辞表を出してはどうか」と強い言葉でたしなめました。

 それで、田中内閣は総辞職しますが、天皇の発言が理由で内閣が倒れたのは、あとにも先にもこれが始めてです。天皇はこの事を反省し、以後内閣の上奏したものは、反対であっても裁可するようにしたと戦後になって語っています。なお、余談ですが桜井よしこ氏などが、ロシア諜報機関のしわざだという史料が発見されたという主張をしていますが、専門家筋からは一笑に付されています。

 

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コメント

コミンテルン謀略説というのが、桜井の主張ですが、これは右派によくある主張で、根拠はありません。
関東軍の軍事行動は、日本政府の正式な決定に基づいたものではなく、そもそも天皇の裁可もなかったのは、管理人様もご存知でしょう。
つまり、戦前の体制は、日共がいうような天皇制ファシズムとか、絶対王政のようなものではなかったのです。

昭和天皇は、帝国陸軍を完全には制御できず、当時の陸軍刑法でも、勝手に部隊を動かせば、死刑なるはずなんですが、お咎めなしだったのです。
そこで、昭和天皇は陸軍を牽制できる唯一の役所である海軍に期待しましたが、彼らはアメリカとの戦争計画にのめりこんで行く事になります。
桜井の言っていることも間違いですし、戦後左翼に見られる戦前の体制の見方も誤っていると思います。部分的な記録を用いて、昭和天皇を独裁者ごとき言っている左巻き人間は後を絶ちません。昭和天皇には、ヒトラーやスターリンのように、官僚に対する絶対的な人事権なかったのです。天皇は責任を取れる立場になかったし、明治憲法にもそのように書かれています。
天皇制(君主制)否定というのはマルクス・レーニンから来る思想ですが、日本の問題は、官僚組織を十分に制御できる主体が存在しないことです。太平洋戦争は、天皇制の問題ではなく、官僚機構の問題だと思います。皇室を排除すれば、、日本人が分裂することはあっても、東大法学部卒に日本を支配されるだけで、反戦にはまったく結びつきません。

日本は今でも、政治家の官僚に対する人事権はかなり制約されています。局長以上のポストを大臣が決められないのです。やろうとすれば、守屋事件のような問題が、どの省庁でも起こります。誰が総理大臣になっても、政権交代が起こっても、官僚は陰に陽に抵抗するため、イギリスやアメリカのように劇的に国内政策が変わることはありません。

投稿: ツーラ | 2009年1月25日 (日) 21時20分

ツーラ さま
お説に全面賛成ではありませんが、さしたる異論もありません(笑)。
ただ、戦中の軍・官僚・マスコミまで一体になった「天皇神聖視」の害毒ははかり知れません。また、そのために終戦の詔勅がうまく機能したという面はありますが……。

投稿: ましま | 2009年1月26日 (月) 10時54分

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