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2008年12月12日 (金)

朝鮮・韓国 15

巨文島
 1885年(明治18)は、日本が朝鮮をどう考えるかについて、とても大切な年だったと思います。前の年には甲申の政変(日本では京城事件といった)で、親日改革派の金玉均が起こしたクーデターが失敗し、バックで軍事介入をしている日・清両国間の緊張が高まりました。

 前回、福沢諭吉の話をしましたが、学生をはじめとする知識階級や政財界には相当危機意識があったと思います。しかし、伊藤博文の積極外交が功を奏し、事件後約4か月後に日清両国ともに朝鮮から撤兵し、出兵の必要があればあらかじめ通告するという「天津条約」の締結に成功しました。

 朝鮮にすれば一見中立の立場で、独立国を主張する絶好の機会だったかも知れません。しかし、ドイツ人の顧問に外交を頼るなど、外交にうとく人任せはよりひどくなったようです。天津条約妥結の直前、こんなことも起きました。イギリスによる巨文島占領です。

 「巨文島問題」?、驚いたことには私の愛用している日本史年表には載っていません。また、どこにあるのかと思って、家にあるいくつかの地図をさがしてみました。「巨」の字があるからある程度大きくて、有名な島だからすぐ見つかると思っていたのです。ところが見あたりません。

 しかしありがたい世の中になったものです。ネットで検索する(Wikipedia)と地図でも歴史でもすぐにわかります。また、太平洋戦争後の連合国との平和条約には、その島の名前が載っています。

 第2条(a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権を放棄する

 済州島は、韓国最南端の大きな島で観光開発も進みおなじみの島です。鬱陵島は問題の竹島の韓国寄りにある島で、これもよく知られています。それでは地図で探しても発見しにくい小さな島がどうしてここに登場するのでしょう。

 それは、朝鮮海峡にあって、対馬と同様日本海への出入り口を往来する艦船が監視できる戦略上非常に重要な位置にあるからで、帰属を明確にしておく必要があったのではないでしょうか。1885年3月、イギリスの東洋艦隊が、突然この島を不法占領し要塞工事を行うとともに、清国政府に対し、朝鮮でロシアにどのような譲歩もするなと圧力をかけたのです。

 ロシアは1860年に清の隙をついて沿海州を領有、ウラジヴォストークを拠点にその艦隊を南下させて朝鮮の東海岸に出没していました。その翌年、文久元年に対馬にロ艦1隻がおしよせ、兵を上陸させて土地を不法占拠しました。しかも、これに抗議した島民1人を射殺し2人を拘束するなどして居座るかまえを見せたのです。巨文島より21年も前の事件ですが、日本人はこのことを忘れていません。

 イギリスは当時、ロシアのアフガニスタン南下で激しく争っていました。ロシアの南下は、いつになっても警戒される宿命を持っています。この時も日清間の力の空白をロシアで埋めようという、朝・ロの密約に気づいたイギリスの先制行動で、その後2年間も占領が続きました。

 こんなところで、ヨーロッパの抗争の火をつけられたら日本もたまりません。壱岐・対馬をはじめどんな禍が国土に及ぶか計り知れません。また、朝鮮が日・清以外の影響下に入るようでは、これまでの努力も水泡に帰すことにもなります。朝鮮が自主独立の国になることに、日本はまだ一縷の望みを捨て切れていませんでした。

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