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2008年12月23日 (火)

朝鮮・韓国 18

 前回の続きとして日清戦争の経緯と結果を箇条書にします。

【開戦のきっかけ】
・1994年(明治27)2月 全羅道の農民蜂起を発端とする「東学党の乱」は朝鮮南部一帯に拡大する勢いとなる。「斥倭」つまり排日をスローガンにしていたのに、なぜか志士と称する日本人が潜入、あおっていた。これを開戦工作と見る謀略論はちょっと考え過ぎ。
・6月1日 朝鮮政府は清国に出兵を依頼。翌日日本政府も派兵決定。天津条約(「朝鮮・韓国 15」参照)に基づき双方が事前通告。両軍は京城・牙山間でにらみあいとなる。

【仕掛けたのは】
 日本である。両軍が朝鮮で対峙した頃、東学党の乱は沈静化し派兵の根拠を失った。日本は撤兵を拒み、朝鮮の改革を日清が協同して当たることを清に提案した。清はもとよりその必要を認めず、応ずる気はなかった。日本はさらに大軍を派遣し、引退していた大院君をかついで清軍の撤退を迫った。こうして一触即発の状況に持っていった。

【戦争の経緯と結果】
・1994年7月25日 豊島沖の海戦で戦闘開始。
・8月1日 宣戦布告
・9月 陸軍が平壌を占領、海軍は黄海海戦に勝ち制海権握る。
・11月 中朝国境の鴨緑江を渡った陸軍が遼東半島を制圧。翌年にかけて山東半島威海衛攻撃、北洋艦隊全滅させる。
・1995年3月 台湾、澎湖島に進攻。

・3月20日 下関で日清講和会議。
・4月17日 講和条約調印(清国が朝鮮の独立を承認、遼東半島・台湾・澎湖島を日本に割譲、軍費賠償金2億両=約3億円の支払い、開市・開港の増加など)。
・4月23日 露・独・仏、日本の遼東半島領有に反対(5月5日日本政府これを受諾=三国干渉)。  

【戦争の評価】
プラス
・台湾ほかの割譲(第2次大戦後既得権を認められなかったので結果的にはマイナス)。

マイナス
・朝鮮を日清両国で改革するという日本側提案がほごになったので、行きがかり上、日本だけでこれを実施せざるを得なかった。
・敗北により弱体化した清国政権に、英仏独ロなど各列強は傷ついた獲物にたかるハイエナのように中国を浸食、朝鮮問題は開戦前より不安定化した。イギリス、ロシア、フランス、ドイツは財政難の清の弱みにつけこみ、日本への賠償金などを貸し付けることで鉄道敷設、租借権などの利権を獲得した。

・三国干渉を受け入れさせられたことにより日本が見くびられ、相対的にロシアの存在が強くなって朝鮮の背後をおびやかした。
・日本の世論「義侠心」は結果的に全くから振りに終わった。それが日本軍の快進撃を見て国民の間で「愛国心」に転化する傾向を見せ、陸奥宗光を心配させた(注参照)。三国干渉の結果、「利益線」確保はむしろ大きく後退、「臥薪嘗胆」の世論工作となった。
・朝鮮宮廷は日本の改革要求に抵抗し、ロシア接近でこれを妨害した。

 したがってこの戦争で、日本の強さはある程度世界に示せたが得るものほとんどなく、朝鮮政策はむしろ後退した。 
 
【注:陸奥宗光の心配】『蹇蹇録』から意訳

 平壌、黄海開戦以前には勝てるかどうか心配していた国民が、今はもう勝利疑いなしということになり、いつ旭日軍旗を持って北京城門に進入するのかを問題にしている。一般の気性は壮快になり、おごり高ぶり欲望をふくらませている。(略)もし、深慮遠謀の人人がいて妥当中庸の説を唱えれば、あたかも卑怯未練、いささかの愛国心もないという非難を浴びせ、だまらせてしまう。

 (略)その愛国心なるものが如何にも粗豪尨大であっても、これを事実に適用する上で注意を欠けば、往々かえって当局者に困難がふりかかる。スペンサーは露国民の愛国心を蛮俗の遺風と言った。これは酷評だろうが、いたずらに愛国心を持ち上げてこれに依存、前後を考えないと、往々にして国家の大計と相容れない結果を生む。

 この「愛国心」が後の日露戦争や大陸進出に影響していないとは言えません。最初の動機に意味があったにしても、戦争はいつしかその範囲を逸脱し、収拾を困難にします。勝ったにしても、戦争が国または国民の利益になったという例はすくないのではないでしょうか。

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