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2008年12月19日 (金)

朝鮮・韓国 17

日清戦争に至った背景
 このシリーズは、第1回の太古からはじめてここまでで17回になりました。ふりかえって見ると、最初は「である調」で、近代の徳川時代に入ると「です、ます調」に変えています。いま気がついたのですが、現代に近づくにつれ複雑な事情が加わり、読みにくくなることを避けようとしたのでしょうか。

 近代はいろいろな史料・文献も増え、人によって考えも違ってきます。評価に問題のある特定史料を使ったトンデモ史観や、あらかじめ敷かれたレールの上でしか解釈をしない硬直史観はとりたくない、というのはなかなかしんどいことで、イラクじゃないけど出口をさがすのになかなか時間がかかりそうです。

 今回はいよいよ明治27、8年、朝鮮を舞台にくり広げられた日清戦争に入ります。これは教科書をはじめいろいろな参考にすべき書物があるので、項目を上げて簡単にしたいと思います。まず、開戦に至った背景を日・朝それぞれ3つずつあげてみました。

【朝鮮側の背景】
1.進まない宮廷改革
 大院君と閔妃による骨肉の政権争奪戦はこのあとも続きます。また、宮廷をとりまく特権階級両班(ヤンバン)官人の利権あさり、貧官汚吏ぶり、豪奢な生活も一向に変わりません。

2.事大主義・外国依存体質
 巨大国清の冊封国になっていれば保護が受けられるという長年の習慣がしみついています。すでに見てきたようにクーデターなどが起きると毎回のように清に出兵を要請しました。それはクーデターを起こす方も同様で、強いとなると日本やロシアでさえ頼ろうとします。日本と日朝修好条規を結び、自主独立の国という契約をしたのに、それを守ろうという気はあまりありません。清王朝にもそういったところがありました。つまり、近代的な外交常識や世界の動向にうといということです。

3.指導力・組織力不足
 農民、庶民の暴動や宮廷政治の改革を目指す勢力も現れますが、それを実現させる試みはいつも妨害や妥協で失敗します。日清戦争の引き金も「東学党の乱」という農民蜂起と清への出兵要請でした。これに対抗するため、日本も出兵して衝突を起こしたわけです。 

【日本側の背景】
1.お節介
 日本が尊王攘夷から開国・近代化に転換した経験をふまえ、朝鮮も清の属国扱いから抜け出して早く文明開化を進めた方が日本にとってもいいという気持があります。そして、日本は列強の圧力を受けながら、国際公法を楯にいわれのない侮蔑や侵略をかわしている、と言いたかったのでしょう。しかし、相手がそれを望まないのなら是非もありません。

2.危機感から自信へ
 すでに述べてきたように、欧米列強による帝国主義的植民地競争は一向におとろえません。ことにイギリスとロシアはアフガニスタンなどで激しい争いになっています。東洋では、南下に熱心なロシアと中国での優位を失いたくないイギリスが朝鮮をめぐってにらみ合い、イギリスはいち早く巨文島を占領しました。

 宗主国を自認する清は、朝鮮のことはどうぞご自由にという無責任な態度で、日本政府をあわてさせます。しかし、日本をどうしても味方にしておきたいイギリスは、長年日本が念願としてきた日英条約を平等なものにすることを認めます。これが日清戦争開戦に自信を持った一因となったようです。

3.政争
 その前に、衆議院内閣弾劾上奏決議が可決されたり、衆議院の解散があったりて政局が流動的になり、伊藤内閣も危機的な状況のもとありました。日清戦争突入はこれを一気にかわす意味があったのです。

 そのあたりを、時の外務大臣・陸奥宗光の外交秘録『蹇蹇録』で見てみましょう。まず、次の3通りの意見を「個々人々の対話私語に止まる」と切り捨てました。

①朝鮮の改革を名分に日本の版図を拡張、または保護国として権力の下に屈服せしめる。
②朝鮮の改革を進めまがりなりにも独立国の体面をそなえさせ、清・露の緩衝地帯にする。
③ベルギー、スイスのような列国保障の中立国とする。
 
 そして、社会凡俗の与論は「弱きを扶け強きを抑ゆるの義侠論」であると判断し、これを利用して強引な開戦持ち込んだのです。しかし陸奥の真意は、「我が国朝野の議論が如何なる事情、源因に基づきたるが如きはこれを問うに及ばず、とにかくこの一致協同を見たるのすこぶる内外に対して都合好きを認めたり」と表現しています。

 かいつまんでいうと、開戦について「いろいろ議論はあるが、そんなことはどうでもいい。与論が『義侠論』にあるのだからそれでいこう。それが内外に対して一番都合がいい」という、かなり乱暴な言い回しで、あとのことは「国益第一で考えればいいんだ」ということです。

 「内外に対して」というのは、戦端を開く1カ月前に、難航を極めた日英通商航海条約改定の調印にこぎつけ 海外からの非難の緩和が見込めたことと、その前に対外硬派から出されていた衆議院内閣弾劾上奏決議および衆議院解散による政府への攻撃をかわす意味があったことを指しています。まさに朝鮮から清を切り離す「チャンス到来」だったわけです。

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