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2008年12月25日 (木)

朝鮮・韓国 20

俄館播遷(アクワンパチョン)
 前回記事にした閔妃暗殺事件発生からほぼ4か月後、指南役だった妻を亡くした国王高宗は、息子や女官を連れて突然王宮を抜け出し、ロシア公使館に逃げ込みました。もちろんロシア側とあらかじめしめし合わせてあったことです。そしてロシア軍の保護のもと、親露政権を樹立して約1年にわたりここで政治をとりました。これを朝鮮語では「俄館播遷」といいます。

 国内にある他国の公使館で亡命政権が実権をにぎっている、これはもう「国家」ではありません。王様も王様ならロシアもロシアです。これで日本は手も足もでなくなりました。しかし、国王を非難するわけにもいきません。妻があのような形で惨殺されたのですから、明日はわが身、と思っても仕方がないでしょう。

 それに、閔妃暗殺で日本の悪者ぶりが、しっかり朝鮮国民にしみついてしまいました。各地で起きる反日暴動に手を焼く日本軍の弾圧で犠牲者の数もふえるばかりです。その間、朝鮮政権は日本の独占を妨げるようにロシアや欧米にどんどん利権をばらまきます。

 ことにロシアには、03年9月に日本が拒否するよう要請していた鴨緑江河口の竜岩浦租借契約を締結、砲台建設を許します。この時は、すでに次ぎに述べる北清事変に悪のりしたロシアが、旅順から満州全体に勢力圏をつくり一歩も引かない体制でしたから、日本が日清戦争以前にもまして危機的な脅威にさらされたと言っても過言ではないでしょう。

 北清事変とは、中国に対する西欧列強(英・仏・独・ロ)のあこぎな利権獲得競争の中で、貧困にあえぐ民衆が「義和団」という組織にのって大規模な暴動に発展したことがきっかけです。最初は自然発生的なものでしたが勢いを増すにつれ、清国政府がこれを応援、1900年6月に至り列強に宣戦布告して政府軍も居留地を襲う事態になりました。

 これに素早く対応したのが、地理的に間に合わない英国などから要請を受けた日本軍と、満州占領の機会を狙っていたロシア軍です。日本軍はよく組織され、規律もとれていて、たちまち天津、北京の秩序を回復しました。

 各国は清国と賠償交渉をするとともに、各国軍の引きあげなどを協議しました。その中でロシアだけが抜けて独自に清と交渉し、旅順や奉天を軍事基地化すると共に、満州から軍隊を段階的に引きあげる約束を守らず、居座り続けたのです。この状態は日露戦争が始まる前年(1903年)まで続きました。

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