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2008年9月 5日 (金)

大正デモクラシー③

 前回に続き、安倍元首相と麻生総裁候補におじいさま若かりし頃(大正9年)の本を紹介します。

谷本富著『現代思潮と教育の改造』
       第一章 教育学風の変遷

前回のつづき~~~~~~~~~~~~

 かくの如くにして更に明治維新となったのであります。明治の維新になってはどうかと言いますると、これはまことに一言のもとに言うことはできがたい。というのは明治維新は本当は二つの異なった潮流からできているのであります。

 一はなるほど明治維新です。西洋風、即ち万国の新しい事をご採用あそばされるというご趣意です。その一方には王政復古で、しかも神武天皇の昔に帰ろうというような有様でありますから、維新主義と復古主義、いわば進歩主義と保守主義とが常にあい戦っておったのであります。

 それがために佐賀の乱もありました。それが為に熊本神風連の乱もありました。遂に西南戦争もありました。ひいてはイヤ国粋主義じゃの何じゃのというものが追々出てきました。

第七発展式 これは明治維新のはじめに二種の潮流があったのじゃという事を申せばわかると思いますが、明治二十二年に畏くも帝国憲法がご発布に相成り、また引き続きまして教育勅語が煥発せられましてからは、万事明らかに決まりましたので、私はこれに発展式という名をつけております。

 発展家といった俗な意味での発展ではない、つまり日本の国威が発展するということの意味でであって、それは何で申すかというと明治の始めに明治の国是を定められて、開国進取を以て国是とするということを仰せられたのに基づきます。

 そのご趣意が徹底して、いつも申しまするように日清戦争、日露戦争、なお引き続いて今回の大戦というようなものに至るまで、常に国威がズンズンと発展伸長したのだから、開国進取であり大発展であり、ついに今度は世界五大国の仲間入りとまでなったのです。

 もっとも肝心の評議をするときには、日本だけのけ者にせられていたそうじゃが、とにかく日本国は発展をして今回のベルサイユの講和会議でも重きを置かれるようになったことは明瞭な事実です。

 しかし開国進取などと言うとどうも支那人の如きは、ソレ見たことか、言わないことじゃない、日本が国を奪(と)りにくるなどと言うかも知れぬ。だから私は進取ということを隠して発展主義とやったところは、さすがに用意周到なるものがありましょう。

将来の新学風如何 けれどもじゃネ、発展主義もいいが、大正の新時代にはそれではいかぬと思うのであります。いま大正になり、いま二十世紀になっては、それではいかぬと思うのであります。デ私は新たに教育風の起こるべきものとして、それを何と言うかといえば即ちデモクラシー式と言おうとするのであります。

 もっとも他の時代は神習式といい、文華式といったようにみな二字にしてあるのだから、デモクラシー主義も二字にして、何かいい訳字はないかと思うて考えても見ましたが、この訳字にはまことに困るので、民本主義などと訳をつけますけれどもそれは誤解のもとであります。

 民本主義というのはとかく官僚主義の人のいうことであって、われわれのいうデモクラシーではないようだからそれは避けます。さればといって民主主義と言えば官僚からドエラウにらまれることになる。あるいは、平民主義と言ってもいいけども、平民というのもすこしく具合が悪い。

 しばらくデモクラシー主義ということにしておきますが、それでは困るという人もあろうけれども、私はよく言うのであります。人は日常生活でも原語のままで言うておることが沢山あるのです。あるいはガスであるとか、ランプであるとかいうのも日本語ではない。

 これは西洋の言葉がそのまま日本語になったのである。昔から仏教の方で、南無阿弥陀仏というが、これは日本の言葉でもなければ支那の語でもない、実はインドの語であります。しかし日本人の十中八九までは、誰でも何か悲しい事があったり、仮に心中でもするときには南無阿弥陀仏と言うでしょう。

 お俊伝兵衛でもそうです。彼らは日蓮宗じゃというけれども、芝居では情死のときにはまさか南無妙法蓮華経とは言うまい、やはり南無阿弥陀仏と言っている。何はともあれこの南無阿弥陀仏という語は最早日本の言葉となって広く行われているというようなことで、外国語にしても日本語になっているものも沢山あるから、デモクラシーでも私はやはりそのままデモクラシー結構だと思う。

 つまり私は今後新時代の教育主義は皆デモクラシーになるということのお話をしたのであります。

(以下参考図書等の研究資料の紹介等を省略、第一章完結)

~~~~文献紹介者・塾頭のコメント

 大正デモクラシーは、富国強兵から軍国日本の間のつかの間に咲いたあだ花のようなものです。この時代の理論的指導者として、「民本主義」を唱えた吉野作造が有名です。「民主主義」というと、天皇が「主」であると規定した明治憲法と対立するので使えなかったのでしょう。

 当時これだけの近代的感覚が受け容れられながら、デモクラシーを根付かせる事ができなかったのは何故でしょう。この文章を見ても明治時代の「発展式」の批判が無く、一歩腰が引けた感じがなきにしもあらずですが、これらを論じた本格的な議論はあまり見かけません。

 「一歩腰が引けた」というのは、自由闊達な発言の中で、皮肉めいた表現がところどころに出てくることに注意してください。それが、デモクラシーと相容れない旧憲法の天皇制であり、隠然とした権力を民衆にふるう官憲の存在であり、潜在する中国侵略志向の動きなどです。

 また、論旨に関係のないやや冗長な部分が多く、一部省略してしまった所もあります。しかしそういった語り口が、かえって明治から昭和の間の転換期を生きた人の息吹をじかに感じさせる、貴重な資料となっています。

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